2011年11月30日水曜日

30日(水)晴れ ・・・側で寝てるよ


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ようやく、締め処理が終わった。


外出先に行く前に、東芝ビル内の郵便局に立ち寄り喪中葉書を出した。


まさか、息子が亡くなった。


16歳で。


なんて思わないだろうに・・・。


朝、電車の中で急に涙がこぼれ落ちそうになるのをグッと堪えた。


百カ日忌も過ぎているのに・・・
百カ日は、亡くなった命日から数えて100日目の法要です。
「卒哭忌(そつこくき)」ともいわれ、泣くことをやめ悲しみに区切りをつける日で、家族や親族などの身内で法要を営むことが多いです。


もうすぐ亡くなって半年になるね。

この半年、早かったかな?

あまり時間の感覚がないな。


毎日、大偉の事を思って泣いてる。

学校生活の事はわからないけどね。


一緒に出かけたこと。

遊んだこと。

一緒に合気道をしたこと。

食事したこと。

怒ったこと。

泣いたこと。

悩んだこと。

笑ったこと。

いろいろ思い出すけど・・・。


最後に・・・搬送先のベットに横になっていた大偉の顔は



一生忘れない。


救急救命士がこっちを向いている姿も・・・。



大偉っ。

お父っは、その日お話しをしていないんだよ。

帰ってからお話しする事もできなかったんだよ。

あんまりだと思わない?

こんな事が現実に起こるなんて。

せめて、駆けつけた時に少しでも意識があればと思ったよ。

大偉を抱き寄せても、耳元で大きな声を出して呼んでも、胸をたたいても・・・

起きないんだもん。

手を握り返してこないんだもん。


この想い、結構辛いよ。







みるちゃんが亡くなった4月9日。

それ以来、みんなでリビングでみるちゃんの側で寝てたよね。


・・・・それから、大偉だよ。


6月2日。

みぃさんは、ずっ~と みるちゃんと大偉の側で寝ているよ。

お父っは、大偉が最後に寝ていたところで寝てる。

ちっとも、みるちゃんも大偉もこないけど・・・


おとといの夢でね会社で仕事している夢を見てた感覚あって、しばらくしたらお父っはバイクにまたがっていたよ。


明日は、ものすごく寒くなるみたいだよ。
みるちゃんの事もよろしくね。

きっと大偉とみるちゃんのことだから、一緒にいて遊んでいるんだろうね。

じいちゃんとばぁちゃんは、土曜日雨で大変だから天気の良い時に来てもらう事にしたよ。


携帯の解約は、会社の帰りにするね。


2011年11月29日火曜日

29日(火)晴れ ・・・ぼ~っとすると


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、連日に続き11月度の締め作業に追われた。

それでも、以前よりは伝票数が減っているので時間は気持ち短縮しているが、

やはり、売上と仕入の報告を数日前に行っているので、間違っていないかいつも緊張はする。


ようやく夕方に目途がつき、ぼ~っとカフェオレを飲んでいると・・・。


大偉とみるちゃんは今頃何をしているのかな?


今年は、大変な事が自分の家族に起きてしまったんだなとあらためて感じる。


二人の男の子の声が聞けなくなり・・・


言葉にできないくらいさびしいよ。


ただいま~。

あぁ~、お腹減ったぁ~って玄関を開けて入ってきてよ。


わんわんって、出迎えてきてよ。


2011年11月28日月曜日

28日(月)晴れ ・・・健保届出書類


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


会社へ、健保届出書類を提出した。


事故報告書。


事故状況報告書類や、相手方の保険情報などなど・・・。


まだ、最後の書類を保険会社に提出しなければならないが・・・、相手方は今。


どうしてる?

何をしている?

何を、思っている?

どう?思っている?


この間、検事から電話があった。


確定記録の件で・・・。


また、一歩踏み出さなければならない。


知りたくもない事を知るかもしれない。


見たくもない写真を見なければならないかもしれない。


年内には、終わりそうもないな。





2011年11月27日日曜日

27日(日)晴れ ・・・写真


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


お昼過ぎにお花を買うついでに、ちょっとしたお買い物をした。


車内では、小田和正の「風のように」が流れていた。


ホーマックに曲がる手前で、「大偉、何やってんだよお前は・・・」と口に出してしまった。


次の瞬間、涙がこぼれた・・・。


生きていれば、喧嘩しようが何をしようがこんな苦しみや、悲しみなんかないのに・・・。


夕方、仏壇とローボードの上に飾っている写真を綺麗に掃除した。


大偉とN葉が滑り台を逆から上がっている写真。

お布団の上に寝転んでいる二人の写真。

大偉、N葉、みるちゃんの三人でプールに入ってる写真。

二人がお母さんに抱っこされている写真。

・・・


N葉の七五三の写真。


大偉は、お空からどういう感じで見ているのかな?


N葉の成人式、ウェディングドレスの時もお空からみている。


お祝いの言葉をかけることも、言われることもなく・・・。


遠いお空から・・・言うのかな?


そのN葉は受験真っ只中。



大偉・・・


あと1ケ月とちょっとで、大偉とみるちゃんと一緒に生きた2011年が終わってしまうね。


本当に切ないよ。


こんな悲しい出来事が、まさか起きるとはね。


昨日もね、吹上に向かう道中はトラックでいっぱいだったよ。


しかも大偉がぶつかった4tトラックも多かった。


巻き込み防止の柵。


色んな形がある。


あんな形だったなぁ~と思いながら、あれだったら大丈夫だったかな?とか・・・


第二車線が乗用車だったらなぁ~とか。


ヘルメットが・・・

走っている位置だとか・・・

色々と思いながら走ってたんだよ。



じいちゃんとばぁちゃんが会いに来るって連絡があったよ。


みるちゃんと一緒にきてね。



あっ、それから H-shiが審査を受ける事は知っているよね?

来週から、一緒に稽古するぞ!

しっかりついてこいよ。


じゃ、また明日ね。



・・・いつもメールをくれる子が不安がってるんだけど、大偉のyahooメールは使えるの?

どうする?

一応、・・・確認してみる?

