2017年10月15日日曜日

15日(日)雨・・・勿体ない

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

最近は、まったく書くことができていなかったので、少しづつ手帳に書き留めていた内容を書いていこうと思います。


様々な人種・・・

様々な仕事があるなか、毎日の世界の気象観測を行っている夫婦がいた。

場所は、世界の果て・・・今では場所すら思い出せないが

その場所にはその、後に夫婦となる人しか住んでいない。

始めは気象観測のため、選ばれた数人が暮らして仕事をこなしていた。

気がつけば残ったのは、二人だけ。

そしてのちに夫婦となり、今でも気象観測データを送信している。


その夫婦が言っていたのは・・・

「喧嘩するのがもったいない」

24時間しかない時間の中で、いろいろな事があるが喧嘩をしている時間が

勿体ない。

その言葉を耳にした時、ほんとにそうだなと思ってみていた。

ささいな言動、行動。

自分が蒔いた種もあれば、もらう場合もある。

その時々の心や、体の状態も違う。

もう少し冷静に相手の言葉を聞いてあげれたら。

もう少し相手の身になっていたら。

喧嘩する事はないだろう。

言うほうも言われるほうも嫌な喧嘩ではあるが

どちらにしても心の中を吐き出すので、嫌な言葉で傷つけてしまう。

言う側よりも言われた側はどんなに傷つくだろうに。

後から、なんであんな事を言ってしまったのだろうと思う事もある。


色々な人が社会で働いており、当然に違う考えの方もいる。

そんな事は当たり前の話しではあるが、

「喧嘩する時間がもったいない」という言葉を胸にしまっておこうと思う




2017年10月8日日曜日

8日(土)晴れ・・・わんちゃん

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


駅までN-nahを送っている車の中・・・

日曜日にどこか行きたいところある?と聞くと

いつもは。。。出かけたいんだけどわからないとか、「う~ん」と言うのだけれど

今日は違っていた。


「名犬牧場」に行きたいと。


みるるが亡くなってからは、しばらくしてからショッピングモールで

ガラス越しに眺めていた。


今日は、晴天。

また、夏が戻ってきた感じ。

群馬県にある名犬牧場。

牧場と書いてあったので、ものすごく広いのかな?と思いきや

牧場を想像していたので、普通の広さだった。


小型犬から大型犬までいて、ドックランもある。

お金を払えば好きな犬種と散歩する事もできる。


大偉、N-nhaが小さい頃に何度か筑波山の麓にある「わんわんランド」に

行った事がある。


サークルの中に、入って触ったり抱っこする事もできるんだけど、

名犬牧場では、みんな餌をあげながら近寄らせているので、N-nhaの所に

中々近寄ってこない。

それでも、餌を買わず頑張っていると、プードルがN-nhaに近づいてきた。

何度か離れるものの、最後はN-nhaに戻ってくる。

N-nhaもご機嫌。

私も返り際にサークルに入り、プードルを触った。


みるるが亡くなって以来・・・

N-nhaは何を感じているのかな?

家内は?

家内もN-nhaの笑顔を見て満足だと思う。

こうして、また元に戻れたのだから。
















2017年10月2日月曜日

2日(月)曇りのち雨・・・N-nhaも

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


9月と10月・・・・

半年の期末が終わり、これから新しい期が始まる。

半年の事業部の反省とこれからの施策などなど纏めなければならない・・・


毎晩遅く、毎朝早く出かける。

特に10月のこの月初は資料作成に終われ、ほぼ始発の電車。

あしたもほぼ始発かな?とおもながら帰りの電車の中で

N-nhaを思い出していた。


自分ですすんだ大学・・・

N-nhaも毎日、こんな生活をしていたんだなと思うと

二年間も良く頑張ったなぁ~と思う。

これから先、N-nhaは夢を実現に変える事になるんだろう。



2017年9月30日土曜日

30日(土)晴れ・・・毎年1回

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


例年よりも1か月早く、この時期がやってきた。

大偉もN-nhaも出場した、全日本演武大会。

大偉は、2010年の全日本演武が最後となってしまったが・・・

(三橋先生と演武しているのが、大偉です。)



N-nhaは、6年生だったかな? 組杖で出場して「秘伝」という武道雑誌に掲載された事がある。

駒沢大学駅前から会場まで間にある公園で、ブランコに乗って楽しそうにしていた
N-nha・・・

中々、降りようとせず演武大会よりもブランコに夢中だった。

とても懐かしい。



一番の思いでは・・・

N-okoさん、R-maと私、大偉、N-nhaで其々が出場したファミリー演武かな。

入門した翌年だったと思う。

いろいろあって、2家族が出場した。


演武が終わってからかな?・・・自分たちの始まる前かな?

ちょっと忘れてしまったけど、ウォーミングアップできる場所で3人が

ニコニコしながら遊んでいる。

3人で壁にあたりながら跳ね返り、また壁にあたりながら跳ね返り・・・

時には自分たち同士でぶつかったりと、まるで昔のテニスのTVゲームのよう。

N-nhaは床が濡れている場所で転んだという。大偉は笑っていた。

この演武大会は、浦安よりも印象が強く残っている・・・

そんな話をI-ueさんと話しながら、明龍館の懇親会会場に向かっていた。


大偉が最後に出場した演武大会の年は、途中で帰り、渋谷の「金伝丸」で

ラーメンを食べて帰った。

散々、探して・・・・

だがとてもすぐ近くにあった。

そのラーメン屋も思い出の場所となってしまった。

いつもはラーメンを食べてから懇親会に向かっていた。

昨年は演武大会の日に行けなかったので、N-nhaの大学の収穫祭の帰りに

寄って食べた。

今年は、懇親会を途中で切り上げI-ueさんと食べに行った。


大偉と一緒に食べたあの時と同じ場所が、たまたま空いていた。

いつもなら、先客がいて待つのに・・・

大偉が空けておいてくれたのかな?


店員さんに場所を説明して、用意してもらった。

いつもと同じラーメンを同じ席で食べた。

・・・・I-ueさんが

大偉はここ?

そうです。そこに大偉が座って私はここでした・・・


最近・・・子供達の生活のリズムが変わり中々会えない会話もままならないまま

会えない日もある。

でも、会えない日があってもいつかは会える。

今日、話しをできなくても、顔を合わせる事ができなくても

数日の間にはあえる。

でも、田中さんは大偉と会えない・・・

最近、子供達と会えない思いを私の気持ちに置き換えると

会えないという意味の大きな違いを凄く感じる・・・

いつかは会えるのと、そのいつかもない。

言葉では、I-ueさんのその時の言葉を言い表す事は難しいけど・・・。


そんな話しをしながらも、私達を気遣ってくださっている。


この先も、年一回・・・大偉を思い出しに私はこの場所を訪れる。



2017年9月22日金曜日

22日(金)晴れのち雨・・・突然の

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


期末の業務のため連日・・・・帰りが遅い。

疲れてはいるが、同じ部署の方々も同じ事。


今日も遅くなり川崎から品川に向かったが・・・突然の人身事故のアナウンスが入る。


あちゃ~・・・最終近い電車だったので帰る事ができるのか心配だった。


そんな時、まったく関係のない事を思い出してした。

昨年のBBQの二次会に向かう車の中だったと思う。

I-ueさんと車の後部座席に座り、N-okoさんが運転中


なぜだか私の家内への肩揉みについて話をしていた・・・

そんな事を思い出すが、今起きている人身事故とは繋がりがない。


また、ふとするとN-nhaの事を思い出す。

突然の大偉の事故・・・亡くなる。


朝、顔を合わせていたかどうかはわからないが、N-nhaは大偉を見ている。

家内は大偉ときっと話していると思う。

私達、家族が想像もしなかった事が起きる。


普通に会社に行き、N-nhaが中学校へ、大偉は自動車大学校へ。

いつも通り帰ってきて、みんなで食事をする。

普通に思うというか、そんな事を考えずに当たり前の光景が夜もあるはずだったのに。


まったく信じられない想像もつかない事が今、目の前の現実に起きている。


現実を受け入れるまでには相当の時間?日数?年月?がかかった。

今でも信じる事ができない。

家内も、両親も計り知れない悲しみだったと思うが、

一番辛く、悲しかったのはN-nhaかな?

