2011年12月31日土曜日

2011年12月31日(土)晴れ ・・・証


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、大偉とみるちゃんの仏壇と回りの写真を綺麗にした。

12月31日・・・

いつもなら、実家に行き年を越すんだけど。


今年は、大偉とみるちゃんと自分の家で年を越そうと決めた。



夕方・・・じいじとあーちゃんの家に行き、おじいちゃんと一緒に夕ご飯を食べた。


大偉がいたらなぁ~と思うが、きっとバイトをしていたんだろう。


帰り道・・・大偉がバイトをしていた99ショップの明かりがついていた。


わぁ~っ、さむって帰って来るんだろうね。


遠くから・・・大偉のバイク音はすぐわかるよ。



2011年・・・・大偉が生きた最後の年。


2011年6月2日 事故した日から、大偉の未来がはじまった。



大偉っ!

どんな未来を想像していたのかな?

どんな男になったのかな?

大偉の事だから、今までと変わらない男のまま成長していくんだろうな。


免許を取得して、2ヶ月も経たないのに・・・。

自分が、これだ!と思って選んできたバイクなのに・・・。


ちょっと、早いんじゃないの?

まだ、まだ乗るんだったのに。

いろいろとバイクで行きたかったんじゃなかったの?

ついこの間、ライコランドから2012年新春 初売りセールの葉書きが届いたよ。

今年の、お年玉で何を買おうか?と思っていたんじゃないの?

バイトで、何を買おうとかね。


修理は、もうちょっと待っててね。





大偉と同じ時を過ごしたお友達へ。


寂しい時もあったでしょう・・・

苦しい時もあったでしょう・・・

誰にも打ち明けられず、悩んだ時もあったでしょう・・・

一緒に、大声で笑った時もあったでしょう・・・

一緒に、バレーで汗を流したことでしょう・・・

一緒に・・・。


どんな時も、大偉と一緒にいてくれてありがとうございます。


もっと、もっとみんなといたかったと思います。


たったの16年。


本当にありがとう。


みんなは、自分の将来に向かって一歩ずつ歩んでくださいね。

大偉も、あっちで歩んでいると思うから・・・。


私も大偉が生きた証を胸にしまい、みんなの将来を期待しています。


2011年最後の夕日はきっと綺麗だったでしょう。


本当にありがとう。









H-kaさん
ソーアンディフィニオーデパルファム フランス製



出かける前にggmailを見ると、大偉のお友達のお母さんからメールが入っていた。
色々と、悩んだ末のメール内容だった。
いつもありがとうございます。

K-nta君・・・いつも大偉の事を気にしてくれてありがとうね。

いつかきっと笑いながら話せる時がくるよね。




・・・は、大丈夫かな?
頑張ったんだろうね。
不安もたくさんあるけど、がんばって。
苦しい時は、回りを頼っていいんだからね。




30日(金)晴れ ・・・あと1日


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



今日から、我が家も大掃除。


毎日少しずつ始めていれば、年末にバタバタしなくてもいいんだけどね・・・。


掃除をしなければならないところ、片付けなければならないところはたくさんあって困ってしまうよ。



大偉の事も・・・まだまだある。



大偉っ!

I-kwaさんが永平寺に向かったよ。

大雪みたいなので、道中を見守ってやってね。





2011年も残すところ1日になったね。


2011年12月29日木曜日

29日(木)晴れ ・・・Christmas present


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


慈恵医大に向かった。


昨日は、いやだなと思いながら寝たんだけど・・・。


車に乗りながら、バクバクと心臓が鳴っているのがわかる。


R16を柏方面に向かい事故現場を右手に見ると枯れたお花がが見えた。


12月3日に出向いてから、しばらく来ていないからね。


その時は、いちご・オレや、いろはす、柿ピー等々手向けてあったが、誰かが片付けてくれてあった。


今日は、お花とお線香、いろはすを手向けて帰った。



慈恵では、救急待合室に通され検案書、診断書の依頼手続きをした。



2011年6月2日・・・

17:00過ぎ。


私が到着するのを不安そうにこの待合室で家内は待っていた。


事故から、慈恵を訪れたのは2回目。



前回は、泣けて泣けて涙が止まらなかった。



今回は・・・



少しは時が解決してくれているのかな?


泣くほどではなかったが・・・


手続きが終わり待合室を出ると、一家族が外で待っていた。


時折見える消防救急隊の姿。


その方の家族?親戚?かはわからないが運ばれてきたみたい。



胸がきゅ~っと苦しくなるのがわかる。


救急で運ばれるなんていやだな。やっぱり。



pm12:30に家に着くと、先ほど郵便で届いたばかりのChristmas presentがH-kaさんから

届いていた。


今は、大偉の遺影の前に置いてありますよ。

2011年12月28日水曜日

28日(水)晴れ ・・・仕事納め


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


午前中で、2011年最後の仕事納めをした。


打ち上げも途中で切り上げ、日本橋の日本興亜損保に向かった。


空を見上げると快晴。



担当者と書類関係で色々と話した。



提出しなければならない書類のため また、慈恵に行かなければならなくなった。


いやだな。


あの日に、引き戻されてしまうから・・・。


2011年6月2日に・・・。


帰りに上野に寄った。


信号待ち・・・。


空の雲は、目を凝らして見ないとわからないほど、ゆっくりと、ゆっくりと動いていた。


富士火災担当者へ、状況報告のため電話を入れた。


夕方の空雲のように、ゆっくりと進もうと思った。



あの日から、何とか仕事納めまで仕事をする事ができた。

公私にわたり、たくさんの方に支えられながら・・・


本当にありがとうございます。



大偉っ!

どう?

教えて!


27日(火)晴れ ・・・毎日、毎日


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ようやく12月度の仮締めが終わった。


今日はいつもよりだいぶ帰りが早い。・・・それでもpm10:30。


自転車は相変わらず寒いね。



明日は、今年の仕事納め。


その後は・・・日本橋にある日本興亜損保に向かう。




大偉っ!

明日は、2011年12月28日だよ。

わかっているよね。

ず~っと気にしていた日だからね。




あれから・・・大偉の遺影しか見ないけど本当に亡くなったのか、全然そんな気がしないんだよね。


何かの間違いじゃないの?ってね。いつも思うんだよ。



朝、起きてお線香をたき、帰ってきてからもたき。


大偉が生きた16年以上も毎日、毎日と繰り返し、思い続けて・・・。


大偉の夢はなんだったのかな・・・。

2011年12月27日火曜日

26日(月)晴れ ・・・みるちゃん?


