2012年6月30日土曜日

30日(土)晴れ・・・どこのCM?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


コナンの途中のCM・・・

どっかの企業のCMだと思うが、思いだせない。

カタカナだったんだけど。


語りが入っているCM。



語っている言葉は忘れてしまったけど、こんな内容だった。


・・・・・

一人ぼっちじゃない・・・・

生まれた時から、みんな同じ空気を吸っている・・・

そう考えれば、一人ぼっりなんて皆無・・・

・・・・・


上手に伝えられないけど・・・こんな感じの言葉が入っていたと思う。


細かく言えば同じ空気ではないけど、

元は同じ空気である。


この「一人ぼっちじゃない」という言葉・・・


この「全世界の人口が同じ空気を吸っている」と思えば


大きく考えれば、

小さくなることも、悲観する事もないと思うが。


このCMをみるまでは、こんな事思いもしなかった。




やっぱり、一番近い人が手をさしのべるのがいいんだよな。

その子に気づいてあげて・・・。

同じクラスで、たとえあまり話しをしていなかったとしても・・・。

本当はみんな、気が付いているんだよ。

気が付いているのに・・・



そんな人だけには、ならないようにと思う。

2012年6月29日金曜日

29日(金)晴れ・・・サマーレスキュー

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


TBSの1階ロビーで新ドラマの紹介TVを見ていた。

2000Mの診療所・・・サマーレスキューという新番組の紹介をしていた。


山では、滑落、高山病、落石などなど普段の生活ではなりえない事が起きる。


大偉と一緒に行った北アルプス奥穂高岳。


涸沢カールにてテント泊をして、朝起きるとヘリコプターが上空を旋回しながら奥穂高岳と前穂高岳のナイフブリッジでホバリングした後、目の前に降下してきた。


前日の夜、同じ位置から灯りが見えていた。


道を外れしまったのだろう・・・?


それにしても3000Mの稜線では危険行為だよ。
(仕方がなかったんだろうけど・・・)


それほど頻繁に山は危険ではないが、ルールを守らなかったりは絶対禁止。

今は、携帯も電波が届くが、それでも地上とは違うからね。


まっ、そういう危険もあるけど・・・


山の稜線から見る雲海は格別です。


実際に行って見た事がない方は、是非行ってみてはいかがでしょうか?


このサマーレスキューを見たら、夏休みに行きたくなってしまうかも。


大偉っ、また行こうよ!


2012年6月28日木曜日

28日(木)晴れ・・・これくらいかな?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


翌日も普通に仕事をして、夕方にE○Iに出かけた。

ちょっとした仕事をこなし、協力会社に電話したり、会社に電話したりと・・・


柏に着いたのは6:00PM前・・・

人がうじゃうじゃ。

真っ直ぐにはとてもじゃないけど歩けない。


梅郷の駅に着くと、高校生が降りた。

部活で真っ黒に日焼けした顔や、友達と楽しそうに会話をしている子・・・。


大偉は、もともとは肌が黒いわけではないんだけど、夏はやっぱり毎年真っ黒になるくらい日焼けをしていたな!

高校では部活はなかったけど・・・


今、夏に向かいどんな顔をしているのかな?

あれから1年・・・

また、ちょっと大人びた顔つきになったんじゃないかな?


2012年6月27日水曜日

27日(水)晴れ・・・Butterfly

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、暑い!

外を歩いていると、汗ばんでくるくらい。


行ってくるね!
もしかすと・・・徹夜になるかも。


徹夜なんかしたくないけど・・・もしかしてが本当に徹夜になってしまった。


歓送迎会があったが、当日になってキャンセルした。


夕方、私一人が会社・・・


6:30PMには、すでに一人・・・


こんなに早い時間から一人っていうのもちょっとキツイ。



いつものなか卵で夕食を食べた。


流れていた曲が木村カエラの「Butterfly」だった。




・・・「Butterfly 今日は今までの どんな時より 素晴らしい」


赤い糸で 結ばれていく 光の輪の中へ


「Butterfly今日は今までの どんな君より 美しい」

白い羽で はばたいてく 幸せと共に・・・


思い出しているよ 君とであったあのころ・・・


と曲が流れる。



結婚式の歌。



大偉と将来結婚するだろうお嫁さんを想像していた。


どんな人なんだろうか?


子供は・・・?


義兄の下の子を抱っこしている写真がある。


子供が本当にすきだったんだよな。


色々な楽しみがなくなっちゃったよ。


バカ野郎!



今、iPhoneで聴いている・・・28日7:00AM
木村カエラ Butterfly
http://www.youtube.com/watch?v=N0FMAHuG354




2012年6月26日火曜日

26日(火)晴れ・・・目を閉じると

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日もいつもと同じ時間・・・。


会社から浜松町駅までの間を、ふと目を閉じるというか、半開きというか・・・


大偉が出てくる・・・。


あの小雨の中・・・。


意識レベル300・・・。


大偉は、一瞬こんなふうに倒れていたんだと。


声をかけても。


体をゆすっても。


何をしても・・・返事がない。


大偉もきっと何が起きたかわからず、きっと上から自分の姿を見ていたんだと思う。


自分はいったいどうしたの?


なんで、倒れているの?

なんで、病院にいるの?

なんで、お父っもお母っも、いるの?


なんで?・・・

なんでと思っていたに違いない。


1年を過ぎた今でも、大偉がいないなんて思わないんだけど・・・


やっぱり、声が聞こえないとね。


遠くにいるより・・・



側にいてほしいよ。




2012年6月25日月曜日

25日(月)曇り・・・一緒に!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、急に肌寒くひんやり。

今週は締め作業があり、もの凄く忙しい・・・


いろんな事を考えている暇なんてない。


あ~ぁ、疲れた。


みるちゃんと大偉は・・・。


あなた達の写真を見ていると、何とも言えない不思議な気持ちになるよ。


あなた達のまわりの人達は良い人ですか?



