2012年9月30日日曜日

30日(日)曇りのち雨・・・1/175

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


松戸有料道路(今は有料ではないけど・・・)大偉とみるちゃんのお墓をみながら

運転免許の更新のため、流山自動車教習所へ向かっていた。


優良教習だったので、教習時間はたったの30分だった。


昨年の千葉県交通事故での死亡者は、175人


その175人の中に大偉が含まれているんだと思いながら聞いていた。


なんで・・・


帰りに大偉とみるちゃんに会いに寄った。


空には、ほっかりと・・・まんまるく


雲の切れ間から日差しが差し込めていた。


今夜は、台風が通過するから二人でちゃんといるんだよと言い

別れた。




2012年9月29日土曜日

29日(土)曇り・・・ デイ・ドリーム・ビリーバー

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


忌野清志郎さんの代表作
「デイ・ドリーム・ビリーバー」

何かの番組で流れた・・・・


知らない曲ではなかったが、「彼女」と歌う歌詞のところを

「大偉」に置き換えて聞いていた涙が溢れでて止まらなかった。


自分の中でも、大偉という男の存在は大きい。


これからの人生にも大きな影響を与えるだろうと思いながら、

みるちゃんの横に一緒にいる大偉の写真を眺めていた。



http://www.youtube.com/watch?v=Ywii9ucnMn8

2012年9月28日金曜日

28日(金)曇り・・・突走って

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日で、2012年上期が終わった。

この6ヶ月の間、とにかつ突っ走ってきたと振り返りながら歩いていた。

たくさんの方々に公私にわたり支えていただきながら無事に終えた。

本当に感謝したい。



あの日を境に・・・

とにかく残りの月を終えなければならないと、

砕けそうになる気持ちと向き合いながら頑張った2011年上期。


あれから、2期がすぎた。

いろいろな意味で今までの人生の中で一番辛い時期だった。



2012年9月27日木曜日

27日(木)曇り・・・頑張る。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


期末のあまりの忙しさに・・・何も考えられない。

目の前の仕事をこなし、とりあえず期末の数字につなげる。

相手の会社の数字につなげ、自分の会社の数字につなげる。


とにかく今は頑張るしかない。

2012年9月26日水曜日

26日(水)曇り・・・夢で会いましょう

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


nigera・・・「夢で会いましょう」

花言葉の一つ。


たくさんの花言葉を紹介しているホームページの中から

掲載されていた言葉だった。


土曜日に実家から大偉とみるちゃんに会いに来てくれた親父に

このデザインにした思いと、大偉に会いにきてくださった人が思い思いを

話しかけてくれるようにという思いが込められてこのデザインにしたとメールした。


手を合わせている親父とお袋の後ろ姿を見ながら、どう思っているのだろうと

思うと、なんとも言えない気持ちだった。


子供を迎えいれるのが普通だというのに・・・

孫に迎えられるとは・・・

子供に迎えられるとは・・・


未だに、みるちゃんにも大偉にも会えていない。

大偉の夢を見たという先輩はいたが。。。


誰か・・・大偉の夢を見た人はいませんか?


もし、いたら・・・


大偉はどんな顔をしていましたか?

大偉とどんなお話しをしましたか?

大偉は、何を思っているのですか?

大偉は今、何をしているのですか?

大偉は、私たちを見えていますか?

大偉の横には、みるちゃんはいますか?

何かしてほしい事はあると言っていました?


私は、この先大偉とみるちゃんにあえるだろうか・・・?

2012年9月25日火曜日

25日(火)曇り・・・もうひと踏ん張り

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日は、今期末の締め作業に突入するため泊となった。

日曜日の夜にホテルの予約をした。


今日は、午前中に2件のお客様へ商談と作業依頼のため出かけた。

昨日の朝からどうも体の調子が悪く、気持ちがついていかない。


この1週間・・・何とかして締めを無事に終わりにしなければならない。


これが結構大変なんだよなぁ~。


予め9月の計数と通期の計数を報告しているので、ここにきて

見込みが違うなんて事になったら、一大事になってしまうので、

経理の確認が済むまでは気が抜けないのが正直なところ。


大偉もみるちゃんも踏ん張っているかな?

踏ん張って頑張る事も大事だけど、身体を壊してまで踏ん張っては

今まで頑張ってきた事が無駄になる。

次の日も頑張れる力を残して終わりにしたほうがいいと思うよ!