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今朝から、風が冷たく、ちょ~寒い。

夜の駅から、自宅までもが寒くて、寒くて堪える。



かなり遅い夕飯を食べて、こたつに入った。


えっ! びっくりした。


みるちゃんが中にいた感じがした。


よく考えれば、そんな事はないんだけど・・・



こたつの布団が中に折り込まれていて、それが足に触ったのだ。


みるちゃんのやわらかい肌には、ほど遠いんだけどそんな感じがした。


もしかしていたのかな?


いつも、こたつの中でくるまっていたもんね!


帰ってくると、のそのそっと出てきてご挨拶したら、また入っていく姿を思い出したよ。


寒いから、こたつに入っててね。



夕方、松戸区検から電話あった・・・確定記録の件。

2011年12月25日日曜日

25日(日)晴れ ・・・どんな顔

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



ちょ~寝坊した。

携帯の時計を見たら、am10:30! どひゃ~。


支度をしてみんなでcostocoへ出かけて少しだけ買い物をした。


・・・



買ってきたチキンとクロワッサン。

いただいたスモークサーモンとチーズ。


大偉にも同じ食事を分け与えた。

みるちゃんが、大偉のところに行って食べるの邪魔されているんじゃん。


ほら、みーさんと、N葉のところにも、グイグイとよじ登って来ているよ。


食事を済ませ、録画していた「南極大陸」を見ていた。


最終回の2回前。


木村拓哉が演じる倉持が、確か・・・大陸の残してきた犬を思い出し、

あいつらどんな顔をしているんだろう? みたいな事を言う。




大偉の顔を思い出した・・・。


頬の傷と、くちびるをかんだ傷・・・。


治りましたか?


もう痛くないですか?


大丈夫ですか?


今、どこで何をしているのですか?


事あるごとに、側にいない・・・あなたをいつも思い出します。

みるるは側にいますか?


何も言ってはこないけど、きっと一緒にいるんだよね。


二人とも優しい男の子だった。


あの日から半年。


また、ちょっとだけ、少しだけ大人の顔になった事でしょう。


あなたの顔は、あの日から止まっていますが・・・思い出しながら、想像しています。


それほどは、変わっていないと思うけど・・・久しぶりに見る顔はきっとちがうでしょうね。


バイトを始めて、切った髪型・・・、横顔、後姿を見て大きくなったなぁ~。


親バカだけど、格好がいい男に成長したんだなぁ~って見ていたんだよ。



あなたと、みるちゃんを思い、植えたニゲラも元気に寒さに耐えていますよ。



今日は、小田和正のクリスマスの約束2011を見ながらたくさん、あなたを思い出しました。


いっぱい教えなければならない事、まだまだ伝えなければならない事、たくさんあったけど。


夢で逢える日を楽しみにしています。


2011年12月24日土曜日

24日(土)晴れ ・・・X'masイブ


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日で、2011年の最後の稽古が終わった。


大偉も稽古をしていた場所で。


ついこの間まで一緒に稽古をしていた事を思い出す。


最後の稽古に大偉も来ましたか?


大偉が亡くなってから、しばらく稽古を休んでいたが、みなさんに支えてもらいながら


何とか、今年最後の稽古を迎える事ができた。




先生・・・


今日は、J-m先生来ないんでしょ?


誰が教えるの?


見えない先生が教えるんだよ!


え”~っ、もしかしていつも端で見ている人?


そうだよ。


いつも稽古の時、見ている人だよ・・・。


マジで・・・。


もしかしていつも見えていたの?




なんてやり取りをしながら今日参加した少年部の子供達は元気に稽古をしていた。




今日はX'masイブ・・・。


フォトフレームに、時たま写真が映る。5年生くらいかな?






大偉が生まれた最初のX'masプレゼントはDisneyのビデオだった。


それには、まったく興味が無い。


くいつきもしない。


ミニカーや、車のおもちゃについていた車のビデオばかり何回も、何回も見ていたね。


あの小さな後ろ姿を思い出すよ。


チャイルドシートには、おもちゃのハンドルをつけたり、家の窓にもハンドルをつけたり・・・


N葉が生まれる年は、あーちゃんが車のチラシで作ってくれたカード。


100枚以上あったよね。全部覚えて得意顔だったもんね。


生まれた時から、大偉の回りには常に車のおもちゃばかりだった。


ミニカーと同じ目線に置き、横から見ていた姿に家内は具合が悪いのかと声をかけたとか。


実は、好きな子って横から見る事が多いというか、そういう子が多いみたい。


そっちでも、続きを楽しんでいるんじゃないかな?


2011年12月23日金曜日

23日(金)曇り ・・・お餅つき


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、今年一番と言ってもいいくらいの寒さだった。


いつも通り起きて、会社に向かった。


平日と祝日ではこんなにも人の数が違うのかと思うほど少ない。



会社に着くと、一人出勤していた。



手袋をしていたんだけど、あまりの寒さで手が冷たくキーボードが打てない。



先週からのトラブル対応も終わり、ようやく自分の仕事のペースに戻ってきたかなぁ~と

いう感じなんだけど、やっぱり師走。


ちょ~忙しい。


pm3:00前。



隣の席の先期までの上司から電話。



ちょっと仕事の話しと、餅つきの話し。



去年も今くらいに実家にみんなが集まってお餅つきをするんだって。


実家は練馬で農家。


たまにTVに出たり、農家の雑誌にでたり・・・。



家は、私以外はお持ちは得意なほうではないので、あまり食べない。


食べても、磯部餅ぐらいかな。


私は黄な粉、あんこ、ごま・・・何でもいいんだけど。


で、去年も今頃に来年は俺も行っていい?だいいと一緒に・・・。


その後、お酒とか飲むんでしょ?


