2013年5月31日金曜日

31日(金)晴れ・・・泣けた。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


僕は・・・パパとママといれるならどこでもいいよ!


この言葉に泣けた。

2013年5月30日木曜日

30日(木)曇りのち雨・・梅雨入り

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ニ年前の梅雨は結構雨が降っていたかな?というよりも

5月の終わりから雨の日が多かった。


靴が濡れるので、じいじから長靴をもらって通学していた。


その長靴も遺留品が入った袋の中にある。


ここ最近は、あの時の事を思い出す。


ふとした瞬間に、頭の中に飛び込んでくる。


誰も悪くないと信じたい。

2013年5月29日水曜日

29日(水)曇り・・・このニ年

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨晩は、締作業のためホテルに泊まった。

まだ準備作業なので今日からさらに気合をいれて業務をしていかないと・・・


今期に入って2ヶ月が終わろうとしている。

今年に入ってからはもう5ヶ月が終わろうとしている。


歳を重ねると一日、一ヶ月、一年と同じ時間なのに早く感じる。


このニ年間・・・

私は何をしてきただろうか?

2013年5月28日火曜日

28日(火)曇り・・・団結力

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


2011年・・・東日本大震災

最前線で対応していた自衛隊の方々。


ついこの間のTVで自衛隊に入隊したばかりの子供達を少しだけ特集していた。


入隊すると整理整頓はもちろん、時間時間で区切られ行動していく。


入隊の理由を聞かれると・・・

お爺ちゃんが陸軍で・・・とか、

今回の東日本大震災で一生懸命に対応していた自衛隊の活躍を見て

自分も守っていきたいと思い入隊した子もいた。


色々な考えがあるが、この自衛隊の団結力は

日本の中で一番大きな団結力をもつ組織だと感じた。




2013年5月27日月曜日

27日(月)晴れ・・・ようやく!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝、雨戸を開けると・・・ようやく鶯の鳴き声が聞こえた!

三回・・・恥ずかしそうに鳴いていた。


昨年は聞いた感じはしなかった。



R-seyさんが、I-ue Famillyを連れてR-maとWakaちゃんがお別れに

来ていただいた時は、まるで話しかけているかのように鶯が鳴いていた。

あの時の鶯は、絶対に大偉だった。



2013年5月26日日曜日

26日(日)晴れ・・・他を生かすために

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



航空救難団 ~JASDF AIR RESCUE WING~




そんな過酷な状況下でも活動出来るのは、彼らが「That others may live -他を生かすために-」という基本的概念を持っているからだ。救難隊員であれば操縦士から整備員にいたるまで、一致団結して救難能力を維持している。その能力を365日維持するのは ...


救難隊のモットーは「That others may live(他の人を生かすためになさん・かけがえのない命を救うため・他を生かすために生きる)」であり、約100名の救難員が全国の基地で365日24時間常に救難待機を行い日夜活躍している。 なお、アメリカ空軍では空軍 ...



