2011年10月30日日曜日

30日(日)曇り ・・・人懐っこい。


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


会員限定の葉書を持って、お昼にケーズ電器に行った。

電子レンジでも使えるパックをもらって、くじ引きでは当りを出してハローキティの膝掛けフリースをもらった。


大偉のお友達と会った・・・。

だいいぱぱ! こんにちは。

おっ~、こんにちは。

今度大偉に会いに行きたいんですけど・・・。いつあいてますか?



お友達と何度か家に来てくれた子で、夏休みは数回来てくれたが、不在が多くて

何度も会えずに帰してしまった。


いいよ。

連絡ちょうだい!

と伝え別れた。


人懐っこい子。


大偉。

今度、家に遊びに来てくれるって。

楽しみにね。



この一週間は、色々とあり寝不足が続いたがようやく決着がつき普段通りの生活ができそう。

決別・・・あまりいい響きではないが、結果これで良かった。

昨日夜、大偉に報告した。


久しぶりに、二ツ塚に稽古に行った。

大偉も稽古をしていた場所。

ほとんどの子が大偉の事を知らないが、大偉もこんなんだったのかなぁ~と思いながら子供達と稽古をしていた。

たくさんの子供達から元気をもらった。


今年も、後二ヶ月となった。

早いな。



29日(土)晴れ ・・・養神館


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

いつも通り起きた。

連日のごたごたで深夜まで色々あったので、ものすごく眠い。

駒沢オリンピック公園総合運動場内の体育館に向かった。

am10:00ちょっと前に、第56回全日本養神館合気道総合演武大会(東日本大震災復興支援チャリティ演武)が行われる体育館についた。

着いてすぐ、A藤師範へ挨拶に向かった。

お通夜に来ていただお礼や、大偉が小学生の時に書いた合気道の作文を、忙しい中探してもらったお礼を申し上げた。

作文はなかったが、A藤先生が大偉を呼んで褒めていた時の光景や、作文を一生懸命書いていた姿は今でもはっきり覚えている。

M先生からいただいた、大偉が演武している動画のお礼、西葛西道場のK島会長、葛西さくら会のM田さん、龍事務局のO田原さんにお通夜に来ていただいたお礼を伝えた。

その他、演武会場でN畑夫妻からもお声をかけていただき、A藤先生をはじめたくさんの方からお心遣いのお言葉をいただいた。

昨年の大会は大偉もいたんだよな。

一年後は、用事があってそこにいないのではない。

逝ってしまっていないのだ。


全日本演武大会は、私達家族にとっても色々な思い出の場所。

F上同好会のN子さん、R馬と一緒に出た親子演武。

Fツ塚同好会のI川さん、S悟、M戸同好会のT野さん、R馬と杖の演武

この大会で、「秘伝」に掲載された。



演武大会は、第八十代 警視総監 井上幸彦 公益財団法人合気道養神会 理事長の挨拶からはじまった。

口火を切ったのが・・・

第47期警視庁専修生 第21期国際専修生の短刀相法演武。

さすが・・・

畳のすれる音までが、乱れることなく気合の入った演武。

日本の国家治安を守る警視庁が採用している養神館合気道。

その養神館合気道をしている事を誇りに思う。

我々、野田同好会も一生懸命に稽古した演武を発表する番がきた。

今までのたくさんの演武に出たが、一番満足できた大会となった。
(私は、少し失敗しちゃったけど・・・)

何度も、何度も文句を言わず稽古した仲間に感謝したい。

大偉も見ていたかな?



帰り道・・・

N葉と二人で杖演武の時早く着きすぎてしまい、通り道にある公園のブランコに乗りながら楽しそうにしている姿を思い出した。

「もう、時間だから行くよ!」というまでニコニコしながらこいでいる。

渋谷に着き、スクランブル交差点をどうにか渡る事ができた。

センター街入口近くのラーメン屋「金伝丸」に向かっていた。

去年は、大偉と食べに行った。

近くなのに中々見つからない・・・。

住所を、家で待っているN葉にネットで調べてもらい・・・しかも交番の警察官にまで聞いた。

やっとみつかった時は、外は暗く、ちょ~疲れた。

今年は、・・・一人。

食券を買った。「とんこつしょうゆ 特丸」

4人テーブルが2つ。後はカウンター。

去年食べた場所は先客が座っていたので、奥のカウンターへ通された。

お水と1杯、2杯飲んだところで、入口のカウンター客が席をたった。



すみませ~ん!

席をあそこに移ってもいいですか?



大偉が去年食べた席に移った。

懐かしいなぁ~。

ここの席に二人の道衣が入ったカバンをおいて、大偉はここ、私はここで食べた。

ごちそう様を言い、今年はまっすぐ一人で家に帰った。

大偉っ。

今日、お父っが食べたラーメンは去年食べたのと同じかな?

お父っは、忘れちゃったよ。

柏そごうのコージーコーナーで大偉の好きな苺ショートを買ってみるちゃんにはシュークリームのお土産を買った

2011年10月28日金曜日

28日(金)晴れ ・・・TXから


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


本当に、朝が寒くなってきた。
今日は、つくばのユーザまで業務応援のためTXに乗って出かけた。

進行方向右側のボックスシートに座っていた。

あれっ、もしかしたら大偉の事故現場が見えるかもと思ったが、日よけのブラインドが下りていたため行きは見えなかった。

つくば駅に入る、かなり前から筑波山が見えていた。


小学校の頃に、親父の会社の社員旅行で行った記憶がある。

南部小は遠足で筑波山に登る。

大偉もN葉も、疲れきっている写真がある。

天気はいいが、風が冷たい。


帰りのTX。


R16を横切る時、事故現場の向かいのラーメン屋が見えたが、あまりの速さと、はじめて通ったので気がついた時には通り過ぎていた。

あの日、偶然にもTXが通ったかは知らないが上からだと、こんな風に見えるんだと思った。

事故後、渋滞になっていたのを電車の中から見ていた人はたくさん見ていたんだと思う。


大偉!

明日は、演武大会だからね。

帰りに去年行ったラーメン屋に行く?

何のラーメンだっけか?