だいいをいっぱい使ってよ!なんて話した事を思い出した。


だいいにも、来年行こうよ!と伝えたかは忘れてしまったけど・・・楽しみにしていたんだよなぁ。



なんだかんだで、今年も残りわずか。



明日は今年最後の稽古だね。


道場は寒いだろうね。


一緒にいこうかね。

22日(木)晴れ ・・・合格祈願


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日も、朝から会議・・・。

終わったら、納品処理をしながら、午後の打合せの準備をして外出。


打合せの前に各部署で年末の挨拶回り。


打合せを終わらせて、更に外出・・・その後もお客様へ出向く。


何とか、今日も乗り切れた。



今朝、山手線の車内で流れているニュース。


その中で、今週1週間の有名人の誕生日が紹介されていた。


夏目雅子・・・・ニュートン。



その中で、有名人の格言が映った。



ニュートン。


生涯、結婚をせず、研究に没頭し85歳で亡くなったみたい。


その格言は・・・・



「今日なし得る事に全力を尽くせ・・・」


・・・の後はさらに言葉があったんだけど、メモしきれなかった。



何か、毎日を精一杯生きろと言っているみたいだった。




大偉も、みるちゃんも向こうで精一杯生きているかな?


大偉の事だから、やっぱり向こうでもお友達がいっぱいできたんじゃないかな?

みるちゃんは、いつも大偉の側から離れないで、抱っこして!って足元でぴょんぴょん飛び跳ねているんじゃないの?






今日は、いつもよりだいぶ早く帰ってこれた。


ポストの中には・・・N葉へ合格祈願のお守りと手紙が入っていた。



M-ho.Y。M-yu.Y。Y-ma.Y。の三姉妹からだった。


ありがとうね。

2011年12月22日木曜日

21日(水)晴れ ・・・鳴りっぱなし


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日、布団に入ってから本当にマスキングしないでいいのかな?と思った。


家に帰り、家内にそうするよと伝えたが、険しい顔をしていた。


記録を読む時は、私がマスキングをしてあげればいいと思うんだけど、まだ慰留品も見れない私がそれで本当にいいのか?と悩む。

遺留品は、布団の横にあり傷がついたヘルメットしか見れていない。




会社を出てふと大偉の携帯がいつもなっていた事が頭をよぎった。



出ることができない・・・。



ただ、・・・ただ、見ていることしかできなかったな。



ニュースで知った子もいれば、友達からのメールで知った子もいたでしょう。


親がニュースを見ていて聞かされた子も・・・。



信じられなくて電話をかけてきた子もいたのでは?



もしかしたら・・・・という不安と、願いとが交差しながら。


それでも、受ける事ができなかった。

2011年12月21日水曜日

20日(火)晴れ ・・・確定記録


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


午前中は、外出先で仕事・・・。


打合せを終え、浜松町駅から事務所へ向かって歩いていた。


今日はポカポカの陽気だった。



仕事は相変わらず忙しくて、月末締め作業がちゃんと終了するのか心配になってきた。



夕方・・・携帯に電話がかかってきた。



登録していない番号だった。



出てみると、松戸区検察庁の記録係の方からだった。



先週、確定記録の閲覧・複写をしたいとの電話を入れておいた。



確定記録とは・・・検事が裁判所に提出した記録。


供述調書だったり、現場の見取り図、検証結果などなど・・・。



色々と話した。



司法解剖の写真はどうされますか?


たいがいの遺族は、マスキングを要望するみたい。


やはり想像を超えた写真になっているし、また色々と悲しみにがこみ上げてきたりと、さまざまだから記録係の方は、個人的な意見としてマスキングをしたほうがいいのではないですか?と言ってきた。


事故当時何度か管轄の警察に足を運んだ際に、ちらっと・・・見せてくれた。


家内もいたが、とうてい見せられる写真ではなかったので私だけ見た。


ものすごいショックだった。


こんな事までするのかと・・・


白黒だというのに・・・



どうしようか迷った。


でも決めた。



言う通りにすればよかったかな?



家内には、まだ伝えていない・・・。


2011年12月19日月曜日

19日(月)晴れ ・・・10分足らず

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


帰りの電車の中・・・6月2日の家内とのメールを見ていた。


家内からの最後のメール。



2011/6/2 17:24


救急
まだ会えない


このメールの後・・・・



慈恵医大柏の正面玄関から、救急搬送されたところまで走って行った。



救急搬送される入口で待っていた家内。


時間の感覚がないが、看護士が呼びに来て先生から説明を受けながらカーテンを開けると・・・



目を瞑っている大偉がいた。


信じられなかった。


こんな光景が、自分の前に・・・自分の目で息子を見ている。



側により大偉の顔をよせ、呼んでも返事もしない。


手を握り返してもこない。


ピクリともしないんだよ。



何度も、何度も・・・大偉と呼んでも帰ってこなかった。


亡くなった時刻を告げられるまで、10分足らずだったと思う。


その後は器具を外されて・・・・




そんな大偉と過ごした2011年も残りわずかとなった。


いい男だったなぁ~。









忘れられない人がいる どうしても会いたくて
またここへくる 思い出の場所へ


その人のために 今は 何もできない
どんな小さな事も あんなふうに

もし できることなら あの日に戻って
もう一度 そこから 歩きはじめたい


誰より君の事が 君の全てが 今も好きだ それを伝えたい


届けこの思い あの日の君に
届けこの思い 今の君に


いつかきっとあえる その時まで


僕は ここで待っているから
いつまでも 待っているから



2011年12月18日日曜日

18日(日)晴れ ・・・ちょっと早いお年玉


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日も冬晴れ!


土手越しから、綺麗な富士山が見えたかな?



今年は、実家で年を越さないので親父とお袋から色々なものが届いた。



毎年、年末に実家に行って泊まって帰ってくるんだけど・・・・



今年は・・・



どんな思いをして箱に詰めたんだろう。



きっと辛い思いをしながらつめたんだろうな。



大偉にもお年玉が入っていた。


袋には・・・家族を守ってあげてねと。



大偉とみるちゃんが私達を守る事になるなんて考えもしないよね。



普通に大きくなって、成人して仕事について、結婚して家族をつくってとなるから・・・。



誰もが、本当に成長を楽しみにしていたんだよ。




大偉っ!

H-shiが一級審査を合格したよ






2011年12月17日土曜日

17日(土)晴れ ・・・中央武道館!


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、むちゃくちゃ快晴。


中央武道館で、思いっきり審査を受けよう!と言っているくらいの快晴だった。


いつも通りの稽古場へ行き、普段通りの審査稽古をH-shiとした。


準備万端!