この言葉を知ったのは、ドラマで中・・・


他を生かすために自分を犠牲にする。

もしかすると自分がその犠牲者となり最悪の場合もあり得る。



他を生かすために自分を犠牲にするのではなく、

他を生かすために自分が生きる・・・

救援者が生きる事により、他を生かす・・・

必ず救助する、救助しなければならないと意思を感じる。

2013年5月25日土曜日

25日(土)晴れ・・・本気の・・・

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


一生懸命やって、失敗した。


成果がでなかった。


おもうように力を発揮する事ができなかった。


遊びでも、勉強でも・・・部活でも、仕事でも。


時には何度繰り返しても失敗する事がある。


少しづつ変えているのに・・・。



でも・・・本気でやった場合に限る。「本気の失敗には価値がある」


BARで南波六太が言った言葉。


実は、その数十年前に・・・

この言葉には深い三人の友情がある。

15歳のリック、ビンス、ピコの三人。




私達は、人と関わって生きている。

動物に関わって生きている人も、コンピュータに関わって生きている人も

必ず人と関わって生きていく。



「本気の失敗には価値がある」

次へ前に進む何かが隠れている。

経験を積み重ねてくれる。

まだまだ、言葉では言い表せない事が、この言葉には隠れている。



この言葉を胸に刻む事にした。


とにかく精一杯、今やれる事を・・・

今しかできない事を・・・

今やる。

最後まで頑張ってみようと強く思う。



2013年5月24日金曜日

24日(金)晴れ・・・いまだに

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


慈恵医大・・・

あの激痛で救急車で搬送されて以来、未だに通院。


今日は、二回目の治療の結果確認のため来院。


レントゲンを見た先生は、間違っているのかな?


えっ!


いやぁ~、この前回と変わらず石が動いていないんだよね。


もしかしたら結石ではないのかな?

間違っているのかな?

ちょっと不安になってきたよ!

と先生が言う!


私ではなく、先生が言った。


でも、CTを見る限りでは間違いないんだよ・・・


もう一度CTを撮って確認させてください!

先生が言うので・・・「はい」としか言いようがない。


そのCT影像をみると、間違いない!

やっぱりまだある・・・


もう三か月・・・

どうしますか?と訊ねるともう三か月になるから

内視鏡を入れて取るのが一番いいんだよね。


と言われた瞬間


え”っ~、先生マジですか?


見られちゃうじゃん!と内心思いながら。


でも今は手術して入院はできないからと告げると

じゃ、もう少し治療で頑張ってみますか?

という事になり、来月にまた行くことになった。


最終は、内視鏡での採取になるかもしれない。


おちんちんを大勢の先生にいっぺんに見られてしまう!


明日、自由技でバンバン受けをとって衝撃を与えよっと・・・


2013年5月23日木曜日

23日(木)晴れ・・・?

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日の疲れが残っているが、今週も後二日!


土曜日が楽しみです。




2013年5月22日水曜日

22日(水)晴れ・・・最後は

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


入社して25年!

色々な事があったなぁ~。

楽しかった事、

辛かった事、

逃げ出した事、

踏ん張った事、

励まされた事・・・


すべて人との関わり・・・繋がりでここまでやってこれた。


私は入社してまもなく親会社に派遣されていた事もあり

その間で多くの方々と知り合う事ができた。

本社の方はもちろん、各支社店の方々。



今期もグループを予算達成する施策を親会社の本社営業統括部長や、課長を集め

色々と策を練る。


この方達も、私が入社した時に大変お世話になった方々・・・


話しが早い。

的確に、今期のシナリオを策定した。


その後は、その方々と食事に出かけた。


仕事の話しも面白おかしく・・・昔話しをした。


みんな歳をとったけど、集まるところには集まり

同じ思いを抱き進んでいく。


結局最後は・・・「つながり」



2013年5月21日火曜日

21日(火)晴れ・・・どうだった?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉っ!

19日の演武大会の様子はどうだった?


皆に会えた?


来年はお父っも出るからね。

と、その前に駒沢に行こうね・・・。


その後は、中央武道館に行けたらと思うよ。


じゃ、またね。


2013年5月20日月曜日

20日(月)雨・・・これからも

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


三回忌が終わった・・・

今日は朝から雨模様。


昨日頑張った分、泣いてるの?


お父っや、みんなはお前以上に泣いてるよ。


大偉やみるるには、見えているかもしれないけど


お父っには、今の大偉もみるるも見えないんだよ。

声も聞こえないんだよ・・・


言いたくはないけど、恨む事も正直あるんだよ。

大偉はそんな事ないよと言うかも知れないけど

どんなに残された人が辛い事か、わからないだろうに。


じいちゃんが言ってたよ。

大偉やN-nhaの歳を数えながら自分の歳をノートに書いて、


後何年で、成人式かな?

孫達の結婚式まで生きられるかな?ってね。

法事の食事の時、横で話していたのをお父っは黙って聞いていたよ。


みんな楽しみにしていたのに。


大偉のバカヤロー。

みんなを悲しませやがって。


どれだけの人を悲しませればいいんだよ。

顔くらい見せろってんだよ。


ところで、ちゃんと挨拶はしたんだろうね?