じゃ、体育館前で待ち合わせね。

27日(木)晴れ ・・・一人っ子

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


2011年4月9日 未明。
2011年6月2日 17:40。

弟のように可愛がっていた、愛犬みるる。
まいにちのように、口げんかをしていたお兄ちゃん。

二人とも突然逝ってしまった。


突然、一人っ子になってしまった。


毎日、「ワンワン」と出迎えてきてみんなから可愛がられていた末っ子のみるる。

なんだかんだ言いながら、優しかったお兄ちゃん。


今は、二人の声がない。

5人家族から、4人家族・・・今は3人家族となってしまった。


毎週、土曜日の合気道の稽古。

行きは、別々に歩きながら体育館へ歩いてる。

帰りはというと、仲良く二人並んで歩いている。

M先生が、あの二人は仲がいいねぇ~と言いながら後ろ姿を見て歩いていた事を思い出す。

ショッピングモールでは、まるで恋人みたいに歩いていた。

その姿も今はもう見えない。

最近は色々あって、寝るのが深夜3:00近い。

ちょっと疲れてきた。


N葉は何も言わないけど、口けんかもする相手もいなくなってしまい、寂しいだろうに。

お通夜、告別式と家内の膝の上で泣き崩れていた姿を思い出してしまう。


みるるの亡くなった姿。

みるるを見送った、家内・大偉・N葉の姿。

大偉の亡くなった姿。

大偉を見送った、家内・N葉・親・兄弟の姿。

N葉の泣き崩れた姿。

絶対に忘れない。

N葉は何がなんでも家内と守っていく。

大偉の分まで幸せになってもらいたい。

ただ、ただそれだけを願う。

2011年10月27日木曜日

26日(水)晴れ ・・・ぶつけて


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

風は少し強かったが、久しぶりの青空。
しかし、夜は寒かったなぁ~。


一方的に決別されてしまったが、お互いの立場で色々と考え抜いた結果、お互いが歩み寄れる事ができなかった。

相手の言われている事もわかる。

こちらも、可能性がある以上、たくさんの考えられる事をあげ、思いを伝えてきたつもりだが・・・。

一生懸命、事細かく説明した。

どうしても、曖昧なまま年を越す事ができなく、お話しを持ちかけたが、結果として・・・ひびから、決別へと進んでいってしまった。

しかし、お互いの思いをぶつけて良かった。

これで、良かったと思う。

今まで、考えもつかなかった事・・・、今まで聞けなかった相手の本心が聞けた事。

ぶつけて良かった。

ぶつかって良かった。

これも必然なのだから。


今、目の前にある問題、これから発生するかもしれない問題・課題に逃げていては、前に進む事はできない。

正面から受け止めて、少しずつでもいいから解決していかなければならない。

絶対に目の前の問題から、目をそらさず、つぶらず、逃げ出さず。

2011年10月26日水曜日

25日(火)曇り ・・・ひび


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

ひび・・・。

子供達には、小さい頃から一度割れた物や、ひびは直す事はできないから、人から借りたものや、家の物すべてにおいて大切にしなきゃダメだよ。

たとえ同じ物を買って直したとしたとしても、それは決して同じ物ではないから。

その時に買った思いや、思い出がそれには詰まっていないから・・・。

だから、大切にしなければならないんだよって。


そのひびは、決して物だけではなく、人とのつながりもそうである。

昨日、決別してしまったのも同じ事だった。

今更という考えもない。

修復したいとも思わないが・・・。

どんな形であれ、やっぱり・・・少しは気になるなぁ。

大偉を待っていたが、来なかった。

仕方がないか・・・。

後は、なるようになる。

演武大会には、ちゃんと来いよな。

2011年10月25日火曜日

24日(月)曇り ・・・決別の日


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

10/24 21:32分。

携帯がなった。

色々とお話し合いもこちらから設け、沢山考えられる事をお話しさせていただいた。

相手の考え方にどうしても歩みよれる内容ではなかった。

一方的に・・・・決別した。

これも

仕方がない。

必然だったのだろう。


この先・・・もう何もない。



大偉。

何か言いたい事があるなら出てきて、お父っとお母っに話してよ。

2011年10月23日日曜日

23日(日)曇りのち晴れ? ・・・お米が入ってるよ!


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

今朝は、買い物の後「野田ガス展」に行った。

福引は、残念ながら5等・・・お味噌。

お昼は、マックにしよう!とそのまま買いに行った。

大偉とみるちゃんには、ハンバーガーを1個ずつ。

みるちゃんは、たまねぎを取ってあげて、大偉のハンバーガーに入れてやった。

結婚当時、船橋に住んでいた。

JR船橋駅と、京成舟橋駅の間にあった、マックで・・・


「白い、お米が入ってるっ・・・!」


小さいタマネギの事を「お米」と言ったのだ。

なんとも言えない、なごむ言葉。

はじめて、マックのハンバーガーを食べた時の大偉の言葉。

家内が言った。

そういえば、そんな事言ってたね・・・

今日は、泣かずに食べる事ができた。

大偉。

覚えてる?

覚えてないか!

いくつだろう?

お母さんに聞いたら、1歳くらいだってさ。

懐かしいよ。

そっちは、マックあるの?

22日(土)雨のち曇り ・・・どうだったかな?


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

演武大会1週間前の稽古どうだった?

ようやくH-shiが戻ってきた。ギリ間に合った。

去年は、大偉も散々稽古したよね。

K野さんが考えた演武科目に・・・なんと腰投げが・・・?

大偉は、M先生と組んで演武したけど・・・稽古の時から中々M先生を持ち上げて投げる事ができなくて大変だったね。

ついこの間のように覚えているよ。

R馬とN子さんと一緒に行った事もあったね。

大偉も、N葉も帰りの電車では疲れて寝ちゃって二人を起こすの大変だったよ。

特に・・・N葉はね。

今年は6人が参加する事になったんだよ。

しかも今年の演武はちょっと違うよ。

いつもは、私が「じゃ、もう一回やりましょう!」とか言うんだけど、今年はJ-m先生からもう1回やりましょう!と言ってくる。

そのお陰で、今年の演武の出来はいつもより良くなったよ。

本番当日が楽しみだよ。

大偉・・・遅刻しないでね。 10:00に駒沢体育館の玄関前だからね。


2011年10月22日土曜日

21日(金)曇り ・・・久々だね


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


帰りの電車の中・・・。

I上さんからのメールを読み返していた。

涙が出てきた。

それ以上はぐっと堪えた。

家に着き、二人の男の子が仲良くならんで「クレヨンしんちゃん」のはじまりをTVの前で待っていた。

「ちょん、ちょん。ただいま」と覗き込んでご挨拶。


家内が大偉の食事をさげてダイニングテーブルに置いた。

「ちゃんと食べたの?」・・・

と言いながら。

大偉の好きな豚肉と小松菜だから「ガァーと食べたよ」


最近、周りで風邪がはやっているから、体には気をつけるんだよ。

みるちゃんは大丈夫なの?


