2014年2月27日木曜日

27日(木)雨・・・わぉ~

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉、知ってる~っ!


N-nhaが・・・



普段よりちょっと早めの帰宅・・・21:30くらいかな?


ごはんを食べ終え、マッサージチェアに腰掛、TVを見ていた。


N-nhaは、ソファーに寝っころがりながら漫画本を読んでいた。


N-nhaをチラッと見た。


私はそのままTVを見ていた。



しばらくして・・・


また、チラっと見た。



うむっ。。。


えっ・・・


まじ~。



見慣れたジャケット


「宇宙兄弟」じゃん


買ったの?


しばらくして家内がお風呂からでてきて、聞いたら


大人買いをしたんだんだよ!


本当かよ・・・22巻を大人買い。



前から、買うとか・・・お父っが買ってよとか言っていたんだけど


まさか本当に買うとはね。




2014年2月24日月曜日

24日(月)晴れ・・・いつも

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、協力会社の方の昇進祝いの席に招かれたて夕方に出かけた。

昇進祝いの席といっても、長い付き合いなので親会社の方達とタクシーに乗って

月島のもんじゃを食べに行った。

TVでは見たことがあるが、こんなにも軒を連ねているのかと・・・


久々にたくさん飲んで・・・

野田線を寝過ごしてしまったが、家に帰る事ができた。


駅から家までを歩いて帰ると・・・必ず大偉やみるるの事を想いだし泣けてくる。


今日もいつもと同じだった。


声が聞こえないって辛いよ。

見えないって辛い・・・。

凡人の私には、雰囲気さえ感じない。


もしかしたら、大偉もみるるも横に座って、私に話しかけているのかも知れないというのに。


何をやっているのか?


2014年2月23日日曜日

23日(日)晴れ・・・つい1秒前まで

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


最近は、仕事も忙しかったおかげでお墓に行くことも、現場に行くこともできなかった。


今日、久しぶりにお墓に行って大偉とみるちゃんに会いに行ってきた。


家の仏壇で手を合わせているのと

お墓で手を合わせるのと全く違う。


大偉とみるちゃんが本当にそこにいるんだから・・・。



その足で、現場に行った。

小さな可愛らしい花が、枯れてあった。

私が手向けたお花のうえにそっと置いてあった。


何度か同じ感じのお花が手向けてあった事があったので、きっと同じ人なんだなぁ~。

寒い中来てくれて、ほんとうにありがとうございます。


花瓶のお水を取り替えて、お花を手向けお線香を焚いた。


左後ろには、大偉が1秒前までそこにいたんだから・・・。


なんて事が起きたんだろう。


時は進んでいるが、私の中では何も進んでいない。


進むときは、大偉もみるるも一緒だよ。


2014年2月21日金曜日

21日(金)晴れ・・・さすが!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


SP・・・16位。

こんな順位なんか聞いた事も、見た事もなかった。


そんな崖っぷちのメダル絶望な順位からのフリー。


集大成と言っていた通り、渾身の演技で自己最高得点で締めくくった。


あの茫然としたSP後のインタビューのあと、どうやって気持ちを立て直し、フリーに臨んだのか?


演技も流石だが、この気持ちも超一流と感じた瞬間だった。


メダルを取る事はできなかったが・・・


最高の演技を見せてくれたと思う。


うまくいかない事も会社の中ではよくある事だが、

下を向いていても前には進まない。

上手くいかない時こそ、顔をあげて進もうと再確認した。




2014年2月18日火曜日

18日(火)晴れ・・・NORI

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ニックネームは・・・NORI


ラージヒル個人で銀メダルに輝いた葛西紀明が牽引して掴んだ

ジャンプ団体 日本 銅メダル・・・98年長野大会ぶり以来4大会ぶりとなった。


LIVEで見ていなかったが、ニュース映像を見てものすごく感動した!

