2013年7月28日日曜日

28日(日)晴れ・・・燕

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


家内とお墓に向かうと、管理等入口の軒下に燕の巣ができていた。

お母さん燕なのか?お父さん燕なのか?

時計の上から回りを見ている。


子供達は・・・ピーチクパーチクとご飯をおねだり中!


燕って・・・幸運を運んでくるんだよね?

違ったかな?


とにかく、みるちゃんと大偉に幸運がくるように!

2013年7月27日土曜日

27日(土)晴れ・・・一週間前!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


審査まで、残り1週間・・・。

今更、細かい事を修正してもそう簡単にできるもんじゃない。

何度も何度も稽古を積み重ね、身体にその感覚を染み込ませていく。


今できる事は、とにかくできる事を一生懸命するしかない。


 

2013年7月26日金曜日

26日(金)晴れ・・・宝

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


育児休暇が終わり、職場復帰してきた。

結婚して、そのまま退社して家庭に入るのも

育児休暇が終わり、職場復帰するのも

どちらでも良いと思う。。


どちらにしても

子供は「宝」だなと感じていた。


2013年7月25日木曜日

25日(木)曇り・・・好きな物

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳




鞄。。。

N-nhaが、鞄を買った。

いくつも鞄はあるというのに。。。


「好きだねぇ〜、鞄。。。」

いっぱい持ってるじゃん。

今度、お母さんもいっぱいあるから、良いのもらったら?


家内がすかさず、大偉も好きだったよね!

大偉は、鞄と靴ね。

お父さんは、鞄と靴と時計じゃん!

みんな似たもの同士だよ。

 

2013年7月24日水曜日

24日(水)曇り・・・バックアップ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


バックアップ。

人には、必ずバックアップしてくれる仲間がいる。。。

逆にその反対もいるという事なんだけど。


私は、多くの方からたくさんのバックアップを受けている。

家族、両親、友達。。。

恩返しも出来ずに。。。



何て不幸者だとおもう。


いつか・・・・

きっと、いつか。。。

 


2013年7月23日火曜日

23日(火)曇りのち雨・・・コメント

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



R-seyさんからの書込みコメントを何度も何度も、読み返していた。


大偉は、みるちゃんを引き連れて、何処を旅しているのかな?

どこで修行をしているのかな?

良い仲間に巡り会えているかな?

2013年7月22日月曜日

22日(月)晴れ・・・自分の足で

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


前に進むには、自分の足で一歩を踏み出さなければならない。

人に背中を押されても、

勇気づけられても。。。

必ず最後は自分の心が決め、足を踏み出す。
 

その一歩は、自分の責任において進んで行く。。。

この長くも短い人生の一歩を刻む事になる。


私も、自分の一歩を踏み出す前に、どうしてもやらなければならない仕事がある。

この仕事をやり遂げて、次の一歩を踏み出し、必ず掴み取る。

そう心に決めている。


ず〜っと心に決めている。

「おめでとうございます」といつもと同じ笑顔で。。。頭を下げた。

その姿を見たその日に決めた。


必ずこの人達の力になろうと。。。

 

2013年7月21日日曜日

21日(日)晴れ・・・都市対抗野球

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳
 

2010年の夏・・・

この時期になると、大偉と一緒に観に行った、都市対抗野球を思い出す。


その年、大偉に都市対抗野球を観に行く?と聞くと

「行く・・・!」

家内も何度か観に行った事があり、応援など楽しいよ。。。!

と話していたのを思い出す。


東京ドームに行ったのは、確か土曜日だったね。

 
大偉っ。。。

お父さんはビールを飲んでもいい?と聞きながら

既に手をあげて、売り子さんを呼んでいた。。


その試合は圧勝で勝ち、その年はT社が7度目の優勝を飾った。


決勝は、18:30・・・

大偉っ?

決勝行くの?

行く?

じゃ、学校が終わったら東京ドームで待ち合わせね!

