2012年3月31日土曜日

31日(土)曇りのち雨・・・ちょ~似てる

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


期末の忙しさから解放され、今日の稽古が楽しみだった。

7:15amに目覚ましをセットしておいたんだけど、その前に起きてしまった。


大偉とみるちゃんに挨拶をした。


部屋の片づけが終わっていない、N-nhaはソファーで寝ている。


毎日、寝顔を見ているんだけど・・・・


大偉の寝顔に似ている・・・そっくりだった。


顔だけみれば、そこに大偉が寝ているようにさえ思えるほどだった。


しかも・・・最後の寝顔に・・・。



兄妹なんだなぁ~。


そのまま、二階へあがり稽古に出かける準備。


涙が溢れでそうにはなったが、違った気持だった。


また、リビングに戻りN-nhaの顔をみるとやっぱり最後の寝顔にそっくり。


なんとも言えない感じだった・・・。


表現ができない・・・。



2012年3月30日金曜日

30日(金)晴れ・・・感謝、感謝。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日で今期末の営業が終了した。

会社としての業績はけっして良かったとは言えないが、その中でも私が担当している

部署は受注・売上・粗利予算を達成した。


6:00pm・・・期末打上がささやかだけど始まった。


いつもなら、若い子が突然指名され乾杯の挨拶をするのだが、今回は私だった。


ビールは飲まないと思っていたが・・・


乾杯の挨拶を任されてしまったので・・・・ビールに手をださずには入られない

雰囲気となってしまい、ついつい飲んでしまった。


家に帰りみんなで食事した。


みんと食事をしながら・・・あれから、本当に支えてもらってきたなぁ~と


今日に限らず毎日思うよ。


「家内には頭があがらないよ」とよく言うけど、家もほんとそうだな。

何かあった時の最終決断は自分だとしても、やはり家を守る家内にはかなわないね。

ねっ、大偉!


本当に、毎日感謝、感謝の連続だよ。


2012年3月29日木曜日

29日(木)晴れ・・・品格

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


1年くらい前かな?・・・派遣の品格という連ドラをやっていたのは。

篠原涼子主演。


色々な社会のしがらみの中で、どう対応(仕事)をしていくのか?


自分の正直な気持ちを抑えて対応するのもよし。

自分の意見をハッキリと伝えるのもよし。


どちらの対応が本当なのでしょうか?

どちらも間違っていないと思うし、その時々の状況によって対応ができていれば

問題はないと思うが・・・・


でも、ちょっと違うよな?と感じる時がある。


その時にまた違った行動に出る。


そのまま通すのか?それとも違った対応をとるのか?

会社の看板を背負っているのだからその時々対応や、言葉使いによっては、

最悪の結果を招く事もあるが、どう接していくのかが問題。


同じ結果であったとしても、そこにたどり着くまでのプロセスが重要になり、

やってきた事は、取引先や、お客様にも伝わる。


真摯に対応する事が大事なんだよね。


「真摯」・・・勉強しても、教わっても、得られないもの。


生まれながらに備わっているものが・・・真摯。


大偉にはよく、自ら「品」を落とすような事をするな!と言っていた。

ルールであったり、マナーであったり・・・

絶対に自ら「品」を落とす事だけはしないようにと・・・。

たまに、「らしくない事をするな!」

大偉、らしくないじゃんと叱った事もあった。


私も人前で胸を張れるほどの「品」はないが、見た目や言葉使いなどは

気をつけているつもりであっても、相手に不快を感じさせる事があるので、

大偉に言っていた事をあらためて感じ、できるだけ多くの人と接したいと

思っている。


品格とは・・・もって生まれた気質なのかな?

大偉は今思うと、わりと穏やかな気質だった感じがするなぁ~。

外ではわからないけどね・・・。


旅先でも、前と変わらない性格なんだろうなぁ~。

大偉っ!

もうすぐこちらは桜が咲くよ!

いま、蕾を膨らませ1年に1回のために準備しているよ。

そっちでも、見ているんだろうね。

2012年3月28日水曜日

28日(水)晴れ・・・鴨川シーワールド

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝、5:55am起き・・・。

じいじとN-nhaが鴨川シーワールドに出かけた。

バスツアーなので浜松町駅まで。


N-nhaを乗せてじいじ家経由で運河駅まで送った。


N-nhaは行った記憶がないんじゃないかな?

って、まだお腹の中にいたんだよね。


大偉が2歳くらいだったかな?うっ・・・いや1歳半くらいの初夏だったと思う。

確かベビーカーにのって笑っている写真とビデオがあるから。


帰りは東京湾クルージングまでついて、途中秋葉原で食事をして

家に着いたのは10:00pmすぎかな。


楽しかったみたい・・・じいじありがとうございます!


お土産まで買ってきてもらって・・・気を使わなくても良かったのに。


大偉を連れて行った時は、SUBARUのディアスがバッテリー不良で壊れちゃって

代車にレガシーを貸してもらったのは良いけど・・・喜んでいるのは大偉だけで

山道を走ったりもしたので・・・ガソリンの減りが半端なくすごかった。


帰りは、ものすごく眠くなって柏で家内に半分無理やり状態で運転を代わって

もらった記憶がある。


大偉も結構シーワールドで喜んでいたよなぁ~。

イルカをみたり、アシカをみたり・・・とんでもなくでかいシャチをみたりとね。


懐かしいよね。


だいくんは、いつもと違った車だったからご機嫌だったんじゃなぁ~い。


2012年3月27日火曜日

27日(火)晴れ・・・感謝

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝はそれほど寒くはなかったが、ちょっとだけ風が冷たい・・・

今日は、朝から会議・・・

1週間前に今月、通期の計数報告をしその後約束した計数がどうなったのか

最終の詰めを行なった。

部としては予算クリアしたが・・・全社としては未達。

今までにない落ち込みとなった。


今期最後の締め作業を行った。

来期も引き続き状況が変わらず厳しい状態は続く・・・。


大偉が旅に出てから9回目の締め作業・・・。

一応頑張ってきたつもり。


会社って、自分の身に何が起きても進んでいくんだけど

自分が倒れない限り、自分に降りかかった最悪の事も含めて仕事を遂行して

いかなければならないんだと、振り返ると思う。

とは言っても、部の仲間、上司に支えられ毎日の会社勤務ができているのも確か。


子供に支えられ、家内に支えられ、両親、仲間に支えられ・・・

毎日、毎日・・・

感謝の気持ちを忘れずに・・・


番組と番組の間に紹介されていました。




『この道より、われを生かす道なし、この道を歩く』武者小路実篤

この道以外に自分を生かせる道は無いと思えた人は幸せです。もし『自分の道』が見つかったら、後はわき目も振らず、ひたすらその道を進むのです。つまり『無心』に、『素直』に、『心がけよく』『努力を惜しまない』人が成功と幸福を手に入れるのです。





2012年3月26日月曜日

26日(月)晴れ・・・語りかけてるみたい。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


清水公園にお弁当を持って出かけた時の写真。

まるで何かを語りかけているかのように、おにぎりを持ってにっこりと

首を傾けて笑っている。

いっぱい遊んでいたのだろうか・・・汗をかいてほっぺたは赤くなっている。


こんな小さかった、だいくんが・・・

高校の写真に入れかわると、まるで別人のようなお兄さんになっている。

写真だけを見ているとずいぶんと大人になったんだね。


この前、お母さんが・・・大偉は老けて見られるんだよ!

年齢を聞くと「えっ!」と上に見えるらしい。

近くにいるとそんな事、感じないんだけど、そういわれると周りの子よりも

大人っぽい顔をしているのかな?と思う。


大偉とあの時何を話していたかは覚えていないけど・・・N-nhaがペットボトルの

お茶を飲みながら溺れていてほとんど残っていなかった事だけは覚えているよ。

あれは笑ったよね。

☆口をつけて飲んだはいいが、あまりにも勢いよくペットボトルの口から出たきたもんだから

戻せばいいのに、戻せずほとんどお茶がなくなってN-nhaはむせていたんだけど・・・・

底から見たN-nhaは、おかしくておかしくて笑っちゃったよね。


この写真を見るたびに・・・あの時、何を話していたかなぁ?

何を話しかけていたのかな?

今何を思っているのかな?

ほんとに旅に出ているのかな?

戻ってこないのかな?