大偉・・・。

H-shiが昇段審査を受ける事に決めたよ。

お父っが、大偉と一緒に受けを取る。

頑張ろうね!


2012年6月24日日曜日

24日(日)曇り・・・ツナギ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕方、みんなでお墓に向かった。

みるちゃんと大偉にご挨拶をしてから、用がありBasia行く道の途中の交差点でとまった。

左側にはTOYOTAのディーラーがある。


ちょうど横からの入り口前に停まった。


奥を見ると、TOYOTAの名前が入ったツナギを着た人が三人見えた。



来年は大学生。


早ければ、残りの高校生活を含めて三年後には社会人となる。


遅くても五年後・・・


大偉も、どこかに就職して今横で見ているようなツナギを着て油にまみれながら、いろいろな車を整備したりするんだろうな・・・。

先輩にたくさんの事を教わりながら・・・


楽しみにしていたんだよな。


スーツ姿よりも・・・縁の下の力持ちのツナギ姿を。


決して、前には出ない。

華やかでもない。

一番お客様に近い整備士。


きっと先輩にも、お客様にも可愛がってもらえると思うよ。


あたたのその笑顔は、みんなを引き付ける力がある。



旅先にも、車はあるのかね?



2012年6月23日土曜日

23日(土)曇り・・・目の前には

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


連日の寝不足もなんのその、稽古ではいい汗を流した。



午後からは、久しぶりに実家に遊びに出かけた。



夕食・・・いつも私の目の前に座っていたのが大偉だった。

みるちゃんは、自分のご飯をさっさと食べ終えて、膝に乗ってきたり、無理無理間から顔を出してテーブルに出されて物をクンクンと匂いを嗅いで、時には自分の食べ物も食べない事もあった。



今、食べながら二人の事を思い出していた。


二人の声は、直接聞けないのが・・・

聞こえないのが残念で、残念でならない。


二人で何をしているのかな?


旅先でも、みんなに囲まれながら楽しく食事をしていればいいなと思う。


2012年6月22日金曜日

22日(金)雨のち曇り・・・もうひと踏ん張り

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今夜もいつもと同じく遅い・・・あぁ~明日が待ち遠しいと思いながら仕事を続行。

21時ごろ。


あぁ~、もうやめ!

帰ろうと思い一旦は帰り支度をしたが、月曜日にする仕事の量と大体の時間を計算すると、やっぱり帰るわけには行かなかった。


もうひと踏ん張りと頑張り、いつも通りの帰宅。


自転車置き場に行き、自転車を探すと・・・ない!


自転車がない・・・。


捕られた!


歩きながら、家内にメール。




今朝は、車で送ったでしょ!



あちゃ~・・・・



駅まで戻り、結局駅まで迎えに来てもらった。



昨晩の夕食を思い出せない事には、ショックを受けないが


今回のはちょっと・・・ね。



そんなんで、明日の稽古はこの一週間のストレスを吐き出そうと、いつになく楽しみのある稽古。


大偉も行くぞ!

でも、明日は寝坊しそうだよ・・・

だって、2:30AMだもん。

2012年6月21日木曜日

21日(木)曇り時々雨・・・夢であいましょう


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



仕事で、連日の午前様・・・



遅い食事の後、ソファーで寝てしまった。


途中、あぁ~、ソファーで寝ちゃった、と思いながらもそのまま、目を覚まし布団に入る事もせず、朝になってしまった。


・・・


合気道の審査の夢を見た!・・・?




会場はいつもの中央武道館ではない・・・どこ?




なんとなく野田の清水公園体育館の武道場のようにも見える。


A藤師範が、私の前を通る時に挨拶をした。


本日の審査、よろしくお願いします。・・・と。


そこには、大偉もいた。



確かに大偉も、そこにいたんだけど、顔が見えない。

思い出せないんじゃなくて、顔がなかった。

暗くて見えないんじゃない。

黒かった。

顔だけが、影ぽかった。



旅立ってから、大偉に会っていない。

夢でも会えない。



ニゲラの花ことば・・・「夢であいましょう」

少しでもいいから会いたい。

大偉とみるちゃんに会いたい。



ニゲラの写真から家内が選んだ三枚の写真






2012年6月20日水曜日

20日(水)晴れ・・・届きもの


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



仕事に追われ、大偉を思う時間と言えば、電車の行き帰りと家でかな?

今、こうして大偉を背にして遅い食事をとっている。

ネットでは、大偉の事は報じられているのに、いまだに教材や、バイク屋からのハガキも届く。

しかも、交通安全協会からも・・・


家に届く度に、家内が大偉にいつもと変わりなく

渡すかのように大偉の前に置く。


大偉は旅先で、見ているのだろうか?

2012年6月19日火曜日

19日(火)曇りのち雨・・・ありがとう

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ここ最近の新聞には、14日、富山県で6歳未満の男の子が、初めて改正臓器移植法に基づく脳死を判定され、臓器提供をした。


その子の心臓移植手術を大阪大病院で受けた10歳未満の女児の両親が18日、大阪大病院を通じて


「『ありがとう』以外に言葉がみつからない



とコメントを発表した。



女児の術後は安定しているとの事。


また、富山県アイバンクは17日午前、金沢大病院で50歳男性に移植され、左目の角膜も別の医療機関に運ばれ手術日程なども調整中と書いてあった。


提供する側の両親の思い、提供を受けた側の両親の思い・・・


読んでて自然と涙が出てきた。


わが子への思いが伝わってくる。


臓器提供の有無についてはコメントしないが



提供する側と、される側の繋がりで・・・命のリレーがされる事は間違いないと思った。



大偉は、事件だったので臓器提供する事はなかった。


誰かを助ける事はなかったけど・・・


あなたは、今でも生き続けている。

これからも

これから先も、

ずっと大偉を思う人の心の中で生き続けてくれると信じている。



『 ありがとう 


これ以上の言葉も、これ以下の言葉もない。



今夜は、台風上陸のため暴風雨で大変だけど、みるちゃんの事を頼むよ。






2012年6月18日月曜日

18日(月)曇り・・・ふと

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕方・・・仕事にひと段落している自分の頭の中では、お水をかけ、お墓を洗い、みるちゃんと大偉に話しかけている私がいた。

頭の中では、上からそうしている自分を映しだしていた。


我に返った時・・・


こんな事、本当だったら大偉が私にする事じゃんと思いながら、切なくやりきれない思いになってしまった。



毎日、手を合わせお経をあげ・・・


時間があけばなるべくお墓に出向いている。


墓誌に掘られたみるちゃんと大偉の名前・・・


この蓋の奥にと思うと



なぜ?