何年も使っていないから、ダメかもね。

っていうか、使えたらそれでもいいのかな?・・・まだ使えるかわからないけど。

でも、大偉はアカウントだけとって使っていなかったもんね。

本当は、携帯がいいんだろうけど・・・ごめんね。



今、Mラバライブin日本武道館を見ている・・・

ナオト・インティライミの曲が流れている。

どれも良い曲だ。

2011年11月26日土曜日

26日(土)晴れ ・・・出稽古


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日の疲れが抜けきれず、朝はちょっと遅めの7:30に起きた。

いつもより1h遅い。


大偉と、みるちゃんのお水をあげ、お線香をたき・・・。いつもと変わらない。


今日は、野田の稽古が終わったら吹上まで出稽古に出かける。


大偉の道衣も準備して車に乗り込んだ。


午前中は、清水公園体育館で稽古・・・。


少年部が終わり一般部が始まる。


一部の少年部の子供達も居残り稽古をしながらもう1時間頑張ってる。


一般部の稽古が終わり、H-shi審査受けるの?という会話から


じゃ、俺が受けをやるよ!


自然と言っちゃった・・・。

言ってしまった。

言った。

声がでた。


今年3月の審査でH-shiと大偉は仕手・受けで昇級審査に望む予定だった。

大偉は、ちょっと不安があって夜一緒に稽古した事もあって、その後H-shiもかけつけた。


3.11がなかったら・・・・。


何か、受けられなかったし・・・今はいないし、


大偉の気持ちを乗せて、一緒に審査望みたいと思ったんだろう。


だから自然と声がでたんだな。


そうは言ったが、受けの稽古をしなければ・・・・。


そうだ!


今日は、吹上同好会へ出稽古に行くから昇級技の受け稽古をしようと!

I-ue先生にメールした。


pm3:00過ぎに到着。


はじめて、吹上に来た。遠かったが・・・なんとなく近くも感じられた。


大偉の道衣に着替え道場へ向かった。


I-ue先生に稽古をつけていただき、無心で昇級技を仕手・受けで行った。


汗だくになりながら・・・。


ものすごく、気持ちが良かった。充実感がある。


また、刺激を感じた稽古になった。


吹上に行くチャンスは、今までも何度かあったが全て延ばしてしまった。


大偉がいた時に、一緒に来るべきだったと後悔した。


色々と考えて行動しなければならない事もあるが、直感的に行動しなければ後悔してしまう事もたくさんあるとあらためて思った。


大偉にたくさんのお心遣いをいただいた。


I-ue先生、N-koさんいつも本当にありがとうございます。


また、遊びに行きたいと思いますのでよろしくお願いしますね。


桜が咲く頃・・・恒例のお花見がありますので是非来てくださいね!


大偉っ!

はじめて、吹上にきたけどどうでしたか?

綺麗な道場で、ものすごく立派だったね。

帰りは、R4からショートカットしたら道を間違えてしまって時間がかかってしまったけど、

R4を久々に走って懐かしかったね。

どうしているかな? ・・・は。

25日(金)晴れ ・・・疲れたぁ~


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日も、ポカポカ陽気だったんだけど帰りは寒かったなぁ~。

浜松町駅に22:00過ぎにいたけど、海風の影響もあり、ちょ~寒い。


自転車のサドルは露が凍っていたよ。




大偉っ!

明日は、出稽古に行くよ!


目が痛いから、ちょっと寝るね。


朝、稽古してから行くから、遅刻しないようにね。

2011年11月24日木曜日

24日(木)晴れ ・・・でかPika


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、ほんと温かかった。

でも・・・朝は襟元が寒かったので、大偉のネックウォーマを貸してもらった。

セーターを着て行ったので、コートなしでよかったけど、夜はちょっと寒くなってきたかな?


大偉は、みるちゃんと散歩に出かけた?

ポカポカだったね。


Pika・・・・


大偉の携帯にメールが届いてた。


しかも画像つき。



それが・・・でかいピカチュウのぬいぐるみ。


しかも2個。


顔くらいあるんじゃないの?


だいいも小さい頃はピカチュウ好きだったな。


お菓子のシールを集めて、マービーのリヤウィンドウに100個以上貼ってたよね。


バックミラーが見えなくなるくらい。


近所の子は駐車場に入り見に来るし、旅行に行けば車の中から見ている子もいたよね。


だいい・・・

ピカチュウ、見に行ってみなよ!


すごいから。


2011年11月23日水曜日

23日(水)晴れ ・・・誕生日に


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、いつもよりちょっとだけ遅く起きた。

大偉の書類を書いたり、色々とやる事が多かったなぁ~。まだまだある・・・。


夕方、あーちゃんの誕生日のお食事会に出かけた。


6?歳。


もうこんな歳なんだね。


月日が経つのは早いね。


この場所に大偉の姿はない。

メニューを見ながら、とんかつ定食の写真が見えた。


ねぇ~、これって普通に食事したのにお腹が減ったと言ったのか?まだ足りないと言ったのか覚えていないが、追加注文して全部食べちゃったんだよね。

覚えてる?

どんだけ食べるんだよとみんなビックリしてたね。




家に帰り、喪中葉書の準備をした。


親が亡くなるって、そう考えた事もあまりないのに・・・息子 大偉が6月2日に永眠なんていう喪中葉書を出すなんて思ってもみなかったよ。

みるちゃんが亡くなった時、今年の年始の挨拶はしないと決めていたが、大偉までも・・・。


印刷しながら、まだ知らない人がいるんだよなぁと思いながら全員分を印刷した。


まったく嫌な仕事だよ。


大偉!

明日はポカポカ陽気だってさ。

みるちゃんを連れて散歩に出かけてみたら?

お風呂もよろしくね!