まだ、幼稚園の時だとおもうけどその十数年後の姿なんて誰にも予想が

できなかった。

もしかしたら・・・

大偉が成長していく過程で・・・

家族が成長して過程で・・・

何かしらのサインがあったんだと今はそう思う。


それに気が付く事はなく・・・

それに気が付く事もできず・・・


大事な家族を二人も旅出させてしまい、本当に申し訳なく思う。


こんなに可愛いだいくんを・・・


だいくん!こっち向いてって写真をとったんだろうね。




2012年3月25日日曜日

25日(日)晴れ・・・18:00出航

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、昨日とは違いとても暖かく春を感じる日だった。

昨日、K-noさんに気をつけて行ってらっしゃいとメールしたら・・・

明日です!と返信がきた。


あちゃ~!

いったい俺は何を聞いていたのか?


5:00pm・・・

K-noさんからメールが入った。

18:00に出航しますと・・・。


今朝から・・・3月は旅立ち、別れ、色々と思っていた。


2012年3月25日(日) pm6:00出航。

今まで、野田同好会を盛り上げてくれたk-noさんが福岡へ出発した。


18:00に出航しますとメール受取ったときはグッとくるものがあり、

おもわず・・・

ポロリ・・・。


一級昇級審査・・・

昇段審査・・・

今思うと本当に疲れて疲れて大変なくらい稽古をした。

その後は、前会長のI-kwaさんを引き継いだ私を支えてくれた。

寂しくなるけど、戻ってきたときは成長した野田同好会を見せられるように頑張るから

楽しみにしててよね!

ほんとうにありがとうございました。


大偉っ。

二十歳の成人式には、大偉と一緒に飲むんだって!

楽しみだね。

大偉も色々とお世話になったからね。

福岡まで安全に送り届けてよね。



2012年3月24日土曜日

24日(土)雨・・・おめでとう!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

先週、少年初段を受けた二人が見事に合格した。

本当によく頑張ったよ。

少年初段を取る目的で頑張ってきた。

でもね・・・ここはただの通り道だからね。

最終目標は、合気道を通じて何処に出ても胸を張り、自分を好きになり

自慢できる大人になる事だから・・・。


あなたの顔を見ていれば、将来どんな大人になるかわかるよ・・・。

だって顔が素直だもん。


一般部の稽古での最後の挨拶では、はにかんだように嬉しい笑顔。


自主稽古中に、先生ありがとうございましたなんて言ってくるもんだからさ・・・

その後の組剣でM-eちゃんの剣が右頬にあたっちゃたよ。

まっすぐ切り下ろすところを、横面で切ってくるもんだからさ・・・。

でも、そんなもん痛くもなかった。


これからも、まだまだ伸びるから頑張って続けてよ!


大偉も喜んでいるよ。

すっげーなぁ~ってね。

2012年3月23日金曜日

23日(金)雨・・・仲間!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


野田線の電車の中で・・・仲間っていいなぁ~と一昨日の出来事を思い出していた。

知り合い・・・

友達・・・

仲間・・・

色々と呼び方があるけど・・・段々と自分との親密さが付き合い方によって変わっていく。

お付合いができなくても、その方に対する思いでも変わっていく。


大偉にも仲間と呼べる友達がいた事でしょう。


旅先にもいるかな?


仲間は大事だからね。


今まで生きてきた中にも、ものすごく気の合った仲間もいたでしょう。

逆に、気の合わなかった仲間もいたでしょう。

だけどね・・・

生きていくためにはどちらも必要な仲間だったんだよ。


誰一人とも自分にとって必要のない出会いはないんだよ。

偶然ではない、必然なんだよ。


学校の本来の勉強は・・・

実は友達を通じて社会を勉強しているんだよね。


最後・・・自分を救ってくれるのは両親であり、家族であり、仲間だよ


お金では絶対に買えないものの一つが「仲間」



お父っはね、今回の事で本当に仲間の方々に助けてもらっているんだよ。

毎週の合気道の稽古でも、みんなに支えてもらいながら、助けてもらいながら

運営しているよ。


大偉も旅先で色々な仲間に出会うと思うよ。

あなたは、損得勘定しない心の持ち主だし、優しいから沢山の仲間ができると思うよ。

人は、一人では生きていけない。

生きることができないんだよ。

支えてもらいながら・・・

支えながら・・

生きていくんだよ。

みるちゃんは、人見知りだから優しくしてあげてね。


新橋で飲んだときも、みんな、大偉の事を感じていたみたいだよ。

本当に、そこにいたんじゃないのってね。


この新橋での5+1で、グッとまた近づいた感じがする。

みんなの子供が大きくなったら、一緒にお酒を飲みにいこう!


大偉っ、また行こうね!


2012年3月22日木曜日

22日(木)晴れ・・・二日酔い?


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝、家内の携帯の目覚ましで起きた。

時間をみると7:20am。


えっ~、やばい。

9:30amからの3月度着地会議には間に合うが、準備もあるからな~と思っていたら、

大丈夫だよ。20分進んでいるから・・・だってさ。


なんの意味で20分も進ませているのか理由を聞いている余裕もなく、とにかく

急いで、支度した。


いつも通り、大偉とみるちゃんにご挨拶して家をでた。


一本早く電車に乗れた。



会社に着き会議の準備をしていると・・・・会社のNO.2はフレックスと書いてあった。


フレックスって何なんだよ!

期末の最終計数報告を各部から報告する日なのに・・・?と誰もがそう思っていた。


途中から入ってくると・・・顔が真っ赤だった。

あやうく私も同じ事になるところだった。



私も、昨晩のお酒でちょっとだけ二日酔い気味・・・電車の中はだるかった。


お腹の中は、お酒で・・・ちょっと辛かった。


会議が始まる。


何とか計数説明を終え、それでも各部へ積上げ要請がかかる。


数字を言ってるのだが、頭で聞いているのと、手の動きがバラバラでしかも

覚えようとしていないので書けない・・・・それでも自分の部だけはなんとか書けた。


家に帰ってお風呂に入って、食事して、寝るまで辛い。


大偉は大丈夫かな?

みんなは大丈夫かな?

こんなに辛いのは久々なんだけど、楽しかった。


お風呂で思い出し笑いしちゃった。


2012年3月21日水曜日

21日(水)晴れ・・・大偉に乾杯!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、天気は良いが風が冷たい。

夕方、銀座・・・!→新橋でK-noさんを囲んで飲む約束をしているので、朝から

ガンガンに仕事をして余裕をもって定時時間を迎える事ができた。

いつもこんなに頑張ればいいのにと思うくらいの仕事っぷり。


I-kwaさんからメールが入っていた。

先に新橋の汽車ポッポの前で待っていると・・・。


ほとんどのサラリーマンがこの前で待ち合わせをするので、中々見つけられ

なかったがI-kwaさんが見つけてくれた。


特にお店を予約していなかったので、ガングロの背の高いお兄さんの話しに

まんまとひっかかり、ニュー新橋ビル3Fの「つむぎ家」に入った。

中々、雰囲気の良い店・・・。

H-shiに電話して、K-noさん、I-ueさんにメールで場所を伝えた。

I-kwaさんのスーツ姿は何回も見ていて、I-ueさんは2回目。

K-noさんと、H-shiははじめて。

道衣姿と稽古にくる私服姿しか見た事がないので、結構新鮮だった。


ぽちぽちとみんなが集まり、あらためて乾杯をした。


合気道の話しや、大偉の話し・・・blogの話し。

色んな話しをしたが・・・楽しすぎて覚えていない。


私が合気道をはじめてから6年も経つというのに、こうして集まって飲む事も

なかった。

前の晩にデジカメのバッテリーを充電して持ってきた。

みんなで写真を撮って・・・まるで子供のよう。


みんな良い顔をしていたなぁ~。

それなりに色々な人生を歩んで来た人ばかりだから・・・。

デジカメを回し、何枚もパシャパシャ撮って。

ものすごく楽しかった。

普段あまり飲まない、I-kwaさんがものすごく飲んでいた。


2件目は、魚金ビストロ・・・。

昼間、魚金の全店に電話しても予約が取れず・・・。

I-kwaさんは帰ったが、残った4人でさらに飲みに行った。

3品くらい頼んだのかな?

飲み物は赤ワイン。

1件目で散々飲んだのでほどほどだったが、それでもみんな飲んでいた。

R-maが小さかった頃の合気道の話しとか・・・

ここでも色々なお話しをしたが、ほとんど覚えていない・・・

みなさん、すみません。


ただ、大偉がイケメンだとか、良い奴だったという単語だけは覚えているんだよね。

そんなような事を言ってましたよね?・・・確か。

都合の良い耳ですみません!親ばかなもんで。


時間も遅くなり、そろそろお開き・・・

じゃぁと、自分達のグラスを持つと赤ワインのグラスが一つ余っていた。


その瞬間・・・大偉のだ!