2012年9月24日月曜日

24日(月)晴れ・・・正しく生きる

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


相撲は詳しくないが、第70代綱とりを決めた日馬富士の記事が掲載されていた。

「正しく生きる・・・」

日馬富士の父親の言葉だった。

自分に足りたら、人につくせ・・・父からの教え。

その教えを守り、母国に必要とされる物資を送っているという。

色々とお金がないとできない事もあるが、志があればそれに代わる事はできると感じる。


いろいろな言葉の意味、重みを感じながら・・・

親父やお袋から言われた言葉。


どこまで正しく生きられるかわからないが、それに近づけるようにしたい。




2012年9月23日日曜日

23日(日)雨・・・軽トラ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


冷蔵庫の調子が悪く、松戸のおじいちゃんから譲ってもらった・・・。

数日前・・・家に帰りビールを取ろうとすると、

なんか冷えていない?と首をかしげるまでもなく、冷えていなかった。

やっぱり、冷蔵庫の調子が悪いんだ・・・


冷凍庫も、なんとなく調子が悪い。


野田の会員に・・・軽トラある人、貸してください!とメールした。


T-ikuさんからメールが返ってきた!


9:30AMに清水公園の駐車場で待ち合わせて車を交換した。


25年ぶりのミッション!

やばっ・・・。


それが・・・なんとかいけるじゃん!


乗りながら、大偉がいたら絶対一緒に乗っていただろうなぁ~。


枕木を運んだ時も、じいじの会社から借りたコラム式のトラックの

真ん中に乗ってご機嫌だったもんね。


帰りは、お墓の前の道を通ったんだけど、見えたかな?



それにしてもT-ikuさんから借りれて良かった。

本当にありがとうございました。


2012年9月22日土曜日

22日(土)雨のち曇り時々晴れ・・・お彼岸

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


前々日に親父からメールが届いた。


土曜日に大偉に会いに来ますって・・・。


突然の旅立ちで、入院してしまい葬儀には参列する事ができなかった。
お袋も付き添いで・・・。



妹夫婦に乗せられて柏警察にきて、無言の大偉と対面した時を思い出していた。




夜から降り出した雨は、降ったりやんだり・・・

お昼に家に来てもらいみんなで食事をしてからお墓に向かった。


時には酷い雨だったんだけど、お墓に向かったころには晴れた。


きっと、大偉とみるちゃんの力で雨を上がらせたんだと。

二人とも優しい子だからね。


着くなり墓誌に手をかけて・・・

「大くん、来たよ!」

と声をかけていた。

2012年9月21日金曜日

21日(金)晴れ・・・保険会社から

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


保険会社から電話が入った・・・。


自賠責については、まだまだ結果がでない状況。

まだまだ、この問題は時間がかかる。


今の状況を説明して電話を切った。



この先、どうなるんだろう。


この自賠責保険の結果によって、次の動きが大きく変わる事は間違いない。


大偉のためにできる事は何でもする。

私は、これしかできない。




2012年9月20日木曜日

20日(木)晴れ・・・ターニングポイント

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨晩は、2:00AMまで仕事をして目の前のホテルに泊まった。

8:00AM過ぎに会社に出て、今期末の最終計数の会議に出席。

出かける用事があったので、自分のグループの報告を終え

他の部の報告を聞く事もなく、T社や豊洲にある親会社へ

打ち合わせのため出かけた。


通常月でも忙しいというのに、期末にみんな押し込んでくるのを

何とか対応したい気持ちもあり、忙しさがはんぱない。


いつもそうだけど・・・名指しで電話をしてきて

頼み事を言われる。

こちらも知らない人ではないので、なんとかするみたいな・・・。

繋がりで仕事がどんどん舞い込んでくる。

そうすれば、また仕事が入る。

一生懸命対応すれば、依頼者から違う人へ話し(噂)が広がり

「あいつに言えばなんとかしてくれる」でまた仕事がはいる。


自分的には、仕事の大小にかかわらず、気配り、心配りをしながら

対応する事を心がけて仕事をしている。



で・・昨日の35年ぶりの話。

中学三年の夏には、市内大会の決勝戦で1対0で敗れた。

別の地区大会で優勝し、そのまま千葉県大会を逆転勝ちで優勝。

山梨で行われた関東大会へは習志野第四クラブというクラブチームとして進んだ。

初戦は、7対0で快勝。

2回線へ進出したが、2対0で敗れた。


急きょ保護者会が開催され、貸切バスで山梨まで来てくれた・・・

うれしかったなぁ~。


最後の夏も終わり・・・受験に入っていった。

東京の高校からは、チーム全員を引き取ってもいいなんていうところも出てきた。


今でも忘れない一言・・・

中学の時の掃除はお昼休みが終わってからはじまる。

掃除も終わり中庭を歩いていると・・・きーさん(木島)が来た。


・・・一緒に関東一高に行かない?

関東一高?

一緒に野球をやらないかと言われた。

その場をなんとなくやり過ごした。

千葉県以外の甲子園に出場している高校は知ってはいたが、

まさか千葉県以外の高校に進学するなんて考えもしなかった。


高三の夏・・・関東一高は甲子園に出場し8強に入った。

中学の時はオーバーハンドだったが、高校では下手投げに変更していた。

TVを観ながら・・・

もし、一緒に行っていたら自分があの場にいたかも知れないと思った。

甲子園大会が終わり、絵皿を持って家に来てくれたのが最後だから32年ぶり?

