2015年7月16日木曜日

16日(木)曇り時々雨・・・都市対抗

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今年も7月18日から都市対抗野球が東京ドームで開幕する。

2010年の年は東芝が優勝した年で、その瞬間を大偉と一緒にライトスタンドから見ていた。



大偉と一緒に野球を観に行ったのが小学校の時。

その時はヤクルト×ジャイアンツ戦。


2010年の時は高校1年生。

土曜日の三回戦を一緒に観に行き、その後は有楽町に遊びに出かけた。


そのまま勝ち進み・・・決勝戦。


大偉は学校が終わり友達二人で、私は会社の同僚とでドームで待合せた。



「もしもし・・・」

「大偉・・・今どこ?」

「えっ、友達と牛丼を食べているところ・・・・」

「マジ!・・・早く並ばないと入れないよ!」


三回戦の試合開始前に牛丼を食べた場所を覚えていて、そこで食べていた。


結局・・・ライトスタンド中段あたりの席。


でも・・・楽しかった。


その帰りは、秋葉原の中華料理屋で4人で食べた。


社会人の大人ってこんなに料理を頼むのかって?目をまん丸くしていた。



大偉との思いでの都市対応野球がはじまる。


今となっては過去の思い出・・・・

でも、また大偉と観に行こう!っていう思いで。


数ある思い出の中の大切な思い出。



2015年7月13日月曜日

13日(月)晴れ・・・土台

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳




小関也朱篤(こせき やすひろ)・・・日本体育大学四年の時に

短水路 50M/100M/200M 平泳ぎで日本新をたたき出し三冠となった。


高校時代は、特に目立つ戦績はなく・・・もう辞めようかな?と

思っていた頃、日本体育大学の監督から声をかけられ入学をしたという。


種目は平泳ぎ・・・

しかし監督は、自由形をやるように薦めた。


「なぜ、自由形?」

今まで平泳ぎをやってきたのに・・・なぜ?

最初は戸惑いもあり、理由がわからなかったそうです。


監督は、この選手の肩の使いかた、可動域に注目して

来る日も来る日も・・・クロール。


それでも平泳ぎに出場したい一心で、遠回しに「平泳ぎに出ないんですか?」と

監督に聞くと、「あっ、自由形!」というだけだったという。



大学四年・・・

今まで無名だった選手が一気に大輪の花を咲かせる!


私は、あまり泳ぎは得意ではないので、よくわかりませんが平泳ぎっていうのは

水をかきながら腕の起動は逆三角形を描くように胸に手を持ってくる動作をする

らしいが、小関選手は四角形・・・?

水をかいた腕は四角形を描くように胸にもってくる・・・。


この肩・・・肩甲骨の動きをいち早く見抜き一旦はクロールに転向させるも

最後には平泳ぎに戻し栄冠を勝ち取らせた。


監督は・・・・

「土台の上に・・・さらに土台を」と付け加えた。



何かを始める時、基礎が大事!というが、その基礎の上にさらに基礎を積み重ねる

事により強靭な土台が出来上がる。


土台は、一度つくれば終わりというものではなく、毎日毎日土台を作り上げて

次のステップへと進む。



こうしてこの世に生まれてきて何気なく毎日生活しているけど、「人生の土台」
を毎日コツコツと作り上げているんだなぁと感じる。

少しずつ、人生の・・・生きるすべを

土台を作り、後世の子供達へ残しているんだと。







2015年7月12日日曜日

12日(日)晴れ・・・特に。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳





家の用事が終わり、大偉とみるちゃんに会いに行ってきました。

特別暑く、お墓にお水をあげて掃除しても冷たい水がお湯の状態になってしまうくらい。

何度もお水を汲んでは、掃除をして・・・。


お水をあげて・・・それからグレープフルーツの炭酸飲料を買って手向けた。


お線香を焚き、しばらく墓誌に刻まれている大偉と巳塁の名前を見ながら芝生に座っていた。


同じ年に可愛い男の子が・・・


当時を思い出しながら、しばらく座っていた。


大偉とみるちゃんは・・・今、何を思う?


話せる事なら、話してみたい。


もう一度、声が聞きたい。



今年の七夕も特に何もなし。

夢にも現れなかった。







2015年7月7日火曜日

7日(月)雨・・・願い

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は七夕です。

梅郷駅の改札入口にはどこかの幼稚園からいただいた七夕が飾ってある。


あなたなら・・・何を願いますか?




