2011年8月31日水曜日

30日(火)晴れ  デザインと住民票・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


いやぁ~、今日は本当に暑かった。
日差しが痛いくらいだった。

gmailにお墓をお願いしているところから、墓石のデザインが出来上がったと連絡が入っていた。
前回の打ち合わせから、随分時間がかかった。
私達の要求が、今までない様なデザインだという事もあると思う。

打合せの時も、担当者はビックリしていた。
何とかお願いしますと押し通した。

送られてきたのは3種類のデザイン。

だが、・・・

あと、もう少しなんだよなぁ~という感じ。

このデザインも、家内が提案した。

もともとお墓は実家の近くにあるが、大偉の生まれ育った場所、お友達の多いこの場所を選んだ。

霊園を何件も見に行った。

墓石のデザインや、墓誌のデザイン、石の色などなど・・・

たくさん回って見たが、家内が提案したデザインは見た事がない。

家内からは、墓石の形や彫りについての要望は聞いていたが・・・


どのようにしよっか?

と、出てきたのが・・・

「命」「心」「心臓」「愛」「平和」「感謝」「優しさ」、「絆」・・・などなどを

文字ではなく

違う形で表現したらどうなるのかな?

と考えた時にすぐに浮かんだのがこの表現方法。

足を運んで下さった方が、見た時に好きな事を思っていただいたり、話しかけていただいたりしてほしかったので、文字にしたくなかった。

文字を彫っていると、その文字が強すぎてということと

やはり・・・

世の中すべてが、

生まれてから、天国に逝くまで・・・

逝ってからも・・・

このデザインからはじまっているという事。

この話しを聞いた時、ただただ納得した。


契約には、全員分の住民票をお取り寄せくださいと言われ、家内に取ってきてもらった。

住民票、今日とってきて机の上に置いてあるからね!と言われた。

封筒の中身を見ると、3人分しかない?

あれっ!なんで・・・

はじめは・・・?

あっ、大偉のか・・・

そんな事、思ってもいなかった。

普通に大偉のもあるように思っていたからだ。

そうだよな・・・

亡くなっているんだから住民票はないんだよな。

ものすごく悲しくなったよ。

田中大偉という名前が載っているのは・・・

戸籍だけとなってしまった。

田中大偉・・・

今も、私の後ろでブログを入力している姿を大偉とみるちゃんがみている。

私の背中を

亡くなった、大偉とみるちゃんが・・・

優しくて・・・

格好良くて・・・

可愛いくて・・・

・・・・・・

男の子二人が見ている。


こんな事ってありかよ。

2011年8月30日火曜日

29日(月)晴れ  2011年夏・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳

取引先へ直行し、先週依頼した作業分の引取りをした。

会社へ向かう途中。

東芝ビルの横を通り過ぎ、信号待ちをしていた。

空を見ながら・・・

今年の夏も、もう終わりだなぁ~と思いながら・・・

大偉は、この夏を迎える事ができなかった。

花火をやったり、見に行ったり・・・。

海に行ったり、プールに行ったり・・・。

バイクでツーリングに行ったり・・・。

山に行く約束もしていたじゃん!

色んな事をして楽しんだんだろうな。

待ちに待って、ようやく取ったバイクの免許。

親ローンで購入したバイク。

2ヶ月も乗っていないのに・・・。

大偉が楽しんだ月日をとっくに過ぎた・・・悲しくて、切なくて、寂しい月日。

事故をすれば、大事になることは誰も知っているが、

まさか、

こんな事になるとは・・・

思いもしなかった。

こんなに、悲しい思いをさせやがって・・・

今頃、何をしているんだよ。

今日は、お母さんの誕生日だぞ!

ケーキも買って来たんだぞ・・・



夕方・・・

I川さんから・・・「元気にしていますか?」とPCにメールが届いた。
今の心境をメールで返したら・・・

泣くな!と綴られた、I川さんらしいメールが帰ってきた。

いつも誰かに支えられ、救われている、生かされている。

大偉、みるちゃんとまた会いにきてね!

2011年8月29日月曜日

28日(日)晴れ  ぽっかり穴が・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳

夕方、なんかぽっかり心に穴があいた感じがした。
なぜだろう?

なんとなくは、自分でもわかっているんだけど・・・・

時期がきたらこんな感じよりも、もっともっと、心にぽっかり穴があくんだろうなと思った。

嫌だな~。

そんな時期がきたら。

花火をしたり、ビデオを見たり、トランプをして遊んで楽しかったからね・・・。

明日は、みぃさんの誕生日だ。

大偉が入れば、何をプレゼントしたのかな?

何か用意したの?

お父っは・・・

何もないから、ケーキを買ってくるよ。

みるちゃんはシュークリームね。

じゃ、明日ね。

2011年8月28日日曜日

27日(土)曇り  花火・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


天気予報では、最高気温24℃。曇りから雨だ。
今日は、花火をする約束をしているのに、もしかしたらできないかも知れないなぁ~。

なんて思いながら・・・

私の大切な、お客様を迎え入れる準備をしていた。

家内から、もう時間じゃないの?

時計を見ると、pm12:15。

えっ、もうこんな時間と言いながら、迎えに行く準備に追われた。

結果的に、道は順調で予定時刻をちょっと越えるくらいで着いた。

家に帰り、大偉の話しというより、TVゲームをしたり、ビデオを見たりして過ごした。

大偉、どうにか花火できそうみたい。

大偉が、雨から曇りにしてくれたかのよう。

花火をした。

何年振りだろうなぁ~、花火なんて。

小さい頃にしたっきり、久しくやっていないな。

今日は、約束していた花火ができて本当によかった。

大偉、ありがとうね。

みるちゃんは、煙、大変だったね。

来年は、見にいかない?




2011年8月27日土曜日

26日(金)曇り雨  定年退職・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳

今日、私の横のS木さんが定年退職を迎えた。
本当は、8月31日付けなのだが、残りの3日間を有給休暇で消化するので、夕方に全体夕礼があった。

高校を卒業して・・・

41年と5ヶ月。

気の遠くなるような長さだ。

私はというと・・・

後、ちょうど17年。

もう入社して23年も勤務しているんだなぁ~とあらためて感じた。

ここにくるまでに、会社を辞めたいと思った事が何回もあった。その度に相談した。
何回も、何回も・・・。
結婚して、子供が生まれてからもだ。

だけど、ここまで勤めてこれたのも周りの方々、お陰だと強く感じた。

S木さんの話で、心に響いた言葉がある。

「経済的に支えてくれた会社に感謝します」

私には、41年という長い間、勤めさせてくれた事への感謝の言葉に聞こえた。

最後の、言葉でこんな事を言った人は今までいなかった。

なぜが、心に響いた。

私は、後17年。

その時は、大偉は・・・33才。

どんな男になっているのかな?

結婚しているだろうか?

どんな家庭を築いているのかな?

子供は何人かな?

お嫁さんは、どんな人かな?

整備士の仕事をしているかな?

私は、どんな爺さんになっているのかな?

などなど・・・

色んな事を考えた。

世の中、すべて必然。

お坊さんも言っていた。

でも・・・あまりにも残酷だよ。

こんな若い子を連れて行かなければならないなんて・・・

酷すぎるよ。

結婚して、子供に恵まれれば孫と遊ぶ事もできただろう。

定年後の楽しみもいっぱいあっただろう。

大偉との楽しみ。

大偉の家族との楽しみ。

育ててあげられなくてごめんね。

見届けてやる事が出来なくてごめんね。

大偉とのすべての楽しみが・・・何もかもなくなってしまった。

明日は、必ずみるちゃんと一緒に家に来てよ。

みんなで、待っているから。

お願いだから・・・

ねっ、大偉。

2011年8月26日金曜日

25日(木)曇り  人として・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳

夕方、大偉が任意保険に加入していた担当者から携帯に電話がかかってきた。
保険会社の事故調査係りが色々と今回の事故に件について、警察に聞いている。

私も、検察または警察から伺っている情報の提供や、事故報告書に記載する書類には、そのまま記入した。
保険会社の担当者からも、「お父様から以前伺った内容の情報で間違いありません。」
警察も今回の事故は非常に難しい事故です。と言っているみたい。

確かに、いつくかの疑問点や検疑不十分で道路交通法違反の起訴しかできなかった。

ヘルメットの頭頂部についている、あの黒い大きな後な何?
後ろタイヤがすっていった後ではないの?