そうだそうだと言い、誰から言う事でもなく自然にみんなで「大偉に乾杯!」と言って

グラスを合わせ、飲み干した。

もしかして、本当にいたの?

一緒になって、お話しをしていたの?

R-maは大偉より1cmか2cm大きいんだってよ・・・一緒に遊んでいた時間が

懐かしいね。スリッパで卓球の玉を打って野球してね。しっかり汗かいてね。


K-noさんは、勤務場所へ戻った・・・呼び出しがかかった。

新橋でみんなと別れ、私はH-shiとTXに乗るため秋葉原に向かった。


ほんとだったら、K-noさんが最寄駅の一つ手前なので安心していたが・・・

最悪の結末を迎えてしまった。

H-shiと別れ・・・おおたかの森まで後二駅。

目の前の席が空いた。

座ってしまったのだ・・・。


H-shiが乗り継ぎを調べてくれていたので、東武野田線に接続できる事を確認済。

目を開けて、野田線の改札に向かって歩いている感じだったけど・・・

なぜか暗い。

なんで?と思ったが思考回路が働かず、ただ間に合わなかったのか?と思い、

ロータリーでタクシーに乗った。

柏駅からは6000円くらいなので、ここからだと半分くらいかなと思ってた。

運転手さんに「梅郷駅まで!」と伝えたが、お客さん!農道走る?と聞いてきた。

農道?・・・いやいや、そこ曲がってR16号に出てください。

いや~、R16まで結構あるよ・・・

えっ、すぐそこじゃん!

私と、運転手さんの話が全くかみ合わない。

しかもタクシーは走り出しているし、周りをみると真っ暗。あれっ?

途中から、大きな橋を渡っている。

ここどこ?

降りた駅は守谷だったみたい。

まったく見慣れない駅の雰囲気。

橋の上から見る周囲の景色は灯りがぽつぽつ。


メータを見ると、容赦ない上がり方。

あっという間に5000円。

まだ着かないの?と思うがどこを走っているのかさっぱりわからずにいると、

梅郷のサイゼリアに出た。

あぁ~、過ぎた所で下してください・・・。

結局、7280円で~すだって。

あぁ~最悪。

こんな時、大偉がいればなぁ~なんて。あっ、まだ車乗れないか。


駅まで、新橋で飲んだ事を思い出しながら歩いていると急に・・・

なんだよ!なぜ何だよって・・・大偉を思い出し涙が溢れ出てきてしまった。

かける言葉もなく、ただただ、なぜ?と思うばかり。


みんなと、楽しく飲めた・・・大偉の話しもしたし。

こうしていると本当に、みんなに支えられていると思うし、逆に合気道を

はじめていなければ、こうした素晴らしい仲間はできなかったし、もし、

合気道をはじめていなくて大偉が旅立ったとしたら、外で笑って飲むなんて

想像できない。

ほんと感謝しています。ありがとうございます。


K-noさん!福岡でも頑張って・・・。

帰省した時は、また飲みましょうよ!

それにしても、I-ueさんの心遣い・・・いただいた四葉のクローバーは枯らさずに

戻って来るときには成長したクローバを見せてよ!

掲示版に報告ね!

身体に気をつけてください。

また、戻ってくる日を楽しみにしています。



みなさん!
写真は、PCのほうに圧縮して送っておきますね!


2012年3月20日火曜日

20日(火)晴れ・・・大きくなったよね。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、朝から天気が良く温かかった。

もうそこまで春が来ているね。

冬の後は・・・春ですねとI-ueさんのメールに書いてあった。


少しずつ冬の寒さが融けだし、謎も解け出す事だろう。

ゆっくりと、ゆっくりと・・・

周りの人たちに支えていただきながら・・・

私達家族の心の中も、ゆっくりと解け出すだろう。


お昼を食べ終わったあと、じいじの家に行った。


大偉の小さい頃の写真を見ながらこんな事もあったなぁ~なんて・・・

リビングのローボードの中にはN-nhaの小さな頃の写真・・・

横にいるN-nhaを見ながら大きくなったな。


大偉っ、みるちゃん。

小さい頃、にぃいに~と呼んでいたあなたの妹はこんなに大きくなりましたよ。

みるちゃんを抱っこしていた、お姉ちゃんはこんなに大きくなりましたよ。

二人は、どんな感じで見ているのかな?


帰ってきてあなた方の写真をみる度に、なんでそこにいるの?

どうして?・・・といつも思うよ。

なんで、横にいないの?

なんで、一緒に話したり、笑ったりしないの?

なんで、一緒に・・・と。


大偉とみるちゃんは、N-nhaにどんな言葉を送っているの?

また一段と、可愛く美人になったでしょ!

あなた方と同じで、自慢の娘だよ。


明日さ、I-kwaさん、I-ueさん、H-shiとK-noさんを囲んで飲むんだ。

結構、みんな近いところで勤務していたんだよ。

なんでもっと前に飲まなかったのかね?

明日、暇だったら来なよ。


2012年3月19日月曜日

19日(月)曇り・・・どっと疲れた

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


3月の期末・・・。

この時期の飛び石連休は疲れた身体を休めるのに良いが、やはりいつもよりも

忙しいのが期末なので逆に休みだと、それなりのスケジュールを組まないと

仕事が終わらない。


前の晩・・・明日休めるかな?なんて思いながら手帳を確認していた。

でもなぁ~明日休むと、休み明けは会議もあるし、あれも、これもあるしと

思うとやっぱり行こう!と決めた。


朝、起きると・・・どうしようかな?なんて思いながら気合を入れて起きた。


結局、会社に最後まで残っていたのは私だった。

来て良かったと本気で思った。

仕事がはかどった・・・・こんな仕事の量、休んだら大変だぁ~。


だいい?

今日は疲れた・・・。

明日は、じいちゃんとばぁちゃんが風邪を引いたから一緒にお食事できないけど

おじいちゃんと、あっこさんがくるから一緒に食べようね!


じゃ、また明日。



2012年3月18日日曜日

18日(日)曇り・・・漕いでいこう。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨夜は、家内とちょっと飲みすぎたかな?

子供達の小さい頃の話や、自分達が小さかった頃の話し・・・

久しぶりに飲みながらたくさんお話しをした。

途中から大偉も参加してね。


写真を見ながら・・・何でかな?と思いながら。


H-shiにメールを返信した後もまだ飲んでいた。

あした、K-skeと審査をするのにまったく緊張感のないお父っ。


気がつくと・・・3:30am

リビングで寝ちゃったみたい。


着替えてから布団にはいり・・・7:00am起床。


いつも通り、大偉とみるちゃんに挨拶をして朝ごはんを食べて中央武道館に向かった。


新浦安のお散歩バス乗り場には、I-kwaさんもいた。


9:20am到着。

いつも通り、大偉の帯を腰にまき、早速稽古開始。


基本技・・・指定技、自由技。


10:50am定刻通り審査がはじまった。

1組目・・・

基本動作が始まり、私は横で待機。

H-shiもここで、T-kmiを見守っていたに違いない。

向かい合っての号令で位置についた。

規定技二本。

指定技二本。

自由技。

無事に終わった。

横で待機しながら、N-nhaも三年前にここで審査を受けたなと思い出していた。

本人曰く、緊張もなくひょうひょうとやってのけた。


T-kmiもK-skeよく厳しい稽古についてきてくれた。

決して、少年初段をとる事が目的ではないが、入門した年齢により審査の回数が

決まってしまう。

また、初段は技も多く立続けで審査を受けられる事もできない。

だから、すべの条件がそろったごくごく一部の子供達でないとこの中央武道館には

たつ事ができない。


何度も、先生と相談し子供達の気持ちを切らさないように・・・

何度も何度も注意し、何度も何度も注意されながら、教えるほうも教わるほうも

歯を食いしばりながら、朝は早くから夜遅くまで・・・子供達は良く頑張った。


仕手・受けで審査をさせようと当初は稽古をしていたが、仕手だけでいこうと判断した

のが、3週間前・・・・とは言っても最後の稽古まで4回しか残っていなった。

間に合うのか・・・心配だった。

もしかしたら、良い結果にならないかもしれない。

子供達に傷を負わせてしまうかもしれない。

お母さん方にメールし、道場まで来ていただき実際に状況を確認していただいた。

でも・・・最後は挑戦し続ける事を決断した。


劇的に伸びる事はないが、前々回よりも、前回とだんだんできてあがってきて

いるのは指導しながらわかる。

不安そうに私達の顔を覗き込むが、決して弱音を吐くことなく小学生最後の審査。

少年初段を受けるために、中央武道館の道場にたった。

大きく見えた。

立派に見えた。

そこには不安な気持ちはなかった。

今まで稽古してきたことを十分発揮できたと思う。


いいかい・・・。

大海原に出るため、船に乗せることはいくらでもできる。

船に乗るための努力ももちろん必要・・・

そして、最後は自分の力で漕ぐ事が大切なんだよ。

自分の力で・・・漕ぎ続ける事が大事なんだよ。

道を間違いそうになったら聞いてもいい。

迷いそうになったら、一旦立ち止まって聞いてもいい。

こっちも見守っているから・・・。


この子達が二十歳になった時はどんな子になるのかね?