・・・泣けてきた。



葛西選手の事は、昔から名前は知っていた。

特に、スキージャンプに詳しい訳ではないが、TVで試合をやっていると、ついつい見てしまう。


長野では団体メーンバーから外れるなど・・・私が想像もできないくらいの悔しい思いだったと思う。



以下は、WEBからのコメント掲載。


自身にとっては94年リレハンメル大会の団体銀メダル以来だ。輝きは違ったが、メダルの色は関係ない。何よりの宝物になった。葛西は「僕がメダルを取った時、自分のことのように喜んでくれた。一緒に戦ってメダルを取るならこいつらだと思っていた。リレハンメルのメダルとは全然、喜びが違う。最高の五輪になった」と熱い胸の内を話した。

 「一緒にメダルを獲るならこいつらだなと思っていた。日本にいる時も一緒にごはんを食べて、どんちゃんして、心が通じ合った仲間。絶対にメダル獲らせてやりたかった」。1回目は2、6、2、3と推移した順位は、2回目が進むにつれて3位が濃厚となっていった


長野の団体戦が行われたのは98年2月17日。あれからちょうど16年がたった。仲間の金メダルを悔しそうに眺めた25歳の青年は、後輩に慕われる41歳のレジェンドとして日本をけん引した。「僕にとっては最高の五輪になった。満足してます」。晴れやかに言った葛西の7度目の五輪が終わった。


16年前の今日、最高の仲間と掴みとった銅メダル。


葛西のコメントに・・・

「~~一緒に戦ってメダルを取るならこいつらだと思っていた~~」と

残しているが、この言葉に託した思いは、わかる気がする。



昨年暮れの審査もそうだったから・・・

自分が選んだ・・・。

受けを担当してくれた・・・H-shi、I-ueさん

大偉の道衣と帯

S-bata君からいただいた、大偉の剣。

N-nhaが預かっている短刀。

そして、見届けてくれたR-seyさん。


自分が、この弐段審査を受けるならこの人達だと決めていた。


先週、先々週とプレ審査を行ったが、納得のいく出来栄えではなく

もしかしたら・・・「待て!」の指示が出てしまう事も考えていた。


それでも、最後の最後で背中を押したのは、M-ekoさんの笑顔と言葉だった。


葛西選手とは比べものにならないけど、なんとなくこの言葉の意味や重みはわかる。



それにしても、何度読んでも目頭をあつくさせる。

http://www.asahi.com/topics/word/%E8%91%9B%E8%A5%BF%E7%B4%80%E6%98%8E.html



2014年2月17日月曜日

17日(月)晴れ・・・一人は嫌

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


小林 凛くんの名前をはじめて知ったのは・・・「バンキシャ」の特集だった。


2013年(平成25年)5月24日 金曜日
 


944グラムの未熟児で生まれ、他の子よりも腕力は弱い・・・。

学校では、いじめを受けていた。


人に言えないほどの苦しみを耐え抜いた・・・。

学校に行きたくても行けない日が続く。


そんな中、三重県の松坂市にある小学校の先生の目に

この凛くんの出した本が目にとまった。


学校で、凛君が読んだ句を題材にして、どんな思いで読んだのか?その情景は・・・などなどグループ討議をして勉強していた。


今日の題材の句には「いじめ」という言葉はどこにも入っていなかったが、

生徒からは、まさにその情景を読み取るかのような・・・「辛い気持ち」の

意見が返ってきた。


ある日その先生は、凛君を自分の小学校に招待した。

一緒に勉強した。もちろん凛君の読んだ句を題材にして・・・。


お昼には、班ごとに和気あいあいとお話ししながら楽しくお昼を

食べていると、突然涙が溢れ出てとまらなかったのだ。


休学していた凛君は、久しぶりにこんなに楽しい学校で嬉しかった。



凛君はいじめられ、休学をしていたので、クラスに溶け込める準備をしている時は学校の中でもクラスにはいなかった。
入れるのはどうかな?という判断で、別の場所で一人で食べていたから。。。



