2016年3月23日水曜日

23日(水)晴れ・・・辞めた

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


東武野田線の電車の中・・・・

色々な話しをしている中で、一緒に弐段審査を受けた時の話しをしていると


「辞めた」・・・えっ、Naoさんは辞めたの?


はじめて聞かされた。



二年前に一緒に、弐段審査を目指して頑張った仲間だったので、非常に残念で

ビックリした。


言葉がでなかった・・・


色々な事があったことでしょうが、またいつか一緒に稽古ができればと思います。



2016年3月22日火曜日

22日(火)晴れ・・・こんなもん?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


一昨日の審査内容を何度も何度も繰り返し見たが・・・重心が高い、残心がダメ

などなど、見れば見るほどダメなところが増えてくる。


審査前のビデオと本番のビデオを見比べていてもさほど大差はない。

2,3日で変わる事は、決してないという事を証明しているかのようで

普段からの地道な積み重ねが重要だという事を、あらためて痛感する。


稽古、または審査では気をつけて動いていたんだけど・・・まだまだ。


稽古をしながら、多人数取りのイメージをしていて思っていたよりも動けて

いた感じはあったものの、トホホっです。



でも、この参段審査をみながら、自分の中では

「こんなもんではない!・・・まだまだできると感じた」


それを感じながら、次のステップに上がれるようにまた一から大偉と一から稽古し直しです。



私には「今しかない・・・何を成し遂げたか?」


辛く、厳しい道のりかもしれないが精一杯、前に進む事だけを考えて生きていく。




2016年3月21日月曜日

21日(月)晴れ・・・後ろ姿

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


参段審査の後、見に来てくださっていた方と言葉を交わし


道場にお礼をして去る自分の後ろ姿を自分で・・・感じながら


これも大偉のお陰なんだなぁ~と・・・背中で感じた。


大偉がそこにいて一緒に審査を受けてくれていたんだと思った。


あの日を思うと・・・こうして自分がここに立っているなんて信じられないくらい。


多くの方が、私を支えてくれた・・・

家族も、私を支えてくれた・・・



大偉も、みるるも、私を支えてくれた。


そのお蔭で、私はこうしているのだ。


また、復帰して合気道をする事が出来ているのだと


あらためて、強く感じた。






2016年3月20日日曜日

20日(日)晴れ・・・参段

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



二年前の冬・・・

新浦安から中央武道館に向かう道の陸橋の上からMt.Fujiが見えた。

とても空気の澄んだ冬晴れだった。



今日は・・・前日の雨の影響もあり曇っていて全く見えない。

でも、二年前と同じように陸橋のてっぺんで・・・がんばるぞ~っ」と叫んだ。


中央武道館での参段審査に臨むため。



今日の審査を決めたのが昨年の夏くらいだったかな?

いろいろと準備はしてきたのだが、時間も稽古量も足りない。


出稽古に行き多くの人に支えていただきながら、何とかこの日を迎える事ができた。


ものすごく孤独感を感じる・・・辛かった。


でも多くの方から審査1週間前から、激励のメールが入る。

当然私も気合が入るが、筋肉痛が重くのしかかってくる。


メールを何度も読み返し・・・大偉も、みんなついてるの言葉に救われた。

いつの間に不安なんかどこかに吹っ飛んだ。


18日の金曜日・・・会社帰りの稽古。


一人で技名を言いながらコツコツと稽古したが、これがかえって良かった。


とても落ち着く事ができた。


また、大偉の力を最大限に借りるけどよろしくね。


みんなのお陰で無事に審査が終わった。







2016年3月19日土曜日

19日(土)雨・・・時間は有限だ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



地球上のすべての物に平等に与えられているのが・・・時間だ。

1日・・・24時間

1年・・・365日

人間も動物も、昆虫も・・同じ時間が動いている。



ただ、平等な時間も決して無限ではなく

人それぞれ有限に与えられていると思う。


その時間をどう使うのか?

