2017年7月28日金曜日

28日(金)晴れ・・・えっ!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


勤務地が川崎に移動したのと同時に職種も変わった。

月末、月初が特に忙しくなる。


今日も22:00まで仕事をして帰ってきた。


梅郷に着いたのは24:00・・・


iPhoneで音楽を聞きながら、高校野球の県予選のニュースを読んでいた。


改札を抜けて正面の手すりで、切が悪かったので立って読んでいた。


左前方から・・・2~3mくらいかな。

女性が向かってくるのが視界に入ったので、顔をあげると

何やら話しかけようとしていたので、イヤホンを外すと


「大偉先輩のお父さんですよね?」

「はい、そうです。」


「あの~覚えていますか? T-kshimaです。」


「あぁ~久しぶりだね・・・」

「わかりますか?」

「わかるけど・・・顔が変わっていて・・・」


「今帰り?」

などなど・・・5分くらいかな?

立ち話しをして別れた。


大偉のお通夜にはこれないので、午前中に一人で大偉に会いに来てくれた。

その後も家に1、2度来てくれたかな。


その子も浜崎あゆみが好きで、コンサートに行った時に大偉にって写真を送ってきてくれた。


とても懐かしい気持ちで・・・

話しかけてくれて嬉しかった。


時間があればもっと話したかったんだけど、24時じゃね。


自転車置き場まで、当時の事を思い出しながら歩いていた。


2017年7月26日水曜日

26日(水)晴れ・・・体験会

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


合気道体験・・・今年で4回目。

多くの方が参加してくれて、合気道という日本の武道に触れる。


その体験の中に・・・


「偉」・・・この漢字を使った男の子が体験申込みされた。


始めは 偉〇。

何も気にしなかったんだけど、翌日に申込み一覧を眺めていたら


えっ!

身近ではじめて。

大偉の偉を使った名前の子がいるなんて。


なんか嬉しかった。

その子は8/2に体験するんだけど・・・私は会社で会う事ができない。

きっとどこかで会いたいな。


2017年7月25日火曜日

25日(火)晴れ・・・習志野

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


千葉県高校野球・・・決勝戦

習志野 VS 木更津総合。


2011年・・・習志野がベスト8


大阪に一時、転勤になった時の春の選抜ではじめて甲子園に行った。

その前に甲子園ボウルを観に行ったが甲子園球場の感動はほぼなし。


選抜のアルプススタンドはちょ~寒い。

野球観戦どころではなかった覚えがある。


やっぱり・・・甲子園は夏。


2011年の夏にはじめて甲子園にいった。

もちろん習志野 VS 日大三校。


結果は負けてしまったが、三塁側アルプススタンドから見るバックスクリーンは何処の球場にもない圧巻。

到底、甲子園に行けるはずのない学校で三年間頑張ってきた。



そして、今年の決勝でもし、習志野が優勝したら観に行きたいと思っていた。


3 対 4・・・木更津総合が二年連続で優勝した。

2011年以降5年で3度も決勝に進むが、あと一勝が遠い・・・習志野。


どの高校よりも思いれはある。


来年を期待しよう。


2017年7月23日日曜日

23日(日)晴れ・・・都市対抗

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今年も都市対抗出場に。した

最近、初戦は負けなど2010年以降は好成績を残していない。


初戦・・・

二回戦と順当に勝ち進み

23日は日曜日で三回戦。


2010年・・・

大偉と一緒に観に行った2回戦かな?

そのまま勝ち進み決勝戦へ!

大偉は決勝戦を観にいく?と聞くと行くと返事が返ってきた。


大偉は自動車学校の1年生・・・

授業が終わると、友達を連れて東京ドームまできた。

ライトスタンド中段での観戦。

私と当時のグループ長と一緒に向かい、携帯電話で呼び出し一緒に観戦した。


とても懐かしい。。。


この23日の三回戦もタイブレークの12回に勝ち越しをして準決勝に進んだ。


私はみんなで家内の実家に遊びに行ったので、この試合はニュースで見ただけだったけど、観にいった人たちは相当に盛り上がったらしい。


これから暑い夏が始まる。


2017年7月19日水曜日

19日(水)晴れ・・・何でも

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


定期診断が終わり、大偉とみるちゃんに会いに行ってきた。

あまりにも暑いので、何度も何度も桶に水を汲み、かけた。


大偉・・・

食べたい物があったら、何でもお母さんに言ってよね?

