2015年7月30日木曜日

30日(木)晴れ・・・汗っかき

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


連日のうだるような暑さ・・・

毎年こんなに暑かったのか?と思わせる。

自分の一つずつ歳を重ねているので、そのせいなのかな?


最近、めっきり体力の衰えを感じる。

食欲はちゃんとあるんだけど、体には怠さが残る。


去年のN-nhaは、夏バテで学校に持っていくお弁当を残して帰っていたので、

家内がサラダうどんや、お蕎麦の具とは別に冷たいおつゆを持たせていたなぁ~。

そんなN-nhaも今年は少しは体力がついたのか、ちゃんとお弁当を食べて帰ってくる。


大偉や、みるちゃんも暑くて、暑くてたまらないんだろうな?


お墓に行き、お水をかけても、かけても・・・石の暑さでお湯になってしまう。

何度も何度も、お水を汲んではかけるの繰り返し。


どうしているのかな?



いつも汗をふったらかしていた大偉を思いうかぶよ。


遊びから帰ってきて、冷たいシャワーを浴びると「キャッキャッ」と騒いでね・・・


家に帰ってきて、旅の疲れでもとったらどう?

みるちゃんも櫛で毛並を整えないとね。




お盆に帰ってくるかな?






2015年7月26日日曜日

26日(日)晴れ・・・伝えてって。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳




今日は会社の同僚と三人で東京ドームへ!

都市対抗野球2回戦 川崎市(東芝)×大阪市(NTT西日本)戦。


12:00に水道橋改札で待ち合わせ・・・ちゃんと時間より早く着いていたのがやじちゃん。

10分後に、私・・・

そして30分後にようやくしげちゃん。(しげちゃんは毎回です)


試合結果は1対4で負けました。


二次会?は、水道橋駅前にある「さくら水産」


久しぶりにあったというのに、話題は大偉や、やじちゃんの弟の事。


水道橋であって直ぐに、ZEPHER乗ってるの?

よく修理したよね・・・

すごいよって。とその話題からはじまった。


さくら水産の後、やじちゃんと喫茶店に入り続きの話し・・・

一生抱えて行かなければならない、思いをほんの少しだけ話した。

話しても話しても、尽きないこの思い。


大の男が二人…大泣きしながら話しているなんて、馬鹿みたいだった。

喫茶店を出て別れ際にやじちゃんから、大偉を知っている人と偶然に

話す機会があったと言う。

その方が、いつも見ているよって、伝えてと言った事を私に伝えた。

私は、その方は存じ上げないが大偉を通じて多くの方が繋がっているのだと思った。


こんな形で繋がるなんてね。

残念で仕方がない。





2015年7月24日金曜日

24日(金)晴れ一時雷雨・・・久しぶり!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ずいぶんと久しぶりの人からメールが入っていた。


大偉の・・・あの日


大偉にお花を手向けに何度か来た事も。

K'zデンキに買い物に行けば声をかけてくれた。


最近と言えば・・・梅郷駅のエレベータでばったり会った事かな?

高校を卒業して、大学生?・・・顔も変わりまったくわからなかった。


たまに現場に行っていたそうで・・・



2011年6月2日・・・

大偉はここにいたんだよね。

つい1秒前まで息をしてZEPHERに乗っていたんだよね。

一瞬で、大偉の人生も私たち家族の人生も変わってしまうんだよね。

変わってしまうって、言葉では表すことができないくらい。


大偉がそうだった訳ではないけど、兎に角、生きていかなければならないという事。


いつか何処かで会えたら、大偉のお話しを聞かせてくださいね。

っていうか、もう顔も変わってS-ykaさんの事わからないかも。


2015年7月22日水曜日

22日(水)晴れ・・・鈴木 健

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉や、N-nhaが南部小の卒業式で歌った曲の内、どうしても曲名が思い出せなくて

