2013年6月30日日曜日

30日(日)晴れ・・・鶯

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



一昨日から昨日まで、今日まで色々な事を感じた・・・

用事があって、稽古には行けなかった。

久しぶりに9時頃に家にいて朝ご飯を食べていた。


鶯の鳴き声・・・

一昨年よりは、格段に上手くなっている。

昨年は、あまり聞いた記憶がなく・・・やっぱり戻ってきたんだね。


食事をしながら、大偉に会いに来てくれたI-ue家族と、R-seyさんを思いだした。

下手くそな鳴き声なんだけど、まるで喋っているかのように鳴いていた鶯。

その数日前から、鳴いてはいたんだけど

まるで早口で話しているかのように、今まで聞いた事のない鳴き声だった。

久しぶりに会った、R-maにいっぱい話しかけているようだった。


R-ma!久しぶりだね・・・

どう?元気にしてた。

学校はどう?

とにかく、この三年間を埋めるかのように話かけていたかのように・・・

2013年6月29日土曜日

29日(土)晴れ・・・Yajiちゃん!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


似たような境遇に合い、Yajiちゃんから大偉の三回忌の話が出て、

その後、Yajiちゃんからはじめて聞かされた話し・・・

その同期の悲しみに立ち会った、Shigeちゃん。


あれから、辛い事を思い出させてしまったなぁ~と思っていたんだよ。




今回の件は・・・

必ずメールがくると思っていたよ。

Yajiちゃん!昨日はメールありがとうね。

2013年6月28日金曜日

28日(金)晴れ・・・忘れられない日

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


2013年6月28日・・・


今日の日も、私にとって忘れられない日となった。



2013年6月27日木曜日

27日(木)晴れ・・・でたぁ~!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


やっと出ました!

25日の午前中に慈敬医大に行き、三度目の治療を行いました。

前回よりも治療の痛みはなかったが、その日の夕方には血尿!

きっと治療の影響によるものだと思うので心配はしていなかった。


時間が経つにつれて、右腎臓部分が重く、痛みがあった。

座薬は持っていないし・・・

段々と気分も悪くなってきた。


23:30頃に家に帰り、座薬をいれてそのまま就寝。


26日の夜も段々と痛くなってきたが、我慢して朝を迎えたが

とうとう耐え切れず、朝方に座薬をいれて会社に向かった。


昨日の夜の痛みもかなりあり、尿は赤茶けていたが、血の塊みたなものが時々出ていた。


その次の瞬間・・・・

ぴょんと飛び出るものを感じた。

便器をみると石みたいなものがある!


でたぁ~・・・!

と流れる前に、その石を取った。


固く、赤茶けた石だった。


これが本当にそうなのかは、病院に持っていかなければわからないが

きっと、そうだと思う。

全部、できってしまっているかは来月の検査でわかるが、

とにかくほっとした。



2013年6月26日水曜日

26日(水)曇りのち雨・・・わからないかな?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


会社帰りの電車の中で、たまたま見つけたTwitterの書き込み。

書き込まれた言葉に、遺族の一人が不快感を感じて、
その言葉をやめてもらうように訴えているというのに、


「人の気持ちを踏みにじる・・・
すっげー気に食わない。
自分の感情だけであーだこうだ
とやかく言われる筋合いが無い。
俺たちのやり方なんで。」

 
これが理由ですか?


今でも、これから先も色々な思いを抱きながら、
歩んでいかなければならないというのに、
不快感を感じている人を無視して、
俺たちのやり方を押し通す。

この言葉を読んだ時、進展はないと感じた。
あぁ~言っても無駄だった。
見て見ぬ振りをすれば良かった・・・
そうすれば、お互い嫌な気持ちにならなくて済んだのだから。

でも・・・永遠にわかってもらえないとは思うけど
これからの人生、少しの期待を感じながら書かさせていただきます。


 

俺達のやり方で通せる人に、その言葉を使ってあげて下さい。
その方も回りの方も、きっと喜ぶと思いますよ。

 
ただ、私は違うんです。
とても不快に感じているんですよ。

不快を感じて訴えているのに、「人の気持ちを踏みにじる」とはどういう意味?
 