よし、中央武道館へ行こう。



武蔵野線へ乗り新浦安へ向かう車窓から・・・スカイツリーは見えるし、左手には富士山。


空は、真っ青な快晴。



先週から、道衣の中に大偉の茶帯を締めている。


腰が締まるのでものすごく良い。


後は、大偉と一緒に稽古。



しかも、今日は審査だしね。



今年三月の春審査にH-shiと仕手受けで受ける予定だったが、東日本大震災。


浦安も親裁の影響を受け大変な状況。


龍道場で審査を受けた人もいたが・・・H-shiと大偉は見送った。




今日、その気持ちを乗せて昇級審査に臨んだ。


ロッカーに荷物を入れ、携帯の待受け画像を見た。


大偉とみるちゃんの写真。(オリジナルで自分で作成した)


いってくるよ・・・。




昇級三組目の声がかかる・・・・よし、行こう!と小さく言った。


H-shiがでて、私が・・・ぐぁ~っと先生の前に向かった。


先生に礼。

向かい合っての号令がかかる。


規定技三本と指定技三本。


構えをしながら・・・規定技の三本目ってなんだったっけ?


規定技三本目の技名が読み上げられた・・・あっそうだ。


普段通りの受けが出来たと思う。


H-shiの審査受けをして良かった。


みんなの気持ちを大偉の気持ちを乗せて私も精一杯の受けが出来たと思う。


H-shiも構えから技を行い、構えに戻るまで流石切れのある動き。


受けをしながら、気持ち良さを感じながら・・・嬉しくもあり、楽しかった。


大偉っ、今日の審査はどうでしたか?

H-shiも、お父っもがんばったよ。

ありがとうね!


お父っも、来春は有段審査に臨もうと思うからよろしくね。



中央武道館から、新浦安までの行き帰りでは、スカイツリーも富士山も綺麗だった。

帰りの電車の中で、大偉の話しをH-shiをしてた。

亡くなった事なんて感じない・・・普通に。


大偉はねぇ~・・・と言う感じでね。


夕焼けに染まる富士山がとても綺麗な日だった。


来週は今年最後の稽古納めだから・・・

17日(土)晴れ ・・・いざ!


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉っ!


今日は、何の日かわかっているね!


中央武道館にいくぞ!

16日(金)曇り ・・・N葉


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


やっぱり、今日も・・・泣いた。



しばらくは、我慢しない事にした。



大型案件のトラブル続きで、昼食をずらした。



お昼を食べたお店の中でも・・・


帰りの電車の中でも・・・・


N葉の事を思い出してた。



2011年6月2日 17:40・・・・・



17:40 1秒から・・・



一人になってしまった。



一人にさせてしまった。


N葉は・・・・どう思っただろう?


どう感じたんだろう?



救命救急士の先生から・・・告げられ、病院に向かっている、じいじに電話を入れた。


ちょうど、R16とTXが交差しているところだったと思う。


大偉が亡くなったと・・・・N葉を連れてきて。


家で待っている、あーちゃんとN葉。



どんなに心配していただろうに。不安だったろうに。


じいじも、N葉を迎えに家に戻り、会った時は、辛かっただろうに。


なんて言葉をかけていいのか・・・。



弟のように可愛がっていた、みるるが亡くなり。


小さい頃は、いつも後ろを歩いて「にいに~」って言ってた大偉が亡くなり。




聖華幼稚園の夕涼み会で、大偉の後ろから抱きついている写真。

観覧車で抱きついている写真。

幼稚園の入口付近で体操服の大偉に抱きついている写真。


本当に仲が良かったんだよね。



あの日から、大偉と口げんかの声が無くなった。


今は、ものすごく寂しいよ。



N葉・・・


みるるを助けてあげられなくてごめんね。

お兄ちゃんを助けてあげれれなくて、本当にごめんね。

2011年12月15日木曜日

15日(木)晴れ ・・・泣きっぱなし


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日も、泣きっぱなしだった。


どうしても、早く会社に出なければならなく、いつもより1時間も早く家を出た。



瞼を閉じると、知らない間に涙が出てくる。



日暮里から、浜松町駅までの約25分くらいかな?


涙が出て、出て止まらなかった。


何日経っても、大偉の事を思い出すと・・・泣けてくる。



特別、自分が泣いてしまう事をどうこうしようとは思わないけど、回りの人は引くよね。


突然、泣いている人が目の前にいるんだから・・・・。


どうしよもない。



今週はトラブル続きで、通常の仕事が追いついていない。


本当に長い1週間が明日で終わる。


その次の日は、大事な1年を締めくくる日となる。


もうひと踏ん張り。



昨日、今年の思い出を思い出しながら自分の携帯に送られてきたメールを読み返してた。


今、・・・



どうしているのかな?


・・・は。

14日(水)曇り ・・・何故だろうね。


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝早く会社に出ようと思っていたが、結局一緒の時間になってしまった。


野田線に乗ると、次の運河駅ですぐに座る事ができた。


いつもは、流山おおたかのもり駅なんだけど・・・。ラッキー。



・・・座って、目を閉じると。



涙が自然と流れてきてしまった。



何故だろうね・・・。



大偉も、事故を起こした時に、幽体離脱なんかして倒れている自分を見たのかな?


どうして、ここに倒れているの?って・・・。



もっともっと生きたいと・・・。




何故? 事故したのと言ってもね・・・。



でもね大偉っ、それがわかったとして大偉は戻ってこないんだけど・・・



どうしてこうなったの?って、今でも聞きたいんだよ。


聞いたところで、どうにもならないんだけど。




事故って怖いね。嫌だね。


起こしてからはじめてわかるんだよな。


こんなに大きな事故を起こしてしまってから・・・。



12月も後、半分になってしまった。

2011年12月14日水曜日

13日(火)晴れ ・・・一人で

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


一人で歩けていますか?


大丈夫ですか?


まず、一人で歩いてみて・・・


一歩ずつ、一歩ずつ。


そこまで辿り着かないかも知れないけど・・・


昨日よりも、一歩でいい。


ゆっくりでいいから、確実に先へ進む。



無理な時は、焦らない・・・無理をしないで休んで。


できる時まで、休んで・・・。




どうしても、ダメなときは誰かに助けを求めて。


応援してもらって。


甘えたっていいと思うよ。




でもね、最後は自分の足で歩くんだよ。



最後は、自分の心が決めるのだから。




大偉くん。

あの日からも、自分の足で夢の続きを歩いていますか?