どうして?


・・・・


色々と思う。


N-nhaは今でも、大偉の事を


お兄っ(おにい)と呼んでいる。

いつもだったら


あ”ぁっ~と


大偉から返事があるのに。

みるちゃんは、N-nhaに寄ってくるのに。


2012年6月17日日曜日

17日(日)晴れ・・・三人で!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨夜は、リビングでみるちゃんと大偉と一緒に寝た。

いつもは、和室なんだけど今日は二人の夢でも見れるかな?と思ったたが、会えなかった。

終末の徹夜のお蔭で、脳は起きていたんだけど、9:30AMまで寝てしまった。


何をする事もなく、夕方お墓参りに出かけた。


みなさんから手向けていただいたお花を1日でも長く咲いてもらいたくて、水を交換したり茎を洗ったりと・・・・。


今日は、じとっ~として暑かったね。

大偉、みるちゃん暑いでしょ?

また来るよ・・・。

2012年6月16日土曜日

16日(土)雨・・・久しぶりだね!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


4:00PM・・・梅郷駅のロータリーで待ち合せをした。


2:30PMにお墓について、皆様から手向けていただいたお花の水を代えたり、涸れてしまったお花を取ったりと掃除をした。

気が付くと3:30過ぎ。

「手を合わせる事しかできないよ」・・・また先生を迎えに行ってくるからね。



1年生の時の担任の先生二人と、ともう一人の先生の三人で雨の中来ていただいた。



お花と、お線香を手向け・・・




「久しぶりだね!」



1年振りに大偉に声をかけていただいた。



あれから1年・・・横でその声が聞こえ目頭があつくなってきてしまった。


つい先ほどまで弱まっていた雨も、段々と強くなってきてしまった。


きっと、大偉が泣いているんだろう・・・。

色んな事を先生に相談もしていたもんね。

久しぶりに先生に会えてよかったね。


当時の最後の姿を知っている一人の先生。

病院まで駆けつけてくれたが、大偉は「先生ごめん!事故っちゃったよ」と声をだす事はなかった。

その日も小雨が降ったりやんだりと。

大偉の友達からも、携帯に電話や0、メールが入ったりと・・・。


今思うと・・・出てあげて最後に会わせてあげればよかったかなとも思うが、あの姿を見せると16歳の子には、ちょっときつすぎるかもなとも思う。

それでも、いつも気にかけてくれて本当にありがたいです。


管理棟で、先生方とお友達の事や、大偉の事をたくさん話した。

K-jma君に連れて行ってもらった、大洗?のツーリングやBBQ。
大偉の事を綴った内容と、私達へメールを送っていただいたり、大偉も楽しみにしていたスキーの写真を送ってきてくれた。

T-go君からは一緒に行った柏のラーメン屋の事や、教習所の事を短い文で綴ってあっった。実習でエンジンが組みあがった時にもメールをいただいた。

K-nta君の人見知りなところなど・・・笑った顔がいいと、色々と話した。
大偉が座っていた机に最後に絵とメッセージを書いてくれた。

H-ra君には、一緒に教習所へ入校し、当時ふさぎこんでいた大偉を救ってくれた。
今でも、あゆのステッカーはヘルメットについています。

その他いろんなお友達にもたくさん・・・


もう1年もしないうちに、卒業だもんね・・・早いよね。


先生には、こんな事を話した。

今まで、勉強が得意だった子もそれほど得意ではなかった子も、車に関しては全員が同じスタートラインなので、みんなに頑張ってもらいたいという事と・・・・

私の知っている仕事の中で、人の命を守る職業はたくさんある。

医者であったり、警察、消防士、レスキュー、自衛隊などなど国や市民を守っているんだけど・・・こんなにも身近に人の命を守ってくれているのが、整備士だと思っている。

大偉がこの学校に入るまではこんな事は思わなかった。
ただ、知らない人が整備をして間違いでもあったら怖いなぁ~とは、車を運転した当時は思った事もあった。

車を一旦預けたら、誰だか知らない人が一生懸命に整備してまた最高の状態に戻してくれる。
自分に仕事に誇りを持ち・・・

事が起きてから命を助けてくれる方仕事ももあれば、事が起きる前に命を守ってくれる仕事もある。

どちらにしても・・・胸を張って、誇りを持ってこれから先長くて5年間・・・早ければ3年後には世の中で活躍する事でしょう。

16歳で自動車学校に入り、5年~7年後には就職。



こんな子ががねぇ~と振り返る事でしょう。

ものすごく楽しみです。


みんなにがんばってと心から伝えたい。



大偉っ!
みんなも頑張っているから、一緒にがんばって。

大偉にオイル交換をしてもらう楽しみは無くなってはしまったけど・・・


あなたのツナギ姿は忘れないよ。

2012年6月15日金曜日

15日(金)晴れ・・・徹夜は

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


いやぁ~、徹夜はキツイな。

やってもやっても仕事が終わらないよ~。

ようやく落ち着いてきたのが夕方。


そのタイミングで発注がはいる。


えっ~、やばい。

今夜も徹夜かと思いながら、帰れるギリギリまで仕事をした。


今日も徹夜しちゃうと、楽しみの稽古に行けなくなっちゃう。


なんとしても帰ろう!と各協力会社(外注)へ、取り急ぎのメールで発注を済ませ、会社を後にした。


家に帰れば、家内が起きて待っていてくれた。

ありがたい限り。


あしたは、合気道の体験者が来るので楽しみです。

是非とも、合気道の素晴らしさを体験してもらいたいし、自分で色々な事を感じでもらいたい。




みるちゃん、大偉っ!

