2014年6月30日月曜日

30日(月)晴れ・・・熱意

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


熱意には、熱意で返ってくる。

特別な人生を歩んできた訳ではないが、この言葉って本当だと思う。

相手には、上手く伝わらなくても「熱意だけは感じる」ってフレーズってよくあるでしょ?

その逆で、人の心を180度変えてしまうような、感動、感激混じりの熱意もある。


相手に伝わる感じは違えど、熱意には変わりない。

ただ、あまり強引なやり方は得策ではないなぁ〜。

相手の心が、逃げていく。


相手に気持ちを伝えるには、その何倍も情報を集め、提供しなければならないんだよ。

相手の気持ちを動かす熱意。


伝わらないからと言って、やけくそになったり愚痴ったりしたって物事は何も変わらない。

それなら、また違った角度から熱意を示さなければならない。


相手の気持ちを動かす事は、並み大抵ではないし、相当なパワーもいる。

もちろん犠牲もある。


この「熱意」は絶やすことのないようにしたい。




2014年6月29日日曜日

29日(日)晴れのち雨・・・おいおい

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉っ!なんとかして~・・・


大偉とみるるに会いに行った。


雨が上がって・・・お水をかけ、お花を手向けると


だんだんとまた雨が降り始め、お線香を焚く1分後には、大粒の雨から雷雨に変わった。


おもわず、「おいおい、大偉っ!・・・なんとかして~」と言ってしまった。


お墓にいたからだと思うけど、まるで2011年6月5日の涙雨を思い出させるくらいの雷雨だった。


明日で今年も1年の半分が終わる・・・


時の経つのは、振り返れば実に早い。


何もまだ終わっていないけど・・・







2014年6月28日土曜日

28日(土)雨・・・遠い所から。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


体の調子が本調子ではないのにもかかわらず、命日に現場に来てくれた事に感謝します。



大偉を見たのは、木更津さくら会の10周年演武大会でしょうか?


あの時は・・・高1だったと思います。





翌年には人生を大きくかえる事故にあうなんて思いもしなかった。


訃報を知り、駆け付けていただいた事、ちゃんと覚えています。


普段からもお疲れのところ、現場まで足を運んでくださっているんですね。


感謝してもしきれません。


また、私の事までも気遣いしていただきまして・・・。



はやりこの6月から8月というのは非常に、大偉を強く意識します。


寂しい時期は、秋とか冬とか・・・


同じ世代の子が集まっている姿や、節目の時期なんかも。


まだ二十歳になっていないもんで、どうしているかな?と心配で心配で仕方ありません。


こんな事になっても大偉は、きっとバイクに乗っているのでしょうね?


