2013年4月30日火曜日

30日(火)曇り・・・ゴールすること

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


一位と最下位との差なんて大した事はない。

ゴールする事としないことの差に比べれば・・・



この言葉・・・なんとなくわかる気がする。



ものすごく深い言葉として心に響いた。


そこに辿り着く過程が大事なんだと・・・

 

2013年4月29日月曜日

29日(月)晴れ・・・二人セットで

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳
朝から、夜まで目白押しのスケジュール。
今年度の規定技講習会から第2道場開設式・・・総会が終わったのが
多分?15:00を回っていたかな・・・まったく覚えていません。
R-seyさんと別れ、私はI-ueさんから今日は電車ですか?
一緒に帰りますか?とのお誘いで、さいたま同好会の方お二人と四人で話しながら東西線の浦安駅方面に向かった。
最近は、新浦安へ歩いて帰る事が多かったので、3年振りくらいに歩く道のりだった。
大通りから右へ曲がりさらに左に曲がると、見慣れた中華料理屋。
もう5年から6年前になるのでしょうか?
龍新年会の帰り、I-ue先生と二人で帰った時に一緒に飲んだ場所で、
その後二年に渡り、新年会の帰りといえばそこで飲んで帰った。
いやぁ~久しぶりだなぁ~と心の中で思っていた。
飲んで帰るかな?と思っていた矢先・・・ちょっと行きますか?のお声がかかった。
色々と、真面目な話もしながら・・・そろそろかな?と思っていると
裏の席には安藤先生の一団が・・・。
途中から合流し、短い時間でしたがご一緒させていただいた。
散々飲んで、皆さんとお店を出た。
帰る先生方を見送って、ふと振り返ると
目の前には、N-miさんとN-hta夫妻。
私を囲むように立っていた。
私の顔をみると必ず笑顔で声をかけてくれる。
その笑顔を見るたびに、力をもらって帰る。
そのお礼を言っているとなぜだか涙が溢れてとまらなかった。
止め処ない話しになってしまいましたが、
来るときは、いつもセットできてください。
二人でセットですから・・・とK-oruさんから言葉をいただいた。
大偉を知らない人から・・・嬉しかった。
I-ue先生をすっかり待たせてしまって・・・
今度は、私がお誘いしてJR上野駅構内の蕎麦屋で最後のもう一杯を飲んで
今日一日の締めを終えた。
最後のお話も子供達のお話し・・・
最後の最後までお付き合い下さいましてありがとうございました。



 

2013年4月28日日曜日

28日(日)晴れ・・・座り込んで

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


お花を手向けに大偉とみるちゃんに会いに行った。

とても良い天気だ・・・


お線香を焚き、墓前の前の芝生に腰を下ろし


大偉とみるるの名前が刻まれた墓誌を眺め

お話ししながら、思い出していた。


いつもは、そのまま帰るんだけど・・・

今日に限っては、腰を下ろした。


己塁・・・享年十歳

大偉・・・享年十六歳


あまりにも短すぎる。


ここに子供達の名前が、私の生きているうちに刻まれる事になるなんて・・・



2013年4月27日土曜日

27日(土)曇り・・・航空自衛隊の親友

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


茨城県小美玉市百里170・・・百里基地


お互いが戦闘機のパイロット。

しかし・・・ある理由から一人は航空自衛隊の広報担当に配属された。


同期の二人が久しぶりに顔を合わせたのが、ここ百里基地。

帰島し、戦闘機から降りる。

お互いがゆっくりと歩み寄り近づいていく。

しっかりとお互いが肩を抱き寄せ抱きしめ合う姿。

ドラマでの1シーン。


ここには、この二人しかわからない

楽しかった事、

辛く、苦しかった事、

色々な思い出が詰まっているんだと。

決して、他の人にはわからない宝があるんだと思う。



この姿を見て、一緒にバレー部で汗を流し競いあった他校の

Y-ki君と重なりあった。

高校は別々に進んだが、いつも連絡を取り合っていた。

自宅出棺の前夜だったかな?お母さんに連れられて来た。

大偉を見るなり・・・泣いて泣いて言葉にならなかった。


一周忌・・・墓前では、ひと目もはばからず泣いていたという事を

管理人の方から聞かされた。


この子を思い出すと・・・

間違いなく一生付き合っていく友達の一人だったんだなぁ~と思う。


今年もお墓に来てくれていた。


あれから二年・・・

負けず劣らずのいい男になっているんだろうね。


2013年4月26日金曜日

26日(金)曇り・・・福

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今月の締作業もどうにか終わり、夕方清澄白河の協力会社で打合せをしていた。