今から、楽しみだね! 大偉っ。



辛いこともあったでしょう。

辛く、厳しい事を言われて悔しかったこともあったでしょう。


よく最後までついて来てくれました。

よく最後まで諦めずにがんばってくれました。

本当にありがとう!


あなたの教え子は、頑張って漕いだよ。

大偉は漕いでる?


2012年3月17日土曜日

17日(土)雨・・・審査

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉っ!

今日から、二日間審査だよ。

あなたの教え子が、あなたを超えようと頑張って稽古してきた。

何度も、何度も・・・一生懸命に。


今日は、T-kmiとH-shi。


気持ちを前に出さない、T-kmiが心配だった。


午前中に稽古をして、ちょっと早めに中央武道館へ向かわせた。


14:00からの審査。

組は一番最初・・・


もう着いたかな?

もうそろそだな・・・

はじまった。


4:59pm・・・・H-shiからのメール。


師範からも、よかったと。

指摘は一つだけ・・・


よく頑張った。


最後の最後まで、毎週稽古についてきてくれた。

結果は、出る前に自分が良くわかっていると思うよ。


大偉っ。

ありがとうね。

あしたは、K-skeとお父っだよ。


明日も見ててね。

2012年3月16日金曜日

16日(金)晴れ・・・ぶつかりあって

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今朝は、回収のためお客様へ直行・・・

その後、三越前で用事を済ませ・・・

竹ノ塚のお客様でプリンターテスト。


結局、物理的にケーブルは繋がったものの信号は飛ばず、秋葉原により

ケーブルを返品。


間には、電話対応と何かと忙しかった。



朝、回収後の南千住駅。


昨日、一昨日の事を色々考えていた。


これでよかったのかと?

相手の気持ちを考えていないのはお互い様かな?

どうなんだろうか?


昨日、何度か相手から電話をもらうが缶詰状態で出ることができなかった。


12:30なら電話を受けられるのでと伝えた。


お互いの立場、思い、これからの事を主張しぶつかりあった。

冷静になれば、相手の事も理解できなくはないが・・・こっちは亡くなっているんだと。

私も少し大人げなかったかなと反省する所もあるが、立場が違えば一変する。

いきつくところは同じだが、やはり受けている状況、立場が違うので・・・

相手の気持ちも分らないでもないが、水と油状態。


一瞬混じったかな?と思うとまた離れる。

でも、こればかりは仕方がないかな?


それでも、ぶつかり合ってよかった。

全部ではないが、本音で話しができたし、別に一生憎むつもりもないし、

この家族を特別嫌いでもないし、むしろ本当は一生付き合って行くのかな?と

昔は思ったほどだったから。


大偉っ!

お父っも悪かったところはあったと思うよ。

でもちょっとビックリしちゃってさ・・・。

はいった「ひび」は一生なおらない。

物でも、壊れたら直しても「ひび」は、はいったままでしょ?


だから・・・いろいろ考え伝えなきゃならないんだよね。



と言ったけど・・・人間は物じゃないんだよね。


人間は、どんなに相手とぶつかり合っても

どんなに・・・この野郎と思っていても


修復する機能を持っているんだよね。力があるんだよね。

ぶつかりあった後には・・・

スッキリ感

満足感もあるんだけど

それ以上に、何故こんな事になってしまったのか?

何故、あんな事を言ってしまったのか?


と反省する瞬間から相手との修復がはじまっているんだよね。


その事を、今日気がついた。

悪い事をしたなと思う。


まだ、目の色が深くなかったよ。


これで、またちょっと目の色が深くなったよ。


いつかきっと時が解決してくれる。

またいつか

あの時はこうだったねと感じる時がくると・・・

いつになるかわからないけど。


お互いの幸せを願う。


・・・の幸せも。


2012年3月15日木曜日

15日(木)晴れ・・・一生

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


最近は、よく外出する・・・期末のせいなのか?

外出するのは問題ないんだが、その分、中での仕事に追われ・・・しかも寝不足と

重なってものすごく辛くなってくる。

今日は、朝から缶詰状態・・・。


この世の中、忙しい事は良いことかもしれないが、なんでも「すぎる」と負担に

変わってくる。

人間ってほんと贅沢・・・。


電車の中では寝ているが「はっ」と気がつき、まだだと思い起きているが自然に

目を閉じてしまう。



ポストを開けると・・・I-kwaさんからの手紙。

中には、お手紙と写真が入っていた。

掲示板に掲載してあった写真のほかにもたくさん送ってきてくれた。

お忙しいのにありがとうございます。



ブログを書きながら、手を休めるとスクリーンセーバーが起動し画面に大偉と

みるちゃんそしてN-nhaの写真がスライドショーとなり入れ替わる。


ほんとキツイよ。

普段でも、キツイというのに・・・

昨日の出来事の後だからね。


あの瞬間、全てをバラバラに壊したいくらいの気持ちになった。

何もかも・・・すべて。

毎日、手を合わせ香をたき・・・願いをこめてお水を飲んで。

いったい何をやっているのか?

なぜ、こんな事をしなきゃならないのか?

こんな事して何の意味があるの?

戻ってくるの?

思いは届くの?

いったいどうなんだよ・・・ってね。


親父もブログを見ている。

家内にブログやっているんだって?と聞いた事があったから・・・。

その親父も・・・何も言わず見守ってくれている。

周りの方も見守ってくれている。


人それぞれいろいろな考えがあっていいんだけど・・・否定はしないんだけど、

その中でも、常識、非常識の区別はある程度あるでしょ?


非常識、無神経・・・


こんな家族は、絶対に許さない・・・・一生許さない。

それだけの事をあなた方がしたのだから・・・。


大偉っ。

あなたは、どう思ってみているのかな?

色々と考え、悩んで行動しているが・・・

お父っだって・・・こんな事をしたくないよ。

でもね、どうしても許せない事だってあるんだよ。



でもね・・・


一生許さない事って本当にあるのかな?

たぶんないね。

時が解決するから・・・

気持ちが変化してくるから・・・

上手く言えないけど、その時の生きてきた年齢・・・今まで経験した人生に

よると思う・・・。

う~ん、なんとなくわかるかな?

謝ってきたら、許してあげようとは思うけど・・・・


はいった「ひび」は一生なおらない。

物でも、壊れたら直しても「ひび」は、はいったままでしょ?


だから・・・いろいろ考え伝えなきゃならないんだよね。

こればっかり考えると話しもできなくなっちゃうけど・・・


いつも言っていた、お父っが一番わかっていなかったかもね。


2012年3月14日水曜日

14日(水)晴れ・・・非常識な家族

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今朝は、何十年とT社のオフコン(パソコンではありません)を使っているが、

ドットインパクトのリボンが廃盤となりしかも後継もない。

あまりの古さに・・・でも何とか救ってあげたいと竹ノ塚のお客様へ直行した。


えっ~、地図を見ても方向が良くわからい。

何回か目印となる場所を伝え確認したがようやくたどり着いたのは1時間後。

わかっていれば15分くらいみたい。



駅に着く前の電車の中・・・長文メールを打っていた。


昨日のN-nhaの卒業式・・・友達を笑顔でしゃべっていた。

私達も完全ではないが、少しずつ落ち着きを取り戻しつつある・・・

検察庁に行けばまた逆戻りなるけど。

進んでは戻りの繰り返し。


大偉、みるちゃんの事。

N-nhaの事。家内の事。両親の事。私達を支えて下さっている方々の事を思い

毎日毎日、泣かずにブログを書いている日はない。


そんな中・・・2:30am

私の前に突然、非常識な、とても無神経な家族が飛び込んできた。

自分達の事だけを考え、相手の気持ちなんてどうでもいい。

こんな家族が世の中にいるのか?

