2012年2月29日水曜日

29日(水)雪のち曇り・・・K-matsuさん

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


あちゃ~。ほんとに雪だ。

夕方の家内からのメールに「明日の朝は、雪みたいだよ」とはいった。


ほんとに?と思ったが・・・。


朝、雨戸を開けると・・・雪だった。

まだ、自転車で梅郷まで行けそうだったので、ゆっくり向かった。


野田線・・・


お通夜の日の事や、特に大偉と私の共通の係わりの方の顔を思い浮かべていた。


私は、参列してくださった方のほうに顔を向けて、挨拶をしながら大偉の遺影を

見返し、「今、ここで何をやっているの・・・事は本当なの?」

遺影は、本当の大偉なの?

棺の中の大偉は、昨日まで一緒にいた大偉なの?


・・・信じられなかった。


お通夜のはじまる前に、K-matsuさんと会った。


合気道を体験し、翌週には入門した。


帯の結び方がわからなかったので、最初に教えていただいのが

K-matsuさんだった。


大偉の事も、N-nhaの事も可愛がってくれて、同好会の飲み会の席では

必ず、横に座っていた。


そのK-matsuさんが、大偉の遺影の前でずっと大偉の顔を見ていた。


途中、腰を痛め合気道から離れてしまったが、親父的な存在だった。


私は、ただただK-matsuさんの横にいる事しかできなかった。


また、袖ヶ浦からも駆けつけてくださったO-ishiさん。


だいいの事は、あまり知らなかったかも知れないが、木更津さくら会の10周年

記念演武大会に大偉も連れて行ったので、もしかしたら知っているかな?


腰の具合はどうかな?


頚椎でしたね!


・・・


こんな形でみんなを集めてしまって・・・


なんだかな?


言葉にならない。


2012年2月28日火曜日

28日(火)晴れ・・・チャンピオン

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


帰りの野田線。

向かいの窓ガラスに映っている私。


よく大偉は、お父さんのヒゲはチャンピオンみたい・・・なんて言ってたのを

思い出していた。


なんで、チャンピオン?

かたちが、チャンピオン・・・



その、ヒゲでよく言う事の聞かない大偉をつかまえて、ヒゲを顔にくっつけ、

じょりじょりさせながら、わき腹をくすぐるお仕置きをよくやっていた。


じょりじょりマンがきたぞっ~

きゃっきゃ、言いながらやられるのを楽しんでいる。

たまに、N-nhaもやられる。


ときには、抱っこしながらぐるぐる回し、まるで宇宙遊泳・・・(したことないけど)


会社から帰ってくると、宇宙やって!と大偉とN-nhaを順番にやってあげて

楽しんでいたよね。

懐かしいよ。


そんな子供達も、よくここまで大きくなったと思う。

特に、大きな病気もせず・・・


最後は、家族にとっておおきな事が起きてしまったけど。


毎日、毎日と朝起きて「おはよう」と挨拶。

帰ってくれば、「ただいま」と挨拶。


だいいとみるちゃんの写真をみながら、ほんとかよといつも思ってるよ。


これから先も、「ほんとかよ」・・・


「ほんと?」


・・・・


そんな気持ちをずっと思いながら、残された人生を一緒に歩んでいくんだね。


2012年2月27日月曜日

27日(月)晴れ・・・何しているのかな?


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


日向はポカポカだけど、風邪が冷たい。

朝は客先へ直行し、夕方また外出した。


客先に向かいながら、特に大偉の事を考えているわけでもないのに、

事故後の顔がよぎる・・・。


墓石のデザインをしながら・・・まさか自分が墓石を建てることになるとは。


それも、大偉の事で・・・・。


田中家の。


帰りの電車待ちのホームでは、久々に大偉の笑った顔が出てきた。


私とじゃれあっている姿。


あまりにも起きないので、足首の内側を四ケ条で締めて・・・・

「いっ、痛ぇ~」と起き上がりながら、笑っている姿・・・


笑っている姿が出てくるのは本当に久々。



夕食後は、墓石のデザインの続き・・・


自分は、何しているか?と思いながら・・・



今頃、みるちゃんと何をしているのかな?と思う。





2012年2月26日日曜日

26日(日)曇り・・・少年初段


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



先週からの審査稽古・・・

どうしても合格させたい子が二人いる。



少年初段・・・R-ma、S-go、T-tsuro、N-nha。

R-maは吹上で取得だったかな?


R-maの少年指導員審査を中央武道館で見た時、こんな子供がいるのかと・・・

100人以上もいる前で、声を出し、機敏に技の説明をする・・・立派だった。

審査後には、必ず拍手をするんだけどものすごい拍手だった。

今春は高校二年生だもんね。

早いよね。



小さい頃から稽古しないと、少年初段を受けるチャンスが回ってこない。

ここにくるまでは、途中審査を落ちたり、そこまでのレベルに達していないなどから

次回に延ばされるケースもある。

それだけ・・・少年初段の壁は子供達にとっても高い。


N-nhaは、6年の最後のこの時期に少年初段を受けた。

毎週、私に注意されながら・・・時には怒られ、「帰れ!」なんて言われた事もあった。

ぼろぼろと泣きながら、それでも「いやだ!」と言いながら毎週、自主稽古まで頑張った。

できるのにやらない事が気に入らない。

中央武道館では、緊張する顔をせずひょうひょうとやってのけた。



大偉は、1回だけ審査の回数が足らず少年一級。

一般部では、四級。

小さい頃から見ている、M-hshi先生からはもっとできるはずと言われていた。


その二人の子も、今回が最後のチャンス。


当然、新しい技もあるが今までやってきた技の応用であり、ごく一部の技だけが

まったくやった事のない技だ。


残りの稽古時間を最大限に活用し、何とか小学生最後の成果を発揮してもらいたい。


大偉っ!

お前の教え子だよ。

力を貸してくれ!