きつく、苦しくなったら休んでいいんだよ。

その代わり、ちゃんとしっかり立ち上がる事。

少なすぎる休憩も多すぎる休憩も駄目なんだよ。


はじめから、誰かを頼らず、自分でやってみる。


それから、何が悪いのか?いけないのか?を考え回りと比較する。


ちょっと離れたところから見てみる。


今、わからなくても、あの時の事はこういう事だったのか!とわかる日が必ず来るから。


お父っも、今週は、仕事がきついんだよ。


今週がヤマで、ここを、グッと堪えて頑張っているんだ。


ここが、今年の踏ん張りところ・・・


その結果は必ずついてくると信じているから。


たとえその時に結果がでなくても腐っちゃ駄目だからね。


下を向かず、上を向いていれば良いことあるさ。


笑っていれば、きっと良いことあるよね?だいい。

2011年12月13日火曜日

12日(月)晴れ ・・・旅支度


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昼間は、いつもより暖かかった。

とは言え、pm9:00過ぎの自転車はさすがに寒いです。


帰りの野田線の中。


大偉は今頃何をしているのかな?


何処を旅しているのかな?


なんて思った。



旅と言えば・・・自宅出棺の6月5日。


大偉の後輩の子が、お通夜に行くことができないので・・・、わざわざ大偉に会いに来てくれた。


顔の傷の化粧も終わり、綺麗な顔を見てた。



いよいよ、自宅出棺の時間が迫ってきた。


葬儀屋の方が、大偉の旅支度をしてくれた。


大偉に足袋を履かせ、脚絆、手甲をつけた。


頭陀袋にはいった三途の川の渡し賃・・・六文銭を持たせ、白装束を着させ・・・


編み笠に天冠を入れ頭の上に置いた。


草履を足元に置き、棺の上には小さな刀を魔よけなのかな?置いた。



生前に着ていた服のしたには、こんな格好をさせていた。


私は、黙って大偉への旅支度を見ていた。


こんな格好をさせて送り出さなければならないのか。


悔しくて悔しくてたまらなかった。


涙が止まらなかった。


大偉の人生を見届ける事ができないのだから。



2011年12月11日日曜日

11日(日)晴れ ・・・相田みつを

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、とても良い天気だった。


11:00に家を出て12:00ちょいには、有楽町の東京国際フォーラム会場入口にいた。


以前、住友生命のおばちゃんからいただいた、チケットを持って「相田みつを美術館」に行くため。


はじめて、美術館にきた。


ず~っと前から、行きたいと思っていたが中々行けなかった・・・?


行かなかった・・・が正しいかな。


年配の夫婦。


若い女の子達。


カップル。


来ている人たちは様々だ。


えっ、こんなに人がいるの?って感じ。 以外だった。


館内は、ある程度広いのでストレスなく作品を見ることができる。



美術館に入り・・・涙が止め処なく流れ出てきた。


人目なんか気にしなかった。



※二つの写真は、許可された場所で撮影されました。


相田みつをさんの作品と説明文をくまなく読んでみた。


詩を読みながら、大偉の事を思い浮かべていた。


館内は、ある程度の光しかなくちょっと薄暗いな感じ。


なんとなく、詩をみながら泣いている人はいた。


色んな事を思い浮かべていたのでしょう。


今日、美術館に行った。・・・必然。


目の前で見れてよかった。作品に触れてよかった。


大偉の事、お友達の事・・・・色々と思い浮かべた。





長い人生にはなあ
どんなに避けようとしても
どうしても通らなければならぬ道
というものがあるんだな

そんなときはその道を
だまって歩くことだな
愚痴や弱音は吐かないでな

黙って歩くんだよ
ただ黙って
涙なんかみせちゃダメだぜ

そしてなあその時なんだよ
人間としてのいのちの
根がふかくなるのは





2011年6月2日から・・・


これが、どうしても避けられない道なのでしょうか?

どうしても通らなければならない道なのでしょうか?

あんまりではないですか?


それでも、私達は歩かなければならない・・・。

2011年12月10日土曜日

10日(土)晴れ ・・・woh woh


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、とても良い天気だった。

でも、朝はやっぱりひんやりした。


一般部の稽古後、少年部の審査がある・・・二人とも大丈夫かな?


ものすごく心配だなぁ~なんて思いながら支度をした。


車に乗り込み、小田和正の曲が流れはじめた。


H-shiの受けをする来週の審査の事をふと頭のどこかで思った。


・・・涙が流れてしまった。


大偉の事も思い出したのかな・・・。


何故だか、涙が溢れ出てきて止まらなかった。




大偉!

元気か?

寒くないか?

みるちゃんは?


みるちゃんを連れて会いにきてよ。


寂しくて、切なくて、辛いよ。


もう半年も大偉の声を聞いていないんだよ。


ちょっとでいいいから、会いにきてよ。


本当は、いっぱいいっぱい話したい事あるんだけど・・・


大偉は、お空から何を感じて見ているの?


遺影を見るたびに、本当に大偉は死んだの?


何故、この家にいないの?


朝起きてもいないし、帰ってきてもいない。


食事も・・・。


何をやってるの?


最近特に思うよ


電車の中や、大偉の写真を見ながらいるとね・・・。






不思議だね 二人がこうして逢えたこと

そのために 二人ここへ 生まれてきたのかな?

はじめて二人で 二人だけで歩いた

あの時たぶん僕は君が好きになったんだ

息を止めて君を見つめている

woh woh

君を抱きしめていたい



確かな事など 今何もないけど

本当に大切な事は 君が教えてくれた

いつか君の その悲しみは

woh woh woh woh

きっと 忘れさせるから


僕は君に 何も誓えない

でも僕は君のために 精一杯の人生を生きる

いつか君の その悲しみは

woh woh woh woh

きっと忘れさせるからだ

息を止めて君を見つめている

woh woh woh woh

君を抱きしめていたい

woh woh woh woh


http://www.youtube.com/watch?v=15Es5moWSdY&feature=related http://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&NR=1&v=QpdP_0HhxE8