もちろん家内もそうだと思うが、あのN-nhaの姿を思い出すといたたまれない。

慈恵医大柏病院の小さな待合室にぽつんと座っている家内。

病院に来るまでに、反対車線は事故規制があったと思うが

それを横目にみながら、大偉が・・・と思っていたに違いない。

私には想像もつかない。

その光景を目の当たりにしたら、私は平常心を保つ事ができないと思う。


大偉の姿は見えないけれど、心に中には大偉がいます。


これからも家族一緒です。

この先も一緒です。


2017年9月18日月曜日

18日(月)晴れ・・・これで終わりかな?

ふ平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今のサスでは、もう限界にきているので色々と探して何度も

ショップに確認して、14日に・・・Zephyr400のリアサスを注文した。

ところが・・・土曜日に届いてバイク屋に行き商品を合わせると

何故が短い・・・

合わないじゃん?とおもながら見ていたら、「これ、商品の発送を間違えていますよ・・・」だって。

えっ、マジですか?

合わせながら説明を聞くと、エンドの延長ボルトの長さが足りない。

すぐに購入したショップに電話をして、送ってもらい、ようやく今日届いた。


洗車した後に、ショップに行き取り付けてもらった。







今まで、少しの段差でも跳ね返りが大きく、タンクの真下から大きな音が

あったが、サスを変えたら全くしなくなった。

大偉も、ガツンと音が凄いんだよね?と言ってたね。

2011年6月2日の日から、事故証拠として柏警察に保管され、その後購入したショップに保管していただいた。

このショップでは、大偉のZephyrを保管していただきながら何とか動かせるまでに3年10ヶ月かかった。

2014年12月に入る前か、その頃だったと思うが、このショップから何とか動かせるまでになりました!と連絡が入った時は、とても嬉しかった。

何時もR16に行く道沿いのショップでガレージに入っているZephyrを見ていたからね。

お客さんの中には、このZephyr・・・と、購入したいと言ってきた人もいたと言う。

このショップに預けていなければ、今のZephyrはない。
自宅では、錆びてボロボロになっていた事だろう。

快く預かってもらって、修理していただいた事に物凄く感謝している。

色々とお金はかかったけど・・・大偉は喜んでいるのかな?


このZepherは、最後まで面倒を見なければならないな。

今週土日に大偉に見せにいかなきゃ。



2017年9月13日水曜日

13日(水)晴れ・・・3曲

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


日曜日の演武大会が終わり家に着いたのが、22:30過ぎかな?

たまたま、関ジャニ∞が福山雅治をゲストによんでるTVが

ついていたので、何気なく観ていた。

色々な歌の歌詞の意味、エピソードを交えながらのトーク。


その時に紹介されたのが、この3曲でした。
※リンクはYouTubeで検索したURLを記載しています。


福山雅治 魂リク 『 何度でも花が咲くように私を生きよう 』(歌詞付) 2015.03.28 - 
何度でも花が咲くように私を生きよう

福山雅治 魂リク  『 東京にもあったんだ 』 歌詞付 2014 01 04 -
東京にもあったんだ

福山雅治 魂リク 『 milk Tea 』(歌詞付) 2014.12.27 - 
milk Tea


マッサージ機に座りながら、曲をメモしながら観ていた。

演武大会の後だったという事もあると思うんだけど、大偉を

被せてしまい、涙が溢れ出てきてしまい、慌ててキッチンにいき

後片付けをしながらごまかした。


それから・・・毎日この3曲を聴いている。

昨日の帰りの電車の中、今朝の電車の中・・・知らずと涙が流れてしまっていた。


何故だろうね・・・。

これから先、私の幕が終えるまで大偉はいたのに・・・


色々な場所に行ったり

男同士の話をしてみたり

お酒を酌み交わしたり

まだまだやっていない事、たくさんあったのに。

言葉にならない。


2017年9月11日月曜日

11日(火)曇りのち時々雨・・・「偉」

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


蒼龍演武大会で開会式を待ち正座で座っていると、このロゴいいね!

と右後ろから話しかけてきた、Y-naiさん。
気さくでとても感じの良い貴女です。

参段を取るために龍道場へ木曜日に通う事になり、今までなんとなく顔を

知っていただけだった。

誰とでも気さくに、分け隔てなく、何時も笑顔で接してくれるので、

皆んな集まってきます。

明龍館のロゴとメイブルレーフの葉っぱの赤を話した後に、なんで

田中さんこれなの?と腰板を指指した。

これがこれ ↓


龍から参段取得のお祝いにいただいた時と同じように、明龍館の袴にも

大偉の一文字をいただいて、「偉」を袴の腰板に、入れていただいた。

色々と刺繍する文字を私の名前と大偉とN-nhaの文字を合わせて作っては

いたんだけどね。

「偉」に落ち着いた。




息子の名前から一文字貰ってつけました。

そうなの?

なんて読むの?

大偉・・・「だいい」って言います。

ちょ〜格好いいですよ!と自慢した。


最近は、大偉の話しがでたらiPhoneにある写真を見せて自慢している。

弐段のお祝いににいただいた、帯にも「田中大偉」と私の名前の裏に

刺繍をしていただいた。


これから先も大偉と一緒に稽古を積み重ねよう。

いつかN-nhaも戻ってくる時を信じて・・・


2017年9月10日日曜日

10日(日)晴れ・・・思い

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


合気道を始めた翌年(H17・・・H18になった年だったかな?)に

野田に指導に来くださったのが、のちに蒼龍の代表となる

三橋先生である。

当時、野田の少年部は10名くらいかな?

もちろん、大偉もN-nhaもいた。

初日の指導がはじまる。

「先生に礼」と挨拶が終わると、三橋先生は、一人一人子供達の名前を

フルネームで呼び、よろしくお願いしますと頭を下げて挨拶をはじめた。

その姿を少年部の稽古から参加していた私は、衝撃をうけた。

会った事もない子供達の名前をフルネームで呼ぶとは。

会員の名前は何となく覚えてきたとしても、顔を一致させてスムースに挨拶を終えた。

何事もなかったかのように。

この日の事は一生、忘れないし、後に野田の代表を務める私の最重要と

重みを置き、全会員の名前をフルネームで覚えている事はもちろん

きちんと書けるようにしている。

この日の出来事がなかったら・・・後に代表にならなかったら、ここまで考えないと思う。

三橋先生は合気道へ私を導いてくれた先生の一人です。

他にも多くの方から合気道について教えていただいた。

とても感謝している。

また、N-nhaが合気道の事を家内に聞かなければ合気道に出会う事もきっとなかったろう。

こんな素晴らしい仲間に出会う事もなかったろう。

蒼龍5周年記念演武大会は、私にとっても色々と考え深い。

この節目に、参加できた事嬉しく思う。

野田同好会からは6人が参加したが、私の中には+2アルファ

大偉とN-nha、そしてこの大会に都合により参加できなかった人のために。


野田での稽古の事、勝浦合宿に行く前の3月頃の電話、合宿での事。

その夕飯に安藤先生に伝えた事。

全国大会に三橋先生と大偉が一緒に組んで出たこと。

その腰投げが中々できない大偉。

大偉の審査の講評の事・・・うん・・「大偉はもっとできるだろう?」の一言だけ。

告別式の事・・・いっぱいあり過ぎて。


帰りの電車の中で色々と考えて思い出していたら、泣けてきてしまった。

大偉がいたら、N-nhaも一緒に合気道を続けていただろうか?