何を考えているのか?

ほんとに、極まりない家族。



毎日の生活の中で、大偉を思い出し、みるちゃんを思いだし、目に映る光景、

耳に入ってくる言葉など・・・あぁ、あの時はこうだったな、あぁだったなとか、

なぜもっと理解しようとしなかったのかと・・・懐かしんだり、悔やんだりの繰り返し。


つい最近こんな事を私に話してくださった方がいた。

私とは7年のお付合いとなります。

掲示板にいろんな事を書き込んでくださるんだけど・・・

最後は大偉との思い出が書き込まれてあった。

書いては消して、書いては消してを繰り返し・・・

こんな事を書いて失礼にならないかな?

嫌な気持ちにならないかな?

また、辛い思いをしないかな?

色々な事を思い浮かべながら・・・

(メール文書は感情が伝わりにくいから、余計に気を使うんですよね)

最後の「書込みボタン」をクリックする。



この意味を、非常識な家族の方はわからないでしょうね。

人の気持ちなんかどうでもいい人の家族なのですから・・・

わかってもらうつもりもありません。



人それぞれ、今まで生きてきた人生の中で辛い事もたくさん経験した事でしょう。

誰にも相談できず悩んだ事もあったでしょう。

辛い経験の大小は関係ないですが・・・

私の経験上、こんな事って辛いなぁと思ったは何度かあります。


別に「死」だけではないと思いますが・・・はやり私の中では「死」が一番辛かったです。

近くにいればいるほど辛いです。

世の中には、私達のような交通事故死に合われた方が数え切れないくらいいます。

私の周りにはいませんが・・・逆に私の周りの方々に経験をさせてしまいました。


周りの方々も何かと気を使う・・・使ってくる、使っていただいている。

家族の中だって・・・今まで一緒に生活をしてきた家族にだって気を使うんです。

大偉は、こうだったね。

みるちゃんはこうだったね。

N-nhaといつもこうだったんだよ。

とまでは話せても・・・ここまでです。


こんな事はN-nhaには言えない・・・家内にだって言えない事もある。

悲しむから・・・。

ただ、ただ悲しむから・・・それだけの理由。

それだけ理由だが・・・重いんです。

いろんな想いがいっぱいあるから・・・重いんです。



こんな生活をしている私達の前に二度と出てこないでください。

とうていあなた方、家族には理解できないことでしょうね。

「やめてください」とメールを送っても返信すらない。

やる時は突然で、こちらかの返答は無視。

というか、返せる能力がないんでしょうね。

言葉の意味を理解できていたらこんな事にはならないでしょうから。


このブログを見ているかは知らないが、あなたの家族の心にはきっと

届かないでしょう・・・響かないでしょうね。



今度、目の前にきたら・・・・覚悟してください。


私は、私の家族を守らなければならないのですから・・・。



追伸。

不特定多数の方々が見る事ができるインターネット。

公開する以上は、色んな事が起きます。ある程度のリスクはつきものですが、
本当は、こんな事を書き込みたくなかった。

でも、あえて家族を守る意味を含めて書き込ませていただきました。

理解していただこうとか、応援していただこうとか・・・そんな事は思っておりません。

ただ、これが現実だと知ってもらいたかっただけです。

大偉や、みるちゃん・・・いろんな方々に支えていただき、思いを書き込んで

きましたが、今回のような事があり、このような事で書き込まなきゃならなくなり


・・・本当に残念です。

2012年3月13日火曜日

13日(火)晴れ・・・卒業式

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


明日は、N-nhaの中学卒業式。


家に帰ると、アルバムくらいの大きな・・・金?色の箱が置いてあった。

何これ?

皆勤賞の・・・。


えっ!明日の卒業式にいただくんじゃないの?


普通に教室でもらったらしい。

なんだよそれっ。


まっ、よく三年間頑張って通ったな。


お母さんに見せたの?

まだ・・・

なんで・・・

N-nhaが一人で通っただけではないでしょ?

ちゃんと見せなきゃ。


自分の事を棚にあげて、親らしい言葉を言ったが

少し親に言われていた事がわかった気がした。



三年前・・・入学式の写真を撮ろうとしていたのに友達とばかりいて、

帰ってからお母さんに散々怒られていたよね。

家の前に立たせて写真を撮ったけど、ちょ~ぶすくれ顔・・・




三年前の春にちょっと大きめな制服を着て入場・・・

新入学生を迎える席上には、お兄ちゃんもいたよね。



そのN-nhaが、今日卒業式を迎えた。



勉強に部活に・・・

運動会、南響祭・・・職場体験

友達との色々な思い出があった事でしょう。

二年生の冬には、はじめてのスキー・・・楽しかったと言っていたね。

大偉は・・・いいなぁ~と言ってて

でも、高校でもいくじゃん・・・楽しみにしていたのに・・・ね・・・。


卒業生・・・入場

三年一組から順に入場してくる。

四組・・・N-nhaが入ってくる。


N-nhaの卒業式なのに・・・

この体育館にみんなでバレーボールの大会を見に来たよね・・・懐かしいなぁ。


9ヶ月前・・・

私達に起きた突然の事故。

部活帰り・・・N-nhaを待っている時間もなく、家内は病院に向かった。

そのすぐ聞かされた、信じられない言葉・・・

ビックリという言葉を通り越した言葉・・・

今、なんて言ったの?

朝、普通に元気だったじゃん?と思ったでしょ。

N-nhaにも辛い思いをさせてしまったね。

悲しい思いをさせてしまったね。

病院の入口前からあーちゃんに抱えながら入ってくる姿。

弟を二ヶ月前に亡くしたばかりなのに・・・。

お父っは、そんなN-nhaにかける言葉もなかった。

・・・できなかった。

ただ、頭を1回、2回触る事くらいしかできなかった。


楽しみにしていた修学旅行・・・

今回の事とは関係がないから行ってきなよ。・・・ねっ?

泣きながら迷っていたけど・・・みんなに説得されていく事になった。


告別式の日に来てくださった担任の先生に、辛い思いをしているが、卒業旅行には

行かせて楽しい思い出を作らせてやりたいので、よろしくお願いしますと頭を下げた。


夏休み明けの運動会には、朝からの練習で・・・顔は真っ黒に日焼け。

元気に走っている姿・・・

何とも言えなかった。


卒業式前にもらった、「お父さんお母さんへの感謝の手紙」

反抗なってないじゃん?

迷惑なんてかけてないよ?

ありきたり言葉だったけど・・・一生懸命考えたんだね。

大丈夫・・・そんな事ないから。

その文書にでてくる・・・「かっぱ橋」


かっぱ橋・・・上高地の?

北アルプス?

大偉と一緒に登った北アルプスにいきたいのかな?と思った。

えっ、ほんとに・・・。


隣に座っている家内に・・・かっぱ橋って?

かっぱ橋の道具街でしょ!

あぁ~っ。

かっぱ橋違いだった。



卒業証書授与

中学生活最後の返事。

聞こえない返事をする子もいれば、体育館に響き渡るくらいの大きな声の子もいれば、

返事の代わりに・・・「今までありがとうございました」と言った子もいた。

ピシッとしている子もいれば、今まで通りちょっとくだけた姿の子も

今日が、最後・・・。


私は、正面向かってちょっと左側の一番後ろの席に座ってビデオを撮っていた。



卒業生答辞・・・

学年代表の男の子が読み上げた。


途中・・・「旅立ちの日に」の歌が在校生に送られる。

ビデオを撮りながら、子供達を見ると泣いている子もいる・・・

寒くて、ほとんどの人がコートを着ていた。

私は、一番後ろなので他の方と立ってた。

はじめは、ズボンに入れていたハンカチを学校に着くとコートのポケットに入れなおした。


曲・・・歌声を聴きながら私なりの思い出が浮かんできて、ぐっと堪えながら

ポケットに入れたハンカチを握り締め、舌先をキュッと噛み、少し上を見ながら

こぼれ落ちないように・・・。


N-nhaは何を思いながらこの卒業式を迎えたのだろうか。

何を思い、何を感じながら・・・・


卒業式も終わり・・・昇降口で待っていると仲の良いお友達を出てきてみんなで

記念撮影。


11ヶ月前・・・

9ヶ月前のN-nhaの姿からは想像もできない。

そこには、みんなと一緒に戯れているN-nhaの笑顔があった。

嬉しかった。



ほとんどの子が携帯で写真を撮っているのに・・・・


N-nhaはというと


えっ、スマートフォン?・・・ないない。

7インチ タブレット・・・そんなのない。



DSだった!