2013年5月19日日曜日

19日(日)晴れ・・・三回忌

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


AM11:45・・・

墓前にて大偉、みるるの三回忌法要を執り行いました。



2010年5月だったと思うな・・・

舞浜の演武大会の会場入口で、I-ue先生夫婦と大偉が久しぶりに会った事を思い出していた。

2013年5月18日土曜日

18日(土)晴れ・・・可愛いお花

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


買い物を終えた後、霊園に行き掃除をしてきた。


その後、現場にお花を手向けに行くと


枯れてはいたが、可愛いお花が手向けられていた。


どなたかが来てくれたんだ。


どうもありがとうございます。


2013年5月17日金曜日

17日(金)晴れ・・・底力

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


社内研修でT社のイノベーション。

T社が変革・改革してきた事を振り返り勉強する機会。


その中で、誰もが関心を持ったビデオが


東日本大震災の日・・・

東電福島第一原発のT社事務所で何が起きていたか・・・

爆発を起こした溶鉱炉はT社担当ではないが、

一旦避難命令して帰った社員が、誰がいう事もなく心を一つにして

1000人で、原子炉に詳しい技術力を結集し、この状況に立ち向かっていく。


違う溶鉱炉を担当しているT社。

ライフラインを接続したり、汚水パイプを接続したりと不眠不休で

2週間で対応を重ねていく。


決して報道にはでないビデオを見ながら、凄いの一言だった。

しかも今も引き続き彼らは、一日でも早く修復できるように頑張っている。


企業の底力

個人の底力・・・


その誇りと思いに


感服するばかりだった。

2013年5月16日木曜日

16日(木)晴れ・・・ひとりでも

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


第23回浦安市合気道演武大会・・・

今週土曜日に舞浜総合体育館で行われる演武大会に

野田同好会も参加する。


しかも少年部からは、たったの一人・・・。


幼稚園から合気道をはじめ今年は小学一年生の青帯。


入門した当初は、恥ずかしがりの人見知りでろくに挨拶もできないまま

ぐずって稽古をしないで帰った事もあったが、半年くらいから心が開けたように

めきめきと上達した。

最近は、幼稚園の弟も入門したため、弟を思いやりながらのお兄ちゃんふり。


名前は・・・R-ku。

演武の募集をしたが、少年部からはR-kuだけだった。


この思いを潰したくない一心だったが、親には参加が一人しかいないんですけど・・・と伝えると

残念そうだった。


その前の年は、私と組んで演武した。

子供も出たい・・・

親も、ほかの同好会の演武を見て、今年も経験させてやりたいとの事だった。


先生に伝え、最初は一般部で一緒にできないか提案したが・・・

何度か話し合い、どうしてもR-kuの出たい気持ちを潰したくないと伝え

亀有カルチャーの子供達に混じって演武する事になった。


すぐにR-kuに伝えたが、まったく動じることなく「はい」の一言だけだった。


一人なんて嫌だぁ~

えっ~、出たくない

そんな言葉は、R-kuには皆無だった。


途中、稽古に来れない日はあったが、一緒に稽古しながら

細かい点を注意すると「はい」と言い少しづつ修正する。


その瞳は、他には目もくれず私の言葉をじっと聞いて、自分で噛み砕いて理解していた。


今まで会った事もない子と会場で会い

立ち位置の確認や、簡単な技の合わせだけを行う・・・

お互いを思いやらないと技がバラバラになってしまう。

大人でもそうは経験できない合気道の真髄をこの子は、

身体で経験する事だろう。

今は、わからなくても必ずわかる日が来る。


小さな合気道家だが、今後の成長が楽しみ。

2013年5月15日水曜日

15日(水)晴れ・・・次は。

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


AM9:30・・・郡山駅で印刷業者の方と待ち合わせをしていた。

相馬市にある会社まで向かう事になっている。


あの東日本大震災の相馬市。

今も常盤自動車道は仙台まで開通していないし、常盤線は寸断されたまま。

車でしか行くことができない・・・約二時間半かかり

PM12:00に着いた。


田舎の山道なので住宅街ではないが