今でもこの事は思い出す。


決して今を後悔しているわけではなく、振り返ると色々な場面でのターニングポイントがあったと思う。

必然でそのターニングポイントを決めて今がある。


・・・夢のターニングポイントも

今では懐かし良い思い出。


大偉も16年間の中でのターニングポイントは、いつくかあったが

やっぱり高校進学のポイント一番大きい。

自分の人生・・・

家族の人生・・・

両親の人生を結果、変えてしまったのだから。


大偉の事を少しでも気にかけてくれている人のこれからの人生も

多かれ少なかれ、色々な場面で思い出すと思うよ。

自分が親になり、子供がバイクに乗りたいと言った時に・・・

2012年9月19日水曜日

19日(水)雨のち曇り・・・35年ぶり

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


日曜日・・・玄関先の藤棚の枝が伸びていたので切っていた。


お父さん・・・電話!


誰?


たけうちさんという方・・・。


仕事でたけうちは知っているけど・・・誰?


また、押し売りかなと思い電話にでると・・・


たけうちです!

たけうち・・・たけうちとつぶやくと・・・

習志野四中で一緒だった・・・たけうちです!


あぁ~っ・・・たけさん!

そうそう!

中学のクラスメイトで野球部主将で拓大紅陵から甲子園を目指した。


なんと話したのが35年ぶりだから、当時の声なんてわからないし、思い出せないし・・・こんな声だったかなぁ~?くらいで、本当なのかもわからなかったけど、当時のメンバーの名前が出るでる・・・。


すごい懐かしい・・・。


最近・・・きじまと飲んでいてみんなと会いたいねという事になり、

電話をして連絡と取っているんだと・・・。

監督は、もう75くらいかな?

今度、会う事を約束して連絡先を交換した・・・。


もうみんなとは会う事はないだろうな~と思っていたが、

こうしてみんなに連絡してくれて本当に感謝している。

会えないけど・・・どこかで繋がっているんだと感じた。


あったらどこから話そうかな!

みんなオヤジだけど・・・どんちゃん騒ぎになりそうだよ。

2012年9月18日火曜日

18日(火)曇り・・・車検

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今の車を買ってから3回目?の車検かな・・・・


前回もオートバックスで車検を行い、今日朝一に持ち込んだ。


対応してくれたのは、整備士のお姉さんだった。


代車は前回と明らかに違い、乗り心地も抜群!


家内の運転でオートバックスから梅郷駅までそのまま送ってもらった。


小さい頃の大偉を思い出していた・・・。


北柏に引っ越して、会社の同僚が遊びに来た時は車に乗せてもらい

前が全然見えないのに、ハンドルを右に左に切りながらご満悦だった。

じいじが、会社の社用車で帰ってくれば、必ず乗せてもらっていた。


チャイルドシートや、ちょっと大きくなった子のシートをつけても

前が見えるか見えないくらいなのに楽しそうに乗っていた。


N*-nhaが生れる前には、車のチラシを切り取り段ボールのに貼り

かるたのように遊んでいたよね。

大きなビニール袋が4つくらいあったかな?

言葉もままならないのに、どこで判断するのか全部あてて見せた。


一日中・・・そんな遊びを何回もするのでいい加減あーちゃんも疲れ

帰ってきた私とバトンタッチとなる。


ビールが飲みたい・・・・のに。


懐かしいなぁ~。

きっとビデオに残っているだろうに。


まだ、車の免許は取れないがどんな車を乗ったのかな?


家内が、大くん、具合がわるいのかな?

と見ていた。


テーブルの上でミニカーを行ったり来たり動かしながら、顔を横向きに倒し

見ていたという。


後から聞くと・・・


車好きは、横から車を眺めるんだと。


だから、横になっていたんだ!


あなたが車を買ったら、門を広くして・・・なんて話していたのに。


何もかも、話だけで終わっちゃたよ。


どうすんだよ・・・大偉。




2012年9月17日月曜日

17日(月)晴れ・・・綺麗な指

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉の綺麗な指の夢なのか?

もしかしたら、頭が起きていたのかな?



綺麗な指。

細くて・・・すらっとしている。

車をいじるごつごつとした指とは程遠い。


最後に触った指も、白くてとても綺麗だった。


昨日とは違っていた。


冷たく。

固く。


握り返してこなかった。

ちっとも動きやしない。


まさか、自分の子が目の前で横になって何をしても返してこないなんて。


ほんとうに今でも信じられない。


そのあとは、眠る事ができなくなった。

2012年9月16日日曜日

16日(日)晴れ・・・神様

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



普通に生活している時は・・・神様に頼らないんだよね。


何か困った事が起きると・・・神様に頼るんだよ。


それでもいい。


神様は、みんなを助けてくれている。


神様は、みんなを見守ってくれている。


神様に色々とお願いしたっていいじゃないか。


辛く、苦しい時は神様にお願いしたっていいじゃないか。


神様のいない世界は辛いぞ。


そんな世界は、辛くて辛くてたまらないぞ・・・

2012年9月15日土曜日

15日(土)晴れ・・・忘れない

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


天国へ旅立った。


もう心配ないから・・・天国へ旅立った。


忘れた時・・・人は亡くなるんだと。


その人の中にず~っと生き続けるまで。


ドラマをみて、本当にそうなんだと感じた。


大偉は、どう写っただろうか?