そもそも、あなたは・・・「墓参りに来てやっているのに・・・」など、
何々してやっているのにという気持ちがあるから、そういう言い方になるんですよ。
 
だから、遠いいので来ていただかなくて結構ですよ。
大変でしょうしね。

 
私は色々な思いを大偉を知っている方達に私の思いを伝えたくて
ブログを立ち上げました。
公開するのには迷いましたよ・・・
このブログを見て、大偉を思い出してくれる人もいたり、
励ましのメールをいただいたり、
もしかしたら嫌な思いもするかもしれないなという覚悟を持って
書きこんでいます。


色々な方から、メールをいただいて大偉に会いたいから、
どうしてもお線香の一本あげさせていただきたいとか、
大偉の好きだった物を送ってもらったりと・・・。

一緒に食事をした時は大偉を懐かしく話してくれたり、
言葉を選びながら気を遣いながら話してきます。
(私が気を遣わせてしまっているのかもしれませんが、そういう事です。)


色々なお言葉をいただいたり、好きな物をいただいたりしているから
言っているのではなく、結果としてそういう表れになっているだけなんです。

 
言っている事、わかるかな?

 
その方達は、あなたみたいな・・・そんな気持は一つもありませんよ。

だから、気持ちが通じ合えて、大偉を知らない方々からも、
会えば微笑んで、励ましてくれるんです。
辛い思いを共有出来るんです。



あなたの、あの書き込みを見て感情になって何が悪いんでしょうか?

 
確かに、私も言いすぎたところは認めます。
逆に貴方に、不快感を感じさせてしまいましたね。
申し訳ありませんでした。

大偉に会いに来てくれた時は本当に嬉しかったですよ。・・・
現場にも何度も足を運んでくれて。
あなた方が来ていただく気持ちは十分にわかっているつもりです。

ただ、今回の件だけが私からは頭を下げる事はしません。

しかも言われる筋合いがないなんて言うのであれば
あなたには、来ていただく筋合いはありませんので。

 
私の勝ってな書込みに文句をつけるのも結構です。
ただ、こ以上、遺族を代表している私を不快にさせない事を切実に
願うばかりです。

あなたのやり方がすべての人に受け入れられると思ったら大間違いです。
色々な考えの方が多くいますので、その度に・・・俺たちのやり方なんでと
押し通す事は時には良いかもしれませんが、それは時と場合によるというものです。

 
長々となりましたが、少しはわかっていただけましたでしょうか?

これ以上は、私も関わりたくありませんので、私からの書込みは、
今回で終わりにします。

 
最後に・・・

不特定多数の方が見る事のできるツールとはこういう事なんですよ。
自分の知らないところで、見ているんです。
書き込みも自由だし、閲覧も自由。
同調してくる人もいれば、何やってんだと傍観している人もいます。

責任という言葉がのしかかってくるのです。

この件で、あなたのTwitterも見ている人が確実に増えていると思います。
Googleをみればわかりますから・・・。

もしさらに文句があれば、直接私にメールをいただければ回答しますよ。
(毎日忙しいので、返信に時間がかかるかもしれませんが)
これ以上、さらにTwitterに書き込めばどうなるかわかりますよね?

人の気持ちを無視して、また押し通すような書き込みをすれば恥をかきますよ。。。

私も恥を書くし、そもそもこんな事を書くためにブログを立ち上げたのではないので。

少しの方だけでも私の気持ちがわかってくれればと思います

では。

 

2013年6月25日火曜日

25日(火)曇りのち晴れ・・・帰っておいでよ!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



パパぁ~。

待ってるから帰っておいでよ~。

帰れないの?

ねぇ~、パパぁ・・・


北柏に住んでいた時の事・・・

大偉は二歳ちょっとかな?


一人二人と残業をしている職場の人数が減ってきた。


ダメだぁ~。終わらない。

徹夜して、朝に帰るかな?

それとも、今ここで帰るかな?