なんとなく覚えている歌詞から検索しても、まったくヒットしない・・・


う~~ん。


そうすると色んなサイトがひっかかる。


3.11を目前に家族・友達と離れ離れとなり、数十日後に苦渋の決断を余儀なく

挙行された卒業式。

必死にこらえる答辞・・・


一校一校と統廃合された学校。

最後にみんなで作った卒業式の歌。



そんな中、「村田がフライをわざと捕らない 鈴木 健 15球 感動最終打席」に辿り着いた。

浦和学院からドラフト1位で西武ライオンズに入団
1997年は巨人に移籍した清原の後を継いで四番打者に抜擢。

その後2002年にヤクルトスワローズ移籍し2007年9月20日に現役引退を表明
引退セレモニー・現役最終打席は10月4日の横浜ベイスターズ戦(神宮)。
8回裏一死の場面で、宮本信也の代打で出場。

横山道哉からファウルで粘りながらも15球目をセンター前にヒットを放った。


そのYouTubeがこれです。
https://youtu.be/X_tbdZ3-aUg



初球   真ん中低め ボール
二球目  フルスイングで空振り
三球目  ファウル

ここから 六球目までファウルが続く・・・

七球目 外の高めボール

カウント 2-2

八球目  ファウル
九球目  ファウル
十球目  ファウル
十一球目 ファウル
十二球目 ファウル

十三球目 三塁ファウルフライ

十四球目 ファウル
十五球目 センター前ヒット 


この十三球目の三塁ファウルフライ

フェンス手前まで追っていくが、わざと捕らない・・・

この三塁手が巨人に移籍した村田だ。


現役最後の最終打席・・・

スポーツの世界なのだから、そんな事は必要なくしっかり捕ればいいんだよ。

これがプロの世界だし、かえってわざと捕らない事が引退を迎える選手に失礼なんじゃないのか?

という意見もあるが、この20年間・・・家族にも言えなかった辛く、苦しい時期も乗り越え、

時には弱音を吐く事も。

家族は、そんな背中をただ見ているだけだったんじゃないかな?

子供の前では、格好よく強いパパを見せたい一心で、今、グランドに立っている姿を見てもらいたいと頑張ってきたんじゃないかな?

そのたくさん思いの詰まった現役最終打席を、誰も邪魔する事はできない。

もちろんお互い真剣勝負の中での事なんだけど、これはここにいる人じゃないとわからないと感じる。


このシーンを見て、粋なはからいをする村田。

今までの鈴木健に対する敬意・・・それを受け止めた15球目のセンター前ヒット。

何とも言葉では表す事のできない野球人の繋がった思い。


私も現役生活をいざ終える時は、しっかり家族に胸を張って終える事ができるように・・・

大偉にバカにされないようにしっかりと、心のシャッターをゆっくり切りながら

大偉とみるるに逢える日を楽しみにしている。

そして、心にいっぱい詰まった写真を見せてあげるんだ。








2015年7月21日火曜日

21日(火)晴れ・・・写真

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


youは何しに日本へ?

テレビ東京人気番組を昨日の晩に見ていた。


ある学生が・・・「youは何しに日本へ?」の問いかけに

写真家?デザイナーを目指すため、日本に来たという。

その学生は、学校から借りてきた大きなフィルム写真を背負って。


番組が許可をとり同行する事になった。

田舎の景色、人物などを写真に撮るのだけど・・・


カメラをセッティングしてから中々シャッターを切らない。

ファインダーをず~っと覗いているが、ようやく10分過ぎにシャッターをきった。


スタッフが何故、すぐにシャッターを切らなかったの?と聞くと


一番良いタイミングでシャッターを切りたかった・・・


デジタルカメラのようにすぐに撮れる物は好まない


シャッターを切る過程を大事にして、一番よいと思うタイミングで切る。


撮っては消してのデジカメは、その学生には合わないようだ。



この学生の言葉を聞いた時・・・カメラに撮る写真もそうなんだけど

心の中にある写真にも、その時々の思いが詰まった写真として残る。


空の色・・・

風の匂いや景色・・・家族、子供達の笑顔




心の写真もゆっくりとシャッターが切れて今ではたくさんの写真がある。


大偉とみるちゃんにはどんな写真が残っているのかな?