この16年間をどう思い出しているのだろうか?


どんな思い出が。。。


楽しい思い出。

悲しい思い出。


たくさんあるのだろう。


あなたは、今どこで見ているのだろうか?



本当に横にいるのだろうか?

2012年9月14日金曜日

14日(金)晴れ・・・加害者、被害者

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


HPを見ていた・・・


バイクの講習会。


学校の掲示板には・・・


「加害者にも、被害者にもならないために」と書いてあった。



複雑な気持ちで、管理者が書いたコメントを読んだ。


すぐにHPを閉じた。



複雑な気持ちとは、大偉を旅出させてしまった親の悲しい気持ちと

怒りの気持ちがあったが、不思議と加害者への怒りの気持ちではなかった。


きっと、そのコメントへの複雑な怒りだったんだと思う。


怒りといっても、ものすごい怒りではなく悲しみの、配慮のない活字だけの怒りだった。


冷たい気持ちだった。


もう1年以上も経っているのだから、そこまでと思ってはいるものの淋しかった。




2012年9月13日木曜日

13日(木)晴れ・・・奇跡の一本松

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


江戸時代から1本、1本植種してきた松の木7万本が一瞬に消えた。

2011.3.11・・・


残ったのは、たった1本・・・樹齢250年


誰がつけたのか、「奇跡の一本松」として

あの日を忘れないため、頑張ってきたが、

その象徴も老いにはかてなかった。


最後の日にはたくさんが方々が見守りに来ていたと・・・

今後は、モニュメントとして多くの人々を見守り

また、人々が思い出し忘れる事はないだろう。


この記事を読みながら、直接受けた震災ではないが切り倒された奇跡に一本松の写真を見ながら、なぜだろう?
涙が出てきた・・・。


この歴史的な大震災。

私はまだ東北には行っていないが、そこには自分の想像をはるかに超える光景が今でも残されているんだとう思う。

この震災に遭い多くの愛する家族・・・仲間達を失った。


私にいったい何ができるだろう・・・

2012年9月12日水曜日

12日(水)晴れ・・・がんばってかぁ~


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


もう9月の半ば。

あれから、3か月半。

まだまだ、残暑が厳しいが、夜には秋の気配が・・・


みんな頑張っているかな?


大偉も負けずに、頑張っているかな?


会社は、上期の最後の月でものすごく忙しくて、忙しくて・・・


でも、約束したんだよな・・・


いつか食べに行くって!


その時は、おごりでね・・・なんて言いながら。


大偉もお寿司好きだったから。


覚えているか?


今は、忙しくてすぐには行けないけど、必ず行くから

ちゃんと、お金を用意しておいてよね・・・


な~んてね。


身体に気を付けて、頑張れ!

2012年9月11日火曜日

11日(火)晴れ・・・掴む

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


そろそろCHANCEをつかみに行こうか!

怪我あり、悲しみありと遠ざけてきた。


勢いで発してしまったが、みんなの協力を得ながら

今年の冬に掴みにいく。

残り2か月・・・どこまでできるかわからない。

十分に準備ができないかもしれないが頑張ってみようと思う。


私には、支えてくれる仲間がいる。

大偉もいる。


大丈夫。


絶対に掴んでやる!

2012年9月10日月曜日

10日(月)晴れ・・・THE CHANCE

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ニュース番組の特集ではじめて知った・・・


THE CHANCEは、世界中に埋もれている若き才能を発掘するための
スカウトプロジェクトです。
ナイキは、スペインのバルセロナで開催される世界最終セレクション
「グローバルファイナル」に出場するファイナリスト100名を
発掘するため50ヶ国以上にスカウトを派遣します。


