2016年12月9日金曜日

9日(金)晴れ・・・写真の向こう側

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


あれ以来・・・下の和室で寝ている。

大偉が無言で寝ていた和室。


同じ場所に布団を敷き・・・。


N-nhaの晴れ着をたたむため、部屋を掃除した。


みなさんからいただいた、弔電。

また、大偉に宛てた手紙・・・


そんな中、斎場の葬儀祭壇の写真を開いて見ていた。


写真に納められている大偉の姿。


息子の祭壇をつくらなくてはならないとは・・・

そのために、墓石を用意しなければならないとは・・・


生きていれば、何気なく見る写真だろうし、写真が言葉を発する事もない。


でも、肉体として現世にいない人の写真というのは、とても重く感じる。


言葉を発する事のない大偉。

もう写真の中でしか見る事ができないのでしょうか?


祭壇の一番上で何をやっているのかと、涙がとまらなかった。


来年は22歳・・・

でも私の中では、あの時の大偉で止まっている。


ZEPHYRが戻ってきたりと、すこしずつ時間が動き出してはいるのだが。


私も、もっとやれる事はあったなぁ。

もう少しできていればと、情けない気持ちと、やるせない気持ち・・・

申し訳ない気持ちなど、色々な気持ちが入り混じる。


大偉、みるちゃん・・・今年の冬も、寒くなりそうだね。

明日、みんなで会いに行くからね。





2016年12月5日月曜日

5日(月)晴れ・・・来年は・・・

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



私は、一旦現場から帰ってきてスタジオに出かける準備をした。


家を出る予定時間よりも少し遅くなってしまった・・・間に合うかな~。


幸い、柏まで道も空いていた。

10:15からN-nhaはヘアメイクと着付けに別部屋に入っていった。


私と家内は1時間30分くらい時間を要するので、近くのマックで軽食を食べた。


天気は快晴・・・

とても暖かく良い日だった。



少し、早めに戻って・・・11時30分過ぎかな?


お待ち同様です。

とても綺麗ですよ・・・と着付けの方が呼びにきた。


わぁ~すごい。

親ばか?


でも、実際に来た姿は、購入の時にどっちがいい?って送られてきた写真だけ

だったので、きちんとメイクして着付けした、N-nhaの姿は、とても綺麗だった。


カメラ撮影の時は、同じ部屋で見ていれるんだけど、N-nhaの大きくなった姿をみながら、心の中で家内に


「ありがとう」

「ここまで、N-nhaを育ててくれて、本当にありがとう。」

と何度も、何度も、心の中で伝えた。


面と向かって言うのは、ちょっと恥ずかしいから・・・・


でも、最近は・・・


特に今年は、家内に感謝する気持ちは強くなっている事は間違いない。


この気持ちは、言葉できちんと、今年中に伝えようと思う。


来年の成人式を迎える一か月前になり、あんな小さな子がと感じていた。


大偉もみるちゃんもきっと喜んでいる事でしょう。

来年の成人式は、また特別な式になりそうです。















2016年12月4日日曜日

4日(日)晴れ・・・Xmasのお花

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


7:20am・・・現場に着いた。


前日に家族で、大偉とみるちゃんに会いに行ってきた。

その時に買った白い菊の花を持って向かうと・・・・


ちょっと現場が変わっていた。


歩道の舗装が拡張? ちょっと違うな・・・

でも変わっていて、花瓶の置いてある位置も変わっていた。


直ぐ横は畑・・・

その中にだいぶ入り込んでいたので、ちょっと手前にだした。


花瓶の中には、可愛いサンタさんとトナカイの飾りが付いたお花が

手向けてあった。


他にも、別の方が来てくれていた形跡もある。


この場でしかお礼を言う事ができません。

何方か、わかりませんが・・・いつもありがとうございます。


あれから5年経つのに、今でも現場に足を運んでくれるお友達がいて

大偉は幸せな子だと思います。





当時の電柱もなく・・・少しずつ変わってきているが、この場所に大偉がいた事は事実です。


時間とお金を使って、来て下さるお友達には、申し訳ない気持ちです。


なんのお礼も出来ずすみません。



2016年12月3日土曜日

3日(土)晴れ・・・晴れ着

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


先月の19日に、N-nhaの晴れ着一式が自宅に届いた。

その日の夜に和室に織しわやしつけ糸を取るため、専用のハンガーにかけた。


家内とN-nhaを晴れ着を決めに柏のお店から来ている姿を送ってきたので


写真では見てはいたが、実際に目の前にあると、綺麗ですごい。。。



明日は、前取りのため柏のスタジオに行くので、みんなでたたんで支度をした。


明日の前撮りが凄く楽しみ!


N-nhaも来年は、二十歳!





2016年8月20日土曜日

20日(土)曇りのち雨からの晴れ・・・お墓

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


8月から今日まで、会社の事や精神的な事で、ブログに手をつける余裕がなかった。


今ではそうだった事にしている感がある。

やろうと思えばできたのに・・・


という事で、遡りながらブログを再開します!


先ずは8月20日(土)のBBQからです。


すっかり恒例となった野田主催のBBQ。

吹上、さいたまの他、加須、春日部からも来ていただき、今までにない人数と

盛り上がり。


子供達が多いと活気で溢れ、こちらまで元気になってくる。


子供達のパワーってすごいんだなぁ~と、あらためて感じた。



BBQの後は、いつも大偉のところへ行く。

今年は、I-ue夫妻の他、Hi-roさんも来てくれた。


Hi-roさんは大偉に会った事がないので知らない。



毎年、清水公園のBBQ会場からI-ueさんを乗せてお墓まで向かう。


車中では、その当時の事や大偉の事を話しながら向かう。


合気道をしていた頃の子供達の話し・・・

演武大会に出た時の話し・・・

2011年6月2日の話し・・・

様々な事を話す。


あれから・・・5年


多くの人に支えられてここまでこれた。


回りに誰もいなかったら、立ち直れただろうか?

今でもどうだったかな?と思う。



いつかまた、大偉と合気道ができる日を楽しみにしている。


その時は、またみんなで道場に集まろうね。



2016年7月10日日曜日

10日(日)晴れ・・・迎えに

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


2016年7月10日 晴れ・・・7:00am


ZEPHYRにまたがり、出発したのは現場。


一つの区切りとしてZEPHYRで大偉を迎えにいきたかった。


もう、きっとこの場所にはいないんだと思うけど


この場所から家までの道のりに2011年6月2日以降、足跡がない。


その足跡をどうしても繋げたかった。


昨年の6月2日迎えに行こうと思った矢先に肉離れ・・・

今年は、ZEPHYRのキャブレター故障。



いつもは車で行き、停める場所も決まっているんだけど


今日は、R16号を千葉方面に向かい柏の葉ららぽーとの駐車場前を通り、

ぐるっと回り若柴の交差点を左折。


信号待ちからの左折・・・・

大偉は、千葉方面からの直進(当時は停車)


左にENEOS・・・

大偉の映像を思い出しながら、私も大偉のZEPHYRにまたがり映っている。


「幸楽」と「鉄板焼き」の駐車場に入るが、いつもの場所ではなく、

お花を手向けてある場所から、近い所に停めた。




大偉・・・見えるかな?

もう少し、理解をしてあげても良かった・・・ごめんね。


私もいつまでZEPHYRに乗れるのかわからないが、できる限り乗って大偉と色んな所に行きたいと思う。


多くの人がこのZEPHYRに携わり、今日を迎える事ができた。

それにしても長かったなぁ~・・・

5年1か月と10日。


ようやくこの現場から家までの道が繋がった。


大偉が走っていたはずの道。


一つの区切りとして、今まで思っていた事を成し遂げられた。


みなさんに感謝したい。

ありがとうございました。


一つの胸の支えが取れた気がした。


大偉と2人で帰っきたのは8:00am過ぎだった。









2016年7月4日月曜日

4日(月)晴れのち雷雨・・・こうなるとは。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝に、現場まで行きお花を手向けた。

私が前回手向けた花の形跡は全くなし。いつもの方のお花が手向けてあった。

きっと私の花を片づけてくれたのだろう。

こんなに朝早く手向けにいくなんて、事故があった1か月くらいの時くらいかな?


まさか、自分の息子がこんな事になるとは思ってもみなかった。


事故・・・

突然起きる。

注意していても・・・

「突然の死」とは、何とも言えず・・・不幸になる。


不幸にする。


帰ってきてZEPYERをメンテしながら、なんで俺が大偉のZEPHYRをメンテしなければならないの?