つい先日、今では殆ど1年に1回しか会わない同僚から久々のメールがあった。


昔は・・・

平尾ちゃんがいた頃は、その同僚と三人で月に1回は新宿で待ち合わせをして飲みに行っていた。

その平尾ちゃんも旅立ってしまっている。

転院のメールをいただき、返信したがそれっきり・・・・


平尾ちゃんには、大偉もN-nhaも可愛がってくれて、いつもUFOキャッチャーのお土産を

喧嘩しないように必ず2個持ってきていただいた。


その同僚とは、やじちゃんと私から呼ばれていて

いつも目を配り気を使う、かなりシャイな男であり、その人の内面まで感じ取りながら
話す人である。


ブログも読んでくれていて、ZEPHERの事が書いてあった。



私の願いは、大偉とみるちゃんに会うことです・・・・


いままで夢に一度だけ・・・大偉なの?と思わせる姿が現れたが顔がハッキリしなかった。



6日夜に、偶然にもある子からのメール開き読み返していた。



一か月を過ぎたある日・・・

大偉とお坊さんがお話しをしている夢を見たという。

お坊さんは、大偉とみるちゃんを見送ってくれた住職。




お坊さんが大偉に

「今なにか思うことはありますか?」って聞くと・・・


大偉は


「みんなが笑っていればいい」っていい、

私達家族のみんなが笑っている顔と、その子の笑っている顔を空に映したそうです。

犯人にたいする憎しみの気持ちだけで生きていくことを大偉は望んでいないと・・・

大偉の格好は合気道の道衣をまとい、微笑んでいたそうです。




そんな大偉の気持ちを、私はどう受け止めていいのか?

あらためて、4年が過ぎた今の気持ちにどうぶつけていいのか。


今でも、はっきり大偉とみるちゃんの寝顔は覚えている。


現場に行くと、今でも何方かがお花を手向けてくれている。

お花はなくとも、来てくれている足跡を残している。


お花を手向け振返り・・・

大偉がZEPHERに乗って走ってきた方向を見ると


なんで、こんなところで・・・。


こんなところで、本当に大偉が?

あんなに優しかった子が。

未だに信じられない気持ちでいっぱいです。


これが、大偉の最後だったのか?

こんな最後を遂げ、16年の幕を降ろしたのか?

大偉にあったら何も話さず、

ただ、ただ抱きしめるだけなんだろと思います。


あれ以降の大偉を繋ぎとめて、一緒に歩む。


やじちゃん、貴方ならわかるよね。


秦 基博 「ひまわりの約束」



2015年7月6日月曜日

6日(月)雨・・・なでしこ!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳




アメリカ戦 2対5・・・・この結果どう受け止めるか。




準決勝イングランド戦・・・アディショナルタイムのオウンゴールで2-1で勝利。


全員が駆け寄り勝利を祝う”なでしこ”とは反対にイングランドの選手だった。


Laura BASSETT選手・・・


イングランド選手が崩れ落ちているBASSETT選手に寄り添う写真がとても印象的だった。

川澄のクロスボールがクリアする足にあたり、オウンゴールとなってしまった。


この前回大会の優勝は、本当にびっくりした出来事だったが、今回は危ないシーンは

あったものの、こうして勝ち上がってくるのだから強さは本物・・・


イングランド監督は、BASSETTがいなければここまで勝ち上がる事はできなかったと

労をねぎらい、これまでの活躍を褒め称えた。



この四年間・・・

勝利の裏には、個人が秘めている悔しさは必ずある


試合に出られなかった悔しさ。

怪我での挫折・・・

結果が見えない・・・

自分自身への不甲斐なさ・・・

代表落ち・・・


悔しい思いを上げればきりがない。


でも、歯を食いしばり

自分のため・・・・

最後はチームの勝利のために。


こうして召集された仲間は必然で、一緒に戦う最高のチームを作り上げた。




こうした姿を見ていると、大偉も中学から始めたバレーボールの仲間達は

きっと良い、最高の仲間だったろうなぁ~と思う。


だって、これからの人生・・・一生の友と思える、感じる友人を見つけられたんだからね。

二人で歩いている後ろ姿を見てみたかった。





悔い・・・

負ければ、その悔しさは必ず心の何処かに必ず残る。

勝てば、打ち消される・・・


しかし、勝っても負けても

個人の心の中に悔しさは残る。


その悔しさが次の4年後を育てる。

だから、負けても強くなるんだ。


その悔しさを4年後を積み重ねる1日、1日に精一杯ぶつけて欲しいと願う。


最後に・・・宮間選手が

「みんな文句も言わず、頑張ったと思う」の言葉には

仲間に対するお礼にも聞こえた・・・。



この悔しい気持ちが、人間を成長させる事は間違いない。