いつも道場には二人の姿があったからな。

大偉が旅に出てから、道場には一回も来ていない。

きっと次に顔を出すときは、大偉と一緒なんだろうね。

三橋先生の指導のお陰で、苦しかった事、辛かった事などを乗り越える事ができた。

その基盤を持ち、今の明龍館でがんばろうと思う。


合気道を通じて多くの財産となる先輩、同僚、子供達。そして指導して下さる先生方。

この方達がいなければ、2011年6月2日を持って辞めていたと思うな。

みんなに支えて貰って、こんな人はいない。


大偉という男は、多くの支えとなる人達に「お父っを助けてあげてください」

と伝えていたのだろうか?

この恩を何処で、どうやって返せばいいのだろうか?

16年・・・まだ高校2年になったばかり

大偉にどうやって?

私を支えて下さった方にどうやって?

家内に、N-nhaにみるるに。

両親に。

大偉の友達に。


2017年9月7日木曜日

7日(木)晴れ・・・30年振り

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


感動した!

グラチャンバレー・・・日本 対 ブラジル

フルセットの末にブラジルを下した。

30年振りの勝利だそうです。


家に帰り、一人で夕飯を食べているとN-nhaがTVチャンネルを回した。

「あっ、まって・・・バレーみたい」

第4セットは、ブラジルに一方的には負けたものの、最後までくらいついていた。


第5セットは日本の主導権でゲームが進む。


中田監督は、タイムアウトをとっても円陣には入らず別のコーチからの指示を受けている。


選手にいろいろな事を考えてもらいたい、また選手を最後まで信じている姿が垣間見る。


選手の一人一人の思いは計り知れない。

日本代表・・・並大抵の努力をしてきたんだろう。

苦しかった日のほうが多かったのかな?

会場の応援、開催が母国という事もあるのだろうが


選手ひとり一人の顔つき、頑張る姿を見ていると

自然に目頭が熱くなり、泣けてきてしまった。


最後の5セット目は日本がセットを取り30年振りの勝利を掴みとった。


大偉もバレーをしていたので、試合に観に行った時と被ってしまった。




7日(木)晴れ・・・ハンカチ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


見慣れたハンカチ・・・私もそのハンカチを持っている。


同じ会社の方が何人か使っているのを見た。


ベージュの大きめの赤い線とポロのロゴ。


大偉の返礼品の品・・・


色々な方の6年・・・


これまでも色々な事があったな。


2017年9月3日日曜日

3日(日)晴れ・・・友達

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

昨日は審査だったので、今日、大偉とみるちゃんに会いにきた。

帰り・・・管理棟の事務所に置いてある訪問者のノートに目をやると

中学の時のバレー部の友達が来てくれていた。


LINEで御礼の連絡をいれると、実家に帰れる時間があったので

大偉に会いにきたと返信があった。



大偉と同じ6年会っていないが、大偉に負けず劣らずのイケメンだから。

顔はあまり良く覚えていないんだけど・・・ごめん。

こうして今でも大偉の友達と一人として、時間が空けば来てくれるなんて。

ほんとうにありがたい。


いつか大偉の話ができる日がくればいいかな。


2017年9月2日土曜日

2日(土)曇りのち晴れ・・・大偉の力

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉とみるるの仏壇前に座り、挨拶後に大偉の力を借りたいと伝えた。

朝起きると曇っていて、たまに降る雨だった。

今日は一年の中でも大事な日となる。


明龍館合同審査会。

私は、受けを担当するが今まで十分な稽古はしていない。

むしろ、受けとして何もやっていない。

当日を迎え不安だった。

仕手のH-shiの参段審査をぶち壊す訳にはいかない。

今まで、一生懸命に稽古を積んで来たのだから。


春日部武道場に向かう途中から、晴れ間が出てきた。

少ない時間の中、簡単な調整・・・

ここまできたら、自分の今までの稽古とシミュレーションと気持ち。

後は大偉の力を借りて最高の審査にするしかない。


もし大偉がいたら、仕手受けで大偉は弐段を受けるのだろう。


最後の見せ場は・・・

どれだけ最後まで、自由技の仕手受けをこなせるか。

息切れをせず、止めの号令がかかるまで全力でできるか。

私は、この全力でできるかに重みをおいている。

自分自身の頑張りと

仕手への敬意

そして、これから次のステージ向かう後輩へのメッセージ。

この頑張っている姿がどこまで伝わるかわからないが

これからもその思いは変わらない。


大偉の審査という気持ちで臨んだ審査。


審査に臨んだ方々を見ていると、もう一度がんばろうと励まされる。


大偉のお陰で、無事に審査を終える事ができた。

大偉・・・ありがとうね。


2017年8月19日土曜日

19日(土)曇り一時雷雨・・・+3人が

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は各同好会の合気道家が集まり特別講習会とBBQをした。

BBQをしてから今年で9回目となる。

大偉もN-nhaももちろん第1回目からの参加していたんだけどね・・・

子供達を面倒見ていた大偉の姿を思い出される。


毎年、BBQが終わると大偉に会いに行くのが普通になっており

今年もI-ue夫妻が来てくれました。

また、今年はJim先生の家族も来てくれてみんなで一緒に会いに。


合気道の講習会では、道場の右正面に大偉の写真を飾り稽古をし、

いつもならBBQ会場や、会いに行くときは写真を持ち歩かないんだけど、

何故か今年は・・・車に置いても暑いからとリュックの中に入れておいた。


お墓について、お水をかけてお線香を手向けた。

Jim先生の子供達は、なんでここに眠っているの?とか

どうしたの?とか無邪気に聞きながら、一生懸命に大偉のいっぱいお水を

かけてくれた。


あらためて、大偉はここにいるんだと思う。

あの子が・・・ここに。

ほんと?

色々と考えさせられる。


産まれてきてからいつも一緒にいた子が突然、目の前から去る。


朝、会社に行く前に見た時の大偉が、その日の夕方にはまるで別人に。

目を開けず、なんの返事もなく、ただ静かにベットに横になっている。

こんな事が現実にあるなんてね。

信じられなかったです。


今日は、大偉に新たにあいに来てくれた奥様とお子様お二人・・・+3です。


2017年8月16日水曜日

16日(水)曇り・・・結び

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


映画・・・「君の名は」に登場する、おばぁちゃんの台詞。

「結び」という言葉。


人が生きていくためには、誰かの助けがある。

食べて生活するのも。

また、自分も誰かの助けに必ずなっている。

食べるもの一つとっても、誰かが作り、そして私達のところにやってくる。


繋がりをいう表現を「結び」という言葉に置き換えて聞いていた。


おばぁちゃんが語るので、何とも味があり、そして意味深い。


一つ一つの意味をかみしめながら・・・・考えていこう。

そういう生活を送っていきたいと感じた。


この9月で50歳を迎えるが、これから先・・・

自分はどう変わっていくのだろうか?