明日は、演武大会の最後の稽古なので頑張るよ!

2011年10月21日金曜日

20日(木)曇り ・・・ばかやろう!


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


いつもより、一本電車を遅らせてしまった。

自転車置き場から駅に向かい直線の道を歩いていた。

すると・・・

左前方から右折をしてきた原付バイク。

しかも、かなりオーバーランで膨らんで曲がってきた。ノンストップ。

なんだこいつ!

その曲がりっぱなに遭遇したら、事故になる感じ。


見ると、大偉と同じ中学の同級生だった。


小学生からの友達。

お通夜にも、告別式にも来てくれたのに・・・

四ヶ月前の事を忘れたのかよと思った。

しかも「ノーヘル」

こいつ、まったくわかってない。

世の中のルールもわかってないし、大偉の死も全くわかってない。

朝から怒りを通り越して、あきれた一日のスタートだった。

大偉。

ちゃんと教えてやれよ。

大偉が亡くなってから、はじめて不愉快な日だった。

2011年10月20日木曜日

19日(水)曇り ・・・たった4年しか

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

今日は、寒かった。

けど・・・冷たくてなぜだか頬にあたる風が気持ちいい。


帰りの電車の中で、大偉の小学生の卒業式の写真を思い出していた。

校庭で撮った写真。

少し眩しいのと、はにかんで笑っている。


あれから・・・4年。


たったの4年。


たったの4年しか経っていない。


あんなに、あどけない顔をしていたのに・・・


たった4年しか経っていないのに随分と大きくなったし。

顔もだいぶ変わった。

背も随分と大きくなった。

声も、変わった。

友達も増えた。

変わらないのは、やさしかった事かな・・・。

子供が好きだった事かな・・・。


子供の成長って、ほんと早いんだな。

近くにいると分らないが・・・。たまに撮った写真を見てれば良かったと思う。


あどけない小学6年生の卒業式から4年後にこんな事になるなんて。

その4年後。

さらに4年後・・・。

ずっと見ていたかった。

まだまだ、大偉が亡くなったなんて信じがたい。

私達の4年後は、どんな生活をしているのかな?

大偉のために来てくれたお友達。

4年後はどんな生活を送っているのだろう?

夢を掴んだ人。

掴む途中の人。

これから、見つける人。

だいぶ変わるんだろうな。

2011年10月19日水曜日

18日(火)曇り ・・・模様かえ!


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

家に帰り、大偉とみるちゃんにご挨拶。

り~ん。り~ん。

「帰ってきたよ。今日も一日ありがとうね。」


あれっ?


模様かえしたの?


うん。


みるちゃんのところが暗くていつも気になっていたから・・・。


仏壇の右横に大偉の小さな遺影。その反対側に骨壷。

その横に大きな遺影があり、みるちゃんの写真と香炉がある。


模様かえして大偉の小さな写真を左側に移し、その横にみるちゃんの写真。


二人の男の子が並んで寄り添いながら、こっちを見ている。


はじめから、こうすれば良かったね。ごめんね。


最近は、ほんとに朝晩冷え込んできたよ。

帰りが遅いと、自転車はちょと寒い感じがするよ。

そっちは、どう?

大偉っ。

みるちゃんは、お腹が弱いからいつも気にしててね。

そっちの病院、探して、良い先生を見つけておいてね。

2011年10月18日火曜日

17日(月)晴れ ・・・あれっ!


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

夕方、赤坂のTBS本社前ににあるB'zタワーにいた。

E○I Music Japanで仕事をしていた。

いつもより帰りが早く、柏から東武電車に乗り座った右上の中刷り広告に目を向けた。

週間現代・・・。

たくさんの冊子内容が書かれている中で、瞬間的に目に入ってきた見出し。

「人は死なない、そこにいる」
東大病院救急部長 矢作直樹氏 体験告白

と書いてあった。

あれっ!・・・

どこかで見た言葉。

駅前のコンビニでちょとだけ立ち読み。

やっぱり・・・


2011年9月9日 大偉の百か日忌。

わざわざ家までI川さんが届けて来てくれた。

「人は死なない」


この本はI川さんからいただきすぐに読ませてもらった。

車のスリップにより助手席に乗せていた妹を亡くし、体外離脱した体験が記してある。

「お兄ちゃんはもどりなよ」この一言で戻ってこられた。

その12年後、今度は17歳の息子をバイク自損事故で亡くし、自宅に安置したその晩深夜2時ごろにリビングに向かって歩いてくる足音が聞こえ、見ると息子がたっていたそうです。
「僕のバイクは? 僕のバイクは?」と訊ねていたそうですが、事故のショックから何も答えないでいるとそのまま消え、それ以来見ていないそうです。

色々と調べた事や、たくさんの方にあって聞いた体験をまとめている。
そのほかにも色々と・・・

また、自分も母親を亡くし、知り合いの霊能力を持っている方から、お母様が話したがっているけど・・・としきりに訴えていると。
実際に降霊してもらい、お話しをしている。
そっちの世界でも、先に亡くなった方とちゃんと会っている。


大偉も、2ヶ月先に亡くなったみるちゃんとあっているんだ。

ひーちゃんにも、松戸のおばあちゃんにも。

生まれて半年で連れて行ってもらった長岡のおばあちゃんにも。

私の知らない祖先にも・・・。

心配ないかな?