ただいま~。

お父っには、もう徹夜はきついな。

先に寝るからね。


あした、先生達が大偉に会いに来てくれるからね。



2012年6月14日木曜日

14日(木)晴れ・・・奥穂高岳

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は熊谷へ直行!

帳票の最終打ち合わせを行い、無事終了・・・。


T社の事務所に戻り・・・担当者と昼食をとる際、上司を紹介された。

気さくな方で和やかに食事をした。

趣味の山の話しなどして。


大偉とも北アルプス奥穂高岳3190m(日本第3位)~前穂高岳のナイフブリッジを通り、重太郎新道を下り、岳沢を下り、上高地へ着いた。
左側の写真は家内も好きな1枚!

バックに涸沢カールからの穂高連峰。

穂高に連れて行くまえに、奥多摩にある大岳山に連れて行った。
その次が、奥穂高岳。

懐かしく、当時を思い出しながら大偉と登った話をして盛り上がった。

その他の写真は、これです。

奥穂高岳の山頂でぐったりする大偉です!
よくがんばりました。(小5夏)



家に帰ってくると、N-nhaがザックを背負った似顔絵を描いて・・・いまでも大偉の部屋の壁には大事に飾ってある。

N-nhaは・・・もう行かないでと泣いてしまった。
大偉はきょとんとしていたんだけど・・・

お兄ちゃんがいないと寂しいんだってと言うと・・・笑っていた。

また、大偉といきたいな。

昼食中は、終始山の話しばかり・・・

家に帰って、大偉に今年の夏にまた山に行こうよと思わず話したくなるくらいの感じかた。
旅立った事なんて、これっぽちも感じなかった。



これから・・・豊洲に向かい仕事。

さらに会社に戻り・・・

やばっ!

徹夜になる。

2012年6月13日水曜日

13日(水)曇り・・・気持ちの整理


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


帰りの電車・・・

急に、柏警察署に集まった親達の顔を思い出してしまって、目頭が熱くなってしまった。


大偉の声は、聞こえてこない。


大偉には、声は届いているのだろうか?

私達を本当に見えているのだろうか?


それを確かめるにはまだ時間がかかるが・・・。


夕方、自賠責保険会社から電話があった。


保険担当者だから、色々な人とお話しもするし当然色んな事故を見てきたのだろうが、やはり色々な意味で、気を使い話してはくる。


相手方の状況もなんとなく確認する事はできた。


気持ちの整理・・・

まだまだ、見れない物がある。



どんなもんかな?という感じです。


1年を過ぎると・・・やはり直後とは違う。

2年を過ぎると・・・1年前とは違う。


こうして、だんだんと気持ちが穏やかになって整理していくのかな?

2012年6月12日火曜日

12日(火)曇りのち雨・・・フォトフレームは


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



今日は、熊谷まで午後から外出した・・・って外出の距離じゃないよね!

上野から、快速?で熊谷まで約1時間。

途中、聞きなれたアナウンス・・・と駅名。

I-ue先生はこの駅を利用しているのかな?なんて思いながら到着。

T関連の会社で打合せを行った。

挨拶と今後の取引の話しをするくらいだったのに、受注したユーザ先で帳表のトラブルが発生した。営業は標準を了解して販売したのに、今になってユーザから、コーポレートカラーにしてくれないかと・・・

話しを聞きながら、そりゃそうだよなと思いながら・・・

客先の意向を無視する訳にもいかず、また営業の困った顔を目の前で見ていながら無視はできないので、印刷会社の手配等々をして、翌日打合せをする事にして対応する事になった。


まったく、どひゃっ~って感じなんだけど、こればっかりは仕方ないよ。


こうなるつもりで販売しているわけじゃないからね・・・


で、打合せが終わり湘南新宿ライナーで大宮経由で帰った。


直帰だったので、家には早く着いた。

いつも通り、みるちゃんと大偉に挨拶をしながら、横にあるフォトフレームを見ると、ほんとうに「にこっと」笑っている大偉や、N-nha・・・。
みるちゃんと遊んでいる姿がかわるがわるスライドショーで映る。

今でも、旅立った事なんて思っていないというかそんな感じがしないんだよね。

これは、前からそうだったんだけど、さらにここ最近は強くそう感じる。


また、遊びたいなぁ~。


2012年6月11日月曜日

11日(月)曇り・・・また明日!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


いつも通り、みるちゃんと大偉に挨拶をして出かけた。


土曜日の野球での筋肉痛で体はいつも通りとはいかないが、なんとか作業をすすめた。

終わってみれば、週のはじめから10:30PMまで残って仕事。


きっつぅ~・・・


明日は、熊谷まで行かなければならないので今日中に終わらせなければならなかった。


やっと終わり、電車でとことこ・・・


常磐線では、発車前から寝ちゃって寝ぼけながら野田線へ乗り継ぎようやく家に帰ってきた。


お腹は減っていたんだけど、寝るのが先と、みるちゃんと大偉に挨拶をした後、寝っちゃった。


ごめん・・・

今日は、これでおしまいね。

また明日ね!


2012年6月10日日曜日

8日(金)~10(日)・・・忘れ物

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


6月8日(金)晴れ・・・

今日は、Tグループが休み。
銀行に寄った帰りに、お墓は向かった。

みなさんから、手向けていただいたお花は元気にしている。

お花立て、したのバケツのお水を交換した。

大偉っ!

明日は湯沢でTグループの野球大会だよ!