凛君が、涙を流したとき大偉を思い出しながら泣けてしまった。


大偉にも、ちょっと辛い時期があったから・・・。


その凛くんが9歳で朝日俳壇に初投稿した句が5千通の中から選ばれた。

「紅葉で神が染めたる天地かな 」

一度、手にして読もうと感じた句集だ。


その他の句・・・
「いじめられ行きたし行けぬ春の雨」


いじめっ子の一人が謝ってきた。そのうれしさから新しい俳句がうまれた。

「仲直り桜吹雪の奇跡かな」


http://news.livedoor.com/article/detail/7648741/




自分の弱さで、人をいじめる・・・

自分を守りたいから、人をいじめる・・・

なんて人間は愚かなんだろう。





2014年2月16日日曜日

16日(土)雪のち雨・・・道衣のした?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


前日からの雪の影響で交通手段は乱れ、道路も側溝を塞ぐ雪の影響で流れず・・・。

道路も悪影響だったが、道場は開けた。


参加は個人の判断に任せたが・・・・

私は木・金と研修会でのストレス発散のため

前の晩からワクワクして、「明日は合気道の稽古だぁ~」と言いながら布団に入った。


でも・・・こんなに雪は降っているし、雨はだんだんと強くなってくるし


まぁ、誰も来なくてもいいやと気軽な気持ちで道場に向かった。


一人で基本動作をしていたが、9:30過ぎにメールが入っていた。


一度は、休みますとの連絡を受けたが・・・やっぱり行きま~す!

二人の兄弟がニコニコしながら道場に入ってきて一緒に稽古した。

11日のジュニア合気道の結果が悔しくて悔しくて・・・。



すると・・・電車が動いてなく、来れる事が困難だった二人が

次々に入ってきた。


「えっ~・・・!」  ビックリした。


11:00からは、審査稽古をして稽古終了!

8日の雪よりも一段と寒く感じた・・・


私は、もの凄くよかったけど・・・皆は風邪などひいていないかな?



今年に入ってからは、道衣の中(上下)に着こんでいる。

夏は、下のズボンがくっつくので、古くなった股引を脛くらいから切って

履いている。これは、汗を吸い取ってくれるので、非常に良い。

冬は、もっとちゃんとしたのを履いているんだけど・・・


はじめて、中にTシャツを着た時があって、

たぶん、大偉は中学くらいかな?


「俺は着ない!」


なんか、武道じゃないみたいと言わんばかりの顔をしながら・・・

最後は言っていたけどね。


そんな事を思い出した。


お父っも、大偉のように若ければ着ないんだけど、

冬のこの時期に道衣を直に着ると心臓がとまりそうになるくらい冷たいんだよね。

2月までは、見逃してくれよ・・・。





2014年2月12日水曜日

12日(水)曇り・・・人間性

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


女子ノーマルヒル。。。

深夜の高梨沙羅のジャンプを観ずに寝た。

金メダルを獲って欲しい人。

W杯での戦績を見ても、世界のジャンパーが認める存在。

小さい体だけど、とても大きな存在。

その小さな背中には、やはり人しれず大きな重圧がのしかかっていたのかなぁ〜。

そりゃ、当然だよな。。。

日本国中が、応援をしているんだから。

オリンピック。

日本代表ってそんなもんなんだろう。何たって代表何だから。


朝、TVをつけるとトップニュースになってなかった・・・。

あれっ!

沙羅ちゃんは?

しばらくすると、ハイライトが流れ結果は4位・・・

えっ〜、残念だったな。。。

金メダルを獲らせてあげたかった。


次の瞬間、高梨沙羅に近寄って一言二言話し抱き寄せた 選手がいた。

これも高梨沙羅という人間性なんだろう。


これよりも驚かされたのが、勝者に光るものは見えたけど

「笑顔で拍手を送っていた」事だった。

こんな光景を見たのは、はじめてだった。


一発勝負という大舞台で、勝利の女神は微笑まなかったけど、

四年後も日本、もちろん世界をリードするトップジャンパーにいるでしょう。


決して言い訳をしない、小さな日本代表に心から拍手を送りたい。


2014年2月11日火曜日

11日(火)曇り・・・もう少しだけ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝・・大偉とみるちゃんに会いに行ってきた。