行き方を教えて、私とShigeちゃんは外出先から向かった。

学校帰りに友達1人を連れてきて、私はShigeちゃんと

四人でライトスタンドから応援していた。。


今でも大偉の携帯には、写真が残されている。

何処にも遊びに連れてあげれなかったなぁ〜。

大偉は親父と二人で観にきた事を、覚えてくれているかな?

大きな声を出して応援している姿を、面白、おかしく見ていたんだろうなぁ〜。

なんて親父なんだとね。

はじめて見る姿にビックリしていたんじゃないかな?

その後は、滅多に東京に来れないので、有楽町に連れて行ったりと

帰りはもの凄く疲れたよ。。。


昨年は、試合時間が就業時間帯だったので、観に行くことができなかったけど、

こうして合気道以外でも大偉を感じられる事がたくさんある事を、あらためて思う。


今日の試合も、一生懸命応援している親父の姿を見つけて

また、やってるよって感じで見ていたんじゃない?


今回は、Yajiちゃんも一緒に見たよ。

Yajiちゃんもバイクを乗るから、きっと話があったと思うよ。


今回は、ベスト4で負けたけど、また来年も行こうね。

みんなで集まろう!







2013年7月20日土曜日

20日(土)晴れ・・・息子や娘のように

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


17:05・・・TDLやイクスピアリでごったかえす舞浜の駅にいた。

長い間、ずっと龍を支えてきた方のお見送りに浦安市斎場に向かうためだ。


バスの時刻が合わず、タクシーに乗る。

斎場には多くのお世話になった関係者が集まっていた。


受付の場所には、お祭りの写真や孫を膝に抱え、

ニッコリとしている写真が印象的だった。

というか、それしか目に入らなかった・・・


遠くの場所から、親族席が見える。


写真に写っていた、孫だろう・・・

お母さんの膝の上に座り、何度も写真の方を指差し

お母さんに聞いている風だった。


その、小さな指が指している方向は、おじいちゃん。


「ねぇ・・・なんで」

と聞いているかのように、誰もが見てもそう感じられた。


大偉の時にも足を運んでいただき、寄書きには

「悔しいな・・・」と書かれてあった。


会長のあの笑顔は、皆を和ませてくれる。


会長からみれば、ほとんどが息子や娘のように感じ

皆と接していたのかなぁ~と思う。


まだまだ、孫の成長をずっと、側で見ていたかったろうに・・・

きっとおじいちゃん子なんだろうな・・・


身内を旅立させた人が・・・

身内を旅立させてしまった人に・・・


「これも必然」だなんてとても言えない。


世の中、偶然はない・・・全て必然だが

旅立たせた後の言葉に「必然」は残酷とも言える言葉に変わっていく。


必然・・・この時ばかりは使いたくない。


謹んでご冥福をお祈り致します。





2013年7月17日水曜日

17日(水)晴れのち雨・・・伝える事

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


15日の日・・・午後から浅草にいた。

寺たび展の紹介が野田線の中吊りで紹介されていたので

思わず、お坊さんのお話しに申し込んで、先着100名にあたった。


とても暑い日で、浅草寺の脇の大通りを10分ほど歩く。

浅草寺の方を見ると大勢の人で大賑わい・・・



会館に着くと、おもってた通り年配の方が多く、若い方は殆どいなかった。

お坊さんの説法的なお話しを期待していたんだけど、そういった話ではなく

比叡山延暦寺での修行の話しが大半を占め、ちょっと期待ハズレ感もあったが、


お話しの中では

一期一会を大切にする事。

世の中はすべて必然という事。

偶然はない・・・必ず何かしらの意味がある。

そして・・・伝える事の大切さ。

というキーワードが出てきた。


特に、伝える事では

「過去~現在・・・そして未来へ。」

私達は、過去の方々からたくさんの事を伝えられ、教わり今がある。

その教わった事を、今度は私達が未来の方達へ受け繋いでいく役目があるという事。


家族の話しであったり・・・

日本文化の事であったり・・・

何が正しくて、何が正しくないのか?