好きな物何でも作ってくれるからさ。


線香を焚きながら、墓誌を眺めていた。


なんで、こんな事になってしまったのかな?

何が、起きたのかな?


思っても何も解決しないし、真相もわからいのは分かっているんだけど、ついつい思う。


その後は・・・現場に行きお線香を手向けて戻った。


2017年7月16日日曜日

16日(日)晴れ・・・カード

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


玄関前の藤の木が伸びていたので、枝刈り機でバンバン刈っていた。

刈った枝を可燃ごみに袋詰めをすると6袋になってしまった。


こんにちは・・・

何やら、隣の家に誰かが訪問してきている。

横を向けば、誰が来ているのかわかるんだけど、この夕方の時間・・・

変な押し売りだと嫌なので、聞こえない振りをしながら、

後片付けをしていた。


すると・・・背後から

こんにちは!

振り向くと警察官だった。


なんとも優しい顔をしている。

最近、新しく建てた家の一角の空き巣が入って・・・

という話しをしながら、特に変わりないですか?

とカードを見せられた。


そのカードは、家族構成が書かれてあった・・・

大偉の名前も。


あぁ・・・大偉は亡くなりました。


亡くなりましたというこの言葉が兎に角辛い。

辛くて辛くて。

いつ?

2011年6月2日です。

警察官は、備考欄に鉛筆で書いた。


戸締りをきちんとしてくださいねと言われそのまま別れた。


あのカードは・・・

今度見た時は、大偉の名前はどうなるのかな?

警察官が帰ったあと・・・抹消線だけは引かないでほしいと言えばよかったと思った。


色々とこれから先もでてくる大偉の名前・・・

反面辛い思い。


2017年7月12日水曜日

12日(水)晴れ・・・ただ聞くだけ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日も今日も原ノ町はとても暑かった・・・


帰りは、東北支店の方達と仙台まで帰ってきた。

仕事の話しもしたんだけど・・・やはり6年前の震災の事。

ただただ聞く事だけだった。


どこまで津波がきて、この辺一帯はどうなったのか?

なんて聞くことはできなかった。


この行き帰りの電車の中・・・

いったい私は何ができるだろうか?

と思っていたが。


きっと、ただ思っただけで終わってしまうんだろうな。


当事者になれば、いいたくない事も言いたくなるし

わかってもらいたくもなる。


当事者でなければ、何もしない。


ただ、ボランティアの方達は凄い行動力だと

とても尊敬する。


実際に、ボランティアとして行動できなくても

関節的に何かをしていれば、それはそれで協力しているのと

同じ事なので、一人の力は大した事はないが、何かを見つたい。


2017年7月11日火曜日

11日(火)晴れ・・・情けない

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


原ノ町・・・

何を思い浮かべますか?


相馬市原ノ町

福島県・・・



2011.3.11 東日本大震災により大打撃を受けた場所の一つ。

ここまではピンときます。


4年くらい前かな?

郡山のお客様に納品に行き、その足で印刷会社の倉庫に行く用事

だったので、電車では行けず来るまで来てもらい、福島県内を

車の中から震災の爪痕を見ていた。


今回は、その場所とは違うので何とも言えないが・・・

仙台から原ノ町へ向かう1時間。


車窓からは、ここも、もしかしたら田んぼだったのかな?

ここまで、津波がきたのかな?

まだ常磐線が前線開通していない事も、今回の原ノ町への

出張であらためて知る事になる。


それにしてもここの場所での震災について何も知らな過ぎる・・・・


情けなかった・・・

Webで情報を入手したが。


交通の起点でもある原ノ町が・・・ここ?という感じ。


お昼に東北支店の方と食事をした後、復興、復興を言っても

何も変わっていないそうだ。

盛り土をしているだけで、まったく変わっていない。


私は、ここで起きた震災の事は何も知らない・・・情けない事を

伝えると、「仕方ないですよ」

当事者でなければ、そんなもんですと言われた。


あぁ~・・・情けない。


2017年7月10日月曜日

10日(月)晴れ・・・見たくもない

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


見たくもない写真がでてきた。

大偉と行った穂高の写真を探していたんだけど、今のPCにはなく

別のDISKを探していた。


色々と探しても中々見つからず、もしかして別のPC?