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「人は死なない」より

土佐日記に、次のような一節があります。

「なかりしもありつつ帰る人の子を、ありしもなくて来るが悲しさ」

死別の悲しみは、現世が現世限りだと思うと底知れぬ深いものとなってしまいます。特に自分の子供を亡くした親の悲しみは喪失感だけにとどまらず・・・

中略

人の魂は肉体が消滅した後も存在すると考えれば、ずいぶんと心が楽になるのではないでしょうか。
現世で二度と会うことはできないという喪失感は、残されて現世を生きる者にとっては確かに大きなものですが、大切な人と幽明の境を異にするのは一時のこと、・・・

他界した人はどこかで自分を見守ってくれている、いつの日か再会できると

考えれば死別の悲しみの本質が変わってくるのではないでしょうか。

中略

葬儀は、亡くなった人との今生での別れを意識するけじめ。
墓参りは、日々の俗事に追われる我々に霊に思いをはせるひとときを与えてくれると同時に、内省の時間をも与えてくれる。

葬儀や墓参りは、人それぞれの環境に応じて、できる範囲で行えばいいのではないかと私はおもうのです。
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大偉の側にみるちゃんがいて、いつも見てくれているんだね。

バイクの事は心配しないでいいからね。


pm8:50 大偉の携帯のメールがなった。

いつもの子からのメールに、中刷りの事が書いてあった。

見ていたんだね・・・。

2011年10月17日月曜日

16日(日)曇りのち晴れ ・・・偶然にも


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

朝は曇っていたが、だんだんと晴れて気温は30℃を超えた。

ちょっと暑い。

録画していた「家政婦のミタ」を皆で観ていた。

子供は幼稚園から高校生まで4人と父親の5人暮らし。母親は亡くなった。

一番下の幼稚園の女の子が、「お母さんにあいたいよ~」というシーンからは子供達が亡くなってから言えなかった思いをそれぞれぶちまける。

お母さんに色々と話しを聞いて貰いたかった。

酷い事を言ったのを誤りたい。

・・・・、その後少しずつ子供達の心の変化が。

大偉とかぶってしまって、ちょっと・・・。


大偉の携帯がなった。

フリーメール・・・登録していたガソリンスタンドからのお得情報。


その他に・・・「うっ・・・?」

携帯の番号が変わったとのメール。

大偉が亡くなった事すら知らないのかな?

まだ、いるんだ。


あっ、いつもメールをくれる子から15日のpm2:30すぎ?に入っていた。

ちょうど、事故現場にいた頃くらいかな?

大偉の好きな「いちご・オレ」・・・ヨーグルト?



ヨーグルトなんてあるんだ。

大偉は、ヨーグルトはあまり得意ではなかったが、「いちご・オレ」は好きで飲んでいたな。

この子からもそんな事が書いてあった。

毎度、辛い気持ちのメールをいただいているが、家に来て気持ちが楽になるならいつでも来てね。

あっ、勝手に掲載しちゃってゴメンネ!

偶然にも、昨日いなげやで買い物したジュースにミニーちゃんのいちご・オレがあった。

家内が、買い物から帰ってきてそのまま仏壇にお供えした。

何か・・・不思議。


今日は、やたらとバイクの音がする。しかも空吹かし・・・。

何をやってんだか。

2011年10月16日日曜日

15日(土)雨のち曇り ・・・帰ってきた。


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

バイクと衣類、ヘルメットを還付されるので・・・pm1:45 柏警察署についた。

先に、バイクがレッカーの荷台に乗せられた。

私達は、交通課の事務所内に通され椅子に座ってまっていると警察の方から、大きなビニール袋2つと、ヘルメットが入った袋の3つを渡された。

還付書類に今日の日付と住所・氏名を書き捺印。

2011年(平成23年)6月2日の日付でも警察が預かった物としての書類があり、私が自署していた。

こんなの書いたっけ・・・? 全然覚えていないな。

色んな事があったから、そういうもんだよ・・・と隣に座っていた家内が言った。

事故当日から、色々とお世話になりました交通課の担当警官は転勤のため挨拶できなかったが、よろしくお伝えくださいと伝え事務所を出た。


うゎっ、結構、袋重いな・・・。


柏警察署に着いて呼ばれる前まで、掲示板を家内と見ていた。

凶悪犯の似顔絵、また交通事故の情報提供。

情報が少なく、報奨金まで書いてあるのが多い。

そうでもしないと、情報が集まらないのか・・・・・。

その中で、小学4年生(当時)自動車と自転車の交通事故で死亡。

しかも、ひき逃げで今も捕まっていない。

事故当時から2年経っている。

どこかのサッカークラブの入っていたのか、ユニホーム姿の写真が掲載されていた。

家族は、計り知れない悲しみ、苦しみを送っているに違いない。

私がどうのこうのするって事はできないが・・・何とかしてやりたい。

犯人を見つけだしてやりたいと思った。

その横には・・・


2011年10月14日現在
柏所轄の死者10人
千葉県内死者132人

大偉もその中の一人に含まれている・・・




大偉っ。

帰ろうっかぁ。

これで、すべて帰ってくる。

大偉が帰ってくれれば一番よかったんだけど・・・


帰りに事故現場の立寄り、お花をお線香を手向けた。


事故当日の柏警察署。衣類検証している警察の方の姿を見ていた。

大偉の着ていた服も・・・

ブルーシートの上に一着ずつひろげられてある血まみれの服だった。

先に還付されていた中の、京葉BKの残高明細と封筒も血がにじんでいた。

どれだけの血が流れていたのか想像もつかない。


家に帰り、リビングに還付された紙袋3つと置いた。

どうする?

ひろげるか?