事務所に入ると、大きな山の油絵と一枚の写真と記事が目に飛び込んできた。


北アルプスの涸沢カールから奥穂高岳から前穂高岳によく似ていたので・・・

聞いてみると、仙丈岳だという。


写真は、冬・・・4人のパーティー。

記事は遭難の内容。


4人で撮った最後の写真となった。

登頂を試みたが、断念・・・

その帰りのルートを誤り雪崩に巻き込まれ二人が亡くなった。

そこにも生死を分けた何かが存在したんだ・・・

色々と山の話しをしながら、大偉と登った北アルプス、富士山を懐かしく思い浮かべていた。



19:00・・・新橋

メールでいただいた地図を頼りに「福」の看板を見つけていた。

ちょっとだけ迷ったが、看板をみつけ外から覗くと、R-seyさんとH-shiがいた。

私は三番目

しばらくして、大阪からS-miさん

ちょっとして、K-yamaさんが到着。


話題はなんと言っても、R-seyさんの四段審査。


しかも・・・「肩持ち自由技」


3月末・・・上野公園のお花見の後、3人で飲屋に入って散々話しているのに

今日もその話題からスタート。

今日は、後からI-ue先生も来るから、受けをした当事者からも一言、二言

いただかなくちゃと思っていた。


結局、最後まで「肩持ち自由技」


I-ue先生から仕事に都合で来れないとの連絡が入りその場を解散。

きていただければ、最高にバージョンアップされた話しになった事でしょう!

次回、お願いしますね!


肩持ち自由技から、肩持っちゃった自由技に名前も変更されて

終始、四段審査の話しで終わった。

もしかしたら、肩持っちゃった自由技の紹介ビデオをI-ue先生が制作するかも?なんて話しながら出演は俺たちだな?と歩いていた。

帰りには、神社でお参り。


会社にはないこの空間はなんだろう?

はるかに会社に人と一緒にいる時間が長いというのに

不思議な繋がりですよ。

 


R-seyさん。
私が言うのもなんですが、四段審査良かったですよ。
あなたのその顔、その背中は一生忘れません。



2013年4月25日木曜日

25日(木)曇り・・・どこから

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


JR南千住駅からバスで10足らずのお客様に向かっていた。

いつもなら、来た道をそのまま戻って帰るのだが、今日は

そのまま浅草からら北千住駅に向かって帰るルートを選択した。


最近スカイツリーの周辺のお客様に行くことが多かったので

電車からみるスカイツリーではなく、降りてみて見たかった。


バスで東武浅草で下車・・・

浅草もやはり賑わっていて、カメラが向いている先はスカイツリーだった。


私も、デジカメを持っていたのでちょっと恥ずかしい気持ちもあったが

写真を数枚撮った。


2010年5月・・・

大偉はどこでスカイツリーを見ていたのかな?