連日の疲れで、段々と判断力が鈍ってくる。

普通ならすぐに終わってしまう仕事も、スピードが遅くなり

そのせいで後どれくらいで終わるのか?という時間までくるってくる。


家内に電話した・・・

徹夜になるか、もうしばらく頑張ってタクシーで帰るかどちらかにするよ・・・


次の瞬間・・・

大偉の優しい、ちょっと高めの声で

「パパぁ~、帰っておいでよ」


その時にどんな会話をしたかまでは、覚えてはいないが

その声は今でもハッキリと覚えているよ。


結局、3:00AMくらいだと思う・・・

タクシーで帰ってきた。

もちろん、大偉は寝ていましたけどね。



2013年6月24日月曜日

24日(月)曇りのち晴れ・・・大笑いっ!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝から、先週末の仕事に振り回されていた・・・

外出先に向かう途中に、電話で呼び出され

至急の注文手続きを行った。


ようやく会社を出たのが10:30。


これから、もともと直行するはずだった協力会社向かい、

その後は、振り回した張本人の親会社に向かった。


色々と手続きして、事務所に帰る途中・・・


久しぶりに笑った・・・

お腹が痛くなるほど、

涙が、笑いすぎて出てきちゃった。


もうダメだ!


何を言っても可笑しくてたまらない・・・


最近、こんなに笑った事ないな。

笑いすぎてハスキーになっちゃったよ。



今月は、特に忙しいのに、こんなに笑っていいのかな?


やばっ!

このせいで仕事が終わらなくなっちゃったよ。


このお話は・・・またどこかで。



2013年6月23日日曜日

23日(日)曇り・・・元気そうだね!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


はじめて言葉を交わしたんじゃない!

家に来た時は、泣きじゃくっていたしね・・・


元気そうな声で良かったよ。



今度、一緒に食事でもできたらいいね!



2013年6月22日土曜日

22日(土)曇り一時雨・・・幸せだけを

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


親は・・・子供の幸せだけを願っている。


どんなに厳しくも

こうなってもらいたいなぁ~と思っても


子供の幸せだけ


ただただそれだけを願っている。


それ以外の事は何にもない。



・・・その願いがわかるのは


自分が結婚してからだろうな。

2013年6月21日金曜日

21日(金)雨・・・無神経

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


帰りの常盤線の電車の中・・・

仕事のスケジュールや作業内容を纏めていた。


途中からgoogle検索をした。


私がこうしてBlogを立ち上げて色々な思いを発信して

励ましの言葉を頂いたり、会えば大偉を思い出し話してくれたり・・・


こうして大偉が旅立ってからニ年。

まだまだ信じられない、受け入れない気持ちでいっぱいだというのにこの無神経な言葉が飛び込んできた。


Twitterに書き込まれた


「田中大偉に乾杯」という文字。

読み続けていくと3ヶ月くらい前の書き込みには・・・「本当馬鹿な男」と書き込まれていた。



お前らの世代では、「~に乾杯」とはどういう意味だよ。

何が馬鹿な男だ。

軽い気持ちでTwitterに書き込んだろうが

この書き込まれた文字を見た、息子を旅立させてしまった親の気持ちを考えた事があるのか?

ふざけるな・・・

俺が、大偉の事を書き込むのと、お前らが書き込むのと訳が違うんだよ。


人の息子の名前を勝手に使って書き込むじゃね~よ。

即刻コメントを削除しろ。

ものすごく気分が悪い!