グローバルファイナルでベスト16人に残った選手は、
マンチェスター・ユナイテッド、ユベントスなど
ビッククラブへのスカウティングツアーに参加することができます。


ジャパンファイナルを勝ち抜きグローバル100人の中に日本人の高校生3人いる。・・・

・滝川第二高校 FW 木下稜介
・桐蔭学園高校 DF 冨澤右京
・鹿児島実業高校MF 山之内優貴

現地バルセロナでのセレクション・・・

一日目で、48人が落とされる過酷なセレクション。

次に20数人となり、最終選考はゲーム形式で行われ。


試合前・・・チームコーチからは、個人プレーの禁止を言い渡されていた。

木下稜介は持ち前の個人技であるドリブルができない。

彼は、悩みながらゲームーをするが・・・

結果、自分を貫こうとドリブルでディフェンダーを交わしシュートまでもっていった。

ゴールこそならなかったが、ゲーム終了間際でようやく自分らしさをだした。


結果は・・・


16人の中に残った。


彼はこれから先、スカウティングツアーに参加しプロを目指す。



個人技は禁止と言い渡されていたのに・・・

スタッフは、自分らしさ、持ち味をいかにアピールする事ができるか?を見ていた。

確かに組織プレーだし、チーム監督の言っている事は守らないといけないが、

あくまで全体の指針。

時には、突破していく判断力と力が必要だと思う。



自分の良いところ見つけてもらうなんて思ったらダメ。

自分で良いところを表現できないとダメなんだと・・・。


スポーツでも、会社でも避けては通る事ができない表現力。


今から自分は何が得意なのか?

何ができるのか?

どういう人間なのか?

回りからどう見られているのか?

何が足りないのか?

どうしたいのか?

何を目指すのか?


という事を、自分なりに・・・色々と見つめなおし、常に考える事が必要だと思う。

たとえば・・・就職の時の履歴書を書く時になってはじめて考えるようでは、たいした事はかけないので、暇な時に考えるのもいいんじゃない?

良いところは伸ばせば良いし、足りない物は努力して補えば良い。


突っ走っていくのもいいけど、たまには休みながらもいいと思うよ・・・


CHANCEが全員に降りてくる・・・

掴むか、逃すかは自分次第。

見逃すの事のないようにね。


2012年9月9日日曜日

9日(日)晴れ・・・カルピスウォーター

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日はみるちゃんの月命日。

お花を買って・・・あっ!カルピスウォーターもね。

自販機には、ウォーターとソーダがあるから間違えないでね・・・


間違えた・・・気を付けたつもりだったが。


結局、もう一本買って手向けた後、お墓で飲んで帰ってきた。


今度は、間違えないようにしよっと。


みるちゃんも、大偉も毎日暑いよね

あなたたちの刻まれた名前を見るたびに、いい名前だなと思うのと同時に

考え深くなるよ。

自分の子供達が、その日を境にいなくなるんだから・・・


姿もない。

声もない。

思い出だけでは不足だよ。

2012年9月8日土曜日

8日(土)晴れ・・・整備士

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕方・・・大偉とみるちゃんのところに寄ったあと、オートバックスに車検の申し込みに出かけた。

前回の車検が二年前。

あの女性の整備士は今でもいるかな?


受付で対応してくれた女性は、整備士ではなかく受付だけを済ませ、後は整備士に任せた。


車検の建屋に入り、すぐに目についた。


二年前を変わらず整備士として頑張っていた。

二年前を同じ笑顔だった。

前回、対応してくれた整備士の女性。

油まみれになりながら・・・男社会で頑張っていた。


男と肩を並べて対等に働く姿は、顔を見ていればわかる。

やっぱり、あのつなぎ姿を見ると大偉を思い出す


「CTS」


大偉も今頃は、油まみれになって頑張っているのだろうか?

整備士になるんだと頑張っていたあの頃を思い出す。

あなたの、もう一着のつなぎは・・・血まみれだよ。

今でも開ける事はできず、科捜研から戻ってきたままなんだよ。


お父っは、あなたのように整備はできないからいつか整備してよね。

いつか、車の下にもぐりながら油まみれになって、やり切った顔をみせてよね。

楽しみしているからさ。


イケメンの整備士さんになるんだよ。

細かいところまで気が付き、気を使い、こだわり・・・それが技術者だぞ!

お金をもらう事は二の次・・・後から必ずお客が評価して戻ってくる。

それがお金につながるんだからね。

信用、信頼が欲しければ、黙って実績を積む・・・損をして怒られるかもしれないが、それがあなたの実績の糧になる。

色々な事を経験し、先輩の技術もじっくり見る・聞く・やらせてもらう・・・

わからない事は素直に聞く事。

できなければ、助けてもらう事。

お客は、高いよりは安いほうがいいんだけど、前回の担当者をあてに戻ってくる。

また、あの人に整備してもらいたいなぁ~ってね。

決して個人の力だけではないから、会社の看板を背負っている事を忘れずに


頑張れ!