写真撮れるの?

夏に買ったのは撮れる見たい。

携帯の容量がなくてそうした見たい


N-nhaらしい。


私達は、校門前でN-nhaと写真を撮り二人で帰った。


あなたの夢を叶えるために進んだ高校。

ゆっくりでいい。

一歩一歩前へ進んで行ってもらいたい。


ただただ、元気に・・・・


願いは、それだけです。




大偉っ、みるちゃん!

今日、あなたが通った中学を卒業しました。

一緒にいたのは1年間。


中庭の桜は綺麗に咲いていましたよ。

あなたの卒業式も思い出しながら・・・


ここから別々の進むべき道へ。

これから先も色々とあるけど・・・


妹をよろしくお願いします。

お姉ちゃんをよろしくお願いします。


ここまで、無事に育ってきてくれてほんとにありがとう。


お互いの両親にも、ほんとうに感謝している。

今までありがとうございました。

また、これからもよろしくお願いします。


白い光の中に 山並みは萌えて
はるかな空の果てまでも 君は飛び立つ
限りなく青い空に 心ふるわせ
自由をかける鳥よ 振り返ることもせず


勇気を翼に込めて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して


懐かしい友の声 ふとよみがえる
意味もないいさかいに 泣いたあの時
心通った嬉しさに 抱き合った日よ
みんな過ぎたけれど 思い出強くだいて


勇気を翼に込めて 希望の風に乗り
この広い大空に 夢を託して


今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に


今 別れの時 飛び立とう 未来信じて
はずむ 若い力 信じて
この広い この広い 大空に

YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=h3I1FiBDdw0&feature=related




南部小の卒業式に卒業生が歌う曲・・・


小学校卒業式で卒業生が歌う曲で、息子の卒業式で始めて聞きました。
とても良い曲に感動した覚えがあります。

もう少し言葉の意味を深く感じられていたら・・・

これからも、この意味を噛みしめ家族の人生、自分の人生、そして・・・
未来があった息子の人生を一緒に歩んで生きたいと、またあらためて感じました。

いつまでも忘れないように・・・



今までの人生で・・・

これからの人生も・・・


※あえて、このYouTubeを選びました。


「おそすぎないうちに」  作詞作曲 中山真理 


なくしてしまってから その大切さに気づいて
悔やんだり 悲しんだりしても 遅すぎるよ


もしかしたら一番 この世で大切なものは
普段あまりに身近すぎて 気にもとめていないかも


今あるすべてのものは あたりまえなんかじゃなく
今あるすべてのものが 奇跡的にあるとしたら
君はどうやってそれを 守るだろう


遅すぎないうちに 間に合う今のうちに
出来る限りのことをしよう
生まれて こられたお礼に


なくしてしまってから そのあたたかさに気づいて
悔やんだり 悲しんだりしても 遅すぎるよ


もしかしたら一番 この世で大切な人は
当たり前と決めつけてて いると疑わないかも


生きてるすべての人は なんとなくなんかじゃなく
生きてるすべての人が ぎりぎり生きてるとしたら
君はどうやってそれを 愛すだろう


遅すぎないうちに 間に合う今のうちに
できる限りのことをしよう
生まれて こられたお礼に

http://www.youtube.com/watch?v=lAxKAH6j42U&feature=related


ちょっと・・・この歌

「大切なもの」

http://www.youtube.com/watch?v=ZgoLxb8XQbc&feature=related

ほんとにいつか、「ありがとう」と言いたい。

2012年3月12日月曜日

12日(月)曇り・・・「仏」


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



今朝は直行して、お客様との打合せ・・・始まりが遅かったので

だいぶゆっくり家を出る事ができた。

柏に着くと、常磐線快速が止まっている。

時刻もくるってる。

人身みたい。

そのまま、野田線に戻りTXで新仲御徒町まで行った。


お客様との打合せを手短にすませ、山手線に乗った。


いつもなら、大偉の事故した時の顔が出てくるんだけど・・・


今日は、違っていた。


白い骨壷の中に「仏」が入り、頭蓋骨で全体を覆い蓋が閉められた・・・


今まで、そんな事思った事もなかった。


いつも、大偉っ、みるちゃん・・・おはよう! と ちょんちょんと触って

仏壇の電気をつけるんだけど・・・



「これが、大偉なの?」


これが・・・


昨日まで元気だった大偉なの?


それにしても、2ヶ月間で二人の男の子の「仏」をみる事になるなんて・・・


blogには・・・「亡くなる」という言葉から「旅立つ」という言葉にいつの頃からか置き換えた。


でもね、今日始めてこんな事を思うと「旅立つ」という言葉では置き換えられないくらい



辛い


本当に・・・辛い。



大偉っ、みるちゃん・・・明日ね、N-nhaが中学を卒業するよ。

二年前の大偉の卒業式を思い出すよ。


ちょっと早すぎだよ・・・。


2012年3月11日日曜日

11日(日)晴れのち曇り・・・一年後

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝起きると、3.11の番組が流れていた。

今日は、夕方から稽古だから・・・・


昨晩、卒業式までに髪は切りに行くの?

う~ん。どうしようかな?

結局、髪を切りに出かけた。

お花を二束買って・・・。


帰りに、現場によってお花とお線香を手向けた。


3.11・・・

何時ごろだっけ?

2:30くらい?

いや3:00くらいじゃん・・・。

時間がわからない。

でも、会社にいた時間と日が暮れる時間から、この間くらいかな?と思っていた。


2:46:18pmだった。


各地で、みんな手を合わせ黙祷を奉げていた。

遠い外国でも・・・。

お昼は・・・柏のVolksで食べた。


大偉が小さい頃に来たなぁ~。

あぶちゃんをつけて。

あの辺りのテーブルだったかな?(ちょっと場所は変わっていたけど)

まだ、小さくてね。

ミッキーのスプーンとフォークを使って食べていたね。


Volksに向かう車の中で。

N-nha!

卒業式まであと3日だね!

えっ!

明後日だよ!

14日って言ってたじゃん。

違うよ13日だよ。

メールで14日ってきたじゃん。

送ってない!

送ったよと言いながらメールを見ると

・・・


「卒業式13日だった」


あちゃ~。

有給届けは14日に出しちゃったので、明日変更しなきゃ・・・

仕事の予定も1日ずれちゃった。

やばっ・・・

仕事よりも、卒業式を間違えてしまって最悪だぁ~。

前日にわからなくてよかった。

あぶない、あぶない。


昨日のK-noさんの一区切りの稽古写真を撮ろうと持っていったデジカメに

バッテリーを忘れてしまったので、帰ってからすぐに入れた。

昔、雲取山(東京都)に家内(ものすごく若かったなぁ)と友達で登ったはいいが

シャッターを切ってなんかおかしいな?と思ってあけるとフイルムが入っていなく

1枚も写真が残っていない・・・これまた苦い経験がある。

その場では、三人とも絶句。

その瞬間の写真が取れないんだから・・・。

でも山は逃げないから・・・でもその時の景色は二度と同じものはないよね。



夕方・・・二ツ塚へ稽古に出かけた。


稽古挨拶直後、M-tdo指導員から3.11のお話しを子供達にして

全員で黙祷を奉げた。


私も、東北の多くの方々と、大偉に黙祷を奉げた。


まだまだ復興の道は険しい。

自分は何ができるのか?


前に、龍の方からいただいたメールを読み返した。

「無常」受け止める


ほんとに、何もできないが・・・

話しを聞いたり、寄り添う事はできる。


が・・・

なんて言葉をかけられる?

本当は、わからないな。


大偉っ、みるちゃん。

お父っはさ、旅に出ているあなた達の側にいて寄り添う事はできないが

触れる事はできないが・・・

ただ、そこにいなくても気持ちは寄り添っているよ。


本当は、旅に出ているなんてまだ信じられないというか・・・

信じていないというか・・・

上手くお話しできないんだけど・・・

なんでこんな事、俺がやってるの?