大偉に恥ずかしくない、お父っになれるのだろうか?


2017年8月10日木曜日

10日(木)曇り・・・お盆?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


迎え火と送り火・・・

いつもお父さんは一日早いんじゃないの?・・・毎年言われている。


私は12日~15日または16日だと思っていて、迎え火は12日夕方に

していたが、お盆を調べると今年の旧お盆は13日が盆入り(迎え火)

中日が14日、16日が盆明け(送り火)となっていた。


大偉とみるちゃんが戻ってくる?

いつも側にいるから、そんな感じではないと思うんだけど

お盆も特別の期間の一つです。


2017年8月8日火曜日

8日(火)雨・・・何も変わっていない

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日と明日の二日間は、福島の原ノ町・・・

先月の7/11~12に来た以来・・・


東日本大震災の事を何も知らず、現地入りをしたが

今回の出張も全く、私の意識が変わっていない・・・


人間とは(私とは)こんなもんです。

その場では、わかっているような顔をしたり、心で思ってはみても

結局は何も変わっていない。

何も寄り添っていない・・・自分がいる。


すぐ近くの状況であれば、自分の気持ちも、また変わってくるのかな?


前回・・・「仕方ないですよ」当事者でなければ、そんなもんですと言われた

事を思い出していた。


2017年8月7日月曜日

7日(月)晴れ・・・モルツ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉とじいじが、東京ドームで夏の時期に開催するサントリードリームマッチの

野球を観に行ったのは、小学生の中学年くらいだったかな?


たぶんそれが初めての野球観戦だったんじゃない。

ファウルbボールなのか?選手が投げ入れたボールだったかは

忘れてしまったけど、嬉しそうに持って帰ってきた。


そのドリームマッチが今日、開催される。


いつも気にしていないので、いつの間にか始まるって感じなんだけど

今日は、何故だか・・・そう感じた。


大偉はみるちゃんを抱っこしながら、何処かで観ているんだろうね。


2017年8月5日土曜日

5日(土)晴れ・・・覚えてる?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


月末、月初に一番忙しい時期が終わり・・・今日は明龍館の第2回暑中稽古。

この9月に少年初段を掴み取ろうと頑張っている小5の男の子。

その1年後に入会して今は小3で少年2級。

この二人の兄弟を引率して鴻巣体育館に向かっていた。

N-nhaを含み、4人の子達を少年初段になるために携わってきた。


電車の中で・・・・

先生の子供も少年初段になったんだよ!

へぇ~・・・そうなの?

そう。


大偉の事は覚えてる?

・・・覚えてない。

そうだよね・・・6年前だもんね。


まだ、R-kuは年長だもんね。

覚えている訳ないか。


10:15~始まった全5コマの稽古をすべて終了し、帰ってきたのが19:30過ぎです。


駅からの家までの帰り道。

あと1回・・・審査できるチャンスが残っていれば

大偉も少年初段を取る事ができたかもしれない。

取らせてあげたかったなぁ~。


中1になってからのはじめて四級審査。


三橋先生からの講評では・・・

大偉はもっとできるでしょ?

こんなもんじゃないでしょ?

とその一言だけだった。


合気道が好きな大偉・・・

R-kuが入会してきて時も、一緒に遊んであげていた。

来月9/2の審査では見守ってあげて欲しい。

お父っも、H-shiの参段審査の受けをするので、大偉が受けを

取っているのと同じ気持ちで頑張るよ!


2017年7月28日金曜日

28日(金)晴れ・・・えっ!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


勤務地が川崎に移動したのと同時に職種も変わった。

月末、月初が特に忙しくなる。


今日も22:00まで仕事をして帰ってきた。


梅郷に着いたのは24:00・・・


iPhoneで音楽を聞きながら、高校野球の県予選のニュースを読んでいた。


改札を抜けて正面の手すりで、切が悪かったので立って読んでいた。


左前方から・・・2~3mくらいかな。

女性が向かってくるのが視界に入ったので、顔をあげると

何やら話しかけようとしていたので、イヤホンを外すと


「大偉先輩のお父さんですよね?」

「はい、そうです。」


「あの~覚えていますか? T-kshimaです。」


「あぁ~久しぶりだね・・・」

「わかりますか?」

「わかるけど・・・顔が変わっていて・・・」


「今帰り?」

などなど・・・5分くらいかな?

立ち話しをして別れた。


大偉のお通夜にはこれないので、午前中に一人で大偉に会いに来てくれた。

その後も家に1、2度来てくれたかな。


その子も浜崎あゆみが好きで、コンサートに行った時に大偉にって写真を送ってきてくれた。


とても懐かしい気持ちで・・・

話しかけてくれて嬉しかった。


時間があればもっと話したかったんだけど、24時じゃね。


自転車置き場まで、当時の事を思い出しながら歩いていた。


2017年7月26日水曜日

26日(水)晴れ・・・体験会

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


合気道体験・・・今年で4回目。

多くの方が参加してくれて、合気道という日本の武道に触れる。


その体験の中に・・・


「偉」・・・この漢字を使った男の子が体験申込みされた。


始めは 偉〇。

何も気にしなかったんだけど、翌日に申込み一覧を眺めていたら


えっ!

身近ではじめて。

大偉の偉を使った名前の子がいるなんて。


なんか嬉しかった。

その子は8/2に体験するんだけど・・・私は会社で会う事ができない。

きっとどこかで会いたいな。


2017年7月25日火曜日

25日(火)晴れ・・・習志野

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


千葉県高校野球・・・決勝戦

習志野 VS 木更津総合。


2011年・・・習志野がベスト8


大阪に一時、転勤になった時の春の選抜ではじめて甲子園に行った。

その前に甲子園ボウルを観に行ったが甲子園球場の感動はほぼなし。


選抜のアルプススタンドはちょ~寒い。

野球観戦どころではなかった覚えがある。


やっぱり・・・甲子園は夏。


2011年の夏にはじめて甲子園にいった。

もちろん習志野 VS 日大三校。


結果は負けてしまったが、三塁側アルプススタンドから見るバックスクリーンは何処の球場にもない圧巻。

到底、甲子園に行けるはずのない学校で三年間頑張ってきた。



そして、今年の決勝でもし、習志野が優勝したら観に行きたいと思っていた。


3 対 4・・・木更津総合が二年連続で優勝した。

2011年以降5年で3度も決勝に進むが、あと一勝が遠い・・・習志野。


どの高校よりも思いれはある。


来年を期待しよう。


2017年7月23日日曜日

23日(日)晴れ・・・都市対抗

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今年も都市対抗出場に。した

最近、初戦は負けなど2010年以降は好成績を残していない。


初戦・・・

二回戦と順当に勝ち進み

23日は日曜日で三回戦。


2010年・・・

大偉と一緒に観に行った2回戦かな?

そのまま勝ち進み決勝戦へ!