と思いながら探していたところ


大偉のヘルメットを指さす一人の中年男性

「あっ・・・こいつ」


なぜこのフォルダーにあったのかはわからないが、「この男・・・」


今では怒りの感情すらないが、でも見るととても複雑な気持ちになる。


こんな男に・・・

大偉が・・・


警察が来るまで、何もしなかったこの男。



2017年7月9日日曜日

9日(日)晴れ・・・今日は

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日も暑かった・・・

夕方にみるちゃんと大偉に会いに行ってきた。

まだ、暑い。


今日は、天の川の続きをかこうかな?と思っていたが、

海老蔵さんのブログ(早実:清宮幸太郎選手の東京都大会の選手宣誓)

について書こうかな?とも思っていたが・・・

あめトークを見ていたら、高校野球特集をしていた。

見ていると・・・

上田西高校の3年生の引退試合のシーン

先生から、この3年生の引退試合で背番号が渡されると同時に夏の大会の

ベンチ入りはないという事になる。


夏の大会前に佐久長聖高校との引退試合

先生から、レギュラー陣のプレッシャーを感じてこい

ここで打たなければ・・・必至にやってこいと激が飛ぶ


観客には、ブラスバンド、今まで支えてきた両親

そして、レギュラーの3年生。


引退試合に出ている球児は、レギュラー球児のプレッシャーを

感じながら打席に立つ。

打球を追う。


レギュラー陣は、スタンドから精一杯の声をだし、応援する。

互いに支え合ってここまでこれた事に敬意を表し

自分のやるべき事を必死に行っている。


大会へ向けてレギュラー陣への背番号が渡される。

背番号は先生からではなく・・・


引退試合に出た球児から、その引退試合で使っていた

背番号が渡される。


悔しい気持ちもあるでしょう?

情けないと思う気持ちもあるでしょう?

レギュラーにしかわからない気持ち

ベンチ入りができない仲間の気持ち

この引退試合は、そんな仲間を信じさせる事ができた。


この夏の決勝戦は上田西×佐久長聖。


引退試合に戦った相手。


1対1。

延長戦へ。

ノーアウト 1・2塁


この場面で上田西のバッターは・・・

ベンチからの仲間の声援とベンチにいる仲間

支えてくれた方々を思い、打席にたったと思う。


快音が鳴り響き・・・

レフトオーバー・・・

さよなら勝利


上田西のすべての人達の願いをこの小さな背中で受け止め

跳ね返す・・・この精神力。

決して自分だけのものではない。


支える人。

支えられる人。


これがわかった時、一番の力をだすのだと思う。


大偉もバレーボールでは、先輩に可愛がられ楽しかったと思う。

一年生の新人戦からはレギュラーでやってきたが、

あるとき、自分がレギュラーで練習ができるのも

1年から3年の仲間のお陰だという事を言った事がある。


最後の最後の大会は応援にいかなかったが、

私はとても後悔している。

どんな事があっても行けばよかったと今でも思う。


後悔、先に立たずとはこの事だと思う。





2017年7月7日金曜日

7日(金)晴れ・・・天の川

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


最初に天の川を見たのが・・・北アルプスの涸沢岳のキャンプ場だった。

大偉が5年生の夏・・・その年の4月には奥多摩の大岳山に一泊二日で

出かけたのをきっかけに、北アルプスに行こうをいう事になった。


新宿都庁のバスターミナルから深夜バスに乗り、朝に上高地入り。

途中、沢渡で電気バスに乗り換えるなど、環境保全は毎年厳しくなっている。

一日目は上高地の河童橋から、明神でいわな定食を食べて、徳沢園をすぎて

横尾まで歩いた。




翌日は、涸沢岳のキャンプ場まで延々と登りが続く・・・

目的地までは8時間の行程です。

途中散々歩いたあたりから、お腹が痛いと言いだし「陰に隠れてしたら?」

というと絶対に嫌だといい、結局また横尾まで戻る事になった。

すっきりした後の大偉がこちら↓

挙句の果てに、もう登りたくない!とまで言い出した。

じゃ、ここにいてもしょうがないから家に帰ろうかというと

登るといいだす。

その数時間後がこちら↓


涸沢岳のキャンプ場についたのは3:00pmくらいだったかな?


