2017年9月30日土曜日

30日(土)晴れ・・・毎年1回

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


例年よりも1か月早く、この時期がやってきた。

大偉もN-nhaも出場した、全日本演武大会。

大偉は、2010年の全日本演武が最後となってしまったが・・・

(三橋先生と演武しているのが、大偉です。)



N-nhaは、6年生だったかな? 組杖で出場して「秘伝」という武道雑誌に掲載された事がある。

駒沢大学駅前から会場まで間にある公園で、ブランコに乗って楽しそうにしていた
N-nha・・・

中々、降りようとせず演武大会よりもブランコに夢中だった。

とても懐かしい。



一番の思いでは・・・

N-okoさん、R-maと私、大偉、N-nhaで其々が出場したファミリー演武かな。

入門した翌年だったと思う。

いろいろあって、2家族が出場した。


演武が終わってからかな?・・・自分たちの始まる前かな?

ちょっと忘れてしまったけど、ウォーミングアップできる場所で3人が

ニコニコしながら遊んでいる。

3人で壁にあたりながら跳ね返り、また壁にあたりながら跳ね返り・・・

時には自分たち同士でぶつかったりと、まるで昔のテニスのTVゲームのよう。

N-nhaは床が濡れている場所で転んだという。大偉は笑っていた。

この演武大会は、浦安よりも印象が強く残っている・・・

そんな話をI-ueさんと話しながら、明龍館の懇親会会場に向かっていた。


大偉が最後に出場した演武大会の年は、途中で帰り、渋谷の「金伝丸」で

ラーメンを食べて帰った。

散々、探して・・・・

だがとてもすぐ近くにあった。

そのラーメン屋も思い出の場所となってしまった。

いつもはラーメンを食べてから懇親会に向かっていた。

昨年は演武大会の日に行けなかったので、N-nhaの大学の収穫祭の帰りに

寄って食べた。

今年は、懇親会を途中で切り上げI-ueさんと食べに行った。


大偉と一緒に食べたあの時と同じ場所が、たまたま空いていた。

いつもなら、先客がいて待つのに・・・

大偉が空けておいてくれたのかな?


店員さんに場所を説明して、用意してもらった。

いつもと同じラーメンを同じ席で食べた。

・・・・I-ueさんが

大偉はここ?

そうです。そこに大偉が座って私はここでした・・・


最近・・・子供達の生活のリズムが変わり中々会えない会話もままならないまま

会えない日もある。

でも、会えない日があってもいつかは会える。

今日、話しをできなくても、顔を合わせる事ができなくても

数日の間にはあえる。

でも、田中さんは大偉と会えない・・・

最近、子供達と会えない思いを私の気持ちに置き換えると

会えないという意味の大きな違いを凄く感じる・・・

いつかは会えるのと、そのいつかもない。

言葉では、I-ueさんのその時の言葉を言い表す事は難しいけど・・・。


そんな話しをしながらも、私達を気遣ってくださっている。


この先も、年一回・・・大偉を思い出しに私はこの場所を訪れる。



2017年9月22日金曜日

22日(金)晴れのち雨・・・突然の

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


期末の業務のため連日・・・・帰りが遅い。

疲れてはいるが、同じ部署の方々も同じ事。


今日も遅くなり川崎から品川に向かったが・・・突然の人身事故のアナウンスが入る。


あちゃ~・・・最終近い電車だったので帰る事ができるのか心配だった。


そんな時、まったく関係のない事を思い出してした。

昨年のBBQの二次会に向かう車の中だったと思う。

I-ueさんと車の後部座席に座り、N-okoさんが運転中


なぜだか私の家内への肩揉みについて話をしていた・・・

そんな事を思い出すが、今起きている人身事故とは繋がりがない。


また、ふとするとN-nhaの事を思い出す。

突然の大偉の事故・・・亡くなる。


朝、顔を合わせていたかどうかはわからないが、N-nhaは大偉を見ている。

家内は大偉ときっと話していると思う。

私達、家族が想像もしなかった事が起きる。


普通に会社に行き、N-nhaが中学校へ、大偉は自動車大学校へ。

いつも通り帰ってきて、みんなで食事をする。

普通に思うというか、そんな事を考えずに当たり前の光景が夜もあるはずだったのに。


まったく信じられない想像もつかない事が今、目の前の現実に起きている。


現実を受け入れるまでには相当の時間?日数?年月?がかかった。

今でも信じる事ができない。

家内も、両親も計り知れない悲しみだったと思うが、

一番辛く、悲しかったのはN-nhaかな?