一昨年の都市対抗野球をみながら、来年は湯沢の野球大会にくる?と聞いたら・・・行くって行ってたよね。

楽しみにしていたのに・・・

結局昨年は・・・


会社に久しぶりに出た時、準優勝だったけど銀メダルをいただいて、今でも机の上に飾っている。

今年はその忘れ物を取りに、大偉と一緒に行く事にした。


朝が早いので・・・前の晩から、元上司の家に泊まりにいった。

明日から、あいにくの雨・・・大丈夫かな?


6月9日(土)雨・・・

天気予報通りの雨。

赤城高原あたりから、雨が激しくなってきた。

こりゃ、湯沢についてもダメだな。

谷川岳PAで食事。

ただ行くだけかもよ・・・


関越トンネルをでると・・・雨があがっている。

さすが、谷川連峰。

トンネルを抜ける前と後では、天気が全く違う・・・

できるかな?と思いながらしばらくはしると、高速から見える野球場でしっかりと試合をやってのが見える。
我々は第二試合。

降ったり、やんだりの小雨の中初戦は9対0で完封勝利。

次の第四試合・・・

7対1でリードしていたが、最終回に同点に追いつかれる。

結局相手が、次の日の試合を放棄したため勝ったけど、負け試合だった。


旅館では、食事前にみんなで飲んで、食事後も飲んで、また部屋で飲んで・・・

どんだけ飲むんだよって感じ。

今年は男ばっかりだから・・・学生の修学旅行みたい。

温泉もあるし、楽しい一夜だった。

大偉もお酒が飲めれば楽しいよね。


6月10(日)雨のち曇り・・・

昨夜からの雨でグラウンドコンディションが悪く、決勝戦は中止。

両社、東京のチームなので日を改めて行う事になった。

これまた、関越トンネルを抜けると晴れ。

谷川連峰ってほんとすごいんだな。

昼食をとって、夕方には帰ってきたけど、体中がものすごく痛い。

明日から大変だよ。

大偉っ!

決勝戦も一緒にいくよ。

去年の忘れ物を取りに行くんだからね・・・



2012年6月7日木曜日

7日(木)晴れ・・・進んでいる?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



今日は、ジメジメした空気感もなくからっと晴れて気持ちがよかった。

朝から、午前中いっぱい仕事の打ち合わせのため、豊洲にでかけ、一旦事務所に戻ってはくるが赤坂の音楽会社に行き作業・・・

今週は、月曜日からちょこちょこと外出が続いている。

モバイルPCを持てないので、会社に帰ればメールがたくさん入っているし、前線から電話も入る・・・やはり外出先でメールが見れないのが一番辛いかな?

処理するタイミングが遅れてしまう。


そんな中・・・


移動中だったり、ふとした時に「本当に私は前に進んでいるのだろうか?」と思う事がある。

前に進んでいるのではなく、時が何事もなく過ぎ去っているだけにすぎないんじゃないのかと思う。


色々な事を済ませ、終わったようには見えるが本当の意味での前に進んでいるとはやっぱり違うのかな?