当たり前に生きているから、特に何も考えないでいる感じがする。


もう少し与えられた時間を大事にして生きていかなければならないと感じる。


家族のために・・・

愛する人のために・・

自分のために・・・

傷つき、失った人のために・・・


自分を先ず大事に・・・健康でいる事が基本

そして周りの人を大事にしなければならない。


自分一人では何もできないのだから。



2016年3月11日金曜日

11日(金)雨・・・14:46

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


14:46分に合わせ4、事務所内で1分間の黙祷をした・・・


仕事をしながら、この時間まで後何時間・・・後何十分。


刻々と迫る14:46分。


この5年の月日の3.11。 とても重い5年だとあらためて感じる。



寝たきりのお父さんを残して・・・助かったお母さん

簡単な言葉で済ます事のできない・・・窮地に立たされた決断と夫婦の思い。


大地震・・・家には寝たきりの旦那さんがいた。

背負って一緒に逃げる事もできない・・・


旦那さんは・・・

もう先が長くないから、早くお前は逃げろ。俺は大丈夫だからと。


奥さんは、どうしようもなく逃げた。

どんなに辛かったろうに・・・

目の前にいる旦那さんをどうする事も出来ず、家が津波にのみこまれていく。


手を合わせ・・「お父さん。。。堪忍して」と。涙を流していた。


映像や、ニュースでしか知らない私には


この日、本当に想像もつかない事が起こっていたんだと。



つなみてんでんこ・・・


一人でも多くの人々が助かるようにという教えだが、目の前にいる人を

残していかなければならない・・・


どうしようもできないんだけど・・・

わかっているんだけど・・・


とても辛い。


言葉にできないくらい辛い。







2016年3月7日月曜日

7日(月)雨・・・ふと。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ふと。  N-nhaの事が頭に浮かんだ・・・・


あの日、あーちゃんに肩を抱えながら病院の救急玄関から入ってくる姿が浮かぶ。


私は、家内と先生から状況を聞いた後に、親父に電話・・・

また、家内のお父さんにも電話。


状況を知らされていない・・・家で待っているN-nhaを迎えに行ってくださいと、

病院に向かっている車をUターンしてもらった。


N-nhaは、何を感じ・・・横になって寝ている大偉を見ていたのだろう。


自分の妹をこんな形で悲しませやがって・・・


毎日、毎日・・・子供達が映っているフォトフレームを見ていると


そんな事ばから思ってしまう。


何年経っても変わらない思い。。。


2016年3月5日土曜日

5日(金)晴れ・・・16歳の子供達

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


はっと、気づかされた・・・


2011年3月11日の東日本大震災。

現場は、みんな車で逃げていた。

あちこちで渋滞となり、その後の津波により多くの方が犠牲になった。

もし、車を使わずに逃げていたら・・・


もしかしたら、もう少し生存者がいたのかもしれない。



お母さんと娘もそうだった。

車で逃げるが、あちらこちらで渋滞となり動けない・・・それでもどうにか車で逃げていた。


もうだめだとわかった時は、車の屋根あがった。

津波にのみ込まれ、母と子は別れてしまった。


何度も何度も、娘を呼ぶが返事がない。

数日後・・・眠っているかのような綺麗な顔でみつかった。


16歳・・・大偉と同じ高校2年生。


このお話しを聞いた時、多くの若い命が犠牲になったんだな。

大偉と同じ16歳の子供達も多かったのかな?


とてもいたたまれない気持ちでいっぱいだった。


みんなどうしているのか・・・



 

2016年3月2日水曜日

2日(水)晴れ・・・てんでんこ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


「てんでんこ」・・・


この言葉に「つなみ」をつけると


つなみ(津波)てんでんこ・・・

意味は・・・《「てんでんこ」は東北方言で各自の意》津波はあっという間にやってくるから、周囲の者をかまうよりも、各自てんでんばらばらに逃げなさい。三陸地方の言い伝え。


今年で5年・・・

大偉の事も、みるるの事も、東日本大震災の2011年事も、もちろん阪神大震災の1995年の事も

決して忘れる事はない。


この日の14:46分・・・

今までに経験をした事のない揺れ。

あまりの大きさに机の下にもぐりこんだ・・・それくらい怖かった。


何とか家や実家には連絡する事はできたが、

大偉だけは、中々連絡が取れなかった。


だいぶたってから、家内からの連絡で大偉の無事が確認できた。

大偉も必至で、連絡をしていたがインフラがパンクしていて繋がらなかった。


この「つなみてんでんこ」の言葉が出てきた番組の中では、

高台からビデオを回し・・・津波で流される家、車を撮影していた。

時には「悲鳴」とも聞こえる声が残されている。


震災があったが、私は被災していない。

本当の苦しみは、そこの地域の方でしかわからない。

わかったつもりになってはいけないと思う。

それでも自分に何ができるのか?

無力ではあるが、色々な事を考えて行動していかなければならないと感じる。



もし、また大きな震災が起きるとしたなら、この「つなみてんでんこ」の言葉を

思い出して逃げなければならない。