2013年12月31日火曜日

31日(火)晴れ・・・2013年

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


2013年は、2012年末に翌年に監査があるための作業からはじまり、連日のホテル泊。

社内監査でホテル泊が続いた1月20日6:30amに苦しい痛みから救急車で慈恵医大に運ばれた・・・。


こんな事から2013年がスタートした。



5月19日・・・

大偉と巳塁の三回忌法要が執り行われた。

とても天気の良い、少し暑い日だった。

演武大会の映像を見て、みんな立派だった。



7月~9月にかけては社内教育のため新横浜へ。

とても苦しかったなぁ~。


8月には北部合同審査会。

私にとって、とても悔しい審査会であった。


BBQ・・・昨年同様の期待をしたのは私だけではないと思うが。
ちょっと残念な・・・周りの雰囲気が良くなかったかなぁ~。

来年に期待しよっと!



12月の冬の審査を受ける事をサイゼリアで宣言をする。

毎回、受ける受けると言いながら、仕事が忙しくなればそれを理由に次回に延ばし、催し事があれば、また引き延ばしと散々逃げるための理由を探していた。

お酒の勢いもあったが、いつもと違った気持ちだった。



11月の全日本演武大会

なかなかの出来栄え!



12月に向けた稽古スケジュールを作成したが、思うように進まない・・・

通常稽古に加え、春風館の自主稽古を増やしH-shi、M-ekoさん方々が支えてくれた。




12月22日 浦安市中央武道館

冬の総合審査二日目・・・役者は揃った。

大偉と臨んだ審査。

多くの方々に支えられ無事に終わった。



12月31日

今年最後の大偉とみるちゃんにみんなで会いに行ってきた。

買い物の後、一人で現場まで行った。

今でも友達が寄ってくれている事がわかる。

本当にありがたい。

いつもありがとうございます。



今年一年、大偉とみるちゃんに守られた。


12月22日の審査後の帰り道・・・

家まであともう少しのところで、右折をして飛び出してきた女子高校生と出会い頭の事故。

ほとんど相手から見えるくらい位置にいたのにすっとばしてきた来た女の子には見えなかったのか?

慌ててブレーキをかけて止めたが遅く、相手の前輪が自分の前輪にぶつかり、

私は投げ出され、前輪はグニャっと曲がりタイヤは動かない・・・。

倒れている私を起こす事も、動かない自転車を起こす事もなく、ちいさな声で「すみません・・・大丈夫ですか?」と言っただけで、逃げてしまった。


今でも、その自転車をみると腹が立つが・・・

その子は今後、気をつけて通る事でしょう。


家に帰り、状況を説明。

お土産で買ってきたケーキもぐちゃぐちゃかも知れないよ?

話し聞きながらケーキの箱を開けるとうまく落ちたのか?まったくきれいだった!


痛みも飛ぶような話しだけど、自転車を買わなければならないのでちょっと痛いな。


事故の痛みもなく、大偉とみるちゃんが助けてくれたのだろう。


2013年12月24日火曜日

24日(火)晴れ・・・嬉しい

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



昨日の夕方、J-im先生から以下のメールが届いていた。


こんばんは、
昨日の審査お疲れ様でした2段おめでとうございますまた来年もよろしくお願いします


このメールに気が付いたのは、10:30pmだった。


まさかこんなに結果が出るとは思っていなかったので、気にもしていなかった。



通勤途中で審査結果を確認した。

確かに自分の名前が書いてあった。



本当に嬉しかった。



支えてくれた方々に感謝の気持ちでいっぱいです。



2013年12月22日(日)は忘れられない審査となった。


2013年12月23日月曜日

23日(月)晴れのち曇り・・・言葉の凄さ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



昨日の審査を終え、しみじみと審査を振返っていた。


指定技四本・・・

審査の帰りにH-shiと食事をして帰ったんだけど、指定技四本のうち一本が中々思い出せなかった。


M-ekoさんの言葉だったり、それを稽古で実行にうつそうとしてくれたH-shiだったり

言葉や行動の凄さを自分なりに体感した審査だった。


とにかく、私の近くにこの二人がいたからこそ有段審査実現に向かう事ができたし、

今年の夏にサイゼリアで言った、絶対に受けるをいう重みが今年はなぜだか違っていたのもたしかだった。


審査から逃げるところだった私を救ってくれた。



なんて言葉に表せたらいいのか?

言葉や、行動の凄さ。




今度は、夏に悔しい思いをさせてしまった二人の大仕事が3月に待っている。


2013年12月22日日曜日

22日(日)晴れ・・・有段審査

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


5:00am・・・目が覚めた。

起きるにはちょっと早いので布団の中でぐだぐだしながら6:00am過ぎに起き上がった。



大偉とみるちゃんにいつも通りご挨拶をして、昨晩準備した持ち物を

もう一度再確認しながら鞄につめた。


7:20am 梅郷駅から新浦安に向かいながら、i-Padminiから有段DVDを流し、細かく書いた技を再確認。


新浦安に着いたのが8:50amくらいだったかな?

昨日検索して確認したのに、なぜだが自分が思っていたより遅かった・・・?

この時間はもう中央武道館に入っているイメージだったのに。


お散歩バスに乗るか?

歩くか?


H-shiの事を思い出した。


あいつは絶対に歩く。

俺も歩こう!


コンビニで買ったシーチキンのおにぎりとお茶を近くの広場で食べた。


大きな陸橋を上がると、綺麗な富士山が遠くに見えた。



今まで曇っていた心がすっきり晴れた。


左手には大偉の剣とN-nhaの短刀、右手には技名を持っていた。


前を見て、後ろを振り返り・・・・


人がいない事を一応確認してから


「がんばるぞ~!」っと


両手を上げ、大きな声を張り上げた。






中央武道館につき、早速着替え、帯を締めないままトイレの個室に向かった。


まず、大偉の茶帯を腰に巻いた。

大偉の道衣を着て、自分の帯を巻いた。


これで、大丈夫と言い聞かせ道場に入り、安藤先生に挨拶を終え、最後の調整を行った。



審査順を見れば、有段1組目だった。



10:30am・・・・審査をする人達の名前が呼ばれ所定の位置で正座についた。


10:50am・・・・H25年養神館合気道龍 冬の総合審査2日目が内弟子の号令によりはじまった。


少年初段からスタート。

私は、少年初段を見た後に席を離れた。



懐に入れておいた、技名を見ながらイメージをはかったり、

一緒に席を離れていた方に、確認したり・・・・。

今までこんな審査ははじめてだった。

本当は相当不安だったんだろうと思う。(H-shiはまったく余裕の顔)



会う方、会う方・・・今日は受けですか?と聞く方が殆どで

審査なんですと言うと「えっ、そうなんですか?」・・・

受けのイメージが強いみたい。


ロビーでは、軽く雑談しながら技の確認の受けをしてくれたりと、みんながサポートしてくれた。


道場に戻り、昇級の指定技を目を瞑りながら聞き、技のイメージをしていた。


いよいよ、昇段1組目の名前が読み上げられた。

先生への挨拶を終え所定の位置から、規定技二本。

指定技
①後技両肩持ち一ケ条抑え(一)
②座技片手持ち四ケ条抑え(二)
③正面突き肘当て呼吸投げ(一)
④両手持ち呼吸投げ

指定自由技
①正面横面打ち自由技
②後技両肩持ち自由技
③二人取り自由技

途中、技を間違えやり直しもあった。

とにかくいっぱいいっぱいだった。全く余裕はなかった。

二人取り自由技では、最後はスタミナ切れ。上手くさばく事もできなかったし

とにかく、I-ue先生を倒す事ができなかった。


でも、ここまで頑張って良かったと思える審査だった。



毎週、日曜日も含め稽古に付き合ってくれた、H-shi。

二人取りのイメージつくりをしてくれた、M-sdaさん。

プレ審査では、二人取りをしてくれた、K-kariさん。

春風館で技名を読上げ、二人取りをしてくれた、M-ekoさん。

審査では、本当に刺す勢いで受けをしていただいたI-ueさん。

遠くから、見守ってくれたK-noさん。

心配でメールをくれたR-seyさん。

当日支えてくれた、K-oruさん、T-kdaさん、T-chiyaさん、K-okaさん、W-kyamaさん。

笑顔をくれた、N-omiさん、O-kushiさん

最後まで、熱心に指導してくれたJ-im先生。


まだまだ、他にも大勢の方に支えられて審査を無事終了する事ができた。



審査終了後には、O-tsukaさん、M-rtaさんからも良かったと、お言葉をかけていただいた。




12/14にプレ審査を終え落ち込んでいた。

受けるかどうか迷っていた、私を・・・


「田中さん!大丈夫だよ」


と笑顔で背中を押しをしてくれた、M-ekoさんには本当に感謝している。


もしあの時に、声をかけてくれなかったら、きっとこの場所には

いなかったと思う。


本当に、みなさんありがとうございました。



大偉、がんばったね!



2013年12月21日土曜日

21日(土)くもり・・・最後の審査稽古

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、2回目のプレ審査。

先週は散々な結果に終わり、そのまま吹上に行き出稽古。。。

さらに翌日も朝からH-shiと春風館で、稽古。



先週よりも少しだけど、進歩していたが技の完成度はまだまだ、雑な所が多すぎる。

仕手と受けが合っていないところもある。


今回は、細かな点を注意されたが、本当はたくさんあったに違いない。

今更言っても、審査は明日なので最後にJ-im先生からは頑張ってくださいと言われた。




夕方、大偉とみるちゃんに会いに行き、明日の審査を受ける事を伝えた。。


そのまま、最後の審査前の稽古を春風館で行った。

技名を読み上げながら、一つ一つ立技、座り技を何度も何度も繰り返した。


最後の三時間。。。もうやれる事はすべてした。


自信に満ちているところまでは、行き着けなかったが


明日は、有段審査。


また大偉の昇段審査も合わせて全ての受けをH-shiが行う。


大偉のように綺麗に技を行う事は出来ないが、きっと全てを受け止めてくれるに違いない。


また、二人取りで脇を固めるのが、I-ue先生。


二人取りの合わせをしたのが、14日に吹上に行った出稽古の時の一回だけ。

その時の合わせは、動きの確認ではなく、いきなりの二人取り。


どう倒すか?

はじめにどう動くなんて打合せは一切しなかった。


とにかく、お互いが思っている事は夏に交わした

「殺すつもりで短刀を刺す」

「それを受ける」

これしかなかった。


最後に・・・終末動作、黙想を終え春風館を後にした。


2013年12月20日金曜日

20日(金)雨のちくもり・・・朝から・・・

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


年末の大忙しの中、中々お休みもなく週の前半から

三連泊という有様。


明日は、J-im先生の最後の審査稽古だし、最後のプレ審査を

控えているので、どちらかと言えば合気道を優先して休んだ。


今日は、忘年会だったので休むにはちょうど良かったし、

お酒の飲み過ぎで頭が働かなったら、大変な事になるからね。



朝からお昼までの3時間を一人で・・・大偉と一緒に自主稽古を行った。


イメージでは、出来ているんだけど中々思うように体が動かないのも事実。


明日のプレ審査では、先週10%未満だった合格率をなんとか50%に持っていきたいなぁ~。


とにかく稽古は、残りあと1日しかないからできる限りの事をしよう。






2013年12月17日火曜日

17日(火)晴れ・・・今夜も

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


連泊・・・


ほんとに体が辛くなってきた。


大偉っ・・・助けて~っ!



最大の敵は、禁酒ではなく・・・睡眠である。




明日は、朝から12月の計数会議・・・その後外出、また戻り仕事と

本当に年末は忙しく慌ただし毎日の連続が続く。



さぁ、今夜は充電もばっちりでイメージトレーニングの開始です。


0:30am・・・チェックイン








2:00am・・・就寝。


眠い。


2013年12月16日月曜日

16日(月)晴れ・・・禁酒!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


14日のプレ審査の後・・・

更衣室で「禁酒」を宣言。


今日で三日目です。


年末の大忙しでホテルに着いたのは深夜0:30。ちょ~寒い。

早めに夕食を済ませてたの小腹が減り、ローソンで

パンと飲むヨーグルトを買った。


お風呂から上がり、さぁこれからビデオを見ながらイメージトレーニングだぁ!



iPadminiを開き、パスワードを入れた瞬間


バッテリー残り10%の表示。


あちゃ~・・・いくらも見れず就寝。


もうくたくた。


オープニング曲がかすかに聞こえるようになってきた。


もう一度、じゃんじゃん心の中で響かせないと。


大偉も響いているかい?