大偉は決勝戦を観にいく?と聞くと行くと返事が返ってきた。


大偉は自動車学校の1年生・・・

授業が終わると、友達を連れて東京ドームまできた。

ライトスタンド中段での観戦。

私と当時のグループ長と一緒に向かい、携帯電話で呼び出し一緒に観戦した。


とても懐かしい。。。


この23日の三回戦もタイブレークの12回に勝ち越しをして準決勝に進んだ。


私はみんなで家内の実家に遊びに行ったので、この試合はニュースで見ただけだったけど、観にいった人たちは相当に盛り上がったらしい。


これから暑い夏が始まる。


2017年7月19日水曜日

19日(水)晴れ・・・何でも

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


定期診断が終わり、大偉とみるちゃんに会いに行ってきた。

あまりにも暑いので、何度も何度も桶に水を汲み、かけた。


大偉・・・

食べたい物があったら、何でもお母さんに言ってよね?

好きな物何でも作ってくれるからさ。


線香を焚きながら、墓誌を眺めていた。


なんで、こんな事になってしまったのかな?

何が、起きたのかな?


思っても何も解決しないし、真相もわからいのは分かっているんだけど、ついつい思う。


その後は・・・現場に行きお線香を手向けて戻った。


2017年7月16日日曜日

16日(日)晴れ・・・カード

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


玄関前の藤の木が伸びていたので、枝刈り機でバンバン刈っていた。

刈った枝を可燃ごみに袋詰めをすると6袋になってしまった。


こんにちは・・・

何やら、隣の家に誰かが訪問してきている。

横を向けば、誰が来ているのかわかるんだけど、この夕方の時間・・・

変な押し売りだと嫌なので、聞こえない振りをしながら、

後片付けをしていた。


すると・・・背後から

こんにちは!

振り向くと警察官だった。


なんとも優しい顔をしている。

最近、新しく建てた家の一角の空き巣が入って・・・

という話しをしながら、特に変わりないですか?

とカードを見せられた。


そのカードは、家族構成が書かれてあった・・・

大偉の名前も。


あぁ・・・大偉は亡くなりました。


亡くなりましたというこの言葉が兎に角辛い。

辛くて辛くて。

いつ?

2011年6月2日です。

警察官は、備考欄に鉛筆で書いた。


戸締りをきちんとしてくださいねと言われそのまま別れた。


あのカードは・・・

今度見た時は、大偉の名前はどうなるのかな?

警察官が帰ったあと・・・抹消線だけは引かないでほしいと言えばよかったと思った。


色々とこれから先もでてくる大偉の名前・・・

反面辛い思い。


2017年7月12日水曜日

12日(水)晴れ・・・ただ聞くだけ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日も今日も原ノ町はとても暑かった・・・


帰りは、東北支店の方達と仙台まで帰ってきた。

仕事の話しもしたんだけど・・・やはり6年前の震災の事。

ただただ聞く事だけだった。


どこまで津波がきて、この辺一帯はどうなったのか?

なんて聞くことはできなかった。


この行き帰りの電車の中・・・

いったい私は何ができるだろうか?

と思っていたが。


きっと、ただ思っただけで終わってしまうんだろうな。


当事者になれば、いいたくない事も言いたくなるし

わかってもらいたくもなる。


当事者でなければ、何もしない。


ただ、ボランティアの方達は凄い行動力だと

とても尊敬する。


実際に、ボランティアとして行動できなくても

関節的に何かをしていれば、それはそれで協力しているのと

同じ事なので、一人の力は大した事はないが、何かを見つたい。


2017年7月11日火曜日

11日(火)晴れ・・・情けない

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


原ノ町・・・

何を思い浮かべますか?


相馬市原ノ町

福島県・・・



2011.3.11 東日本大震災により大打撃を受けた場所の一つ。

ここまではピンときます。


4年くらい前かな?

郡山のお客様に納品に行き、その足で印刷会社の倉庫に行く用事

だったので、電車では行けず来るまで来てもらい、福島県内を

車の中から震災の爪痕を見ていた。


今回は、その場所とは違うので何とも言えないが・・・

仙台から原ノ町へ向かう1時間。


車窓からは、ここも、もしかしたら田んぼだったのかな?

ここまで、津波がきたのかな?

まだ常磐線が前線開通していない事も、今回の原ノ町への

出張であらためて知る事になる。


それにしてもここの場所での震災について何も知らな過ぎる・・・・


情けなかった・・・

Webで情報を入手したが。


交通の起点でもある原ノ町が・・・ここ?という感じ。


お昼に東北支店の方と食事をした後、復興、復興を言っても

何も変わっていないそうだ。

盛り土をしているだけで、まったく変わっていない。


私は、ここで起きた震災の事は何も知らない・・・情けない事を

伝えると、「仕方ないですよ」

当事者でなければ、そんなもんですと言われた。


あぁ~・・・情けない。


2017年7月10日月曜日

10日(月)晴れ・・・見たくもない

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


見たくもない写真がでてきた。

大偉と行った穂高の写真を探していたんだけど、今のPCにはなく

別のDISKを探していた。


色々と探しても中々見つからず、もしかして別のPC?

と思いながら探していたところ


大偉のヘルメットを指さす一人の中年男性

「あっ・・・こいつ」


なぜこのフォルダーにあったのかはわからないが、「この男・・・」


今では怒りの感情すらないが、でも見るととても複雑な気持ちになる。


こんな男に・・・

大偉が・・・


警察が来るまで、何もしなかったこの男。



2017年7月9日日曜日

9日(日)晴れ・・・今日は

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日も暑かった・・・

夕方にみるちゃんと大偉に会いに行ってきた。

まだ、暑い。


今日は、天の川の続きをかこうかな?と思っていたが、

海老蔵さんのブログ(早実:清宮幸太郎選手の東京都大会の選手宣誓)

について書こうかな?とも思っていたが・・・

あめトークを見ていたら、高校野球特集をしていた。

見ていると・・・

上田西高校の3年生の引退試合のシーン

先生から、この3年生の引退試合で背番号が渡されると同時に夏の大会の

ベンチ入りはないという事になる。


夏の大会前に佐久長聖高校との引退試合

先生から、レギュラー陣のプレッシャーを感じてこい

ここで打たなければ・・・必至にやってこいと激が飛ぶ


観客には、ブラスバンド、今まで支えてきた両親

そして、レギュラーの3年生。


引退試合に出ている球児は、レギュラー球児のプレッシャーを

感じながら打席に立つ。

打球を追う。


レギュラー陣は、スタンドから精一杯の声をだし、応援する。

互いに支え合ってここまでこれた事に敬意を表し

自分のやるべき事を必死に行っている。


大会へ向けてレギュラー陣への背番号が渡される。

背番号は先生からではなく・・・


引退試合に出た球児から、その引退試合で使っていた

背番号が渡される。


悔しい気持ちもあるでしょう?

情けないと思う気持ちもあるでしょう?