2011年11月22日火曜日

22日(火)晴れ ・・・瞼をとじると


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日も寒かったぁ~。
雨戸を開けると、びゅーびゅー風が吹いていたので、思わずコートをおろした。

コートを着ているのと、着ていないのとではこんなに違うのかと思うほど快適だった。

うぅ~。さむっ。



昨日、ブログを更新した後、布団に入った。


今でも・・・



慈恵医大の待合室で不安そうな顔をして待っていた家内の姿。

集中治療室に通され10人位いた先生が全員こちらを向いている姿。

両親へ電話した自分の姿、大偉を知っている上司に電話した自分の姿。

あーちゃんに肩を抱えながら病院に入ってくるN葉の姿。

大偉が搬送された病院のベットにいる姿が・・・

手を一生懸命さすり、先生に「まだ、温かいよって」と言った家内の姿。

棺に入り柏警察署の外に安置された姿。


親父が柏警察に安置している大偉の姿を見て、泣いている姿。

私の妹が大偉の変わり果てた姿を見れず、泣きながらようやく棺に近づく姿。

じいじと義兄と深夜に向かった事故現場。

千葉医大に向かう大偉を見送る家内とN葉の姿。


千葉医大から戻ってきた大偉が眠っている棺。


お友達が来てくれた事や・・・


遠い所バイクで来て、お線香をあげてくださいと手紙を入れてくれたお友達・・・


お通夜では、N葉の泣き崩れてた姿。


大偉の顔を見るなり、泣きじゃくった男の子の姿。


来ていただいた人の顔・・・


事故現場に毎日行ってくれたお友達の想い。


大偉の机に、メッセージを書いてくれたお友達の想い。


大偉への感謝のメールをくれたお友達や、お友達のお母さんの想い。


色々な事を思い出す。


抑えきれず涙が出てきた。


胸が張り裂けそうだよ。



もちろん、生前の大偉の姿も思い出すんだけど・・・。


やはり、亡くなった大偉の姿がショックなのと、色々とそういった事を考えているから思い出すんだろうけど・・・、生きていなければそういう事ばかり思い出すんだよな。


色々とお気遣いのお言葉をいただくし、自分も元気にしなければと思うんだけどね。



何処かに行くにしても、食事をしに行くにしても大偉がいればなぁ~とか思っちゃうんだよね。


冬になってくるし、もの凄く寂しいよ。


大偉?


修行している場所に来月はじめに行こうとしていたんだけど、N葉が受験だから試験が終わったら行く事に決めたよ。

3月くらいになるのかな?


それまで待っててね。


大偉とみるちゃんのいる場所も冬なの?


暖かい格好でね。

21日(月)晴れ ・・・歩いてゆこう


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今朝は特別寒かったね。

だいいは、暖かい格好しているの?

みるちゃんは、お腹大丈夫かな?


だんだんと寒くなり、自転車がきつくなってくるよ。


夕方、上野のお客様へ外出した。


御徒町から10分くらいかな?


大偉の事を思いながら歩いていた。


大偉は、16年を生きるために生まれてきたの?

16年しか生きられないとわかっていて、生まれてきたの?

そんな事ないよね?

もっともっと生きたかったよね?


色んな事をしたかったよね?


ごめんね。




6月2日 16:10以降は誰一人ともお前の声を聞いた人はいないんだよ。


大偉に会いたくて、会いたくて・・・。


今、何処で何をしているの?



そっちの世界のほうが長く生きる事になるとは・・・。



みるちゃんが亡くなり、大偉が亡くなり・・・本当に辛いんだよ。


それでも、前を向いて歩いて行かなければならない。


みんなに支えてもらいながら。


家内とN葉を支えながら。


歩いてゆこう。


きっと大偉もみるちゃんと一緒に歩いているから。






2011年11月20日日曜日

20日(日)晴れのち曇り ・・・葉書


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、予報通り午後から暖かくなった。

午後から、墓石デザイン制作をしてようやく8割りかた出来上がった。

もうひとがんばり。


夕方、じいじとあーちゃんが大偉に会いにきた。


北柏に住んでいた頃、だいいとN葉に会いに来てくれた、あーちゃんのお友達からお心遣いの品が届き持って来てくれた。


だいい、覚えていますか?


一緒に遊んでくれたよね。



今朝、だいいとみるちゃんに手を合わせ、横にある葉書に目をやった。


葉書は葉書だけど・・・喪中葉書。


孫の田中大偉が十六歳で永眠しました・・・の一文。


思わず、涙が溢れ出てしまった。



大偉を亡くしたことで、みんなを悲しませてしまった。


事故したのは大偉だけど・・・、もっと注意を払っていればと、私にも責任がある。


もっともっと、生きれたはずなのに。


大偉を生かせてやれなかった。


だいい、お前がいないとものすごく寂しいよ。辛いよ。


何処にいっちゃったんだよ。


なんで・・・。


みるちゃんを連れて戻ってきてよ。


ねぇ、だいい。

19日(土)雨 ・・・98え~ん


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


久々の雨・・・。

稽古場の畳も冷たくじっとしていると足の裏が冷たくなってくる。

それにしても子供達は元気だよ。


夜に、家内といなげやに買い物へ行った。

パン屋さんのパンをいっぱいかごに入れた。その他色々・・・


レジの子が○え~ん、○え~んと言いながらスキャンしながらかごに入れていく。


だいいが小さい頃、98え~ん、98え~んと言うレジの人に合わせ一緒に言っていたんだよと聞いた事を思い出した。

あまりにも、多かったのか「みんな 98えんだね!」と言ったんだって。


普通の生活の中にも、たくさんの思い出がある。


何かある度に、だいいがいればなぁ~と思ったり、いろいろと被ってしまう。


だいいの好きなパンも買ってきたから食べてね。


そのだいいも、事故する数ヶ月前からバイトでレジ打ちをしていた。


98え~んと言っていたのかな?