2013年12月14日土曜日

14日(土)晴れ・・・10%もない。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、有段審査のプレ審査の日・・・

いつになく道場はひんやりと冷たい。


少年部の審査が9:35amからはじまったが、とても寒い・・・寒さのせいでフラフラ。


通常通り、一般部の稽古も無事終わり、プレ審査が始まった。



規定技の二本が終わり・・・(指定技の順番は忘れた。)


指定技一本目・・・横面打ち側面入り身投げ

 あちゃ~・・・ヒントをもらってどうにか。


指定技二本目・・・後技両肩持ち三ケ条抑え(二)

 まぁまぁ。

指定技三本目・・・座り技両手持ち四ケ条抑え(二)

 いつも、(一)の動きをイメージしていたので・・・最悪。


指定技四本目・・・座り技片手持ち正面入身投げ(一)

 もうダメ。


指定自由技

 一本目・・・正面横面打ち自由技

 まぁまぁ・・・

 二本目・・・後技両手持ち自由技

 これも、まぁまぁ

 二人取り自由技

 まったくダメ。


J-im先生から、いろいろ指摘をうけた。

自分が思っていた以上にできが悪かった。情けない。。。


この様な審査では、落ちる・・・

しかもホームで、この状況・・・とても中央武道館でなんか耐えきれない。


先生は、やめた方が良いとは言わなかった。

だけど、私はやっぱり今回は無理だと心の中で思っていたが、

いつも付き合ってくれたH-shiにも申し訳がたたないし

どうしよう・・・迷っていた。


もしこのような審査を自分が見ていたら、迷わず今回は見送った方が良いと言うに違いないが、


遠くから、M-ieちゃんが「田中さん!大丈夫だよ」とニッコリとした顔をしながら歩いてきた。


その言葉を聞いて・・・先生にチャレンジしますと伝えた。


正確には、勢いで伝えちゃったが正しい。


先生からも、ここまで頑張ってきたから残り一週間頑張ってと言われた。


審査申込みと審査料を手渡し先生と別れたあと、柔道場に大の字の寝転んでしまった。


そうだ!今日は特別寒くて脳みそが固まってしまったんだと思い自分を慰めた。



夕方は、吹上に行き審査稽古。


15日(日)には、春風館で9:00am~1:00pmまでH-shiと稽古。


金曜日は午前中に春風館で稽古・・・・

土曜日も稽古・・・・



そして、日曜日の審査。


こんなに不安の残る審査はないが、出来る限りの事はしよう。


もう後戻りはできないのだから。


大偉の昇段審査も兼ねているのだから。


この一か月・・・H-shiの家庭の休みを殆ど私の稽古に費やしている。

本当に申し訳ない。





2013年12月9日月曜日

9日(月)晴れ・・・自信へ!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


体が痛すぎる・・・


朝の常磐線の電車の中、昨日の不安は解消されていた。




昨日の17:00からの稽古終了後、午前中の不安は解消され

今朝は・・・

なぜだかわからないが、自信へ繋がり

14日のプレ審査も、自分の中では合格している。



絶対にプレ審査に合格して、中央武道館に向かう。


DVDのオープニング曲が心の中で鳴りやまず響いている。





2013年12月8日日曜日

8日(日)晴れ・・・まさか?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


遠い九州から励ましのメールをいただいて背中を押してくれたり、

近くでは、無言のプレッシャーをかけながら審査稽古に付き合ってくれたりと、

冬審査にむけて着々と進んでいる?・・・


誰もいないトイレの大きな鏡の前で後ろ技の肘の上げ方をやってみたりと。。。



7日の一般の稽古終了後、子供達の審査を取り纏めJ-im先生と話していた・・・

田中さんは、受ける?

「14日のプレ審査に合格したら受けます」

・・・「でも、15日まで待ってくれますか?」と伝えたが不安の方が大きかった。


今回の審査は、はじめから受けると決めてはいたんだけど、間に合えば受けるし、間に合わなければ受けない・・・心が定まっていなかった。


A-ndo先生は、まず決める事。

それから、一度決めた目標に向かって進む事が大事だと言っていた。

自分の気持ちが強く持てない・・・



次の日の8日は9:00~13:00、17:00~21:00まで春風館を予約した。


9:00に道場入りをしてはりつめた冷たい空気の中、30分くらいしたあたりだったかな?

H-shiが来てくれた。

続いて・・・M-sdaさん、M-ekoさん。


H-shiと有段DVDの2巻目目・・・正面打ち側面入身投げ(一)からのスタート。


残り2週間しかないのに、まだこんなところをやっているの?と思いながら

呼吸法まで一通り終えたが・・・・

有段技しかやっていないし、座り技は殆どと言っていいくらい稽古していないし。

とにかく立ち技の動きを覚えるのが精一杯。


自由技も・・・二本連続はしたが三本目はさばきだけ。

短刀取りも、長剣取りも・・・・あぁ~って感じ。


やばい!・・・


こんなんで本当に審査に間に合うの?ちょ~不安。


13:00まで稽古を終え、H-shiの後ろ姿をみながら、

ここで、やっぱり審査は延期しようって言うのは、無しだよね・・・?っと声に出して言ってはみたが

こんなに付き合ってくれて、それはないよなと思いながら、春風館の門で別れ際

じゃ、また来週ね! 今日はありがとうねと言ってみんなと別れた。



夕方・・・・17:00。

再び、春風館に来て鏡に向かって自主稽古を始めた。


しばらくすると。

なんと・・・


来るとも何にも言っていなかったH-shiが道場に入ってきた。

まさか!

「涙がでるくらい嬉しかった」


結局、20:00まで全ての技を稽古し午前中の不安は少し解消された。


午前中には、M-sdaさんに多人数取りの稽古をつけていただき、

イメージはできあがった。


あとは、やるしかないんだが・・・


間に合うか!


2013年12月4日水曜日

4日(水)晴れ・・・お前が

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳ほとn


年末調整用のキット出荷もひと段落して、今日は早めに退社した。


冬の審査までの稽古日数が足りない・・・


梅郷駅から自転車置き場までの間、


大偉の事を思い出していた。


「お前がいてくれたらなぁ~」



大偉に・・・、「ちょっ、ちょっと良い?」と言いながら


「ちょっと手を持って」と差出しながら稽古の相手をせがみ

大偉も「えっ~、またぁ~」と言いながら一緒に相手をしてくれたんだろうね。



だからもう少しだけ、お前の力を貸してくれ!



2013年11月28日木曜日

28日(木)晴れ・・・息子さんと。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


「今年の冬は、息子さんと弐段を受けるんでしょ?」


残り少ないが・・・もう一度奮い立たせて頑張ってみよう。


遠い九州のK-noさんからの励ましのメールが届いた。


2013年11月27日水曜日

27日(水)晴れ・・・PSP

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


冬にPSP買おうかな・・・!

N-nhaが家内と話しているのを聞いてた。


毎回といってPSPの話になると、大偉が激怒した話しになる。


N-nhaが、小学生のころ学校を数日休まなければならない日があった。


私もこの話しはここ1年以内に聞いた話しなんだけど


学校を休んでいたN-nhaは、だいぶ調子が良くなってきたんだろね・・・


大偉のPSPを借りて、だまって「僕の夏休み」と「喧嘩番長」というゲームをして



「すべてクリア」



学校から帰ってきた大偉がゲームをするなり、もうクリアされている事に気が付き


もの凄くN-nhaに怒ったそうです。


その話しを、面白、可笑しく・・・笑いながら話すN-nha。


めっちゃくちゃ、面白かった!

特に喧嘩番長は凄く面白くて、クリアしちゃったら、


おにいに凄く怒られて・・・・


そのままPSPを隠してしまったんだって。


そのPSPは今でも見つかっていないです。


その話しを、みんなで笑いながら大偉を囲んで話している姿をみると

いたたまれない気持ちにもなるが・・・・


見えないけど・・・

声も聞こえないけど・・・

あれから、3回目の冬に入るが


ほんとうに、今ここにいるかのように話し

その横で抱っこをせがむ、みるるがいて・・・


二人とも寒くしていないかな?





2013年11月26日火曜日

26日(火)晴れ・・・人間と仏の違い

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


遅めの昼食の帰り・・・


お寺の入口に定期的にはってある言葉を見に行った。



「人間は、物を要求するが 仏は、物を見る眼(まなこ)をあたえようとされる」


まさしくその通りだなと感じる。



・・・物を見る眼。


言葉に表す事ができないくらいに深い言葉。





2013年11月24日日曜日

24日(日)晴れ・・・目で見て、匂いで感じる

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


最近の日曜日といえば、11:00くらいまで寝てしまっている・・・

なんてもったいない時間の使い方をしているのだと思う。


今はもう住んではいない前の家から伸びてくるつる草を綺麗にした。

夏は暑いし・・・その中に入りたくないし、ほっといてしまい、今になった。

そのおかげで、オリーブの木は昨年に全滅。

入居した時も壁ギリギリまで伸びている軒からの滝のような雨水や、

2月には雪崩のような雪が庭に落ちてきて何度も植木をダメにした。


という事で・・・遅く起きたが一生懸命動いて自分がやろうとしていた事をすべて終わらせた。


早めの夕食をとり、家内が録画していた「ステキな金縛り」という映画をみんなで見ていた。


ストーリーはこちら↓

エミ(深津絵里)は失敗続きで後がない三流弁護士。彼女が新しく担当になったのは、とある殺人事件。被告人は無実を主張。完璧なアリバイがあるという。なんと事件当夜、旅館の一室で金縛りにあっていたというのだ。無実を証明できるのは一晩中彼の上にのしかかっていた落ち武者の幽霊だけ。エミはその幽霊、六兵衛(西田敏行)に会い、彼を証人として法廷に召喚する。しかしこの六兵衛の姿は、すべての人に見えるわけではなかった。しかもエミの前には、一切の超常現象を信じない敏腕カタブツ検事、小佐野(中井貴一)が立ちはだかり……。人生のどん詰まりに立たされたダメダメ弁護士と、421年前に無念の死を遂げた落ち武者の間に生まれた奇妙な友情。果たして彼らは、真実を導き出す事ができるのか……?



六兵衛と失敗続きの三流弁護士のエミがファミレスで食事をするシーンがある。



六兵衛は、色々なもの沢山頼む・・・

店員には六兵衛の姿は見えなく、すべてエミがなり代わり注文する。


そのとき・・・エミが。


「そんなにたのんで、食べられないでしょう?」


六兵衛は・・・

「食べられなくても・・・目でみて、匂いで感じるのだ」

※正確な台詞ではないですけど。


この言葉を聞いた時、四十九日法要のお坊さんの言葉を思い出した。


あの時も、こんなような事を私達にお話ししてくださった。


みるるも大偉も、目で見て、匂いで感じているのでしょうか?


近くにいてくれているのか、まったく見当もつかないや。



2013年11月23日土曜日

23日(土)曇り・・・2011年6月3日 10:15

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、野田ガスの方が定期点検の訪れる日。

前から、家内に聞かされていたんだけど、朝起きて大偉とみるるの写真をみながら

Ao-ymaさんの名前がふと浮かんだ。


次の瞬間・・・・


大偉の訃報を伝えた

2011年6月3日 10:15を思い出した。


大偉を見ながら、とめどなく涙が流れてきた。


小さい頃の合気道・・・

お兄ちゃんになってからの合気道・・・

とても面倒見がよかったなぁ~。


ほんとに・・・今頃何をやっているのかな?


返信をいただいた方のメールを見ていた。







2013年11月13日水曜日

13日(水)曇り・・・どんな想い

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ついこの間の大島を直撃した大型台風で多くの方が亡くなられ、

未だ確認が取れない方が4名の方の捜索が打ち切られた。


そのうちの家族を特集していた。

まだ小学1年か2年くらいの男の子かな?