鑑識からは、断定はできなかった。

断定はできないが、たぶんこうなったでしょう。
これで間違いはないでしょう。・・・・という判断だけで。

松戸裁判所からの略式命令からだいぶ日が経った。

もうそろそろ・・・解剖の結果報告もあがってきていると思う(当初は7月くらいと聞いていたから)

調書閲覧も松戸検察庁にお願いしたいし、解剖結果も確認したい。

色々、顔を覆ってしまいたくなる写真もでてくる。

一部、解剖写真を警察調書の中で見た事があるが、本当に・・・言葉が出てこない。

まだ、遺留品も戻ってきてはいないので、明日松戸検察庁に確認する。


その後、加害者側の自賠責保険会社へ被害者請求を行うため電話した。

時間外だったので、明日また電話をする事になった。

それにしても・・・・

相手方の保険会社からは電話一本ない。

というより、加害者は今回の事故について何も報告していないのだ。

小さな事故、大きな事故・・・事故の形はいろいろあるが、保険会社に事故の報告をするのは当たり前の事ではないのだろうか?

人として・・・どうなの?

私の考えが間違っているのか?と思えるくらい・・・。

事故の一部始終の真相は、今となっては、


大偉だけが


知っている。


真相がわからない事件なんてたくさんあると思う・・・


亡くなった大偉は、もう帰ってはこない。


声もない。笑った顔もない。喧嘩もできない・・・


何もかもできない。


この先の人生も・・・


ない。


16歳で終わってしまった。


本当に辛い・・・・。


土日は、大事なお客様が来るので、部屋を片付けなければ・・・。

大偉に笑われてしまう・・・。

2011年8月25日木曜日

24日(水)晴れ  本当かな?・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


朝起きて、大偉とみるるのお水をあげる。
お線香をたきあげると、ドラえもんのコップに二人のお水を移し、家内とN葉は一口づつ、私は六口に分けて飲む。

毎日、お水をあげながら・・・何やってんだろう?。

これって、現実なの?

嘘みたい・・・。

悪い冗談でもやってるんじゃないの?

全く、現実味がない。

朝起きて、大偉の声はない。

会社から帰って来てからも、大偉の声はない。

2011年6月2日 16:12以降からは・・・何もない。

でも、・・・普通にいる感じがする。

特別、大偉を感じているわけではないが、事故があってお葬式をあげただけで、後は今までと同じ感じがする。
まだ、そこにいるんじゃないの?

ずいぶんと長い旅に出たもんだな!

いつ帰ってくるんだい?

本当かな?

なんて、思いながら毎日を暮らしている。

今日は昨日よりも幾分、心が安定していたが一度不安定になると中々抜け出す事ができない。

大偉の知り合いの方にメールをしたり電話をしたりして、気を紛らわす。笑いながら大偉を思う。

一度、大偉のいる世界を見学しに行きたいくらいだよ。

だって、大偉に会えないんだから・・・。

ず~っと前に、もう泣かないと決めたけど・・・

やっぱり、ダメだ。

その時がいつくるかわからないけど、泣きたい時はいっぱい泣く事にした。自然にいるようにした。

大偉。

みるちゃんに聞いた?

土曜日は、もうすぐだよ。


2011年8月23日火曜日

23日(火)晴れ  辛い・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳

朝、目覚ましが鳴っても中々起きれなかった。
出掛けには、雨がぱらぱら降ってきて、空はどんより・・・

駅まで、車で送ってもらった。

空が、どんよりしていると心まで暗くなっちゃう。

会社までの道のりを、相田みつをさんの「育てたように子は育つ」を読んでいた。
1999年2月20日 初版発行
1999年9月20日 第十版発行

結婚して5年後に発行。
その6年後に私が、海○さんからいただき、はじめて読んだ。

必然なんだな。

このタイミングだったんだな。

大偉が亡くなってから暫くして知り合った人と、毎日連絡をとっていた。
大偉の事や、たわいのない話しなどしていた。

私の知らなかった事など・・・。

今日は、わざと私から連絡するのをやめた。

この人と連絡するのをやめたらどうなるのかな?

この人から連絡がこなくなったら、どんな気持ちになるのかな?

大偉の事を知っている人から連絡がこなくなったら・・・・。

このまま、連絡を取り続けていいのかな?

迷惑にならないかな?

と思うと・・・・。

でも、夕方に私からメールをした。我慢ができず。

今日一日、とても辛かった。

自分が勝手に思ってしたんだけど、理由を告げると悲しんでいた。

明日から、今まで通り連絡をする事に決めた。

連絡をしなくなったり、来なくなったりするのは、またその時期が来るだろう。

わざわざ自分から、そんな事をしなくても・・・・

私の大切な人だから・・・

大偉。

それでいいよね?

それまで、連絡を取り続けるからね!

今度、お手紙を書こうと思うんだけど・・・

なんて書こうかな?

ねぇ、大偉。

そういえば、ウグイスが最近鳴かないのは、鳴く時期じゃないんだよね。
また、来年か。

もう少し、上手になって帰ってきてね!

お父さんね、S悟と約束したんだ。
今度、教えるね!
楽しみが、ひとつまた増えたよ。


2011年8月22日月曜日

22日(月)雨  温泉・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳

大偉!

昨日の夕方、大偉にって、CTSのN安君、Y川君ともう一人(ごめんね。名前がわからないで)がお土産を持って来てくれたよ。

温泉に行ったんだって!

良いねぇ~。
福島に行ったっぽいよ!

お線香をあげてってと言ったんだけど、お友達も突然来たから遠慮して帰っていったよ。
後で、お礼しておいてね。

みんな、遊びに行っても「大偉に買って行ってあげよう!」と思ったのかな?
遊びに使うお小遣いを、出し合って買って来てくれたんだね。

良かったね。大偉。

後で、みんなでいただこうね。



大偉は、よく、じいじと梅郷の温泉に行ってたね。
小さい頃は、七光台にある温泉にもね・・・N葉も連れて行ってもらってね。

サウナに入ったり、水風呂にはいったり・・・・

塩サウナにも入ったって言ってたね。

小さい頃から、たくさん連れて行ってもらってたね。

大偉は、じいじと一緒で温泉が好きだもんね。


そっちの世界は、温泉はあるの?

大偉が入っている時、みるちゃんはお留守番しているのかな?

たまには、みるちゃんを洗ってあげてね。

逃げられないようにね!

今度、みるちゃんを連れて遊びにきてよ。

今週土曜日はどう?

ハンバーグかもよ・・・。もちろん手作りだよ。

みるちゃんと相談して、連絡ちょうだいね。

21日(日)雨  海老さん・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


今日は、朝からずっと泣いていた。
今年の24TVの影響もあると思うが、大偉の事を思うと涙が止まらなかった。

小さい頃の思い出や、亡くなる前までのこと。
色んな事が、脳裏を過ぎってく。

残された人の事も・・・。

私達の寝室を一人で片付けていた。

ちょっと、ほこりまみれになった鞄の中から、一冊の本がでてきた。

相田みつをさんの「育てたように子は育つ」という本。

読もうと思って、鞄の中に入れっぱなしにしていた。


5年前、合気道を始めた私が、海○原さんからいただいた。

私は、海○さんと呼んでいた。

気さくでいいおじさんだった。

うちは、荒れていて話しをする事ができず大変だったと言いながら渡された。!

今でも、はっきり覚えている。


会社の帰り。(当時)

電車の中。座席に座っていた。

涙が溢れ出てきて止まらなかった。

顔を上げる事ができなかった。

泣けて、泣けてしょうがなかった。

最寄駅の梅郷に着いたが、すぐには家に帰る事ができなかった。

何処かで、座って読んだ記憶があるが覚えてはいない。

でも、ただ、ただ、泣いていた。

その記憶だけはある。


そんな中、今年3月くらいかな?

