平成二十三年
俗名 田中大偉
妙法 清澄院日大信士位
享年十六歳
六月二日
今日で14回目の6月2日を迎えました。
6時前に起きて・・・N-nhaが仕事から帰ってくるまで要所要所に時計をみた。
というか、意識的にみたのだけど、偶然に節目の時間だった。
同じ年の4月9日には一足先に大偉、N-nhaの弟だったみるちゃんが旅立たリビングで
みんなで寝ていた。
その日も変わらず、みんなでリビングで寝ていた大偉の寝顔を見て会社にでかけた。
その数時間後に声をかけても返事をしない大偉に会うことなるとは。。。
家の仕事をしていて、10:00すぎ
次に時計を見たのは15:17くらいかな。
大偉に電話をかけようと思っていて、次見た時はかけずじまい。
いまでも後悔している。ちゃんと電話できていればと思う。
次は、16:00・・・・
大偉が事故する2分前。
家内が友達から電話を受けた時の事。
N-nhaが学校から帰ってきて、想像もしない事が起こっていた事。
家で待っていて不安でしょうがなかったと思う。
なかなか、私に電話がつながらなかった事。
先に慈恵医大に向かった家内・・・R16の上り車線は警察がきて渋滞していたと思う。
私が、慈恵医大に着いて正面玄関から、受付のひとかな?
とにかく病院のスタッフをつかまえて急患の部屋を聞き、そこまで走っていったこと。
待合室では、小さく背中をまるめて不安気な家内。
中央処置室に呼ばれるまでの間、何度が看護師がきて医師から説明が
ありましたか?と聞かれたが、「まだです」と答えた事。
中央処置室に呼ばれたとき、自動ドアが開き10メートルくらいあったのかな?
ながかった。
私には10人くらいのスタッフが全員こちらを見ていた。
最悪の事も頭をよぎりながら、家内の肩を抱え歩いた。
ベットに横たわる、大偉。
呼吸器心電図がかすかに動いていた。ゼロではなかった。
すると医師から説明。
機器は動いているけど、心肺停止で運ばれてきてどうする事もできなかった。
でも機器は動いているじゃないですか?
そのあと、刑事がはいってくる。
両親に電話で伝えた・・・辛かった。
そのあと、N-nhaが病院にくるが、玄関から祖母に抱えながら入ってくる。
だんだんと冷たくなってくる大偉。
すぐに葬儀屋がくるが、苛立ちながら話した事。
きっと、今そんな場合じゃないとか言ったのかもしれないな。
もう兄弟喧嘩もできなくなった日。
こんなつらい事はない。
これからも必ず毎年6月2日はくる。
あと何年この日を迎えるだろうか。
毎年、一日一日、一秒と大偉に恥じないようにと思う。