祖父母が面倒を見ることに・・・。

母親は、肋骨がすべて折れ、今も本土で集中治療中。

父親は、まだ見つかっていない。


その4名の中の一人だった。



たまたまなのか、その少年は祖父母の家に泊まりに行って無事だった。

祖父は何か見つかるのでは?と毎日現場に出かけているという。

男の子は毎日、仏様にお父さんが戻ってこれるように祈っているという。

「また家族で一緒に暮らそうねと」・・・。


捜索が打ち切られた、東京消防庁の方々と一緒の船に乗り

お母さんの入院している病院に出かけた。

取材者が、「お母さんに会えて嬉しい?」と聞くと

嬉しくないよ・・・だってお見舞いに行くんだよ。と答えた。



普通であれば、数週間振りに会うのだから、嬉しさもあるかと思ったが以外な言葉が返ってきた。


お母さんと話を終えて・・・

まだ、顔は傷だらけだったよ。

肋骨が全部折れ、肺に刺さっていたので話す事ができず筆談で会話をした。

お父さんの事は、無事だよと伝え早く皆で暮らしたいと・・・

それ以上の事も、それ以下の事も伝えなかった。

この言葉を聞いた時は、絶句した。

言葉が出なかった。

諦めていないとか、もうダメだとかそういう次元の考えではないんだと思った。


どんな想いで・・・


お父さんは無事だよと伝えたのか?


私が想像もつかない・・・深い思いだったに違いない。



また、三人で今までと同じように、一緒に暮らしたいと思う一心で。



2013年11月11日月曜日

11日(月)曇り・・・子供

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日から、また三日間の研修が始まる・・・。

全国から12名が参加して来年の1月まで続く。

先期も研修で新横浜まで通い、ようやく仕事と合気道の両立というか、

普段に戻れたのも束の間、また研修。


今年の冬にはサイゼリアで受けると言ってしまったし、

いつも、受けるという気持ちが今回は違ったので、どうしても受けたいと思っている。

あぁ~、身体がきついな。


初日の研修会の後、別場所で懇親会。

段々と打ち解けてくると、家族の話しだったり子供の話しだったり・・・

みんなの話しを、面白い可笑しく聞いていた。

私の子供はまだ二歳なんですよ!

へぇ~、誰かが・・・どちらですか?と尋ねると

男の子です。


その時、つい口を出してしまった。

大偉を思い出しながら、男の子は可愛いよね~と・・・。


次の瞬間・・・

田中さんのお子さんは?


この盛り上がっている状況下では、とても言えないし、言う必要もないし。

大偉も私と一緒に成長しているのだから・・・

普通に18歳と16歳ですと答えた。

そんなに大きなお子さんがいるんですか?

ちょうど同い年の人がいたので、しばし談笑はしたものの

何処かがポッカリと空いている。


梅郷からの帰り道、心の中に溜まっていた物が一気に溢れ出てしまった。

抑える事のできない、人生最大の出来事。

家に付き、Photoフレームに写る大偉の優しい顔を暫く見ていた。


2013年11月10日日曜日

10日(日)曇り・・・一年に一回の

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


一年に一回の誕生日・・・


家族の他にも、奇跡を信じて・・・

希望を捨てていない友達が病院に集まり

お友達に話しかけている。


その一瞬の出来事を見ただけで目頭をあつくさせた。


何事もなければ・・・


あるか・・・ないか。


この、あるかないかの言葉の裏に隠された

経験の違いで大きく感情が変化する。



2013年11月5日火曜日

5日(火)晴れ・・・実は

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



「人に見られる事をするには、見えない踏ん張りがそこにはある」

という言葉を思い出しながら・・・



夏に行われた、北部合同審査会の様子が頭に浮かんだ。



勝者、敗者に送られる言葉では決してなく


その当事者のまたは、それに携わった方々のために

送られるべき言葉なんだという事を忘れてはならない。



この言葉には色々な思いを抱きながら

そこに立ち向かう人への言葉なんだと思う。



この言葉を送る意味は・・・・


その人の一番近くで見ていた人が一番良くわかっている。



こんな言葉を送らなくても


一番近くにいる人が、理解してくれている。








2013年11月4日月曜日

4日(月)曇り時々雨時々晴れ・・・25周年

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


11月1日・・・会社創立記念日



1988年4月1日に入社・・・この25年を振り返ると、19年間は家族と一緒だったんだなぁ~とあらためて思う。


楽しかった事も

辛かった事も

いつも家族が側にいてくれた。

また、両親が支えてくれた。


人生最大の悲しみも・・・

家族の他にも、多くの方々に支えられて前へ踏み出す事ができた。


これからもまだまだ続く人生。


会社を辞めたいと、心配をかけた事もあったが


こうして続けられた事に感謝したい。





2013年11月2日土曜日

2日(土)曇りのち雨・・・涙に感動した。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


一年振りに、この駒沢オリンピック公園記念体育館に帰ってきた。


大偉が最後に出場した大会でもある。


駒沢に向かう間いろいろな事を思い出しながら歩いていた。


はじめて出場したのは、大偉とN-nhaと、I-ue夫人、R-maと一緒にファミリー演武に出場した。


子供達は、演武が終わると他の演武なんかそっちのけで、更衣室の前のラバーの

場所で、ぶつかり合いながら楽しく遊んでいたのを思い出す。



その後、組杖で参加した。

R-seyさんとS-go、T-noさんとM-sakiの三組で・・・・その号の秘伝には

偶然にも写真で掲載された。


N-nhaは、会場に向かう途中、ブランコに乗っては

いつまでも降りず楽しそうだった。


たくさんの思い出を浮かべながら・・・


今年は、同好会演武の他にH-shiとペアで競技演武にも参加した。

二回戦で敗退し、決勝に進む事はできなかったが、自分達の今出せる

力を発揮する事はできたと思う。

・・・が、やはり決勝戦を見ていて勝ちたかったなぁ~と思った。


そんな中、昨年二位のK-oruさんと三位のN-omiさんがペアを組んで参加し、

危なげなく決勝にコマを進めた。


いよいよ決勝・・・

仕手・受けで二本の指定自由技・・・各30秒。

2分間もの間、動き続けなければならない。

私は、どんだけ大変か想像もつかない・・・。


閉会式での表彰式では、文句なしの黒帯女子一位に輝いた。

決勝に進む発表があった時も、一位の発表があった時も、N-omiさんの目には涙が・・・



この大会の臨んだ思い・・・

稽古量は嘘をつかなかった。



この姿をみていて


「人に見られる事をするには、見えない踏ん張りがそこにはある」

という言葉をおもいだした。


ほんとうに・・・おめでとう!



2013年10月28日月曜日

28日(月)晴れ・・・言葉の重み

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今年も、後二ヶ月とちょっと。

今年は特に早いと感じるのは、私だけでしょうか?

年のせいなのかな。。。

下期の期初月だというのに、ここにきてバタバタと忙しくなってきた。。


最近、また色々と言葉の意味や、重みについて考える。

あの時、こんな事を言われたな〜、あんな事も言われたな〜。

その時は、何となくしか理解できなかった事も時が経つにつれ

その言葉の意味を理解してくると同時に重みも感じるようになる。

決して、自分が言われた時ばかりではなく、自分が発する時も同じで

軽く言った言葉が、相手を追込み、傷つけてしまう事もある。

何故、今このタイミングで言われたのか。。。



逆に自分が言葉を発する時は、それなりに気遣い、心配りが必要な事も沢山ある。


言葉を通して、私達は伝えるのと同時にその言葉にはたくさんの

メッセージが含まれている。


まだまだ、上手に伝える事ができないが、大偉に会えたら

今度は、上手に伝える事ができるだろう。









2013年10月15日火曜日

15日(火)曇りのち雨・・・台無し

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


午後から、豊洲の親会社に向かった。


本当はpm1:30の約束だったんだけど、資料作成に手間取って時間を1時間遅らせた。

pm1:30のT社に寄った後、すぐに向かった。


台風の影響で早く、打ち合わせを終えて帰ろうと思って歩いていた。


目の前を原付バイクが、歩道から歩道へ横切った。



ふと降ってくる雨・・・・顔を上にあげた。

大偉は、仰向けになって降ってくる小雨にあったっていたのか?

それとも、うつ伏せ?

どんな顔をしていたの?

今でも、何にもわからない。


これからも、ほとんどわかる事はないんだな・・・。


大偉に会うまでは、何にもわからない。

あれこれ聞くと、「もう、いいよ」って言われそう。

大偉にあっても、もしかしたら本当の事を聞く事も、大偉が言う事もないかも知れない。


大偉も色々な事を背負って旅をしているかも知れない。


大偉の人生を台無しにしてしまった事。

これからの夢ある人生だったのに。


謝っても謝りきれない。


2013年10月14日月曜日

14日(月)晴れのち曇り・・・どうでしたか?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


午後から、色々と用事があったんだけど、

最初に大偉とみるるに会いに行ってきた。


おやっ!

「もしもしけいたい」はどこかな?


話せたのかな?


どんなお話したのかな?


2013年10月13日日曜日

13日(日)晴れ・・・もしもし

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕方に、大偉と巳塁に会いに行ってきた。


う・・・っ!


二つ左隣の方の、足置き場に


「もしもしけいたい」と書かれたおもちゃがビニール袋に入っていた。


子供を連れて会いにきたのかな?

おじいちゃんなのか・・・おばぁちゃんなのか?

誰に会いにきたかはわからないが、その携帯を持ってきて


「お話しでもしたいなぁ~」と思ったのでしょうか?


そう思う前に、私がそう感じてニッコリ笑ってしまった。



そんな携帯があれば、本当に話してみたい気持ちはある。

世の中には、話せる人もいるが・・・

でも、本当に話せたら聞きたくもない事まで面と向かって聞かされるのかな?


聞きたいなぁ・・・

みるると大偉の声。

遊んでいる姿をまた見たい。



この二年間の思いを伝えたい。




2013年10月12日土曜日

12日(土)晴れ・・・ずっと。。。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉とみるるに会いに行ってきた。



今日は、無茶苦茶暑かったね。



日が暮れるのが早くなって、会いに行っても17:00まで。


なんだかんだで40分くらいいたのかな?


大偉の好きなカルピスウォーターを一緒に飲みながら


大偉とみるるの名前をずっと見ていた。



2013年10月6日日曜日

8日(火)晴れ・・・大偉の?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


会社帰り・・・梅郷駅に降りたのが22:00くらいだったかな?


柏からの始発なので、ほとんど座って帰る。

しかもホームの真ん中にエレベーターがあるので

そこに停まる車両に座る事が多い。



ホームにおり前に男性二人がエレベータの前に立っており、その後ろでついた。

ちょうど、後ろについた時に右側を向いた私と、

こちらを覗き込むように並んだ女の子が一瞬、顔を合わせた。


エレベータはホームからの死角になっており、その子は

進行方向から戻ってくる感じで、エレベータのほうを覗き込んだのだ。


そのエレベータの中に私を含んだ男性3人と

その子の4人が乗り、私は3番目、その子は4番目・・・


エレベータが動き出した時に・・・



「大偉のお父さんですよね?」


いきなりの言葉だったので、はじめは何て言っているのかわからなくて、

言葉を発したから振り向いたという感じだった。


振り向くと・・・


「大偉のお父さんですよね?」

・・・「はい。」

「S-yaです」


「・・・あぁ~!。。。元気?久しぶりだね」


言われるまでまったく気がつかなかった・・・。

まったくわからなかった。

じっくり見れば面影はあるが、一瞬しか見ていないのでわからない。



ついこの間まで高校生で、近くの家電の量販店でアルバイトをして

たまぁ~に、買い物に行くと声をかけてくれたり。


卒業して進学してから、六ケ月くらいしか経っていないというのに

少しづつ大人顔になって、声をかけてくれなければ、気がつかないんだなぁ~と

改札を抜ける少しの間だったけど、そんな事を思いながら話した。


声をかけてくれて嬉しかったのが本音。

高校生の時に見せてくれていた、同じ笑顔だった。



自転車に乗り帰り道・・・


大偉はどんな顔をして・・・どんな生活をしているのだろうか?