2011年12月9日金曜日

9日(金)雨のち曇り ・・・体育館


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今朝は、雨・・・。


いつもより早く会社に行かなければならなく、気合を入れて起きた。


自転車or歩き・・・迷ったあげく歩いて駅まで向かった。


結構寒い。


車の水しぶきを注意しながら、南部中の校門前を歩く。


車の行き来がすごい。


今日一日なんとか仕事をこなし夕方に外出。



帰り道は、駅から家まで街道ではない裏の道を歩いて帰ってきた。


踏み切りを渡り、左から明かりが漏れていた。


体育館の片隅が見え、バレーのネットが張られていた。



大偉も一生懸命に部活をがんばっていたなぁ~。


何度か試合を見に行った事があった。


たぶん私に気がついていたと思うけど、知らない振りをしていた。


レシーバーだったので、アタッカーのように目だった動きや活躍はないが、頑張ってた。


ビデオにも何試合かおさめた。


決勝の川間中との試合はいつもシーソーゲームになりハラハラドキドキしてビデオを撮ってた。


歩きながら、ついつい思い出してしまい涙がながれた。


中学生なんて2年前の事だよ。


誰が、こうなるってわかっていただろう?




あなたも、バレー部だったの?

この間、見たんだけど探しておきます。わかったら教えるね。

いつもありがとう。


2011年12月8日木曜日

8日(木)曇りのち雨 ・・・だいいのとって。


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今朝も寒かったですね。


今日も、朝からトラブル対応。


ちょっとした確認の怠り。連絡ミス。などなど・・・。


最終業者は、協力会社とはいえ、発注したこちらの責任もあるし・・・。


あの時・・・確認していれば。


あの時・・・こうしていれば。


などなど怠った後のミスの処理は、膨大な時間と人件費がかかる。


これは、仕事だけで起こり得る問題ではない。


普段の生活でもある。


あてはめればよくわかる。


遊びでもおなじ。


最も重要なのは・・・コミュニケーション。


だと、思う。



昨日、早く帰ったので皆で夕食をとった。


みるちゃんは、七時にご飯をあげて・・・


大偉には、お皿に少しずつご飯とおかずをのせて仏壇の前に。


仏様というのは、匂いで食事をいただくとお坊さんがおっしゃっていた。


みるちゃんは、鼻がいいから大偉の横取りして怒られているかもね。


N葉に、だいいのとって・・・・と仏壇からさげた。


みんなで食べる時もあれば、私だけ食べる時もある。


大偉のお皿をテーブルに置いた時に、急に涙が出てきた。


はじめての事だった。



今日も、帰りの電車の中で「本当に、だいいは亡くなったの?」


うそじゃないの?


本当なのか、そうでないのかわからなくなった。


半年前まで、一緒に暮らしていた子が・・・。


夏に富士山にまた行こうと言ってた子が・・・。


突然、姿を消したみたいだよ。


お前は今、みるちゃんと何処にいるの?・・・。


2011年12月7日水曜日

7日(水)晴れ ・・・支えて、支えられて。


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今朝は、30分早く会社に出た。

昨日のトラブルの最終調整と、やり残した仕事と、外出するための準備と納品準備、打合せなどなどを午前中に片付けなければならないから・・・

電車の中では、疲れと眠たさと・・・まるで徹夜でもしたかのよう。


それにしても、今日も無事乗り切れたという感じ。


午後から、3件の外出先で打合せと作業をした。


最後に上野にある協力会社で打合せを行い、近くのアウトレットのケーキ屋でお土産を買って帰った。



所さんのTVがついていた。


「マーチング」


最近TVに良く出ている市立柏。

市立柏の指揮者っていうのかな?大偉の先輩で、お互い良く知っているみたい・・・。


習志野・・・今年の甲子園。アルプススタンドでは凄かった。


西武台のDVDは見た事がある。


南部中の吹奏楽も夏は朝から晩まで大変。



いや~。全国大会までの練習風景などなど、ものすごく厳しい。


全員が、一定以上の基礎レベルをしっかりと叩き込まれる。


一歩が62.5cm。


100人以上いる吹奏楽の高校もあれば、満たない高校もあるが工夫を凝らして頑張っている。


練習量は、スポーツ以上。ハンパない。


ちょっとした動きを、何度も何度も、暑い真夏の炎天下のしたでも何度も何度も、倒れても立ち上がり、皆のため・・・それを成し遂げるため、歯を食いしばり頑張っている姿を見ると、胸が詰まる思い。


皆を纏める最上級生のリーダの子も、何度も指示を出し全員がそれについていく。


正直、リーダの子も辛いと思う。

言われている子だって、ちくしょうと自分ができない責任と重圧に逃げ出したり、内心文句を言っている子だっているかもしれない。

それが普通だと思うんだけど・・・。


でも・・・最後までやり遂げる頑張りは凄い。


一生懸命練習して、練習して、朝早くから夜遅くまで練習してもレギュラーとして出場できない子もいる。正直悔しいと思う。

それでも、サポート役に回り全員を支える。

来年、出場できる自分を信じて・・・。応援しながら胸に刻み込むのだろう。


私も、小学校から野球を始めて高校までレギュラーだった。

中学では、県優勝。三年の夏には関東大会まで行った経験があるが・・・・

その時までは、縁の下で支えてくれていた仲間、下級生の事を正直思う事はなかった。


高校夏の大会・・・4対0で勝っていたが、雨で中断。

流れが相手に傾き同点、逆転。

一時は追いついたが、再度逆転され3回戦で敗退となった。

その時、ようやく縁の下の仲間に感謝した。


気がつくまでに時間がかかった。


仲間であったり、親であったり、先生であったり。


大偉は中学からバレーを部活に選んだ。

はじめは、何でバレー部?

やった事あるの?

あるよ!

ふ~ん。


仮入部から通い続け、他の部には見学にもいかなかったみたい。

最後は、レシーバで県大会に出場したのかな?

後輩から、バレーを優しく教えてくださってありがとうございますとメールが入っていた。

大偉も支えたり、支えられたりしていたんだなきっと。

先輩にも可愛がられたりしていたし。



みんなで、作り上げていく事なんて、生きていく中でそうあるもんじゃない。

それは、スポーツに限らず、学園祭であったり・・・なんでもいいんだよね。


最後まで、やり遂げる事が大事なんだよ。


必ず、結果が出る。


その結果が、今、出ないとしても必ず出る。


思い出となり、生きて行く糧に必ずなる。経験として積み重なる。


一生懸命やっているから、自分も感動を得たり何かを得る。


一生懸命やっているから、回りで見ている人が感動する。


一生懸命やっているから、回りが支えてくれる。


やらない奴には、誰も手をかさない。


一生懸命やっている姿を必ず誰かが見てくれているから大丈夫。


今、結果がでなくても少しずつ力はついてくるから。


焦らず、怠けず・・・一歩ずつ前進。


壁にぶつかり、最後まで成し遂げる事が出来なかったとしても・・・最後の最後まで諦めずに頑張る。

ただただ、それでいい。



大偉っ!