家のカーテンは閉め切り、生活されている様子はなく、

田んぼは荒れたまま。


車は、道がこれしかないところなのである程度は走ってはいるが、

ところどころ除染作業の場所もある。


全然相馬市に近くない場所でもこんな感じ。

相馬市に入ったらどんな感じなんだろうと思いながら、

海岸通りの方しか食事するところがなく旅館?民宿?が

やっているところで食事をした。

ここに着くまでは、惨事の現場を通って来るんだけど

家の土台までぐちゃぐちゃになっているところもあったり、全く景色が違う。


瓦礫は無かったが、全く家がなくなってしまった場所・・・

津波の流れ方影響で無事に残った家。

ちょっとした高台にあった家などは残り、その当時は大惨事だった。

警察車両、自衛隊・・・あたりは泥だらけ、瓦礫だらけだったという。


当時とは違うが、ここであの惨事があったのかと信じられないくらい。

旅館の高さが20mくらい・・・屋上に上がってもダメかぁ~。


あれからニ年。

現場は一生懸命に復興しようと頑張っている。

少しでも前に戻そうと・・・

信号機だけが、人気も、車の通りも少ない場所できちんと動いている。


情報だけしか知らない私はこれから先、何ができるのだろうか?

いつになったら復興する事ができるだろうか・・・?



2013年5月5日(日)・・・

長島監督と松井秀喜選手が国民栄誉書を受賞した記憶は新しいが

私は、この放送を見ながら・・・野球界では次はイチローかな?と思いながら

次の国民栄誉賞は震災を受けた方々、自衛隊、地元消防団の方々、職員、病院関係者・・・

東電の原子炉復旧に努めている方々・・・数えあげたらきりはないが、

愚痴も言わず一生懸命に復旧、復興をしている方々が


次に国民栄誉賞にふさわしい人だと感じた。

2013年5月14日火曜日

14日(火)晴れ・・・やってしまった(恥)

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


JR大宮駅・・・郡山のお客様へ納品するため

10:34発 こまち 15号車9Aの乗車券を持って到着を待っていた。

進行方向前から17号車だったのでホームの端まで歩いていた。


到着され15号車と16号車の境目から乗り込んで

もう一度、乗車券を確認してから左入口から入った。


指定席でもお客が来るまで、自由席から乗り込んで座っていたり

全くこの座席とは無関係の人が座っている事がある。


歩きながら・・・9A窓側のほうまで歩いて行った。


やっぱり座っているよ~っ。

なんだよこいつ・・・!


案の定、窓際に座っていて横には荷物を置いている。


すみません!

と言うと・・・荷物を棚に上げて

なんでここなんだよって感じで席をあけてくれた・・・


そしてその方は、そのまま窓際の9Aにそのまま座った


その時・・・

私・・・9Aなんですけど!


えっ・・・ここは自由席なんですけど


あちゃ~・・・やってしまった。


号車を確認したつもりが15号車と16号車を完全に間違ってしまった。


赤っ恥をかいてしまった。


俺らしくていいか(笑)

2013年5月13日月曜日

13日(月)晴れ・・・柏警察署で

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


柏警察署での大偉の姿や、自宅での大偉の姿を

どうしても思い出してしまう・・・


まだまだやりたい事もあったろうに・・・

こっちだって、やってもらわなければならない事、山ほどあると言うのに。



何処に行ってしまったんだよ・・・

なぜ行かなければならなくなったんだよ。


もう二年だぞ!


いい加減、一度帰って来い。


その時はみるるも連れてきてよ。

2013年5月12日日曜日

12日(日)晴れ・・・あの廊下

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


最近・・・あの日のあの廊下を思い出す

タクシーを降りて何処に向かっていいのかわからず

とにかく救命救急室の場所を聞いた


とにかく、大偉のいる場所へ


廊下を走った。


あの廊下を思い出す。

2013年5月11日土曜日

11日(土)雨・・・TACネーム

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕方のニュースで20年ぶりにスクランブル発進の回数が500回を超えたそうだ。

緊急発進時の様子を紹介していた。


その中で・・・


タックネームも紹介していた。


もし私がパイロットなら「アイク」だね!