大偉が好きで買ったバイクなのに・・・と思いながら。


きっと今でも乗っていたんだろう。


もっと、一緒にメンテしてあげればよかった。


このZEPHYRだけはずっと私が乗り続けるのだろう。


大偉は私の姿をみてどう思っているのかな?








2016年7月3日日曜日

3日(日)晴れ・・・戻ってきた。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ZEPHYR が6/18の土曜日に戻ってきた!

今回は、キャブレターのOHとタンクの錆び取り・・・などなど。


一時はどうなるかと思うほどであったが、直ってきたら調子が良い!

オイル交換とエレメントも交換しようと思い、自分でできるのかな?

YouTubeで検索して何度も見てた。


何となくできるのかな?

オイルを抜く箇所とエレメントの箇所を確認したが・・・えっ、マフラーが邪魔している!

オイルはまぁ・・・何とかできるかな。

エレメントは完全にマフラーの真上にあって抜ける隙間もない。


一応、バイク屋さんに確認したら、まさにその通り・・・

え~・・・エレメントの交換のたびに外すの?

マジかと思いながら、色々と聞いた。

ところが、今度はオイルキャップが固くて回らない。


どうしよう?


朝起きたら・・・ひらめいた。


割りばしを2本を輪ゴムで挟み、折れないぐらいにゆっくり、ゆっくり慎重に力を加えていくと・・・


まわった!

ようやく外れた!

これでZEPHYR側の準備が整った。


あとは、オイルと部材を購入するのみ。


マフラーから外して挑戦する事になる。


それにしても、もっと早くバイク屋に行けば良かった・・・


H-nataのお父さんありがとうございました!

これからもよろしくお願いします!





2016年6月8日水曜日

8日(水)晴れ・・・お心遣い。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


火曜日クラスの稽古から帰ると・・・


I-ueさんからのお心遣いの品が届いていた。

毎年、大偉のために嬉しく思う。


御礼のメールをいれさせていただきながら、



途中、ZEPHYRの事、大偉への事が記されており、以下の言葉で締めくくられていました。


================================

「毎年6月は人の人生を、生き方を、あり方を、考え悩み問いかける時です。」

================================

この言葉を読んだ時、一年を通して一番考える月だなと、本当に感じました。

人生・・・・

命って・・・

生き方・・・

とは、何だろうか。


あっという間に、言葉を交わさず旅立ってしまった大偉。

あの時、何で電話をするのを忘れてしまったのだろう?

思った時にすぐに電話をしていれば、もしかしたらこんな事にはなっていなかったかも知れない?


大偉の生き方を通じて、もう一度自分自身に問いかけてみようと思った。





 

2016年6月7日火曜日

7日(火)雨のち曇り・・・どんな気持ちだったのか?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



5日の午後にバイク屋に向かう私の後ろを家内とN-nhaが車でついてきたんだけど・・・

ZEPHYRに乗っている、私の後ろ姿を家内とN-nhaにはどう映ったのかな?

しかも一年の中で特別な月なのに・・・。

その後、私からも家内、N-nhaからもその事には特に意識もせず触れなかった。

でも、決して良い気持ちではなかったろうに。


N-nhaは、前に踏み切りですれ違った事があったし、何度か見ている。


ただ、家内はバイクをいじっている姿は見た事はあるものの、ZEPHYRに乗っている姿ははじめて。


こんな姿を、親父に見せたら絶対に反対するし、当時の事を思い出して

倒れてしまうかもしれない。


あまりのショックで大偉をお見送りする事もできずいたからね。


でも、大偉が最後に乗っていたバイクなので・・・・複雑な気持ちはあるが

できる限りメンテして乗り続けようと思う。


 

2016年6月6日月曜日

6日(月)曇り・・・30年経っても

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


TVで、30年前の4月8日のお昼にビルから飛び降り自殺をした

岡田有希子さんのファンが集まっていた所が流れていた。


日本のみならず、海外の方のファンも多く、岡田有希子さんをしらない世代の子までもいた。


当時、私は高校3年生・・・

野球部の中に大ファンの人がいたので良く覚えている。


毎年集まる人は少なくなっているのかもしれないけど、30年経っても今なお

こうしてその日のその時間に集まって黙祷をしているなんて、ファンの力って凄いなと感じた。


私が、後25年・・・


もう、74歳だよ


ZEPHYRも乗っているのかな?



今日は、出棺。

ほんとうに最後の別れ・・・・

綺麗なお花を棺に入れ、最後にかぶせる時は手をいれて、最後の悪あがきのように蓋を閉めさせなかった。

もし、冷凍保存のようにいつでも見る事ができたら・・・

骨壺に入った骨なんかではなく。






2016年6月5日日曜日

5日(日)晴れ・・・どひゃ~、マジ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、一足早く父の日のプレゼントを私に出かける準備をしていた。

まだ、時間があったので、車を洗車してからZEPHYRのシートをまくり、タンク回りを拭いていた。


やっぱり、ガソリン臭い!


キャブレターを覗き込むと・・・

えっ!

ぽたぽたとガソリンが漏れているではないですか!


すぐに、昨日修理してもらったお店に電話した。

キャブの上と下の皿を外したが、パッキンはそのまま使ったみたい。

あぁ~、支払った1万円は・・・・・


まぁ、今までも色々と良くしてくれていたので、ぐっと堪えて


知り合いの方のショップへ駆け込むように受け入れをしてもらった。


はじめから、ここに持ち込んでいればなぁ~とは思いながら、色々とお話しをした。


その後は、家族でお墓参りをして実家に!


調子を崩していたので、プレゼントだけ渡して帰った。



そのまま、酒々井アウトレットに行って買い物!

酒々井ICで降りるはずが、ZEPHERの事を考えながら運転したら出口を過ぎてしまった。


幸い次の冨里ICがちかったので、リカバリー。



帰りはR6を呼塚で右折してR16に入った。


MAXValueが右手に見えるところで信号待ち。


2011年6月2日・・・日付が変わり3日になっていたが24時間営業のこの店で

お花を買って手向けに行った事を思い出していた。


この日はお通夜で、21:00頃・・・

来てくれたお友達がみんな家に帰ったのを確認したかのように

涙雨が・・・



現場にお花を手向けていただいた方へ。
いつもありがとうございます。

こんなかたちでお礼をお伝えする事しかできません事をお許しください。




2016年6月4日土曜日

4日(土)晴れ・・・直った

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


先週の土曜日にZEPHYRのエンジンがかからなくなり、一旦修理。

稽古が終わり、引き取りに行った。


やっぱり、何年も乗っていなかったからタンクの中に錆びができていて

詰まってしまっていた。

外付けフィルターはもう使い物にならない・・・

取り合えず、エンジンがかかるようになった。


ガソリンを満タンにして、お墓に向かい今日はここで帰ったが・・・


何かガソリンの匂いがする?



2016年6月3日金曜日

3日(金)晴れ・・・がんばったね。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



5年前は、朝早くに柏警察署から大偉を千葉大に送った日。

今週はとても辛い日を思い出す1週間となる。


自分でも色々と調査するために、松戸区検に何度も通い調書をコピーした。


コピーをしながら所々読み、被疑者を確認し・・・

時には目を覆ってしまいたくなるような写真もある。


硝子張りのコピー室・・・


事務室からは、中の様子が丸見えではあるが、涙を流しながら

コピーをとっていた。


こんな事までするのか?


司法解剖をしなければ、死因の特定はできないと言われたが・・・


その写真をはじめて見せられたのは、柏警察署内の取り調べ室。


ほんとうに一瞬目を背きたくなるような写真ではあるが、これが大偉の姿だと堪えてみた。


なんでこんな事になってしまったのか?

考えても考えても・・・・考えても


答えはない。



今でも、柏警察署から大偉を乗せたワゴン車が千葉方面へ緩やかな坂を上がっていく様子と

当時中3のN-nhaと家内の「がんばれ!」という言葉が残っている。


同じ日の朝に流れたニュースは今でも保存している。


2016年6月2日木曜日

2日(木)晴れ・・・’16 6月2日

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



いつもより少し遅く起きたが、5年前の今日は朝から雨が降っていた。


みるるが旅立ってから、みんなリビングで寝ていて、大偉の寝顔を見ながら会社に向かった。



あの日は、雨から夕方にはやんでいた。

2011年は6月2日までは、天気がとても不安定で雨の日が多かったが、

翌日の6月3日には晴れた。



2012年からは6月2日は晴れ・・・。

大偉が晴れにしてくれているかのようだ。


家内とお墓に行き管理棟にあるノートに目をやると

同じ自動車大学校のT-go君の名前が書いてあった。

顔は、わからないが何度か大偉の事でメールをした子。

夜にお礼のメールを入れたが・・・5年前のアドレスだったので、

メールが届かず送信ができなかった。


この場をかりてお礼申し上げます。

ありがとうございました。



現場には、ZEPHYRで行って道を繋ぐ予定でいたのに・・・今年も行けずしまい。

綺麗なお花を手向け、時計に目をやると16:07。


すぐそこまで大偉がきている・・・・もう少しでここを通ると思いながら

今年は、その時間を待たずに現場を後にした。

何故だか、16:10を待つのが嫌だった。

何かが私の心の中でそう決めた。

今までは、16:10を現場で向かえていたのに・・・

どうしたんだろう?