2012年2月25日土曜日

25日(土)雨・・・手紙

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



昨夜、遅くから振り出した雨。

ちょっと寝坊しちゃった。


急いで支度をして道場へ向かうと子供達が手伝ってくれていた。

ごめんね。


先週からの審査稽古・・・

どうしても合格させたい子が二人いるが・・・もう少し頑張らないと。


明日は、ニツ塚にも行かないと。。。


稽古終了後。


W-knaさんとT-hruさんから、N-nhaへおめでとうのお言葉と、

N-nhaへのお手紙をいただいた。

色々とお心遣いくださいまして本当にありがとうございます。


みるちゃんも、だいいもきっとN-nhaに「おめでとう・・・よかったじゃん」と言っていると

思います。


ほんとだったら・・・みるちゃんにもだいいにも声にして言ってもらいたかったよ。


N-nhaも、私達も本当に幸せです。


私達からは何もできず・・・



本当にありがとうございます。





2012年2月24日金曜日

24日(金)晴れ・・・心遣い

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


22日の掲示板にN-nhaへ「おめでとう」の言葉が寄せられていた。



・・・19:40携帯のマナーモードがなった。


N-nhaへの「合格おめでとう」の言葉だった。


あの時以来、「おめでとう」って言葉を送った事がありませんでした。
(決して表現できる言葉ではありませんでしたので・・・)

でも、今回だけは言わせていただきます。

という内容だった。


確かに・・・


大偉の出来事があまりにも大きかったから・・・


だいいの事も家の事。

N-nhaの事も家の事。


N-nhaへの「おめでとう」の言葉

嬉しかったです。

ありがとうございます。



21の夕方には、N-nhaからのメール

「今日、スーパーマリオブラザーズ3D」買ってこれる?

綾瀬はるかがCMでやってるやつだ・・・


有楽町Bicカメラに寄って買って帰った。

N-nha・・・「お誕生日、高校合格おめでとう!」と言いながら手渡した。

高校合格より、スーパーマリオブラザーズ3Dを買ってきてもっらほうが嬉しいみたい。


まぁ、いっかぁ。




2012年2月23日木曜日

23日(木)雨のち晴れ・・・もうちょっとかな


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


9:30am・・・・松戸区検にいた。


遺族から請求できる、最後に綴じられている確定記録資料のコピーをするため・・・。


朝から雨。


途中からは、雨足が強くなってきた。


コピーが終わり、確定記録の写真をデジカメに撮った。



相手方のトラックの検証写真。

車体回り全体や、下回りまで・・・もの凄い検証を証拠として写真におさめている。


大偉の当時着ていた写真を指している。

どんな気持ちで、見ていたのでしょうか?

迷惑極まりない・・・なんで俺が?

ふざけんじゃねぇ~よ

とでも思っていたのでしょうか?


前回来たのが、2月2日・・・大偉の8回目の月命日の日。


写真をデジカメの撮りながら・・・撮ってる私を見ている、もう一人の私。

何をしているんだろう?


だいいの写真を撮りながら・・・馬鹿みたい。

こんな事をしてどうなるんだよ・・・

誰にも見せられない写真。

誰にも見せる事のできない写真。

家内にも・・・。


こんな事・・・もし私がいなかったら家内がするのかと思うと

絶対にさせるわけにはいかないなぁ~とあらためて思うよ。


大偉のお友達を思いながら・・・こんな事には絶対にならないでほしいと願う。


6月3日・・・千葉大から帰ってはきたが、目の前にある写真を見ながら

こんな事までしないとわからないんだというよりも、ここまでするのかと思うほうが

あたってるんだよ。

ありとあらゆるところ、ことまで調べるんだよ。

絶対になっちゃダメだよ。

こんな思いをさせたくないと、心から思う。




今日だけで313枚の写真。

バッテリーが切れて終わっていないまま帰る事になった。

まだまだ写真をおさめるために出向かなきゃ・・・。


帰り道はR6からR16経由で帰った。

どなたか、来てくれたんですね。

缶コーヒーが手向けてあった。

ありがとう。



だいいっ。

まだまだ決着するには時間はかかるけど、お父っが納得いくまでするからね。

もしかしたら、悲しませる事になるかも知れないけど・・・



H-rkaさん。

いつもお手紙ありがとうございます。


2012年2月22日水曜日

22日(水)晴れ・・・どうしてこの学校?


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


最後に・・・

お父さんに聞きますね



・・・うっ、やばっ。




「なぜこの学校を選んだのですか?」・・・他にも行ける学校があると思うし、

部活も今までしてきて、この学校にはないですが・・・


確かに、部活の事は考えた。

私も高校まで野球を続けていたから・・・


その事は、少しだけ話したかな・・・。



違う高校も探した。

見学にも一緒に行った。


・・・でも、CTSが大偉には合っているかな?

どうかな?


色々と悩んだ結果だった。


面接では、小さい頃から「車」が好きだった子供の頃の思い出話を含め話をした。

また、学費についても聞かれたが、決して安くはない金額だが高校・大学と

進み一級整備士、車体整備士になるために技術を私達は買うので高くはないと

話した記憶がある。

後、何を話したかな?

大偉の面接以上に、私が話した記憶がある。



校長先生は、ニコニコしながら話しを聞いていた。


先生からは、いろいろな子がくるから、大偉は、自分が楽しんで勉強をしてほしいと

言われて「はい」と返事をしていた。


不安と希望とを抱きながら入学し、たった1年と2ヶ月も満たないうちに

将来の夢を持って出かけちゃった。


きっと、旅先で夢の続きをしている事でしょう。


N-nhaも将来の夢を叶えるため、自分で探し見学にも家内を連れて何回も

出かけた。


N-nhaは、ここで夢を叶えて・・・




2012年2月21日火曜日

21日(火)晴れ・・・おめでとう!


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


11:49am

携帯メールのマナーモードがなった。


N-nhaから。


公立 受かったよ!


ただ、これだけのメール。


胸が高鳴った・・・よかったぁ~。


受験生なのに、ちっとも受験生らしくない。


ほんとにひやひやもんだよ。


この度胸・・・誰に似たのか?


きっと、私ではない。



それにしても良かった。


将来の夢へ・・・スタートラインにたった。


決して、テキパキするタイプではないので・・・ゆっくりでもいいから歩んでいってほしい。



大偉は、2月頃だっけ?