大偉は、スカイツリーが見えるどこかに立っていたんだ

実際にここにいたんだと・・・



スカイツリーの完成したポスターには

3000万人に会える・・・というキャッチがついていた。


いまでは、そのはるか何十、何百、何千倍を大偉は見ているのだろう・・・

2013年4月24日水曜日

24日(水)曇りのち雨・・・AI

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


AI・・・

「ひとりじゃないから・・・

なか卯で夕飯を食べていると流れてきた。


やはりこの時期にこういう曲は、心にこたえる。


大偉が持っているCDに入っている一曲だ。

現場から帰ってくる車の中で聴いて、前が見えなくなり

車を止めた事も何度もあった。


あの時は何も考えらえなくて、ただただ現場に足を運ぶしかなかった。

2013年4月23日火曜日

23日(火)晴れ・・・ここにいたんだ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


先月の人間ドックの延長で脳ドックのため有休・・・。

頭がなんとなく痛い日が続いたのと、人間ドックのハガキが届いた時に

脳ドックとの「春キャンペーン」と書いてあり思わず申し込んだ。


検査はMRI・・・約20分くらいかな

数年前に腰をレーザー手術した時に何回かMRIをした事はあったが

今回は、頭を撮影するために、おでこと顎をマジックベルトで固定して

しかもキャッチャーのお面みたいなのが上に被る。

なんてこった・・・キィ~ってなる感じで、狭いのが苦手な人は大変だと思うな。

医師からの診断結果は事務的に、「特に異常は見当たりません」で終わり。

異常がないのは良かったんだけど、あっさりしすぎてもう少し何かあるだろうって感じ。

特に気になるところはあるか?とも聞かれないし・・・

まっいっか。


先週の宇宙兄弟の録画を見ていた。


JAXA・・・宇宙飛行士の試験

閉鎖ボックスに5名が2週間滞在し全員で協力しながら課題を進めていく。

最後の日、主人公の南波六太達は小麦粉からうどんを作る。

みんなでこねながら、共通の宇宙の話題で盛り上がる。


その中の、シャロンおばさんの話題で盛り上がる回りを見ながら

「ここにいたんだ」と心の中で思う。


この・・・「ここにいたんだ」という台詞

なんとなくわかる気がする。


会社の中では、たくさんのしがらみが多すぎて、分からないことが多すぎる

こんな言葉を感じた事はないが・・・


この言葉を聞いた瞬間

真っ先に思い浮かべた顔は

同じ合気道仲間の方々。


この言葉に救われた感がある。

2013年4月22日月曜日

22日(月)晴れ・・・新学期がどうだい?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


お~っい!

新学期はどうだい?

また新しい友達ができたか?

今度は色々なところから、色々な考えをもった友達がきたから面白いでしょ?

自分の足りないところは、友達に教えてもらい学べば良い。


とにかく多くの友達と話して!


お父っも、4月は色々と準備があって大変だったけど、もうすぐGWだから頑張るよ!


勉強も、もちろん大事だけど・・・


話すというコミュニケーションが一番大事だからね。


お父っはいつもの方達と飲みュ二ケーションだよ!


じゃ、金曜日に待っているから。










2013年4月21日日曜日

21日(日)雨・・・寂しいなっ。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日は、iPadのおかげで無事に梅郷に着くことができた。

ついこの間は、iPadでメールしたりWebを見たりしているにもかかわらず

自分の意識のないところで、寝てしまい案の定、野田線に乗れなかった事があった。

本当に帰れてよかった。



・・・・9:30頃かな?起きたのは・・・

みんなで春日部のイーオンに出かけた。


特に何を買うわけではないが食事をしたり、N-nhaはまたマンガ本を買ったりと・・・



買い物をして家に帰れば・・・


何処か遊びに行って帰ってくる男の子達でもなく

考えるとやっぱり寂しいです。


でも、ところどころ大偉の話しや、みるちゃんの話しをしていると

少しだけ心が安らぐのもある。


いま、どうしているのかな?








2013年4月20日土曜日

20日(土)曇りのち雨・・・久しぶりに。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は流石に寒かったです。

昨日も寒かったけど、道場も冷んやり…(・_・;

二週間振りだけど、しばらく来ていなかった感じがした。

今日は、吹上の稽古にも参加するので、大偉の道衣と帯びを持って家を出た。

先週の日曜日には、二ツ塚の体育館で遊んでいる子供たちを見ながら

大偉もキャッキャッ言いながら遊んでいたな。


今日は、二ヶ月振りに吹上の稽古に参加した。

皆んな、気持ちよく迎え入れてくれた。


野田の稽古とは、また違う雰囲気があるので稽古していてもワクワクする。

はじめての短刀操法。。


その後は、得意の剣操法。。

途中から演武稽古とはいえ、楽しく参加できた。


稽古後は、I-ue家、K-tohさんとの食事会。

もちろん合気道の話し、子供たちの昔話、大偉の話し。

基本は、合気道…。

今、吹上にいるなんて感じさせない空間だった。

今、11:35PM。

野田線のなかです。

無事に梅郷に着けるだろうか(≧∇≦)

大偉っ!

R-maに会ったのは、久しぶりでしょ?

大分、大人になったよね。

5年後、10年後が楽しみだよ。

その頃お父っは、もうおじいちゃんかも。


W-kaちゃんの事、覚えてる?