そんな大偉を見たくなかったのかもしれない。


車を走らせながら、今、大偉はここを走っているな・・・

私の車に追いついたかな?と思いながら走った。


朝起きてから、時計を見るたびに、今の時間はこうだったな、この時間は

あぁだったなと思いながら、過ごしていた。



今年の6月2日もとても良い天気だった。






2016年6月1日水曜日

1日(水)晴れ・・・旅

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



大偉どこ旅してんのかね・・・・メールがはいっていた。



私は、遠い所にいるようで、案外寂しがりやだから、近くにいると思う。

毎年、3月くらいから心がざわつく・・・

今でも、もちろん楽しい思い出はあるが、あの時の事ばかり・・・。

私もこの事は墓場まで持っていくのでしょうね。


きっと、良い男になっていることでしょう。


毎日、多くの事故で命を落とす人がいる中、まさか自分の子供が

今まで、想像もした事がなかった。


普通は、ニュースを見て気をつけなきゃなぁと思う事はあっても、

自分の子供がこうなったら?とか自分がこうなったらとは、あまり思わないが

残された家族としては、N-nhaや家内の事を思うと、やはり色々と考える・・・。


明日が、その日だとわかっていれば学校に行かせなかったのに・・・。









2016年5月28日土曜日

28日(土)晴れ・・・ピンチ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ピンチ・・・

どころの騒ぎではないくらい、大ピンチ。


稽古に行くのにZEPHYRをだし、セルを回した。

いつものごとく、エンジンがかからない・・・

チョークをひいても、やっぱりだめ。


えっ・・・


外付けのフィルターを見るとガソリンが供給されていない。


ガスメータは壊れているので、タンクをあけて横降りして

ガソリンが入っている事を確認。


っていうか、RESにしても供給しない。


えっ~・・・マジ。


車に乗り換え、稽古場へ!


今まで乗れていたのに。


しかも、去年は右足ふくらはぎの肉離れで、現場から道を繋ぐ事を

諦めての1年越しだというのに、今年もかぁ~。


やばい・・・ほんとうにやばい。


大偉が、無理して行かなくてもいいよと言ってくれているのか?

ZEPHYRの調子が悪いから、メンテしてと言っているのか?


兎に角何とかしなければ・・・



ZEPHYRの調子が・・・という話をH-rshiに稽古後に話したら

世話の焼くバイクですね!だって。


バイクも大偉も、本当に世話が焼くよ。




2016年5月26日木曜日

26日(木)曇りのち晴れ・・・鶯

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今年の鶯は・・・

家の前の林が一気に無くなってしまった。

こんなになってしまいました ↓↓↓





少し前に、鶯の一鳴きを聞いたがこれでは今年は来ないかな・・・


GW後半の日曜日にR16の船橋--取手線・・・通称船取線を過ぎた所に

アリオ柏がOPENして前回通った時に大渋滞をしていたので、習志野の

実家に向かう際、あらかじめ我孫子側を通り迂回した。


はじめて通る道だったけど、木陰の中を走る所もあり、中々良かったし

鶯の鳴き声も聞けた。

その時が一番聞けたなぁ~。


家の目の前の林がなくなり、「蚊」がいなくなるのはよかったんだけど

これから先・・・鶯の鳴き声をこの場所で聞けるのかなと心配。


少し前の一鳴きは、とても綺麗な鳴き声だった。

大偉も少しは成長したのかな?

後は、右奥の林に期待するか。



I-ueさんの家族と、R-seyさんが家に来てくれた時は、まるで話しかけているかのように

下手くそな鳴き声で話しかけていたよね?


あの鶯は、絶対に大偉だったんだよね。


2016年5月24日火曜日

24日(火)晴れ・・・繋ぐ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


離した手は、もう一度繋げば良い・・・


少なからず、色々な人と接していると当然、離したままになっている人もいる。

そのまま離したままでよいと思う事はないけど・・・離れ方によっては、

このままでも良いかな?と思う事もある。


何かのチャンスがあれば、また手を繋げれば完全には戻る事はないにしても

何処かに残っている、わだかまりは少しは晴れるのかな?


あなたには、もう一度手を繋ぎたい人はいますか?


中々、自分からもう一度・・・

勇気を出して・・・

一歩前に進む事ができたら・・・

誰かの力を借りてでも・・・

手を繋げる事ができるかな?


大人になると・・・特に影響はないし、面倒だし、今さらもういいかなど等

理由をつけて、ないことにする事が多くなるが、


そのタイミングで、一生、手を離してしまう、取り返しのつかなくなることもある。

また、手を繋ぎたいと思う人がいれば、自然のままに「手を繋いだほうがよい」


でも、なかなか言えないんだよなぁ~。



2016年5月21日土曜日

21日(土)晴れ・・・キャッチボール

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



稽古の合間に会員の方と、キャッチボールの話しになった。


その方は、娘が二人いて今日は学校の陸上の記録会という。

たまにキャッチボールをするんだけど、ちゃんとしたボールを投げるんですよ!

もし、男の子がいたらきっとキャッチボールをするんだろうなぁ~と言っていた。


私も小さい頃に大偉とボール遊びはしていたんだけど・・・

大偉とキャッチボールをした記憶は、小学校にあがって高学年あたりかな?

当時の年齢は覚えていないけど、キャッチボールをした記憶はちゃんと覚えている。


小学校のクラブは、サッカー・・・

たまにクラスの子達と遊びで、近くの公園で野球をしていたみたい・・・。

中学では、バレーボール一筋。


はじめて、キャッチボールをした時、「ちゃんと上から投げられるんだ!」と思った。


話しながら、キャッチボールをしたんだけど、何を話したかは全く覚えていないなぁ~。


また、大偉とバレーボールをした事もあるんだけど・・・

私が下手くそで、何回も続ける事ができないんだけど、その下手くそなボールも

大偉は、ちゃんと拾って真っ直ぐ返してくる。


たまに、スパイクを打たれると全く拾う事ができない。


流石、毎日部活をやっているから、たいしたもんだな!と感心しながらバレーボールをしていた。


こうして当時を思い出しながら、書いていると、試合に出ている大偉が思い出される。


旅先でも、合気道の他にバレーボールもしているのかな?


2016年5月18日水曜日

18日(水)晴れ・・・同じ枚数

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



産まれた時に差はあっても、世の中プラス マイナス ゼロ になる。


・・・同じ枚数のカードが配られる。


「重版出来」というドラマの中での台詞。



同じような事を、大偉の事故後にR-seyさんから言われた事がある。



いつか必ず幸せがくるから・・・


その幸せは、大偉やみるちゃんがいた時に、たくさん感じていたのに・・・


大偉の事は悔やんでも悔やみきれない。


何を言っても

何をやっても

戻ってくることができない。

戻ることができない。


こうして言葉にしないとやりきれないのも事実。


二階の大偉の部屋を通るたびに、大偉の匂いがする。


大偉を成人にすらする事ができなかった。


まだまだ、楽しい年頃だったし・・・多くの事を経験してもらいたかった。


同じ枚数のカード・・・

これでも、プラスマイナス ゼロの同じ枚数のカードなのか?

このマイナスを補うだけのプラスのカードなんかいらない。

大偉を返して欲しいだけ。










2016年5月15日日曜日

15日(日)晴れ・・・頑張〇〇

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、第26回浦安市合気道演武大会・・・

毎週、たった3分のために演武稽古をしてきた。


家から往復3時間以上もかけて、舞浜総合体育館に集合した。


たったの3分・・・


各同好会が、演武内容を披露するが、熱心に見ている同好会もあれば

見ていない同好会もある。


どちらでもいいんだけど・・・


一生懸命稽古して演武する3分も、とりあえず稽古して演武する3分も

「おなじ3分」


自分はどちらの3分を選択するのか?

前に時間の事を記したが、私は同じ3分で出場するのであれば、

一生懸命稽古した3分を選ぶ。


演武・・・一つの演武構成をみんなで協力しながら作りあげていかなければならない。

心の中では、よく思わない人もいるだろう・・・

また、一から稽古・・・・

えっ、また?