段々と社会に触れると顔つきが大人っぽくなっていくのと同じように、大偉も変わっていくんだよな。



2013年10月5日土曜日

5日(土)雨のち曇り・・・聞こえてきたのは

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



一般部の審査を行っていた・・・


審査途中から聞こえてきたのが


隣で練習をしている子達からの、浜崎あゆみの曲だった。


しかも、大偉がはじめて買ったCDの


その時も流れていた局だった。


こんなところで、こんな曲を聴くのかと・・・


何もなければ、ここにいたんだと。




2013年10月4日金曜日

4日(金)雨のち曇り・・・みるる

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


会社のイベントとして期初会議がある。


前期の反省と、今期はこのように予算達成に向かって進んでいくんだという

会社の目標・・・

部の目標・・・

グループの目標・・・

をこの期初会議で発表する。


1日には、親会社の統括部とファミトレを行い、向かう意識を統一した。



いつもは、仕事の関係で自分のパートのところしか参加しないが今回は、初めから出席した。


午前中は、打ち合わせを行い話をまとめてきた。


この半期、半期の期初会議になると・・・・


いつも、みるるを思い出す。


2011年4月9日・・・この前日もそうだったからだ。


4月8日の期初会議、決起大会・・・


その翌日にみるるが旅立った。


私が立って着替えていた場所で。


帰ってきた時は、出てこなかったんだけど・・・

着替えて2階に上がっていった後の出来事。


朝、起きるまで誰も気がつかなかった。


あんな小さな命を・・・






2013年10月3日木曜日

3日(木)晴れのち雨・・・思い出して

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉の事を思い出しながら、ブログを読み返していた。


会葬のお礼・・・

一周忌を迎えて・・・


普段の思いに加え、今回の痛ましい横浜線の事故。



その一部始終を見ていた、父親の


悔やんでも、悔やみきれない思い。


母親の相手に対する気遣い・・・



色々な思いが重なりあい、読みながら思い出しては・・・・



同じ状況ではないが、「悔やんでも、悔やみきれない」



2013年10月2日水曜日

2日(水)雨のち曇り・・・涙した

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


PM10:30くらいに家に帰ってきたのかな?


遅めの夕飯を食べ終えようとしていた頃に、飛び込んできたニュース。



踏切で倒れている男性を「助けなきゃ」と父親の制止も聞かず・・・

車の助手席がおり男性を助け、自分が亡くなってしまった。


父親の目の前で起きた出来事だった。


わずか7秒・・・


事故が起きたの1日11:30・・・・

私は、今耳にした時にはじめて知った。


お箸がとまった・・・

涙が溢れ止まらなかった。



こんな事が起きてしまうなんて。


多くの方が献花訪れていた・・・



踏切の目の前で、その光景を見ていた父親は悔しかっただろうに。


突然の連絡に母親は、いったい何が起きたんだろうと思ったに違いない。



誰もができる行動ではないが・・・・





2013年10月1日火曜日

1日(火)曇り・・・次のチャレンジ

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



昨日までの上期と違い、翌日には下期・・・


毎年、毎年の繰り返しだが、この間に1日でも休みがあったらなぁ~といつも思う。


また、予算が言い渡されそれに向かいグループ、部、会社が進んでいく。



また、半年がんばろう!



今年の冬には、個人的なチャレンジもあるしな・・・(超~不安ですけどね)





2013年9月30日月曜日

30日(月)晴れ・・・期末

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ようやく上期末が終わった。


今思えばあっという間だったが、大変だったなぁ~。





2013年9月29日日曜日

29日(日)晴れ・・・チャレンジすること

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


二ツ塚の講習会に参加した。

色々と、勉強になり忘れかけていた事を思い出した。


印象に残った言葉は、苦しい事にチャレンジすること。

このチャレンジする事で、更に一歩前進できる。。


このA-ndo師範の言葉は、仕事にも通じる言葉だった。


それにしても、今回の講習会でいかに自分ができていなかった事がわかった。


この講習会では、吹上のI-ueさんと一緒に受けたが、

面を受ける段階から、自分のバランスが崩れている事がわかった。


私と殆ど背丈が変わらないA-ndo師範の膝の使い方を見ながら、

やっては見たが、中々できない。。。。

師範の凄さをまじまじと見た講習会であった。



節目、節目では、大偉の道衣を着て参加しているが、

大偉の力を持っても、I-ueさんには自分の感じている合気道ができなかった。


やはり、年数の差を感じた講習会だった。



2013年9月28日土曜日

28日(土)晴れ・・・がまんさせちゃったね。

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



全国11会場・・・4月から各地で「OCTOBRFEST 2013」が開催されていて

9/27(金)~10/6(日)までお台場で行われている。

入場は無料なんだけど、ビール代と食事代はもちろんかかる。


HPを見ると意外とビールと食事代が高い・・・

地元ドイツビールとソーセージを堪能したり・・・と考えればたまにはそれもいいのかな?と思ってします。

食事は、ある程度つまみがあればもつけれど、ビールはそうはいかないもんね。


でも、見ていると楽しいそう。

気の合う仲間と、飲むビールは格別だもん。



・・・・で、行くにもN-nhaはバイトだし、

じゃ・・・銀座のホテルへランチバイキングは?


三人で行けば電車賃だけでも馬鹿にならないし

着ていく服まで気にしなければならないし、


結局、地元の済ませば2回行けるということで落ち着いてしまった。


身の丈です。


今思えば、子供達には色々とがまんさせてしまった。

気を使わせてしまったと反省している。



好きな物を頼んで良いよと言いながら、子供達は親の食べる物を見て

決めたり、知らないうちに顔色を見ながら決めていた。


二人ともそうだったけど、特に大偉はそうだったなぁ~。


親がそうだったから、子供が敏感に感じてしまうんだな。


確かにお金はあるほうではないが、その時、その時の美味しい食べ物を


食べさせてあげる事ができなくて・・・今でも食事をしに出かけると思い出す。



2013年9月27日金曜日

27日(金)晴れ・・・ようやく

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ようやく8割方の締め作業が終わり、あともう少し・・・。


今度は期初会議に向けた資料を作成しなければならない。


期末から期初にかけたイベントも盛りだくさんで、一息つく暇もない。


2013年9月26日木曜日

26日(木)曇り・・・ニ年ぶり

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


三連休の後の仕事でニ連泊・・・


今日は、割と早く会社を出る事ができたかな?


今週末はいつもの稽古と、日曜日にはA-ndo師範が二ツ塚にやってくる。



楽しみで、楽しみで待ち遠しい。

稽古に入った時の、構えのかけ声がものすごく好きで

ピンと張りつめた空気の中での緊張感といったらたまらない。

一瞬たりとも見逃すまいと、技をじっと見ている。

普段からも、J-im先生の技もじっと瞬きもせず見て、

話しも聞き逃さないようにと仕事以上に真剣。

家に帰りお昼を食べれば、もうぐったりです。




電車の中で、色々と考えていた。


A-ndo師範がこの地を訪れるのは二年ぶりだな。

ちょうど、大偉の時だった。

先生には、会葬でも色々とお世話になり、R-seyさんとA-ndo師範のお取り計らいで

大偉の黒帯を持たせてやる事ができた。


今日は大偉を連れて二ツ塚に行こう!



A-ndo師範は、流山インターからのバイパスを通ってくるのかな?

もし通れば、大偉はその車を眺めているだろうな。


2013年9月25日水曜日

25日(水)曇りのち雨・・・今日も・・・

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


あぁ~・・・今日もホテルに泊まり(泣)


こうでもしないと期末の締めが終わらないし、遅くまで会社に残って

翌日、朝早く出社するよりもベットの中にいる時間は長い。


だけど・・・あまり眠れない。


枕が合わないよ〜。



この期末が終わった、翌日には来期になるが


色々と期初会議資料の作成やら、会議の資料作成やらと休んでる暇がない。


少しくらい休みたい気持ちでいっぱいです。




2013年9月24日火曜日

24日(火)晴れ・・・残り1週間

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


期末の最終週に突入!

今日から、めまぐるしい1週間がはじまった・・・


この忙しい状況で、ちょっとしたミスが大きく計数に響くため

みんなピリピリしている・・・


この期末も過ぎれば、あっという間に秋が過ぎ冬がくる。




大偉とみるるは暖かくしているのだろうか?




2013年9月23日月曜日

23日(月)晴れ・・・あっという間の

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


1回目の三連休といえば・・・最後の研修前で課題をこなしていた。

今回の三連休は、特に何もしていないが、「あっという間に過ぎた・・」


そのあっという間の三連休で、二人の同好会の方と偶然にばったりと会った。


一人は・・・伝説の蕎麦屋事件の4人の中の一人のF-jiwaraさん。

もう一人は、福岡から会議で一旦、戻ってきたK-noさん。



F-jiwaraさんは、ほんとに久しぶりだったけど

合気道をしていた時よりも、ずっと肌艶が良かった・・・なぜ?


K-noさんは先月のBBQでお会いして、お約束のサイゼリアに行ったし・・・



それにしても・・・二人とも良い笑顔だった。



2013年9月22日日曜日

22日(日)晴れ・・・お袋

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


久しぶりに実家に遊びに出かけた。

お彼岸で、両親が来ると言ったが、毎回来てもらっているので

こちらから出かけていった。


夕飯は、外に食べに出かけたが、ふとお袋の腕を見て

ずいぶんと細くなったなぁ~とおもった。


両親には苦労かけてばっかり・・・


そんな人生にしてしまった。


反省しても、時間が戻ってはこない。


これから・・・少しずつでもいいから孝行したい。



2013年9月21日土曜日

21日(土)晴れ・・・演武稽古

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



再来月の11/2に行われる演武大会の稽古を開始した。


すべての科目を決めたわけではないが、少しずつ仕上げていく。


ちょっと場所が遠いんだけど・・・


今ではすっかりと年間行事の一つとなった。


帰りは、またラーメンやに行こうね!



2013年9月20日金曜日

20日(金)晴れ・・・代われれば

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


常磐線が茨城の地震で、ちょっとだけ遅れた。

休み明け以外は、だいたい、上野まで行き山手線に乗り換える。


日暮里から少しの間だけど座れるのと、浜松町から改札に抜ける最短な車輌に乗れるからという理由で、上野まで行っている。


最近の夢はと言えば・・・大偉のその夢ばかりだというのも、あると思うんだけど・・・




大偉が旅だって・・・「自分がこうしているなんて」と思ってしまう。


もっともっと、やりたい事がたくさんあったはずなのに・・・


大偉には、いてもらいたかった。


色々な経験をさせてあげたかった。




本当に旅立った人の分までなんて思った事はない・・・ただ、残された家族を養うのと

N-nhaしか成長をみる事ができなくなってしまったので、日々の成長を感じながら大偉はこうかな?

ああかな?と思う。


また、合気道に出かければこんな感じで稽古をしているのかな?と

周りの人を感じながら大偉の成長を思い浮かべている。

小さい子供達をみれば、このくらいの時は大偉はこうだったなぁ~とか・・・



今では、N-nhaや、私の知っている大偉の友達を見ては、あの子より2歳年上だから、こんなかな?




思い浮かべては、想像する事しかできない・・・


明日から三連休・・・

実家にも遊びに行くけど、結構、親父やお袋に会うのが辛いんだよね。


子供達の事をよく可愛がってくれていたから・・・




2013年9月19日木曜日

19日(木)晴れ・・・はっ・・・と

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


最近もまた、はっと目を覚ます事が良くある。

しかも大偉の夢で・・・


当日の出来事で。

柏警察にみんなが集まって、大偉を見る姿・・・




棺の中に・・・




ほんとの最後の日というのが適切なのかわからないが


お花に囲まれて、顔を出している大偉。



最近、見る夢はこういった夢ばかり。





ほんとうに旅先で何をしているのだろうか?

みるると会って仲良くしているのだろうか?

おじいちゃんや、おばあちゃんに逢えているのだろうか?



2013年9月18日水曜日

18日(水)晴れ・・・解放?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


やったぁ~!というよりも、やっと終わったという感じで

どっと疲れが押し寄せてきた。


この四か月ものあいだ、T社研修プログラムに束縛され、研修のほかにも

e-larningの課題が山ほどあり、大変だった・・・


この大変も昨日と今日の研修で最後となり、ようやく解放された。


振返れば、研修に参加して良かったと思うが、最後の二日間は、

本当に嫌で嫌で仕方がなかった・・・


自分の不得意の企業会計だったから。


この克服をしない限りは、この先も不得意のままなんだろうな?

どうしても不得意なものは後回しにしてしまう気があるので

どうにかして今後は克服できるようにしたいなぁ~と感じた。


なんでもそうだけど、得意科目ばかりしても・・・・

この不得意を克服した時に、次の新しいステップへ切り込めて

いけるんじゃないかなと思う。


とにかく、克服あるのみ!