大偉ならできる。


応援しているからね。



馬場俊英 - いつか君に追い風が
http://www.youtube.com/watch?v=UDj8c68Dxtk

スタートライン
http://www.youtube.com/watch?v=R1HkXSVxLyU

2012年9月7日金曜日

7日(金)晴れ・・・ことほぎ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


次の日、k-ikeさんのお母様のご葬儀に手向ける供花の手配をした。

退職してずいぶんとなるので、k-ikeさんを知っている人はそう多くないが

お付き合いのあった方々にメールを送った。


家族葬との事でしたので供花にした。

色々とお世話になった方だったので、参列したかったが・・・


また、会う機会があると思うので、その時にと思う。


午後には、メールを送った方々から返信や電話があった。


大偉の時を思い出しながら、帰ってきた。



「ことほぎ~君への遺言~」は、森繁久彌さんが、奥様を亡くされた際の「寿命とは、命を寿ぐ(ことほぐ)と書くんです。寿命がきて亡くなるということは、めでたいことなん­です」という言葉に、高野健一が感銘を受けて作られた楽曲です。「死」を悲しむだけでなく、「生き抜いた命を祝福する」という森繁久彌さんのメッセージを伝えたいという、­高野健一の願いが込められています。

http://www.youtube.com/watch?v=LwqhTskO6Po

2012年9月6日木曜日

6日(木)晴れ・・・訃報

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

1本の電話が回ってきた・・・先輩からだった。

K-ikeさんのお母さんが昨日亡くなったと・・・


ついこの間、会社に向かう途中でお話ししたばかりで、今週先輩とツーリングの約束をしていたらしい。


K-ikeさんとは、入社以来のお付き合いで、

会社の野球チーム・・・

キャンプ・・・

山・・・

と色々と遊びに出かけた。

はじめてキャンプに誘われた時は、「えっ~、キャンプ・・・?」なんて思ったが、

したこともなく断るのはと思い、出かけたのがはじまり。

それ以来、毎週とはいかないがほとんどキャンプに出かけた。

しかも、今度は裏山を登ってからのキャンプと段々とグレードが上がる。

山・・・中学の時に学校で登ったが、あまり良い思い出ではなかったので、気は進まなかったが、それでも山頂にたった時は、素晴らしい景色で、達成感を感じていた。

ある日・・・その先輩も誘いキャンプ・山に出かけた。

先輩は、マラソンマンなので、体力も十分。

私は、並みかな?

K-ikeさんといえば、かなりポンコツ。


それが、下りとなると一転して一番になる。

ニュートラルで下っていくからだ。

そんなこんなで入社1~2年が過ぎた。



ある日のキャンプ・・・夜

お酒を飲み火に薪をくべながら・・・・二人はボーッと火を見ていた。

車からのBGMはオフコース。なんともくらい曲だけど、最近ファンクラブに入ったらしくかなりの熱の入れようだった。


その横を女性達が通りすがり、「オフコース」もいいよね!というのが聞こえた。

おやじと青年が、薪をくべながらボーッとしていう光景はどう写っただろう・・・

引くよね~


次の瞬間・・・・


ぼそっと。


今度、北アルプスに行かない?


北アルプス・・・?

長野?


マジで~って感じ。


今までの裏山は、北アルプスに行くための準備だったのだ。


そうと決まれば、山屋に行き、色々と準備を開始した。


その年の夏・・・中房温泉から燕岳へ上がり大天井岳をかすめ

槍ヶ岳へ抜けるルートで私たちの初登頂を目指した。


初日は、雨・・・なんでと思いながら、

このまま、雨なのかなぁ~。

ツアーで来ているのか、おばちゃん達は超~元気。

あのトーンで話しているから・・・うるさい。


せっかくの夏休み・・・K-ikeさんんと?と思いながら

燕岳山荘の素泊まりにとまった。

ほとんどの方が一泊二食付。

水だけ持てば、夕飯付、次の日の朝食付き、さらにお昼のおにぎり付なども。

一つだけ違うのは寝床。

混雑時は、一畳もないところで寝ないといけないのだが、
寝返りは不可能!

素泊まりの人達は別棟だったりするので、余裕で寝床が確保できる。
素泊まりする人は少ないから・・・。


下から、水と食料を担ぎ上げるほうが、寝床を優遇されるなんて・・・

今では、予約すれば個室も確保できるんだから、そうとう昔と変わったと思う。


で・・・

翌朝。


わぁ~という声が聞こえる。


戸を開け、外に出ると


見渡す限りの雲海。

こんなの見たことない。


前の日は雨で・・・とても次の日にこんな光景が目の前で見られるなんて、信じられなかった。興奮した。

本当に来てよかったと思えた瞬間だった。


そこから、さらに二泊し、槍ヶ岳(3180m)の頂にたった。



こにくるまで、立山連邦を右に見ながら稜線を歩き、登ったと思ったら梯子で下るなどを繰り返す。

多少ぞっとするところはあるが、それほど気になるところではない。


はじめての経験をさせてもらtった。

あの時、キャンプを断っていたら・・・

北アルプスを断っていたら・・・

こんな経験はこの年になってもなかっただろう。

翌年は、穂高岳。

その翌年は、その先輩と、もう一人の方と蝶ヶ岳・・・


そして、大偉と奥穂高岳と登頂に成功した。


子供達が小さい頃は、キャンプに出かけた。


こうした事も、小池さんが誘ってくれなかったらなかったと思う。

ものすごく感謝している。


また、機会があれば是非行きたいと思う。


あの山の景色をみんなにも見せてあげたい。

見てもらいたいと思う。

2012年9月5日水曜日

5日(水)晴れ・・・嵐

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

WEB版の産経新聞・・・談話室を読んでいた。

テーマにもとづき、一般の方が投稿してくる。

それそれの思いを談話室に託す。

時には、談話室に掲載された記事に対するコメントの記事も掲載する事がある・・・しかもあなたの考えとは違う!なんて事もある。


そんな中・・・今日のテーマが「ヒーロー」だったかな?