あんなに小さかったのに、もう中1だよ。

もう眠たいんだけど、頑張って起きてるよ〜っ。


続きはWebで…*\(^o^)/*


2013年4月15日月曜日

15日(月)晴れ・・・この時期は・・・

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


4月という時期は・・・

桜も咲き、何かを始めるには、とても良いスタートを切れる時期・・・

とにかく長い冬から、一気に心が開ける。


・・・


お昼をずらしてなか卯に食べに行った・・・流れた曲は、

あゆの曲だった。


しかも、あの時に流れていた曲だったので何とも言えない気持ちになった。


当時を鮮明に思い出してしまう・・・。


大偉が好きで買ったCDなのに・・・

そのCDを聞くことができないなんて・・・



この4月から6月という時期はいつも写真を見ている感じとは

まったく違う気持ちでみるちゃん、大偉の写真を見ている。


みるちゃんと大偉は、どこかで見てくれているのだろうか?

私達の声をどこかで聞いているのだろうか?


どうしているのか?

2013年4月14日日曜日

14日(日)晴れ・・・可愛いお花

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



夕方・・・みるちゃんと大偉に会いに行ってから、その足で現場まで行った。。

風もだんだんと冷たくなり、強くなってきた感がある。


小さな花瓶に大偉の好きなピンク色のカーネーションなのかな?

手向けてあった。

ついさっき、手向けに来てくれたの?という感じがするくらいお花が綺麗だった。

駅からも歩いて遠いいし、車とかがないとちょっと不便な場所に

今でもどなたかが立ち寄ってくれているなんて…

残された親としては、嬉しい限りです。

本当にありがとうございます。

2013年4月9日火曜日

9日(月)晴れ・・・命日

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


二年前の未明・・・

合気道の稽古に向かうため2階から起きてきて

和室を覗いたら倒れていた。


前の晩、私が立っていた場所に倒れて・・・

夜遅く帰ってきたが、すぐには出てこなく

私は、そのまま2階に上がっていった。


そのわずか数時間後。


私が、最後に立っていた場所で・・・・

挨拶をしにきたが、もうすでにいなかった私の立っていた場所で

小さな体が横たわっているという感ではなく、

倒れたという感じだった。


その半年くらいまえに見つかった、器官から肺にかけての病気。

もう少し、一緒にいれる時間はできた。


助けてあげる事ができなかった。

あんな小さな体・・・

フォトフレームには、大偉とN-nhaとみるるの三人が小さく写っている。

おちびな三人が

いつも一緒に

仲良くしたり、喧嘩したり、助け合ったり、かばったりと

みんなで成長してきた。


ちょっと、今は別の世界で離れて暮らしているけど


いつも一緒だよ。



大偉っ!みるるをよろしくね。

みるるっ!大偉をよろしくね。


2013年4月8日月曜日

8日(月)晴れ・・・スタートライン

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

大偉!次のステージが始まるね!

今までとは違って、学ぶ事が多いから少しは気合を入れて

勉強をしないと卒業できないぞ!

高校は、まだ中学の延長だったけど大学はそうはいかないからね。

大学は、勉強以外にも学ぶ事はたくさんあるよ~っ!


色々な人と、沢山話すんだよ!
恥ずかしいとか言ってる場合ではない。…関係ない。
ここではたくさん話して、色々な考え方を勉強するだよ。
実践でコミュニケーション能力を身につける事が一番早い。

内容なんて、はじめはいいんだよ。

とにかく、多くの友達と多く話すこと。

自分から、心を開けば必ず相手も開くから。

いつも心を穏やかに、ニコニコしていれば相手から寄ってくるよ。

あなたの今まで歩んできた、友達に接する態度は、

間違っていないから、何も心配する事はない。

気がつけば、友達になっているよ。

また、もっと先輩との関わり方も、今まで以上に多くなることでしょう!

遊び方を教えてもらうのも勉強だよ。

友達が多ければ、多いほど考え方が広くなる。視野が広くなる

年齢問わず話してごらん。

合ってるとか間違っているとかは後から考えればいい。

自分とは違う考え方と接した数が多ければ多いほど見方も変わる。

そうして社会を学んでいくんだよ。

技術を学ぶ事も大事。

コミュニケーションを学ぶ事も大事。

不要な事は何もない!