人間としての、人間になるための知識・・・などなど。


上手く説明ができないが、何となくわかる気がする。


もっと、もっと色んな事を、

たくさんの方と話して

自分を成長させなければ。



2013年7月16日火曜日

16日(日)晴れ・・・また一人

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


帰りの電車の中、梅郷駅に降りる時にメールを確認した。

次の瞬間・・・

大きな団体のとても尽力をつくしてきた方が旅立った。


とても残念でならない・・・


会えばいつもニコニコしていた方で、誰とでも気さくに話してくれた。


つい四月に偶然にも中華料理屋で会って、一緒にお酒を飲んだのに・・・


大偉の時も、A藤師範と来てくださってた姿も忘れない。


大偉の事も、K-muraさんの事もよろしくお願いしますね。


2013年7月15日月曜日

15日(月)晴れ・・・元気ハツラツ

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉とみるちゃんに会いに行くと・・・

元気ハツラツのオロナミンCが置いてあった!


誰かきたの?


管理事務所にあるノートには書いていなかった気がしたんだけどなぁ~。


帰りにもう一度見て確認すると、


何度かきていただいている

N-kyam君とF-jita君の名前が書いてあった。


足を運んでくれたんですね・・・

いつもありがとうございます。


大偉っ!

よかったね。

何を話したのかな?



2013年7月14日日曜日

14日(日)晴れ・・・申し訳ない

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝・・・大偉とみるちゃんに会いに行った。

いつになく、人も多かった。


お花を手向け、香を焚きながら

墓石にお水をかけ、汚れを洗い流しながら


暑いねぇ~

暑さで、石が焼けてかけた水がぬるま湯に変わる・・・

こんな小さなところに・・・


申し訳ない・・・

本当に申し訳ない・・・


大偉とみるちゃんを思い出しながら

涙が溢れ出てきてしょうがなかった。





2013年7月13日土曜日

13日(土)晴れ・・・審査

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


少年部の夏の審査が行われた・・・

審査を受ける子もいれば、受けられない子もいる。


稽古の送り迎えに来ているお母さん、一人一人に

なぜ受けられないのか?

このまま受けるとどうなるのか?

今後の影響などを伝えた。

一番の心配は、今・・・このまま受けても自分のものにならなない。

しかも、そのまま進級すれば、その反動が必ず返ってくる。

だから、今回は見送りましょう・・・と伝え納得してもらった。


その中でも、一生懸命の姿勢が出ている受けた子供達。

一人一人、良かった。


普段、見せたことのない体制の低さ・・・

声の大きさ・・・

最後までしっかりとやりぬく姿勢。

私も見ていて、見習う事が多かった。


大偉とN-nhaは仕手・受けでいつも臨んできた。

親が心配しているよりも淡々と技をこなしていく。


大偉が一般四級を受けた時の、受けは私がした。

中学1年生だったかな?


M-先生からはの講評は・・・

「まだまだ、できる・・・・」

この言葉に集約されていた。

大偉の合気道はこんなもんじゃない

先生から見れば、やればもっともっとできるのに

そこを伸ばさずに、止めてしまっているかのような

大偉の姿勢を、叱るのではなく伸ばす言葉に代えて

締めくくった。


旅先でも、R-seyさんがA師範に掛け合った帯を締めて

稽古をしているのだろうか?


今年の12月は、私も望みたいとH-shiに伝えた。

大偉の昇段と私の有段を受ける

2013年7月12日金曜日

12日(金)晴れ・・・今日も

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日のブログを読んでいたのが影響したのか・・・


今日も、自然と涙が溢れ出てきてしまった。


なんていう事が、私達家族に降りかかってきたのか?