それでも、皆さんから支えてもらっている。


いつまでも甘えてばかりはいられないと思っている・・・。


・・・旅立って以来できなかった事を少しずつでも今までと同じように生活するようにはしているが・・・

周りには配慮しながらも、自分の心に無理がかからないように生活しようと思う。

2012年6月6日水曜日

6日(水)雨のち曇り・・・閉じないで

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


貫徹ではないが、朝4:30に起きて仕事を再開・・・

7:30AMに朝食を食べに外へでるが、雨が降っていた。

昨年は、前日の涙雨から一転、ものすごい良い天気だった。


徹夜・・・

事務所が木場にあった頃、やっぱり何回徹夜をしたんだけど、家に電話をして「徹夜になるから・・・」と伝え、大偉に代わってもらった事があった。

徹夜という言葉も知らないし、家内からすぐに代わったから説明なんてしていないんだけど、きっと大偉は、今日は帰ってこないんだと感じたのだろう・・・

優しい、ちょっと高い声で・・・本当に帰ってほしい声で

「パパぁ~、帰ってきて」と二回くらい言って家内に代わった。

その時は、深夜2:00くらいまで仕事をしてタクシーで帰った記憶がある。


午前中は、今月の計数会議・・・

その後、飯田橋のメーカーへ打合せのため外出。

6:00PMに帰社後、さらに仕事を再開。


そんなこんなで、12:00AMちょっと前に家に着いた。


昨年は、10:30AMから告別式がはじまった。

この年になると会社の上司、同僚、後輩などのお通夜に出る事も多い。


いつもは、お通夜だけで告別式には参列しないのだが、その時だけは受付を任せられていたので告別式にも参列した。


その告別式を出てからは、こんなに悲しいのなら出るのはやめようと思ったほどで、それから出てはいない。

本当に悲しく、辛い告別式だったから・・・

それが、今回自分の息子を・・・だもんね。 信じられない。

控室に、家内とN-nhaの三人で泊り、大偉の小さい頃や、小学生、中学生、高校生などを思いながら、最後の挨拶文を家内と書いた。


参列者全員で、最後のお別れのためお花を棺の中に入れた。

大偉が日頃着ていたTシャツ、Gパンがあっという間にお花で埋め尽くされ見えているのは、大偉の顔しかない。

綺麗に化粧をした顔を、司法解剖の影響で少しくすんできているのがわかる。


これが、肉体がある大偉の最後。


最後・・・棺を閉めるともう大偉の顔を覗く事ができない。


斎場の係りの方もゆっくり閉めてはいくが、「待って、まだしめないで」と叫んだ。

「ほらっ、大偉が泣いている、まつ毛が濡れているよ。」

足元からゆっくりしまる。

最後は、自分の顔を棺の中に入れ、ずっと大偉を見ては、もう少し、もう少しと言いながら大偉との別れを少しでも先に延ばそうとしても、最後の時は訪れた。


最後の挨拶・・・


会場の外・・・

大偉の棺にしがみつき・・・最後に「大偉」と叫ぶ。


焼き場へ向かう廊下・・・


倒れそうになる私を、家内の親父が支えかろうじて歩ける状態だった。



大偉のために、お通夜、告別式と参列していただいて本当に感謝しています。

大偉との、たくさんの思い出があることでしょう。
もしかしたら、大偉の強がりで不愉快にさせてしまっていたら、ごめんなさいね。
悪気はないので許してあげてね。

一言も悪口を言うような子ではなかった。

小さい子が好きで、面倒見も良かった。

計算は得意だったけど、勉強は二の次。とにかく体を動かしているほうが好きな子だった。

大偉と同じ年代に生まれ、必然にも大偉と知り合い、2011年6月2日までいたが・・・あなた達は大偉の最後を見たよね。

私達家族の姿を見たよね。

妹のN-nhaは、葬儀の間、終始家内の膝で泣き崩れて・・・

それでも、大偉に会いたいと残ってくれたお友達に家内と頭と下げていた。




ためらいも、恥じらいもなく大声を出して・・・

あの日、あなた方の目に映った姿は、これからの人生を生きていく教訓として絶対に忘れないでほしい。

絶対に・・・

結果、大偉が犠牲になってしまったけど・・・

こればかりはね。


あんな姿を、自分の親になんかさせるんじゃないよ。

毎日の生活の中ではほんとうに何が起きるかわからないんだよ。

人生の幕が突然おりるかも知れない。

だから、毎日を大切に一生懸命に生き抜いてほしい。


2012年6月5日火曜日

5日(火)晴れ・・・寝顔

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日も晴れ・・・暑い。

去年も2日以外は、晴れて暑かった。

なんで、2日だけなんだよ・・・。


前日には、事故で傷ついた顔にお化粧・・・ほんとうに寝ているみたいなんだよ。


今日が自宅出棺の日・・・

出棺前に、一人で大偉を訪ねてきた。

今日のお通夜には参列できないので、最後に会いに来てくれた。

自宅での最後の訪問者が、T-mkaさんだった。


祖父が車で送った際に、預かったその手紙をあゆのLove SongのCDと一緒に左の頬にそっとおいた。
その後も、T-mkaさんは昨年の夏過ぎだったかな?大偉に会いに来てくれて色々なお話しをしたのは・・・今年も体育祭では応援団ですね! がんばって!


今日は、仕事で徹夜・・・

昨年は、斎場で徹夜・・・

何度も何度も、控室と祭壇を行ったり来たりしてたな。

去年は、大偉の涙雨・・・

今年は、すっかり枯れてしまった。


子供達だけで300人以上・・・みんな変わり果てた姿の大偉を見て何を感じたのだろうか?

どんな言葉をかけたのだろうか?

まさか身近の友達が亡くなるなんて思いもしないよね。


大偉を可愛がってくれた先輩は、同じ年に大偉を入れて二人亡くしている。

その後・・・T-hna君が家に大偉の写真を取りに来た時は、夢に大偉が夢に出てきましたと言ってた。

私は、まだみるちゃんにも、大偉にも逢えていない。


まだまだ、まったく大偉が旅立ったなんて信じられないし、普通に生活をしている感じがしてならないんだよね。
家に帰っても毎日いる感じがして・・・

家内は違うんだろうか・・・?

N-nhaは違うんだろうか・・・?

家内は私達みたいに外に出ていないから・・・違うと思う。

本当は、N-nhaだって、家内だって、私以上に辛く、寂しい思いをしているんじゃないかな?

私は、会社に行けば仕事をこなしていかなければならないので、多少は気が紛れるが、家内は生まれた時から、ずっと一緒だからな。

ぽっかりと穴が開いた感じじゃないかな。

どんな思いであれ、辛い気持ちには変わりはないんだよね。

一年の中で、一番辛い季節・・・

一年の中で、一番辛い日・・・

一年の中で、一番辛い時間・・・



田中大偉・・・16歳


早すぎだぞ!

親を置いて旅立つなんて。

普通は、子供を置いて親が旅立つんだ・・・


人生には、色々な節目があるんだけど、次の節目は成人だね・・・

その後、また集まって飲みたいよ。
みんな付き合ってくれるかな?

2012年6月4日月曜日

4日(月)晴れ・・・あゆ=だいい

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日も朝からいい天気。梅雨を感じさせない・・・。

昨夜、大偉が使っていたiPodの曲を書き換えた。

友達から色々な曲をiTunes経由で入れていたので、家のPCには情報がまったくゼロだった。

iPodの中を消していい?
daiiのiPodという設定情報は残るんだけど・・・

消さないと使えないし・・・

でも、大偉が聞いていた曲としてこれはそのままとって置くか・・・家内も迷った。

もしかしたら、iPodから単純にダウンロードできたのかな?

iTunesで管理しているから、たぶん無理だとは思うんだけど・・・


結局、iTunesへ繋げて消した。


CDをいくつか持ってきてiPodへ登録した。
もちろん、あゆのLove songも・・・

自分で買ったあゆのCDからコピーしてあげて、自分でケースに書いていた・・・大偉らしい字で。


梅郷から野田線に乗り込んだ。

iPodを取り出し・・・あゆのLove Songを聞いた。


2011年6月2日の次の日・・・3日から旅立つまでの間、ずっと流していたアルバム。

やはりこの歌を聴くといつもの思い出すとはまるで違った思いだす感覚となる。

出だしのLove Songの曲・・・


「あゆ=だいい=旅立ちの曲」



いっつも車の中で聴いては、同じだからかえようよと言っていたアルバムが一生忘れる事のない曲になってしまうなんてね。

旅先でも、いっぱい聴いているのだろうか?