来週は、合気道でお世話になっているF上同好会へだいいと出稽古にでかける。

こんな形で、出稽古にでかけるとは・・・


2011年11月19日土曜日

18日(金)曇り ・・・捜査


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日も、仕事に追われ忙しい日だった。

名前検索したら、まだまだ記事を掲載しているところがあった。


その掲載記事の中で、事故当日の捜査している画像があった。


当日が小雨が降っていてたが、ほとんどやんでいた。


警察の方が、道路に這いつくばって証拠品を探し集めている。


何時ごろまで、探していたんだろう。


翌日の朝、柏警察で大偉を送った後、事故現場に立寄った。


その日の朝、ニュースで大偉の事故映像を見た。


まだ、事故現場にはウインカーの破片などがあり届けた。


会社の行き帰りの電車では、自然と涙が出てしまう時がまだある。


なんでこんな事が・・・・

2011年11月17日木曜日

17日(木)晴れ ・・・いっぱい大好き


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ねぇママ、私生まれる前
ママをそらから ずっとみてたよ

優しそうだなって  ずっと見てたよ
だから私はママをえらんだんだよ

あぁ優しそうだね 神様 私は
あの人の子供になりたい なりたい

そうしたらちっちゃい しゃぼん玉にいられて
ゆっくり私は とうめいになって

おりてゆく おりてゆく


いつもいっしょに そばにいてくれて
ママありがとう ありがとう ありがとう

いっぱい いっぱい いっぱい 大好きよ
ママいっぱい いっぱい いっぱい


シンガーソングライター
水谷ゆうちゃんの歌


大偉もお空から、見ていたのかなぁ~なんて思ったり。



前から、曲は知っていたんだけど11月の月命日の日の朝のTVで流れた。


自然と涙が出てきてしまった。


だいいっ!

お母さんは、だいいがお腹にいる時から「だいい、だいい」って話しかけていたんだよ。


生まれて来た時は、お目目がパッチリした子でね。


看護婦さんに、抱きますか?と聞かれたんだけど、緊張して笑いながら首を横に振っちゃったよ。


今でも、覚えているよ。

ミルクがすこし苦手でねぇ~、飲んでもすぐに戻しちゃって大変だったよ。


N葉が生まれて、一緒に病院に行った事も。

お父っが会社から帰って来るのを楽しみにして、そのまま車に乗ってお母さんと、N葉に会いにいったよね。

病院の自販機でジュースを買って・・・。

可愛かったよ。

お母さんがN葉にミルクをあげる時、一緒に側にいてたんだよね。(お父さんは寝ていたけど・・・)



16年後の姿が遺影かよ。

そんなのあんまりだよな、大偉。

誰が、こんな事になるって予想したんだよ。

逝ってしまうことも必然だなんて。


ほんと酷すぎる。


お父っだって、大偉の孫を抱いて、遊んだりしたかったのに・・・。


また、おそらから見ることになっちゃったじゃんよ。


大偉。みるちゃんは側にいるの?

みるちゃんを一人ぼっちにさせないでね。


2011年11月16日水曜日

16日(水)晴れ ・・・一期一会


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


帰りの電車の中で、一期一会という言葉が浮かんだ。

私は、今まで何人の人と出会ったのかな?

一番最初は、母親?

お産婆さんだな。

それから、親父の母親や親戚。

その後に、海で働いていた親父と会うんだな。


近所の友達。

保育園、小学校、中学校、高校、専門学校、会社、合気道。


いろんな繋がりで、人と出会った。


家内と出会わなかったら、大偉もN葉とも会わなかった。

家内もお父さんとお母さんが出会わなかったら、生まれてこない。

そのまた、お父さんとお母さんが出会わなかったら・・・。

こうして、繋がっていくんだ・・・。



一期一会の意味を携帯で調べると・・・「一生に1度だけ会うこと」と書いてあった。

ほんと?


Wikipediaを見てみると

一期一会(いちごいちえ)とは、茶道に由来することわざ。『あなたとこうして出会っているこの時間は、二度と巡っては来ないたった一度きりのものです。だから、この一瞬を大切に思い、今出来る最高のおもてなしをしましょう』と言う意味の、千利休の茶道の筆頭の心得である。平たく言えば、これからも何度でも会うことはあるだろうが、もしかしたら二度とは会えないかもしれないという覚悟で人には接しなさい、ということである。


と書いてあった。






ほんとうに、一生に1度だけ会う人もいれば・・・。


短い期間だけの付き合いだっり。


逆に一生、お付き合いする場合も・・・。




その時々で、たくさんの言葉をいただく。




辛い言葉だったり、優しい言葉だったり、励ましの言葉だったり、勇気づけられる言葉だったり・・・。


大偉もたくさんのお友達に出会い、たくさんの言葉をいただいたんだね。




一期一会・・・


これから先もたくさんの人にであうだろう。


見た目の印象もそうだが、真摯に接したいと本当に心から思う。




この言葉を胸に刻み込んで、毎日を過ごしていこう。


大偉に笑われないように・・・

15日(火)晴れ ・・・意味がない


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

帰りの自転車は寒かった。

最近は、帰りが遅いんだけど今日はいつもより遅かった。

梅郷駅に着くと、月は綺麗だし「オリオン座」も綺麗だった。

大偉が小学生の何年生だったかな?

たぶん夏休みの宿題だと思うんだけど、夏の大三角形を絵にしなければならないくて、教科書を片手
に家族でみずき公園まででかけた。

みるちゃんは、リードで夜のお散歩。


ベンチに大偉と寝そべり・・・あれが○○で、こことここを結ぶと・・・ほら、これになるでしょ?

大偉が、「えっ、どこ!」

ほら、お父さんの指す指を見て!

え~っ、わからない。


これだよ。


あった!


なんて、見たのを大偉は覚えているかな?


今朝は、お客様に直行した。

常磐線の電車の中で、外をぼ~っと見ていた。


犯人を追いかけて、逆に刺され亡くなったりとそいいう事件も少なくない。



正義感を持ち、ものすごく立派だと思う。誰にでもできる事ではないんだけど・・・


結局、「生きていなきゃ、だめなんだよ」


世の中、なんでこう変なんだ?

2011年11月14日月曜日

14日(月)晴れ ・・・進路


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


帰りの電車の中、ふと・・・普通高校に通ってたら大偉は今頃何をしていたのかな?

中学から続けていた、バレーボールをしていたかな?

合気道は、たぶん部活で稽古には来れなかったかな?