私は、いいや。まだ見れない・・・。

そのまま、和室に持っていった。


今日は、バイクを嬉しそうに見ていることだろう・・・。


2011年10月15日土曜日

14日(金)晴れ ・・・いないって


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉とみるちゃんにお水をお線香をあげて手を合わせた。

涙がでてきた。

人は必ず亡くなる。

寿命で亡くなるとばかり思っている。事故、病気でも亡くなるがあまりその事は考えた事はない。

年を重ね亡くなっていくのならまだ受止める事ができる・・・。

でも自分の家族は例外だと思う。亡くなる理由が何であろうと、年齢がいくつであろうとも、こればかりは受入れる事ができない。

大偉を16歳で亡くした辛さ。考えられない。

遺影を見ながら・・・。

逆に、小さい頃に自分の親を亡くすなんて考えてた事もないし、考えられず、受入れる事ができないんじゃないかな?と思う。

普通に生活をしていれば考えもしない事だもんね。


知り合いの人を思い出した。

物心もしっかりついて、お父さんも可愛がっていたんだろうなぁ~。

子供も・・・「パパぁ~」ってかな?「お父さん」って呼んでいたかわからないが辛かったろうな。

これからの生活の不安もあったろう。

でも、子供を路頭に迷わせるわけにもいかず一生懸命育ててきたと思う。

お父さんも、子供の成長を側で見ていたかったろう・・・

子供もいつもお父さんに近くにいてほしかったろう・・・

お互いに何かあるたびに思い出していたに違いない。

小学生なって黄色い帽子に大きなランドセル・・・。

遠足、運動会、・・・・卒業式

不安でいっぱいの中学生・・・

色々と話しを聞いてもらったり、してもらったかったろう。

その子は今、自分の夢に向かって頑張って勉強をしている。

自分の夢をつかむために、そのレールを歩みはじめた。

エンジンオイルにまみれその子はきっと自分の夢を叶え、お母さんを喜ばせるだろう。

お父さんを喜ばせ、褒めるだろう。

きっと自慢の息子と思うだろう。

家族の大切さを知っているその子はきっといい家族を築き・・・・将来、可愛い孫を見せてくれるに違いないと思う。


常磐線の電車の中・・・

6月5日 pm8:00過ぎ 野田市斎場を思い出していた。

お経が終わり、葬儀屋さんが「大くんに会いたいとお友達が外で待っているんですが?」

お通夜に来ていただいたお友達も帰れずにいた。

一人で、大偉に会いに来てくれた子。

友達と待ち合わせて来てくれた子。


それにしても、自宅に来てくれた子にしか斎場の事は伝えていなかったのに・・・、携帯の威力というのは凄いな。子供達だけで300人以上来てくれた。


棺の中で眠っているように横になっている大偉に会って帰って行く。

来ていただいたお友達全員の顔はわからないし覚えていないが小学生の頃から知っている子や、自宅に来ていただいた子はわかる。

その中でも、

大偉に会って一度部屋を出たが、手紙を渡したいと家内に連れられて戻ってきたセラー服を着ていた女の子。

大偉に会う前にしっかりと私の目を見て深々と頭を下げた茶系のチェック?スカートの女の子。

男の子二人で大偉に会いに来て、一人の男の子が会った瞬間、人目も気にせず声を出して泣いていた子。連れの子に肩を抱かれ大偉の遺影を振り返りながらその場を離れたくなさそうに部屋を出ていった姿。

本当に、辛いな。

大偉は、来てくれたお友達をどう見ていたのかな?

みんなが家に着いたのを確認したかのように涙雨が降った・・・。

大偉の最後の優しさだった。

2011年10月14日金曜日

13日(木)晴れ ・・・リップクリーム


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

朝晩が涼しくなり、空気も乾燥しだしてきた。

唇が乾き、ちょっとピリピリしてくる。

この時期は、リップクリームを携帯する。

リップクリームはメンソレータムと決まっている。


中学生だったと思うな?もしかしたら小学生だったかな・・・?

唇が大荒れで腫上がったように、たらこ唇になった事がある。

大偉はそれ以来、リップクリームを年中携帯していた。

年間の消費はハンパない。

10月8日 am8:30過ぎ。

合気道の稽古に向かう車の中で、急に唇の荒れが気になってピリピリして痛くなった。

「大偉、リップ貸して!」

いつもは、大偉にリップを貸してもらっていた。

リップを忘れて「やべぇ~、どうしよう」と困った時もあった。

あの、たらこ唇になると中々治らないからだ。

今までは「はいっ!」と貸してくれていたが、その日は貸してくれる大偉がいなかった。

いつも稽古に出かける時や、みんなで出かけるは必ず大偉が持っていたから、いつも貸してもらっていたが、これからは自分で持ち歩かないと・・・。

前に柏警察署から連絡があり、一部遺留品の還付された中に「リップクリーム」があった。

大偉。

リップクリームは持ってるの?

持たせたっけ?




2011年10月13日木曜日

12日(水)晴れ ・・・見かけた


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

9月30日。

いつもの時間に駅のホームに立っていた。

駅のちょっと手前、正面左から自転車が曲がってきた。

あれっ?

大偉の中学の先輩のT君かな?と一瞬、そう見えた。

相手は、曲がりっぱなだったのでたぶん私には気がついていないと思う。

っていうか、私もT君かどうかも・・・。

電車待ちのホームから駅の階段をあがる姿が見える。

間違いなかった。

それから、1週間後。

会社帰りの梅郷駅の階段で見かけた。

もちろん、何度も家に来ていただいているしお話しもしている。

そのT君を見かけたが、私から声をかける事はできなかった。

なんて、声をかければいいのかわからなかった。

声をかけられて迷惑しないかと思った。

そのまま家に帰った。

K'zでは、「大偉のお父さんですよね?」と声をかけられて嬉しかったし、T君も電車で声をかけて来てくれて嬉しかった。

ただ、自分からは何となく引けた。

今年の夏のBBQで、「大偉によろしく!」と手をあげて挨拶してくれてH-shi。

嬉しかったなぁ~。

もし、私をみかけたお友達がいたら・・・

「大偉によろしくね!」と笑って声をかけてくれたらどんなに嬉しいか。

なんて、勝手に思ってしまった。

T君は元気な顔をしていた。

体育祭はどうだったかな?

Tさんは、ちゃんと応援してた?

2011年10月12日水曜日

11日(火)晴れ ・・・再出発


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

今日は、2011下期の期初会議。

先期の反省と、今期の会社の方針、部、グループの方針が発表される。

つい2週間前にには、人事異動が発表され親会社へ出向または派遣される社員。

逆に親会社から出向される社員。

期初会議冒頭に、出向されてきた方の挨拶があった。

お二方ともよく知っている方で、一人の方は一緒にホテルOの勤怠を立ち上げたメンバーの一人。

「・・・・・新たな気持ちで頑張ります」と挨拶された。

3月、4月とは違うが気持ちを新たに新天地で出発される方も多い。

会社の異動はなくても、部署異動などで新たに頑張ろう!・・・・と。


会社だけではなく、学校に通う生徒たちもそんな気持ちになったり、学校になじめなかったり、はたまた自分の意思とは違う働きで、通う事が困難になったりと、さまざまだと思う。

色々と、不安な事がたくさんあると思うが、頑張って!