冷たい花立。


水を交換した後、香を焚いた。


もう少しだけ・・・

もう少しだけ、生きられたら。

生きていれたら・・・・


生きてほしかった。


二人の墓誌をみながら、泣けてきた。


生きた証。



2014年2月10日月曜日

10日(月)晴れ・・・取らせて・・・。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


家に帰ってからニュースで知った。

上村愛子がメダルをとれなかった事・・・。


自分の中では、メダルを取ってもらいたいと思う一人だったので、

あぁ~残念だったなぁ~

惜しかったなぁ~

という感情よりも


「取らせて、あげたかったなぁ~」という感情だった。


もう一回は無理かな・・・


色々な事を犠牲にして、重圧にも耐え、つかんだ5回目のオリンピック。


一歩一歩、階段を上がるように順位を上げてきて・・・。



次は、後輩の指導や、子供達にモーグルの楽しさを伝えるんだろう。


指導者での金メダルを目指してほしい。










2014年2月9日日曜日

9日(日)晴れ・・・みるちゃん

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


みるちゃん!

大偉の側にいますか?

何かあった時は、必ず大偉が助けてくれるからね。



今日は、体調を崩して行けなくごめんね。


すぐに行くから待っててね。




2014年2月8日土曜日

8日(土)雪・・・ジュニア合気道

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


11日行われるジュニア合気道・・・

雪の大会となった船橋で行われた大会を思い出す。


色々な思いを感じながら、終わった大会。



天気だけをみれば、その大会を思い出させるようだ。

今日が最後の稽古となる。


環境の違う場所で、自分の結果を出す事は難しいが

やりきってほしい。


大偉もきっと見ている。




7日(金)晴れ・・・結果を出す。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


与えられた目標値・・・設定値をクリアするために。

いつも行っている事に、プラスαをしなければ・・・。


毎期、毎期と設定値は上がっていく。


その設定値を、動じる事無くクリアをして結果を出さなければならない。


結果を出さなければならない・・・

設定値はやってもらいたいという期待値ではなく

やって当たり前に設定値であり、結果とはそれ以上の値を出す・・・

会社もそれを望んでいるのではなく、求めている。


結果を出すには、その準備・過程が重要であり

日々、週・月ごとに準備を修正しながらさらに次の施策を展開していかなければならず。


そのためには、今まで培ってきた人脈が一番重要だと思う。


残り、1.5か月で結果をだす。




2014年2月6日木曜日

6日(木)晴れ・・・帰ってきなよ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日も仕事でホテル泊まり・・・

会社からホテルに向かう時、大偉から「パパ早く帰ってきなよ」が頭をよぎった。


2000年問題。

コンピューターの年号が誤作動を起こすという事で、T-グループのオフコンOSの全出荷を請け負っていた私。


通常の出荷あり、緊急出荷あり・・・T-青梅工場からも緊急の要請が入るなど

製造スケジュールを週単位・日単位・時間単位で変えながら刻々と製造スケジュールと製造物の量産をあげていた。


やってもやっても、注文が入り連日は遅い。


家に電話をいれ家内から大偉に代わった。


「パパぁ~」

「遅いの?早く帰ってきなよ。」

「早く帰ってきなよ」

と何度も何度も今の自分の気持ちを自分の言葉で伝えてきた、小さな大偉。


あの時の声は今も心に中にある。


2014年2月5日水曜日

5日(水)晴れ・・・おこめ(笑)!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


お昼ご飯をずらしてマックで食べた。

次の打合せの時間もあったので、ただお腹に入れたという感じ。

それにしても、晴れていても風が冷たすぎる。


ハンバーガーを食べながら、ホットコーヒーを飲み…

大偉が小さい頃に言った、「お米が入っているよ!」を思い出しにやけてしまった。

小さいタマネギを「お米」と言ったのだ!