合気道は好きだけど、そこまでしなくてもいいんじゃないですか?と思う人もいるでしょう・・・。


だから、会員の気持ちや、体力などをみながら、それぞれの級にあった技を

構成しなければならないんだけど・・・後は、その会員の心の奥底に眠っている

気持ちがどこまで持ち上がるかが、演武を成功に導く最高のカギとなる。


あともう少し・・・

あともう少し・・・

まだまだと繰り返し稽古する。


仕事の時も、辛く厳しい時や、もうひと踏ん張りの時に


「よし、頑張ろう!」と奮い立たせ、また仕事をするが・・・・


最近、私は・・・「頑張ろう」ではなく


「まだ、頑張れる・・・(まだできる)」と言葉を


頑張ろうから、「頑張れる」に変えた。


それは、参段審査前の稽古から。


稽古しながら、「頑張ろう」 よりも 「頑張れる・・・まだまだできる(こんなもんじゃない!)」と

いう言葉のほうが自分にあっている気がしたから。


頑張れるのほうが、少しでも前に進む(進める気がする)。


上手く説明できないけど・・・

ある程度のところで妥協は必要かもしれないが、

妥協をする前に、まだできる事はたくさんある。


だから・・・私は「頑張れる」を選んだ。


あなたは・・・・「頑張〇〇」の
の中は・・・・「る」?それとも「れる」?


自分のこだわりがぎっしりと詰まった言葉だと、私は思う。



 

2016年5月11日水曜日

11日(水)晴れ・・・現場へ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



今日は、人間ドックの再検査のため会社をお休みした。

再検査は柏で、午後からだったので家の用事を済ませ

大偉とみるちゃんに会いにいった足で、現場へ向かった。


前回の手向けたお花はすっかり枯れ果てて、見る影もない・・・


いつも来ていただいているお友達のお花の横に手向けた。



お花を手向けている場所は少し移動したが、R16は何も変わっていない。

交通量も変わりないし、大型、中型のトラックの量もいつも見ている時と同じくらいの交通量。


お花を手向け終えて、大偉が走ってきた方向へ目を向けても

大偉の姿はもちろんあるわけもない。



当時は小雨が降っていたか、止んでいたかの微妙な天気・・・

夕方ではあったが、暗くはない。

単純に走っていて、転倒するはずがない・・・

私もZEPHERが戻ってくると聞きつけ、免許を取得して乗っているが、

何もなければ転倒する事がないバイクが、「何故?」


大偉がそんな「ヘマ」をする訳がないよ!


きっと想像もつかない何かがあったといつも思っている。


それは、大偉にあって聞くしかないけど、現世では大偉との時間、

家族と過ごすはすだった時間が戻ってくることはない。


真相は、そっちの世界にいかないとわからないなんて・・・。



2016年5月9日月曜日

7日(土)晴れ・・・ツーリング!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、稽古場まで大偉のZEPHYRで行った!

前の日に、H-roshiに「明日、晴れたらバイクで道場に行くけど・・・」とメールした!


今日は、少年部、一般部ともに演武稽古の大詰めなので、早めに道場入りをした。


後からH-roshiが入ってきた・・・


稽古には、さいたまのT-bataさんも指導員演武の合わせのため顔をだしていた。


稽古が終わり・・・3人で食事をして別れたあと、


H-roshiはどの道で帰るの?

ベイシアを左折してファンケルのバイパスを通って帰ると行ったので、

じゃ、お墓に行くから、途中まで一緒に行く?と聞くと

一緒に大偉のところに行きますよ!と言ってくれたので


短い距離だったけど、はじめてのツーリングをした・・・


坂道発進は苦手なので、できるだけそこで止まらないようにしてね(笑)と

言いながら、いざ出発。

はじめて土手を通る道を走ったが、とても気持ちがよかった。


大偉もH-roshiのHornetにまたいで遊んでいたころを思い出すし、

大偉も友達をツーリングに行っていたし・・・


バイク2台で大偉に会いにきて、喜んでくれたんじゃないかな?



せっかくだったにの、写真を撮るのを忘れてしまったよ・・・






2016年4月4日月曜日

4日(月)雨のち晴れ・・・ちはやふる

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


一気に大ファンになってしまった・・・





上の句

ちはやぶる 神代もきかず 竜田川

下の句

からくれないに みずくくるとは


歌番号17

ありわらのなりひらあそん 
在原業平朝臣
(825-880) 平城天皇の皇孫で、行平の弟。美男で、『伊勢物語』の主人公とも。六歌仙、三十六歌仙の一人。





実写版のちはやふる-上の句- が上映中なんだけど・・・録画していたアニメを見た。


クラスに転校生が入ってきた。

みんなからいじめられるが、綾瀬千早(主人公:あやせ ちはや)はひょんな事から近づく。

その時に目の当りにした競技かるたの魅力を、その転校生から教えてもらう。

素直で、真っ直ぐな心でこの転校生と向き合う。

クラスの仲間はそんな千早を今度は仲間はずれにしてしまう。

それでも千早は負けずに立ち向かう。

学年の百人一首大会で、その転校生のかるた取りにみんなびっくり!


百人一首を通じて、小学生ではあるが人間模様が繰り広げられる。


なかでも、千早の真っ直ぐな心にどんどん引き込まれていく。

しまいには、ぐっと目頭が熱くなる場面もある。

しかもこの転校生は、敵を味方にする・・・できる、真(心)の強さを持っている。


ハイキューもそうだったけど・・・仲間っていいなってあらためて感じる。


大人になればそれぞれの道へ進み、疎遠になり、いつしか名前も忘れてしまう。


それでも、その時々に巡り合えた友達は一生の宝だと思うよ。


大半が付き合いがなくなってしまう事が多いかも知れないけど

それでもお金では絶対に買えない。



この「ちはやふる」を見て、もっともっと好きな事には全力で夢中になろうと思った。


今しかできない事に全力で!





2016年4月3日日曜日

3日(日)雨のち曇り・・・ありがたい

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


期末の忙しさにかまけて、現場に行くことができなかったが、久しぶりにいく事ができた。


いつものお花が手向けてあった。


また、お友達が定期的に寄っているんだなぁ~と感じとれる。





貴重な時間を割いて、現場まで出向いてくれて、

返ってくる大偉の言葉もないのに・・・


いつまでも大偉の事を忘れていないでくれて、ほんとうにありがたいです。


この場でしかお礼をいう場所がなく、申し訳なく思っております。



今年の6月2日は木曜日・・・

ようやく途切れてしまっていた「道」をZEPHYRで繫げられそうです。


あそこから順調に帰ってこれれば15分足らずだと思うんだけど


それが・・・いつまで経っても帰ってこない。


昨年の6月に繋げる事ができそうだったんだけど、1か月前にふくらはぎの

肉離れとなってしまい、断念。


でも、1年目は二人乗りはできないので・・・と言い聞かせ、今年は

大偉と一緒に「道」を繋げて帰ってくる。




2016年4月2日土曜日

2日(土)曇り・・・1年だね!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


4/2・・・・N-nhaが大学に入学したのがちょうど1年前


iPhoneの写真をみると、2015年4月2日に校門前で撮影した初々しい写真が残っている。



あどけないついこの間までの高校生の顔から、今では・・・

少しだけ大人になったN-nha。



朝早くから夜遅くまで、良く頑張ったと思う。


まだまだ、学生生活は続くが、自分の夢のために、がんばってもらえたらと思う。


大偉、みるちゃん!

これからもN-nhaをよろしく頼むね。



2016年3月23日水曜日

23日(水)晴れ・・・辞めた

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


東武野田線の電車の中・・・・

色々な話しをしている中で、一緒に弐段審査を受けた時の話しをしていると


「辞めた」・・・えっ、Naoさんは辞めたの?