そんな奴は、二度と来ないでくれ。

お前らの世代では、そういった言葉の使い方があるのかも知れないけど

それでもそういった無神経な言葉が俺は一番大嫌いなんだよ。


ちっとも嬉しくもない。

怒りがおさまらない。

畜生・・・目の前にいたら、ぶん殴ってやりたいくらいだよ。


私はその無神経なお前達を絶対に許さない。

お前らに大偉を語る資格はない。



2013年6月20日木曜日

20日(木)雨・・写真

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


じいじから借りたUSB。

大偉やN-nhaの写真。


微笑ましい写真。

お祝いの写真。

悲しい写真。


悲しい写真が私には大きすぎて辛すぎる。

2013年6月19日水曜日

19日(水)曇り・・後ろ姿

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


外で食事をした後の帰りにスーパーに寄った。

家内とN-nhaの後ろ姿を見ていた・・・


ただ一人の姿がない。

三人の後ろ姿を見ていたはずだった。


家内が歩いて・・・その横にN-nha。

大偉はこの辺を歩いていたな。


私には大偉を見る力は持っていないが

こうして大偉を感じながら・・・

思い出しながら歩いていた。


2013年6月18日火曜日

18日(火)曇り・・・失ったもの

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


壊れたもの・・・

失ったもの・・・


ものの大小にかかわらず


その人の価値観で決まる。


還ってこないんだよな。

大偉の顔がちらつく。


鶯の鳴き声で、大偉を感じながら。



 

2013年6月17日月曜日

17日(月)曇り・・・来客!

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ピンポーン・・・

お昼頃に思わぬ来客!

大偉の命日前にもお墓まで会いに来て、命日に来る事ができなかったから来ましたと・・・



私は会社だったので、別件で電話をした際に聞かされた。

家内も体調が悪く、たまたま家に来ていた、じいじが対応してくれた。


中学の時から知っていて、きっと大偉と一生付き合っていく友達なんだなぁ~と思っていた。

バイクが好きで一緒にツーリングも行った。


中学のバレー大会では、毎回決勝であたるので顔は知っていたが、

はじめて話した時が、変わり果てた無言の大偉に会いに来てくれた夜だったとはね。


棺の前でボロボロと泣き・・・

一周忌には、お墓の前で泣いていたと、管理人さんから聞かされた。


見ていても気が合う、仲の良い友達だった。


今では見違えるくらい立派になったんだろうね!


夕方、お母さんにお礼の電話を入れた。


いつも大ちゃん・・・大ちゃんと話しているという・・・




また、一人・・・一緒にビールを飲みたいと思う仲間ができた。


大偉もいたらちょくちょく遊びにいくんだろうね。



また、遊びにきてよね。


会える日を楽しみにしているから・・・


2013年6月16日日曜日

16日(日)雨のち曇り・・・時間をつくって

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今週は、二日間の研修あり・・・

仕事でホテルに泊まったり、展示会、打合せとものすごく疲れた!


午前中に、大偉とみるるに会いに行ってきた。


先週はT-mkaさんが来てくれて、昨日はK-zki君が来てくれていた。


管理棟からお墓の場所までの間、大偉は少なくても

これからの友達の人生に大きな影響を与えたのかな?と思う。


この事故・・・、この年齢。

自分の子供がバイクに乗りたいと言った時には

きっと大偉の事を思い出すとおもうな・・・?


みんな忙しい時間の中、大偉のために時間をつくって、

来てくれてありがとうございます。

2013年6月10日月曜日

10日(月)晴れ・・・はかりしれない

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日から二日間の研修のため新横浜にいた。

駅から研修会場までの歩く中、どんな思いだったのかな?


同じ境遇に立たされながら、想像もつかない・・・。


どんなに悔しい気持ちも押し殺し

数年前まで、現場に行っていたという。


魂はそこにはないかもしれないが

あの日、この時間に、この場所で生きていた事を

思い出すとそこの場所に行きたい・・・行かずにはいられない気持ちになる。


いまでも、その時期になると思い出す。


あの笑顔と事故。



2013年6月9日日曜日

9日(日)晴れ・・・1:08AM

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日はそのまま湯沢から、帰ってきた。

一緒に行った、同期三人と蕎麦屋で食事をしていた。


三回忌したの?