もちろん家内もそうだと思うが、あのN-nhaの姿を思い出すといたたまれない。

慈恵医大柏病院の小さな待合室にぽつんと座っている家内。

病院に来るまでに、反対車線は事故規制があったと思うが

それを横目にみながら、大偉が・・・と思っていたに違いない。

私には想像もつかない。

その光景を目の当たりにしたら、私は平常心を保つ事ができないと思う。


大偉の姿は見えないけれど、心に中には大偉がいます。


これからも家族一緒です。

この先も一緒です。


2017年9月18日月曜日

18日(月)晴れ・・・これで終わりかな?

ふ平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今のサスでは、もう限界にきているので色々と探して何度も

ショップに確認して、14日に・・・Zephyr400のリアサスを注文した。

ところが・・・土曜日に届いてバイク屋に行き商品を合わせると

何故が短い・・・

合わないじゃん?とおもながら見ていたら、「これ、商品の発送を間違えていますよ・・・」だって。

えっ、マジですか?

合わせながら説明を聞くと、エンドの延長ボルトの長さが足りない。

すぐに購入したショップに電話をして、送ってもらい、ようやく今日届いた。


洗車した後に、ショップに行き取り付けてもらった。







今まで、少しの段差でも跳ね返りが大きく、タンクの真下から大きな音が

あったが、サスを変えたら全くしなくなった。

大偉も、ガツンと音が凄いんだよね?と言ってたね。

2011年6月2日の日から、事故証拠として柏警察に保管され、その後購入したショップに保管していただいた。

このショップでは、大偉のZephyrを保管していただきながら何とか動かせるまでに3年10ヶ月かかった。

2014年12月に入る前か、その頃だったと思うが、このショップから何とか動かせるまでになりました!と連絡が入った時は、とても嬉しかった。

何時もR16に行く道沿いのショップでガレージに入っているZephyrを見ていたからね。

お客さんの中には、このZephyr・・・と、購入したいと言ってきた人もいたと言う。

このショップに預けていなければ、今のZephyrはない。
自宅では、錆びてボロボロになっていた事だろう。

快く預かってもらって、修理していただいた事に物凄く感謝している。

色々とお金はかかったけど・・・大偉は喜んでいるのかな?


このZepherは、最後まで面倒を見なければならないな。

今週土日に大偉に見せにいかなきゃ。



2017年9月13日水曜日

13日(水)晴れ・・・3曲

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


日曜日の演武大会が終わり家に着いたのが、22:30過ぎかな?

たまたま、関ジャニ∞が福山雅治をゲストによんでるTVが

ついていたので、何気なく観ていた。

色々な歌の歌詞の意味、エピソードを交えながらのトーク。


その時に紹介されたのが、この3曲でした。
※リンクはYouTubeで検索したURLを記載しています。


福山雅治 魂リク 『 何度でも花が咲くように私を生きよう 』(歌詞付) 2015.03.28 - 
何度でも花が咲くように私を生きよう

福山雅治 魂リク  『 東京にもあったんだ 』 歌詞付 2014 01 04 -
東京にもあったんだ

福山雅治 魂リク 『 milk Tea 』(歌詞付) 2014.12.27 - 
milk Tea


マッサージ機に座りながら、曲をメモしながら観ていた。

演武大会の後だったという事もあると思うんだけど、大偉を

被せてしまい、涙が溢れ出てきてしまい、慌ててキッチンにいき

後片付けをしながらごまかした。


それから・・・毎日この3曲を聴いている。

昨日の帰りの電車の中、今朝の電車の中・・・知らずと涙が流れてしまっていた。


何故だろうね・・・。

これから先、私の幕が終えるまで大偉はいたのに・・・


色々な場所に行ったり

男同士の話をしてみたり

お酒を酌み交わしたり

まだまだやっていない事、たくさんあったのに。

言葉にならない。


2017年9月11日月曜日

11日(火)曇りのち時々雨・・・「偉」

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


蒼龍演武大会で開会式を待ち正座で座っていると、このロゴいいね!