一緒に面接に行ったよね。

終わった後・・・緊張したぁ~なんて言っていたけど、

お父っから見て、そんな事まったく感じられなかったよ。


大偉っ、みるちゃん。

N-nhaの事、応援してね。

2012年2月20日月曜日

20日(月)晴れ・・・畜生

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


帰りの電車・・・


大偉の顔を思い出していた。

大偉の声を思い出していた。



それでも、最後に浮かんでくるのは・・・・


搬送先で、寝ている大偉の顔。


柏警察署の安置所で寝ている大偉の顔。


夜遅くに駆け付けて、泣きじゃくる親父の顔。


ほんとうに、畜生っと大声を出したいくらい辛く、切ない。


自転車置場・・・

今、まだたくさんのやらなければならない事を残して、家内やN-nhaを

置いていくわけにはいかないなぁ~。


民事の事も・・・

お墓の事も・・・

まだまだ、何も終わっちゃいない。

何も決着できていない。


N-nhaの成長も見ていたいし、花嫁姿も見たいし・・・孫も。



夜のニュースでは、山口母子殺害事件の判決が下された。


極刑・・・



13年間と長く、辛い日々だったと思う・・・私には想像できないくらい。


それでも、遺族は乗り越えていかなければならいという言葉が印象的だった。


死刑囚とともに13年間を歩んできた。


言葉には言い表せない苦悩の日々だったでしょう。


日々の生活では・・・

過去の楽しい思い出

現在の苦悩

未来は、ともに歩む家族がいない苦しみ・・・。





たった今、そこにいた家族を旅立たせてしまった悲しみは量りしれない。

残された遺族も・・・「なぜ、あの時?」と悔やむばかり。


なんの前触れもなく、突然に幕が下りる。

なんの予告もなく・・・



それでも遺族は、残された家族、旅ださせてしまった家族、加害者を思い、

生き続けなければならない。






「そんな事を言うなよ・・・」

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/546564/


そうだよね・・・

早く忘れたいと思うのはわかるよ・・・・当事者じゃないんだから。




でもね、遺族は、もっと辛いんだよ・・・・


2012年2月19日日曜日

19日(日)晴れ・・・同じような


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日の夜・・・ブログを書きながら、耳を疑うようなニュースが飛び込んできた。


バイク転倒・・・後続車にはねられ死亡。

まだ、19歳・・・言葉にならない。


朝起きて、聞き逃していたので、Yahooニュースを検索して確認した。




ひき逃げ:バイクの私大生、はねられ死亡 乗用車逃走--台場 /東京

毎日新聞 2月19日(日)10時48分配信
18日午後1時10分ごろ、港区台場1のレインボーブリッジで、250CCバイクが転倒し、運転していた埼玉県川口市元郷3、私立大1年、高橋昇之(のりゆき)さん(19)が後方から来た乗用車にはねられた。高橋さんは頭などを強く打って間もなく死亡が確認された。車はそのまま逃走し、東京湾岸署がひき逃げ事件として捜査している。同署によると、高橋さんは、一緒に走っていた親戚のバイクが転倒したのに巻き込まれて転倒。直後に車にはねられたという。【小泉大士】

亡くなった方のご家族も、一緒に走っていた親戚の方も辛いな。

「行って来ま~す」と言って出かけたんだろうな。

それが、最後になる。


家の中でも、事故はあるんだけど・・・

自分の知らない場所で・・・

すぐに駆けつける事もできず・・・


ただただ、間違いであってほしいと祈るばかり。


一周忌を迎える今年・・・同じような事故が起きるとは。



大偉も、じいじからもらった、長靴を履いて学校に向かった。

普通に勉強して、

友達とおしゃべりして、

「じゃ、また明日な」と別れ・・・・


その1時間も満たない間の出来事。

最悪だよ。







必ず、犯人は捕まる。


日本の警察をあまく見るなよ・・・。

2012年2月18日土曜日

18日(土)晴れ・・・もう無理


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕方から、新三郷のCostcoに出かけた。


大偉も好きな場所で、出かける時はほとんど一緒に行ってた。


夜は、「鍋ぞう」で食事をした。


しゃぶしゃぶ味と、キムチ味を注文した。

お腹が痛くなるほど、さんざん食べた。


味は4種類あるんだけど・・・


大偉だったら、絶対に塩とんこつを選ぶよねぇ~なんて言いながら食べた。


最後の、注文もどうにかこうにか食べたんだけど、


大偉がいたら、


「大偉!食べてよ」


「えっ?もう無理」


なんてやり取りをしながら食べていたんだろうなと思った。


帰りは、ショッピング街が閉店のため、外を歩いて帰ったが、家の車だけが


Costcoの駐車場に残されていた。


ちょ~お腹がいっぱいのと、ちょ~寒かった。




K-jma君から、スキーに行った写真が送られてきた。

いつも大偉と一緒にいた仲間ですと・・・


N-nhaが中二の冬にスキーに行った話しを聞いて、俺も行きたいなぁ~と言いながら

学校のスキーを楽しみにしていたよね。

行きたかったろうなぁ~。


ちゃんと、覚えてくれていたんですね。

写真ありがとうね。

どこのスキー場だろうか?






2012年2月17日金曜日

17日(金)曇り、晴れ、雪・・・申し訳ない


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


急に両親の顔が浮かび、涙を抑える事ができなかった。



友達の事や・・・

たくさんの方を悲しい思いや、辛い思いをさせてしまい本当に申し訳ない。



私と同じように・・・もしかしたら苦しんでいる方もいるかもしれないなぁ~、なんて

思ったりもした。



もう少し、教えられたら良かった。


私が、私のこれまでの経験を、少しも大偉に生かせる事ができなかった。


生かせられなかった。


本当に、親として失格だな。



だいい。

ごめんね。


もっと、ちゃんと伝えておけばよかったね。


2012年2月16日木曜日

16日(木)曇り・・・つながり

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


もし、すべての人が、

「相手を思う気持ち」を今まで以上に持てたら。

もう少しだけでいいから、持っていたなら・・・


大偉は決して、置き去りにされなかったでしょう。




平成16年に子供達と一緒に合気道をはじめた。

「つながり」

稽古を重ねるうちに、これが「つながり」なのかな?と思った。


それは、自分一人ではできない。

相手がいてもできない。


・・・相手を思う気持ちがなければ、「つながり」は生まれてこない。


ただ、ただ無心で相手と気持ちを合わせる事ができたときに感じる。


別に、合気道をしている時だけはない。


普段の生活の中でもつながりを感じる。


親子のつながり・・・

兄妹のつながり・・・

友達とのつながり・・・

恋人とのつながり・・・

会社関係のつながり・・・


ブログを見てメールを下さる方からのつながり・・・


だいいを旅出させてしまった私達の悲しみを取り除く事はできない・・・

ただ、悲しみを共有し寄り添う事はできる。


確かに・・・その通りだなぁ。





別に、悲しい話だけではなく普段からでも相手とお話ししていると、

今、この人とつながって話してしるのか、いないのか・・・

同じ話しをしているが、気持ちは違うところにあるなぁ~・・・など、すぐにわかる。

私も気をつけないと・・・


大偉の友達や、

顔も見た事がない方・・・

うる覚えで、たぶんわからない方・・・。

だけど、こうしてメールを下さり返信しながらお互いの気持ちや、考えを

感情のないPCで返信をするんだけど・・・・


相手の気持ちは伝わってくるんだよね。


精一杯の優しい言葉で・・・

精一杯の心遣いの言葉で・・・


これが・・・「つながり」なんだと思う。


人とお話しをしている時の言葉使いや、声の高さ、速さ・・・色々と繫がると

波長があってくる。

上手く説明できないけど・・・。



大偉の旅立ちで、多くの方とつながりを持つ事ができた。

このつながりは・・・

良かったの?