・・・色々と考えていた。



バイクは、すぐには免許取れないから。


今も、家にいたな。


一緒に、食事していたよな、きっと。

「あ~ぁ、疲れた。」「お腹すいたぁ~」って帰ってくるんだろうな。



最後は、大偉が学校を決めた。


必然。


生まれてきて、はじめての進路。


違う方向に進んでいれば、きっと・・・。


必然という言葉では、あまりにも短すぎるよね。

2011年11月13日日曜日

13日(日)晴れ ・・・二ゲラ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日も、ポカポカな陽気で暖かかった。

さいたまのコストコに行き買い物をし、帰りにホーマックでお花を買った。

それから・・・

二ゲラというお花の苗を店員に聞き、四つしかない苗を全部買って帰った。


家内と一緒に、苗を植えた。


種はなかったので、苗を買ったんだけど、今くらいの時期に種蒔きをして、寒い冬を越して四月~六月に
綺麗な花を咲かす。


来年の咲かせる時期が楽しみ。


大偉と一緒に寒い冬を越すんだね。


がんばれ!












12日(土)晴れ ・・・解約手続き


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕方、大偉の携帯解約手続きの確認のためにdocomoショップに出かけた。

大偉が事故した当日・・・。


高校の生徒達へは、友達を通じて電話やメールでの連絡を受けたのだろう・・・。

または、当日のニュースで知った人。

家族がニュースを見ていて、知らされた子もいたという。


私が「事故」と知らされたのは、家内からのメール。

突然の電話・・・、地下鉄のため繋がらなかったが、嫌な予感だった事を痛烈に覚えている。


大偉の訃報を突然聞かされ・・・驚いたと思う。


大偉の携帯へメールや電話がしばらくあったから。


今も、こうしてソファーに座り、ブログを書いている私の姿を大偉とみるちゃんは並んでこちらを見ている。

みるちゃんは、ぱっちりお目めで。

大偉は、ちょっと目線を外して。


今でも、返信される事の大偉のアドレスへメールを送ってくる。

その子なりに、伝えたい事が山ほどあったと思う。これから先も・・・。


帰りに、ケーズ電器に寄ってPCを見ていたらオフコースの「さよなら」がかかっていた。

今の子達は知っているかな?

もしかしたら、どこかで聞いた事があるかも知れないね。

私も、高校1年の時に野球部内で突如オフコースで盛り上がり聞いていた。

発売はもっと古いと思うけどね。


大偉のバイクは綺麗に照明の光に反射していた。


今日、じいじが大偉に会いに来たよ。ついでにみかんの木を植えさせてくれって。

なんか、お母っに却下されたっぽいです・・・。別に植えてもいいんだけどね。

N葉はみかんが好きだから、みかん担当にすればいいね!


あしたも、暖かいみたいだから勝手にツーリングでもいちゃうんじゃないの?

ちゃんと、会いに行ったのかい?


いつもメールくれる子へ。
大偉の携帯は、12月1日付けで、解約をする予定です。

2011年11月12日土曜日

11日(金)雨 ・・・ZEPHYR


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

今日は、朝から雨・・・、寒かったなぁ~。

朝、メールをチェックするとバイク屋さんからメールが入っていた。


水曜日の夜にバイク屋に、廃車手続きのため車検証を持って行った。

ガレージには、大偉のバイク。


還付されてきた時は、雨、風にあてって汚れていたんだけど、綺麗になっていた。


車検証を渡し、ガレージに見に行った。


携帯に写真はあるんだけど、端が切れていたり中々良い写真がないんですよ!

と話していると、当時の写真を送ってくれた。


見ていると、ほんと乗ってあげたいなぁ~と思うと気持ちが沸いてくる。

というか、乗りたい!



KAWASAKI ZEPHYR 400に乗っている大偉の姿を思い出すよ。

ちっちゃい顔にヘルメット姿。


稽古に行く時、車の後ろについて走っていたね。

お父っは、ものすごく心配だったんだよ。

でも、ちゃんと速度を落とし、巻き込み確認をしている姿をみて安心したよ。

それにしても、女の子が乗っているみたいだったよ。(顔は小さいしね)

格好よかったよ。


店長から、格好いい写真が届いたから見せてあげるね。



大偉っ!

店長は、このバイクが一番手をかけたバイクで想入れもあるんだよ。

学校帰りに通ると、バイク音でわかってみたいだよ。

大偉の姿は見えなくても気づいていたんだってさ。


ほんとは、たまに見に行っているんじゃないの?

2011年11月11日金曜日

10日(木)晴れ ・・・疲れたなぁ~


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今週は、連日の残業で、くたくた。

それでも、水曜日は外出先から直帰できたんだけど・・・。

夜は、本当に寒くなってきた。

何があっても体調管理だけはしっかりしなきゃと思う。



大偉っ!。

お父っは、今日はものすごく疲れて目が痛いよ。


前から、視力が落ちてきていたのはわかっていたんだけど、大偉が亡くなってからものすごく落ちて、慣れないメガネの影響もあって、ものすごく疲れるんだぁ~。


大偉も、小さい頃から視力が良くなくメガネをかけていたね。

最後に買ったメガネを大偉の部屋で見つけて、かけてみたら顔の大きさが合わなくてちょっときつかったな・・・。

レンズだけ換えようかな?・・・なんて思ったよ。



大偉っ・・・。


今でも、食事しながら大偉の遺影を見ていると、「これって、本当なの?」と思ってしまうよ。


今日も、大偉も知っているW戸さんとね、色々話してたんだよ。

W戸さんも三年前に最愛の奥様を亡くされてね。

会社で残業しながらしんみりしちゃったよ。


W戸さんは、大偉の事を良く覚えていたよ。

遺影の写真までね。


そういえば、今年の都市対抗野球は電力の関係で大阪の京セラドームで開催したんだけど、2回戦で負けちゃったみたい。

大偉の携帯にもドームに観にいった写真が残っているね。


じゃ、またあしたね。


2011年11月9日水曜日

9日(水)晴れ ・・・寄せ書き


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

今日は、肌寒い。
自転車も、ちょっと気温が低くなると、手も冷たくなってくる。

携帯の画像を見ていた。

待受け画像は、大偉とみるちゃんの遺影に使ったオリジナル画像。

携帯を持ち続ける限り、ず~っとこの画像だろうな。

自分で待受け画像を作成した。


懐かしい画像もあれば、事故を思い出してしまう相手方のナンバープレート。


そんな中、お通夜と告別式に駆けつけて合気道の方々達が書いてくれた寄書きの画像があった。




I川さんが用意してくれた。

真ん中の写真は、毎年四月に清水公園で行うお花見の写真。

小学校5年か6年かな?