また、その本が読みたくなった。

読まないといけない気がした。

ちょっとめくっただけで読まなかった。

そのまま、鞄の中に入れっぱなしにしてしまってた。

そして・・・今日、読んだ。

もっと早く読んでおけば良かった気がしてならなかった。

読むべきだった。

そうすれば・・・大偉を助けられたような気がする。

5年前。

海○さんが、私にくれた意味が分かったような気がした。

相田みつをさんの「自分の番」を紹介します。

父と母で二人
父と母の両親で四人
そのまた両親で八人

こうしてかぞえてゆくと
十代前で一、0ニ四人
二十代前では
なんと百万人を
越すんです

過去無量のいのちの
バトンを受けついで
いまここに自分の番を
生きている

それがあなたのいのちです
それがわたしの
いのちです

2011年8月21日日曜日

20日(土)曇り  前へ・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳

今年の24TVは、オープニングから泣かされた。

東北地方太平洋沖地震(2011年(平成23年)3月11日14時46分18.1秒)

当時私は、会社にいた。
あまりの大きさに机の下に入った。怖かった。

家に電話しても携帯にしても全くの不通。

何とか、連絡はとれたが大偉だけが取れなかった。どんな事をしても。
ようやく連絡がとれたのはそれからだいぶ経ってからだった。

ほっとした。

その1ヶ月もしない2011年4月9日未明 小さい体のみるちゃんが永眠した。(10歳)

朝、かかりつけの病院に電話して、急いでかけつけたが間に合わなかった。

車の中では、大偉がみるちゃんを抱っこして、みんなで・・・みるちゃん、みるちゃんと呼んだがが、二度と戻ってはこなかった。
はじめて、家族におきた悲しい出来事だった。

2000年8月14日に生まれたみるるは11歳の誕生日を家族で迎える事はできなかった。

その2ヶ月も経たないうちに、大偉が交通事故で逝ってしまった。

言葉にならないくらいの悲しみが、今も現実を受け止められない自分を覆っている。

普段なら、寝坊してきて「おはよう」って起きてくるのに・・・

みるるとじゃれて遊んでいるのに・・・。

優しい子だった。

笑顔がいい子だった。

友達の悪口は、家では聞いた事はなかった。

大偉とみるるは、仲良しだった。

東北地方太平洋沖地震で亡くなった家族、親戚、恋人・・・色々な沢山の方が亡くなられた。それでも、前へ前へ進んで行かなければならない・・・。

辛くても。

苦しくても。

前へ。

今年は、みるる、大偉の事もあり余計に見てて泣けた。苦しかった。

私達家族も「前へ」と思う・・・


あせらず・・・

ゆっくりと・・・

「前へ」と思う。

まだまだ、一緒にいたかったよ。

2011年8月20日土曜日

19日(金)雨  戻ってきた・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳

夜行バスが東京丸の内にam9:30についた。
4人でラーメンを食べた。

やっと、温かい物を食べた。
前の晩食べた、お好み焼きも美味しかったけど、ラーメンも美味しかったね!

ぼさ子応援団長と梅郷で別れ、家についた。

みんな、甲子園はどうだったかな?

大阪はどうだったかな?

町の人はみんな優しかったね。

また、いつか行けるかな?・・・なんて、

そう、思いながら楽しみしています。

大偉。

疲れたでしょ?

ゆっくり休んでね。

みるちゃん、帰ってきたよ!


18日(木)曇のち晴れ  4人で・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳

2011年8月18(木) am7:00。

大阪 梅田駅 阪神電車改札前にいた。

第93回全国高校野球選手権大会。
準々決勝 日大三高×習志野を見るため。
もちろん、習志野応援だ。

家内の兄からいただいた、リストバンドを持って。
17日(水)19:11に梅郷駅で、ぼさ子応援団長と待ち合わせをして東京駅に向かった。
pm9:50分発-翌am7:00JR大阪駅桜橋高架下着のバスに乗り込んだ。

夜行バス・・・。完全に熟睡とまではいかないが、ある程度は寝れた?かなという感じ。

梅田駅には到着時刻より早くついた。
駅のコインロッカーに荷物を預け、阪神電車に乗り込んだ。

甲子園まで特急で3駅目。

目の前が甲子園。
やっとついたね!

第1試合 智弁学園×作新学院の試合に間に合った。
階段をあがり、センターからライト側の芝生が見えてきた!
三塁側アルプススタンドに座った。
甲子園は広かった。芝生も綺麗だった。
17年前の春に見た甲子園の思い出とは違ってみえた。やっぱり夏はいい。

大偉の「62」のリストバンドを前のベンチに置き4人で一緒にみた。

もの凄い好ゲーム。関東で残っているのは、作新学院、日大三、習志野の3校だけ。
最後は、作新学院を応援していた。

途中。雨がぱらついたが、特に問題なし。

回も終盤。習志野の吹奏楽部や、応援団がアルプス下段奥に集まってきた。習志野と書いたシャツを着ている人。習魂とかいてあるシャツと着ている人。いっぱいいた。

作新学院の逆転勝利。

席を移動した・・・。

大偉。

次は日大三高戦。一緒に応援してね。暑いけど・・・。

習志野 初回先制のチャンスもスクイズ失敗。
日大三 二回表 三点を先制された。
その後も、習志野は5回まで毎回三塁まで進むが1点が遠い。

毎回、「レッツゴー 習志野!」の大合唱。
私達も立ち上がり大声援!を送った。

甲子園名物「かちわり」を何回か買った。

最後の、習志野の攻防も三者凡退でゲームセット。
習志野高校 校歌を聞くことはできなかったが、よく頑張ったなぁ~。



4人で見た。最初の甲子園はどうだったかな?
暑さと・・、応援の凄さと・・・、音と・・・、凄かったね。
機会があれば、また行きたいと思い甲子園を後にした。

2011年8月18日(木)4人の良い思い出ができた。

夜は、難波に出て。。。
グリコで、かに道楽で、・・・たくさん写真を撮った。


2011年8月17日水曜日

17日(水)晴  後片付け・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳

今日も、朝から暑い。
昨日までの新盆の祭壇を片付けた。

たくさん頂いた、お菓子、御香・・・・
御香もみなさんからいただいたのもたいた。

片付けながら・・・大偉の写真を見ていると、「本当に・・・」
これって現実?なんて思えるほどだ。

ついこの間まで、話しをしていた大偉が今は写真でしか会えない。ビデオでしか会えない。
昨日、家内の親父のPCを整理しに行った。色々な所へ連れて行ってもらったり、写真もたくさんあった。

中学2年の体育祭で、お昼を食べている大偉の写真がでてきた。
N葉は小6。

まだ、あどけない顔をしている。
格好良いというか可愛いらしい顔をしていた。そう見ると、仏壇の横にある写真は高1の5月~6月くらいの写真だが、随分と大人になった顔つきをしてる。

このたった2年間だが、近くにいるとわからないもんだなぁ~。と昨日見た写真と見比べていた。

親が思うよりも、ずっとずっと早いスピードで子供は大きくなっているんだなぁ~。
いつも子供だから・・・とか。
親のいままでの経験から・・・止めさせたり。(場合によりけりだと思うが・・・)

もう立派な大人だったんだな。

大偉。

もう少し、成長をゆっくりと見届けてやりたかった。

大偉が亡くなり、みんな大偉に会いに来てくれる。

ほんとうに良い男を・・・

この世から失った。

大偉を思っている人達から、早くして去ってしまった。

ほんとうに、

ほんとうに

残念な男を亡くした。

もっともっと長く生きて欲しかった。



16日(火)晴れ  送り火・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳

am8:00の習志野×金沢戦をTV観戦するため起きた。
色々あって起きたのはam5:00前だったかな?

応援団長にメールした。
ベスト8をかけた試合。応援頼むよ!寝坊してない?

応援団長もぼさぼさ?な頭で・・・・頑張りますと返信があった。

試合開始・・・

【三回】
習志野が二死一二塁から3番福山君が左前ヒット・・・・よしっ

2塁ランナー在原君が帰ってきて、習志野1点先制!

やったー!家の中でも大歓声・・・私だけ

今回は冷たい視線もお構いなし!

横の家内は寝不足・・・暑さと、風鈴の煩さで眠れなかったみたい。

そのまま試合は7回表。

習志野も金沢 釜田君(投)の150kmを超える直球とスライダー?で、手が出ない。
大会屈指の好投手。しかもこの試合は抜群のコントロールで4回以降の習志野打線の快音がない。

いつやられるかと思いながら・・・・あっ~同点。

七回表に同点に・・・振り出しに戻った。

同点で迎えた七回裏またも二死一二塁で2番片桐君が左前にヒット。

在原君が帰ってきて勝ち越し!やったっ~。

家の中で、私だけ大騒ぎ!

八回には、4番藤井君にもようやくヒットがでた。応援団長も喜んでいるだろう!