悪かったの?・・・わからないが、


大偉が最後に残していってくれた。




浦安で稽古をしているS-naoさんからのメール。

一昨年の勝浦合宿で知り合ったが、たぶん顔はわからない。



だけど、大偉を通じて


つながりを持てた。


つながり・・・とても不思議な言葉。


2012年2月15日水曜日

15日(水)曇り・・・男の子たち


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝の東武野田線・・・


瞼を閉じると、R-maとS-goが出てきた。


柔道場で、だいいと稽古前の鬼ごっこをしながら駆けずり回っている姿。


みんなここから巣立っていったんだな。


懐かしいなぁ~。


また、いつか会った時はお互いにハニカミながらしゃべったりするのかな?


昔と変わらない姿で、お話しするんだろうね。


ただ、瞼を閉じているだけでも、涙がでてくる。


一生お付合いできる仲間だったと思うが、本当に残念です。


私より、一番残念と思っているのは・・・大偉だよね。





大偉っ!

今日ね、龍の方からブログを見てメールがきたよ。

大偉には、会った事がないんだけど、そういう方からもメールが届いて嬉しかったよ。

一昨年の勝浦合宿で、ちょっとだけお話ししたみたいなんだけど・・・

顔を見ればわかるんだけどね・・・。


お父っは・・・

いつものように、食事のあと部屋で、I-ue先生と3:00amくらいまで飲んでいたよ。

他にもたくさんいたけど・・・最後はお父っとI-ue先生だったよ。


だいいも勝浦合宿に連れていく予定だったんだけど、バイトが入っちゃって行けなかったね。


旅先でも稽古していますか?

歳のせいなのか?最近、寒さに勝つことが・・・ちょっとだけ辛い時があるんだけど

頑張って通ってるよ。


そっちでも、上手くいかない事があっても腐ったらダメだよ。


この前電車の中で・・・偉人の言葉が紹介されていたよ。

「今日なし得る事に全力を尽くせ そうすれば明日は格段の進歩があるでしょう」


毎日、毎日・・・

もがきながらでも頑張っていこうね。

もがいている事は、決して恥ずかしい事ではないよ。

成長している証だから。


順調に行く事が一番いいかもしれないけど、失敗の多さが人を一回りも二回りも

大きくさせるんだからね。

たくさん失敗しなさい。

失敗は決して恥ではない。


そして次のスタートに生かせれば一番よい。


じゃ、また明日ね!


2012年2月14日火曜日

14日(火)曇りのち雨・・・声

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


家に着いたのは・・・何時ごろだったかな?


9:30pmをすぎていたかな・・・。


昨日、日本興亜損保から手紙が届いていた。


書類審査要綱について・・・。




まだ、全部記録をコピーし読んだわけではないが断片的に読んだ箇所だけを話し、

今回の審査要綱と・・・家内に説明した。


記録・・・


どうする?


読む・・・?



どんな事が書いてあるのか?どんな写真が記録としてあるのか?と話しながら


「大偉はあんな顔をしていたかなぁ~・・・」との言葉に


涙を浮かべていた。


やっぱり話さなきゃよかったと・・・。


でも、一緒に乗り越えていかなければならないからさ。


春くらいまでには、結果がでるのかな?


その後は、最後の山場をどうするのか?

どうしたら最善なのか?

まだ決めてはいないが・・・最後までという気持ちはある。





一昨年の夏休み明けだったな。

大偉の声が残っていた。

悩んでいた時期だった。


一番新しい・・・残された声の中では。


懐かしかった。


大偉の声。


こんな話し方だったな。


こんな形でないと、大偉の声が聞けなくなるなんて、夢にも思っていなかったよ。


きっと、旅先でもみるちゃんと


変わらないしゃべり方で、

変わらない声で、


しゃべっているんだろうね。


お父っも仲間に入れてよ!


ねぇ、だいい。


2012年2月13日月曜日

13日(月)曇り・・・どう見えているの?


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


いつの頃からか、事故現場前に緑の建物が建っている。

上り車線からは、事故現場のお花は見えない。

下り車線はというと、信号待ちで待っている時に見えるかな。

ここで、交通事故が起きた事なんて・・・みんな知らない。




R16・・・ここを通って。

あなたは、何を思いますか?

あなたは、何を感じますか?


ここに手向けてある、お花や、お菓子、ジュースを見て・・・?




トラックを運転していたあなた・・・

助手席に乗っていたあなた・・・


あのトラックであれば、今でも十分見えるでしょう。




息子は、旅に出ていませんが私達家族の心の中にはいつもおります・・・


あなたの顔を見た時・・・・怒りを通り越しましたよ。


この人かってね。




人の行動や、仕草って顔にでるんだよ。


たいがい、街中を歩いていても、電車に乗っていても

「えっ!」

と思う人って、後からその顔をみると



「あぁ~、・・・」


「やっぱりね。 そんな顔しているよ」と思う。



あなたの「えっ!」と思わせる行動は、取り返しがつかないんです。



毎日、毎日・・・受入れる事ができず


出ることも、返信もない大偉への電話・・・

返信される事のない手紙を書いたり・・・

直接、わたす事のできないプレゼント

・・・チョコレート。


色々な思いを届ける事ができなくなってしまった。


メールをいただいた中には・・・


こういう思いを思っているのは私だけではないと・・・。






人それぞれの心に中にいる大偉との思い出を・・・

辛く、切なく、苦しい思い出に変えてしまい。


私は、あなたを決して忘れませんよ。





H-rkaさん、今日も寒かったでしょう?

わざわざ、大偉に渡しに来てくれてありがとうね。



大偉っ!

見えているよね。


2012年2月12日日曜日

12日(日)晴れ・・・どう思うかは


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


4:15pm

この寒い中・・・来たの?



先週は、風邪をひいちゃったので、事故現場に行くことができなっかたから、

お花を手向けに出かけた。


ポストを覗くと、手紙が入っていた。


エンジンを温めながら・・・外に書いてある文書を読んだ。


Homacにお花を買いに行き、色々とこの文章の意味など考えていた。


BAY-FMから流れる「いきものがかり」の曲


おもいれはないが、単語が入ってくる度に、大偉を思い出し泣けてきた。




もしかしたら・・・私もそう思われているかもしれないなと思った。


大偉を旅ださせてから、すぐにブログを立ち上げた。


公開はしたが、合気道のブログにリンクするか・・・少しだけ悩んだ。


私的な事だから・・・。


しかも、みんな大偉の事を小さい頃から見ているし、逆に辛い思いをさせてしまうかな?