そっちの世界で、頑張っているか?

こっちでできなかった事を成し遂げて!

お父っに教えてよ。ねっ、だいい。



今日も、お手紙ありがとうね。

大偉が気にいってつけていた香水なんだけど・・・UFOキャッチャーで取ったんだよね

6日(火)曇りのち一時雨 ・・・久しぶりに


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今朝から、会議の連続で疲れたなぁ~。

自分の仕事が追いつかない。


そんでもって、夕方にトラブルの電話が入った。


協力会社に依頼した物件の誤送が判明した。


あちゃ~・・・という感じ。


すぐに対応に追われた。


依頼者との対応を協議して、協力会社へ電話して対応を依頼したりと・・・



22:00。


自分の仕事を残し、依頼物を持って出かけた。


こんな時間に、協力会社へ行くなんてはじめて。



まだ、帰り道なのでよかったが、たまたま協力会社の方も残っていたので早い対応ができたが、明日もきついな。



久しぶりに梅郷に着いたのが23:50だった。


今年3月までは、そんな日が連日続いて、しかも間に徹夜まであった。


家に帰れば、子供達は寝ているし朝はちょっとしか会えないし・・・



4月からは、なんとか仕事の量も落ち着いて早く帰れる時もあって、今日も大偉はバイトか?

えっ!今日もなの?

まだ、帰ってないの?


あっ、バイクの音だ。


いきなりエンジン切ったら、駄目になっちゃうよ!
(近所に配慮していたみたい)


などと言っていた頃が懐かしいと言っても半年ちょっと前の事なのに・・・


その半年後には、いないんだもんね。


たまんないよね。


何を言ったって、喚いたって、泣き叫んだって、大偉もみるちゃんも戻ってこないんだよね。



大偉っ。

もらったお手紙読んだ?

って、書いているときには知っているかもね。


ちゃんとお礼を言うんだよ。


みんなにも言いにいったの?


恥ずかしくて行けなかったり・・・。


みるちゃんについて来てもらったら?


おちびだから、あまり連れまわさないでね。



じいちゃんに、大偉のバイク修理していると話したら、お前が乗るのか?だって。

免許持っていないから、乗れないと言ったら黙ってたよ。

まだかかりそうだよ。


じゃ、明日も早いから寝るね。


お休み。大偉、みるちゃん。

2011年12月5日月曜日

5日(月)曇り ・・・引き戻される


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


梅郷駅に着いたのは何時ごろだったかな?

たぶん22:00は回っていないと思うな。


空を見上げると、急に大偉が亡くなった事に気が付くというか・・・思うというか・・・。


会社では、あまりの忙しさになかなか、就業時間中は思い出さないんだけど・・・


朝の出勤とか、帰り、ふと引き戻されてしまう。


一度、深い思いに入ると、なかなか抜け出さない日々もあるんだよね。


ポストを開けると・・・大偉宛ての手紙


遠い中、暗い中、寒い中。


いつもありがとうね。



気をつけて帰ってよ。

2011年12月4日日曜日

4日(日)晴れ ・・・親父の涙


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


11:30前に、じいちゃんとばぁちゃんが大偉に会いに来てくれた。

たくさんのお菓子と、妹からのお花を持って・・・。


お昼は、「すぎのや」でお蕎麦を食べた。


大偉は、寒くても温かいお蕎麦より、冷たいお蕎麦をいつも好んで食べてた・・・。というより温かいお蕎麦は、苦手だった。


メニューにもり蕎麦があるんだけど・・・その1.5倍が大関、2倍が横綱。


大偉は、横綱+丼ぶりの小鉢を食べる。


量的には、ものすごい。


こんなに、食べれるの・・・?って感じ。




家に戻り、親父は仏壇横に飾っている大偉の写真やN葉、みるちゃんの写真を眺めていた。



6月5日。

あまりのショックで心臓に負担がかかり、お通夜も、告別式にも参列する事ができず入院してしまった。


6月2日・・・柏警察署で変わり果てた大偉との対面。つい1週間前にあって食事をしたばかりなのに・・・

6月3日・・・千葉大からの帰宅後の対面。


七七日忌法要以来に家にきてくれた。


実家には、仏壇も田中家のお墓もあるので手を合わせてくれている。



以前、ジャスコのカメラ屋でデジカメを購入した時にもらったアルバム無料券があり、数ある写真の中から、40枚を選んでB5サイズのアルバムを作ったのを一緒に置いてある。


だいい☆○○は☆みるる


それを手にして見ていた。


親父の目には、涙がこぼれていた。


これを、見ているのも辛い。


この歳で、孫を亡くし悲しむ人生が待っていたとは・・・。


私達も・・・。


お友達だって・・・。


特別に思っていた子だって・・・。



だいい!

今日は、遠い所からじいちゃんとばぁちゃんが来てくれるから、危なくないようにこんなにも良い天気ににしてくれたのかな?


昨日、一昨日とは違いとても暖かかったね。


みるちゃんも喜んでいたでしょうね。こんなに暖かいから。


毎日、だいいとみるちゃんの遺影を見ながら夕飯を食べているんだよね。


まったく実感がないよ。


私は・・・損を損とも思わない優しい大偉とみるちゃんしか知らない。

親バカでね。



大偉の強がりで、もし不愉快な事をされたり、言われたり、感じたらごめんなさいね。

決して、そんな子ではないから・・・。

口下手だから・・・。

許してあげてくださいね。



自分が長い期間、一人でいても耐えていた。

悪口は決して言わず・・・。

毎日、毎日耐えていた時期もあった。

辛かったろうに。


バイク仲間のお友達ができて、だんだん明るくなり嬉しかったんだけど。


大好きな、大好きなバイクで事故をしてその日に逝ってしまうなんてね。


運命も未来も、誰も予想する事はできないんだけど・・・・

こうしたら・・・こうなるなぁ~とか予想はつく。

これが、未来だと思う。

未来、過去、未来、過去と瞬時に繰り返している。

だから・・・色々と注意しなければならない。行動も、言動も考えなければならないんだよ。


人と会うだけが一期一会ではない。

自分自身にも、未来、過去の繰り返しの一期一会があると思う。


だから、一生懸命生きなきゃね。

生かされているんだから。


相手を思う気持ちと同じくらい、自分を大切に。

2011年12月3日土曜日

3日(土)雨 ・・・いつもありがとう

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今朝は、ひどい雨だったね。

今日の、H-shiとの審査稽古どうだった。お父っも中々やるでしょ?