レギュラーにしかわからない気持ち

ベンチ入りができない仲間の気持ち

この引退試合は、そんな仲間を信じさせる事ができた。


この夏の決勝戦は上田西×佐久長聖。


引退試合に戦った相手。


1対1。

延長戦へ。

ノーアウト 1・2塁


この場面で上田西のバッターは・・・

ベンチからの仲間の声援とベンチにいる仲間

支えてくれた方々を思い、打席にたったと思う。


快音が鳴り響き・・・

レフトオーバー・・・

さよなら勝利


上田西のすべての人達の願いをこの小さな背中で受け止め

跳ね返す・・・この精神力。

決して自分だけのものではない。


支える人。

支えられる人。


これがわかった時、一番の力をだすのだと思う。


大偉もバレーボールでは、先輩に可愛がられ楽しかったと思う。

一年生の新人戦からはレギュラーでやってきたが、

あるとき、自分がレギュラーで練習ができるのも

1年から3年の仲間のお陰だという事を言った事がある。


最後の最後の大会は応援にいかなかったが、

私はとても後悔している。

どんな事があっても行けばよかったと今でも思う。


後悔、先に立たずとはこの事だと思う。





2017年7月7日金曜日

7日(金)晴れ・・・天の川

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


最初に天の川を見たのが・・・北アルプスの涸沢岳のキャンプ場だった。

大偉が5年生の夏・・・その年の4月には奥多摩の大岳山に一泊二日で

出かけたのをきっかけに、北アルプスに行こうをいう事になった。


新宿都庁のバスターミナルから深夜バスに乗り、朝に上高地入り。

途中、沢渡で電気バスに乗り換えるなど、環境保全は毎年厳しくなっている。

一日目は上高地の河童橋から、明神でいわな定食を食べて、徳沢園をすぎて

横尾まで歩いた。




翌日は、涸沢岳のキャンプ場まで延々と登りが続く・・・

目的地までは8時間の行程です。

途中散々歩いたあたりから、お腹が痛いと言いだし「陰に隠れてしたら?」

というと絶対に嫌だといい、結局また横尾まで戻る事になった。

すっきりした後の大偉がこちら↓

挙句の果てに、もう登りたくない!とまで言い出した。

じゃ、ここにいてもしょうがないから家に帰ろうかというと

登るといいだす。

その数時間後がこちら↓


涸沢岳のキャンプ場についたのは3:00pmくらいだったかな?


その日の夜に、大偉がトイレに行きたいという事になり、てくてくと
ヘッドライトをぶら下げていった帰り道。

暗すぎるのと、何百張りというテントで埋め尽くされているので、

自分達のテントのありかがわかない・・・

なんとなく位置関係を予想しながら近づくと、違う人のテントだったり・・・

ようやくたどり着く途中には、無くした時計までみつかった。

テントに入る途中で、顔を上に見上げたら・・・・


今まで見た事のない星の数・・・

はじめは、まったく天の川とは気がつかなかった。

それほどすごい☆だった、


しばらくしてから・・・「天の川」という事にきがついて

そこから先は、ほんとうに川のように流れていた。


数日前からも梅郷駅改札に、多くの短冊が吊りさげられている笹竹がある。

みんなの願いはなんだろうかね。


大偉と一緒に見た、あの天の川をまた見に行きたいと思った。

同じルートで・・・


2017年7月6日木曜日

6日(木)晴れ・・・一人では

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


色々な事をするのに自分一人の力では限界がある。

全てにおいて自分一人の力で成し遂げる事はできない。

たとえ自分が作り上げた物だとしても、目にはみえない

多くの人たちが携わっている事を決して忘れてはならない。


食べる事でも・・・

作る事でも・・・


原点は、誰かの存在がなければ最終形へと結びつかない事。


人と人との繋がりです。






2017年7月2日日曜日

2日(日)晴れ・・・めんたいこ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉とみるちゃんのところに会いに行き、現場にも行ってきた。

毎回色々と考えさせられる事が多い・・・。


その足で、「めんたいパーク」へと出かけた。

工場自体はそれほど大きくはないが、とにかく観光客が多い。

でも、長くいる場所ではないので、入れ替わりが激しく

お土産もさっと買ってと回転率がめちゃくちゃ良い。


大偉も「めんたいこ」が好きだったからね!

私と家内はめんたいこの入ったおにぎり。

N-nhaはめんたいこ入りのソフトクリーム・・・中々美味しい。



そこから・・・色々な場所に行き最後は茨城空港。

なんといっても、駐車場がタダ。




情報番組でも取り上げていたので、せっかくだからという事で行ってきました。

成田空港よりも・・・間近で見えるのが良い。

まぁ、飛行機自体は小さいけどね。

いざ、離陸・・・

もう少しで離陸する飛行機があったので、ラウンジで待っていた。

滑走路を右から左へ・・・Go!

目の前を飛行機が過ぎ去って・・・さぁクライマックスシーン

離陸?

えぇっ・・・・

み・・・え・な・い???

ここから先は実際に確かめに行ってみてください。

その他行った場所はこちら・・・



大偉も小さい時、何度か成田空港に連れて行った事があった。

飛行機の見える場所に連れていって、楽しそうに見ていたんだけど・・・

3段くらいの階段からジャンプ!

着地失敗・・・・足をくじいて大泣きした事も。

そのまま、家に帰ったかな?


2017年7月1日土曜日

1日(土)晴れ・・・色あせない

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ひふみん・・・加藤一二三(将棋士)


N-nhaが大好きな人のひとり。

将棋の事はよくわからないが、色々な番組に出演して

独特のキャラクター・・・人生観の持ち主。

とにかく可愛い。


最近は、藤井颯太(四段)のお陰で、さらに注目度がアップしている。


それでも・・・引退は訪れる。

今までの輝かしい戦績はありますが、階級が下がり

最後は一番したの階級で負けて引退へ。


最後のコメントでは・・・

「50年、100年経っても色あせない・・・」

という言葉が私の胸に留まった。


大偉、みるるも私が生きている限りは色あせないでいれるだろうか?

だんだんと忘れていくのかな?

先の事はよくわからないけど、意識がしっかりしているうちは、

大偉や、みるるの事を思い出しながら、心の中では色あせない

いつまで経っても、私の知っている記憶も一つ残らず胸にしまっておきたい。



2017年6月24日土曜日

24日(土)晴れ・・・この世にいてくれて

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


小林麻央さんの訃報を知ったのが・・・LINEニュース。

この朝のニュースで市川海老蔵さんの記者会見の様子が流れていて見ていた。


辛い・・・


海老蔵さんのコメントに中に・・・


「この世にいてくれて・・・」

という言葉が出てきた時は、涙がこぼれた。


この御夫婦は、いつも正直に真正面から向き合ってきて

お互いの持っている愛を、子供達に、回りの方にも

分け与えていたんだろうなと感じました。


最後の最後まで側で看取って逝くも・・・計り知れないくらい辛かったと思う。



「一番泣いた日・・・」というコメントも・・・


2017年6月23日金曜日

23日(金)晴れ・・・ボート

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


・・・久しぶりに家内と大笑いした。

野際陽子の追悼ドラマの中で、娘婿がボートを漕ぐシーンを観て

家族で山中湖に出かけた話になった。


二泊三日の旅行。

大偉が年少だったかな?

帰る前日に山中湖で、手漕ぎのボートに乗った。

はじめて手漕ぎボートに乗る。

ボートと湖水の高さもそれほどなく、少し怖いイメージ。

当然私が漕いで、大偉とN-nhaが乗った。

家内とみるるは、岸で待っていた。


だんだんとコツをつかみどんどん岸から離れていく。

大体30分くらいで、いくらという金額設定だったと思うので

おおよその時間と戻る時間を把握しながら・・・岸にいる家内とみるるの

位置も見ながら子供達と楽しんでいた。


大偉・・・もう帰らないと時間がないよ!

などと話していたと・・・思う。


そんなこんなんで、「わぁ~・・・」


モーターボートが横切った!

波が立ち・・・ボートが大揺れ。

大偉は大はしゃぎ・・・

大偉もN-nhaも泳げる訳がない。

しかも・・・私も。


怖くなって立とうとしたら・・・

「ダメ、立ったら・・・」と声をかけてきてくれた。

だんだんと波がおさまり、さぁ、戻ろうとして岸を見るが・・・


岸にいる人が、みんな米粒くらいでどこに家内とみるるがいるのか?