こんな事を書いて読むほうは・・・・


と色々と思った。



でも、田中大偉という男が、この道場で育ってきた事を「証」として残したかった。


私は、どう思われてもいい。


もしかしたら、毎日色んな事を感じたままに、思ったままに書いているけど


「また、同じ事を書いているよ」

「また、泣いているのかよ」


読んでいる方達の中には、うんざりしている人もいるかも知れない。

もしかしたら・・・馬鹿じゃないの?

と思っている人もいるかも知れない。



でもね、田中大偉を通して知り合った私の大切な方々には、

決して、馬鹿にしている人なんていなんだよね。


このまま、合気道を続けられるかな?

辞めようかなとも考えた事があった。


大偉を旅出させてから、お通夜、告別式のお礼を言うため久々に道場を伺ったとき、

仲間は、温かく迎えてくれた。


言葉をかけてくれる方、言葉はなくても顔を見ればその人の気持ちはわかる。


復帰するまで、みんなが力を合わせて待っていてくれた。

膝が悪いのに、毎週手伝いに来てくれた。

大偉と稽古をしようと、家族で吹上から会いに来てくれた。

大偉の写真と演武大会の動画を探して持って来てくれた



「会長が戻ってきてくれてよかった。」

「もしかしたら、戻ってこないんじゃないかもと思っていました・・・」

「私は、その姿を見てうれしく思います」とM-sroさんが言った。


みんな私の大切な方々であり、いつか恩返しする事ができたらなぁと思います。



人それぞれ感じ方は違うので、何とも言えませんが・・・

無理に自分を抑えなくても良いと思うし、

無理に相手にわかってもらえなくてもいい。

中々、自分の気持ちを正直に話せる相手なんてみつからないよ。

でもね、そういう人が・・・

きっと、いつか目の前に出てくるんだよね。


私が、そうだったから。



ドラマで刑事役の菊川 怜が悪者をやっつけている姿を見ていたN-nhaが、

お母さん・・・あれ!なんて言うの?

合気道の技だったかわからないが、それを合気道だと言い

お母さんが小さかったら、「合気道」を習いたかったなぁ~なんて言ったもんだから

N-nhaはすっかり、その気になった。



私は・・・

N-nhaが大切な方々を招いてくれたんだと思う。(もしかしたら家内かもね)

そして、体験しているN-nhaと私も「やろうかな?」の一言に、

「じゃ、お父さんがやるなら、俺もやる」と大偉が言った。

もし、合気道をしていなかったら、私は大切な方々とはめぐり合う事はなかったと思う。

A-ndo師範からは、感謝しなきゃねと言われた事がある。


そうなると・・・家内と結婚していなければ、めぐり合えなかった。





あなたの事を、心配している人がいるから・・・。

あなたの事を、側で見てくれている人がいるから・・・。

その人を大切に・・・



あなたを馬鹿にする人は・・・目の色が深くないんだと思えばいい。




尊敬している、M-hshi先生のブログに書いてあった。

以下、相田みつをさんの「いのちの根」という詩です。

なみだをこらえて
かなしみにたえるとき
ぐちをいわずに
くるしみにたえるとき
いいわけをしないで
だまって批判にたえるとき
いかりをおさえて
じっと屈辱にたえるとき
あなたの眼のいろが
ふかくなり
いのちの根が
ふかくなる


なかなかできないけど・・・。


私も、もう泣かないと一度は決めたが・・・あるときから自然にいようと思った。

泣きたい時は、思いっきり泣いて。

自然に・・・ありのままに。


みっともなくてもいい。


どう思うかは・・・自分の心が決める。


ちょっとしたお願い

事故現場へわざわざ足を運んでお花を手向けたり、

食べ物、飲み物を手向けて下さり、本当にありがとうございます。



実は、ちょっとしたお願いがあります。

飲み物や、食べ物ですがその場でなくても結構ですが

供養のため、だいいと一緒に、飲んだり食べたりして・・・笑いながらお話しして

あまった物は持ち帰っていただけませんでしょうか?




来ていただいているのに申し訳ございませんが、私達も事故現場へ

毎週行けませんので、どうかよろしくお願いします。


2012年2月11日土曜日

11日(土)晴れ・・・だだっ子


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


人間ドックのあと、柏税務署に向かう途中・・・柏駅の高島屋側。


床に寝そべって泣きじゃくりながら、お母さんを困らせている男の子。

その横に、ベビーカーに乗っている赤ちゃん。


・・・・だいいは、だだっ子になる事はなかったけど。


今まで一回だけあるんだよな。



N-nhaもまだベビーカーに乗っているころ、ディズニーランドに遊びに出かけた。


だいいは2回目くらいかな?


チケットを買って入ってすぐ。


何が気に入らなかったのか・・・


「もう、帰りたい」、「もう、帰る」の言葉を連発。


今、入ったばかりなのに・・・。


家内とようやくなだめ、その後は機嫌よく遊んだがビックリした。


だだっ子というのは、この1回だけだった。


何が、機嫌を損ねたのか未だにわからないが・・・


出かけていても、色々な光景がだいいを思い出させる事が多い。


・・・・そう感じながら歩いている。


・・・・そう感じてしまう。


いつも、思いながら。


・・・・自然に。


小さい子の手を引いて歩いている家族を見てたりすると・・・



そうなっちゃうよな。


我が子を旅出させてしまった、親としては・・・。


大偉とみるちゃんは、どこで見ているのかな?

たまには、思い出してくれているのかな?


2012年2月10日金曜日

10日(金)晴れ・・・ジュニア合気道


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


だいいっ!

明日は、ジュニア合気道だよ。


野田からも、二ツ塚からも大偉と一緒に稽古した子供達が参加するよ。


第1回大会・・・8年前。


大偉もN-nhaと一緒に参加したよね。

野田からもたくさんの子供達が・・・Y-m2もね。

なんか懐かしいよね。

今年春は、高校を卒業するもんね。


みんな大きくなったんだね。


大会準備をしているお父っの側ににて・・・自分の書いてある組合せを確認したあと


「俺、頑張るからさ」


と言った言葉を思い出すよ。



当時は、青帯。



子供達の間隔が少し狭かったのかな?


大偉が回転した時に足が、ひっかかりちょっとバランスが崩れた感じがした。


1回戦を突破できなかった・・・。


悔しかったろうに。



でも、その数年後のあなたの道衣姿は立派なもんだった。


あなたの体位の変更(一)はお父っが見た中で一番上手だよ。

バランスがよく、しなやかで・・・いつも見とれて見ていた。

旅先でも、しっかり稽古しているんだろうね。


明日は、子供達が元気に大会に望めるように見守っててよね。




2012年2月9日木曜日

9日(木)晴れ・・・看取るって?