あなたのヒーローについて掲載されていた。


投稿した方はお母さん・・・当時息子が27歳

ふさぎ込んでいた自分だったが、「嵐」をTVで見て若々しい5人から勇気をもらったと末文に書いてあった。


勇気をもらったと書いてあるまでの記事には、涙があふれ出る内容であり、今は退職して疎遠になってしまった同期をも思い出した。


その方はいつも通り、息子に勤務先まで車で送ってもらった。


その帰り・・・事故で帰らぬ人となってしまった。


明るくて・・・

車が好きで・・・

運転が上手で・・・

優しい子で・・・


それ以来、ふさぎ込み何をするにもやる気が起きず、下を向いたままだった。

そんな中、出会ったのが嵐だったという


ほんと、前を向こうと頑張ってみても

いつも下を向き

いつも泣き

いつも責め

何をやるにも、やる気がなく

何をやるにも、楽しめず

回りから遠ざかっていた。


その方も・・・そうとう苦しんだんだろうなと思う。

自分を責めたんだと思う。

送ってもらわなければと・・・


同期の子は、両親を一度に亡くしてしまった。

会社帰りの夜、駅まで迎えに来て!・・・

迎えに行く途中で交通事故に遭い帰らぬ人となり、葬儀に参列したが、かける言葉もなかった。


この記事を読みながら、色々な事を思い出し堪えきれなかった。


突然の別れ・・・本当に辛い。


言葉では言い表せない。





2012年9月4日火曜日

4日(火)晴れ・・・あきらめないで

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


だる~ぃと思いながら、会社に行く準備をしていた。

4TV・・・ZiPを付けたのがちょうど7:00AMくらいかな?


「最後まで、諦めないで良かった・・・」


この言葉だけが飛び込んできた。


みると、パラリンピックに出場している秋山里奈さんという方のコメントだった。

競泳・・・1.19.50秒 大会新

種目までは確認しなかったが、視覚障害S11クラスに出場。


とてもいい笑顔をしていた。


この言葉が・・・胸にささり涙が出そうになってしまった。


お水を交換しながら、大偉に「最後まで、諦めないでと・・・」声をかけた。


みんな何かしら努力をしている・・・

持って生まれた部分に差があるので努力の程度などなど変わると思うが、


目指すところは共通の場所。

それに向かいみんな頑張っている。

私たちが想像もつかないくらい。

がんばっている人は、努力を惜しまない。

また、見ている回りの人は、サポートする事を惜しまない。

みんなで一人を支え、一人はみんなのために応える。


結果が良ければ、なお良いが・・・決して結果がすべてではない。

というのは、回りの見方で、本人は頂点を目指しているので、

やっぱり結果を求めている。

結果がすべてとこだわっていると思う。


だけど、結果がともわなかったとしても、誰も文句をいうやつなんかいないよ。

そんな奴はそれこそ、結果だけを見ているやつなんだから。

みんな一生懸命に出し切った結果。

全員で胸を張って帰ってきてほしい。


スポーツだけの言葉じゃない・・・「あきらめないでよかった」



2012年9月3日月曜日

3日(月)晴れ・・・袖ヶ浦より

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日から、学校も始まり電車は超混み・・・。

しかも暑い。

回りには、学生はほとんどいないんだけど・・・なぜか混んでいる。

ちょ~暑い・・・心の中で文句ばかり・・・


R-seiさんからメールが届いた。

仕事で柏まで来たとはいえ、現場まで足をのばせてくれた事を知った。

合気道をはじめた当初から顔は知っていたが、お互い場所が離れているので話す事もなく、なんとなく年数回の行事で顔を合わせ、会釈くらいで終わらせていた。


少しずつだけど・・・近づき話すようになった。


昔、野田にいた子が、舞浜演武大会で話している二人を見て・・・

「えっ! そっくり・・・」と言いながら笑っていた事を思い出す。


合気道でのお付き合いしかないが、心に歪みのないまっすぐな心を持つ男を感じさせる。


大偉を思い出してくれてありがとうございます。


大偉と話した事や、顔を前から知っていたかなんてどうでもよくて

そんな事は関係なく、ただただ会いに来てくれただけで嬉しく思います。


その日も仕事を終え、遠いところ駆けつけてくれていた。

お焼香をしている姿を見て、来てくれていた事を知りました・・・。

当日は、お礼の言葉をのべる事もできず申し訳なく思っております。


もし、野田に来る事があれば、大偉に会いに来てやってください。


きっと、大偉はO-ishiさんの事は、知っていると思いますよ!