はじめて聞かされた。



二年前に一緒に、弐段審査を目指して頑張った仲間だったので、非常に残念で

ビックリした。


言葉がでなかった・・・


色々な事があったことでしょうが、またいつか一緒に稽古ができればと思います。



2016年3月22日火曜日

22日(火)晴れ・・・こんなもん?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


一昨日の審査内容を何度も何度も繰り返し見たが・・・重心が高い、残心がダメ

などなど、見れば見るほどダメなところが増えてくる。


審査前のビデオと本番のビデオを見比べていてもさほど大差はない。

2,3日で変わる事は、決してないという事を証明しているかのようで

普段からの地道な積み重ねが重要だという事を、あらためて痛感する。


稽古、または審査では気をつけて動いていたんだけど・・・まだまだ。


稽古をしながら、多人数取りのイメージをしていて思っていたよりも動けて

いた感じはあったものの、トホホっです。



でも、この参段審査をみながら、自分の中では

「こんなもんではない!・・・まだまだできると感じた」


それを感じながら、次のステップに上がれるようにまた一から大偉と一から稽古し直しです。



私には「今しかない・・・何を成し遂げたか?」


辛く、厳しい道のりかもしれないが精一杯、前に進む事だけを考えて生きていく。




2016年3月21日月曜日

21日(月)晴れ・・・後ろ姿

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


参段審査の後、見に来てくださっていた方と言葉を交わし


道場にお礼をして去る自分の後ろ姿を自分で・・・感じながら


これも大偉のお陰なんだなぁ~と・・・背中で感じた。


大偉がそこにいて一緒に審査を受けてくれていたんだと思った。


あの日を思うと・・・こうして自分がここに立っているなんて信じられないくらい。


多くの方が、私を支えてくれた・・・

家族も、私を支えてくれた・・・



大偉も、みるるも、私を支えてくれた。


そのお蔭で、私はこうしているのだ。


また、復帰して合気道をする事が出来ているのだと


あらためて、強く感じた。






2016年3月20日日曜日

20日(日)晴れ・・・参段

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



二年前の冬・・・

新浦安から中央武道館に向かう道の陸橋の上からMt.Fujiが見えた。

とても空気の澄んだ冬晴れだった。



今日は・・・前日の雨の影響もあり曇っていて全く見えない。

でも、二年前と同じように陸橋のてっぺんで・・・がんばるぞ~っ」と叫んだ。


中央武道館での参段審査に臨むため。



今日の審査を決めたのが昨年の夏くらいだったかな?

いろいろと準備はしてきたのだが、時間も稽古量も足りない。


出稽古に行き多くの人に支えていただきながら、何とかこの日を迎える事ができた。


ものすごく孤独感を感じる・・・辛かった。


でも多くの方から審査1週間前から、激励のメールが入る。

当然私も気合が入るが、筋肉痛が重くのしかかってくる。


メールを何度も読み返し・・・大偉も、みんなついてるの言葉に救われた。

いつの間に不安なんかどこかに吹っ飛んだ。


18日の金曜日・・・会社帰りの稽古。


一人で技名を言いながらコツコツと稽古したが、これがかえって良かった。


とても落ち着く事ができた。


また、大偉の力を最大限に借りるけどよろしくね。


みんなのお陰で無事に審査が終わった。







2016年3月19日土曜日

19日(土)雨・・・時間は有限だ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



地球上のすべての物に平等に与えられているのが・・・時間だ。

1日・・・24時間

1年・・・365日

人間も動物も、昆虫も・・同じ時間が動いている。



ただ、平等な時間も決して無限ではなく

人それぞれ有限に与えられていると思う。


その時間をどう使うのか?

当たり前に生きているから、特に何も考えないでいる感じがする。


もう少し与えられた時間を大事にして生きていかなければならないと感じる。


家族のために・・・

愛する人のために・・

自分のために・・・

傷つき、失った人のために・・・


自分を先ず大事に・・・健康でいる事が基本

そして周りの人を大事にしなければならない。


自分一人では何もできないのだから。



2016年3月11日金曜日

11日(金)雨・・・14:46

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


14:46分に合わせ4、事務所内で1分間の黙祷をした・・・


仕事をしながら、この時間まで後何時間・・・後何十分。


刻々と迫る14:46分。


この5年の月日の3.11。 とても重い5年だとあらためて感じる。



寝たきりのお父さんを残して・・・助かったお母さん

簡単な言葉で済ます事のできない・・・窮地に立たされた決断と夫婦の思い。


大地震・・・家には寝たきりの旦那さんがいた。

背負って一緒に逃げる事もできない・・・


旦那さんは・・・

もう先が長くないから、早くお前は逃げろ。俺は大丈夫だからと。


奥さんは、どうしようもなく逃げた。

どんなに辛かったろうに・・・

目の前にいる旦那さんをどうする事も出来ず、家が津波にのみこまれていく。


手を合わせ・・「お父さん。。。堪忍して」と。涙を流していた。


映像や、ニュースでしか知らない私には


この日、本当に想像もつかない事が起こっていたんだと。



つなみてんでんこ・・・


一人でも多くの人々が助かるようにという教えだが、目の前にいる人を

残していかなければならない・・・


どうしようもできないんだけど・・・

わかっているんだけど・・・


とても辛い。


言葉にできないくらい辛い。







2016年3月7日月曜日

7日(月)雨・・・ふと。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ふと。  N-nhaの事が頭に浮かんだ・・・・


あの日、あーちゃんに肩を抱えながら病院の救急玄関から入ってくる姿が浮かぶ。


私は、家内と先生から状況を聞いた後に、親父に電話・・・

また、家内のお父さんにも電話。


状況を知らされていない・・・家で待っているN-nhaを迎えに行ってくださいと、

病院に向かっている車をUターンしてもらった。


N-nhaは、何を感じ・・・横になって寝ている大偉を見ていたのだろう。


自分の妹をこんな形で悲しませやがって・・・


毎日、毎日・・・子供達が映っているフォトフレームを見ていると


そんな事ばから思ってしまう。


何年経っても変わらない思い。。。


2016年3月5日土曜日

5日(金)晴れ・・・16歳の子供達

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


はっと、気づかされた・・・


2011年3月11日の東日本大震災。

現場は、みんな車で逃げていた。

あちこちで渋滞となり、その後の津波により多くの方が犠牲になった。

もし、車を使わずに逃げていたら・・・


もしかしたら、もう少し生存者がいたのかもしれない。



お母さんと娘もそうだった。

車で逃げるが、あちらこちらで渋滞となり動けない・・・それでもどうにか車で逃げていた。


もうだめだとわかった時は、車の屋根あがった。

津波にのみ込まれ、母と子は別れてしまった。


何度も何度も、娘を呼ぶが返事がない。

数日後・・・眠っているかのような綺麗な顔でみつかった。


16歳・・・大偉と同じ高校2年生。


このお話しを聞いた時、多くの若い命が犠牲になったんだな。

大偉と同じ16歳の子供達も多かったのかな?


とてもいたたまれない気持ちでいっぱいだった。


みんなどうしているのか・・・



 

2016年3月2日水曜日

2日(水)晴れ・・・てんでんこ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


「てんでんこ」・・・


この言葉に「つなみ」をつけると


つなみ(津波)てんでんこ・・・

意味は・・・《「てんでんこ」は東北方言で各自の意》津波はあっという間にやってくるから、周囲の者をかまうよりも、各自てんでんばらばらに逃げなさい。三陸地方の言い伝え。


今年で5年・・・

大偉の事も、みるるの事も、東日本大震災の2011年事も、もちろん阪神大震災の1995年の事も

決して忘れる事はない。


この日の14:46分・・・

今までに経験をした事のない揺れ。

あまりの大きさに机の下にもぐりこんだ・・・それくらい怖かった。


何とか家や実家には連絡する事はできたが、

大偉だけは、中々連絡が取れなかった。


だいぶたってから、家内からの連絡で大偉の無事が確認できた。

大偉も必至で、連絡をしていたがインフラがパンクしていて繋がらなかった。


この「つなみてんでんこ」の言葉が出てきた番組の中では、

高台からビデオを回し・・・津波で流される家、車を撮影していた。

時には「悲鳴」とも聞こえる声が残されている。


震災があったが、私は被災していない。

本当の苦しみは、そこの地域の方でしかわからない。

わかったつもりになってはいけないと思う。

それでも自分に何ができるのか?

無力ではあるが、色々な事を考えて行動していかなければならないと感じる。



もし、また大きな震災が起きるとしたなら、この「つなみてんでんこ」の言葉を

思い出して逃げなければならない。


 

2016年2月25日木曜日

25日(木)晴れ・・・「道」

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


稽古の帰り・・・北千住の日比谷線改札を出てJR改札口に向かう途中。


目に飛び込んできたのが・・・「道」だった



道はじぶんでつくる
道は自分でひらく
人のつくったものは
じぶんの道には
ならない

みつを



今、自分が置かれている状況そのものだった。

人の助けもなければ、道は拓く事ができないと思う・・・

ただ、最後は自分が先頭になって切り開いていくしかないんだと・・・


来月の20日には参段審査がある。

弐段審査よりも気持ちは落ち着いてはいるものの、上手く反応する事ができないでいる。


まだ、追い込めていないのか?

審査の気持ちになっていないのか?