今日は、誕生日だというのに昨日は研修が終わり一旦会社で仕事・・・

その後、新横浜で泊り・・・。


今日は、会社の近くで泊り・・・。


期末の二日間の穴埋めが大変です。








2013年9月14日土曜日

14日(土)晴れ・・・好きな物

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕方に家内と買い物に出かけた・・・

特に何を食べるとかは決めていないまま、お肉を買ったり、

ビールのおつまみを買ったりと。


テーブルに並べて料理を見て、

みんな大偉の好きな物ばっかりだね!と家内が言った。


一回の食べる量は少なくて、すぐに・・・「お腹、減ったぁ~」と言ってくる。


旅先でも、しっかりと食べているのか心配だよ。


たまには、お家に寄ったら?



2013年9月10日火曜日

10日(火)晴れ・・・手紙

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


山の手線の車内広告にある手紙。


ちょっと忘れたけど、電車の車両の脇に広告として紹介してある。。。


自分の夫が病気でなり・・・亡くなり。

今でも夫に会いに来てくれる方々・・・

当時は、看病しながら・・・看病されながらと

色々な思いを押し殺しながら、お互いの思いを気遣う。

泣き言を言えば今にも崩れ落ちていきそうな思い。

そして・・・今でも、毎朝話しかけている。


その書いている内容をじっと読んでいた・・・


その広告の手紙を読みながら、同じ思いをしていた。

 


2013年9月9日月曜日

9日(月)晴れ・・・パンク(泣)

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



先週末直して、OKだと思っていたんだけど・・・・帰りには、またパンクだよ。


行きは、ものすごく調子良くて自転車置き場まで来たんだけど、帰りはパンクだよ


日曜日の夕方に直したんだけど・・・ちょっと雑だったのかな?



大偉にもパンクの修理の仕方を教えて、学校に通う自転車置き場で直していた。


教えた先生がこれだから、大偉もたいした事なかったかな?


2013年9月8日日曜日

8日(日)雨・・・お留守番かな?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


久しぶりの雨・・・

みるるに会いに行ってきた。。


大偉と仲良く今日はお家でお留守番かな?


大偉が帰ってきて、みるるにちょっかいして

みるるに怒られている姿を思い出すよ!


それでも毎日、仲良く遊んでいたよね。


旅先でも、きゃっきゃと遊んでいるんでしょうね?



 

2013年9月7日土曜日

7日(土)晴れ・・・ちょっとだけ!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日から規定技の稽古をちょっとだけ本気モードに突入!

残された時間でどこまでできるか?


自分でもどこまでできるかわからないが


ここから進むか、そのままで終わるか・・・


すべては自分の心が決める。

 

2013年9月6日金曜日

6日(金)晴れ・・・繋がり

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



期末に入り、9月単月の計数ろ通期の計数を見込値として報告した。

若干、届いてはいないが私の持っている案件を見込値とすれば

クリアーをできるところまできている。


会議の後、早速本社に出向き現状の報告と、見込の提出以来、

並びに更に上乗せ要請をした。。

月に何回も顔を出しているからではなく、やはり25年前の繫がりがあり、

お互いの思いを話し合い、今期の計数にぶつけていった。


一度は違う部署で、離れはしたが最後の決め手は「繫がり」

この言葉に尽きる。

だから、一期一会を大切にしなければならないんだよね。


何処でどう?お付き合いになるか人生わからないからね。


繋がりという言葉と一期一会という言葉の繋がり・・・


大偉とみるるを思いながら、身に染みて感じています。


2013年9月5日木曜日

5日(木)晴れ・・・課題(泣)

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


あぁ~、研修が17日、18日にあり、その課題に追われている。

仕事もこなしながら・・・課題をやることの辛さ。


もう嫌になる。


この間、なぜ夏休みに宿題があるのか?

という問題にラジオを聞いているリスナーからたくさんのコメントが寄せられた。

その中の一人が・・・


宿題の内容はともかく、これから先社会人となり、

たくさんの試練を乗り越えるための一つの手段として

毎日、その課題に向かって進む事を目的としているのでないでしょうか?

というコメントを聞いたとたん、あぁ~俺は日にちがたくさんあるにもかかわらず、

一問もしてこなかったな・・・

あの時は、まだ日があると思っていて何もしなかったけど

今はほんとうにヤバイ!

2013年9月4日水曜日

4日(水)晴れ・・・親子対決!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


古賀稔彦
日本の柔道家。環太平洋大学教授。 佐賀県三養基郡北茂安町出身。1992年バルセロナオリンピック柔道男子71kg級金メダリスト。身長170cm。

家に帰ると、高校1年息子と柔道対決をしていた。

古賀稔彦 45歳
古賀はやと 16歳 高校1年

はじめての親子対決

1試合5分 勝負 ✖ 3本・・・先に2本取った方が勝ち。。

私は小学高学年だったと思うけど、柔道が好きで

TVなど高校生の大会などやっていると良く見ていた。。

結構、TVで見ていると地味なんだよね。


中学・高校の体育の授業でも柔道を選択した。

決して上手とは言えないが、見ていた分だけ他の人よりは出来たと思う。

小学生の時に同じクラスでよく遊んだ友達が、中学では柔道部で
 
体は大きくないけど、体つきが凄くて、びっくりした記憶がある。。
 
その授業ではじめて、柔道部だという事を知った。

古賀稔彦と私は同い年。息子さんよりも大偉のほうが3歳上。

大偉が小さい頃、和室で柔道ごっこをして毎日遊んでた事もあった。

会社から帰ってくると、「パパ、いっしょにやろう」って・・・。

お互い、トーッっとか、ヤッーとか言いながら両手を上にあげて、

大きく見せて技を私が技をかける。

2、3回大偉を倒した後に、私が足払いをするタイミングで、足をすかし私の足を払う燕返しを

教え何度も練習して、本当にタイミングがあうと、すてんと一瞬にして倒れる。

大偉は得意そうに私を何度も何度も倒していた。。


※燕返し
受け出足払をかけてきたとき、その払ってきた足をすかし、その力を利用して投げる技。

その親子対決を見ながら、こんな感じに私と大偉も見えるんだろうな。

この間の審査後で、中学2年のK-skeの受けをしている二人の姿を見て

大偉と審査をしているかのように見えたとI-ueさんが言っていた事を思い出した。


小学生の頃は、大偉とN-nhaの仕手・受けで和室で稽古したもんだ。

審査当日は、心配で心配で・・・見ていればひょうひょうとやってのける。

この度胸というか何とも言い表せられないけど、大人なんかよりもずっと

やってのける子供達には、いつも誇らしく見える。


私ももっと一緒に稽古したかったなぁ~。

合気道は試合がないけど、間合い、力の流れなど伝えたり、伝わる事はたくさんある。

いつも大偉と一緒に、稽古している事を忘れずに、

恥ずかしくないような、合気道をしたい。


また・・・今週ね!




 

2013年9月3日火曜日

3日(火)晴れ・・・パン

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


N-nhaが学校の授業で、パンを作ってきた。


夏休み早々、普通の授業・・・私の時もそうだったかな?


出来栄えは上々・・・

大偉とみるるにも食べてもらった。


紙袋の中から、一番上のを取ったんだけど、

きっとそのパンが一番、形が良かった・・・・


食べてから気が付いた!


大偉も、みるちゃんもパンが好きだったから、喜んでいると思う。


旅先で、ちゃんと食べているかな?



2013年9月2日月曜日

2日(月)晴れのち雨(一部竜巻)・・・時計の針

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



時計の針を巻き戻せるなら・・・

2011年3月12日。

卒業式を翌日に迎えた3月11日、東日本大震災が起こり全員がバラバラになった。


それでも時計の針はとまらず、卒業式を迎える事ができなかった生徒達はそれぞれの進路に進んだ。


自分の時計は止まったままだというのに・・・

重い気持ちを胸に閉じ込めて。

とても悲しく、辛い気持ちをその小さな胸に抱え

時には潰されそうになりながら、じっと堪え、泣きじゃくった日々も少なくないでしょう。


これから先、その思いを癒える事はできないかもしれない。



24TVという大きな力でその止まっていた針を少しづつ動かす事ができた?・・・かもしれない。



卒業式にみんなで歌う曲だった、川島あい・・・「旅立ちの日に」
http://youtu.be/8VKluIr_CNo


言葉には表せられない思いを込めて、

胸をはりみんなで歌っていた。



愛犬を亡くされた方の顔

弟を亡くされた方の顔

愛妻を亡くされた方の顔

お父さん、おじいちゃんを亡くされた方の顔を思い浮かべていた。。



時計の針を動かせる事ができるなら。。。どんな事でもしたい。

そんな気持ちでいっぱいです。


大偉とみるると家族全員で動かしたい。


私もみんなに支えられ、ここまでやってこれた。


心優しい周りの方々に支えれた。


辛く、悲しい時も・・・。



それにしても大偉と卒業式に出たかった。

とても羨ましかった・・・。

みんなとても良い笑顔だった。



大偉と、みるちゃんの時計の針は動いていますか?



2013年9月1日日曜日

1日(日)晴れ・・・誰かが

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



現場に出向いた。

夕方でもまだまだ暑い!

最近では、陽射しが痛いくらいな感じがする。


花瓶を綺麗に洗って、お花
を手向け、お線香を焚いた。

ここ最近は、いつも周りが綺麗になっている。

どなたかが、草を抜いてくれている。

端に抜いた草を纏めておいてあるからだ・・・



もしかして、畑のおじさんかおばさんかな?

3年目の夏・・・まだまだ厳しい!



大偉とみるるは、旅に出ているけど。

私達の心の中で生き続けている限り、何時も一緒だよね。

ときには、無性に寂しく、悲しくなりどうしようもできなくなるけど。。。








2013年8月31日土曜日

31日(土)晴れ・・・稽古

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


早く起きようと、前の日に決めていたんだけど・・・

起きたのは8:04am

6:00am

6:30am

7:00am

7:15am

8:00am

と5回の目覚ましセット・・・ようやく起きれた。

2週間ぶりの稽古だというのに。



受付を済ませ道場に入ると、子供達が鬼ごっこをしていて既に汗だく状態。

とにかく子供達は元気だな!


一般部の稽古では、ここ最近は基本重視の稽古が続く・・・

いかに自分ができていない事がわかる。


久しぶりの稽古でものすごく充実した稽古だった。

この調子で、12月を迎えたいと思う!

2013年8月30日金曜日

30日(金)晴れ・・・暑い!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ついこの間は、ちょっと涼しい日が続いたんだけど・・・

今日は、無茶苦茶暑い!

しかも蒸し暑い。



そう考えながらも、今年もあと4ヶ月しかない。

月日の経つのは早いな・・・・


大偉もみるちゃんも暑いんだろうな・・・




2013年8月29日木曜日

29日(木)晴れ・・・元気!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


用があって、上野から御徒町の間のアメ横を歩いていた。

そうすると、紺のスーツ集団がスローモーションで歩いている!

「あっ。。。」

しゃべくり7にこの間、出ていた須藤元気のパフォーマンスチームだ!


そのまま後をついて行って、ちょっと話せるタイミングだったので、


「この間、しゃべくり見ましたよ!」と声をかけながら近づくと

「ありがとうございます!」

と握手をしてくれた・・・感激!


角に曲がり・・・「あっ、写真!」と思い出し遠目から撮った。



そしたら、私の方向に向かって歩いてきた。

「これからも頑張ってください!」

「はい、お仕事頑張ってくださいね!」


と言葉を交わし、すかさず家内に電話・・・

写真でも撮ったの?

「あっ、そうだ!二人で写真でも撮れば良かったなぁ~」

家内が大ファンなんです~って言えばよかった。

あまりに興奮しすぎて写真のことなんて頭になかった。


結構・・・言葉を交わす前から須藤元気も私の方をチラチラと見ていたので

なんとなくわかっていたんじゃないかな?


それほどファンではないけど、芸能人が前にいると結構、はしゃぐもんだな・・・

私だけですかね?


そんな事より、今日は家内のHappyBirthday!

お祝い!・・・お祝い!