一緒に稽古した、子供達。

大偉を可愛がってくれた、大人の方達。

遠いところ駆けつけてくれた方達。

しばらく会っていなかった方達。

大偉を知らずも駆けつけてくれた方達。

指導してくださった、先生方。


書いてくれた寄書きを、お通夜の斎場。 深夜に読ませていただいた。

涙が溢れて、溢れてとまらなかった。

合気道を一生懸命稽古している姿。

遊んでいる姿。

演武している姿が蘇り、我慢する事ができなかった。


その日は、みるちゃんも連れて家族みんなで最後の日を斎場で過ごした。


すやすやと眠っている大偉の棺にみんなが書いてくれた寄書きと黒帯をおいた。

みんなの思いを抱いて天国に行ってしまった。


その他、CTSのクラスメイトが書いてくれた寄書き。

時間がなくて全員の書いたのを読む事ができなったけど、本当にありがとうね。

お手紙を書いてくれたお友達。

すべてのお友達。


久しぶりにあった姿が、あんな棺に入っている大偉になるとは・・・本当に残念でならないよ。


大偉のために駆けつけてくれたすべての方々に心からお礼を申し上げます。

本当に、本当にありがとうございます。


大偉っ!

もう今年も2ヶ月を切ったよ。

みんなへのお礼は終わったの?


みるちゃん!

一緒に行ってあげてね。


お父っもお礼に行かないと・・・。

8日(火)晴れ ・・・手紙

平成二十三年

妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今朝は、結構寒かったなぁ~。

自宅から駅までは自転車・・・5~6分くらいかな?

流山街道を松戸方面へ走る。

出てすぐに・・・「何やってんだよ、大偉は・・・!」ふと思った。

みるちゃんに宛てた手紙を思い浮かべながら。急に涙が出てきそうになりグッと堪えた。


大偉が亡くなってから、みるちゃんに宛てた手紙の事を知った。

知らなかったのは、俺だけだった。

2011年4月9日 未明 に永眠したみるちゃんへ宛てた手紙。


最後の文面には、こう書いてあった。

「また、田中家に来てください」・・・と。


みるちゃんの後を追ったわけでもないが、その二ヶ月も経たないうちに大偉が亡くなった。

大偉が亡くなる事を知っていたかのように、大偉を迎えるかのように・・・と家内が以前言った言葉を思い出した。

学校帰り、みるちゃんの七七日忌なのかな?

覚えていないが、バイクで野田市斎場まで行ったという。

門が閉まっていて中に入れなかったので、外から手を合わせたと、これも家内から聞かされた。


親が思っている以上に、子供なりに一生懸命考えていたんだと改めて思う。

自分の考えで、色々と行動していたんだな、大偉は。


ちゃんと、みるちゃんに会えているのかい?

報告がないから二人とも心配だよ。

きっと、二人仲良くいるんだよね。



NEWS ZEROを見ていた。

福島県にある富岡高校サッカー部の話し。

3.11から、8ヶ月になろうとしている。あの日以来、友達も部員もバラバラになり県内の高校に通う事になってしまったが・・・先生の努力と周りの協力でバラバラになった部員を戻し全国大会の福島県決勝にまできた。

本来であれば、その仲間としているはずの「貝塚こうた君」

その日、中学校の卒業式だった。

心配になり祖母の家?祖母が待っている家?か忘れたが戻り津波に巻き込まれ、今もなお行方不明だという。

部員は、喪章をつけサッカーができる喜びを噛み締め、友達の分まで思いを乗せて戦った。

結果、2-0で負けた。

サッカーだけでは得られないものも沢山あったろう。

そういう友達っていいよね。

身近な友達が亡くなってしまった事は、ものすごく悲しくて、切なくて、どうしていいかわからない時だってある。

富岡高校サッカー部の先生は試合が始まる前のミーティングで、選手一人一人に喪章を渡し、ここに来れなかった三年生、二年生、一年生と亡くなって今も行方がわからない「貝塚こうた君」を思い出して戦うんだと選手を送り出した。


大偉が通ってた高校は、中央自動車大学校。

もちろん、将来は一級整備士、車体整備士などなど車業界を支える人材。

高校卒業まで、あと1年と数ヶ月となった。

将来、あなた方が支えるんだよ。

人の「命」を預かる仕事なんだよ。

私達は、あなた方に「命」を預けるんだよ。

自分の意思で最後は入学を決めたんだから、頑張ってよ!

親が行けと言ったから入学しただけだよとか、今更そんなガキみたいな事を言っている奴はいないと思うけど、・・・

自分が預かった「命=車」

この車に自分が乗るんだと思いながら整備すると、お客様があなたの技術を認めてくれるよ!

だから、今はグッと堪えて勉強する時なんだよ。


いつかきっと、どこかで・・・

もしかしたら、あなたが整備していた車に乗るかもね!



大偉に整備してもらったりするのを楽しみにしていたんだけど、叶えられそうもないからさ・・・

せめて、大偉のバイクを俺が整備しようかと思ってるよ。

今度、教えて!

2011年11月8日火曜日

7日(月)晴れ ・・・逝くと、生


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


帰りの電車・・・、携帯のメールを見ていた。

大偉宛てのメールや、私宛にくれた大偉へのメールなどなど。

左斜め前に、「赤ちゃんのワッペン」が後から見えた。

はじめは、気がつかなかったんだけど、左に座っている男性が席を譲る姿を見て、気がついた。


逝ってしまう命もあれば・・・


生まれてくる命。


携帯のメールを見ながら、涙が出てきてしまった。


止める事ができなかった。


何で、大偉が亡くなったの?

原因も、ハッキリとわからないまま・・・それを受入れなければならない現実。


何か、大偉は悪い事したのかな?

まだ、これからなんだよ・・・

なんで、大偉がこんな目に合わなければならないの?


お友達が事故した時だって、電話して救急車を呼んだりして助けたじゃん。

なんで、大偉は助からないほどの事故になってしまったの?