まだ、自分には早いのか?

・・・・・色々な事を考える


大偉の力も必要だしなぁ~・・・


この「道」を見た時、こんな事ばかり思っていても

ちっとも前に進まない・・・自分がもっともっとやるしかないんだと

奮い立たせ乗り越えていかなければならない事なんだ。

もちろん他の方の助けは必要だ。

決して自分一人の力で乗り越えることなんかできないのだから。


自分が決めた事だから・・・絶対に切り開いてやる。




 

2016年2月20日土曜日

20日(土)雨・・・手紙

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉に宛てた手紙・・・

書棚を整理していたら・・・2通の手紙の控えが出てきたとメールがあった。

その方のご兄妹からの手紙。


偶然にも、私も部屋を整理していたら出てきた・・・

内容は、きっと同じものでしょう。



こんな小さかった子に、手紙を書かせやがって・・・大偉って奴は。

どんな思いで、貴方の訃報を聞いた事だろう?

どんな思いで、手紙を書いただろう?

じかに手渡す事のできない手紙・・・


大偉が旅に出た事は、計り知れないくらい人生の中で大きな出来事だった。




 

2016年2月19日金曜日

19日(金)曇りのち雨・・・思い

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


3月の春の審査に参段審査に臨む事を、昨年決めて以来、ようやくエンジンがかかってきた感じ。


2011年の春に昇級審査を受けるはずだった、大偉の審査申し込み用紙。

色々な思いが、ここ数日から込み上げてきている。


書ききれないくらいの思いが・・・


そんな中、既に多人数取りの受けを決めていたが、

他からの、色々な理由から違う人に変更をした。


会の成長から・・・受け入れたが、実際は「えぇ~」という感じだったが


一つの会を任されている立場上、受け入れた。



今朝、その事を伝えたが相手方も同じ思いを受け入れた。


夕方の私の本当の気持ちを伝えた。


電車の中でメールを打ちながら、止めどなく涙が溢れ出てきてしまった。


私達は、これからの会の成長と自分たちの成長だと思い、3月の審査に臨む事とした。




私と、受け3人でこの3月の審査を悔いのないように、その方の思いと

大偉の思いを感じながら頑張ろうと・・・精一杯の事を限られた時間の中でしようと思う。



2016年2月18日木曜日

18日(木)晴れ・・・木札

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


久しぶりに、龍道場内に下がっているN-nhaの木札を見た。

約1年かけて、じっくりを稽古をしてきて6年生の3月・・・春審査に臨んだ。


毎週の稽古では、時には叱られ涙を流し

時には、悔しくて涙を流し

それでも毎週、一生懸命に稽古を積み重ね準備をしてきた、N-nhaには

全く不安がなかったかのように審査当日を迎えた。


新浦安からたぶん・・・お散歩バスに乗って中央武道館にむかった。


少年初段は、審査の一番最初に行う。


私は、受けを担当し規定技が始まるまで脇で座り準備をしていた。


指定技は、両手持ち天地投げ(二)


今でもちゃんと覚えている!


たんたんとやってのけるN-nhaにびっくりしながら、受けを取っていた。


親からみれば、ちゃんとできるのかな?

大丈夫かな?・・・などなど色々と心配する事ばかりなんだけど

子供は親の心配をよそに淡々とやってのけるんだよね。。。


いつかまた、N-nhaが合気道をはじめる日がくるといいなぁ~。



2016年2月11日木曜日

11日(木)晴れ・・・ジュニア合気道大会

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


梅郷駅を8:08に乗り、会場入りをしたのが9:40・・・


第1回大会に大偉とN-nhaが出場したのが12年前。


私は設営の準備をしていると、大偉がよってきて


「お父さん・・・頑張るから」


と基本動作連続がはじまった。


子供達の間隔が狭すぎて、大偉の足がひっかかった。


最後まで尾を引き、初戦敗退となった。


それでも、最後まで一生懸命頑張った子供へ心から拍手を送った。



誰一人怪我もなく無事に終わった。


大偉も、旅先から見ていたんだろうね。


ありがとう・・・


2016年2月10日水曜日

10日(水)晴れ・・・ない!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


右膝の調子が悪く、先週に病院に行き、今日はレントゲンと血液検査をしました。

その足で、現場までいきました。


車を降りると、見なれない物がない・・・・


う~・・・っ。



電柱がない!


電柱の前にお花を手向けているのに、


えっ~・・・・


近づくと、ちゃんと角にお花がありました。


大偉・・・明日はジュニア合気道大会だよ。

全員を見守っていてね。


2016年2月3日水曜日

3日(水)晴れ・・・19回目

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


N-nhaが19回目の誕生日を迎えた。


大偉の誕生日の6日後だ。

いつもは、間をとって二人の誕生日をお祝いするんだけど・・・今は、そんな事もできない。

二人の誕生日は一緒にしていても、ケーキだけは2回分を購入して帰る。


そのケーキもいつも5個・・・

ちょこっとチョコレートが苦手な大偉のために好きなショートケーキを必ず1個入れる・・・

そのショートケーキは、私はちょっとだけ苦手だったのが、いつの間にか大好きになっていた。




N-nhaも今春は2年生となり、ちょっとずつではあるが社会の階段を上がり始めている。

大偉は昨年、成人式を迎え、この誕生日までの1年間は特に変わった事はないものの

昨年はものすごく早く感じた。


旅先で、みるると一緒にN-nhaの誕生日をお祝いしている事だろう!


 

2016年1月31日日曜日

31日(日)晴れ・・・お花

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


前回と同じ感じのお花が手向けられていた・・・

いつも・・・ほんとうにありがとうございます。

もしかして、誕生日の日に来てくれたのかな?

なんて御礼を伝えればよいのか・・・いつもこの場でしかお伝えできずすみません。




当然の事なんですが・・・大偉が1歳、年を重なるのと同じように、貴方も重ねているのですね。


これから先、色々な事が貴女を待っています。


楽しい事

辛い事

悲しい事

どれも生きていくために必要な事です。


たまたま・・・大きな悲しく、辛い出来事が大偉に起きてしまったのです。


こんなにたくさんの人が生きているというのに。


あの日

あの道

あの時間


お互いの時間がすべて重なってしまったのです。


昨日も大きなトレーラーが横を走っていて、大偉はこんな大きな鉄の塊に

ぶつかってしまったのかと思いながら見ていました。


あれから、5年目を迎える・・・・


まだ、21歳。


色々な事をさせてやりたかった。











2016年1月30日土曜日

30日(土)曇り・・・切り開く

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕方・・・ニュースを見ていたら、


高校ラグビーの特集をしていた・・・・

しかも日本の高校ではなく、T-kyo koreaが東京代表として花園ラグビーへ参加したのだ!

今では、日本の高校も練習試合をしてくれるようになったが、

つい最近まで、練習試合も組めない

当然、公式戦なんか到底無理だったが、

色々な方々の働きかけにより、公式戦の・・・大会出場の場が開かれた。


そして昨年の東京都を制して全国へ羽ばたいた。


昔は・・・色々な事がありお互いの文化の違い、

私には想像もつかないような大きな問題が沢山あったのだろう。


この子達を見ていると、純粋に今の殻から抜け出し、多くの方と友達になって

自分の世界を広げたいと思っている。

確かに、高校を卒業して、そのまま母国の大学に進学すれば

友達も先生も知っているので、特に心配ないから多くの友達はそっちに行く方が多いみたい。


ただ、日本の一般大学を受験して、在日韓国人という事も誇りとして

多くの日本の友達と交友を深め、今の自分の殻を破っていかなければとも

思っている。

とても、不安で心配している・・・日本人と友達になれるのか?って。


その子達を見ながら・・・そんなに心配ないよ。大丈夫と心の中で思いながら見ていた。


自分の道を切り開くのに、余計な不安を持たなければならないなんて・・・


こんな事ってお互いが不幸だなと感じる。



これから先、色々な困難があるかも知れない・・・

やっぱり、日本の大学に入らなければ良かったと思うかも知れない・・・

考えなくても良いことに、不安を感じるかもしれない・・・



しかし胸を張って、自分に自信を持って道を切り開いて欲しい。


この子達を見て、私も頑張ろうと・・・何故か感じるものがあった。


2016年1月28日木曜日

28日(木)晴れ・・・21回目

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日で、21回目の誕生日を迎えた・・・。


あれから4年・・・


大偉のいない誕生日。


去年、成人式を迎え社会人1年生が終わる。


大偉はどんな1年だったのかな?