わからない・・・・


最終日は、私と大偉とみるる。

家内とN-nhaは富士急ハイランドの中にある、催し会場へと別行動となった。





朝から小雨・・・

大偉と車がたくさん展示してあるところを見たり色々とみた。

やっぱり最後は、ボート・・・

今度は河口湖です。

小雨が降っているので、やめようといったとは思うんだけど・・・覚えていない。

スワンです・・・足で漕げば漕ぐほど進むスワンに大偉も大満足!


しか~し・・・

前から大きな遊覧船が・・・


相手も真っ直ぐくるし、こっちも進むし。

いい加減、「ブーン、ブーーン」と。

ようやくターンをして回避・・・

わぁ~、大偉・・・早く、早く

なんて言いながらスワンを漕いでいたと思う。

そんな思い出話しをした。


家内のあんな大笑いは久しぶりだったように思えた。


2017年6月22日木曜日

22日(木)晴れ・・・抱きしめる

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


いつかは旅立つその日まで、大偉と一緒にいたかった。

もっともっと、抱きしめてあげれば良かった。


・・・抱きしめる最後が、あの日とは。

なんとも言えないくらいの、むなしさ、辛さ、悲しさ、切なさ。


大偉は何を感じているのかな?

何を思っているのかな?

そちらでは、何をしているのかな?


どうすれば・・・

会える?









いつかは旅つその日まで、大偉と一緒にいたかった。
もっともっと、抱きしめてあげれば良かった。

抱きしめる最後が、あの日なるとは・・・。

2017年6月21日水曜日

21日(水)くもりのち雨・・・10代、20代・・・

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉・・・22歳

16歳で旅立ってから6年。

10代の大偉を半分しか知らない・・・

20代・・・

30代・・・

40代・・・

知らない。


どんな男になっているのだろう。

どんな6年間を歩んできたのかな?


時がくれば大偉とみるちゃんと、ぽっかりと空いた穴を埋める事ができるだろう。

その先のほうがずっといられるのだから。


それにしても、一緒に時を過ごしていたかった。


少しでも大偉と、みるちゃんを感じながら・・・




事務所の先輩が聞いてきた・・

2017年6月20日火曜日

20日(火)晴れ・・・富士山

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今年は、富士山に行くの?

事務所の先輩が聞いてきた・・・

そういえば、去年は富士山に行けなかった。


大偉と一緒に行った富士山を思い出すなぁ~。

富士山・・・なんか大偉に会いに行く感じみたい。


大偉が使ったザック・・・

ストックをザックの脇にさして。


今年は行きたいなぁ・・・


大偉を思い出しながら。

ここで、こんな事があったな・・・あんな事もあったなと

一つ一つの思い出をかみしめながら。





N-nhaが書いた大偉。





2017年6月18日日曜日

18日(日)曇り・・・いっぱい。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



大偉の事・・・いっぱい書いてみたい。

大偉のお友達から、いっぱいいろんな事を聞いてみたい。





エレファントカシマシ
今宵の月のように



https://youtu.be/X--i6_53VXU


悲しみの果て



https://youtu.be/0WZu7L7Hjds



俺たちの明日



https://youtu.be/XKnwDRfMYsE

2017年6月17日土曜日

17日(土)晴れ・・・いつも

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



大偉は、みるちゃんと今頃何をしているのかな?

二人でじゃれあって遊んでいるのかな?

二人はとても仲良しだから、いつも一緒にいるんだね。


みるるは、大偉の側から離れないで、ちょっと怖くなったり

不安になると、たってぴょんぴょんして「抱っこ! はやく抱っこして!」って

いうもんね。


大偉も、かならずみるちゃんの事を気にしていて、優しくしているんだろうね。

毎日、仏壇にある写真を眺めながら、いつも感じているよ。


2017年6月16日金曜日

15日(金)晴れ・・・小涌園

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



今日は、家族揃って箱根ホテル小涌園に向かった。

はじめての箱根・・・

もちろん、大偉も、みるちゃんも一緒です。


N-nhaがお休みだったので、この日に合わせてでかけたが

高速も全くの渋滞はないし、天気も暑いくらいの快晴。


小涌園では、ランチビュッフェ・・・

沢山、ローストビーフを食べました。


家内と、N-nhaが食べ物をとりにいき、一人待っている中・・・

大偉がここにいたらなぁ~・・・と思いながら外の景色を眺めていた。

でも大偉は、仕事でこれなかったかな?












卵の椅子

黒卵は意外と美味しかったです!


箱根神社・・・ものすごく厳かな雰囲気




最後は三井アウトレット 御殿場




小涌園に向かう途中では、箱根駅伝の道を通りますが、ほんと狭い。

渡邉ベーカリーに立ち寄って、パンも食べたかったんだけど、

ランチブッフェを食べすぎてしまって・・・


とにかく箱根は、山を登るのも下るのも大変な道だった。

走りながら、大偉はこんな道は楽しそうに運転するんだろうなって。。。


2017年6月15日木曜日

15日(木)晴れ・・・東北新社

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



中学の時の友達からLINEが入っていた。

今は神奈川で働いているようで、実家に戻ってきたのか?

わざわざ来てくれたのかはわからないが、大偉に会いに来てくれて嬉しかった。


・・・・午後からは八重洲に外出してセミナーの事務局。

隣のブースでは、東北新社の面接会場。


東北新社?・・・

どこかで聞いたような社名・・・でもすぐにわかった。

大偉が声優をつとめた、「サウスパーク」の日本語版をプロデュースした会社。

当時4歳の大偉。

デモテープを送って採用された。


LiLiCo、ブラーザー・コーン、松尾貴史などと肩を並べていた?





面接の受付にいる子達は、サウスパークを知っているのかな?

チャンスがあれば聞いてみたかった。

時々、面接官の偉い人たちが出入りしているのだけど、さすがにこの人達は

知っていると思うけどね。

ここに、この場所にアイクの声優をしていた田中大偉のお父さんがいるとは

知る由もないのは、当たり前の事。


聞いてみるチャンスは、何回かあったのだけれども

そこまで聞ける勇気はなかった。・・・残念です。


大偉を思う気持ちが、偶然にも隣り合わせた東北新社。

とても不思議です。


2017年6月14日水曜日

14日(水)くもり・・・友達

す平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


中学の友達からLINEが入ってた。

今は、神奈川に住んでいる友達。

一番、仲が良かったのかな・・・


仏壇の横にある、Photoフレームからは大偉とN-nhaとみるるの写真が入れ代わる。

高校の時の運動会で、笑っている写真。


この先、一生の友達でいる人も・・・

なんで、こんな事になってしまったのかな?

大偉が何をしたの?