本当にまだまだ、信じられない。

受入れられない。


でもね・・・ず~っと受け入れなくて良いと思ってる。

無理に、受入れなくてもね。

そのままでいい。

2011年11月6日日曜日

6日(日)雨 ・・・廃車

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

気がつけば、雨が降り出していた。

一昨日に届いた野田市課税課からの一通の手紙・・・。

バイクの廃車・名義変更手続きの内容の手紙だった。


修理に出してはいるが、私は免許がないので直ぐに乗ることはできないし、かといって免許を取得して乗るという事も、今は周りの影響もあって考えられない。


どうしよっか・・・?


家内に相談した。


一度、廃車手続きをする事で、バイク屋に電話した。


そのまま、乗ってあげればいいのだが、事故して生きているのと亡くなってしまっとでは、対応の仕方が全く変わってきてしまうのは確かだ。


大偉が免許を取得してバイクで走っている姿を見た時、私もバイク免許を取得して一緒に走りたいと思っていた。

たまには、大偉のバイクを借りて出かけたり・・・。

楽しみにしていたし、私ができなかった事を、この子はやっているんだぁ~と、羨ましく、頼もしくも思えた時があった。


いつか、バイクの免許を取得して大偉と一緒に走ってみたい。

大偉が行った事のある場所に行ってみたい。

大偉を連れて行ってあげたいと思う。

 
K島君からもらったテール。
色は、確かS-i君だったかな?


5日(土)曇り ・・・君に届け


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

今日は、一日中どんより・・・。今にも雨が降りそうな感じ。

今日の稽古は、なんだかわからなかった。

肘持ちニケ条・・・形は良いんだけど、抑えが全然だめ。


・・・で、家に帰りほとんど何もせず、みんなで録画していたドラマを観て夜まで過ごした。


夕飯もそろそろ食べ終わる頃、まだ時間が早かったので、食べ終わったら映画でも観ない?


録画しておいた・・・「君に届け」を観た。


多部未華子と三浦春馬が主演の映画。


大偉とは、似ても似つかない三浦春馬なんだけど中学二年、三年の担任の言葉を思い出していた。


大偉の先生と在学中に、先生と話す機会があった。


「大偉はねぇ~、人の気が付かない事や嫌がる事をやる子なんだよね。」


へぇ~、そうなんだと思った。

家じゃ、そんな事ないんですけどね?

はじめて、そんな一面を見てくれている先生がいたんだと思った。

勉強は得意なほうではなかったので・・・・、それよりも勉強以外の事で褒められた事が素直に嬉しかった。

今まで、小学校から担任の先生と話す機会はあったが、こんな事を言ってくれた先生はいなかったし、なんとなく言われてみればという事も少なくなかった。

クラスの中で馴染めていない子を見つけると、話しかけていたようだ。

それは、合気道でもそうだった。

周りの雰囲気になれない子がいると、声をかけたり早いうちから仲間に溶け込ませたりと。

でも、決して無理強いはしない。

自然と大偉の周りに集まって、小学生の子が「大偉っ!」と駆け寄ってきたり鬼ごっこをしたりと。


大偉が亡くなり、伝えたい事もたくさんあったろう。

これからも、伝えたい事、相談したい事もあったろう。

これからの長い人生を・・・同じ時を一緒にいたかったろう。

勉強に、遊びに、社会に出てからも。

その気持ちは、私も同じだなぁ~。


まだまだ、受入れられないからね。


解決は、「時」しかない。


そのうち、大偉とまた逢える。

「君に届け」・・・この気持ち。

2011年11月5日土曜日

4日(金)晴れ? ・・・合気・・・道


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

今日は、天気は良かったけどお昼に食事に出かけた時は、風が冷たかったなぁ~。

帰りの電車の中・・・。

私の知っている大偉は、嫌な事をされたり、思いをしても決してやり返したりしなかった。


子供達には、自分がお友達に良いこと、助けてあげた事は、忘れなさいと教えた。

その代わり、友達から優しくされたり、助けてもらった事は絶対に忘れないで、困った事があったら必ず助けてあげなさい。

いじめでも何でも、その場で見てみぬふりをしている人は、いじめている人と同じなんだよ。

だから絶対にダメなんだと・・・。


大偉は、嫌な事をされても忘れてしまう子だった。


私なら、特に嫌な事をされたり思った人へは二度と何かを一緒にしたいなんて思わない。

それが普通じゃないかな。


でも、大偉にとってはそれは普通じゃなかった。

どんな事でも受入れていたんだと。


合気道という武道は試合がないんだよね。

空手、柔道、剣道・・・いろいろな武道はあるがすべて勝ち負けがある。

合気道は、相手を思いながら稽古して一緒に成長する。

「気」を通わせながら。

人とぶつかりあいながら合気道をするとすぐにわかる。

人と人がつながりあってはじめて合気となり・・・その武道が合気道。


大偉は、生まれた時から合気道の合気を具えていたのかもしれないと時々思うことがある。

ちょっと悪い事しても・・・

N葉と口喧嘩しても・・・

なんだかんだ言っても、優しかったと思う。

本当に、人間が好きだったと思う。


駅の階段をおり正面のコンビニの看板・・・X'masではないが華やかになっていた。

ららぽーとの中は、X'mas一色。

飾りつけをしている店もたくさんあった。


今年のX'masは、大偉もみるちゃんもいないんだな。

プレゼントは、何が欲しかったのかな? なんて思いながら歩いてた。


逝ってしまえば・・・

こんな事もしてあげたかった。

させてあげればよかった。

なんであんな事を言ってしまったのだろう。

まだまだ、一緒にいて・・・


全部、お空から見ている大偉とみるちゃんにしかできないじゃん。

触って触れる事もできないじゃん。

二人とも最後に触れたのは冷たい身体だったんだよ。

戻ってきてよ。



みるちゃんの碧い目。

大人になっても、赤ちゃんのような碧い目。

亡くなってもずっ~と、いつまでも碧い目だったね。


大偉は、今にも起きてくるんじゃないかな?と思うほど静かに目を閉じていたね。

綺麗な手・・・

細くて綺麗な指。


でも・・・


冷たかった。


逝く順番が逆じゃね~か。


逝ってしまえば、その人の思いしか届かないよ。

だから、一生懸命に生きて、しっかりと思いを伝えなきゃならないんだよ。


親として、大偉が自分の子で良かった。

これからも、自慢の息子だ。


男から見ても、大偉のような心の持ち主になりたいと本当に思う。


大偉っ。

風邪ひいてない?