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


人間ドック・・・昨年は3.11の影響で野田線がストップして梅郷駅から検診

センターに電話し日をあらためたなぁ~。


今日は、8:30からドック開始。


胸部レントゲンの後、採決・・・。


右手を出し、4本くらいかな?


血液が容器に入っていく様子を見ながら、


やっぱり、大偉を思い出していた。


路上に倒れ、止め処なく溢れ出ていく・・・だいいの血。


誰も、止める事が出来ず流れ出ていく。





11:00ちょっと前に終わり、お昼のサービス。

特に何も考えていなかったんだけど・・・「看取る」ってどういう事?


看取る側と、看取られる側。

お互いにたくさんの楽しかった事、辛かった事、喧嘩した事・・・



赤ちゃんの頃・・・。

入園式・・・。


小学生、中学、高校・・・入学式、卒業式などなど。

友達との思い出。

学校の思い出。

家族との思い出。

おじいちゃん、おばぁちゃんとの思い出。

数え切れないほどの思い出を、思い出すのだろう。


「ごめんね」の一言が言えず、最後まで後悔する事もあるかも知れない。


でも、最後は・・・・




今までありがとう・・・って。





子供が・・・親を看取る


親が・・・子を看取る



いつまでも


いつまでも


忘れないでいようと・・・・。





私は・・・結婚してから七人の身内を失っている。



北海道のおばぁちゃん。
小学校のいつだろう?五年生くらいかな最後に北海道に遊びに行ったのは・・・
そのおばぁちゃんが、冬の玄関先で躓き倒れ、起き上がる事もできず、
肺炎で旅だった。
何度か、親父とお袋が車で北海道まで行ったんだけど、大丈夫だろうと帰った
矢先、容態が急変した。
私は、会社に出勤していたが、その話しを聞いた女子社員が、旅行代理店に
知合いがいるからとすぐに函館行にチケットを手配してくれた。
田舎は、先にお骨にしてしまうので、最後の顔を見る事ができなかった。


長岡のおばぁちゃん。
だいいが生まれて半年。
はじめて、家内の両親に連れられて長岡に遊びにいった。
みんなとても優しく迎えてくれた事を、昨日ように覚えている。
笑って、おばぁちゃんに抱っこされてみんなでとった写真がある。 

松戸のおばぁちゃん。
だいいの車好きを知っていつも遊びに行くと、買って待っていた。
すぐに箱から空けて、手で押さえながら行ったり、来たりと楽しそうに遊んでいた。
いつもニコニコしてたおばぁちゃんだった。
お見舞いにも行ったが、帰る時の言葉が見つからなかった事を覚えている。
それが・・・最後だったな。
出勤時、会社の最寄駅を出たところで携帯の電話が鳴った・・・。

ひーちゃん。
ものしずかな人だった。
車が大好きで、だいいも何度か乗せてもらったんじゃないかな?
新築祝いに来てくれて、だいいと庭で遊んでいる姿を思い出す。
ビデオに残っている。

そして・・・

あった事のない弟。
生まれてから旅だった。

生きていれば・・・いい男になっていた事だろう。

どんな顔をしていたのかな?




みるちゃん
2000年に生まれて・・・私達の家族になった。
私達と一緒に、だいいとN-nhaの成長を見て育った。
庭を走り回ったり、散歩に出かけたり、旅行したり・・・いつも一緒だった。
楽しい時も、悲しい時も、いつも側にいてくれた。

帰りが遅くなっても、こたつの中から出てきて挨拶したらまた戻ってたよね。

だいいとN-nhaの可愛い弟だった。


だいい。
生まれた時から・・・たくさんの人にめぐり会い、優しくし可愛がられていた。
学校でも、学校以外でも・・・
あなたとの一緒に歩んできた16年は色々な事があったね。
はっきり言えるのは、とても優しい子だったこと。
だいい、N-nha、みるちゃんとの思いで・・・。
写真を見ながら、いつも思い出しているよ。


みんな・・・だいいとみるちゃんの側にいるよ。

寒い日が続くけど・・・もう少し、もうそこまで


春が来ているからさ・・・。

2012年2月8日水曜日

8日(水)くもり ・・・引きずる


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今朝は、歯医者に寄ってから会社に向かった。

梅郷駅・・・10:50くらいかな?

無茶苦茶、電車が空いている。


座りながら・・・気持ちは昨日の状態を引きずったまま。


楽しかった思い出を思い出して・・・とは思うんだけど。


頭に浮かぶのは・・・


頭を過ぎるのは・・・


旅に出た、大偉の顔ばかり。




夜・・・pm7:00くらいかな?

ちょっとだけ雪が降ってきた。



昨年・・・ある時期から、もう泣かないと決めたが、すぐにダメで、今まで経ってる。


まだしばらくかかりそうだな。

2012年2月7日火曜日

7日(火)雨のちくもり ・・・大切な方々


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


am8:00前に会社に着いた。

朝、雨が降っていたので駅まで車で送ってもらった。


毎週火曜日は、朝会議・・・ちょ~眠い。



お昼・・・

あまりの眠たさに、商品を出荷する作業場で眠ろうと椅子を持っていき瞼を閉じた。


閉じた瞬間・・・だいいの顔が出てきた。


しかも、事故した時の顔。


松戸区検で見た書類に載っていた写真の顔。


飛び起きて・・・


眠る事ができず、そのまま自分の席に戻った。


T-mkaさんからいただいたメールを読見返していた。

みんな大偉の事を思っているんだと思うと、嬉しい気持ちにもなり

惜しい男を旅に出してしまい、残念な気持ちにもなり・・・。



残業時間・・・

仕事もようやくひと段落したpm8:00過ぎ。


ブログを探し・・・大偉への思いを私宛のgmailアドレスに送っていただいたメールを

読み返していた。


事務所の机は目の前に座っている人とは、つい立があるのでちょっと背伸びを

しないと顔を見る事はできないんだけど、うつむき、手で顔を隠しながら溢れて

くる涙を堪えながら・・・読んでいた。


帰りの電車の中では、棺に入っている大偉に、会いに集まってくる両親や兄妹の顔、

その時の状況、メールなどを見ながら思い出していた。


こんな事が起きなかったら・・・・いつも通り家族で暮らしているんだと。


みるちゃんと一緒に旅に出てしまった大偉。


大偉の側で、楽しんだり、悩んだり、悲しんだりは直接できなし・・・私達が道標と

して直接相談はできないけど・・・・・


旅先では、私達の・・・先に旅立った方々が、きっと大偉とみるちゃんの道標と

なるから心配はいらないよ。


旅先でも、楽しい事、悲しい事、悔しい事・・・いっぱい色んな事があると思うけど

その時は、自分達で悩まないで相談してよね。




大偉は、みんなからこんなにも思われていた事知ってる?