きっと思い出の詰まった写真がいっぱいあるんだろうね。

家での出来事や

学校での事

部活の事

合気道の事

他にもたくさんね。





2015年7月20日月曜日

20日(日)晴れ・・・洗車

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


5:30am起床!

N-nhaも休みだというのに、お弁当を持って学校に向かった。

前からやらなくては・・・やらなくてはと思っていても

できていない事を少しづつでもいいからと思い、作業を開始!


眠たい体で、やや寝不足気味でちょっと頭も痛く感じる?

それでも、水分をのみ体を動かし汗をかくと段々と体が目覚めてくる。


今日はやるぞ!と言い聞かせ・・・ほぼ19:00まで動きっぱなし状態。



庭掃除・・・少ししかできない(泣)

エアコン掃除・・・

藤棚・・・

その他・・・

洗車・・・

とにかくいろいろ。



全部終わった訳ではないけど満足!



最後は、車とZEPHERを洗車!

大偉が小さい頃に一緒に洗車をした事を思い出しながら・・・・

そして大きくなった大偉を想像しながら洗車をしていた。

大偉がいたら、いろんな箇所を見てもらえたんだけどね。

こうしている姿を大偉は、何を想い私を見ているのかな?


そうこうしていると、N-nhaが帰ってきた。

今日の作業はおしまい。


2015年7月19日日曜日

19日(日)晴れ・・・K-suke

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


土曜日の春風館道場の帰り・・・

目の前を自転車に乗ってこちらに向かってくる一人の少年。


ふと見ると、見慣れた顔。

中学に入り二ツ塚に移籍したK-sukeではありませんか。

立ち止まり2~3分の会話だったけど、懐かしかった。

今春に高校生。まだあどけない顔をしている。


今でも部活を続けながら、合気道も続けている。

中々、中学高校へと進学するにつれて合気道から離れてしまうが

こうして地道に続けているという事に嬉しさを感じる。


小学生最後の春の総合審査・・・少年初段を取得させるためK-sukeも
よく頑張った。


また、一般部になってはじめての昇級審査。

まだまだ稽古不足の所はあったが、どうにか合格する事ができた。

私が受けをしながらの稽古は今でも覚えています。


少しずつでもいいので、いろんな事にチャレンジできるように前に進んでほしいと願う。

大人になったK-sukeと稽古できる日を楽しみにしている。。。。


大偉もK-sukeをよく可愛がっていたなぁ~。T-kumiもそうだった。

とにかく面倒見のよい子だった。


2015年7月18日土曜日

18日(土)晴れ時々雨・・・いつも家族で

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



今日も暑い!

今日の稽古は11:00amから春風館・・・

出かける前に家の用事を済ませ、大偉とみるちゃんのところへ会いに行ってきた。


管理棟にある訪問者のノートに目をやると、大偉のお友達が家族で会いにきていた。


大偉に会いに来るときはいつも家族で来てくれている。

中学のバレーではじめて顔を合わせ、その後は学校は違うが、仲の良い友達だった。


彼とは自宅まで、大偉に会いにきてくれたその時が最後・・・


どんな大人に成長したんだろうか?


いつか会える日が楽しみです。


いつも大偉を気にかけてくれてありがとうございます。

2015年7月16日木曜日

16日(木)曇り時々雨・・・都市対抗

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今年も7月18日から都市対抗野球が東京ドームで開幕する。