1点リードされた九回表 金沢の攻撃。

一死一三塁。

習志野のピッチャーはこの回途中から在原君から木村君に交代!
大丈夫かな?この顔・・・今の子は闘志むき出しの顔をしていないし野球顔の子もいない感じがする。

途中から、見ていた家内はどうやら金沢応援?みたい・・・。

初球・・・・「スクイズ」

三塁ランナーのスターと遅れた!サインミス?

習志野 木村君の好フィィールディングで帰塁するランナーを見て、三塁に送球!

投げた瞬間・・・「アウト!」と大きな声をだし、マッサージ器に座っていた私は飛び跳ねた。


次の瞬間

TVが消えた・・・・パチッ。

あれ?

左手に持っていたリモコンの電源を飛跳ねた瞬間offにしてしまったのだ・・・。

アウトなのかセーフなのかもわからない!

電源をonしても中々、映らない。

何回も押しているので、onなのかoffなのかもわからず、家内からすぐにはつかないよの一言。

結局、リプレイでアウトを確認。

しかしまだ、二死一二塁とピンチは続く。

打者はキャッチャーの丹保君。ずっと釜田君の球を受けてきた男。

何とかしたいという願いをこめた打球音。

あっ~っ・・・・

右前へのヒット性のあたりを習志野 二塁手中村君が飛びつき一塁アウト~っ。

ナイスプレー!

ベスト8進出。

自分でレッツゴー習志野の曲を口ずさみながら踊っているとそんな踊りじゃないでしょ?の一言でおしまい。

相手は、西東京代表 日大三高。

応援団長やったね!18日ベスト4をかけた試合は甲子園に観に行くよ!

興奮のおさまらないまま、家内の実家へ向かった。

PCの調子が悪いみたい。

WinXPの起動がむちゃくちゃ遅い・・・

ディスクを整理したんだけどNG。

IEに繋がれば光回線なので早いんだけど・・・

結局PC内のフォルダーの整理をしただけで、起動は変わらない。

一度、再インストールをして戻す事でおしまいにした。

PCの机には大偉の写真が飾られてあった。懐かしい写真も沢山あった。

兄の長女(2歳?)を大偉が抱っこしている(10歳)

この頃には子供好きだったんだね。


夕方6:00過ぎに送り火をした。


大偉、みるちゃん。

久しぶりのお家はどうでしたか?ゆっくり休めたかな?

いつもと代わらない食事だったけど、そのほうが家らしいでしょ?

大偉もみるちゃんも離れないで、いつも一緒にいてね。

お父さんも、お母さんも、N葉も一緒だからね。

お盆ってこんな感じなのかな?

まだまだ、やらなくてはならない事が山ほどある。

少し落ち着いたら・・・手紙でも書こう。

2011年8月16日火曜日

15日(月)晴れ  晩餐・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


わっ~、凄い寝坊した。
起きたら8:30分。昨日は1:00過ぎくらい?に寝たのに・・・。大偉が亡くなってから、こんなに遅く起きるのは、はじめてだった。

大偉の夢を見た・・・。
自分が大偉と同じ年代になっていて、一緒に色んな事を話したり、友達と遊んだりもした・・・。
周りには、生前と同じ沢山のお友達が集まっていた。

話した内容、友達の顔ははっきり覚えていないが、大偉の肩に手を回し一緒に歩きながら、友達に私が話しかけた事は覚えている。

友達が近づいてきて・・・・

お前誰だっけ?(私が聞いた)

そんな事言うなよ(友達)

冗談だよ!(私)

大偉と私と友達の三人で歩いて行った・・・

でも、最後には・・・あまりいい夢でもなっかた。

今日は、大切な家族が大偉に会いに来てくれた!

大偉の事を話した。色んな話をした。つい最近買った3DSのシューティングゲームで盛り上がった!

遠いところわざわざ来ていただいて本当にありがとうございました。

大偉も喜んでいるよ。

みるちゃんも、吠えないで、いい子にしていたね。

夕方・・・・。

少し寝て起きた。

今日は、何をたべようか?

家内が聞いてきた。

N葉がお肉が食べたいな!

ケンタッキーじゃ嫌だよ。

うん。焼肉が良い。

じゃ、「すたみな太郎」に行こう!

大偉と四人で最後に外食をしたお店。

その頃は、外食する事が増えていたが、大偉は友達と遊ぶ約束をしていて3人で食べに行く事が多かった。もともと外食をするのを私は好まないんだけど・・・

今日、大偉は?

友達と遊びに行ってる。

一緒に食べに来ればよかったのにといつも思っていた。

仕方がないんだけど、3人で外食する事がひけた。

やっぱり、みんなで食べたいもんね。

お金がない大偉は何を食べているのかね?

食べるよりも同じ趣味のお友達と色んな話しをして遊んでいるほうが楽しい時期だからしょうがないか。

その、すたみな太郎でお腹いっぱい食べて帰ってきた。

つい、2ヶ月ちょっと前に一緒に食べた子が今日はいない。

4人席の一つが余っている。

その時は、あまり悲しい思いを感じなかったかったが、こうしてブログを書いていると色んな事が思い浮かび、あの時はあの席で食べたな。

大偉はこの席に座って、私がここ。家内はここで、N葉はここだった。

大偉とみるちゃんに会いたい。

悪ふざけして遊んでいた男の子二人に会いたいよ。

大偉は、みるちゃんに怒られながら遊んでいるし、私は家内にチューするふりをすると、すっとんで来て家内を私から守るみたいに割って入って「ダメ!」みたな顔をしてこちらを見ている。

まるで、衛兵。

二人ともたくさんの思い出を残して逝った。

私達に伝えたいことも・・・・いっぱい。

I上先生からいただいたメール。
この世は皆、足りないものを補う為に魂の修行しに来ている。
この世を早く去ってしまう人は、現世では寂しい事ですが、精神世界では素晴らしく早く修行を終了された極めて卓越された魂のようです。

前にいただき読んだ時よりも素直に感じられた。

ほんとうに、大偉もみるちゃんも素晴らしい心を持った子供達だった。
私達を選んで来てくれてありがとう。

大好きだよ・・・大偉、みるちゃん。


2011年8月15日月曜日

14日(日)晴れ  お線香・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


昨日13日に迎え火をした翌日・・・。
朝早く、家の電話がなった。

I川です。

静かな声だった。

大偉にお線香をあげに行きたいんだけど・・・後10分くらいで着くんだけどいいかな?

わかりました・・・。

急いで、テーブルの上を片付けI川さんを迎えた。

昨日の稽古も少年部から参加して指導してくれた。

体調も万全ではない、膝も完治していないというのに笑いながら指導し、稽古している・・・。

BBQ会場で失礼する際、私の手を「ギュッ」と握り、何も言わず背中をポンとたたいた。

必ず、私の側にいていつも見守ってくれている。

お線香を大偉にあげ、N葉にはアイスを買って来てくれた。

20分くらいかな?色々話した。

昨日のBBQの事。S見さんの事。これからの自分の事。お墓の事。・・・もちろん大偉の事も。

田中!また来るわっ。

そう言いながら、いつもの笑顔で帰っていった。

お盆中は、お坊さんからいただいたお線香を焚いた。

また、I上先生からいただいたお線香、お友達からいただいたお線香、高校の時の友達からいただいたお線香を焚いた。

家内のご両親とお爺ちゃんがお線香をあげに来た。

残念だなぁ~。・・・とお爺ちゃんの声。

本当に残念の一言。

亡くなってからも、家族、親戚以外からもこんなに愛されて・・・幸せな男だな。

大偉が沢山の人をひきあわせてくれてるんだなと強く感じる。

今日は、みるちゃんの11回目の誕生日。

ショートケーキを買ってあげた。

大偉と仲良く食べてね!

夜は、大偉の好きなお蕎麦を食べさせた。

大偉は、冷たいお蕎麦が大好きだった。ほとんど暖かいお蕎麦は食べない・・・。

明日は、何を食べようかね?

みるちゃんは、何を食べる?

何でも言ってね。

大偉とみるちゃんの代わりに何でもするから・・・遠慮しないでね!


明日は、遠いところ私の大切なご家族が大偉に会いに来てくれる。

大偉!良かったね。

明日が待ち遠しい・・・。

気をつけて来てくださいね!

大偉も早起きして準備してよ。

みるちゃんは、邪魔しないこと。吠えないこと。

わかりましたか・・・?