その日の夜に、大偉がトイレに行きたいという事になり、てくてくと
ヘッドライトをぶら下げていった帰り道。

暗すぎるのと、何百張りというテントで埋め尽くされているので、

自分達のテントのありかがわかない・・・

なんとなく位置関係を予想しながら近づくと、違う人のテントだったり・・・

ようやくたどり着く途中には、無くした時計までみつかった。

テントに入る途中で、顔を上に見上げたら・・・・


今まで見た事のない星の数・・・

はじめは、まったく天の川とは気がつかなかった。

それほどすごい☆だった、


しばらくしてから・・・「天の川」という事にきがついて

そこから先は、ほんとうに川のように流れていた。


数日前からも梅郷駅改札に、多くの短冊が吊りさげられている笹竹がある。

みんなの願いはなんだろうかね。


大偉と一緒に見た、あの天の川をまた見に行きたいと思った。

同じルートで・・・


2017年7月6日木曜日

6日(木)晴れ・・・一人では

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


色々な事をするのに自分一人の力では限界がある。

全てにおいて自分一人の力で成し遂げる事はできない。

たとえ自分が作り上げた物だとしても、目にはみえない

多くの人たちが携わっている事を決して忘れてはならない。


食べる事でも・・・

作る事でも・・・


原点は、誰かの存在がなければ最終形へと結びつかない事。


人と人との繋がりです。






2017年7月2日日曜日

2日(日)晴れ・・・めんたいこ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉とみるちゃんのところに会いに行き、現場にも行ってきた。

毎回色々と考えさせられる事が多い・・・。


その足で、「めんたいパーク」へと出かけた。

工場自体はそれほど大きくはないが、とにかく観光客が多い。

でも、長くいる場所ではないので、入れ替わりが激しく

お土産もさっと買ってと回転率がめちゃくちゃ良い。


大偉も「めんたいこ」が好きだったからね!

私と家内はめんたいこの入ったおにぎり。

N-nhaはめんたいこ入りのソフトクリーム・・・中々美味しい。



そこから・・・色々な場所に行き最後は茨城空港。

なんといっても、駐車場がタダ。




情報番組でも取り上げていたので、せっかくだからという事で行ってきました。

成田空港よりも・・・間近で見えるのが良い。

まぁ、飛行機自体は小さいけどね。

いざ、離陸・・・

もう少しで離陸する飛行機があったので、ラウンジで待っていた。

滑走路を右から左へ・・・Go!

目の前を飛行機が過ぎ去って・・・さぁクライマックスシーン

離陸?

えぇっ・・・・

み・・・え・な・い???

ここから先は実際に確かめに行ってみてください。

その他行った場所はこちら・・・



大偉も小さい時、何度か成田空港に連れて行った事があった。

飛行機の見える場所に連れていって、楽しそうに見ていたんだけど・・・

3段くらいの階段からジャンプ!

着地失敗・・・・足をくじいて大泣きした事も。

そのまま、家に帰ったかな?


2017年7月1日土曜日

1日(土)晴れ・・・色あせない

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ひふみん・・・加藤一二三(将棋士)


N-nhaが大好きな人のひとり。

将棋の事はよくわからないが、色々な番組に出演して

独特のキャラクター・・・人生観の持ち主。

とにかく可愛い。


最近は、藤井颯太(四段)のお陰で、さらに注目度がアップしている。


それでも・・・引退は訪れる。

今までの輝かしい戦績はありますが、階級が下がり

最後は一番したの階級で負けて引退へ。


最後のコメントでは・・・

「50年、100年経っても色あせない・・・」

という言葉が私の胸に留まった。


大偉、みるるも私が生きている限りは色あせないでいれるだろうか?

だんだんと忘れていくのかな?

先の事はよくわからないけど、意識がしっかりしているうちは、

大偉や、みるるの事を思い出しながら、心の中では色あせない

いつまで経っても、私の知っている記憶も一つ残らず胸にしまっておきたい。