今、またその曲を聴きながら電車に乗っていると、運河あたりでもう耐えきれなくなってきた。
でも、大偉の曲として・・・この曲を聴きながら思い出し、自分を戒めようと思う。


6月4日は、家族揃っていれた最後の日。

和室に行き大偉の顔を見るたび、ほんとなの?という感覚。

リビングと和室の境界線があるかのように違った。


4:00PM・・・外出先へ着く。

この時間は、葬儀屋さんと最終打合せをしていたと思う。
明日の段取りなどなど・・・。



お風呂からあがり、洗面所で歯を磨いているとリビングからN-nhaの笑い声。


「・・・これで、いいんだ。」


2012年6月3日日曜日

3日(日)晴れ・・・手紙

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日も良い天気だね。

大偉っ、昨日は良かったね。みるちゃんは・・・「う~ぅ~」ってしていなかった?と家内にいうと、みるるは、外にでると小っちゃくなって抱っこされているから、大丈夫だよ。

きっと大偉に抱っこされているよ。

お墓に出かける前に昨日不在で受け取る事ができなかった届け物を受け取り、お墓から帰ってきてから手向けさせていただきました。


その包みの中には・・・手紙が四通入っていました。

私達への手紙と

R-maから、「大偉へ」と書いた手紙。

W-knaちゃんからは、「大偉くんへ」と書いた手紙。


二人とも、はじめて会った時はあんなに小さかったのに、立派になってとても綺麗な字でした。

R-maの手紙を読んだ時は泣けたよ。

涙が止まらなかった。

昨日のI-kwaさんとH-shiとの食事でもそうだったけど、R-ma、S-go、大偉と稽古の後、よく遊んでいたもんね。

まだ、会ってから十年たっていないんだよね。

末文には・・・そしてまた会おうね。と締めくくった。

そうだね。

みんなで、昔話しをしながら飲みたいな!
新橋で飲んだ時にそういう話しになっているから、よろしくね!


W-knaちゃんは、小さかったからね。記憶がないのも無理ないね。だけど、ちゃんとお母さんからお話しを聞いているんですね!
大偉は、天国でも元気にしているから心配ないよ!




今日は、千葉大から大偉が頑張って帰ってきた日です。

今、私が寝ている場所で、同じ向きで寝ていました。

今にも起きてきそうな寝顔で・・・

頬に擦り傷、ギュッと唇を噛んだのでしょうか、少し切れて前歯もかけている。

すらっとした綺麗な指。

お父っにできる事は、毎日手を合わせみるちゃんと大偉の事を思う事しかできないよ。



人の一生ってなんだろう?

現世を早く旅立つのも一生。

長く現世を生きるのも一生。


優しい笑顔。
周りの人を幸せにしてくれた、優しいお子さんという言葉に救われた・・・

私達を支えて下さる方に囲まれている、本当に幸せです。


昨日、お墓の前で・・・合気道をみんなやっていなければこうして繋がる事はなったんだねと言われた。本当にそうだなとあらためて感じた。



お墓の事・・・

私に直接聞いてくださった方にしかお伝えしておりません。

まだ、裁判など色々とやらなくてはならない事が終わっていないので、私の知らないところで来て下さるのを遠慮してもらっています。
昨日、大偉に会いに来てくださった子供達も、きちんと説明し、理解して下さり約束してをしてくださいました。
「約束が守れない方は、遠慮してもらいたい」と・・・、

実際はもっと冷たい言い方でしたが・・・

「来てくれなくて結構です」と。

でも、大偉もお友達も会いたい思いが昨日、天気を晴れに変えたのでしょう。

昨日来て下さったお友達は、記帳されて、しっかりと約束を守れる子達なので、大偉に会いたくなったら気兼ねなく、遠慮する事無く遊びに・・・会いに来てやってくださいね。
その時は、また記帳をお願いします。