旅に出てから、そういったメールを受けて、お父っは、物凄く嬉しく思うよ。

大偉の学校生活は、ほとんど知らないから関わった方からのメールは嬉しいい、

こんな事、あんな事、小さな事でも、関わった出来事を知らされると・・・

大偉を近くに感じられるよ。


あれから私たち家族を・・・支えてくれている、両親。

兄弟・・・

親戚の方々。

合気道と通じて支えてくれている方々。

大偉の友達の方々。

たくさんの方々から、崩れ落ちそうになる私達家族を支えてくれている。


これも大偉の人柄なんだよな・・・。


大偉を通じて私達家族には、こんなにもたくさんの方々から支えられていると

思うと、感謝してもしきれない気持ちでいっぱいです。



大偉とみるちゃんは、旅をしている真っ只中だけど、きっとこの想いは

届いていると思う。


pm10:30過ぎ・・・ようやく梅郷駅。

帰りは裏から歩いて帰った。

何だか、涙が止まらず拭っても、拭っても溢れ出てきて、家の前まで泣きながら

帰る始末・・・


pm11:00

ポストには、H-rkaさんから手紙が入っていた。

内容は見ていないのでわからないけど。

外に書いてある文面から・・・苦しんでいるの?

何もしてあげられなくて、ごめんなさいね。

いつもありがとう・・・。


大偉っ。

いろんな人が、大偉にみんな会いたがってる。

声を聞きたがってる。


一人ひとり関わり方が違うから・・・

その場面の想い出が、こうして心の中で生き続けているんだね。



・・・


ほんとうに無念でならない。

2012年2月6日月曜日

6日(月)曇りのち雨 ・・・ムカムカ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、朝からムカムカしていた。


胸が痞えているムカムカでもなく、胸焼けしてムカムカでもなく・・・


もちろん、ムカついているムカムカでもない。



電車に飛び乗り、外を見ていながら・・・昨日の見た調書の事でムカムカしていた。


会社は、朝から長~い会議・・・。


その後は、先週やり残した山ほどある仕事を片付け・・・明日の会議資料作成。


朝、ムカムカしていることも会社を出るまでは忘れていた・・・


というより、思い出している暇がない。


トイレの行き帰りや、ちょっとした休憩に大偉の事を思い出す。



また行って早く終わらせないと・・・。


その後、どうするか?

どうしたらいいのか?

どれが正しいのか、正しくないのかわからないが、出来る限りの事はしようと思う。


このままでは、モヤモヤになってしまうから・・・


2012年2月5日日曜日

5日(日)晴れ ・・・ヘルメット


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


なんとなく・・・夢をみたのかな?

ハッキリとは覚えてはいないんだけど・・・。


上から見ていた。


数台のバイクが倒れていた。


その倒れているバイクのタンクの下に、紫色のヘルメットが転がっていた。


ヘルメットの位置が違うなぁ~?と思いながら・・・。


目が覚めた。


事故を起こしている感じではないが誰もいない。


どうしちゃったんだろう。


こんな夢・・・はじめて見た。




夕方に家内とN-nhaが買い物へ出かけた。


しばらくしてから、前回松戸区検に行きコピーしてきた資料をパンチしてファイルに閉じた。


供述調書・・・始めのほうを読んだ。


警察の方が私に説明した事故状況・・・


第1車線を走っている2台のバイクと第2車線を走っているトラックの状況。


今、目の前で読んでいる供述調書・・・。


左前方を走っているバイク2台を見ていた被疑者(当時)の供述と違う。




ほぼ、バイク2台を見ていた状況が正しいのかな・・・?



目の前にある供述調書を読んで、これから私はどのように弁護士に説明し、また

必要があればどのように検事にお話しをすればいいのか・・・。


今更、巻き込むのか?

大偉は、望んでいるのかな?



確定記録を請求する時には、判決が下されていたので、もしこの供述を先に見ていれば

もう少し違った観点から、状況を掘り下げる事はできたと思う。


どうしよう・・・。


全ての供述調書を読んだわけではないので、これから少しずつ読んで疑問な点は

検事・警察・・・弁護士に相談する。


家内には、今回の資料を読む?とか、まだ聞いていないが、これから先の事なので

やはり、読んでもらい二人の意見として戦う?・・・はっきりさせたいと思っている。

でもなぁ~、男親と母親は違うからな・・・


正直に言えば見せたくないし、見たくもないんじゃないかな。




大偉っ・・・。

どうしよう・・・。

お父っは、前から疑問というか納得がいかない点だったんだよ・・・。


今更とは思うんだけど、大偉はどう思う?


馬鹿で、自分が損をしているとわかっていても優しい子だからな。


でもね、こればっかりはお父っも辛いけど、はっきりさせなきゃいけないんじゃないかな?


読めば読むほど、辛くなるな。



追伸
R-seiさんからいただいたHappyBirthdayのプレゼントを2月3日に掲載しました。
実は、今日・・・先ほど、使い方を知りました。



2012年2月4日土曜日

4日(土)晴れ ・・・ダウン

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


久々の陽気な天気だったのに・・・今日は一日中寝ていた。


木曜日の午後から体調が悪く、金曜日も中々調子がでないまま風邪をひいてしまったみたい。


毎週楽しみにしている合気道も、今日はお休みした。


食事の時だけ起きて、後は寝て過ごした。


熱もなく、前日までの喉の痛みも今はないのでよかった。


体調が悪いときは、ゆっくり休むのが一番の薬みたい。



大偉もみるちゃんも風邪、ひいていないかな? 心配だな・・・。


二人とも、冬は強くないから・・・。


大偉は寒がりだし、

みるちゃんは、お腹をすぐに冷やすし・・・。


旅先での天気はどうですか?

仲良く、旅を続けていますか?


助け合って、お互いが、お互いを思いながら。


二人とも優しいし、そんな事をお父っが心配する必要はないね。


また、あした!


2012年2月3日金曜日

3日(金)晴れ ・・・N-nhaへ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


15歳。

お誕生日おめでとう!