2011年8月14日日曜日

13日(土)晴れ  迎え火・・・

 平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


朝から、暑い~い。
毎週土曜日に稽古に向かう、清水公園体育館に車で向かう。

今日は、稽古終了後、高齢?恒例のBBQを行う。


稽古が始まった。
今日は、龍本部からO田原さんとK岡さんが少年部から稽古に入って指導していただいた。
いつもと違った、締まった稽古になった。

たまには、違う方に稽古を指導してもらった方がいいなぁ~と感じた。

携帯の待受け画像は、大偉とみるちゃん。

その携帯を、道場の隅に置き大偉に見てもらい一緒に稽古をした。

遅刻しないで間に合ったかな?


引き続き一般の稽古前に集合写真を撮った。
みんないい顔していたよ!


次の一般部の稽古がきつかったなぁ~。

スペシャル稽古?・・・・・・オリンピック強化合宿稽古みたい!
※強化合宿なんて参加しとこと、ね~だろっ!

一般部から参加のI先生。
大偉にハッパをかけられた感じの稽古だったと振り返ってた。

私も、久しぶりにI先生と稽古が出来て楽しかったし、うれしかった。

途中、見取り稽古をした。
携帯を膝に置き、大偉と一緒に稽古を見た。

大偉。・・・何処から見ているかな?なんて天井を見たり探してた。

大偉も一緒に稽古をして、大汗流しているのかな?

みんな来てくれたから・・・・良かったね。大偉。

ニツ塚合気道研究会からも兄妹二人が大偉に会いに来てくれた。

小さい頃から知っている兄弟・・・大偉っ!大偉っ!って呼ばれていた姿が懐かしい
よく来てくれたね!BBQでいっぱい食べてね。

ようやく稽古が終わり、BBQ会場へ!

皆さん、手分けして準備して下さって本当にありがとう!

私は、ノンアルコールを1本グイッと飲み干して失礼させていただきました。

帰り際、「大偉によろしく!」右手を高くさしだした、裕。

すごく嬉しかった。

大偉の兄貴的存在でバイクの話しをいつもしていた。

昨年は、お腹いっぱい食べた後、子供達を引き連れて大偉は遊びにいったなぁ。

「お父っ!」

みんなと、遊びに行って来るね!・・・・

帰りは、保育園の子をおんぶして帰ってきた。

あぁ~、疲れた。

その顔も嬉しそうだった。

いい兄貴だったなぁ、思い出し会場を後にした。

夕方、お花を買いに自転車で出かけた。

空を見ながら、走ってた。

おやっ。

雲の合間から光を射してた。

大偉が来たのかな?
2枚写真を撮った。(2011年8月13日pm5:50近所の公園から)


pm6:00

玄関先で迎え火を焚いた。

大偉。
もう、戻って。みるると帰っておいで!

今夜は大偉の好きなポテトだよ。

ケッチャプとマヨネーズを混ぜたソースで食べるのが好きだった。
いただいたハムとお寿司も食べさせた。

大偉。

どうですか? 美味しかったですか?

今日は、いっぱい稽古したしね、ちょっと疲れたかな。

お父さんは、大偉の道衣を着て稽古したんだ。

ようやく、体に合ってきたよ。

お家でゆっくり休んでよね。

2011年8月13日土曜日

12日(金)晴れ  おっちょこちょい・・・

  平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


am5:44分・・・

前の晩、早く寝たため起きてしまった。
前の日のブログを更新するためPCを立上げた。

今日は、習志野戦。

寝坊して、足の小指ぶつけたメールから5日間たった。まったく、おっちょこちょい。

「習志野はもう起きてるよ! 藤井君にガンバってもらわないと」・・・

前の日・・・

六時に起きます!

起きたらメールちょうだい。

とっくに6:00を過ぎて、8:00 2分まえ。

起きてる?

寝坊か?

【1】NHK総合のチャンネルを合わせる・・・


あれっ?

甲子園は?

連続ドラマの「おひさま」をやってる。

なんだ、【2】NHK Eテレかぁ。

回すと・・・

「お母さんといっしょ」をやってる。


大阪・・・雨?

TVのミニテレ番を表示。

あぁ~なんだ、am8:15~か。

am5:44分の朝っぱらにメールして、7:58分には「寝坊か?」などと、いい迷惑だ。

【1】NHK総合でスタンバイ


あれっ? 習志野は・・・

試合は、大分 明豊× 長野 都市大学塩尻。

なんで、順延してないし、録画?

すかさずメール。

あれっ。習志野じゃないの?

返信があったのは、一時間後のam9:24分

夜なかなか眠れなくて寝坊。「明日だったみたいです」。
(地震があって眠れなかったみたい)

お互いに、今日だと思っていたが、とんだ勘違い。


地震があったのもわからず、超~早起きして習志野×明徳義塾に備え、朝っぱらメールするお馬鹿と、今日は習志野の試合があると思っていながら寝坊する・・・。寝坊すけさん。

おいおい、今日が試合だったら、3回は終わっているぞ~!

明日の応援も任せたぞ~!

ほんとお互い、天然ちゃんである。

pm9:51の受信メールを最後に返信がない。

ちょっと言い過ぎたかな?


明日は、合気道の稽古&BBQ!

大偉に会うために、野田以外からも稽古とBBQに参加してくれる。

大偉。

明日は、遅刻しないで少年部から参加してね!

みんな待っているから。

帯、忘れないでね。


夕方には、家に戻ってくんだよ。

夜には、迎え盆のため祭壇を準備した。

明日も、大偉の道衣で稽古に参加しよっと。

2011年8月12日金曜日

11日(木)晴れ  新盆・・・

  平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


今日も暑かった。本当に暑かった。

ここ最近は、不安定な日が続いた。

音楽を聴きながら、大偉の今までの事を思い出したり、これからの事を想像したりすると自然と涙が出てきた。聞いてる選曲も良くないのだろう。そういった曲ばかりだから・・・。

明日から、今までにない超大型連休が始まる
8/12~8/21まで

休みは、多いがお金がない。

例年も何処に行くわけでもなく、合気道の稽古に大偉と娘を連れて出かけ、後は実家に遊びに行ったりお墓参りに出かけたりと・・・

今年は、ひとつだけ違った。

自分の家族のお盆を迎える事だ。

こんな事、想像もしていなかった。自分の子供のお盆を迎えるなんて・・・。

明日は、大偉をお迎えするために祭壇を作る。

大偉の好きな物もいっぱいのせて。

家内のお父さんからメールが届いた・・・。

毎日大偉の写真を見ながら話しかけていると・・・

大偉の写真の横には、おじいちゃんの写真(60歳?くらいかな)。

大偉の60歳くらいになった顔を想像しながら。


ここ何日か、ウグイスの声が聞こえない。

暑くていなくなったのかな?

もう鳴く時期ではないのかな?

お友達に挨拶しに行っているのかな?

大偉。

13日は、天国からみるちゃんを連れて降りてきてね。

家でゆっくり休んでいってよね。

2011年8月11日木曜日

10日(水)晴れ  仏壇の前で・・・

  平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


大偉とみるちゃんの仏壇の蝋燭たて火を点けた。
大偉の香炉が小さく灰が外に落ちてしまうので、お線香を半分にしてあげている。

仏壇の前に座りながら、横に置いてある小さな遺影の写真を見ながら・・・


「大偉、お前何をやってんだよ! 俺にこんな事させやがって」


と思いながら、お線香に火を点けた。


突然、涙がぼろぼろ溢れ出してきた。


明後日(12日)は大偉をお迎えするための準備をする。


大偉の好きな物を作ってお供えしよう!後でみんなで決めよう。


大偉が、喜んで家に帰って来れるように・・・家の中を明るくしよう。


この二日間は心が不安定になり、また電車の行き帰りで泣いてしまった。


みっともないったら、ありゃしない。


病気で亡くなられた方・・・

色々な事件、事故に巻き込まれて亡くなられた方・・・


色々な方々がこの電車に乗っているんだろうなぁ~。


今まで、こんな事考えもしなかった。


「人、一人が亡くなるって本当に大変だよね」


と、会社の帰り、事務所の上司と話しながら帰った事もあった。


8月2日の夕方。

外出先から、別案件の相談で上司に電話した。


最後に・・・


今日は、大偉の月命日だろ。早く切り上げて帰りな。


嬉しかった。


唯一、会社の中で大きくなった大偉を知ってる方。


昨年の9月に東京ドームで行われた都市対抗野球に一緒に行った。


格好いいじゃん!