ああ見えて、結構見ていますから・・・


木更津さくら会でも、演武していますから。


きっと・・・

かならず・・・

また、会える。


その日を楽しみにしています。


御身体を大切に・・・。

2012年9月2日日曜日

2日(日)一時雨・くもり・・・特等席

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝から、雨が降ったりやんだり・・・

曇ったり、晴れ間が出たり、雷がゴロゴロとなったりとても不安定は一日だった。


二人とも雷は怖かったんじゃないの?・・・。



夕方・・・みんなでみるちゃんと大偉のお墓に出かけた。

雨がパラパラ降ってきたが、大した雨ではなかった。


お花立てのお水を替え、一緒にお花を手向け香をたいた。


N-nhaが・・・「あっ、虹だ!」

家内が・・・「特等席じゃん!」だって。

振り返ると、大きな虹が見える。


本当に大きかった。

写真を撮ったが、端まで写す事ができなかった・・・。


本当に特等席からの虹だった。

みるちゃん、大偉!

きれいだったよね。あんな大きいの見たことないよ。




帰る頃には虹も消えていた。

本当にお墓にいる時間だけ、虹が出ていたんだと思う。


その後、買い物に出かけた後、一人で現場に向かった。

誰かが、お花と、お線香を手向けてくれていた。

ありがとうございます。

最近は、月命日の時くらいなので現場に行った際にお花が手向けてあるなんて珍しかったので、ちょっとびっくりした。




2012年9月1日土曜日

1日(土)晴れ・一時雨・・・大偉くん

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

8月31日付けで6年間勤めた仲間が退職した。

同じグループでもなく、一緒に仕事をした訳ではないがいつの頃からか

話すようになった。

勤務場所が違っていたので、たまにしか会わないんだけど・・・


会えば必ず、声をかけて・・・表情の感じを見ていた。

お互いそうだった。

何度が相談もされ、自分の経験を話した事もあった。



当時、派遣先の技術部に配属された私を、遠目に見ていたらしい。

いつもしかめっ面で・・・声をかけたくても中々かけられずにいた。

突然の技術部配属で、やっていけるのかな?

大丈夫かな?と思っていたらしい。

まっすぐな男で・・・

不器用で、

仲間のためなら、上司に話しを投げかける男だった。

ちょっと、やりすぎなところもあったとは思うが、今の時代・・・

中々いないよ、こんな男はと思っていた。


彼は転職してきて、前職はIT関係ではなかったが、6年間頑張って昨日退職した。


前から退職を考えていた事は知っていたが・・・

退職の辞令がメールで管理部から送信されてきた。

えっ!

と目を疑った。


今朝、会って・・・おはよう!お疲れ~っと言ったばかりだった。

なんだよ、一言も言っていなかったじゃね~か。

どうなっているんだよ。


昨日の夕方は臨時夕礼で退職の挨拶があった。

私は、彼の正面に立ち彼の言葉を聞いていた。

勤務場所は、離れているとはいえ社員全員と話したといっていた。

仲間だから・・・。

俺は、全員と話したかな?

うん、大丈夫。


中途派遣が多い会社なので、入社の挨拶をしてそのまま派遣されるケースが殆どだから、

知らないで辞めるケースも少なくないし、期初会議で、あぁ~あの人、同じ会社の人だったんだと思う事もよくある。


夕礼が終わり、しばらくすると管理の女性が来て管理部長が読んでいます!って。

応接に行くと、管理部長とその彼が座っていた。

どうしても、私に一言、いいたいと・・・


なんだよ~!

びっくりしたよ・・・辞令の通知が届いた朝に、会っても何も言っていなかったじゃん。

ほんとにもうっ・・・と言ってやった。


そのあと、管理部長のはからいで中華料理を食べに出かけた。


会社を入った時から、今までの思いを話したりと。

彼の人生にこの6年間は必ず必要だったと思う。

次の会社でも頑張ってほしい。


帰りは、一緒にTXで帰ってきた。

ふとした拍子から、子供の話しになった。

話した事も、会った事もない大偉の名前を覚えていた。

だいいくんでしょ?

6月5日に来ていただいた。


びっくりした。

その日しか会っていないというのに大偉の名前を憶えていたなんて・・・。

こんな奴いるんだ・・・。

大偉の事を話していたら、泣いちゃった。

人前で泣いちゃった・・・みっともなかったけど堪えきれなかったから。


そんな彼を、合気道の体験に誘った。

一緒に合気道をして汗を流し、お昼には成久でラーメンを食べた。


この彼とは、これから先も付き合っていくだろうと感じた。