妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳
2011年6月2日 16:12分。
無事に家に帰ってくるはずだった・・・。
あの日のこの時間、この場所から大偉のZEPHYRが走った道がない。
今も変わらず道は続いていたはずなのに・・・。
大偉が通ったのは、翌日の夕方。
柩に入り無言の帰宅だった。
目を開く事も、手を握り返してくる事もなく・・・当然口を開いて
「ごめん!事故っちゃったよ」なんて笑いながら言い返す事もなく。
ただただ、冷たかった。
今年も天気予報がハズレ、良い天気になった。
去年と同じ、大偉が晴れにしてくれたんだろう・・・。
11:00AM過ぎにピンポーン・・・。
頼んでいたソファーが届いたのかな?
N-nhaが出て受け取った。
家内から、I-ueさんからお届け物だよ。
箱を開けると、大偉に宛てた生花と大好きだったお菓子が入っていた。
早速、仏壇にお供えした。
午後から家内とN-nhaは大偉とみるちゃんに会いに出かけ、
私は、午前中に届くはずだったソファーを受け取るために家で待っていた。
普段であれば何事もない、普通の6月2日だったのに・・・。
3:20PM過ぎに私は、現場に向かった。
3:40PM過ぎに現場に着くと、既に誰かがお花等々を手向けてあった。
三回忌の時に手向けたお花等を処分してくれており、しかも雑草まで抜いて綺麗にしてあった。
持ってきたカマは殆ど使わずに済んだ。
大きなお花立てには沢山のお花があり、私は小さなビンにお花を手向けお線香を焚いた。
カサ、カサ・・・カサ・・・と急に右手後ろがうるさくなった。
振り返るとそこにはH-shiの姿があった。
この時間を覚えてくれていたのでしょう。
同じビンにお花を手向けてくれた。
4:12PMを過ぎて私とH-shiは現場で別れた・・・。
車に向かう途中、若者3人。
二人は車付近に、もう一人は右前の端から歩いてきた。
あっ、もしかして・・・
車に乗り、現場の方をみるとその三人がが大偉の所に歩み寄っていた。
たまたまこの時間だったのか?
知っててこの時間にきたのか?
R16を左折し、追越し車線に入りながらクラクションを鳴らし挨拶をした。
前を歩くH-shiにも挨拶をし、お墓に向かった。
夕方5:00PM前。
CTSの同級生だった友達・・・
中学の先輩・・・
その中にはH-shiの名前をあった。
みなさん、こうして大偉を思い出してくれてわざわざ遠い所本当にありがとうございます。
沢山のお花、お心遣いをいただきまして重ね重ねありがとうございます。
今日のこの天気も大偉が精一杯皆さんにたいしてのお礼だと思います。
もう二年と思う日もあれば・・・
まだ二年と思う日もあります。
普段は、会社帰りが遅く家族で夕飯をとる事はないですが、昨日、今日と
大偉と巳塁の写真に話しかけながら食べている家内を見ていると
胸が詰まる思い。
「道」 相田みつを
長い人生にはなあ
どんなに避けようとしても
どうしても通らなければ
ならぬ道というのがあるんだな
そんなときはその道を
黙って歩くことだな
愚痴や弱音を吐かないでな
黙って歩くんだよ
ただ黙って-
なみだなんか見せちゃダメだぜ そしてなあ その時なんだよ
人間としての いのちの根が
ふかくなるのは
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