と右後ろから話しかけてきた、Y-naiさん。
気さくでとても感じの良い貴女です。

参段を取るために龍道場へ木曜日に通う事になり、今までなんとなく顔を

知っていただけだった。

誰とでも気さくに、分け隔てなく、何時も笑顔で接してくれるので、

皆んな集まってきます。

明龍館のロゴとメイブルレーフの葉っぱの赤を話した後に、なんで

田中さんこれなの?と腰板を指指した。

これがこれ ↓


龍から参段取得のお祝いにいただいた時と同じように、明龍館の袴にも

大偉の一文字をいただいて、「偉」を袴の腰板に、入れていただいた。

色々と刺繍する文字を私の名前と大偉とN-nhaの文字を合わせて作っては

いたんだけどね。

「偉」に落ち着いた。




息子の名前から一文字貰ってつけました。

そうなの?

なんて読むの?

大偉・・・「だいい」って言います。

ちょ〜格好いいですよ!と自慢した。


最近は、大偉の話しがでたらiPhoneにある写真を見せて自慢している。

弐段のお祝いににいただいた、帯にも「田中大偉」と私の名前の裏に

刺繍をしていただいた。


これから先も大偉と一緒に稽古を積み重ねよう。

いつかN-nhaも戻ってくる時を信じて・・・


2017年9月10日日曜日

10日(日)晴れ・・・思い

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


合気道を始めた翌年(H17・・・H18になった年だったかな?)に

野田に指導に来くださったのが、のちに蒼龍の代表となる

三橋先生である。

当時、野田の少年部は10名くらいかな?

もちろん、大偉もN-nhaもいた。

初日の指導がはじまる。

「先生に礼」と挨拶が終わると、三橋先生は、一人一人子供達の名前を

フルネームで呼び、よろしくお願いしますと頭を下げて挨拶をはじめた。

その姿を少年部の稽古から参加していた私は、衝撃をうけた。

会った事もない子供達の名前をフルネームで呼ぶとは。

会員の名前は何となく覚えてきたとしても、顔を一致させてスムースに挨拶を終えた。

何事もなかったかのように。

この日の事は一生、忘れないし、後に野田の代表を務める私の最重要と

重みを置き、全会員の名前をフルネームで覚えている事はもちろん

きちんと書けるようにしている。

この日の出来事がなかったら・・・後に代表にならなかったら、ここまで考えないと思う。

三橋先生は合気道へ私を導いてくれた先生の一人です。

他にも多くの方から合気道について教えていただいた。

とても感謝している。

また、N-nhaが合気道の事を家内に聞かなければ合気道に出会う事もきっとなかったろう。

こんな素晴らしい仲間に出会う事もなかったろう。

蒼龍5周年記念演武大会は、私にとっても色々と考え深い。

この節目に、参加できた事嬉しく思う。

野田同好会からは6人が参加したが、私の中には+2アルファ

大偉とN-nha、そしてこの大会に都合により参加できなかった人のために。


野田での稽古の事、勝浦合宿に行く前の3月頃の電話、合宿での事。

その夕飯に安藤先生に伝えた事。

全国大会に三橋先生と大偉が一緒に組んで出たこと。

その腰投げが中々できない大偉。

大偉の審査の講評の事・・・うん・・「大偉はもっとできるだろう?」の一言だけ。

告別式の事・・・いっぱいあり過ぎて。


帰りの電車の中で色々と考えて思い出していたら、泣けてきてしまった。

大偉がいたら、N-nhaも一緒に合気道を続けていただろうか?

いつも道場には二人の姿があったからな。

大偉が旅に出てから、道場には一回も来ていない。

きっと次に顔を出すときは、大偉と一緒なんだろうね。

三橋先生の指導のお陰で、苦しかった事、辛かった事などを乗り越える事ができた。

その基盤を持ち、今の明龍館でがんばろうと思う。


合気道を通じて多くの財産となる先輩、同僚、子供達。そして指導して下さる先生方。

この方達がいなければ、2011年6月2日を持って辞めていたと思うな。

みんなに支えて貰って、こんな人はいない。


大偉という男は、多くの支えとなる人達に「お父っを助けてあげてください」

と伝えていたのだろうか?