2013年7月11日木曜日

11日(木)晴れ・・・ちょいちょい

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


一度アップロードしたブログをあまり読み返したりは、

しないんだけど、ちょいちょい誤字脱字が目立つ。

アップする時に、読み直しているんだけどなぁ~


朝にの通勤電車の中・・・・

右脇にある、ブログをちょっとだけ読んでいた。。。


「大ちゃん」


K-jima君が大偉と私達に宛てたメール。


堪えきれない涙を抑えながら・・・






2013年7月10日水曜日

10日(水)晴れ・・・その時あなたなら・・・

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


目が突然見えなくなったらと思うと・・・ぞっとする。

今の私の気持ちとしては、残されたN-nhaの成長が見えなくなる。


想像でしか、成長がわからない。

きっと絶望的な・・・立ち直れない。


川島なお美のご主人の話しがTVで紹介されていた。

言葉にならない。


世の中には、自分ではどうしようもできない事・・・・

なんで自分だけが・・・


大小にかかわらず日常的にたくさんある。

自分の気持ちだけでは立ち上がれない時・・・

きっと傍にいる方が手を差し伸べてくれる。。


これもその人と一緒に歩む・・・必然は人生である。


しかし、言葉だけで言ったり、書いたりするなんて簡単なものではないだろうな。。。














2013年7月9日火曜日

9日(火)晴れ・・・夏本番

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日も、今日も・・・明日も。

三日間連続して新横浜まで研修。


本当に暑い!


大偉っ!

今年も都市対抗野球にでるよ。







2013年7月8日月曜日

8日(月)晴れ・・・言わなかった

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


T社の研修で新横浜にいた。

駅から研修所までは20分くらい歩く・・・うだるような暑さ

朝5:00に起きて、5:49分の電車に乗り、新横浜に着くのはちょうど2時間。

歩きを入れると2:30~40分かかる。

今日の研修は「メンタル・ヘルス」


人は、たくさんのストレスを感じながら生活をしているが

そのストレスを取り除く事はできない。

そのストレスとどう向き合うのか?が課題である。


研修では、「欝」の話しが中心になってくる。

色々なお話しがあるんだけど、家族構成の話しを隣に座った方とする事があった。

聞けば、今住んでいるのが津田沼で。。。

えっ~、津田沼なの!

知ってるよ~。

私は実家が習志野です・・・

ちょ~ローカルな話しをしながら家族の話しに入った。

なぜ?家族の話しになったかというと、小さい子供にはボディータッチでの「ストローク」が必要だということ・・・(ストロークとは、自己および他者の存在を認める働き)



その中で、お子さんはと聞かれた・・・

二人います・・・

男の子と女の子なんですよ!

もう大きいいんですか?

はい、したの女の子は高2なんですよ

その後は、大偉の話しが喉元まででかかったが、

そこまで言わなくてもいいな。

そんな事をいう事もなく、普通に流していれば問題ないし

なにせ、自分の中では、いつもでもいると思っているので

まったく問題はなかった。


結構、知らない人から子供の話しを聞かれるのって辛いんだよね。


2013年7月7日日曜日

7日(日)晴れ・・・七夕

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日で、三回目の七夕です。

・・・TVの歌番組からは

槇原敬之の「遠く遠く」が流れてくる。



・・・同窓会の案内状・・・というフレーズ


言葉にならない。


あれから・・・

これから先も、親として形になる事もできないけど・・・


お母さんのほうが、大偉やみるちゃんの事、いっぱいわかっているけど


大偉や、みるちゃんが好きだった事を思い出したり、聞いて


いつまでも一緒にいたい。


会いたい。





2013年7月6日土曜日

6日(土)晴れ・・・It’s a piece of cake

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


It's a piece of cake.・・・楽勝さ」という意味なのだそうです。

大偉とみるちゃんは、旅先で何をしているのだろうか?