大偉の妹として、生まれてきてから15年が経ちましたね。

あなたが生まれる前・・・あーちゃんが作ってくれた車のカルタで毎日遊んでいた大偉。

会社から帰ってくると、Sunnyに乗り、生まれたばかりのN-nhaに毎日、会いに行っては、

「かわいいね!」、「かわいいね!」と言ってたんだよ。

たった10分くらいの時間しか会えなかったんだけど・・・


今まで大きな病気もせず、すくすくと育ち、いつも一緒にいて、お兄ちゃんが好きだった。


そんなあなたが、友達のキックボードで遊んで足に何針も縫う大怪我をした時は

ビックリしたよ。


大偉と同じ、産婦人科で生まれ。

大偉と同じ、聖華幼稚園を卒園し。

大偉と同じ、南部小学校卒業し。

大偉と同じ、南部中に通っている。


朝、外出先へ向かう電車の中で大偉とN-nhaの小さい頃を思い出していた。


それから・・・昨年の事も。



大偉が5歳。N-nhaが3歳の暮れだったね。

みるるが家族になったのは。


二人に弟ができて、毎日賑やかだった。

みんなで、お水をかえたり、ご飯をあげたり、トイレを掃除したり。



そんな昨年・・・


可愛がっていた弟が先に旅に出て・・・

口喧嘩をしていながらも、仲が良かったお兄ちゃんが弟に続いて旅にでてしまって・・・。


N-nhaには、辛い思いをさせてしまったね。


6月3日・・・千葉大へ搬送する車を見えなくなるまで頑張ってと言っていた姿。

お通夜、告別式でお母さんの膝に泣き崩れていた姿。

それでも、最後のお別れをしたいと大偉に会って部屋をでていく友達に頭を下げている姿。

七七日忌法要で泣いていた姿。


今でも、忘れないよ。


あれから男の子二人の声は、心の中にしまったままになってしまったけど、

いまでも時々、こんな声をしていたなぁ~・・・こんな感じでしゃべっていたなぁ~と

思うんだけど、あまり言い過ぎると、


旅に出る前の日と旅に出た日を思い出させてしまうかな?

また、悲しいおもいをさせてしまうかな?と思ったりもしています。



N-nhaには、大偉とみるちゃんの分まで精一杯、自分の好きな道を歩んで行って

もらいたいと思っているし、そのためにできる事は応援してあげたいと思っている。


とにかく・・・


健康で、素直に。


自分が将来、やりたいなぁ~?できたらいいなと感じた事ができたんだから、

もう少し、あともう少し、ほんの少しでもいいから頑張っていこう。


後もう少しだから・・・



旅だった人は、必ず帰ってくるとI-ueさんが言ってたよ。

だから、帰ってきた時に胸を張って迎えられるようにしないとね。

大偉とみるちゃんの大好きな料理の一つでも作って、またみんなで食べようよ。



15歳・・・おめでとう。


N-nha、大好きだよ。

 

2012年2月2日木曜日

2日(木)晴れ ・・・代弁


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


有楽町のホームを東京よりから階段のある方へ歩いていた。

今日は、大偉の月命日だな。

結構、月命日に豊洲にある親会社に出向く事が多いなと感じていた。


am9:30から打合せを行い、午後からは松戸区検に出向いた。



残り、二束の資料のコピー。

途中から体調が悪くなり、一束だけコピーして残りは後日出向く事とした。



断片的ではあるけど、ちょっとだけ読んだり司法解剖の結果なども見た。


搬送先の病院で、刑事さんから司法解剖のお話しをしてきたとき、耳を疑った


司法解剖なんて考えてもいなかったし、私達家族には無縁の言葉だと思って

いたが・・・・。



結果報告を見て、しなければならない事だったとあらためて思った。

ブルドクター(TV)でも言っていたが、焼いたらおしまい。

わかる事もわからなくなる。


・・・こういう事なんだな。


旅立った人は、言葉で話す事はできないがこうする事ににより体の中で


何が原因だったのか?

何がおきていたのか?

事故状況と照らし合わせると繋がってくる。

これによって、旅立った人の代弁をしてくれる。


結果報告は、一部クリップに止まっていた。

思っていた以上の写真だった。


これがないと、だいいの事を代弁できなかったのだから仕方がないとは思うが・・・

ものすごく複雑な気持ちになる。


でも、これでよかったんだ。


だいいもがんばったんだと自分に言い聞かせた。




1日(水)晴れ ・・・あれ以来


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


無理しないで・・・なんとなく気がむいたらきなよ。


銀座で飲む誘いのメールだった。


大偉が旅に出てから、外で飲む事はしていなかった。


なんとなく・・・どうしようかな?と思ってはいたが、特に返信もしていなかった。


でも、飲むんだったら会社関係ではなく合気道関係の方と飲む事を決めていた。



R-seiさんから、S-miさんと、I-ueさんの三人で飲むよ・・・・。


このメールを見た時、素直に行きたいな。


はじめは、行く予定もしていなかったが、心が動いた。


前の晩、家内に明日お三方と飲んで来るけどいい?と聞いた。


いいよ。


大偉も、背中を押してくれた。


あれ以来、自分の殻に閉じこもっていた?

外で飲みたくなかった?

場の雰囲気を壊したくなかった?

色々と思う事があって、企画はするが自分は遠慮していた。



場所は・・・「銀座リトル沖縄」


R-seiさんとS-miさんがいた。

その後に私。

その後に、I-ueさん。


合気道の話しだったり、大偉や、N-nhaの話しだったり・・・。


S-goや、R-ma、W-knaちゃんの小さい頃の話しだったり。


結構食べて、飲んで・・・。



参加してよかった。



こうして会えたのも必然で、自分に必要だったんだぁ~と話しながら感じていた。


本当はいろいろと聞いてもらいたかったのかも知れない。


みんな、黙って受止めていた。



あっという間にお開き・・・pm10:00


その後、さらに1時間くらいI-ueさんと飲んで帰った。

たった1時間だったけど、色々な事を話した。

なんか救われた感じがした。


声をかけて誘ってくれた、R-seiさん。

お仕事で上京してきた、S-miさん。

最後までお付合いしていただいた、I-ueさん。


本当に、会えてよかったです。

ありがとうございました。


少しだけ、前に進めた気がした。


ゆっくりだけど・・・。


大偉っ!

みんなで、懐かしくお話ししたよ。

だいいも、横にいて見ていたんじゃないの?

たくさん、可愛がってもらって・・・

今も、みんなから思われよかったね。

お父っも、嬉しいよ。

今週は、ものすごく寒いから暖かい格好をしないとだよ。






昨年のBBQ、野田同好会忘年会、龍新年会と欠席してきたが、お花見には

参加しようと思った。

大偉とN-nhaを小さい時から見ていてくれた仲間がいるから・・・。