2014年12月31日水曜日

31日(水)晴れ・・・2014年

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


仕事面で言えば、会社の業績もあまりよくなく、今年一年を終えたが・・・

個人的な事で言えば・・・


7月に初めて行った、合気道の体験が成功に終わり会員が増えた事!

西葛西の25周年記念演武で、会員が素晴らしい演武をしてくれた事。

11月の全日本演武に吹上同好会の方、I-ue先生と指導者演武で出られた事。

 この全日本の演武のおかげで、来年のさいたま主催の鏡開き式に誘われ交流できる事。

冬の審査で少年部・一般部ともに全員合格された事。

また、N-nhaが大学に合格できた事。


夏以降は、苦しい時期よりも内容も結果も出た良い時期だった。


来年は、もう少し色々な事をしながら普及と交流を進めたいと思う。


大偉とも一緒に合気道をして・・・


来年6月2日には、一緒に家への道のりをつなげたい。





2014年12月30日火曜日

30日(火)晴れ・・・自由研究

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


毎年、ある程度の大掃除はするけど今年はいつも以上に頑張った!

そんな中、色々な雑誌や大偉やN-nhaが使っていた教材を家内が纏めていた。


その中に大偉の自由研究のノートが出てきた。


大偉の自由研究のノートが出てきたよ!

お父さんとっておけば?


見ると、はじめて大偉と登った富士山の自由研究ノートだった。


5年2組 田中 大偉・・・

色々とまとめてあった、懐かしかった。

「へぇ~、そうなんだ」という事まで書いてありビックリした。

その前の年の穂高に登った写真もあった。


大偉とは、東京の大岳山、長野の北アルプス、富士山と登った。


昨年は、2回も富士山に登ったけど・・・


特に、大偉と登った富士山は鮮明に覚えている。


また、登りに行きたいな。



2014年12月29日月曜日

29日(月)雨・・・勧請

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


神無月・・・出雲大社に全国のが集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神がいなくなると。
色々と諸説はありますが・・・。

長崎県のある村では、この時期の6つの村から「人神様」を選出し守ってもらうという習わしがるらしい。

そのTVを何気なく観ていたが、「勧請」という言葉がでてきた。

この勧請という言葉・・・

いつもお経をあげている経本にでてくる。

「謹み敬って勧請し奉る」・・・・とはじまる。

意味は、遠い離れた場所から神様を向かい入れる事だそうです。

この言葉を聞いた時、だからはじめの言葉なんだと。







2014年12月21日日曜日

21日(日)晴れ・・・御礼参り

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


N-nhaの大学合格の御礼参りのため、江の島にむかった。


G/Wに行った同じ場所を巡ってきた。


◇佐助稲荷神社
◇龍口明神社
◇江の島神社

それぞれの場所は、ちえちゃんがTVで紹介していた場所。

合格祈願のお守りをお返しして、新たにお守りをいただいてきた。



G/Wとはさすがに違い、人混みもなくゆっくり回る事ができた。


ほんとうによかった。


2014年12月20日土曜日

20日(土)曇りのち雨・・・案内状

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


あれ以来・・・同じ時を一緒に過ごした友達と成人式を迎えさせる事のできない辛さ。


そんな事をいつも思っていた。

毎日毎日過ごしている中で、だんだんと色々な事を考える。


最近では、色々な洋服店からスーツのハガキが大偉宛てに届いている。


一緒にスーツを買いに行くこともできない。


このイベントに、何もしてあげる事ができない。


そんな中、18日の市役所にお願いしていた、成人式の案内条が私宛に届いた。

本来なら、とっくに大偉宛てに届いているんだけど、2011年6月2日以降の配布だったので、大偉には届くはずのない案内状だった。



大偉と行く成人式・・・

複雑だろうな。


2014年12月19日金曜日

19日(金)曇り・・・何が辛いって。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



社会生活の中でお子さんは?という事を雑談の中で聞かれる。


詳しい事は話さないけど・・・・そんな事を聞かれるのが辛いのではない



色々な書類に大偉の名前を書くことができないのが一番辛い。


戸籍に斜線が引いてある・・・


自分の子供の名前を書くこともできない。



辛い。








2014年12月18日木曜日

18日(木)晴れ・・・依頼

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


T社に夕方、外出した帰り・・・野田市役所に電話をした。


「来年の成人式の件で、確認したい事があるんですが・・・」


受付電話交換手の方が転送してくれた。


係りの方と話した・・・


成人式の記念品は、本人が行かなくてもいただけるのですか?

引換券があれば、大丈夫ですよ・・・


いや、引換券がないんです。


市外にお住まいなのでしょうか・・・?