2013年5月10日金曜日

10日(金)晴れ・・・あゆ

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俗名 田中大偉
享年十六歳


今回のコンサートも連れて行ってくれる?

大偉も聴いているかな?


2013年5月9日木曜日

9日(木)晴れ・・・ありがとう

平成二十三年
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俗名 田中大偉
享年十六歳


群馬県の中之条に納品のため出張・・・



入社した翌年は、全国にしょっちゅう出張に出かけたなぁ~。

えっ~と思ったのが、北海道から仕事終わりの電話をいれると

そのまま九州に行ってくれ!

九州から電話を入れると、ごめん北陸に行ってくれ!と言われた時は

流石にこの時は凄かった。

会社に出社した途端に、ごめん!このまま大阪に行ってくれない?と

いう事もあったなぁ~。



梅郷駅9:31発で大宮駅に向かう前に時間が多少あったので、

みるちゃんの月命日でもあり家内と会いに出かけた。

墓前のまえには、桶に入ったお花が手向けてあり、

お花立てに入れかえて、帰りに記帳をみると、

大偉の後輩のT-mkaさんだった。

昨日来てて、大偉の他にどなたかのお墓にも寄っていた。


いつもありがとうございます。







竹島朋佳さん。

8日にお花を手向けにきてくれていた。

2013年5月8日水曜日

8日(水)晴れ・・・自分が

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俗名 田中大偉
享年十六歳


モンパチのLoveSongが頭の中で奏でた。

最後まで真相は言わないんだろうな…


お前はいつもそういう男だったな。


あいつがどうだ、こうだとは言わない。


今回もそれを通すつもりか・・・。


きっと再会してもそうなんだろうよ。

2013年5月7日火曜日

7日(火)晴れ・・・2回目

平成二十三年
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俗名 田中大偉
享年十六歳


GW直後の午前中・・・結石治療の2回目に慈恵病院に向かった。

レントゲンで石の確認をしたが、ほとんど・・・全く動いていなかった。


・・・で、2回目の治療を行う事になった。


しかも、研修医3人の立会いのもと。


前回も痛かったんだけど、今回は前回よりもレベルを一つあげての治療で

ものすごく痛かった。

少しずつ、ずらしての治療なんだけどその場所場所で、痛みの加減は違うが

それなりに痛みは続く。

前回は40分、今回は50分。

とにかく痛かった。


早く出てこい!


2013年5月6日月曜日

6日(月)晴れ・・・後世まで

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

今日で、10連休と長かったGWは終わる。

何もしないのんびりとした連休だったなぁ〜。


朝、大偉とみるちゃんに会いに出かけた。


墓石の側面には、私と家内の建立の文字。

墓誌には、みるると大偉の名前。


後世にまでず〜っと、刻まれていくんだなと考えさせられる。


この世に生きた証。

それが墓誌なんだと。

ここには、色々な思いが込められている。

様々な感情が刻まれている。


2013年5月5日日曜日

5日(日)晴れ・・・GU

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、子供の日…

家族で大偉とみるちゃんに会いに行ってから、

柏の葉ららぽーとに出かけた。

食事をしたり、N-nhaは好きな漫画本を買ったりと…。

1FにあるJUで手頃な服やパンツを購入。

フィッティングルームでパンツを合わせたりしながら

昔、ユニクロで大偉と服を買った事を思い出した。

ユニクロでは、大偉だけが買う予定だったんだけど、

大偉が合わせている姿を見ながら、お父さんも買ったら?と…

結局、大偉とお揃いのチノパン…もちろん大偉の方が股下は長いんだけど。

それと、ちょっとデザインの違うベルト。

私が、大偉の選ぶ物に真似をして買った形になった。

懐かしいなぁ〜。

何を着させても格好のつく子だったな。

2013年5月4日土曜日

4日(土)晴れ・・・???一瞬、???一生

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
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俗名 田中大偉
享年十六歳


この???の中にあてはまる言葉として、どういった言葉があるのか?