一つ一つ、歳を重ねるに連れ、またさらに良い男になっているんだろうね。


これから30歳に向かって、自分の人生をゆっくり歩んで行って欲しい。


大偉が生まれて皆が喜んでいた日から、

今でも信じられない最後となってしまった悲しいあの日まで

大偉は一生懸命に生きていたんだよね。


楽しい事も、辛く、苦しい時も・・・

特に大偉は辛く、苦しい時に弱音をはいている事を聞いた事がない。


今思えば、周りの事が良く見えていて、私なんかよりもずっと大人だったんだね。


本当に逢いたくて、逢いたくて仕方がない。


あの1秒がズレていたら・・・

その1秒前に戻れたら・・・

危ないからと注意できたのに。


もし私が大偉の代わりに?と思った事もある。

そうすれば、大偉の成長を多くの方が見る事ができるから・・・

父親がいないという寂しさはあるが、長く大偉を見れる。



大偉は、今何処で何をしているのか?

ちゃんと、みるちゃんといるのか?

ご飯はちゃんと食べているのか?


今年は、大偉を現場から家までの距離を繋げてあげるからね。

ZEPHYRで迎えに行くから、しばらく待っていてね・・・





2016年1月26日火曜日

26日(火)晴れ・・・昇段

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


中学校の武道場を借りて、毎週火曜日の19:30~21:00まで稽古をしている・・・

とても寒くて寒くて、じっとしていると体が冷えるので、どんどん動いて稽古をしている。


梅郷駅から自転車置き場までの数中メートルの間・・・・

私が昇級審査を受ける年を思い出す。


青物横丁に勤務場所があった頃は、速攻で定時退社して

おおたかの森から、走って流山の武道場に通い、稽古をしていた。


毎週、R-seyさんとK-tajimaさんが来てくれて、熱心に指導してくれた。


今では本当に懐かしいし、あの稽古での指導がなかったら、今の私はきっとないと感じる。

本当に色々な事を教えていただいた。


そんな私も来月に参段を目指す!

大偉は弐段かな?


また、大偉の力をいっぱい借りなきゃね!

よろしくね。

 

2016年1月25日月曜日

25日(月)晴れ・・・なんでそんな話

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕方・・・・仕事を手伝ってくれているパートのおばちゃんと大偉の話しになった。


大偉が旅立った事、バイクを乗っていた事までは話した事はあるが、

その当時の事を詳しく話した人はあまりいないんだけど・・・

何故か、このおばちゃんには話した。


何かがそうさせたのかな?


大偉も今年は21歳だもんね。



 

2016年1月24日日曜日

24日(日)晴れ・・・若い命

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


あの悲惨なバス事故から1週間が経った・・・

将来がある身の若い子達。

1週間ニュースで流れるたびに、色々な事を考えいた。

頭から離れなかった。



友達もショックを受けながらも、インタビューに受け答えていた。

こんな若い子達がいっぺんに・・・

安らかに眠れないのは、親のほうだ。


人の死に直面した時、いたたまれない気持ちなり

その人が自分に近ければ近いほど、悲しみや苦しみ、寂しさ、憎しみは深くなる。


葬儀の写真はどれも、これから自分の歩む道を楽しむかのように笑っている。


親も楽しみにしていたのに・・・。


友達の心に中で生き続けてくれるだろう。




2016年1月23日土曜日

23日(土)曇り・・・チャレンジ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


残り2か月・・・土曜日の稽古回数は8回。

弐段を取得したのが、二年前の冬の総合審査。

その年の夏に受けるとBBQの二次会のサイゼリアで言い、不安要素がいっぱいある中

稽古回数を増やし精一杯できる事をした。


今回の参段は、稽古回数は別にして割と今は落ち着いている。

技名をイメージしていても、すんなり出てくる。


また、大偉の道衣と剣、N-nhaの短刀を借りて、家族+応援していただく

方々に支えていただきながら、3月20日の臨む・・・。



2016年1月16日土曜日

16日(土)晴れ・・・身にまとい

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、鏡開き式奉納演武の日・・・

三つの同好会が春日部武道場で今年初めて、顔を合わせた。


少ない稽古時間の中、各々が選択した演武内容を披露した。


私は、大偉の道衣をまとい、大偉の剣を借りての八方切りを演武した。


2016年の稽古初めは先週だったが、私のスタートは今日。


1年間無事に稽古できるように。



2016年1月15日金曜日

15日(金)晴れ・・・3年

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


3年前の今日・・・松戸同好会 会長の川村さんがお亡くなりなった。


突然の訃報が入ってきたのを思い出す・・・


明日は、その思いも重ね演武を行う。






2016年1月12日火曜日

12日(火)晴れ・・・腕念珠

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉

享年十六歳


昨年切れた腕念珠・・・


私の身代わりになってくれたと思ってくださいと言われた。


同じ腕念珠もあったが、家内が一度切れた物と同じ物は・・・「私は買わない」


の一言で、違う物をお願いしていたが、今日届いた。



また、厄除けのお守りも家族分作ってくれた。



毎日を注意しながら生活しなければならない。




2016年1月11日月曜日

11日(月)晴れ・・・新年会

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉

享年十六歳



あの日以来、5年ぶりに新年会に参加させていただいた。


2011年の未曽有の大被害をもたらした、東日本大震災。

同じ年の4月、6月には私達家族を襲った悲しい出来事。

それ以来、大偉と上葉の合気道の会員カードの押印は同じ日で止まっている。

中々、年明けに顔を上げ前を向く事ができなかったが、今日ここに出席して、

私は本当に皆さんに支えられて、ここまで立ち直れてきたんだなぁ〜と

しみじみ感じる事ができた。

本当にありがとうございます。


私を支えてくれる方々がいるお陰で、私は何もかも投げ出さず、

家族を支える事ができました。

野田の会員をはじめ、I-ueさん、R-seyさん、遠い中現場まで

足を運んでくれているO-ishiさんなど、多くの方々のお陰であり、

私が知らない方々からも、励ましのお言葉をいただいた事もありました。


また、お互いの両親には感謝しても感謝しきれないほどの事をしていただいている。


こうして今、私が生きて入れるのも互いの両親のお陰です。

本当にありがとうございます。



無事に上葉は大学に進学し、毎朝早くから学校に行ってます。

家族団欒の会話に出てくる大偉やみるちゃんの話し。

ちょっとそこまで、旅行にでも行っているかのような会話です。

以前は、会話をしながらグッと堪えきれなく色々な思い出が駆け巡り、

話も続かなかった。


今年は、節目の年となったので新年会に参加したが、本当に良かった。


ただ残念だったのが、いつも会うと励ましてくれる方の顔がなかった・・・


知り合えた方々を大切にし、これから出逢う方々にも同じように接して

いかなければならないとあらためて感じた。



2016年1月10日日曜日

10日(日)晴れ・・・話す事だ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



思い出を生かす方法は・・・・「話す事だ!」


その当時は、旅だった事について大偉を知っている人以外は、極力話す事はしなかった。


今でも知らない人には極力話しをする事はしない。。


自分の子供を旅ださせた人なんて、今まで一人しか会った事はなかったが、

それもだいぶ経った後だったし、そんな事を話されても、周りの雰囲気も変わってしまうし、大偉を知らない人に話しても話されたほうが困るかな?と思うから。。。



後は、自分の両親だな。

生まれて生後7日くらいに旅立った私の弟・・・敬


私の今までの人生・・・弟が私を一生懸命に守ってくれていたと思う。

それも、親父は毎朝、ご先祖に手を合わしていたお陰。


そんな私も、同じ事をしている。



それでも最近はちょっと変わった気がする。

いつの日か、大偉を知らない会社の先輩や同僚にも

自分からは話さないが、話すきっかけがあれば話したりもするし、

大偉の写真も見せたりもする。


大偉やみるちゃんを忘れる事はないんだけど、年月が経てば今は覚えている事も、ちょっとずつ思い出を忘れていくのかなぁ~と思う。


だから、思い出を生かす方法は、「話す事なんだ」


これからも、大偉やみるちゃんの事を話し続けようと思う



2016年1月9日土曜日

9日(土)晴れ・・・始動!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


午後に2016年のZEPHERのエンジンを始動させた。


機嫌良く走ってくれた。

まるで喜んでいるかのように・・・・。



大偉にエンジン音を聞かせるために会いに行ってきた。


一度帰り、皆でみるちゃんの月命日のお参りをしてきた。


二人は、いまもちゃんと二人でいるのか心配ではあるが、


みるちゃんは、大偉も側から離れる事もなく、

大偉は、しっかりとみるちゃんと抱っこしていると思う。


だって、二人は仲良しだからね。



2016年1月8日金曜日

8日(金)晴れ・・・積み重ね

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



5日には、水曜日クラスが稽古初め・・・

明日の9日には土曜日クラスの稽古初めとなる。


明龍館が発足して初めての年を迎えた。


今年は、それを加速していく。


加速していく中には、それぞれの思いがあり、その夢の実現のために、会員と協力しながら

一歩でも二歩でも近づける事を目標にしたいと私は考えている。


一人の個人の力では、何も変えられないないかもしれない・・・

目に見えて、変わってきているのか?感じられないかもしれない。


ただ、その小さな思いの積み重ねにより、一人では実現できない事も

少しづつでも変わっていけると信じている。


この明龍館発足に携わった一人として、しっかりと歴史を刻みながら

次の5年先、10年先を楽しみにしたい。


同じ目標を掲げている人のために、私も出来る限り最大限の力を注ぎたいと思う。



夢を実現するために近道はない。

また、無駄な事は何もない。


大偉ときっと一緒に稽古している事だろう。







2016年1月7日木曜日

7日(木)曇り・・・偉

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


元偉・・・なんて読むんだろうね?