 

2013年8月28日水曜日

28日(水)晴れ・・・久しぶりに

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


久しぶりに、ホテルに泊まった。

8月は稼働日が少ないので、例年であればそれほど忙しくならないんだけど。

残り1週間で立て続けで注文が入った。

しかも、締め作業もあり、目処が立たず、とうとう泊まってしまった。。


そんな事より、稽古が待ち遠しい!

先週は、体育館が剣道大会で使用できなかったため稽古休みとなった。

それはそれで、十分に休養が取れたんだけど、・・・


久しぶりに稽古が待ち遠しいと思う気持ちが湧いてきた!

ここ最近は、そんな事を感じる暇がなかったなぁ~


ハリキリすぎない程度で、稽古を楽しもう!

一から出直し!

 

2013年8月27日火曜日

27日(火)晴れ・・・一礼

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


帰る時は、じゃぁね、また家でね!と言ったり

お友達が来ていると何を話したの?

みるるは大丈夫だった?

とか、話すんだけど。。。


17日の夕方。。。

では、行きましょうか?

先頭を歩き出したが、・・・

何となく、特に意味もなく振り返った。

振り返ると、I-ueさんが大偉とみるるの前で一礼をしていた。。。

その姿が、私の瞼の奥にしっかり焼き付いて、毎日のように思い出される。

来ていただけるだけで、嬉しい気持ちでいっぱいだと言うのに

そこまでしていただいて、適当な言葉が見つかりません。

本当にありがとうございます。


J-im先生、K-noさんも昨年に引き続き会いに来ていただいて

本当にありがとうございます。


では、来年もサイゼリアにいきましょうか!
 

2013年8月26日月曜日

26日(月)晴れ・・・支える人達

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

24H TVで見事完走した大島美幸の特集をやっていた。

家ではリアルタイムで24Hマラソンを見るのは最後のゴール1Hくらい前からかな?

それよりも、翌日の特集を見た方が実際の苦しさ、とても辛く長い道のりでの

ランナーとスタッフの思いなどを垣間見る事ができる。


あんな長い距離を、夜通し走る事に誰が決めたんでしょうかね?

足が痛く、腰が痛く、体が重く。。。。

逃げ出したくなる気持ち

折れそうになる気持ち

ただ、ただ、沿道からの「頑張って!」の声援でどうにか足を前にだす。

待っている仲間がいるから。

思いを共有しながら、待ち続ける仲間達。。。。


その思いを裏で支えるスタッフ達。

自分たちも苦しいはずなのに、決してそんな顔を見せる人は誰一人ともいない。


全員で、気持ちを一つにして!

大島美幸を支える。

泣き言を言っている。。。

歩き出す。。。

泣き出す。。。

それでも、最後まで支えるスタッフ達の姿に敬意を表したい。

最後には何事もなかったかのように、す~っと消えて行く。


最後まで裏方に徹する姿は、自分は真似が出来るほど

できていないなぁ~と感じる。


でも、私の周りには支える事のできる人達がたくさんいる。。

私自身も、たくさんの方がたに支えてもらっている事に、

彼らの顔を思い浮かべ感じている。

 

2013年8月25日日曜日

25日(土)曇り・雨・・・たいしたもんだな

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


たいしたもんだな!

88Kmを休憩しながらとはいえ、夜通し走って・・・

アスリートではないので、ほんの短期間でのトレーニングだけで。


時間内に完走する事が目的だけど

とにかく最後まで走って帰ってきたという事に感動する。


スタートしたら、最後まで諦めない気持ち・・・大事だよね。



2013年8月24日土曜日

24日(土)曇り・・・ごめんね。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


9:00pmからのドラマ「今日の日はさようなら」を見ていた。

印象に残ったシーン・・・大偉を思い出した



「4つ、揃えた。・・・」
 入院して食卓にはいないのに、いつも通り、ざる蕎麦のおつゆを用意した。
 
「大切な人に何を一番、覚えてもらいたい?」
 大偉は何を 覚えてもらいたいかな?
 何を伝えたかったの?
 何を伝えたいの?
 大偉、みるちゃんの事は、私の知っている事は全部覚えているから・・・
 
「晩ご飯何?」
 ただいまぁ~!
 あぁ〜、疲れた!って帰って来ないかな?
 
 
 
普通の生活だったのに突然の宣告・・・
 
 
最後には、食べる事もできなくなり息子からカテーテルを
 
外してもらうように、医師に伝える・・・
 
一度は、頭を下げ外してもうらように父親が伝えるが医師の手を掴み静止する。
 
 
意識が混濁する中、最後の最後に父親から息子への最後の事が告げられる。
 
 
 
 
大偉への最後の言葉は何だったかな?
 
みるるへの最後の言葉は何だったかな?
 
私の事だから、きっと大した言葉なんて言ってないんだろうな・・・
 
 
慈恵医大柏の集中治療室・・・
 
まだ手は暖かい・・・
 
心拍数の機械はまだ動いている・・・
 
ぎゅっと手を握っても、握りかえしてこない。
 
耳元で「大偉!・・・大偉っ」と何度も何度も呼んでも
 
大きな声で呼んでも返事はない。
 
胸を思いっきり叩きながら
 
「帰って来い」・・・
 
「戻ってこい」・・・と叫んでもなんの返事もない
 
「弱っちぃなぁ~・・・、なんだよこんな事で。。。」の言葉が残る。
 
 
 
心拍数の機械の数値は心拍数を表してなんかいなかった。
 
 
ただ、装置を動かすだけの数値にすぎなかった。
 
 
きっと、私から大偉、みるるへの最後の言葉は
 
 
「ごめんね」・・・
 
 
今度あった時も、ぎゅっと抱きしめ謝りたい。
 
 
そこから再スタートだ。
 
 
 
 

2013年8月23日金曜日

23日(金)晴れのち雨・・・ふと・・・

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


20日まで休みをいただいていたので、この2日間の仕事をこなし

正常に戻すまで大変だった。


そんな忙しい時間だったのに、ふと頭の中をよぎった。



Yajiちゃんの弟の事だった。


痛かったろうなぁ~。

苦しかったろうなぁ~。

悔しかったろうなぁ~。

今頃何をしているのかな?

色々とやりたい事もあったろうに・・・

親を楽してあげるために頑張っていたのに・・・


事が起きるって・・・ほんの一瞬なんだよね。

その一瞬が・・・少しでいいから、ずれていたのなら。


3秒・・・

あと、3秒ずれていたら。

何も起きていなかった。


1秒の命の重さを知る。


1時間で、3600秒

1日で、86,400秒

1年で、31,536,000秒

2013年8月22日木曜日

22日(木)晴れ・・・長生き

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


結婚するまでは、「死」なんて考えられなかったし、

自分もできれば死にたくないし、長生きしていたいと思っていた。


あれ以来・・・特に「長生き」という事に関しては特にこだわりというか

上手く説明ができないけど、その感覚はない。



ただ、無駄な「命」の使い方だけはしたくないと思う。

いつ幕がおりるかわからいが、それまではしっかりと生きていたい。


まだまだ、やり残している事もあるし


N-nhaの成長を見守っていたいのが一番だから。


N-nhaの成長を見ながら、大偉はこうかな?ああかな?と感じたい。

なんだかんだと、N-nhaに構っていたから、今でもみるると傍にいて

守っているんだろうな・・・・。


若くして、みんなを守る立場になってしまうなんて・・・

2013年8月19日月曜日

19日(月)晴れ・・・特定できた?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日から出勤する人が多い中、私は20日までお休みをいただいた。

朝の情報番組を見ていると、救急搬送されてくる病院に密着した番組だった。


年配の女性が、朝お風呂に入っていて倒れ、夫に付き添われ救急車で運ばれてきた。

しかも発見されるまでの間は、4時間・・・。


救急隊が、病院に入ってくる間も、ストレッチャーで移動中も

心臓マッサージをしながら集中治療室に入ってくる。


医師達も情報を聞きながら懸命の治療にあたるが・・・

不運にも戻ってはこなかった。


もしかしたら、事件性も視野に入れ司法解剖もあり得るところだったが、

その医師は、ついさっきまで元気だった奥様の横にいた主人に

死因を特定するため、CTを撮った。


「くも膜下出血」だった。


この医師の判断により、司法解剖をする事もなく

そのままご遺体を家に帰す事ができた・・・


もしかしたら大偉も・・・

何もせずそのまま帰してもらいたかった。

あんな体で帰ってこなくても。


主人の「なんで逝っちゃったんだよ・・・ばかやろー

あんなに元気だったのに・・・・」

という言葉だけが残った。


2013年8月17日土曜日

17日(土)晴れ・・・1日遅れの送り火

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、毎年恒例になったBBQ!

朝、買い物をしてから道場に入り、大偉の写真を正面左側に置いた。


少年部の途中から、ニッ塚のR-seiさんが道場に入ってきた。

いつものように、一番小さい子の面倒を見てくれた。

K-noさんが帰省で道場に入ってきた。

一般部がはじまりすぐ、I-ue夫妻が道場に入った。

これで、本日全員が集合した。


私にとっては、一年の中でも色々と感じる中の1日。




大偉も一緒に稽古していたのかな?


今もこうして道場の中にいて一緒に稽古をして

こんな形での写真ではなく、いつものように後ろで控えめに立って

写真に写っていたんだろうな?

いろんな人に可愛がられて・・・


今年の冬は、大偉の分まで頑張るよ。

I-ueさんからは、大偉にお心遣いをいただきまして、ありがとうございました。




この後は・・・恒例のBBQ!

みなさんどうでしたか?

色々な面で、期待ハズレだったと思ったのは、私だけではないですよね?

少なくても、J-im先生と、I-ueさんもですよね!

でも、今回も忙しい中、集まってくれてよかった!

結果、楽しいBBQになった。








2013年8月16日金曜日

16日(金)晴れ・・・送り火

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


N-nhaのバイト帰りを待って、玄関先で送り火を行なった。

ここと、旅先との境界線を引くために・・・

けじめをつけるために。


一年に春彼岸、秋彼岸があるというのに、

このお盆の数日間は、まったく感じ方が違う。


そんな一年に一回とは言わず、毎日傍にいてほしいと願う。



2013年8月15日木曜日

15日(木)晴れ・・・どなたですか?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


13日の夕方から、今日の午前中までの間に

大偉のお友達かな?

どなたか来て下さったみたいですね・・・。


できましたら、お名前を書いていただければと思いますので

よろしくお願いしますね。


それにしても連日の暑さの中、

わざわざ、会いに来てくれてありがとうございました。

2013年8月14日水曜日

14日(水)晴れ・・・久しぶりの

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日から、ようやく夏休み!


N-nhaがバイト休みだったので、久しぶりに映画を観に出かけた。


「ローン・レンジャー」


家族で映画を観に出かけたのは、ドラえもんだったかな?


今みたいに座席指定ではないので、

入れ替え制とはいえ、座席争奪戦!


前の方しか空いておらず、首を曲げて・・・

まるでジェットコースターが上に上がる時の傾斜よりもきつかった。


ドラえもんの音は、ものすごくて耳が痛いくらい

だというのに、かなりはじめのほうから寝てしまった。


まったく内容がわからずThe End。


待ち時間のぶらぶら買い物中も、その話題・・・

しかも、N-nhaも覚えているというからビックリ!


普通は、映画が終わった後に色々と話すんじゃないの?

子供メインの映画なのに・・・


だから、家はその後からは子供達だけで映画に出かけた。

今日も、寝たらただじゃおかないからねと言われながら

ちょっと疲れてきた。


ちゃんと映画は見て、無事修了!


最後の映画だったので、終わりは23:00。

その後に、食事をして帰った私は、バタンQでした。

 

2013年8月13日火曜日

13日(火)晴れ・・・迎え火

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


12日が迎え火なのかと思ったら、13日っぽい。

ちょっと遅めに会社に出勤したため、朝から提灯を片手に

お寺まで迎え火をいただく人がいた。



N-nhaは、バイトだったので帰ってきてから

玄関前で迎え火をした。


あれから、三回目の夏。

中々、会えないもんだな。

今までに、2回かな?

夢に出てきたっぽいんだけど、どれもこれも顔がわからなかった。

顔だけがわからなかった。


もう近くに来ているのかな?



どうなの?

教えてよ!