そんなことないよ・・・と言いながら親ばかだから内心嬉しかった。


その上司も、この夏奥様の三回忌を迎えた。


自分は、奥様の命日を気にしていなかった。一緒に働いていたというのに・・・まったく情けなかった。


その日は、他にもメールをいただいた。

ありがとうございます。


大偉、この間お願いした事やってくれたかな?

今、何をしているの?

みるちゃんと一緒なの?

二人ともほんとに男前の優しい顔をしている。

性格は顔にでるからね・・・

私も、穏やかに家族と過ごしていこう。

みんなで支え合い、助けながら・・・

時には支えてもらいながら・・・

2011年8月9日火曜日

9日(火)晴れ  起きて・・・

  平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳
 
電車待ちでホームに立っているだけで汗がじわじわと流れ出てくる。


連日の甲子園。

朝から晩まで野球をしていた頃を思い出す。

今年は、何故か気合いの入れ方が違う。

10年振りに出場した習志野だからかな?

会社でも、帝京高校や、地元大阪を応援している社員がいて仕事そっちのけ?で話題になっている。

甲子園に見に行きたいなぁ~。

家内には、習志野が甲子園に出たら見に行くからと言っており、一応了解を得ているが・・・今日も念のため言ってみた。

ちょっと反応が変・・・?

大偉の送り火があるから18日の試合かな? 16日に行くのはね・・・。

だとしたら、準決勝が18日、ついでに19日の決勝も見たいなぁ~!

良い?

反応は変だが、「うん」と言った気がする。

扇風機の音であまり聞こえなかった。

体調も良くないせいか、声もいつもより小さめだったからね。

本当は習志野高校の応援に行きたいんだけど、たまたま、迎え火の日が2回戦。

勝てば、送り火の日が3回戦となる。

大偉が行かないで!って言っているのかな?


今年は、どうしても行きたい。


7:33分初の電車に乗るため梅郷駅にいた。

毎朝、一番に家を出る人に合わせ全員が起きてくる掟なのに、何回もリビングからブザーを鳴らしても娘は起きてこなかった。

電車の時間があったので、声をかけずに家を出た。


ものすごく嫌だった。


大偉の時と同じ繰り返しはしたくはない。


外から娘にメールを入れた。


6月2日の朝の事。
 布団にくるまっていたから何も言わずに家をでた。体はもちろん、その日の朝、顔も見ていない。
 雨が、降っていたんだけど・・・


夕方、何も言わない、動かないお兄ちゃんと搬送先の病院で会う事になった事。

事故なんて突然起きる事。

お兄ちゃんに声をかけずに会社に向かい後悔している事。

こんな思いは二度としたくはない事。

必ず、声をかけてから家を出ようと決めた事。

だから、面倒でも「起きて!」と伝えた。


昨日は自分の部屋で寝た娘は、今日はリビングで私がブログを書いている横で寝ている。

すぐに起きれるからだろう。

私からのメールを読んで、自分なりに考えたのかな?


このメールを打ちながら、電車の中で当日の大偉の事を思い出し結局浜松町駅まで泣いていた。


ハンカチで目を押さえながら・・・。


あの時なんで起こしてまで、声をかけなかったのだろう?

「大偉。雨が降ってるから、バイク気をつけるんだよ」と・・・

本当に、後悔している。

まだ、一緒にいれたのに・・・

リビングで一緒に横になって眠って入れたのに。

ごめんね、大偉。

・・・。

本当に、ごめんね。悲しませちゃって。

8日(月)晴れ  お水・・・

  平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


今日も蒸し暑い日だった。
朝、外出先へ向かう上野駅からの歩き・・・背中がじっとり。


7月16日(土)七七日忌法要

お仏壇のご本尊に魂入れのお経をしていただいた。


大偉の小さな湯のみに毎朝水を入れるのは、私の役目となっている。

みるちゃんの時から・・・。

以前は、前日の湯のみのお水を部屋の中にある木にあげていた。

ただ、捨てるのでなく土に返すという意味で・・・葬儀屋さんが言っていたからだ。

ここ最近は・・・


新しいお水を大偉とみるちゃんにあげてお線香がなくなると、お水をコップに移し、みんなで飲む事にした。


最近決めた。


そして、また新しいお水を湯のみにいれる。

実家にいた頃、親父とお袋は仏壇のご飯を家族に食べさせた。子供の頃はあまり好きではなかったが、食べていた。
その事を思い出した。


うちでは、「お水」にした。


家内と娘は一口。

私は・・・
自分のための一口。
 この先も自分が家族を支えて行くために健康第一。

家族のための一口。
 家族が仲良く健康で過ごせるようにと。

両家の両親と、兄妹夫婦家族のための一口。
 いつも近くで支えてくれる感謝の気持ち。

親戚のための一口。
 いつも優しく見守ってくれている。 

大偉に係わった人たちための一口。
 大偉に係わってくれた方への感謝の気持ち。

大切な・・・のための一口。
 私の大切の人への気持ち。

と数えたらきりがないが、六口を分けて、思いながら水を飲む事にしている。

最後に、和室から南の方角に手を合わせる事もした。

実家の方角とウグイスが鳴いているところだから・・・。


大偉。

ちょっと助けてもらいたい事があるんだけど・・・。

お父さんが言いたい事は、もうわかっているよね?

お父さんには、力が足りなくて全部を助けてあげる事はできないんだよ。

大偉の力が必要なの。

お願い・・・大偉。

2011年8月8日月曜日

7日(日)晴れ  お坊さんと二人・・・

  平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


今日は、朝から蒸し暑い日だった。

甲子園 習志野高校×静岡高校の試合を見るためam7:00に起きてスタンバイ!
寝坊して、足の小指をぶつけた子もいた(笑)

試合開始・・・


習志野高校2回表・・・スクイズが決まった。先制点。


やったー!


思わず大きな声を出した。


2階で洗濯を干していた家内が降りてきた。

「2階まで、大きな声が聞こえてるよ」・・・

1階の窓を見ると全開。

お隣さんまで、当然聞こえている・・・

その後の、家での展開はアウェイ状態でゲームが進む・・・。

結果6対1で勝利した。

その後は大偉と娘の携帯ワンセグに切り替わってしまった。

大偉も応援してくれたかな?


7月23日

大偉のお友達からメールが届いた。

何日か前に大偉とお坊さんが二人で話しているところだったという。


お坊さんが大偉に・・・


「今、何か思うことありますか?」って聞くと。


大偉は・・・


「みんなが笑っていればいい」


って言って、私達家族とその子の笑っている顔を空に映し夢から覚めたそうです。


犯人の事じゃなくて、みんなの事を考えてくれているのが嬉しくて、これからも犯人に対する気持ちは変わらないけど、憎しみの気持ちだけで生きて行く事を大偉は望んでいないと書いてあった。


大偉とお話ししたお坊さんは、お通夜・告別式とお経をあげていただいたお坊さんでした。

格好は合気道の格好をして微笑んでいたそうです。


そのメールをもっら時、泣けて泣けて・・・涙が止まらなかった。

こうして書いている今も。。。


6月2日からは・・・


大偉の姿もない。

声も聞こえない。

見ることも、話すこともできない。


こうして、「死」は突然やってくるのかな?

わかっていれば・・・とめられたのかな?


大偉。


悲しすぎるよ。


人生で、これ以上の悲しみはないなぁ。


なんで逝っちゃったんだよ。

なんで?


「みんなが笑っていればいい」

大偉らしい答えだね。

2011年8月7日日曜日

6日(土))晴  62・・・

  平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


今日は、朝からウグイスが鳴いていた。何かを伝えているかのように・・・

大偉の事で、朝から出かけた。
色々な事を話さなければならない。

am7:00 家内の兄からのプレゼントでリストバンドがポストに入っているとのメールが家内にあった。

私は、まだリビングで寝ていた・・・

am7:30に起き、ポストに取りに行った。

ピンクのリストバンドに、「62」と緑の数字が刺繍されていた。

ピンク・・・大偉の好きな色

「62」・・・6月2日

みどり・・特にはないかな?

兄が、私達家族のために作ってくれた。


兄からの電話に、娘が答えたのが、ピンクと「62」だった。


娘は、大偉の事をいつでも思い出せるように・・・、感じられるようにと思い、ピンクと「62」を伝えたのでしょう。


私は、「62」・・・? なんで?