N-nhaはNewsを見ながらつぶやいた。


私が「もとい?」・・・「げんい?」なんて読むのかな・・・と言うと


家内が、大偉の名前の「偉」の漢字・・・格好よくない?とN-nhaに聞いていた。


大偉の名前は画数から漢字をあてはめたて何て読ますのか考えたけど、N-nhaは名前の響きから漢字をあてはめたんだよ!と言っていた。


「偉」とても気に入っている漢字の一つだ。


ところで元偉は・・・「もとひで」と読むそうです。







2016年1月6日水曜日

6日(水)曇り・・・切り開く

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



「私も誰も、貴方に変わって道を歩く事は出来ないのだ!・・・自分で切り開いて歩くしかないのだ。」


相手に向けて発信する言葉としても「エール」を忍ばせた言葉にも思える。

ただ、なにも経験した事がない子供達には何とも突き放すような冷たい言葉にも感じる。



N-nhaにこの言葉を言ったところで、何を言ってんだ親父はと思うんじゃないかな?



でも、頑張って成し遂げて、みんなが喜んで褒めてくれた事も

願い叶わず落ち込んで、みんなが慰めてくれた事も


自分の意志で這いつくばりながらも立ち上がり

道をつくり自分で切り開いてきたのだから全てにおいて自信を持って良いと思う。


ただ、その周りには必ず、親だったり、友達だったり・・・少なからず誰かが関わっていた事を忘れてはならない。


この世に生をうけここまで育ってきたのも、親がサポートしてくれていたからだ。

良い友達に恵まれていたからだ。

多くの良い人に知り合えたからだ。


これからもどんどん自分の道を切り開いていかなければならないが、

人のためにその目指す道を一緒に切り開くのも悪くはない。

もしそんな人が現れたのなら、是非一緒に道を切り開いてもらいたいと思う。


私には、そんな方が必然的に現れた。

大偉やみるちゃんにも旅先で多くの方と出会う事になるだろうが

そんな方が現れるといいなぁ~と思う。

そして、自分自身の道を切り開いてもらいたいと願う。




2016年1月5日火曜日

5日(火)晴れ・・・志

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


(田中久重)
「知識は失敗より学ぶ。事を成就するには志があり、勇気があり、失敗があり、その後に希望成就するものなり。」


まさに、今・・・私が思い描いている事。



大偉は何かを信じ、思い描き仕事しているのかな?

なんて、自分が二十歳の時は何も考えていなかったのに、こんな事を聞くなんて変だね?


これでも27年も会社に勤め、色々な事を経験してきたからかな?

それよりも、合気道で知り合えた方の存在が大きかったからだと思う。


車が好きで入った学校だもんね。

きっと大偉の事だから今は、ただただ一生懸命に働いている事でしょう・・・


年数が経てば、その時々に志を持ち、前に進んで欲しい。




2016年1月4日月曜日

4日(月)晴れ・・・人生の約束

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


人生の約束・・・この言葉が突然飛び込んできた。

1月9日のロードショーのタイトルになっている。


前から番宣はあったのだろうが、今日初めて見た。



とても重く、深い約束なんだろうと感じ思う言葉だ。


でも、約束の大小は関係なく私達は日々、約束ごとの中で生活をおくっている。


その中でも・・・もっとも人生の中で自分自身が重要と位置付ける約束。


それが「人生の約束」なんだと思う。


もしかしたら、相手は忘れているかもしれない約束。

何気ない言葉が、約束になっているかもしれない。

自分の中で、約束ごとにしているかもしれない。


この言葉を聞いて、ちょっとだけ振り返ると・・・あぁ~あんな言葉を言っていたな!とか


立ち話で話した言葉の中にも・・・

一緒にお酒を飲みながら聞いた言葉など・・・

特に「約束だよ」というこの言葉がなくても

感じ取れる言葉が出ててくる。


相手からの何気ない言葉を、深く受け止める事もあれば

深い言葉をさらっと受け流してしまう事もあるが、


同じ方向を向いて頑張ろうと思う人には、お互いの会話の中にそれぞれの思い、想い、重いがたくさん詰まっている。


大偉との約束は今となっては・・・

16年の思い出を引っ張り出しながら、大偉と過ごした事を忘れないようにし

私の約束ごととしている


終わらない人生の約束を抱えていかなければならないが、

大偉とみるるに逢えた時に終わるんだろうなぁ~。



この「人生の約束」という言葉・・・心の奥底に刻まれる言葉だと思う。




2016年1月3日日曜日

3日(日)晴れ・・・結界

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


結界・・・はじめて聞く言葉だったが、なんとなくこの世と向こうの世界の事の意味なんだろうな?とはわかる。


結界(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%90%E7%95%8C


一周忌法要から腕念珠をしてきたが、昨年の11月1日に切れて戻る事はなかった。


お坊さんに電話をして、切れた経緯・・・もちろん大偉のZEPHERに乗っている事も伝えた。


切れて離れたという事は、身代わりになったと思い・・・

旅立った方の愛用の品を使うという事はとても良い事だと。


ただ、大偉が旅立った事を考えると、気をつけてくださいと・・・



自分の身体が動かなくなるまで、ZEPHERだけはメンテナンスをし続けて乗ろうと思う。



そう言えば・・・昨年12月16日の少年部の稽古時に修理後、はじめて見たのが

H-shiだったなぁ~と思っていた。






2016年1月2日土曜日

2日(土)晴れ・・・ここから

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


年初めの2日・・・大偉の月命日。

この日から私の一年が始まる。


桜木神社に初詣に出かけ、大偉とみるちゃんに会いに行ってきた。


「また一年、よろしくお願いします」・・・と。


最愛の子供達に旅立たれ・・・


このやりきれない気持ちは、いや・・・「を」を

一生私達家族は背負っていく事となる事を、いつも感じている。



よその同世代の子達を見ていると・・・大偉も同じくらいかな?

今何をしていて、どんな男になっているのかな?と想ってしまう。



気持ち、心・・・魂など目に見えないものばかり。


言葉では伝えられない気持ち・・・

大偉や、みるるにちゃんと伝わっているのだろうか?


目に見えないものが、ちゃんと伝わるように真っ直ぐにいよう。


この理不尽な出来事をおもいながら。


2016年1月1日金曜日

1日(金)晴れ・・・ありがとう。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日は12:00過ぎに来たの?

それとも、今日の11:30am前だね・・・


AEONの干支の置物をいただいて、その後はちょっとした物を買い物。

家内とN-nhaの福袋の買い物の付き合いに11:00am開店の店になんと

8:30am前から並んだ・・・もちろん1番。


家内とN-nhaは10:00am前とかでいいんじゃない?と言ったが・・・


とにかく1番だったので買いたい物はすべて購入!


そのままR16を走り実家に向かった。


右手に目を向けると・・・私が昨日手向けたお花以外に


別のお花が手向けられていたのがわかった。



実家の帰り・・・


あれ以来、走行車線を走っていなかったが

左折をするため若柴の交差点から幸楽のラーメン屋までの距離だけ走った。



どんな気持ちで走って・・・


大偉はこの道を走っていたのかな?


そんな事を思いながら左折して駐車場に停めて、水を変えた。


そこには・・・見慣れたお花だった。



寒い中・・・わざわざお花を手向けに来てくださったのですね。
いつもありがとうございます。

この場でしかお礼をお伝えする事ができませんが、

もし、どこかで私を見かけましたら声をかけてくれたらと思っております。

本当にありがとうございます。

身体に気をつけて2016年をお過ごしくださいね。