2014年3月31日月曜日

31日(月)晴れ・・・期末

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今年の期末は本当に忙しかったなぁ~・・・。

まだ仮締め状態のまま、打ち上げがスタートした。


いつもなら、この打ち上げが終わった後上野公園に寄って夜桜を見るんだけど、そんな余裕もなく帰宅。


去年は、R-seyさんと待ち合わせして夜桜をみながらお弁当を食べ、

その後、H-shiと合流して三人で飲んで帰ったな。


H-shiが来るまで、西郷さんの銅像の前で、オヤジ二人が手を握りながら

技の型稽古をしていた。


回りから見れば、引かれるような状態・・・。


だから、「写真撮っていただけますか?」と声がかからなかったんだね。



あれから1年が過ぎた。


色々な思いもそれぞれ、1年過ぎた。


やり切れた事も・・・

まだ、手をつけていない事も・・・


大偉も、みるるも・・・一つ歳が増えた。



2014年3月29日土曜日

29日(土)晴れ・・・4人が・・・

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳




この一週間は、ホテルに泊まりで、一日しか家に帰る事ができなかった。。

何時もと違う期末。

増税前と期末が重なり物流も物が届かないなど、どちらもてんてこ舞い状態。。


そんなこんなで、少年部の稽古に少し遅れて行ってしまった。

今日で、少年部の茶帯三人と、W-knaさんが野田同好会を卒業する。

少年部の双子の姉弟は、四年間合気道を習った。

大偉が旅に出る、少し前に入ってきた。

入りたての双子の姉弟に道衣を着せて、帯の締め方を教えていただき、優しいお兄ちゃんという印象でしたと、その当時の言葉でした。

もう一人の子は、その2年くらい前くらいから習っており最上級生として少年部を引っ張っていた。

入りたての子を指導する際、中々上手く教える事ができなく、悔し泣きをしていたのを覚えています。

W-knaさんとは、私の少し後に入ってきたので9年間もの間、一緒に稽古をしました。

途中、膝の痛みにも耐え、頑張って昨年の夏には今にも倒れそうになりながら審査稽古をしていたのが今でも心に残っています。

少年部の子も、W-kanaさんもみんな一緒に稽古をした仲間であり、またいつの日にか、戻ってくれたら嬉しいです。

大偉は、何時も新しく入って来た子の面倒を、誰が言うわけでもなく見ていいた。

その子も、これで卒業です。

また会う日まで。



2014年3月23日日曜日

23日(日)晴れ・・・どこに行っても

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


N-nhaの試験もようやく終わり、久しぶりに出かけた。


何処にでかけても

何処で食べても


いつも大偉がいたところ・・・

大偉の好きな所・・・


何処を走っていても

大偉が通った道・・・

大偉と一緒に通った道。



そこにいないという事を、ついつい考えてしまう。




2014年3月22日土曜日

22日(土)晴れ・・・若くして

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



一週間前に手向けた彼岸桜が咲いていた。




一週間前・・・

その帰り、管理人の方とお墓に来ていた女性が桶置き場の近くの墓石前でなにやら話していたが、・・・


「付き合って3か月後に亡くなった」・・・とだけ耳に入ってきた。



今日、大偉とみるるに会った帰りに桶をを片付けて、ふと振り返ると・・・

一週間前に立って話していた墓石が目に入った。


しかも、墓誌は墓石の裏に刻まれていたので、年齢まで見えた。



二十一歳・・・



この世に生をうけて生きるものすべてが、いつ幕が下りるかわからない。



お墓に刻まれた私たちの名前・・・


まさか息子のお墓を建てる事になろうとは考えもしない話だ。


2014年3月20日木曜日

20日(木)雨・・・何を見てきたの?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


お昼をずらして食べ終わったあと、窓越に外をみれる場所で音楽を聴いていた。


EXILE  「道」・・・


空を見ながら、大偉を思い出し・・・


この3年間・・・何を見てきたの?


今、何をしているの?


何が見えるの・・・?


心の中で色々と聞いてはみたが、返事はまったくなし。


私の声が届いているのかも

聞いているのかも

見えているのかも


まったくわからない。





2014年3月17日月曜日

17日(月)晴れ・・・白紙に

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


二夜連続の宮本武蔵を観た方も多かったのでは・・・?

私は、二日目はすっかり忘れていて、お風呂に入りながら

何か忘れている?

と思いながら・・・「あっ、宮本武蔵だぁ~」と思い出したのが10:00pm過ぎだった。

慌てて上がり続きを観た。



沢庵和尚が言った言葉がとても印象だった。


「善行、悪行も白紙の上に墨を落としたのと同じ。一生消えない。」


この世に生を受けてから幕が閉じるまで、歩んできた道を

この言葉がすべて受け止めている感じがする。


今まで歩んできた道・・・

これから歩む道に・・・

足跡をつけていく。


一生消えない足跡を。




2014年3月16日日曜日

16日(日)晴れ・・・彼岸桜

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日、今日とほんとに春の陽気で暖かかった・・・

大偉と巳塁に会いに行ってきた。

「俺にお墓を建てさせやがって」と思いながらお墓を磨いていた。

来週はお彼岸なので、いつもより来ている方が多かったが、

想いを込めてお参りをしている方の姿があった。

人それぞれの抱えた想いを伝えに来ているんだな?