家内に聞くまで気がつかなかった。

全く、鈍感にもほどがある男である。

綺麗なピンクと「62」の刺繍である。



お昼前に、大偉にお線香をあげに来てくれた友達。

あいにくの不在で、そのまま帰っていただく事になってしまい大変申し訳なかった。

ゴメンね。


明日は、甲子園2日目

習志野高校×静岡高校との初戦(第1試合)が行われる。

応援グッズをもらった。

今年は、習志野高校が出場するので特別な思いで応援をする。

大偉は、あまり野球は好きではない。

大偉!・・・ちょっとでいいから一緒に応援してね!

家では、野球を見ることがアウェー状態である・・・

2011年8月6日土曜日

5日(金)晴  心のこり・・・

  平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


2011年6月2日 夜 柏警察書。

交通課の方から、死体検案書はありますか?と待合室で待っている私達に聞いてきた。

死体検案書?

大偉を千葉大で解剖するため必要な書類とのこと。

いや、ありません。

じゃ、今から慈恵に行って取りに行ってください。警察の車に乗り家内と娘が取りに行った。

お父さん、これから息子さんの棺を用意していただけませんか?

えっ、今からですか?

どこか、葬儀を頼もうとしているところはありますか?

かなり、遅い時間。

葬儀を頼もうとしているところなんてありませんが・・・

家内に、今から棺を用意しなければならない事を言った。

明日の朝に、千葉大に搬送するためだ。

慈恵の霊安室で名刺をいただいた、葬儀屋さんに棺をお願いした。

次の日・・・2011年6月3日 夕方。

大偉が、千葉大から帰ってきた。

それに合わせ、葬儀の打合せをした。

お通夜は、6月5日(日)・・・。

死亡届けを野田市役所に提出しなければならなかった。

死体検案書の左側が死亡届となっている。


記入したのは、家内だった。


慈恵にいた時に書いた書類も家内だった。

今まで、結婚してから殆ど色々な書類を書くのは私なのに、死亡届を家内に書かせてしまった。

私は、右手剥離骨折で包帯をしていた。

何も、考えずに家内に記入を任せたのだ。。。

葬儀屋さんの言うとおりに家内が書いた。

田中 大偉 と・・・。

包帯を取って、ペンを持つ事もできた。普段の字ではないが書くこともできたのに・・・。

包帯を取らず、家内に書いてもらった。

和室に安置している大偉の棺。その隣のリビングで言われるがままに書いた。

私は横にいて家内が書いている、死亡届をただただ見ているだけだった。


家内も辛かったろうに。


自分が産んだ息子の死亡届を書くなんて、夢にも思わなかったろうに。

お腹の中にいる時から、だいい、だいいくん、だいくんと話しかけていた。

産まれる時の事。

幼稚園の頃の事。

小学校の頃の事。

中学校の頃の事。

高校の頃の事。

泣いたり、笑ったり、喧嘩したり。

色々な事を思っただろうに・・・

家内には、辛い思いをさせてしまった。本当に申し訳なかった。

何故、あの時包帯を取らなかったのか・・・色々な書類を提出する度に・・、ふと思うたびに。


心のこり・・・。


家内の優しい字で・・・


(よみかた) たなか だいい
氏   名  田 中 大 偉
生年月日   平成7年1月28日 
死亡したとき 平成23年6月2日 午後5時40分
死亡したところ千葉県柏市柏下163番地1号

と書いてある。


心のこりであり、辛い思いを家内にさせてしまったが、じっとみていると・・・
家内から産まれて、家内の優しい字で締めくくってよかったと思えてくる。

2011年8月5日金曜日

4日(木)曇りのち晴  ゴキブリ・・・

  平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


今日は、朝からてんてこまいだった。
2日間外出していたので、メールの処理に追われながらの問合せ、資料作成などなど・・・

余計なメールは・・・無視!

それでも、中々終わらず会社を出たのが、22:00だった。

3月までは、当たり前の時間だった。むしろもっと遅かったり、徹夜もあったくらいだったが、4月以降ははじめての時間だった。

野田線・・・

梅郷に間もなく着く頃・・・右からの視線。

見ると、大偉の中学の時の先輩だった。

こんばんは!

と声をかけて来てくれた。

色々可愛がってくれて、大偉が亡くなってからも何度も来てくれた。

とても元気そうで安心した!


7月31日の深夜・・・

前日のブログを書き込んでいた。

深夜3:00を回っていたのかな?あまり覚えていない。

ようやく書込みが終わり寝たところに・・・地震!

ちょ~びっくり。

飛び上がり。大偉とみるちゃんのところにいった。

二人とも、地震が大嫌い。

骨壷に手をやり、横目で液晶TVが倒れないか、見ていた。N葉が起き押さえて~!。

地震が静まったのを確認して、また寝た。

この日は墓石のデザインを決めに行かなければならず、ゆっくり寝ていられなかった。

夢・・・。

私は、合気道のA藤師範と私の家のリビングで大偉の事を話していた。

他にも違う来客がいた。

・・・・・ゴキブリ

大偉!・・・ゴキブリとって!

「え”っ~」と言ってる大偉にゴキジェットを渡した。

早く!

目が覚めた。

大偉が亡くなってから、はじめて大偉の夢を見た。

顔はわからなかったが、大偉と会話した。

ゴキブリの夢だったけど・・・大偉とつながった。嬉しかった。

今日、電車であったT花君も大偉が亡くなってすぐに夢を見たと言ってた。

もう一人の子も、お坊さんと話してしている夢を見たと言っていた。

大偉。

夢に出てきてくれてありがとう!


本当は、夢じゃくて・・・会いたいです。


あって、ムギュって抱きしめてやりたいよ。


でも、それはできなんだよね。そう思うと悲しいよ。切ないよ。


もっともっと、抱きしめてあげればよかった。


最後に触ったのは、ドライアイスで冷えた大偉の手、足だった。

傷はあったが、化粧して綺麗にしてもった顔。綺麗な手。


・・・別れる最後に、大偉にキスをした。

2011年8月4日木曜日

3日(水)  母から子へ・・・

  平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


昨日に引続き、豊洲の事務所に向かった。
月命日ほどの悲しさはない。
やはり、月命日はそれなりに違うみたいだ。

3日の朝・・・am5:30.

事故現場にいた。


月命日の前日・・・お線香をあげに行きたいとの電話の内容だったが、あいにく都合がつかず断った。

彼らは、せめてとの思いで、出事故現場に向かったんだろう。5本のタ〇コがおいてあった。

みんなありがとうね。バイク、気をつけてよ。


物心がつき、だんだんとしゃべられるようになった頃。

中々、野菜を食べられないでいた大偉が、しまいには・・・「きらい」という言葉をはっした。


家内は・・・

大くんは、お友達から「きらい」と言われたらどう思う?

嫌でしょ?

食べ物だって一緒だよ。

食べる前から「きらい」はダメだよ。食べてどうしてもダメならしょうがないけどね。少しでいいから食べてからね。


だから・・・


「きらい」 ではなく


「にがて」


という言葉を家内は子供達に教えた。


家内はきらいという言葉が好きではない。子供達にも、きらいという言葉を使ってほしくなかった。
食べずきらいな子にさせたくなかった。

また、お箸の持ち方や、お箸を持っていない手はちゃんとお膳の上に添えるなどして、手をテーブルの下に隠しておかない・・・など、そういった躾は煩かった。

大偉っ、躾という字は、身に美しいと書くんだよと何度も何度も教えた。

大偉が大きくなっても、きらいという言葉は聞いた事がない。


母から子へ受継いだ言葉の一つだった。


大偉。

そっちの世界の食べ物はどうだ!

ちゃんと食べているか?

苦手な物は?・・・やっぱりトマト。

まっ、しょうがないか。

何か、ほしい物や、食べたい物があったら遠慮なく言うんだよ!みるちゃんにも伝えてね。

それから・・・

相談したい事があるから、お願いね!