その次の

そのまた次の

スタートラインに立てるように

立って入られるように


今を精一杯がんばっていこうね。


入学シーズンだというのに、桜は散っちゃったよ。

大偉のところはどうですか?

2013年4月2日火曜日

2日(火)雨・・・友達が!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


慈恵医大から直接家に帰った。

今から帰るね。。


2日・・・月命日。

帰ってから皆で、大偉とみるちゃんに会いに出かけた。

管理棟にある、帳面をみると一週間前に来てくれた友達の名前があった。

一週間前に来てくれた友達とは、違う友達を連れて来てくれた。


なんとなく、大偉も話しにでもなるのかな?

思い出してくれているのかな?と思う。


こういった形で大偉の事を思い出してくれて、

親としては、心和むというか

嬉しくも思うし、残念な、無念さを感じる。


それでも、お小遣いからお花を買ってきて手向けてくれる

お友達には、本当に感謝しています。


育った地に、大偉に逢えるようにして良かった。






2日(火)雨・・・結石

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝から雨・・・結石が未だに出ず。


あの痛みからもう二ヶ月が経過している。

とうとう石を砕く超音波での治療をするため、8:30AMに慈恵医大にいた。

レントゲンを撮り、まだ石が動いていない事を確認し、すぐにB1の治療室へ先生と向かった。


※今回のレントゲン技師は今回は女性の方だった。
 
何回目だろうか?お腹の石を撮影するためレントゲンを撮るが、女性の方で良かったぁ~。


っていうのも、年配の男性技師のは、必ず病院指定の服に着替えてください!と言う。

ものの30秒くらいのために全部着替えるから出るまでに10分くらいかかる!
これが時間がかかる原因の一つ。

えっ!前回は着替えませんでしたよって言っても、「着替えてください」と言われるので、もの凄く面倒。
呼ばれないようにと思いながら順番を待っているのである。


色々な技師がいて・・・

前回の女性の方は、下着を腰骨よりも下に下げる。
そのあと、バスタルを掛けるが、なんか意味があるのか?



・・・で、今回の人は、「ずぼんした、はいていますか?」

なんて懐かし言葉。

昔の親父の響きです。


私は、スパッツをはいていたんだけど・・・「はい!」と返事をして

では、準備ができたら来てくださいねと言われ

恐る恐る着替え室のカーテンを開けて顔をだすと

はい、こちらに来て仰向けになってください・・・。


サンダルに肌着とスパッツ・・・おまけに靴下を履いたままの

何とも言えない間抜けな姿で、歩いて撮影台の上に・・・

いくら見慣れているとはいえ、その姿で歩くこっちの身にもなってよって感じ。


超音波で砕く治療をするため、台に仰向けになって

石のある箇所へ、風船みたいなものをくっつける。

先生から、バセリンを塗るからちょっとスパッツを下げるよ!

はいと言い少しは自分でも下げたんだけど、下げ足りず

もう少し下げるよ・・・

はい。

おいおい!どこまで下げるんだよ!

と心の中で叫びながら、ギリギリではなく

見えないくらいのところまで下げられて。

だいぶ下がっているけど・・・

なんて答えていいのか・・・とりあえず

はい。と返事をした。


そこから約45分くらい

石の箇所でカツカツと衝撃を与えていくのだが

先生が一番強い衝撃を加えるよ・・・

どう!の一言に

あとどれくらいですか?

う~ん・・・20分くらいかな。

えっ~、ちょっと耐えたれません!

じゃ、ランクを前に戻すね。



ようやく終わり・・・午後から出社する予定だったが


このまま家に帰った。


本当に、早く出てくれ~。

そうしないと入院して

もっとすごい手術になってしまうよ~。


2013年4月1日月曜日

1日(月)晴れ・・・新年度


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日から新年度がスタート。。

多くの社会人はこの日から、また1年がスタートする。。

予算示達等々あるので、何時もより大分早く会社を出た。

…が、予想通り電車は混んでいる。

幸いにも、前日のような風がなかった事。


満員電車の中には、もみくちゃにされながら、立ち位置もわからない新入社員がいる。



緊張しながら…

不安いっぱいの顔をして…

これから先、どんな人と出会うのでしょう?


きっと素敵な社会人一年目を迎える事でしょうね。


25年前を思い出しながら、会社へ向かった。


大偉のスーツはいつ着るの?