大偉も、あの事故以来、新たな世界で再出発をしているんだな。

16年・・・。

2011年6月2日 16:10以降の人生を一生懸命歩んでもらいたいと思った。

ゆっくりでいい。

焦らなくていい。

一歩、一歩。

歩んでいってほしい。

これから先にやりたかった事、今までできなかった事を思う存分やってもらいたい。

色々と、我慢をさせてしまった事もあったしね。

お父っ達も、ゆっくり、焦らず、一歩一歩。歩んで行くからさ。

2011年10月10日月曜日

10日(月)晴れ ・・・マック


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

今日は、朝から墓石のデザイン制作を行っていた。

お昼何にする~っ?

何でもよかったが、久しぶりにマックに決まった。

車に乗り、近くのいなげやの中にあるマックに向かった。

ローソンのところで信号待ちをしていた。

突然・・・

涙が溢れでてきた。

うっ、やばっ。

これから、マックを買いに行くというのに。

涙が止まらなかった。

信号待ちで、「大偉もマック好きだったなぁ~」とほんのちょっとだけ思い出しただけなのに。

サングラスを取って、ルームミラーで顔を確認したが、大丈夫だった。


・・・と思う。


三人分と大偉とみるちゃんのハンバーガーを買って帰った。


家内が、みるちゃんのハンバーガーのたまねぎを取って大偉と一緒に仏壇にお供えした。


「命に感謝して、よく噛んでいただきます!」

小さい頃からの言葉。

今は、N葉が一人でいう事になってしまったが、大偉と半分ずつ言ってた。

ビックマックを一口噛んだ。

やばっ。

また、涙がでてきちゃった。

すぐに席を立って、裏で涙を押さえて席に着いた。

ハンバーガーを手にしたら、今度は抑える事ができないくらいの涙が出てきてしまった。

そのまま、何も言わず席を立ち、二階へあがった。

大偉は、いつもバリューセットの他に、ハンバーガーを二個、多い時には三個食べていた。

その美味しそうに食べる姿を思い出し、涙を抑える事ができなった。

しばらく、降りてくる事ができなかった。

ようやく下に降りてきたが、顔をあげる事ができず涙を流しながら食べていた。

こんなのはじめての出来事。

みっともない姿を見せてしまった。


そっちでは、さすがにマックはないよね?

ちゃんと食べているかい?

みるちゃんは、いつもパンだけだったけど、今日はお肉付きだったね!

夜は、昨日あげられなかった、ささみのお肉だったね。

今週、大偉の修行しているお寺さんに出かけようとしていたんだけど、熱っぽくてやめちゃった。

行くときに、また連絡するね。

9日(日)晴れ ・・・写真


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

わぁ~。

ブログを書こうと思ったら、日付も曜日も一緒になっていた。

すぐに修正。なんか変だなとは思ってはいたが・・・。


今日は、気が付けばソファーで横になっていた。

そのまま、和室で昼ねまでしてしまった。

pm2:00くらいから墓石のデザインの作業を行った。

現地まで行き、彫りの幅を確認しに出かけた。

前に、今の会社を辞めてデザイン系の会社に進みたいと思い高いお金を払い会社帰りに学校に通った。

その習った事が、大偉の墓石のデザインで使う事になるとは。

後、もう少しで終わる。がんばろ。


10/7だったかな?

リビングの模様替えをした。

最近はずっとコタツのテーブルで食事をしていた。

会社から帰ってきて大偉とみるちゃんに挨拶をした後、一人で食べる時は背を向けていた。

模様替え後は、ダイニングテーブルでの食事に戻り、ちょうど仏壇を左斜めに見るようになる。

みるちゃんの写真があって。

大偉の大きな遺影があって。

ここから、やや等間隔に仏壇横の小さな遺影があって。

遺影につかった、元の写真がある。


仏壇から右は、大偉と娘とみるちゃんの写真でいっぱい。

フォトフレームも、次々と小さい頃の写真から、大きくなった子供達の写真へ切り替わる。

富士山に登った時の写真。

北アルプスの奥穂高岳に登った写真。

N葉とじゃれあっている写真。

みるちゃんがはじめて家にきた時の写真。

3人、お揃いの服を着ている写真。


そういえば、小さい頃、何人家族と聞かれると小さい手を広げて5人家族と言ってたなぁ~。


元気な男の子が二人のいなくなって、食事をした後が・・・


静か。


大偉の写真を見ながら・・・食事をしている。


大偉とみるちゃんは、そっちからどう見ているのかな?


2011年10月9日日曜日

8日(土)晴れ ・・・うれしかった。


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

昨晩は、いつもより早く寝たんだけどな~。ものすごく寝不足。

お友達のお母さんからいただいたメールを何度も何度も読んで・・・

6月23日の学校に行った事をかいた・・・CTSのブログを読み返した。

机に大偉 へのメッセージとKAWASAKI ZEPHYR400

K君が書いてくれた。

涙がとめどなく溢れ、とまらなかった。


大偉との最後になった言葉・・・「また、明日な」

大偉からもらった・・・「ガム」


大偉はガムが好きで、毎日持ち歩いていた。


まさか、それが最後になるとは思ってもいなかったでしょう。

別れてからたぶん一時間も経っていなかったと思う。

きっと、友達から突然メールか電話で聞かされたのだろう。

ついさっきまで、一緒にいたのに。

話していたのに・・・。


次に会う姿が・・・

話すことのない大偉。

笑う事のない大偉。

決して、動く事のない大偉。

棺の中に、静かに寝ているように・・・

頬にできた傷

転んだ時に、唇を噛んだのだろう?

ぐっと噛んだ傷後。

この程度の傷でよかった。

これ以上の傷になっていたらみんなに合わせる事もできなかったでしょう・・・。

たくさんのお友達に見送られながら、大偉は何を思っていたのかな?