 

2013年8月11日日曜日

11日(日)晴れ・・・お掃除しながら。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉の写真やみるちゃんの写真回りの掃除をしていた。

N-nhaを入れての三人のフォトブック・・・


泣けてきたなぁ~。

あの笑顔を見ていたら・・・


ほんとう・・・ほんとうに会いたいよ。


また、さらに大人になった顔をしているんだろうね!

2013年8月10日土曜日

10日(土)晴れ・・・守ってね!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


親父とお袋が、大偉に会いに来てくれた。

ものすごい暑い・・・

お水をたくさんあげ、お花を手向け・・・香を焚き。


先に香を入れ、手を合わせたのが、親父だった。

先にいいのか?

と聞いてきたので、良いよと告げると・・・

長いよと返事が返る。

いいよと伝えると・・・そのままお経をあげはじめた。


おいおいと思いながら、じっと聞いていた。

これが親父の大偉に対する供養の仕方なんだと・・・

親父の背中をじっと見ていた。そのお経を聞いていた。

最後には、声が詰まるほどになっていた。


帰る時には、お袋が・・・「大くん・・・みんなを守ってね」と一言。


ほんとうであれば、親が子供達の未来を・・・今を見守るのに。


大偉に見守られてしまう事になるとは・・・

言葉にならない。


優しい子だから、たくさんの人を見守っているんだろうなって思う。


2013年8月9日金曜日

9日(金)晴れ・・・お盆は

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


8月のお盆というのは、ほんとに不思議なもので

特別な感じがしてならない。


2013年8月8日木曜日

8日(木)晴れ・・・暑いよね

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


T社に外出する前に、少し遅いお昼をMacで食べた。


その後で日差しを受けながら歩いていると

ふと、大偉を思い出し


あいつも暑いんだろうな・・・

みるちゃんとどうしているのかな?

ほんとうに一緒にいるのかな?

この話は自分が大偉とみるちゃんに会わないと

わからないんだけど・・・


会っても誰にも伝えられないんだよな・・・


誰に聞けばわかるんだろうか?



2013年8月7日水曜日

7日(水)晴れ・・・響かなかった

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


午後から、ユーザデモのため飯田橋にあるメーカーに出かけた。

少し・・・だいぶ早めだったがそのまま直帰した。


今日も暑いなぁ~。。。

メールを見ると日曜日の審査の内容だった。

私の近辺では、パスしたのがK-sukeの一人だけ。


連日の暑い中での稽古を繰り返し、頑張ったんだけど・・・

思いは届かなかった。

先生の心には響かなかったのだ。


その人がここまで頑張ってきた過程は、その同好会の人しかわからないんだけど

審査の舞台に立つ思いは、夫々が色々な思いを抱えながら・・・


でも審査とは、バッサリと切り落とす。

とにかくはじめから出直しだ!

みんなで頑張るしかない。


冬にリベンジするように・・・・

8/17のBBQの後から、がんばろう!


大偉っ!

冬はお前も審査だぞ。

お父っが連れて行ってやるからな!

何も言わずにBBQに来い!

みんなお前を待っているから。

ねっ、I-ue先生!

2013年8月4日日曜日

4日(日)晴れのち雷雨・・・審査

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


・・・8:00AM

いつも通りの事をしてから、現場にお花を手向けに向かった。

どなたかが、来てくれていたんだなぁ。


お水を交換して、一緒にお花を入れた。


大偉っ!

とにかく、無事に審査が終わるようによろしく頼むよ。


審査については、色々と言いたい事が山ほどありすぎて書ききれない。

最後、I-ue先生からは、K-sukeと向き合っている姿を見て

大偉を重ねて見ていたという。

まぁ、K-sukeとは5歳くらいしか変わらないから、そう見えるなとおもった。

とにかく無事に終わってホッとした。


発表は後日・・・


2013年8月3日土曜日

3日(土)晴れ・・・最後の稽古

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


明日は審査・・・今朝の稽古が最後の稽古となった。

稽古量としてはちょっと不足だったのかも知れないけど、前日にそんな事を言っている場合でもない。

ニッ塚からはじめて昇級にチャレンジするK-sukeが来た。

とういより、私が部活がなければ、稽古に来なさいと呼んだ。

先週の稽古では、技が全くできていなかった。

先週の稽古も、今朝の稽古も・・・

まだまだ、審査を受けられる状態ではない。


H-shiが、稽古しているK-sukeを見ていきなり、少年部のほうが上手かったのにどうしちゃったの?と開口一番。

二人で遠目から見ていたが、どうにも口を出さないわけにはいかないくらい、気合のない動き。

少年初段審査の時の稽古を思えば、あの稽古に耐えた子だからまだまだいける。


後ろ技の初動作がなまぬるい・・・突きができていない。

再度気合を入れ直し、徹底的に稽古をした。


誰に聞いても・・・・???の返答


やばいなぁ~と思いながら、午前中の稽古を終えてしまった。


その日の夕方・・・

稽古に行けるかどうかだったが

どうにも心配でならない。

一時間遅れの19:00から稽古をしだした。

規定技三本と、各基本動作、接近からの正座法。

体制を落とすこと、伸びを出すことを、胸を張ることを徹底的に稽古した。

特に基本動作では、自分の後ろ足の引きつけがどこまで動いているのか?

単独をしながら、相対にと・・・。

また、後半10分は声だし練習。

何度も何度も・・・


これで、もうやる事はないかな?

後は、明日。

とにかく思いっきりがんばる事!

今日は、部活を休んでまで稽古来たk-sukeをどうしても合格に導いてやりたいという気持ちだけ。

お風呂に入って、ご飯食べて早く寝ること!

じゃ、明日。

後は、昇段の二人だな。

とにかく頑張ってほしい。


審査のための稽古ではないんだけどなぁ~。



2013年7月28日日曜日

28日(日)晴れ・・・燕

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


家内とお墓に向かうと、管理等入口の軒下に燕の巣ができていた。

お母さん燕なのか?お父さん燕なのか?

時計の上から回りを見ている。


子供達は・・・ピーチクパーチクとご飯をおねだり中!


燕って・・・幸運を運んでくるんだよね?

違ったかな?


とにかく、みるちゃんと大偉に幸運がくるように!

2013年7月27日土曜日

27日(土)晴れ・・・一週間前!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


審査まで、残り1週間・・・。

今更、細かい事を修正してもそう簡単にできるもんじゃない。

何度も何度も稽古を積み重ね、身体にその感覚を染み込ませていく。


今できる事は、とにかくできる事を一生懸命するしかない。


 

2013年7月26日金曜日

26日(金)晴れ・・・宝

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


育児休暇が終わり、職場復帰してきた。

結婚して、そのまま退社して家庭に入るのも

育児休暇が終わり、職場復帰するのも

どちらでも良いと思う。。


どちらにしても

子供は「宝」だなと感じていた。


2013年7月25日木曜日

25日(木)曇り・・・好きな物

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳




鞄。。。

N-nhaが、鞄を買った。

いくつも鞄はあるというのに。。。


「好きだねぇ〜、鞄。。。」

いっぱい持ってるじゃん。

今度、お母さんもいっぱいあるから、良いのもらったら?


家内がすかさず、大偉も好きだったよね!

大偉は、鞄と靴ね。

お父さんは、鞄と靴と時計じゃん!

みんな似たもの同士だよ。

 

2013年7月24日水曜日

24日(水)曇り・・・バックアップ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


バックアップ。

人には、必ずバックアップしてくれる仲間がいる。。。

逆にその反対もいるという事なんだけど。


私は、多くの方からたくさんのバックアップを受けている。

家族、両親、友達。。。

恩返しも出来ずに。。。



何て不幸者だとおもう。


いつか・・・・

きっと、いつか。。。

 


2013年7月23日火曜日

23日(火)曇りのち雨・・・コメント

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



R-seyさんからの書込みコメントを何度も何度も、読み返していた。


大偉は、みるちゃんを引き連れて、何処を旅しているのかな?

どこで修行をしているのかな?

良い仲間に巡り会えているかな?

2013年7月22日月曜日

22日(月)晴れ・・・自分の足で

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


前に進むには、自分の足で一歩を踏み出さなければならない。

人に背中を押されても、

勇気づけられても。。。

必ず最後は自分の心が決め、足を踏み出す。
 

その一歩は、自分の責任において進んで行く。。。

この長くも短い人生の一歩を刻む事になる。


私も、自分の一歩を踏み出す前に、どうしてもやらなければならない仕事がある。

この仕事をやり遂げて、次の一歩を踏み出し、必ず掴み取る。

そう心に決めている。


ず〜っと心に決めている。

「おめでとうございます」といつもと同じ笑顔で。。。頭を下げた。

その姿を見たその日に決めた。


必ずこの人達の力になろうと。。。

 

2013年7月21日日曜日

21日(日)晴れ・・・都市対抗野球

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳
 

2010年の夏・・・

この時期になると、大偉と一緒に観に行った、都市対抗野球を思い出す。


その年、大偉に都市対抗野球を観に行く?と聞くと

「行く・・・!」

家内も何度か観に行った事があり、応援など楽しいよ。。。!

と話していたのを思い出す。


東京ドームに行ったのは、確か土曜日だったね。

 
大偉っ。。。

お父さんはビールを飲んでもいい?と聞きながら

既に手をあげて、売り子さんを呼んでいた。。


その試合は圧勝で勝ち、その年はT社が7度目の優勝を飾った。


決勝は、18:30・・・

大偉っ?

決勝行くの?

行く?

じゃ、学校が終わったら東京ドームで待ち合わせね!

行き方を教えて、私とShigeちゃんは外出先から向かった。

学校帰りに友達1人を連れてきて、私はShigeちゃんと

四人でライトスタンドから応援していた。。


今でも大偉の携帯には、写真が残されている。

何処にも遊びに連れてあげれなかったなぁ〜。

大偉は親父と二人で観にきた事を、覚えてくれているかな?

大きな声を出して応援している姿を、面白、おかしく見ていたんだろうなぁ〜。

なんて親父なんだとね。

はじめて見る姿にビックリしていたんじゃないかな?

その後は、滅多に東京に来れないので、有楽町に連れて行ったりと

帰りはもの凄く疲れたよ。。。


昨年は、試合時間が就業時間帯だったので、観に行くことができなかったけど、

こうして合気道以外でも大偉を感じられる事がたくさんある事を、あらためて思う。


今日の試合も、一生懸命応援している親父の姿を見つけて

また、やってるよって感じで見ていたんじゃない?


今回は、Yajiちゃんも一緒に見たよ。

Yajiちゃんもバイクを乗るから、きっと話があったと思うよ。


今回は、ベスト4で負けたけど、また来年も行こうね。

みんなで集まろう!







2013年7月20日土曜日

20日(土)晴れ・・・息子や娘のように

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


17:05・・・TDLやイクスピアリでごったかえす舞浜の駅にいた。

長い間、ずっと龍を支えてきた方のお見送りに浦安市斎場に向かうためだ。


バスの時刻が合わず、タクシーに乗る。

斎場には多くのお世話になった関係者が集まっていた。


受付の場所には、お祭りの写真や孫を膝に抱え、

ニッコリとしている写真が印象的だった。

というか、それしか目に入らなかった・・・


遠くの場所から、親族席が見える。


写真に写っていた、孫だろう・・・

お母さんの膝の上に座り、何度も写真の方を指差し

お母さんに聞いている風だった。


その、小さな指が指している方向は、おじいちゃん。


「ねぇ・・・なんで」

と聞いているかのように、誰もが見てもそう感じられた。


大偉の時にも足を運んでいただき、寄書きには

「悔しいな・・・」と書かれてあった。


会長のあの笑顔は、皆を和ませてくれる。


会長からみれば、ほとんどが息子や娘のように感じ

皆と接していたのかなぁ~と思う。


まだまだ、孫の成長をずっと、側で見ていたかったろうに・・・

きっとおじいちゃん子なんだろうな・・・


身内を旅立させた人が・・・

身内を旅立させてしまった人に・・・


「これも必然」だなんてとても言えない。


世の中、偶然はない・・・全て必然だが

旅立たせた後の言葉に「必然」は残酷とも言える言葉に変わっていく。


必然・・・この時ばかりは使いたくない。


謹んでご冥福をお祈り致します。





2013年7月17日水曜日

17日(水)晴れのち雨・・・伝える事

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


15日の日・・・午後から浅草にいた。

寺たび展の紹介が野田線の中吊りで紹介されていたので

思わず、お坊さんのお話しに申し込んで、先着100名にあたった。


とても暑い日で、浅草寺の脇の大通りを10分ほど歩く。

浅草寺の方を見ると大勢の人で大賑わい・・・



会館に着くと、おもってた通り年配の方が多く、若い方は殆どいなかった。

お坊さんの説法的なお話しを期待していたんだけど、そういった話ではなく

比叡山延暦寺での修行の話しが大半を占め、ちょっと期待ハズレ感もあったが、


お話しの中では

一期一会を大切にする事。

世の中はすべて必然という事。

偶然はない・・・必ず何かしらの意味がある。

そして・・・伝える事の大切さ。

というキーワードが出てきた。


特に、伝える事では

「過去~現在・・・そして未来へ。」

私達は、過去の方々からたくさんの事を伝えられ、教わり今がある。

その教わった事を、今度は私達が未来の方達へ受け繋いでいく役目があるという事。


家族の話しであったり・・・

日本文化の事であったり・・・

何が正しくて、何が正しくないのか?