回りを気遣い・・・優しくしていた子が。


1Fの和室。


大偉が最後の最後に寝ていた場所に、私が寝ている。

その横には・・・未だに、2011年6月2日の最後に着ていた服を見る事ができない。

警察から返していただいた、グレーの大きなビニールの手提げ。


きっと生々しい、当時に引きづりこまれるような服なんだろうな。

松戸区検に行き、調書をすべてコピーしているから、なんとなく想像はつくんだけど、

写真で見るのと、実際に広げて見るのとは大違いなんだろう。


松戸区検には、何日も何日も通い続けコピーを取りながら、

時には調書に目をやり・・・泣きながらコピーをとっていた。


目を背けたくなるような、写真・・・

腹立たしくなるような、調書内容・・・


どれもこれも、すべて受け入れなくてはならない辛さ。


これからも家族で乗り切っていかなければならないと思うが


この6月は一年の中で特別な月。

5月の合気道演武大会の開催時期から、だんだんと辛くなる自分がいる。


2017年6月13日火曜日

13日(火)雨・・・メール

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


土曜日の事もあり、大偉の事について、いただいたメールを読み返していた。

2011年・・・色々な事を思い出させる。

格好が悪いけど、久々に電車の中で泣いてしまった。






2017年6月12日月曜日

12日(月)晴れ・・・ようやく

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


N-nhaが、ようやく動き出した。

やっぱり、親がいくら言ってもダメなんだなぁ〜・・・自分もそうだったしね。

最後は、自分の意思が決める。

決めなければ、動かない。

私は、何時も嫌な、めんどくさい事から逃げてばっかりいたので、N-nhaには、諦めずに最後まで頑張って欲しいなと願う。


大偉も、みるちゃんも、応援してね。


2017年6月11日日曜日

11日(日)晴れ・・・懐かしい

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


懐かしい名前が・・・。

何時もなら、家内と買い物に出かける時間なんだけど、

行く予定がなかったので、現場とお墓に出かけた。


現場では、隣の結婚式場の駐車場を管理している方が見えて、話しかけて来た。

少しだけ、お話しをして角にお花を手向けてある事へのお礼を述べた。

ZEPHYRで、挨拶をしてお墓に向かった。


管理事務所にあるノートに目を向けると、友達の名前が4人書いてあった。


お墓に向かうと、綺麗なお花が手向けてあった。


6/5には、中学の時にバレーボールで知り合った他校の友達。
後は、そのお友達。

中学の市内大会で、いつも決勝であたった試合を思い出すよ。

一緒にツーリングにも出かけた中で、楽しかったと思うな。


6/10土曜日には、同じ自動車学校の友達が・・・

一周忌に納骨を終えた後、現場とお墓と、大偉に会いに来てくれた。


M-saka君!
元気にしてるかな?

わざわざ遠い中、大偉に会いに来てくれてありがとう。
お友達も一緒だったみたいだけど、私は知らないので、会ったらよろしく伝えてくださいね。


お墓の前で、以前、お母さんからいただいた大偉へのメールを読み返していたら、泣けて来たよ。


大偉は、旅先で私達の事を見ていてくれているのかな?

見えるのかな?

とにかく、お寺さんも言っていたけど、思ったり、話しかけたり、喋る事が

なによりの供養になり、大偉も安心するんだと。


大偉もみるちゃんも寂しがり屋だからな。


いつも思っているから心配ないからね。。。


2017年6月10日土曜日

10日(土)晴れ・・・知ってる

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝5:30に起きて、現場に向かった・・・


手向けていただいたお花を整理して帰ろうとした時、駐車している

車の近くに畑のおじさんが見えた。



畑のおじさんに挨拶をした・・・


「あそこの角に、お花を手向けている者なんですが・・・」



「もう1年くらいになるかね?


「いや、6年です」


「もう、6年かね・・・月日が経つのは早いね」


「自動車学校の子だろ?」


「無茶な運転はしていないんだろうけどね・・・」


「知ってるんですか?」


「あ~ぁ・・・知ってる」


2、3分かな?


最後に、これからもよろしくお願いしますといい、快く返事をいただいた。



R16・・・・結構大きな事故だったと思う


このおじさんも今でも知っているなんて。


畑の脇に置かせていただいている・・・このおじさんが快く受けてくれなかったら


と思うと、感謝しなければならない。






2017年6月9日金曜日

9日(金)晴れ・・・逮捕

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



ちょうど今日が、トラック運転手が逮捕された日・・・・


でも、大偉が戻ってくる事はない、


時間だけが過ぎていく。



警察の方々の捜査のお陰で逮捕されたが、現場を行く度に


多くのトラックをみながら、その方はここを通っているのだろうか?


何を考えて通っているのか?

今は、どう思っているのか?

と思ってしまう。



あの事故がなければ、お互いの家族は今も普通に暮らしているのだから・・・











2017年6月8日木曜日

8日(木)曇り・・・一人っ子

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕食をとりながら・・・N-nhaはもう一人っ子だからさ。


大偉がいるから一人っ子じゃないんだけど・・・・


でもあんな事があったから、一人っ子なんだよ。



大偉は何をやってんのかな?


今ここにいれば、ギャースカと会話しているんだろうに。




2017年6月7日水曜日

7日(水)曇り・・・突然に

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


最後の日は、どんな感じだったのかな?

もう7日。大偉は、こんなになってしまったよ。

2011年の当時のブログを読み返していた。


6月2日 夕方に家内から電話が入る

6月3日 千葉大学へ

6月4日 自宅での最後

6月5日 お通夜〜・・・涙雨

6月6日 お別れ


親父は、ショックで寝込みお袋と一緒に、大偉と最後のお別れはできなかった。

柏警察で、大偉の姿を見て、泣いていた姿を思い出すと、どんだけ不幸な事をしたのかと自分を責める。

事故の事は、誰よりも知っているはずなのに・・・

何故、あの日に電話をする事ができなかったのか?


家内と夕飯をとりながら、録画をしていた「リバース」というドラマを見ていた。


大学4年の冬。今から10年前の事故。

4人で友達の別荘に車で出かけた。

オーナーとその妹は、後から電車で向かったが、駅まで迎えに来て欲しいと連絡を入れる。

すでに4人は、お酒を飲んでいた。

誰が行くか?

お酒を飲んでいるから、行けないというが、このくらい大丈夫だろう?と行かせてしまう。

4人中3人は就職が内定しており、後の一人はは、お酒もはじめは遠慮したのだが、「ノリ」が悪いの一言で、飲ませた。

ペーパードライバー、雪道・・・吹雪、一人。

そんな3人のうち一人はダメだと言うか・・・

全ての悪条件が重なり、スリップで谷底へ落ちる。

事件と事故の捜査が始まるが、色々な圧力がかかり、捜査打切り。

それでも、遺族は何度も何度も、警察に出向いて、捜査を依頼するも進展はしない。

最初から事故ではなく事件と睨んでいた一人の刑事が、退職をしてからもフリージャーナリストとして、4人の前に現れる。


彼女は、彼氏が、雪道で事故に合い捜索中と、はじめてニュースで知る事に。

ついこの間まで一緒にいた彼氏が、今、目の前のニュースで・・・。


大偉の時も、翌日の朝のニュースで流れていた時は、いたたまれない気持ちでいっぱいだった。

警察の方が事故現場を捜索している映像、ZEPHYRが、運び込まれる。


大偉の事故を、その日のニュースで知ったと言う人もいた。

まさか・・・

身内が。

友達が。

つい一時間前に別れた友達が・・・


こんな事が現実に起きるとは、思わないで生活をしている。

気をつけなきゃとは、思っても自分の身に降りかかるとは。

この回のドラマを見て、七回忌を迎えた私達に、何か伝えたい事があるのかな?とも感じる。

その彼女は、ショックからお通夜にも告別式にも、一周忌にも参列できなかった。

ようやく、三回忌で彼氏のもとに行くが、そこであの時の友達を遠目から見ていた。

彼氏は、どんな風に友達に映っていたのか?

その日は、どんな話をしたのか?

聞きたくなり、近づく・・・


大偉もどうだったのかなぁ〜と思ったりもする。

あの日で止まっているのだから。