うん。先月の19日にね。


一人は奥様を2009年に亡くされ

もう一人は・・・二十数年前に一つしたの弟を事故で亡くした。


冬の朝・・・

スキー帰りの対向車が居眠りでセンターラインを超えてきた。

満載に積んだ15tトレーラーはハンドルを切ったが、くの字の曲がったトレーラーは

制御不能となり、積んだ荷物の重さでそのままマンションに激突、

圧死してしまった。


スキー帰りの女の子が、眠っていなければ・・・

後、三秒早ければ・・・

今日いた弟が・・・

無言の帰宅をなってしまった。

当時23歳。

悔しくて・・・悔しくて。

未だに受け入れられないという。


結婚を決めていた彼女な、泣き崩れて立ち上がる事ができなったという。


当然Newsでも流れたが、F-tomeさんが公共の電波に

まだはっきりしていないのに、トラックの運転手の居眠りみたいです・・・

ふざけんじゃね・・・

あいつだけは、絶対に許さない。


事故とは一瞬の出来事。

まさか自分の家族に降りかかってくるとは誰も思わない。

私もそうだが、いまでも悔しい気持ちでいっぱいです。

思っていても、誰にいう事もできず

墓場まで持っていくしかないと思う。


まだ16歳。

これから色々な事を学ぶはずっだったのにな・・・

お前も辛い思いをしていたんだな。

大偉を見た事もないが

ブログを見てわんわん泣いていた。


こんなイケメンだったのか?

いい顔いしているな。


巳塁の月命日。

一緒にいるよね・・・


2013年6月8日土曜日

8日(土)晴れ・・・約束したね。

平成二十三年
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俗名 田中大偉
享年十六歳


2010年7月・・・

T社が出た、都市対抗野球!


湯沢の野球大会に一緒に行く約束をしていたよね。

その湯沢に向かっています。


谷川岳SAで食べた大盛りのご飯。

きっと、大偉だったら食べていたと思うよ。



10:30AM過ぎに球場に到着。


ところが・・・


信じられない、耳を疑う言葉が飛び込んできた。



心肺停止です。


えっ!


練習をしていた、他のチームの選手がノックの後

ベンチに座った途端に倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまった。


こんな事があるのかよ・・・・


みんな信じられない気持ち。


なんとも、言葉にできない一日だった。

2013年6月7日金曜日

7日(金)晴れ・・・あれから

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


6月2日・・・16:10。

その後にたくさんの方が来てくれていたんですね。

本当にありがとう。


いまでも、何かある事に大偉の写真を見てがんばる。


愛おしい子だった。

こんなに優しいい子に会った事ないよ。



2013年6月6日木曜日

6日(木)晴れ・・・傷

平成二十三年
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俗名 田中大偉
享年十六歳


お前の。

頬の傷・・・

かけた歯

綺麗な指

今でもちゃんと覚えている。

絶対に忘れるわけないじゃん。


よく頑張ったな。

ニ年経っても、遺留品は手付かず。

開けられないままだよ。


2013年6月5日水曜日

5日(水)晴れ・・・辛い

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

昨日のマグナムワインが無茶苦茶、残ってる。

今日も暑い!


ニ年前も暑かったね。大偉・・・

21:00・・・みんなが家に着いたのを確認すると


我慢していた涙を流していたよね。

2013年6月4日火曜日

4日(火)晴れ・・・会いてぇ~!

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


外出して、そのまま直帰した。

今日も暑かったなぁ~・・・梅郷駅にはだいぶ早く着き

いつも乗っている車両から階段の方へ向かって歩くと

R-seyさんが歩いてくるのが見えた。


そのまま改札を出て立ち話をしたが、サイゼリアに行く事になった。


マグナム赤を飲みながら・・・大偉の話しもした・・・


大偉に会いてぇ~。

本当に会いてぇ~なぁ~・・・


サイゼリアで別れ、自転車置き場まで歩きながら



泣きながら歩いていた。




2013年6月3日月曜日

3日(月)晴れ・・・必ず!

平成二十三年
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六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉っ!

伝えるの忘れっちゃった。


2日の夕方にT-mkaさんから、今日は忙しくて会うことができないんだってさ。


今週は、早帰りなので必ず行くって事を伝えてだって!

そんな事、お父っに言われなくたってわかっているか!