それから、香炉の後ろにある石の窪みは、お水を入れるところなので、来てくださった時は大偉にいっぱい飲ませてやってください。

昨日は本当にありがとう。

この場をかりて心から、お礼申し上げます。


2012年6月2日土曜日

2日(土)晴れ・・・1年前

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


数日前の週間天気予報では、6月2日だけが雨または曇りのち雨の予報だった。

去年と同じか・・・


ところが・・・日付が近づくにつれて雨ではなく曇りに変わっていった。

昨日も、もしかしたら雨かなぁ~と思い今朝、H-shiにメールした後にリビングの雨戸を開けると・・・あれっ、晴れ?てる。

最後は雨から晴れに変わった。


晴れたね。

うん。大偉がそうしたんじゃん。


家内とお墓に向かった。


朝から気持ちがふあふあしている。

地に足がついていない感じで、動悸がする。

胸元がなんだか変。

家内も同じような事をいった。

N-nhaを車で駅まで送りに行く時から変な感じがしていた。


朝から、どたばたしていたので、昨日に電話またはメールをしてくれたお友達にはすぐに連絡ができず、連絡ができたが11:00AM過ぎになってしまった。申し訳なかった。


お墓に着くと、可愛らしいお花が手向けられてあった。

じいじとあーちゃんが来たのかね?と思っていたら、管理人さんから「大偉さんのお墓はどこですか?」と聞かれご案内しました。

記帳をみると中学時代ともに汗を流したY-ki君だった。

お母さんと来てくださってね、お子さんは、お墓の前で泣いていましたよと伝えてくれた。


自宅出棺前日の夜に、お母さんに連れられ・・・

七七日忌後もお母さんに連れられ・・・

言葉を発せられないくらい泣いていた。

バイクで遊びにも出かけていたよね。


時計を見るたびに、あの16:12分に近づく。

あと、何時間・・・あと、何時間と。


稽古には、遅れて行った。

少年部は終わり、一般部の途中から参加。

前日に、大偉の写真を持っていくか悩んでいたが、持って来い!と言われ帯と一緒に持っていった。

正面に大偉の写真と帯を飾ってもらった。


掛稽古に入る前・・・

I-kwaさんの号令で、1分間の黙祷を捧げた。

瞼を閉じながら、舌をキュッと噛んだが涙が流れてきた。

みなさん、ほんとうにありがとうございました。

K-skariさん・・・お線香をいただきありがとうございました。
大偉とM-skazu、T-tsuruとの思い出もたくさんあるしね。

W-knaさんの泣き顔を真っ直ぐ見れなかった。





お昼を食べI-kwaさんとH-shiの三人でお墓に向かった。

三人でお線香を手向け別れた。

今日は、大偉にお友達がたくさん来てくれるので、遺影に使用した元の写真を墓石に置いた。

大偉またくるよ・・・

I-kwaさんから、大偉とN-nhaにと洋菓子を手渡された。



一旦、家に帰るとI-ueさんからお届けの不在通知が入っていた。
その後も外出していたので手元にはありませんが、お心遣いありがとうございます。


16:00に現場で待ち合せの約束があり、R16号を走りながら、もうその時間まではいくらもなかった。

現場には約束より1分遅れて着いたが、すでにI-kwaさん、H-shiと前からメールで励ましのお言葉をいただいていた、学校のお友達のお母さんのM-skaさんとK-nta君がいた。

簡単に挨拶を済ませ、現場にお花とお線香を手向けた。

携帯をみると16:09・・・まさに大偉が今千葉方面から走ってきているんだなと思いながら16:10を迎えた時に、大偉はここでこういう状態で倒れていたんです。

バイクは、あの辺りから滑走してここまで流れてきて、ヘルメットは・・・と少しだけ話した。

報道では16:10と流れていたが、手前のビデオに映っている時間と実際の時間差、後はスピードを計算すると、16:12に事故発生と記録されているが、この2分を勘違いして、16:10に説明してしまった。
説明しながらなんかちょっと違うな?と感じでいたんだけど・・・




現場でI-kawaさんと、H-shiと別れ、M-skaさん親子とお墓に向かった。

お墓に着くと、管理人さんからたくさん来ましたよと・・・昨日から連絡をくれた子たち、今日連絡をくれた子達のたくさんの名前が記帳されていた。

お墓の前には既にたくさんのお花が手向けられてあった。
みんなありがとうね。


お花と、お線香を手向けた後、休憩場所で色々とお話しをした。

笑った時の笑顔がとてもよく、とても感じの良い子だった。
ものすごく、照れ屋で、恥ずかしがり・・・。


みんなへ!
大偉の事を思い出してくださり、遠いところわざわざ会いに来ていただきまして本当にありがとうございました。
大偉も久しぶりにみなさんに会えて嬉しかったんじゃないかな。

大偉もみんなに会いたくて、会いたくて、一生懸命力を振り絞って雨から晴れにしてくれたんだと思います。
これからも、気兼ねなく会いに来てやって、話しかけてくだされば喜ぶと思います。
その時は、気をつけてきてくださいね。

みなさんとは、約束したので大丈夫ですから・・・くれぐれもよろしくお願いします。


今、日付が変わり、6月3日 1:22AMです。

夕方にM-skaさんと別れてからは、時計を見るたびに、1年前の今の時間は、ここにいたなとか、ここで警察の方と話したとか、思い出していた。

この時間は、もう少しで柏警察を出る時間。

その後、MaxValueでお花を買ってお花を手向けにむかった。

その日は、また6:00AMに柏警察にむかって・・・


この6月2日から3日、4日、5日、6日・・・と長く辛い日々が始まる1年前だった。

それでも、今日はたくさんの方がたが集まって下さり、感謝してもしきれません。

また、大偉にとたくさんいただきましてありがとうございます。

本当にありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。


長い辛い年月の1年が終わった1日だった。

後、何年続くのだろうか・・・。
でも、こうして大偉の事を思い出してくださって、私達の心を支えてくださり有難い限りです。

これも大偉の人柄なんでしょうね。

あの子は、私達にとても大切な、宝物を残していった。


 

2012年6月1日金曜日

1日(金)晴れのち雨・曇り・・・前日

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


結局、今日も最終退館者となって、日付が変わってしまった。

昨年は、やっぱり仕事が忙しく遅く帰ってきてはいたが、

その日は、私が先に帰ってきていて、リビングで横になって休んでいるところに、バイトから「ただいまぁ~」と帰ってきて、横になりながら「お帰り~」と言った。

4月9日にみるちゃんが旅立ってからは、みんなでリビングに寝ていたから、ちょうど玄関を開けた大偉を横になりながら見ていた。


結局これが、最後に交わした言葉だった。

はじめて交わした言葉は、なんだろうな・・・?

思い出せないけど、今度、家内に聞いてみよう。


つい最近、みのもんたの奥様が亡くなり、記者の前でのコメントに「最後の息を吐くところまで聞けた」的なコメントをされていた。


私達には、それすらなかった。


病院で寝ている大偉に取り付けられた器具は、もはや用がない状態。

よくTVでみる心拍数の器具。

詳しくは、わからないが、かすかに動いていたので「先生、お願いだから・・・」

「まだ、生きてるじゃん・・・」、「手だって温かいし」と言っても、ただただ動いているだけで、何もできない状況。

何回も書いているが、当日は布団にくるまっている大偉の姿しかない。

悔やんでも悔やみきれない。

だから、家を出るときくらいは、ちゃんと顔を合わせ出かけなきゃならないんだよね。

事ある時って、大体そういう時だよ。

ついさっきまで一緒にいた子が、突然旅立つ事になるなんて考えられないよ。



今日は多くの方から、メールや電話、家にまで来てくれた。

みんな、お墓の事だった。

大偉の事を覚えてくださったのですね。

ものすごく忙しくて、なかなか対応できなくてごめんなさいね。


人それぞれ、大偉との思いでがあると思います。

良く思っている人も、そうでないひとも・・・

それでも、直接私にメールや電話をくださってありがとうございました。


では、また明日。


大偉っ!
明日も稽古だからね。

お父っは、ちょっと用事があるので遅れて行くから待っててね。


H-rkaさん。
アドレスは変わっていませんよね?PCからのメールは大丈夫ですか?