途中で手向けるお花を買っていくんだけど、選んでいると

おばさん二人が、「あらっ、彼岸桜」という声が聞こえた・・・

違うお花をもっていたんだけど、その言葉を聞いて彼岸桜を買った。


「彼岸桜」・・・お花が咲くかな?


その足で現場に向かいお花を手向けてきた。

今でも現場に来ている方がいるんですね・・・ありがとうございます。





2014年3月15日土曜日

15日(土)晴れ・・・運転手さん・・・

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


14日(金)11:50pmくらいかな?JR柏に着いたのは。

12日、13日と仕事で連泊し、まだこの時間であれば野田線で帰れる事ができるんだけど柏からタクシーに乗って帰ってきた。


疲れて、疲れてこのまま電車に乗って帰る気力がなかった。


まだ、時間も早かったのですぐに乗ることができたが、柏の事件以来結構タクシーを利用するお客が増えたと言っていた。


運転手さんは、丁寧な言葉使いで乗車する私を迎えてくれた。

私もいつも運転手さんと話すほうなので、いろいろな事を話した・・・


「運転手さん!若柴の交差点を過ぎたら追い越し車線に変更してくれませんか?」

「はい、わかりました・・・」


「ところで、お客様・・・何かあったのですか?」と聞いてきた。


「子供がバイクの事故でね・・・」

それ以上の事は言わなかったが・・・

どうしても走行車線をそのままそこを通る事が嫌だった。

大偉の現場を横目でみながら過ぎていった。




2014年3月14日金曜日

14日(金)晴れのち曇り・・・まだまだ。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


年度末も今週からものすごい勢いで、忙しくなってきた。

昨日、一昨日と2泊連続のホテル泊。

仕事をこなしながら、研修の資料を纏め上げなければならない・・・

今年度は、始めから辛かったが何とか残り2週間で終わる。

残り2週間の追い込み・・・最後まで大変だな。


昨日、ホテルに向かいながら大偉の事でまだやらなければならない事があり、

ずいぶんと時間が経ってしまったなと思いながら歩いていた。


たまに見かける大偉のZEPHYER 400。

大偉の笑い声が聞きたい。

みるるの顔がみたい。



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2014年3月11日火曜日

11日(火)晴れ・・・3年

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉


享年十六歳


あの東日本大震災から3年・・・。

少しずつ前に進んでいるのだろうか?


家族と別れ・・・

生まれ育った故郷を離れ・・・

もう一度戻って来ることもできず避難生活先で亡くなった方もいる。


被災地に仕事で通った事はあるが、何一つ活動を起こしていない自分がいる。



色々とあるが、東電の放射能汚染を必死に食い止めている方もいる。


私みたいにその時だけ思ったり、感じたりしただけでは


何も変わらないという事をあらためて感じた日だった。


また、こうして感じている1年にならないようにしたい。




2014年3月10日月曜日

10日(月)晴れ・・・手に入れられない

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


録画をしてた番組を見ていた。

主演は、SMAPの草彅剛。

えん罪で10年間もの間、服役して刑事に戻ってきて難事件を解決していく。



詳しい内容は省略するが、未婚で育てた娘が見たこともない父親の名前を

亡くなる母親の口から聞き、その名前を頼りに自殺に追いやった

父親の同級生に復習をする。

父親は当時、大学生。



35年も経ったと言うのに。。。

今更、なんでこんな事をするのか?の問いに




こんな台詞を草彅剛が言った。


刑務所で知り合った人からこんな話を聞いた

その人は、一人息子を同級生に殺された。

ある日、家庭を持ち楽しそうに食事をしている、同級生を見てお店の外から見かけた。



「あいつは、38年経って手に入れた物を、息子は何一つ手に入れられなかった。」


そう思うといてもたってもいられず、店に入りナイフで刺した。。。


この台詞を聞いて・・・

まさにその通りだなと感じる。



16歳・・・6月2日以降も変わらず生活をしているはずだったのに

何ひとつ手に入れる物がない。

手に入れた物がない。


この台詞の意味は・・・・

決して亡くなった当時だけの悲しみや苦しみだけではないという事です。

この苦しみ、悲しみやは年月が経てば立つほど重くなる。


だってまだ16歳なんだから。


ずっと背負っていかなければならない事実である。



2014年3月9日日曜日

9日(日)晴れ・・・みるる。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨年の冬審査の帰りに自転車の出会い頭での事故で、毎日歩いて帰りは迎えに来てもらってという生活だったが、やっと自転車を買った!


昨日、買いに行って今朝取りに行ってきた。


買ったD2までは歩いて行ける距離・・・小さな踏切の向こう側では


お父さんと、小さな男の子が車を洗っていた。

小さな男の子は、タイヤを洗うブラシを小さな手で持って

洗うというよりは、なでる感じだった。。。



大偉も、小さい頃は一緒に洗車の手伝いをして

びしょ濡れになりながら、楽しんでいたなぁ~。


大きくなり・・・今度はメンテナンスをしてもらう楽しみがあったのに・・・



その実現は叶わなかった。




午後には、みるちゃんの月命日だったのでみんなで会いに行ってきた。

手を合わせ長くお参りをする家内・・・一番、みるると長く一緒にいたからね。


その後ろ姿を私はじっとみつめるだけだった。




2014年3月2日日曜日

2日(日)雨・・・同じ小雨

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕方過ぎに・・・現場に向かった。

同じ小雨。


連絡を受け、ここを走った家内。

なんとも言えない時間だった。