来週は、仕事で来れないみたいだから受けだけの稽古をするよっていうか、仕手受けで稽古するか。


ねっ、大偉。




夕方、買い物に出かけ、その後お花とお線香を手向けに事故現場に向かった。



お友達が来てくれていたんだね。


大偉の好きな、お菓子や飲み物が手向けてあった。・・・いちごオレも。


家内が・・・大偉の好きな物ばっかりだね。


柿ぴーも。


うっ、わさび?・・・


ライターは、錆びてしまうので持って帰ってきました。(遺影の前に置いたよ)


同じお花が二輪。


前も、菊花が二輪。・・・同じ子かな?


今でも、気にしてくれてて・・・、来てくれているんですね。


ありがとうございます。


ブログを通じてお礼を伝える事ができなく申し訳なく思っています。


わざわざ、遠い所まで時間とお金を使い、来てくれているなんて。


みんなは、何を大偉に伝えているの?

何を話しているの?


本当にありがとう・・・・。




夜、撮ったんだけど娘の携帯が良すぎて昼間みたいな画像になっちゃった。


大偉は、みんなと何を話したの?


明日は、じいちゃんと、ばぁちゃんが来るよ


そう言えば、アジアンテイストの杏仁いちごはどうですか?

2日(金)雨のち曇り ・・・半年前の今日

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今朝は、昨日よりも寒かった。


半年前の今日・・・雨戸を開けると6月2日と同じ小雨がちょっと降っていた。

しかし・・・大偉の姿はない。



声をかける大偉がいない。



今日は、朝お客様に直行して、一旦事務所に戻ってから豊洲にある親会社に行く予定だった。


半年前も、豊洲で打合せをしてた。


事務所に戻る有楽町線の中で、家内からの電話とメール。


意識ない・・・



その時と同じ豊洲に向かう予定だったが、緊急対応が入り外出が中止となった。



携帯のアラームをONにした。


16:10と17:40。




16:10・・・大偉が事故をした時間。

手前のENEOSに映っていた時間とスピードから警察が割り出した時間。

17:40・・・搬送先のベットで死亡を告げられた時間



あれから・・・月命日には早く帰っていたんだけど今日は、帰る事ができなかった。


会社を出たのが、PM9:00過ぎ。


家に帰り、あまりの寒さにお風呂に入り、11:30くらいかな大偉とみるちゃんに挨拶をした。



あの日は、ものすごく大変だった。


ベットに疲れて寝ているように横になっている大偉の顔を思い出すよ。


自分の子じゃないかと思ったけど・・・顔が大偉だった。


間違なく、大偉だった。



今でも、信じられないよ。


全く、実感がないんだよね。



左側にある、大偉とみるちゃんの遺影に目を向けると、「手紙」があった。


いつもメールをくれる子からだった。



一生懸命頑張って、家まで届けてきたんだろう。


中々、受入れられない・・・心の整理がつかないまま。


寒い中、来たんだね。


ありがとうね。



私宛にも、手紙が・・・。


大偉のお父さんへと書いてあった。


今まで、電話やメールをしてもらって迷惑だと思ってないですよ。


事故、当日もたくさん電話してくれましたね。・・・最後まで。


手紙も気にしないで、自分のペースで書いてくれればいいんじゃないかな?


こちらの事は、気にしなくてもいいです。嬉しいです。


自分が、来れるようになったら会いに来てくださいね。ゆっくりで構わないから。


手紙は、大偉の遺影の横に置きました。



大偉っ!

今日は、ちょ~寒いよね。

夏服しか持たせてあげなかったから、大丈夫かな?

大丈夫なわけないよね。

みるちゃんを抱っこすれば、ちょっとは温かいよ。


みるちゃんは、ブルブル震えてない?


二人とも寒がりだから、家に戻ってきなよ。

こたつあるから。


休んでいって。


明日は、審査稽古だぞ!

遅れるなよ。


2011年12月2日金曜日

2日(金)雨のち曇り ・・・まだまだ


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ちくしょ~。

まだ、仕事が終わらない。


大偉っ~、もうちょっと待っててね。みるちゃんもいるの?




2011年12月1日木曜日

1日(木)雨 ・・・最後のメール


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今朝は、ものすごく寒かった。

だんだん寒くなる。


今日で、大偉の携帯を解約する。


大偉の携帯を持って家を出た。


家内から、大偉の携帯からメールを送って・・・。


内容は、何でもいいから。


いつもメールをくれる子からも、大偉にたくさんのメールが送られていた。



仕事を終え、浜松町の大門交差点にあるDOCOMOショップに向かった。


解約の手続きをしたいのですが・・・


解約したその時点から、使用できなくなるのですか?


その時点からです。


内心、えぇ~と思ったが、仕方がない。


ちょっとメールを送りたいので、待っていただけませんか?


その間にも、大偉の携帯にメールが入ってくる。



大偉の携帯から、最後のメールを送った。



大偉の携帯解約
2011年12月1日木曜日
雨気温低い
浜松町DOCOMOショップ
大偉のメールアドレスと番号を記載


18:19分にメールをした。


FROM 大偉



解約手続きをしながら、最後にメールがこないかな?

今、目の前での処理が終わったら、電話は、現在使われていませんとメッセージが流れるみたい。

メールは、送信エラーとなってしまう。


早く・・・


その時間は、とうとうやってきた。


2011年12月1日 18:29 解約手続きが終わった。


大偉への最後のメールは、18:13で終わった。




いつも、大偉にメールをくれてありがとうね。

いつも思ってくれてありがとう。

たくさんの思い出があったんですね。



なんか、大偉が使っていた最後の物までもが使えなくなるって、寂しいです。