こうして何気無い生活の中で、大偉を無理やり思い出しているのではなく

自然に浮かぶんだよね。


これから先も、ずっと。


2014年2月4日火曜日

4日(火)晴れのち雪・・・がんばれ!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


がんばれ!という言葉・・・

仕事でホテル泊まりになり、TVを見ていた。

障害を持っている方が数人出ており、健常者からの「頑張れ」という言葉について意見を言っていた。

また、視聴者から障害を持っている方々へのメッセージも読み上げていた。


「頑張れ!」というごくごく普通に使う言葉。


何かあると、とってつけたように、頑張れと使う事に、障害を持っている方々は、簡単に言えば嫌がっている。

かと思えば、その言葉を励みにしている方もいる。


嫌がっている方も、最後は「頑張れ」の一言で救われたと言う。


「頑張れ!」という言葉…何が違うのか?


それは、その言葉に

真剣に、その人の言葉で、思いやりが込められているか?

そのへんの活字を並べて、話しているか

下手くそだけど、一生懸命に自分の言葉で話しているかの違い。

別に、頑張れでなくても良い。

飾らない等身大の自分の言葉であれば、誰もが素直に受け入れられるのだと。


外国人は、障害を持っている人には頑張れという言葉は使わないのだという。

TVに出演されていた、障害を持っている方も言われた事がないと言っていたし、

障害そのものや、障害の話なんてしないという。


自分が、同じ立場にならないとわからない事が多い中、

言葉を選んでしまうけど・・・

とても難しいけど、

とても大事な事だとあらためて気づかされた番組だった。


言葉の重み。

励ましたり、

蹴落としたり、

もっと考えなければならない。


2014年2月3日月曜日

3日(月)晴れ・・・N-nha

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


17歳の誕生日・・・。

N-nhaおめでとう!


N-nhaが生まれた時の事。

大偉が毎日病院に行ってた事。

想いだしながら話した。



N-nhaが生まれる時は、家内の実家から会社に通っていて

だいたい、8:00pm前くらいに帰ってくるんだけど、大偉は玄関で

靴を履いて待っているんだよね。


病院の帰りには、自販機でジュースを買って帰るんだよね。



N-nhaを見て、「赤ちゃんかわいいね!」と、かん高い声で話しかけていたよね。

お母さんから、ののちゃんだよと言われると、「ののちゃんかわいいね!」とね。


病室にある椅子の蓋を、はじめは音を立てて閉めていたのを、

静かにしめてと言われると、静かぁ~に閉めて「はいっ!」って得意げに

何度も何度も繰り返して、褒められると、また繰り返してね。


お父っが、大偉の真似をしてN-nhaにやって見せたよ!

大偉みたいな、かん高い声はできないけどね。

そしたら、お母っぁ~までマネしてきたよ。




そんなN-nhaも17歳だよ。


大偉っ・・・

N-nhaが見える?


いつもふざけて、じゃれていた姿を見る事はできない・・・

ただただ、思い出すだけなんだけど。



大偉も通るはずだった、17歳。

毎年こんな風に思い出すんだろう。


今年で3年・・・まだまだやる事が残っている。









2014年2月2日日曜日

2日(日)晴れ・・・あと2ヶ月!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


普段は休日出勤しないんだけど、最近は忙しくて出ざるおえなくなってきている。


とはいっても、定時に出社して3:00PMにあがった。


残り2ヶ月で今期も終わるが、この2ヶ月が徐々にきつくなっていくんだよなぁ。


仕事も、身体も・・・

スケジュール通りに事が運ばなくなると、その調整に追われる。

立て直すのに、時間と人を動かす。


ちょっとやそっとじゃ戻らず、戻すためには他の仕事をストップまたは

スピードを落とさなければならない。


スケジュール管理をしっかりやっていても、事が起こるんだから大変だよね。


私なんかは、トラブルや立て直しには落ち込まず、かえって燃えるタイプなのであまり苦にならないんだけど、


この2ヶ月は期末・・・年度末だから計数的にもピリピリしていて大変です。



これを乗り越えれば「春」がくる。







2014年2月1日土曜日

1日(土)晴れ・・・帰ってきたよ!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



大偉っ!

みるちゃん!

N-nhaが帰ってきたよ。


みるちゃんなんて、飛びついて

足元にまとわりついているんじゃないの?


かなり、沖縄は楽しかったみたいだよ。


大偉にも、お土産あるからね。