人間としての、人間になるための知識・・・などなど。


上手く説明ができないが、何となくわかる気がする。


もっと、もっと色んな事を、

たくさんの方と話して

自分を成長させなければ。



2013年7月16日火曜日

16日(日)晴れ・・・また一人

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


帰りの電車の中、梅郷駅に降りる時にメールを確認した。

次の瞬間・・・

大きな団体のとても尽力をつくしてきた方が旅立った。


とても残念でならない・・・


会えばいつもニコニコしていた方で、誰とでも気さくに話してくれた。


つい四月に偶然にも中華料理屋で会って、一緒にお酒を飲んだのに・・・


大偉の時も、A藤師範と来てくださってた姿も忘れない。


大偉の事も、K-muraさんの事もよろしくお願いしますね。


2013年7月15日月曜日

15日(月)晴れ・・・元気ハツラツ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉とみるちゃんに会いに行くと・・・

元気ハツラツのオロナミンCが置いてあった!


誰かきたの?


管理事務所にあるノートには書いていなかった気がしたんだけどなぁ~。


帰りにもう一度見て確認すると、


何度かきていただいている

N-kyam君とF-jita君の名前が書いてあった。


足を運んでくれたんですね・・・

いつもありがとうございます。


大偉っ!

よかったね。

何を話したのかな?



2013年7月14日日曜日

14日(日)晴れ・・・申し訳ない

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝・・・大偉とみるちゃんに会いに行った。

いつになく、人も多かった。


お花を手向け、香を焚きながら

墓石にお水をかけ、汚れを洗い流しながら


暑いねぇ~

暑さで、石が焼けてかけた水がぬるま湯に変わる・・・

こんな小さなところに・・・


申し訳ない・・・

本当に申し訳ない・・・


大偉とみるちゃんを思い出しながら

涙が溢れ出てきてしょうがなかった。





2013年7月13日土曜日

13日(土)晴れ・・・審査

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


少年部の夏の審査が行われた・・・

審査を受ける子もいれば、受けられない子もいる。


稽古の送り迎えに来ているお母さん、一人一人に

なぜ受けられないのか?

このまま受けるとどうなるのか?

今後の影響などを伝えた。

一番の心配は、今・・・このまま受けても自分のものにならなない。

しかも、そのまま進級すれば、その反動が必ず返ってくる。

だから、今回は見送りましょう・・・と伝え納得してもらった。


その中でも、一生懸命の姿勢が出ている受けた子供達。

一人一人、良かった。


普段、見せたことのない体制の低さ・・・

声の大きさ・・・

最後までしっかりとやりぬく姿勢。

私も見ていて、見習う事が多かった。


大偉とN-nhaは仕手・受けでいつも臨んできた。

親が心配しているよりも淡々と技をこなしていく。


大偉が一般四級を受けた時の、受けは私がした。

中学1年生だったかな?


M-先生からはの講評は・・・

「まだまだ、できる・・・・」

この言葉に集約されていた。

大偉の合気道はこんなもんじゃない

先生から見れば、やればもっともっとできるのに

そこを伸ばさずに、止めてしまっているかのような

大偉の姿勢を、叱るのではなく伸ばす言葉に代えて

締めくくった。


旅先でも、R-seyさんがA師範に掛け合った帯を締めて

稽古をしているのだろうか?


今年の12月は、私も望みたいとH-shiに伝えた。

大偉の昇段と私の有段を受ける

2013年7月12日金曜日

12日(金)晴れ・・・今日も

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日のブログを読んでいたのが影響したのか・・・


今日も、自然と涙が溢れ出てきてしまった。


なんていう事が、私達家族に降りかかってきたのか?

2013年7月11日木曜日

11日(木)晴れ・・・ちょいちょい

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


一度アップロードしたブログをあまり読み返したりは、

しないんだけど、ちょいちょい誤字脱字が目立つ。

アップする時に、読み直しているんだけどなぁ~


朝にの通勤電車の中・・・・

右脇にある、ブログをちょっとだけ読んでいた。。。


「大ちゃん」


K-jima君が大偉と私達に宛てたメール。


堪えきれない涙を抑えながら・・・






2013年7月10日水曜日

10日(水)晴れ・・・その時あなたなら・・・

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


目が突然見えなくなったらと思うと・・・ぞっとする。

今の私の気持ちとしては、残されたN-nhaの成長が見えなくなる。


想像でしか、成長がわからない。

きっと絶望的な・・・立ち直れない。


川島なお美のご主人の話しがTVで紹介されていた。

言葉にならない。


世の中には、自分ではどうしようもできない事・・・・

なんで自分だけが・・・


大小にかかわらず日常的にたくさんある。

自分の気持ちだけでは立ち上がれない時・・・

きっと傍にいる方が手を差し伸べてくれる。。


これもその人と一緒に歩む・・・必然は人生である。


しかし、言葉だけで言ったり、書いたりするなんて簡単なものではないだろうな。。。














2013年7月9日火曜日

9日(火)晴れ・・・夏本番

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日も、今日も・・・明日も。

三日間連続して新横浜まで研修。


本当に暑い!


大偉っ!

今年も都市対抗野球にでるよ。







2013年7月8日月曜日

8日(月)晴れ・・・言わなかった

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


T社の研修で新横浜にいた。

駅から研修所までは20分くらい歩く・・・うだるような暑さ

朝5:00に起きて、5:49分の電車に乗り、新横浜に着くのはちょうど2時間。

歩きを入れると2:30~40分かかる。

今日の研修は「メンタル・ヘルス」


人は、たくさんのストレスを感じながら生活をしているが

そのストレスを取り除く事はできない。

そのストレスとどう向き合うのか?が課題である。


研修では、「欝」の話しが中心になってくる。

色々なお話しがあるんだけど、家族構成の話しを隣に座った方とする事があった。

聞けば、今住んでいるのが津田沼で。。。

えっ~、津田沼なの!

知ってるよ~。

私は実家が習志野です・・・

ちょ~ローカルな話しをしながら家族の話しに入った。

なぜ?家族の話しになったかというと、小さい子供にはボディータッチでの「ストローク」が必要だということ・・・(ストロークとは、自己および他者の存在を認める働き)



その中で、お子さんはと聞かれた・・・

二人います・・・

男の子と女の子なんですよ!

もう大きいいんですか?

はい、したの女の子は高2なんですよ

その後は、大偉の話しが喉元まででかかったが、

そこまで言わなくてもいいな。

そんな事をいう事もなく、普通に流していれば問題ないし

なにせ、自分の中では、いつもでもいると思っているので

まったく問題はなかった。


結構、知らない人から子供の話しを聞かれるのって辛いんだよね。


2013年7月7日日曜日

7日(日)晴れ・・・七夕

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日で、三回目の七夕です。

・・・TVの歌番組からは

槇原敬之の「遠く遠く」が流れてくる。



・・・同窓会の案内状・・・というフレーズ


言葉にならない。


あれから・・・

これから先も、親として形になる事もできないけど・・・


お母さんのほうが、大偉やみるちゃんの事、いっぱいわかっているけど


大偉や、みるちゃんが好きだった事を思い出したり、聞いて


いつまでも一緒にいたい。


会いたい。





2013年7月6日土曜日

6日(土)晴れ・・・It’s a piece of cake

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


It's a piece of cake.・・・楽勝さ」という意味なのだそうです。

大偉とみるちゃんは、旅先で何をしているのだろうか?


壁にぶつかった時に・・・楽勝さといって乗り越えてほしいな。


2013年7月5日金曜日

5日(金)晴れ・・・わすれない

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


「わすれない」・・・たったこの5文字。


記憶がだんだんと薄くなってくるかもしれないが

絶対に忘れないよ。


忘れるわけがない。


いくつになっても、同じ事を繰り返し繰り返し話して・・・

それ、さっきも話したよ!

前にも聞いた!

なんて言われながら、ず~っと話すから。


誰にも・・・「わすれない」に想いがある。


最近、ほんとうに、ほんとうに会いたくて、会いたくてたまらなくなる事がある。


大偉、みるちゃんは私の声が聞こえているだろうか?








たった5文字

2013年7月4日木曜日

4日(木)晴れ・・・遠いところから

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


遠いところから仕事帰りに、足をのばし

大偉に会いに来てくれている方がいる。。

大偉に話しかけて帰っていく。



いつもありがとうございます。


2013年7月3日水曜日

3日(水)曇り・・・くやし涙

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


色々な方々を思い浮かべていた。


自分では、どうしようもできない。

どうする事もできない。


愛する人が・・・

とてもとても愛おしい人が・・・

今まで、

さっきまでそこにいた人が

家族同然のように生活していたわんちゃんが・・・


旅立っていく。

旅立させてしまった。


思い、感じ方はそれぞれ違うが

これが運命

これが宿命

という言葉ではとてもとても割り切る事ができない。


ほんとうに傍にいるのに、何もできない。 無力さを痛感する。


悔しくて、悔しくて泣けてくる。


素敵だったなぁ~。

可愛かったなぁ~。

格好、よかったなぁ~。

優しかったなぁ~。

素敵な思い出もあれば・・・・

苦い思い出もあり。

あの時・・・謝ればよかったなと思うこともある。



現場を通ると、可愛らしいお花が手向けられてあった。

しかも、枯れたお花は片付けられてあった。

日曜日の夕方にはなかったので、月命日に来てくれたのかな?

前回も同じようなお花が手向けられてあったので、きっと同じ方なんだな?

ありがとうございます。


2013年7月2日火曜日

2日(火)晴れ・・・こんな感じだったのかな?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


日曜日・・・柏方面へN-nhaと出かけた。

柏方面は、少し混んでいて中々進まない・・・

逆に大宮方面は、現場を境くらいに空いていた。
※車の走っているタイミングだと思うけど・・・


少し右側にカーブ・・・

当時もこうだったのかな?

お母さんは、どんな気持ちで運転していたのかな?

救急車が到着するまでの間、みんなに大偉は見られていたんだな?

などと思いながら車を走らせていた。


今でも、家内には聞けない話し・・・

2013年7月1日月曜日

1日(月)晴れ・・・富士山

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



文化遺産に登録された富士山。


大偉が6年の夏に登った富士山。

その前の夏には、日本第三位穂高岳登頂。

TVで中継している8合5尺3450Mにある御来光館。

大偉と登った時も、その御来光館に泊まった。

懐かしいぃ〜っ、と思いながらNEWSを見ていた。


リビングにあるPhotoフレームには、登っている写真や、

山小屋でまったりしている大偉の姿・・・・

帰りの道で横になって寝ている大偉。


御来光館までくると、だんだん酸素も薄くなってきている事もあり

ちょっと辛そうだったけど、それが顕著にでたのが、その日の夜。


少し熱も出てきて、酸素不足による軽い高山病と

前の日の寝不足もあり、もどしてしまった。


夜中、なんとか持ち直したが、そこからさらに300Mを上がるのが大変だった。


大偉と同じく、動けなくなる人がいたり・・・・

かとおもえば、ツアー客のおばちゃん連中はガンガンに登ってくる。

下を見ると、ヘッドライトが綺麗に連なっている。


大偉の体調がよければお鉢めぐりをしたかったけど、

とにかく無事に登頂できてよかった。


また、大偉と登りに行きたいな。