じゃ、お休み。

2011年8月3日水曜日

2日(火)曇り  おきて・・・

  平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


携帯のアラームをセットした。

16:12分と17:40分に・・・・

16:12分・・・事故した時間
17:40分・・・死亡と救命救急士から告げられた時間

(事故した時間は、大偉がガソリンスタンドのカメラに写ってる時間とバイクの速度、現場までの距離から警察が割り出した時間)

2日の日は必然に親会社(豊洲)に行き、作業をした。事故当日もそうだった。

朝、有楽町線に乗り豊洲に向かう。

あ~ぁ、事故した当日もこの電車に乗っていたな。

家内からの突然の電話・・・

地下のため、駅構内でしか繋がらず・・・ものすごい嫌な胸騒ぎ。

構内に入るタイミングでメールをする

事故・・・?

やり取りした事を思い出した。とても辛い電車だ。

本当は、3日~4日の作業だったのに、急遽2日~3日の作業となった。

これも・・・必然なんだなと思った。


今日は、大偉の2回目の月命日になる。

もう2ヶ月?まだ2ヶ月・・・時がゆっくりと流れている感じがする。

まだ、やりたい事があったろうに・・・

大偉・・・。

まだ、教えてあげなければならない事がたくさんあったのに。

まだ、色んな事を一緒にしたかったのに。

まだまだ・・・

天国に行くには、ちょと早くないかな?

大偉はなんでも突然何だから・・・お父さん、今回はちょっとキツイよ。

大偉に何を教えてあげられたのかな?

大偉に何を伝えられたのかな?


大偉が亡くなって思うことは・・・・


教えてもらったのは・・・お父さんだった。

伝えてもらったのも・・・お父さんだった。

大偉から、色んな事を学んでいた事を亡くなるまで気がつかなかった。・・・ごめんね。


ちょっとした事での喧嘩。

何で分からないの・・・?

何でもっとわかってやる事ができなかったのかな・・・。

わかろうとしなかったのかな・・・

ごめん。

ちょっと、煩すぎたね。


本当に、本当にごめん。


だから・・・逝っちゃたの?


大偉。

また、お父っ~って呼んでよ。


尊敬している方のメールを掲載します(無断ですみません)

以前、H嘉先生や他のスピリチュアルに関心のある人達と話しをした時に、人の寿命について話した事を思い出しました。

この世は皆、足りないものを補う為に魂の修行しに来ている。
この世を早く去ってしまう人は、現世では寂しい事ですが、精神世界では素晴らしく早く修行を終了された極めて卓越された魂のようです。

大偉くんって、皆を一つに繋ぐ素晴らしい力を兼ね備えていたんですね。

最後に・・・

辛く理解し難いかもしれませんが、私は田中さんのブログからそう感じました。

と締めくくってあった。

メールをもらって何度も何度も読み返した・・・

いただいた、メールの通りだと思う・・・が、

ちょっと、早いよ!

家内が前に・・・大偉は、世の中の16歳の男の子がする事、結婚以外はすべてしたんじゃない?と言った事があった。
とても凝縮された人生だったのかなぁ~と思った。


13日の稽古には、みんな大偉に会いに来るからね。楽しみにしていてね。

大偉が私たち家族を繋ぎ止めて、色んな方達とつながり合わせているんだね。

大偉・・・たいした男だよ。お前は・・・。お父さん、大偉を尊敬するよ。

友達からも、メールや電話があるんだよ。

みんな、大偉に会いたくてお父さんの携帯やメールアドレスを探してね!

大偉・・・

「まるものおきて」っていう番組知ってるでしょ?

うちも、おきてをつくったんだよ!

事故当日、大偉が寝ていたから声をかけずに会社にいったら、9時間後、無言の大偉と会うことになった。なぜ、起こしてまで声をかけていかなかったのかとものすごく後悔している。

だから、つくったの。

おきてはね・・・一番最初に家を出ていく人に合わせて、全員が起きる事。必ず声をかけて家を出て行くこと!
N葉は、眠たい眼をこすりながら起きてくるんだよ(笑)

それから・・・大偉とみるちゃんのお水を、朝飲んで出かける事!

N子さん!
ウグイスは、今も元気に鳴いていますよ。
家に来ていただいた時もすごかったですね!
最近も、その時以上に鳴いて、鳴いて、何か話しかけているように鳴くんです。
N子さんが言ったように、あのウグイスはきっと大偉ですね。

大偉の友達も言っていました・・・亡くなった人は、この世の何か生まれ代わって会いに来るって。
大偉はウグイスになったんだと。

大偉は、みんなの心の中で生きているんだと感じた、2回目の月命日だった。


2011年8月2日火曜日

1日(月)曇り  青春・・・

  平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳

今日、中学の時からのお友達と、お母さんが大偉にお線香をあげにきた。

その子は、大偉と同じバレーで中学時代は共に汗を流し戦った、川間中のキャプテンだ。

大偉の南部中と川間中は市内大会で必ず決勝に勝ち上がる、市内では強豪校。

取られては、取り返すといったシーソーゲームを繰り返し、声援を送る親達は、冷や冷やしながら見ている。

その彼の事は、私達家族もよく覚えている。大偉には、負けるが?イケメンです。

高校はお互い別々の道に進んだが、「バイク」という共通の趣味を持ち、時にはツーリングに出かけたりもしていた。

バレー部を通して知り合い、後に親友となり、これから先も長くお付き合いするはずだった・・・。

大偉が亡くなり、自宅に戻ってきた日の夜・・・

お母さんの車に乗せられ、お線香をあげに来てくれた。

彼は、大偉の顔を見るなり、止め処なく流れる涙を、両手で拭いながら、帰るまで泣いていた。

中学の時のバレーの思い出、バイクでのツーリングの思い出、たくさんの思いがこみ上げてきたのでしょう。近くまた遊ぶ約束をしていた・・・

今日も、お線香をあげるとき、涙を流していたという・・・。

今日は会えなかったが、その彼は優しい顔をしている。

本当に、ありがとうね。また、来れたら遊びに来てください。




夕方、私の携帯がなった。見慣れない番号?

最近は、携帯に登録していない番号でも、受けるようにしている・・・。

N安です!(高校の友達)

あの、明日・・・大偉にお線香をあげに友達5~6人で行きたいんですけど・・・という内容だった。

先月も、月命日に合わせ来た。(やる事が「にくいよなぁ~」・・・!)

あいにく、明日は不在で誰も対応ができないためお断りをして、別の日に変えてもらった。

先月も事故現場に立ち寄りみんなで、幸楽苑でラーメンを食べて帰ったという。

みんな、本当にありがとう!

大偉。

みんな来てくれたよ!よかったね。

見えているかい?

お父さんも大偉にみんな会いに来てくれて嬉しいよ!

お線香を直接あげに来れなくても、大偉を思ってくれる人はいっぱいいるんだよ。

お父さんに沢山の電話や、メールが届いている・・・みんな大偉の事を思って。

じゃ、またね。

みるるはどうしてる?元気かな・・・





2011年8月1日月曜日

31日(日)曇り  沢山のお花・・・


  平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳

今日は、お墓のデザインを決めるため、霊園を訪れ石材屋と打合せを行った。
デザイン案は家内が考えた。

私としては、ものすごく気に入っている。

デザインの意味などは、後日掲載させていただきます。

夕方は、ニツ塚合気道研究会に1年以上も顔を出していない・・・

大偉も発足当時からの会員で、大偉と遊んだ子供達も多い。

中々、会葬のお礼に行く事ができず今日になってしまった。

発足当時に入門した子達は、立派になって顔つき変わっていたが、指導をしていると「ハイ!」と大きな返事を返してくれる。

「大偉っ~、大偉っ~」って駆け寄ってくる姿を思い出していた。

今日が、審査日で審査内容をみる事はできなかったが、・・・子供達は十分に大偉の事を受け止めて審査に向かったと、同会長のI川さんからメールをいただいた。

みんな本当にありがとう!大偉も天国で一緒に稽古しているからね。

先日、大偉の夢を見たというメールでは、道衣姿だったという。

家族で、事故現場にむかった。

私達がたむけたお花以外にもあった。

月命日には来れないが・・・と言う事で今日来たのかな?

見なれた「お花」があった。

あれっ?・・・もしかして。

先月の月命日にお父様の車に乗せられて、たむけに来てくれたS武台高校のA先輩じゃないの?

家内も同じ事を言った。

他にもあった。

直接、あってお礼できないのが残念ではあるが、本当にみんなありがとうございます。



大偉!

みんな大偉に会いに来てくれているよ。

お父さんと、お母さんは直接あってお礼できないから、大偉がちゃんと挨拶しに行くんだよ。

じゃ、お休み。