今日も忘れられない日・・・

2011年6月3日と同様に暑い日だった。



2013年6月2日日曜日

2日(日)晴れ・・・道

平成二十三年
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俗名 田中大偉
享年十六歳


2011年6月2日 16:12分。

無事に家に帰ってくるはずだった・・・。


あの日のこの時間、この場所から大偉のZEPHYRが走った道がない。

今も変わらず道は続いていたはずなのに・・・。


大偉が通ったのは、翌日の夕方。

柩に入り無言の帰宅だった。

目を開く事も、手を握り返してくる事もなく・・・当然口を開いて

「ごめん!事故っちゃったよ」なんて笑いながら言い返す事もなく。


ただただ、冷たかった。


今年も天気予報がハズレ、良い天気になった。

去年と同じ、大偉が晴れにしてくれたんだろう・・・。


11:00AM過ぎにピンポーン・・・。

頼んでいたソファーが届いたのかな?

N-nhaが出て受け取った。

家内から、I-ueさんからお届け物だよ。


箱を開けると、大偉に宛てた生花と大好きだったお菓子が入っていた。

早速、仏壇にお供えした。




午後から家内とN-nhaは大偉とみるちゃんに会いに出かけ、

私は、午前中に届くはずだったソファーを受け取るために家で待っていた。



普段であれば何事もない、普通の6月2日だったのに・・・。

3:20PM過ぎに私は、現場に向かった。

3:40PM過ぎに現場に着くと、既に誰かがお花等々を手向けてあった。

三回忌の時に手向けたお花等を処分してくれており、しかも雑草まで抜いて綺麗にしてあった。

持ってきたカマは殆ど使わずに済んだ。

大きなお花立てには沢山のお花があり、私は小さなビンにお花を手向けお線香を焚いた。


カサ、カサ・・・カサ・・・と急に右手後ろがうるさくなった。

振り返るとそこにはH-shiの姿があった。

この時間を覚えてくれていたのでしょう。

同じビンにお花を手向けてくれた。


4:12PMを過ぎて私とH-shiは現場で別れた・・・。


車に向かう途中、若者3人。

二人は車付近に、もう一人は右前の端から歩いてきた。


あっ、もしかして・・・

車に乗り、現場の方をみるとその三人がが大偉の所に歩み寄っていた。

たまたまこの時間だったのか?

知っててこの時間にきたのか?


R16を左折し、追越し車線に入りながらクラクションを鳴らし挨拶をした。

前を歩くH-shiにも挨拶をし、お墓に向かった。


夕方5:00PM前。

CTSの同級生だった友達・・・

中学の先輩・・・

その中にはH-shiの名前をあった。


みなさん、こうして大偉を思い出してくれてわざわざ遠い所本当にありがとうございます。

沢山のお花、お心遣いをいただきまして重ね重ねありがとうございます。


今日のこの天気も大偉が精一杯皆さんにたいしてのお礼だと思います。

もう二年と思う日もあれば・・・

まだ二年と思う日もあります。

普段は、会社帰りが遅く家族で夕飯をとる事はないですが、昨日、今日と

大偉と巳塁の写真に話しかけながら食べている家内を見ていると

胸が詰まる思い。




「道」 相田みつを

長い人生にはなあ
どんなに避けようとしても
どうしても通らなければ
ならぬ道というのがあるんだな

そんなときはその道を
黙って歩くことだな
愚痴や弱音を吐かないでな
 黙って歩くんだよ
ただ黙って-
なみだなんか見せちゃダメだぜ そしてなあ その時なんだよ
人間としての いのちの根が
ふかくなるのは


これが、みんなに愛された大偉の人生なのか?


2013年6月1日土曜日

1日(土)晴れ・・・2台のバイク

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


買い物から帰ってくると2台のバイクが前の家に停まっていた。

あれから、家の前でバイクを見るのがはじめて。

自分が大偉のバイクを持ってくると、逆の思いをさせるのかと

前までは頭の中でしか感じなかったが、今日は心の中で感じた。


今でも大偉のバイクは当時のままでガレージにある。


いつかエンジンをかけて聞かせてあげたいとは思うが・・・