どの言葉が相応しいのか?


一刻一刻と一瞬に過ぎていく…

一瞬の間に出来事が動いていく毎日…

色々な事を想像する、させられる言葉だと思う。


この言葉は、あるドラマの中での台詞として心にとまった。


「時間は一瞬、出会いは一生」


…人生の中での学生生活なんて僅かな時間だが、

ここに係わる出会いは一生繋がっていく。


良い事も、悪い事も一瞬と一生の前にあてはまる言葉はたくさんあります。


これからの人生の戒めだったり、これから繋がる人への接し方として

心にとどめておこうと思う。



2013年5月3日金曜日

3日(金)晴れ・・・ペンギンちゃん

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


N-nhaが、お兄ちゃんが…と劇団に通っていた頃の話しをしていた。

今の家に住んでからも、東京まで通っていた。

先に家内と大偉が朝早く出て行って、その後に車でN-nhaを連れて迎えに行った事も何度かある。


…冬のある日。

N-nhaは、和室でゴロゴロしたりして遊んでいたんだと思う。

その日も家内と大偉は劇団へ行った。


私はソファーに横になりながら、TVを見ていたんだけど、

N-nhaが、こっちを向きながら何かを言っている。

…ちゃん…ォル

N-nhaどうしたの?

…ちゃん…ォル

うん?

…ちゃん…ォル

えっ? なに!


…ちゃん…ォル⤴



段々とトーンが上がってきて、N-nhaも泣き出してくる。

ぺ…ちゃん…ォル

お父さんわからないよ…と困った顔をしても関係なく

ぺ…ちゃん…ォる ぺ…ちゃん…ォル ぺ…ちゃん…ォルと

気が狂ったように泣きながら、大声を出して、自分の伝えたい事が届くまで

言い続けていた。

今、思うと自分で取りにくれば良かったのと思うが、

そのぺ…ちゃん…ォルが大のお気に入りで、何処に行っても

必ず持って出かけていたし、寝る時は必ずくるまって寝ていたにのも

関わらず、その時はわからないんだよねぇ〜。

ようやく、そのタオルの事を言っている事がわかり、持っていくと

泣き疲れたのか、す〜っと寝てしまった。

その話は、何度話しても笑える話で、特に家内はゲラゲラ笑いながら

聞いている。


当時のN-nhaは、お母さんはわかるのに、何でお父さんはわからないのかな?

と思ったに違いない。



…ちゃん…ォル

ぺ…ちゃん…ォル

ぺんぎんちゃんタオル・・・

2013年5月2日木曜日

2日(木)晴れ・・・一ヶ月前

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


家内と一緒にみるちゃんと大偉に会いに行った。

お花を手向け、お線香を焚き…大偉の好きだったカルピスウォーターの

蓋を開けて、一緒に飲んできた。

霊園からの帰りの車…

一ヶ月前の今日は何をしていたの?

何をしていたかね?

大洗に連れてもらったのは、これくらいの時期だったかな?



現場に行くと、お水も新しく汲み直して、新しいお花が手向けてあった。

どなたかわかりませんが、ありがとうございます。

2013年5月1日水曜日

1日(水)曇り・・・記録と記憶

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

思い出…

記録も記憶も・・・思い出。

写真やビデオに残した記録も

心の中に残した記憶も

良くも悪くも思い出として残る。

もっと沢山写真やビデオに残しておけば良かったと今になって思う。

もっと沢山色んなところに連れて行けば良かったと今になって思う。


どちらも少ないけれど、全部宝物。


思い出は、何もそれだけではない。

家の中にだって、物置の中にだって

家の中にある全ての物だったり、外にある場所だったり

その人にとって忘れられない思い出がたくさんある。


それから先の思い出はないが、いつも一緒にいる事を感じていれば

思い出を増やす事ができると信じている。

それから先の顔を想像しながら…。