壁にぶつかった時に・・・楽勝さといって乗り越えてほしいな。


2013年7月5日金曜日

5日(金)晴れ・・・わすれない

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


「わすれない」・・・たったこの5文字。


記憶がだんだんと薄くなってくるかもしれないが

絶対に忘れないよ。


忘れるわけがない。


いくつになっても、同じ事を繰り返し繰り返し話して・・・

それ、さっきも話したよ!

前にも聞いた!

なんて言われながら、ず~っと話すから。


誰にも・・・「わすれない」に想いがある。


最近、ほんとうに、ほんとうに会いたくて、会いたくてたまらなくなる事がある。


大偉、みるちゃんは私の声が聞こえているだろうか?








たった5文字

2013年7月4日木曜日

4日(木)晴れ・・・遠いところから

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


遠いところから仕事帰りに、足をのばし

大偉に会いに来てくれている方がいる。。

大偉に話しかけて帰っていく。



いつもありがとうございます。


2013年7月3日水曜日

3日(水)曇り・・・くやし涙

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


色々な方々を思い浮かべていた。


自分では、どうしようもできない。

どうする事もできない。


愛する人が・・・

とてもとても愛おしい人が・・・

今まで、

さっきまでそこにいた人が

家族同然のように生活していたわんちゃんが・・・


旅立っていく。

旅立させてしまった。


思い、感じ方はそれぞれ違うが

これが運命

これが宿命

という言葉ではとてもとても割り切る事ができない。


ほんとうに傍にいるのに、何もできない。 無力さを痛感する。


悔しくて、悔しくて泣けてくる。


素敵だったなぁ~。

可愛かったなぁ~。

格好、よかったなぁ~。

優しかったなぁ~。

素敵な思い出もあれば・・・・

苦い思い出もあり。

あの時・・・謝ればよかったなと思うこともある。



現場を通ると、可愛らしいお花が手向けられてあった。

しかも、枯れたお花は片付けられてあった。

日曜日の夕方にはなかったので、月命日に来てくれたのかな?

前回も同じようなお花が手向けられてあったので、きっと同じ方なんだな?

ありがとうございます。


2013年7月2日火曜日

2日(火)晴れ・・・こんな感じだったのかな?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


日曜日・・・柏方面へN-nhaと出かけた。

柏方面は、少し混んでいて中々進まない・・・

逆に大宮方面は、現場を境くらいに空いていた。
※車の走っているタイミングだと思うけど・・・


少し右側にカーブ・・・

当時もこうだったのかな?

お母さんは、どんな気持ちで運転していたのかな?

救急車が到着するまでの間、みんなに大偉は見られていたんだな?

などと思いながら車を走らせていた。


今でも、家内には聞けない話し・・・

2013年7月1日月曜日

1日(月)晴れ・・・富士山

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



文化遺産に登録された富士山。


大偉が6年の夏に登った富士山。

その前の夏には、日本第三位穂高岳登頂。

TVで中継している8合5尺3450Mにある御来光館。

大偉と登った時も、その御来光館に泊まった。

懐かしいぃ〜っ、と思いながらNEWSを見ていた。


リビングにあるPhotoフレームには、登っている写真や、

山小屋でまったりしている大偉の姿・・・・

帰りの道で横になって寝ている大偉。


御来光館までくると、だんだん酸素も薄くなってきている事もあり

ちょっと辛そうだったけど、それが顕著にでたのが、その日の夜。


少し熱も出てきて、酸素不足による軽い高山病と

前の日の寝不足もあり、もどしてしまった。


夜中、なんとか持ち直したが、そこからさらに300Mを上がるのが大変だった。


大偉と同じく、動けなくなる人がいたり・・・・

かとおもえば、ツアー客のおばちゃん連中はガンガンに登ってくる。

下を見ると、ヘッドライトが綺麗に連なっている。


大偉の体調がよければお鉢めぐりをしたかったけど、

とにかく無事に登頂できてよかった。


また、大偉と登りに行きたいな。