この恩を何処で、どうやって返せばいいのだろうか?

16年・・・まだ高校2年になったばかり

大偉にどうやって?

私を支えて下さった方にどうやって?

家内に、N-nhaにみるるに。

両親に。

大偉の友達に。


2017年9月7日木曜日

7日(木)晴れ・・・30年振り

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


感動した!

グラチャンバレー・・・日本 対 ブラジル

フルセットの末にブラジルを下した。

30年振りの勝利だそうです。


家に帰り、一人で夕飯を食べているとN-nhaがTVチャンネルを回した。

「あっ、まって・・・バレーみたい」

第4セットは、ブラジルに一方的には負けたものの、最後までくらいついていた。


第5セットは日本の主導権でゲームが進む。


中田監督は、タイムアウトをとっても円陣には入らず別のコーチからの指示を受けている。


選手にいろいろな事を考えてもらいたい、また選手を最後まで信じている姿が垣間見る。


選手の一人一人の思いは計り知れない。

日本代表・・・並大抵の努力をしてきたんだろう。

苦しかった日のほうが多かったのかな?

会場の応援、開催が母国という事もあるのだろうが


選手ひとり一人の顔つき、頑張る姿を見ていると

自然に目頭が熱くなり、泣けてきてしまった。


最後の5セット目は日本がセットを取り30年振りの勝利を掴みとった。


大偉もバレーをしていたので、試合に観に行った時と被ってしまった。




7日(木)晴れ・・・ハンカチ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


見慣れたハンカチ・・・私もそのハンカチを持っている。


同じ会社の方が何人か使っているのを見た。


ベージュの大きめの赤い線とポロのロゴ。


大偉の返礼品の品・・・


色々な方の6年・・・


これまでも色々な事があったな。


2017年9月3日日曜日

3日(日)晴れ・・・友達

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

昨日は審査だったので、今日、大偉とみるちゃんに会いにきた。

帰り・・・管理棟の事務所に置いてある訪問者のノートに目をやると

中学の時のバレー部の友達が来てくれていた。


LINEで御礼の連絡をいれると、実家に帰れる時間があったので

大偉に会いにきたと返信があった。



大偉と同じ6年会っていないが、大偉に負けず劣らずのイケメンだから。

顔はあまり良く覚えていないんだけど・・・ごめん。

こうして今でも大偉の友達と一人として、時間が空けば来てくれるなんて。

ほんとうにありがたい。


いつか大偉の話ができる日がくればいいかな。


2017年9月2日土曜日

2日(土)曇りのち晴れ・・・大偉の力

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉とみるるの仏壇前に座り、挨拶後に大偉の力を借りたいと伝えた。

朝起きると曇っていて、たまに降る雨だった。

今日は一年の中でも大事な日となる。


明龍館合同審査会。

私は、受けを担当するが今まで十分な稽古はしていない。

むしろ、受けとして何もやっていない。

当日を迎え不安だった。

仕手のH-shiの参段審査をぶち壊す訳にはいかない。

今まで、一生懸命に稽古を積んで来たのだから。


春日部武道場に向かう途中から、晴れ間が出てきた。

少ない時間の中、簡単な調整・・・

ここまできたら、自分の今までの稽古とシミュレーションと気持ち。

後は大偉の力を借りて最高の審査にするしかない。


もし大偉がいたら、仕手受けで大偉は弐段を受けるのだろう。


最後の見せ場は・・・

どれだけ最後まで、自由技の仕手受けをこなせるか。

息切れをせず、止めの号令がかかるまで全力でできるか。

私は、この全力でできるかに重みをおいている。

自分自身の頑張りと

仕手への敬意

そして、これから次のステージ向かう後輩へのメッセージ。

この頑張っている姿がどこまで伝わるかわからないが

これからもその思いは変わらない。


大偉の審査という気持ちで臨んだ審査。


審査に臨んだ方々を見ていると、もう一度がんばろうと励まされる。


大偉のお陰で、無事に審査を終える事ができた。

大偉・・・ありがとうね。