2010年の年は東芝が優勝した年で、その瞬間を大偉と一緒にライトスタンドから見ていた。



大偉と一緒に野球を観に行ったのが小学校の時。

その時はヤクルト×ジャイアンツ戦。


2010年の時は高校1年生。

土曜日の三回戦を一緒に観に行き、その後は有楽町に遊びに出かけた。


そのまま勝ち進み・・・決勝戦。


大偉は学校が終わり友達二人で、私は会社の同僚とでドームで待合せた。



「もしもし・・・」

「大偉・・・今どこ?」

「えっ、友達と牛丼を食べているところ・・・・」

「マジ!・・・早く並ばないと入れないよ!」


三回戦の試合開始前に牛丼を食べた場所を覚えていて、そこで食べていた。


結局・・・ライトスタンド中段あたりの席。


でも・・・楽しかった。


その帰りは、秋葉原の中華料理屋で4人で食べた。


社会人の大人ってこんなに料理を頼むのかって?目をまん丸くしていた。



大偉との思いでの都市対応野球がはじまる。


今となっては過去の思い出・・・・

でも、また大偉と観に行こう!っていう思いで。


数ある思い出の中の大切な思い出。



2015年7月13日月曜日

13日(月)晴れ・・・土台

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳




小関也朱篤(こせき やすひろ)・・・日本体育大学四年の時に

短水路 50M/100M/200M 平泳ぎで日本新をたたき出し三冠となった。


高校時代は、特に目立つ戦績はなく・・・もう辞めようかな?と

思っていた頃、日本体育大学の監督から声をかけられ入学をしたという。


種目は平泳ぎ・・・

しかし監督は、自由形をやるように薦めた。


「なぜ、自由形?」

今まで平泳ぎをやってきたのに・・・なぜ?

最初は戸惑いもあり、理由がわからなかったそうです。


監督は、この選手の肩の使いかた、可動域に注目して

来る日も来る日も・・・クロール。


それでも平泳ぎに出場したい一心で、遠回しに「平泳ぎに出ないんですか?」と

監督に聞くと、「あっ、自由形!」というだけだったという。



大学四年・・・

今まで無名だった選手が一気に大輪の花を咲かせる!


私は、あまり泳ぎは得意ではないので、よくわかりませんが平泳ぎっていうのは

水をかきながら腕の起動は逆三角形を描くように胸に手を持ってくる動作をする

らしいが、小関選手は四角形・・・?

水をかいた腕は四角形を描くように胸にもってくる・・・。


この肩・・・肩甲骨の動きをいち早く見抜き一旦はクロールに転向させるも

最後には平泳ぎに戻し栄冠を勝ち取らせた。


監督は・・・・

「土台の上に・・・さらに土台を」と付け加えた。



何かを始める時、基礎が大事!というが、その基礎の上にさらに基礎を積み重ねる

事により強靭な土台が出来上がる。


土台は、一度つくれば終わりというものではなく、毎日毎日土台を作り上げて

次のステップへと進む。



こうしてこの世に生まれてきて何気なく毎日生活しているけど、「人生の土台」
を毎日コツコツと作り上げているんだなぁと感じる。

少しずつ、人生の・・・生きるすべを

土台を作り、後世の子供達へ残しているんだと。







2015年7月12日日曜日

12日(日)晴れ・・・特に。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳





家の用事が終わり、大偉とみるちゃんに会いに行ってきました。

特別暑く、お墓にお水をあげて掃除しても冷たい水がお湯の状態になってしまうくらい。

何度もお水を汲んでは、掃除をして・・・。


お水をあげて・・・それからグレープフルーツの炭酸飲料を買って手向けた。


お線香を焚き、しばらく墓誌に刻まれている大偉と巳塁の名前を見ながら芝生に座っていた。


同じ年に可愛い男の子が・・・


当時を思い出しながら、しばらく座っていた。


大偉とみるちゃんは・・・今、何を思う?


話せる事なら、話してみたい。


もう一度、声が聞きたい。



今年の七夕も特に何もなし。

夢にも現れなかった。







2015年7月7日火曜日

7日(月)雨・・・願い

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は七夕です。

梅郷駅の改札入口にはどこかの幼稚園からいただいた七夕が飾ってある。


あなたなら・・・何を願いますか?