みるちゃんは、お腹大丈夫?


2011年11月3日木曜日

3日(木)晴れ ・・・大ちゃん


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

N葉が、入学を希望している学校の学園祭に行くので、家内とN葉を車に乗せ駅まで送った。

駅に着き、帰る間際・・・家内から。


昨日、夜にK島くんからメールが届いていたら・・・。


わかった・・・。


家に着き、大偉の携帯を見た。

2011年11月3日 0:42

K島くんから大偉と、私達宛てのメールが届いていた。


一緒にツーリングに連れて行ってもらったり、バーベキューにも連れていってもらった。

行く前から楽しそうに待ちわびていた。

帰ってくれば、本当に楽しかったのだろう・・・良い顔をしていた。


帰りのどしゃ降りは、よく覚えている。


また、今度・・・行くんだぁ~。


1年の夏休み明けから塞ぎこんでいた大偉を少しずつ変えてくれた。本当に感謝している。

亡くなった当日・・・「病院どこ?」

地元の友達二人で家にすぐにお線香をあげてくださいと留守のポストにメモと一緒に入っていた。

荷物を引取りに学校へ行った時、はじめてお礼の挨拶ができた。

はにかんだ、優しい顔をしていた。



メールの内容を見ながら、涙が止まらなかった。

2011年6月3日の朝のホームルームでの出来事・・・。

先生も辛かったと思うよ・・・。

どうしよっかと・・・。


柏警察の方、刑事の方が病室を出たり入ったりと長かったので、先生を途中まで送ったんだけど・・・、帰る間際に霊安室に移されたので先生を追いかけて大偉の姿を見ていただいたんだ。

N安も辛かったろうに・・・。つい数時間前は一緒に走っていたし。

学校で、「また明日な」と別れたM坂くん。


仲が良ければ良いほど辛い思いをしている子がいるんだとあらためて感じる。


迎えに行った帰りの車の中で家内が・・・

大偉が好きだったのわかるね。性格の良さがメールに出てるもん。


大偉っ。

また、ツーリングに行くって約束してたんでしょ?

修理はもう少しかかりそうだから、遊びに行ってあげてよ。

ずっ~と待ってるみたいだよ。

大偉の事を気遣ってくれているからさ。

色々と、助けてもらったでしょ? 

お願いね・・・。



大偉の携帯の待受け画像なんだけどツーリングに連れて行ってもらった時のなのかな?
かなり気に入っていたみたいだよ。

2011年11月2日水曜日

2日(水)晴れ ・・・先輩


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

お昼を食べ、家内に買ってきてもらったお花を手向けに事故現場に向かった。

菊の花が二輪。

後は、お友達が来てくれていた形跡が・・・。


枯れたお花を片付けていると・・・

おっ・・・。


中央自動車大学校CTS(高校)の先輩が、三人来てくれた。

烏龍茶とスナック菓子を手向けてくれた。


三年生は午前中で授業が終わり。わざわざ大偉の所に来てくれた。


ありがとうね。

気をつけて帰ってねと言い別れた。


大偉っ。

良かったね。

今日は、天気もよくポカポカだったね。

じいじも大偉に会いにきたよ。

お母っは、いちごオ・レを買ってきたよ。



そろそろ、大偉の携帯も終わりかな・・・。解約月を確認しなきゃ。

まだ、大きな手続きが残っている。

1日(火)晴れ ・・・今年も残り


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

電車の中で、大偉やN葉の事を考えていた。

朝晩の冷え込みもきつくなり、自転車に乗って家と駅の間の5分~6分が寒くなってきた。


今年も残り2ヶ月となった。


大偉がバイクの免許取得に通い、色々と友達との交流が増え・・・。

バイクを親ローンで購入して、益々交流が増え・・・。

バイトも、友達のお母さんの計らいではじめ、夜までがんばっていた・・・。


N葉は、来年高校入学。

大偉は高校三年生となる。


・・・予定だった。


2011年6月2日 16:09に戻りたい。

転倒する1分前。

2011年4月9日 未明に戻りたい。


これが、みるちゃんの運命だったのでしょうか?

これが、大偉の運命だったのでしょうか?

これが、私達家族の運命だったのでしょうか?

これが、私達両親・兄妹の運命だったのでしょうか?


なぜ、あの日布団を被って寝ている大偉を起こして声をかけなかったのか?

なぜあの時・・・?

なぜあの時とばかり、悔やむ。

悔やんでも、悔やんでも。

いくら泣いたって、みるちゃんと大偉の肉体は戻ってこないのはわかるんだけど・・・。


辛くて、辛くてしかたがない。



毎日、毎日仏壇のみるちゃんと大偉にお水をあげ、お線香をたく。


亡くなった二人の子供に手を合わせる。


一番辛い。


慰留品が戻り、半月が経ったが未だにあける事ができない。



今日も、大偉の携帯へメールが届いた。

実感がわかないんだよ・・・って。

2011年11月1日火曜日

31日(月)晴れ ・・・三日月



平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


駅に着くと、綺麗な三日月が見えた。

まるで、大偉がマッサージチェアに横になって眠っているように・・・


家に着くと、だいたい家内とN葉は食事が終わっており、私は大偉のご飯をさげ、仏壇の方向を向いて食べる。

仏壇右側に並べられている、大偉とN葉とみるちゃんの写真をみながら、大偉の遺影に目を向ける。


フォトフレームでは、小さい頃の写真から、昨年くらいまでの写真が入れ替わる。

にっこりしながら、おにぎりを食べている写真・・・

ずいぶんと、変わったもんだなぁ~。

涙が出てきてしまった。

なんで・・・こんな事が起こってしまったのかな?


悔やんでも、悔やんでも・・・悔やみきれない。



大偉っ!


お父っも、だいぶ疲れてきたよ・・・。