いや、そうではないんです。
もういないんです・・・


・・・・。


亡くなっていないんです。


そうですか・・・わかりました。

案内状をお父様宛てにおくりますので、当日または期日までに市役所に来ていただければ引換券と交換しますよ。


わかりました。ありがとうございます。


こんなやり取りを係りの方とした。


同じ記念品を大偉にも渡してあげたかった。

ただただ、それだけの思いだけ。





2014年12月12日金曜日

12日(金)曇り・・・新しい一歩へ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


9:29am・・・N-nhaからメッセージが入っていた。


合格した!・・・


自分がやりたい事へのスタートラインに、取り合えず立つ事ができた。


久しぶりの朗報に、親として一安心した。


N-nhaには、色々な事を学んでもらいたいと思う。


大偉にも、みるるにも支えてもらった。


ありがとうね。


今でも合気道を始めた頃を思い出すよ・・・

大偉は、車を降りたら走って道場へ向かって遊んでいたけど、

N-nhaは私の手を握り、一緒に道場に入ってから遊ぶという・・・行動が対照的。



そんなN-nhaは来春は大学生だし・・・

大偉は成人式を迎えるし。


みんな大きくなったなぁ~。


2014年12月10日水曜日

10日(水)曇り・・・継続は力なり。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



継続は力なりをGoogleで検索すると・・・・

以下の内容を書いているサイトがトップに表示された。




「継続は力なり」という言葉は、中国の古典に由来する格言だと思っている人がいます。

しかし、実は、住岡夜晃(すみおかやきょう)という宗教家(浄土真宗の一派)の著作「讃嘆の詩〈上巻〉若人よ一道にあれ」の一節に由来しています。

「継続は力なり」の部分だけが有名になり使われるようになったのです。特に、受験の世界で使われています。

「二、青年よ強くなれ牛のごとく、象のごとく、強くなれ

真に強いとは、一道を生きぬくことである

性格の弱さ悲しむなかれ

性格の強さ必ずしも誇るに足らず

念願は人格を決定す 『継続は力なり』

真の強さは正しい念願を貫くにある

怒って腕力をふるうがごときは弱者の至れるものである

悪友の誘惑によって堕落するがごときは弱者の標本である

青年よ強くなれ 大きくなれ」

出展:讃嘆の詩〈上巻〉若人よ一道にあれ樹心社

住岡夜晃は、1893年(明治28年)広島に生まれ、1949年(昭和24)広島で死去。 

だから「継続は力なり」の本当の意味は、「一道において念願を死ぬまで継続すれば、人間形成にもよい影響を与え、性格の弱さ・強さに関係なく、青年は真に正しく強い人間になれる」ぐらいのかなり精神的な修行を言っているらしいのです。


勉強もスポーツも趣味も・・・なんでもそうだけど

1つの事を継続して続けるという事は体力も精神力もいろいろとパワーがいる。

パワーを使うんだよね。


継続できる力があるから継続できる・・・それ以外にもたくさんの要素は必要だけど。

力があるから継続できる・・・


言葉では簡単だけど、中々簡単にできるものではない。

ただ、挫折しても途中で休憩してもいいから、コツコツと頑張っている人が最後は強いんだと思う。




自分は、そういうタイプではないので大偉や、N-nhaを中心に知合った方々は

私にない物をたくさん持っているので、尊敬している。




私も、中途半端な継続ではなくしっかりと感じる・・・


「継続は力なり」をしようと思う。




2014年12月9日火曜日

9日(火)晴れ・・・みるちゃん

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


みるるは、大偉といつも一緒にいますか?


家に帰ると、大偉の物もみるるの物もいっぱいだよ。


また、急に寒くなってきたのでお腹をこわさないように・・・。


みるるは、いつも寒くなるとお腹をこわしていたからね。


大偉の側にいれば、ちゃんとみるるの事を抱っこしてくれるよ。



2014年12月7日日曜日

7日(火)晴れ・・・紅色の花

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


2日の月命日には会いにいく事が出来なかったので、夕方会いに行ってきました。

夕方の4:00PMともなれば、日が暮れはじめ風も冷たい。



2日に家内とN-nhaが会いに行った時のお花は、まだ綺麗に残っていたが、合せてお花を手向けた。

風も冷たい・・・

水も冷たい・・・

いったい二人は、温かくしているのだろうか?

まったく旅先での事はわからないし・・・大偉もみるるも、何にも言ってきやしない。



その足で、現場に向かった。


木曜日に、R-seyさんから遅くにメールが入っていた。

きっと、現場まで会いに行ってくれたんだろう。

現場に手向けてくれていたお花の事が書いてあった・・・「紅色の花」


着いたのは、日も落ち暗くなった5:30PMくらいだったかな?


いつものような花が手向けてあった。

枯れたお花は、きっとその子が片付けてくれてくれたんだろう。

まだ、手向けたばかりの感じだった。



寒い中、遠くまで来てくれて、本当にありがとうございます。



2014年12月2日火曜日

2日(火)晴れ・・・1年前

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



ちょうど1年くらい前もホテルに泊まっていたかな?


法改正のキットを出荷するため連日の準備に追われ、出荷作業を行っている。


会社の前のホテルに入り、横になると・・・ふと1年前の事を思い出していた。


再来週に行われる冬の総合審査。


弐段取得を夏のBBQ後の二次会で宣言をしたため、電車の中や

会社での昼休み・・・・仕事で帰れない時はホテルの部屋で。

また、通常稽古後も稽古場を予約して・・・それにH-shiや、M-ieちゃん、Mas-daさんまで

付き合ってくれた事もあり、とにかく必死に限りある時間の隙間で稽古をした。


ちょうど、2週間前のプレ審査では散々だった。

もう、今回は諦めようと口にだそうとしたその時、M-ieちゃんが、「大丈夫だよ!」って笑いながら言ってくれた。


あれから1年が経った。

決して上手ではなかったが、今持てる力は発揮できたと思う。


あの時もいろいろな方々に支えられ合格する事ができた。


その中にいつも大偉がいて、助けてといつもお願いばかりしている。



大偉とまた、稽古がしたい。