大偉が、お父っにしてくれるんじゃないのってね。


今日ね、3.11の一年後を迎えたんだよ。

大偉は学校帰りだったから、中々、電話が繋がらなくて心配したよ。

みるちゃんは、ブルブル震えてね。

お父っは、会社泊。


みるちゃんの一年後。

大偉の一年後を、どう迎えるのか・・・


わからない。





2012年3月10日土曜日

10日(土)雪、雨のち曇り・・・みんなありがとう。


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、福岡転勤が決まった・・・


K-noさんの最後の稽古と、壮行会。

みんなを集めてサイゼリアで食事会。


朝起きて雨戸を開けると・・・雪が舞ってた。


えぇ~、マジ・・・。


大偉とみるちゃんに挨拶をし、お水を交換。


香をたき・・・手を合わせた。


「今日で、K-noさんは転勤で最後の稽古になるから、大偉もみるちゃんをつれて

きてよ」と伝えた。



最後の稽古では、Jim-Tの粋なはからいで一人一人が受けで自由技を行い

一般部の稽古をしめくくった。


その後は、みんなでお食事会。


みんなの合気道をはじめた当時の話や、蕎麦屋での武勇伝・・・・。

酔っ払いすぎて、受身を取りきれず血だらけで帰ったとか!

上官に殴られたのか?と・・・H-shiが聞く!

M-eちゃんからは・・・「まったく稽古の成果かでてないじゃん」と言われ

ちょ~ウケル。


実は・・・マグナムワインでやられた○-noさんでした。


いや~、サイゼリアのお話しは何度聞いても笑える。



みんなの色々な思い出話でお酒もすすみ、楽しいひと時でした。

2時間のつもりが、5時間くらいいたんじゃない?


マグナムは2本くらい? +デカンターを頼んで結局3本くらいかな?

人数が多かったから、それほど飲んだ気はしなかったけど、

昔は4人または5人くらいで4本から5本だもんね。


そりゃ、受身もできないよ。

あっ、ちょっとしつこいね。ごめんちゃい。


お話しの中には、大偉との思い出話しや、先生方、他の同好会の方々が私の

事を気にかけて下さっている話しを聞いた。

blogもみんな見ていると・・・。


私は、これを読んだ方々からの返信もありかな?と思ってはいるが

事が事だけに・・・。

やはり返信はできないんだと・・・。

逆の立場だったら、私もそうだなと思った。

私の事はどうでもいいと思ってたが、私が元気にならないと先へは進めないと

いう事だなと感じた。


みんなで食事をしながら、あらためて大偉が生きた証は、ちゃんとみんなの

心の中にもあるんだなぁ~と思った。


愛宕駅までの帰り道・・・・

えっ、もう飲まないの?

今頃いう奴がいた。

た~ちゃん。

前に言ってくれれば、行ったのに・・・。

そりゃそうだ・・・じゃ、福岡に行く前に銀座で飲もうと誘った。

OK!

とにかく銀座は、綺麗な人ばっかりだからH-shiなんか倒れちゃうよ・・・!

ほんとうに綺麗なんだからさ。

そうだ、I-kwaさんと、I-ueさんも誘おう!


それにしても、私から誘うなんて・・・・

ちょっと前に進んだのかな?

それとも酔っ払った勢いなのかな?

そんな事はどうでもよかった。

とにかく・・・大偉を知っている方と飲みたかっただけだった。



結構みんな、私の近いところで勤務しているのに

なんで今まで飲まなかったかな?なんて思ったりもして。


大偉の事もいっぱい話せたし・・・今後の最終局面をどうするのかも

なんとなく進む方向が決まったかな?という感じだけど、もう少し資料を読んで

冷静に受止めなければ話せないから・・・その時はK-noさんよろしくお願いします。


梅郷駅でK-noさん、H-shiと別れ、裏道を帰りながら、ふと50年後を思った。

たぶんみんないないな・・・(ごめんなさい、ちょっと失礼でしたね。)


大偉を探してくれるかな?

なんて勝手な事を思っちゃって・・・・泣けちゃった。

勝手に思って馬鹿みたい。

たぶん、もっと格好いい男になって探せないかもね!



嵐の曲から

ふりむくな 後ろには明日はないから・・・


ほんと、そうだな。


I-kwaさんが事故現場に足を運んでくれた・・・ありがとうございます。





2012年3月9日金曜日

9日(金)雨・・・こんな記事が


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、本当に寒かった。

たま~に、Googleで「田中大偉」と検索するんだけど・・・・


えっ!


はじめて見る記事だった。



アイクの声は日本語も英語も耳が幸せになる | 「ウマコセ」

2 日前 – サウスパークの吹き替え第3シーズンまでのアイクの声をやってた(当時) 子役の田中大偉君なんだけど、動画のコメに「彼って亡くなったんだよね…」って内容があったから、本当だったら早死ににもほどがある…という事で、色々調べたらこの ..


ちょっと気になって訪問しました。


サウスパークも好きなんですね。


私は、WOWWOWに入っていなかったので、会社の人に何度か録画をしてもらい

見ました。


あんなに小さい子なのに


アイク  田中大偉


とエンディングの声優者の表示がされた時はビックリしましたよ。


ちょ~有名人の俳優の方々と一緒に仕事したなんて信じられません。


当時は掲示板にもサウスパークにたくさんのコメントが寄せられ、

私も何度か書込みをしました。


何回目かの仕事に出かけた家内は、お父さん頑張っていますね!的な事を言われた

ようで、すっかり私が書き込んでいる事をスタッフにはバレバレでしたよ。


アイクそっくりではないですが、本当に可愛かったですよ。


アイクはおちびなので、それほど出演はなかったと思いますが、


いつまでもサウスパークを可愛がってくれればと思います。



・・・・


大偉の事を知らなくても、こうして見知らぬところから繋がっていると思うと

ほんと不思議。



2012年3月8日木曜日

8日(木)曇り・・・5970日


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日・・・ポストに大偉あてのお手紙が入ってた。


・・・5970日。


大偉が旅に出るまでの月日だそうだ。


私も、以前生まれてから何日かな?なんて思った事もあったけど

数える事はしなかった。


この倍で32歳。


さらに倍で・・・64歳


私が先に旅に出るんだったのに・・・。


ほんと馬鹿だな。



1日1日・・・色々な思い出があり。


5970日分の思い出があるんだね。


誕生。

お宮参り。

お食い初め。

入園式・・・発表会

小学校入学・・・運動会

中学入学・・・部活動

高校入学・・・


これ以降は・・・。


色々な学校のイベントには必ず見に行った。


その時しか見れない・・・今しかないからと思っていたから。



でも・・・

そういったイベントだけではないんだと気づかされた。




毎日がイベントなんだと・・・。


毎日毎日を大切にしなければならなかったと、今頃になって気がついた。


情けない・・・。



毎日毎日、未来から過去に移り変わり思い出に変わっていく。



世の中の歴史は・・・新聞に掲載され



家族の思いでは、心に刻まれていく



旅に出ている、男の子二人の子達とこれからも心に刻んでいく。



いつも、お手紙ありがとう。

ところで・・・5970日にはうるう年も入っている?


2012年3月7日水曜日

7日(水)曇り・・・響かせよう!


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



今、少年初段審査を受けられるかどうかの子達と稽古している。

たぶん・・・

他の人が見たら・・・まだ、早いんじゃないの?と思うかもしれない。

審査を受けられるかどうかは、今週の稽古で決まる。

仮に受けられるとなっても、審査に合格するとは限らない。


少年部の審査稽古。

受身、基本動作を行ったあと、私が受け持って指導をしている。


「先生に礼」・・・「よろしくお願いします!」

「はい、よろしくお願いします」とはじまるのだが・・・


そこで、声が小さいとはじめからやり直し。


向かい合っての掛け声のあとの「お互いに礼」


「よろしくお願いします」・・・声が小さ~い。


やり直し・・・何度でもやり直させる。


あなた達が今度審査する、中央武道館には100名近い人が集まり審査に

臨んでくるのに、そんな小さな声では聞こえない。


本当に審査を受けに行くのか?


何かをしたい時・・・

何かをしてもらいたい時・・・

何かを訴えたい時・・・

声を出して、お話しをするでしょ?