つい先日、今では殆ど1年に1回しか会わない同僚から久々のメールがあった。


昔は・・・

平尾ちゃんがいた頃は、その同僚と三人で月に1回は新宿で待ち合わせをして飲みに行っていた。

その平尾ちゃんも旅立ってしまっている。

転院のメールをいただき、返信したがそれっきり・・・・


平尾ちゃんには、大偉もN-nhaも可愛がってくれて、いつもUFOキャッチャーのお土産を

喧嘩しないように必ず2個持ってきていただいた。


その同僚とは、やじちゃんと私から呼ばれていて

いつも目を配り気を使う、かなりシャイな男であり、その人の内面まで感じ取りながら
話す人である。


ブログも読んでくれていて、ZEPHERの事が書いてあった。



私の願いは、大偉とみるちゃんに会うことです・・・・


いままで夢に一度だけ・・・大偉なの?と思わせる姿が現れたが顔がハッキリしなかった。



6日夜に、偶然にもある子からのメール開き読み返していた。



一か月を過ぎたある日・・・

大偉とお坊さんがお話しをしている夢を見たという。

お坊さんは、大偉とみるちゃんを見送ってくれた住職。




お坊さんが大偉に

「今なにか思うことはありますか?」って聞くと・・・


大偉は


「みんなが笑っていればいい」っていい、

私達家族のみんなが笑っている顔と、その子の笑っている顔を空に映したそうです。

犯人にたいする憎しみの気持ちだけで生きていくことを大偉は望んでいないと・・・

大偉の格好は合気道の道衣をまとい、微笑んでいたそうです。




そんな大偉の気持ちを、私はどう受け止めていいのか?

あらためて、4年が過ぎた今の気持ちにどうぶつけていいのか。


今でも、はっきり大偉とみるちゃんの寝顔は覚えている。


現場に行くと、今でも何方かがお花を手向けてくれている。

お花はなくとも、来てくれている足跡を残している。


お花を手向け振返り・・・

大偉がZEPHERに乗って走ってきた方向を見ると


なんで、こんなところで・・・。


こんなところで、本当に大偉が?

あんなに優しかった子が。

未だに信じられない気持ちでいっぱいです。


これが、大偉の最後だったのか?

こんな最後を遂げ、16年の幕を降ろしたのか?

大偉にあったら何も話さず、

ただ、ただ抱きしめるだけなんだろと思います。


あれ以降の大偉を繋ぎとめて、一緒に歩む。


やじちゃん、貴方ならわかるよね。


秦 基博 「ひまわりの約束」



2015年7月6日月曜日

6日(月)雨・・・なでしこ!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳




アメリカ戦 2対5・・・・この結果どう受け止めるか。




準決勝イングランド戦・・・アディショナルタイムのオウンゴールで2-1で勝利。


全員が駆け寄り勝利を祝う”なでしこ”とは反対にイングランドの選手だった。


Laura BASSETT選手・・・


イングランド選手が崩れ落ちているBASSETT選手に寄り添う写真がとても印象的だった。

川澄のクロスボールがクリアする足にあたり、オウンゴールとなってしまった。


この前回大会の優勝は、本当にびっくりした出来事だったが、今回は危ないシーンは

あったものの、こうして勝ち上がってくるのだから強さは本物・・・


イングランド監督は、BASSETTがいなければここまで勝ち上がる事はできなかったと

労をねぎらい、これまでの活躍を褒め称えた。



この四年間・・・

勝利の裏には、個人が秘めている悔しさは必ずある


試合に出られなかった悔しさ。

怪我での挫折・・・

結果が見えない・・・

自分自身への不甲斐なさ・・・

代表落ち・・・


悔しい思いを上げればきりがない。


でも、歯を食いしばり

自分のため・・・・

最後はチームの勝利のために。


こうして召集された仲間は必然で、一緒に戦う最高のチームを作り上げた。




こうした姿を見ていると、大偉も中学から始めたバレーボールの仲間達は

きっと良い、最高の仲間だったろうなぁ~と思う。


だって、これからの人生・・・一生の友と思える、感じる友人を見つけられたんだからね。

二人で歩いている後ろ姿を見てみたかった。





悔い・・・

負ければ、その悔しさは必ず心の何処かに必ず残る。

勝てば、打ち消される・・・


しかし、勝っても負けても

個人の心の中に悔しさは残る。


その悔しさが次の4年後を育てる。

だから、負けても強くなるんだ。


その悔しさを4年後を積み重ねる1日、1日に精一杯ぶつけて欲しいと願う。


最後に・・・宮間選手が

「みんな文句も言わず、頑張ったと思う」の言葉には

仲間に対するお礼にも聞こえた・・・。



この悔しい気持ちが、人間を成長させる事は間違いない。