告別式の翌日の教室には、大偉がいないなんて・・・。



大偉へのメール。

うれしかった。

本当にうれしかった。

また、一つ思い出ができた。

2011年10月7日金曜日

7日(金)晴れ ・・・えっ!堪えた

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

今日は、秋晴れ・・・かな?
風はちょっと強いけど、やや気持ちがいい。

会社の特別休日のため今日から四連休。

歯医者の帰り、バイク屋で引取りの日時を決め柏警察署に電話した。

家に帰り、大偉が履いていたadidasとpumaの二足を洗った。

「汚くなったから、洗いなよ!」と言っても中々洗わなかった靴・・・。

大偉の事を思いながら、風呂場で紐を解き洗った。

adidasの靴は、ABCMARTの開店時に買った靴。

pumaは、高校の体育でサッカーをするので、その時に履く靴だといい買った。

結局、サッカー以外でも履いていたけどね。

サッカーを楽しんでいる大偉の姿が、フォトフレームに映る。

PKのシーンなのかな?

pumaの靴を履いていない。(買う前みたい)

勉強は、お世辞にも得意なほうではなく体を動かしているほうが好きだったから、楽しかったと思う。

午後に用事を済ませ、gmailを見た。

高校のお友達のお母さんからメールが入っていた。

こぼれ落ちそうになる涙をぐっと堪え、家内にところどころ読んで聞かせた。

この子、知ってる?

知ってるよ。・・・白井文化会館でつな着を採寸しに行った時に大偉からか、その子からかわからないけど、トイレで話したと言ってた子でしょ?

何度も、何度も事故現場に足を運んでくれてありがとう。

大偉もきっと喜んでいると思います。

返信メールをしたのですが、たぶんPCからのメール受信選択を許可していないのでエラーで返ってきてしまいました。

この場をかりてお礼申し上げます。

今まで、大偉を支えてくれて本当にありがとうございます。

毎日、遠い所まで手を合わせに来てくれてありがとうございます。

本当に、本当にありがとうございます。

大偉の強がりで、不愉快な気持ちになった事もあったらごめんなさいね。

大偉も口べたなところあって、上手に気持ちを伝えられない事もあったと思うから・・・。



家では、友達の悪口を一度も聞いた事がなかった。

なんだかんだ言ったって、悪い事をしたって自慢の息子だった。

本当に残念。


みんな、気をつけてバイクに乗ってよね!
格好なんてつけなくていいんだから。無事に帰ってくるんだよ。

お願いだよ・・・。

6日(木)曇りのち晴れ ・・・保管?


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

今日は、朝から曇っていたが午後からは気持ちの良い天気となった。

午前中の見込み会議も無事終わり、明日は特別休日。

昨日から、バイクに乗っているF原さんや、Hさんに大偉のバイクの保管について色々とアドバイスをいただいた。

大偉の学校の先生にも色々と聞いているところなんだけど・・・

エンジンをたまにかけるか、かけないかでも保管やメンテナンスの違いもあるみたい。

結構、大変かもしれないなぁ~という感じ。

だけど、大偉が欲しくて欲しくて買ったバイクだから、いくら事故したバイクとはいえ私も手放したくはないと思っている。

乗る事ができれば、申し分ないのだがあいにく免許は持っていないし回りの目もあるだろうな?

どうしよう・・・。

大偉は、どうしたいかな?

どうしてもらいたいかな?

お友達の夢には、ほとんどバイクと一緒に出てくるみたいだから・・・。


2011年10月5日水曜日

5日(水)雨 ・・・気づき


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


玄関を出ると「ポッ、ポッ」と雨が降り出した。

そのまま、自転車に乗り会社へ向かった。

帰りは、雨のため家内に迎えに来てもらった。

ザ!世界仰天ニュースを見ていた。

乳がんにかかった奥さんの壮絶な内容だった。

ブログを自分で立ち上げ、時には明るく、時には不安な気持ちを綴っていた。

普通の生活が幸せなんだと書いてあった。

色々な出来事の見方、考え方、小さな事、大きなこと、なんで・・・こんな事で悩んでいたんだろう?、怒っていたんだろう?

「気づき」・・・・

病気になった事で、気づかされた事が沢山あったという。

わかる気がした。


奥さんは亡くなったが、最後に夫に手紙を残した。


末文には、「結婚生活、嫌な事がひとつもなかった」と・・・。

確かこんな内容だったと思う。


大偉の事とかぶった。

涙が止まらなかった。

仏壇の脇にある遺影に目をやる。

まだまだ、受け入れられない・・・。



4日(火)晴れ ・・・還付


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

今日は、朝から天気がよい。
空も、綺麗。

心の中はというとやや不安定な感じ。

電車の中で、ぼ~っとしていると自然に涙が出てきてしまう。

ぐっと堪えるために、唇を噛んだり、舌を噛んだり・・・。

会社に着けば、日々の業務と期初の資料作りに追われた。

pm16:45

携帯電話が鳴った。

メールなら2回鳴ってとまる。

・・・

3回目が鳴った。

表示を見ると、柏警察署。

すぐに出た。

田中さんの携帯でしょうか?

はい。そうです。

柏警察署の○○と申しますが、息子さんの慰留品の件で、検察庁から還付しても良いとの連絡がありましたので、ご都合の良い日に引取りをお願いします。

バイクの引き取りもあるので、バイク屋さんと日程調整してあらためて7日の日にご連絡させていただきますと告げ、電話を切った。

家内にも連絡した。

戻ってくるが、バイクをどうするのか?

現状のまま保管するか、廃車手続きをするのか?はまだ決めていない。

とり合えず、バイク屋に電話して引き取りの依頼をしたいので、打合せをする日取りを決めた。


今、家にある慰留品は・・・

財布とお金。

通帳とキャッシュカード

リップクリーム

バイクのガソリンタンクキー

じいじからもらったキーケース

・・・

棺に入っていた、髪の毛

自宅出棺前に切った、爪


今度還付される慰留品は

バイク

ヘルメット

血だらけの衣類

・・・

事故当日も、衣類は柏警察の一番奥の敷地にブルーシートが敷かれ、上に並べられてあった。
警察の方が何人も見て調べていた。

冷静な気持ちで引き取る事ができるだろうか・・・?


家に帰り、大偉とみるちゃんに「帰ってきました。ありがとうね」と挨拶をしながら、横に置いてあるフォトフレームの写真が切り替わる。

遺影の写真と、おにぎりをおいしそうにニコニコしながら食べている小さい頃の写真。


悲しすぎるよ・・・大偉。

2011年10月4日火曜日

3日(月)曇り ・・・思わず


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

今日は、今期の始まりの日。

普段と変わらないが、やはりスタートの日は何かと疲れる・・・。

今期の準備もしなければならないし、先期のやり残しもしなければならないし。

今まで、かけていなかった眼鏡もつけたり、外したりと・・・。



浜松町駅に向かう帰り道、「今日も、大偉は遅いんだよなぁ~」

バイトをしている感覚で思っている・・・

次の瞬間

あっ・・・

いないんだ。



家には、pm10:00くらいに着いたかな?