でもね、ただ声を出すだけでは誰も動いてくれないよ。


気持ちを出すんだよ



声を出して、気持ちを出してようやく話しを聞いてくれる。



相手の心に届く

相手の心に響く


そして、相手が動き


助けてくれる。

力になってくれるんだよ。


最後は、自分も一生懸命やらないとダメだよ。


だから、今週の稽古は私も気持ちをだすから、頑張ってついてきてよね。


結果も重要だけど、そこに辿り着くまでの過程が大事だよ。

どうやって、ここまで準備をしてきたかが大事なんだよ。

プロセスっていうやつがね。

そりゃ、受ける事ができたら合格してもらいたいよ。

もしかしたら、心に傷を負わせてしまうかもしれないなぁ~と正直思うが、

受けられるように稽古をし、受かってもらえるように稽古をするんだから・・・

こっちはチャレンジしようとする子供を信じて頑張らなくちゃね。

この少年初段は、審査のための稽古となってしまっている事を少し反省している。




相手が動いてくれない。

いう事を聞いてくれない。

言ってもしょうがない。

言ってもどうせダメじゃん。


という前に自分が動き、相手に気持ちを届かせようとしよう。


気持ちを押し殺すのではなく。

耐えることではなく。


真剣な気持ちは、必ず・・・きっと届く。


大偉っ。

旅先では、ちゃんと声に出して気持ちを出して伝えていますか?

諦めたら、届かないよ。

ちゃんと届くようにがんばろう。

届かせるようにがんばろう。

お父っも大偉に届くように頑張るよ。

みるちゃん、大偉の側から離れないようにね。よろしくだよ。





2012年3月6日火曜日

6日(火)晴れ・・・別れ


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日とは違い、今日はポカポカ陽気・・・まるで春を感じさせる。


三月・・・別れの季節

今まで野田同好会を支えてくれた。K-noさんが福岡に転勤になる。

昨年の今頃は、静岡転勤と聞かされた・・・私としてはショックだった。



その後


3.11・・・

東日本大震災。


一旦は、延期となったが・・・・

辞令は、さらに遠くの福岡。


同好会掲示板には、養神館合気道を決めた思いから、参段審査までの思い出が

綴られていた。

その中で・・・

参段審査稽古の時の大偉の事も書いてあった。

そんな事もあったんだと懐かしくおもった。


大偉もしっかり稽古しているのかな?


K-noさんには、稽古ももちろんだが運営についても色々と相談したし

たくさん助けてもいただいた。

寂しくなるけど・・・

また、戻ってきてよね。

その時は、H-shiは二段になっていると思うからさ。

楽しみにしていてよ。


別れって、本当に寂しいよ。

普通の別れ・・・?

うまく言葉で言い表せないんだけど・・・

会社以外での別れは

その人の歩んできた人生に大偉もすくなからず関わってきたから


その人に大偉はどう関わってきたのかと想いだしてしまうから・・・


だから、私にとっての別れはものすごく寂しく、悲しいです。


K-noさん!

今までありがとう。

これからもよろしくね。

壮行会では、泣かせるような話はしないでよね!

2012年3月5日月曜日

5日(月)雨のち曇り・・・僕も行く!


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝から雨。

駅まで送ってもらった。


外出から戻ってきてから、明日の会議資料作成に追われた。


昨日のデザイン作業の疲れで・・・


ちょ~眠い。


眠くて、眠くて仕方がなかった。


ようやく今日のノルマを終わり、帰り仕度。



雨もあがったので、梅郷から歩いて帰ろうと思ったが、駅まで迎えに来てくれた。


いつもだったら・・・


「僕も行く!」って


玄関先の家内の足にまとわりついて、助手席の籠に入れられて一緒にお迎えに

くるんだよね。


外を見ながら・・・

まだかな?

もうすぐかな?って

待っていたよね。


帰りの車の中、後ろの席から手を伸ばして、みるちゃんに触るとペロペロと舐めて。


そんな事も今ではできなくなり・・・


大偉の横で、大偉のちょっかいにペロペロしているのかな?


喧嘩もしていたけど、仲良しの男の子二人の写真を見るたびに・・・・


出来事の大きさをあらためて感じるよ。


命の大きさ。

命の大切さ。

命の尊さ。

命の儚さ。



二人で旅もいいけど、たまには顔を見せに戻っておいでよ。


今度、みんなで食事をするからきてよね。

2012年3月4日日曜日

4日(日)曇りのち雨・・・制作


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


2002年くらいかな?

うちの会社もホームページの仕事を請負うようになったのは・・・。


即席で部署ができたので、今思うと酷いデザインだった。

素人集団の集まりで、illustratorやphotoshopなどまともに使えなかった。


私も、2000年問題の後、現在の仕事のだいぶ以前に携わっていた。

凄いデザインは出来なかったが、もともとデザインに興味があり家内を説得して

会社の帰りに学校にも通った。


結構お金もかかった。


この件で、家内にもじいじにも心配をかけてしまった。


結局、今の会社にとどまったまま・・・。

出て行く事ができなかった。

世の中、そんなに甘くない。


現在は、2000年問題の前に担当していた仕事に戻った。


出荷物のデザインパッケージの制作も一からではないがある物を

使い制作するのでちょいちょい仕事が入ってくる。


本業で生計を立てる事はできなかったが、そのお陰でデザイン関係の仕事は

私に回ってきているが・・・


学校に通って得た制作物が、みるちゃんと大偉のためのデザインとなるとは・・・


こんな事に使うなんて夢に思わなかったよ。


当時の先生とはデザインの事でメールをしているが・・・・


これも必然なのでしょうか?


家内が考えたデザインを、私が制作する。


制作物が制作物であるだけに・・・言葉にならないなぁ。


こんな事まで、必然じゃやりきれないよ。


私達が、お墓を建てる事になるとは・・・



大偉とみるちゃんがここで生きた「証」となる。


http://www.youtube.com/watch?v=bjwv4m-Aji4&feature=fvwrel




2012年3月3日土曜日

3日(土)晴れ・・・デザイン


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、稽古が終わったら墓石のデザインを日曜日中に仕上げないと・・・。

とうとう、最終期限が迫ってきて、せっつかれてしまった。

やばい・・・徹夜かも。


今までのデザインは半分生かせて、新たに制作しなければならない。


ある程度終わったので、明日配置をやり直そう・・・


今日は、普通に寝て明日やろう!


終わるか心配だけど・・・。


雛人形も出さずに、終わってしまった。


来年は、出すよ。





2012年3月2日金曜日

2日(金)雨・・・涙雨?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


家を出た時、旅立つ前夜の日・・・9:00pmを思い出した。


涙雨・・・。


突然振り出した、もの凄い雨。


来てくださった方々、お手伝いしてくださった方々が帰ってた後だった。


全員が家に着いた頃を見計らっての涙雨だったのかな?


大偉の優しさで、踏ん張ってくれていたのかと当時は思っていた。


それもあると思うんだけど・・・


今朝は、本当は・・・・


大偉がおお泣きしたんだと思った。


無念さ。

悔しさ。

まだまだ、みんなと一緒にいたかった寂しさ。

色々な思いが


あの日の涙雨だったのかと思った。


みんなの前では、泣き顔を見せず


帰った後に・・・泣いたんだと。



お父っは、

あれから、涙に暮れる毎日だよ。


お前と一緒だよ。


悔しい。

2012年3月1日木曜日

1日(木)晴れ・・・ちょ~ビックリ!


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


午後から、ずっ~と物件の打合せでコナーに入りっぱなしだった。


ようやく終わったのが、6:00pmちょっと前だったかな?


いつも、Outlook2010とgmailを立ち上げておくんだけど・・・



匿名さんから・・・

[田中大偉 妙法 清澄院日大信士 KAWASAKI ZEPHYR 400 大偉 たなかだいい] 28日(火)晴れ・・・チャンピオン に新規コメントがあります。


とgmailに通知されてあった。



えっ!


blogに直接、コメント・・・?   があったんだ。


しかも、28日のblogに・・・こんな事ってあるんだ。




誰もがやっているblogならコメントもあるだろうが、内容が内容だけに閲覧する人は


いてもコメントまではないなぁ~と思っていたが・・・




ちょっとビックリもしたけど、ちょっとうれしかった。




コメント返信はしたけど、大偉の事をたまたま知っているのかな?



blogや、Twitter、メール、携帯等々の威力は相当すごい。


大偉のblogは、ごく一部の人しか知らないのかと思っていたら・・・結構見て下さって


いる人が多いという事をしった。


公開しているという事で、良い事も悪い事もあると思うし、色々と覚悟しなければならない


事もあるんだろうなと公開当時から思っている。


でも、知らない人とでも繋がるんだなとあらためて感じた。


不思議。