途中から、SMAPXSMAPをみんなで見ていた。

見ながら・・・

番組の中での話しで、私が色々と話しをひろげ「黄泉がえり」という映画あったよね?

うん。

「大偉もよみがえれ~」

と思わず、叫んでしまった。


大偉。

今度、お坊さんがつけてくれた妙法のお寺に行くから。

大偉が修行しているって言ってたから。

みんなで会いにいくから、待っててね。

みるちゃんにも言っといてね。

じゃぁね。

2011年10月2日日曜日

2日(日)曇り ・・・事故現場


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

朝は、普通に起きたんだけど何もする気力がなくお昼を回ってpm2:00を回っていた。

書類を書いたり、色々な事をする予定だったが疲れて疲れて・・・動く事ができなかった。

家内に墓石のデザインを見せた。

もう少し、完成には時間がかかりそうな感じ。

少し早い夕飯を外で済ませ、事故現場に向かった。

今日は、バイクが多い。

ツーリングなどには、一番いい季節なのかな?

大偉も生きていれば、絶対にツーリングに行ってるな~。

来週も3連休だしな・・・。

4回目の月命日に、お花とお線香を手向けた。

いつかわからないが、お友達が来てくれていた。

大偉にお寿司を買って帰り、食べさせた。


朝の情報番組で、福島のフラワーガールのお話しを流していた。

中には、被災されている方もいてそれでも元気付けようと頑張っている姿だった。

家族を失い、家を失い、仕事も失い、何もかも失った。

失っていなかったのは、支えてくれた周りの人達だった。

周りの人達からの心は失っていなかった。

私達も突然、大偉を亡くした。

突然という意味では同じかもしれないが、ひと家族、ひと家族の思いが違う。

大偉を亡くしたが・・・

住む所もある。

仕事もある。

家内も、N葉もいる。

周りからもいっぱい支えてもらっている。

本当にありがたい。

1日(土)曇り ・・・メールと電話

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

今週の合気道の稽古から、駒沢オリンピック記念体育館で行われる演武大会の稽古が始まった。

昨年の大会は、大偉も一緒に出場した。

大偉はいないけど、気持ちは大偉と一緒に参加する。

稽古後、J先生とK夫妻と演武について話していた。

Wさんから、今日の田中さんはいつもと違う!と言われた。

そんなに違って見えたのかな?

もしかして・・・先週までは笑顔がなかったのでは?

でも、演武大会となると気持ちがワクワクしてくる。

今年は例年と違い同好会一つの枠だけで、3分の演武となる。

大会は、10月29日(土)。楽しみ。

第55回全日本養神館合気道総合演武大会



夜、立続けに大偉の携帯が鳴った。

電話の着信とメールの着信。

同じ子からだった。

携帯の解約時期がまだなので、そのままにしてある。

ついつい、大偉の事を思い出してしまったのだろうか。

大偉が出るはずもない電話へかけ・・・

大偉から返信がくるはずもないメールをし・・・

切なく、可哀想になってくる。

私達以外にも、苦しい気持ちを抱えてしまった子がいる。

何、やってんだよ大偉は・・・。

こちらから、電話やメールをするわけにもいかず、私もどうしていいのか・・・?

家によんでもと思ったりもするが・・・

余計に悲しい気持ちになったりしないかと思うと何もできない。

ただ、苦しい気持ちを抱えながら大偉の事を思い出してくれる気持ちには感謝している。

その子もいつかきっと乗り越えていくだろう。

私達家族もきっと・・・


2011年10月1日土曜日

30日(金)晴れ ・・・めぐりあい


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

今日で、今期が終わる。

会社の業績は、今までにない厳しい期となった。明日から来期が始まるが、更に厳しい期となるだろう。

60歳まで、働くとして後17年。

置かれている立場・状況を受止め進んで行くしかないと思う。

・・・が、

生活面ではどうだろうか?

ちゃんと進めているのだろうか?

みるちゃんが亡くなり、大偉が亡くなり・・・。

夕方から、今期の打上げがあったが「乾杯」「拍手」が思い切りできない自分がいる。

その後の、出向される方の壮行会の催しの飲みがあったが欠席した。

まだまだ、そんな気になれない。

いつまでも、そんな事ではと思ってはいるが・・・。

来期は二期ぶりの責任者となった。益々大変になる。

来期組織の変更のため、席移動を行っている中保険のおばちゃんが来た。

幸い私は席移動がないのでよかった。

保険の見直し時期が来ているので、その説明があった。

大偉にはあった事はないが、よく知っているおばちゃん。

最後に、相田みつを美術館のご招待券をもらった。

チケットには・・・



めぐりあい

あなたにめぐり
あえてほんとうに
よかった
ひとりでもいい
こころから
そういってくれる
ひとがあれば

みつを


がチケットの表紙に印刷されていた。

大偉は、よかったと思っているのかな?
厳しかったし、うるさかったし、決して良い父親ではなかった。
もう少し、理解してあげられていたら・・・。
大偉に対して本当に申し訳ない気持ちでいっぱい・・・誤りたい。

ごめんね。大偉。

親離れ、子離れ。

肉体的な、親離れ子離れがこんな結果で突然くるなんて。

ずっ~と一緒に歩んでいくはずだったのに。


合気道をはじめた年に、海老さんから相田みつをさんの「育てたように子は育つ」の本をいただき、今日また、相田みつを美術館会館15周年記念特別企画展の「めぐりあい」のチケットをいただいた。

何か意味があったんだ。海老さんからいただいた時。

何か意味があるんだ。今日もらったチケット。

今年の3月にも、また読みたくなって手元に置いたが読まなかった。

相田みつを美術館も、いつか行こういつか行こうと思っていたが行かずにいた。

すべて、何か理由をつけ後回しにしてきた自分がいる。

これからは、少しずつでも直していこうと思う。

まだまだ、

電車の中

帰り道

部屋

お風呂

・・・

大偉を思い出し

泣けてくる。