今度、大偉に会いにくる機会がありましたら、厳しく乗り方を教えてやってください。


今後もよろしくお願いします。


お礼が遅くなり申し訳ございません。





2014年6月25日水曜日

25日(水)晴れ・・・ミラクル

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



グループC組 日本対コロンビア戦

早朝の試合・・・試合は気になってはいたが朝早く起きてみる事はしなかった。


起きた時には試合が終わっていて、結果だけみれば1対4の完敗だった。


コートジボワール、ギリシャの時もyahooは見なかったが、なぜか?今回だけは

会社に向かう車内でiPadを見ながら本田圭祐コメントを読んでいた。



「ミラクルは、信じる者にしか訪れない。。。」

日本対コロンビアの試合後の本田圭佑のコメントに出てきた言葉。。。



このミラクルという言葉・・・

今回のコロンビア戦でどれだけの方がミラクルを信じたのかわからないが

1対4は結果であり、何時の時も「やってみなければわからない」


残念ながら決勝トーナメントには行けなかった。

思うような結果が出なかった。

申し訳ない気持ち・・・

色々と選手の中でも、私たち以上に悔し良い気持ちはある。


サッカーに特別な思いれはないが、次の4年間に繋げてほしい。

少なくても未来の子供達は、「あの選手にようになりたい・・・」、この思いだけで

サッカーを好きになり目標にして頑張っている。

あなた達が一生懸命ボールを追っている姿を見ている。

だから、胸を張って帰ってくればいい。

また、Twitterでは、ザッケローニ監督へ、震災後も帰国せず日本に残って

仕事をしてくれていた事への感謝のコメントもあり、選手だけではないスタッフへの気遣いに感動した。



その言葉を 目にした瞬間、大偉が慈恵医大柏で横たわっている姿を思い出した。

声をかけても、体を揺さぶっても、耳元で大きな声を出しても

何の反応もなく、ただ黙って寝ていた。


私の中でもミラクルは起きなかった・・・


その日は、大偉の寝顔ばかり思い出していた。


少しでいいから話したかったな。

手を握り返して欲しかった。


それはそれで、また違った生き方になったと思う。


2014年6月23日月曜日

23日(月)晴れ・・・ネット

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


前の家の子が袋に入れたサッカーボールを右足で蹴りながら歩いていた。

その後ろ姿を見ながら、大偉の小さな頃を思い浮かべていた。


大偉も小学1年生くらいから、近くのクラブチームに入り

高学年には、学校のクラブでもサッカーをやっていた。


そのはるか前の幼稚園になる前くらいかな?

サッカーボールは普通は専用のネットに入れるんだけど・・・


家は・・・スイカのネット!

大偉は小さかったし、スイカネットのほうが網目があらいので出し入れしやすい。

そんなスイカのネットでも大偉は、訳が分からないから使っていた。



その話しを、帰りの車の中で家内に話したら・・・小さい頃ね!


私も、スイカのネットを集めていたもん!だって。




2014年6月22日日曜日

22日(日)雨のち曇り・・・いつも感じているよ。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉、みるちゃん・・・

久しぶりの雨ですね。


暑かったり、雨が降ったり、蒸し暑かったりと天気が変わりやすいけど二人は変わりないですか?


お父っは、先週までは体が怠くて稽古に行くのも実は辛かったんだけど、

稽古に行ったら、とてもいい汗を流してスッキリした。


毎日の生活の中で、いろんな事を感じて、たくさんの物を見て

大偉やみるるの事を被せながら、感じているよ。


出かけて歩いている時も、この辺りを歩いているのかな?なんて思いながら歩いているよ。




2014年6月15日日曜日

15日(日)晴れ・・・どう思う?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


梅雨の中休みといっていいほど、昨日に引き続き良い天気・・・。


大偉とみるるに会いに行ってきた。その足で現場にも行った。


もう3年と思うか・・・

まだ3年と思うか・・・


人それぞれの感じ方や受け止め方が違う。

その時の・・・

まさにそう感じた時の、心の状態によっても違ってくる。


同じ言い方でも、感情が不安定であれば「カチン」ときたりする事もあるのと同じ。


たくさん手向けていただいたお花を片付けながら感じでいた。



お前だけはと思ってはいたが・・・


色々と都合があるから仕方がないね。



2014年6月14日土曜日

14日(土)晴れ・・・もうこんな歳かぁ・・・

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


14日には、N-nhaと家内が大学の見学に出かけた・・・。

私は、稽古があったので一般部の後、少年部の指導を行っていた。


4月前から、いろいろな学校の資料を集め一人で行ったり、友達と見学に出かけていた。


今の高校に入るのも、将来、やりたい事があっての事だったが

だんだんとその夢に近づいているのかな?


三者面談もついこの間、終わったみたいだし。


N-nhaも、受験生・・・


もうこんな歳になるんだな・・・


子供の成長って早いなぁ。


歳を足していくと・・・寂しくなるな。


自分がやりたい事を掴んでもらいたいと願っている。


2014年6月13日金曜日

13日(金)晴れ・・・部活

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


浦安の演武大会後から、自転車が盗まれ朝は駅まで歩いて行っている。


そんな中、大偉、N-nhaが卒業した中学校の前を通ると、テニス、陸上
サッカー、野球・・・など朝早くから汗を流している。


大偉はバレー部だったので、体育館での朝練だ。


声を出して、みんなで一つの目標に向かって進んでいる、学生を見ていると
羨ましくなる。


ついこの間まで、中学生・・・・

今は・・・大学二年生かな。


何をやっているんだろう。





2014年6月9日月曜日

9日(月)くもりのち雨・・・感謝

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



大偉に、「感謝の念を抱き」・・・


絶対に忘れる事のない人と思ってくださり


親としてこの上ない喜びで、感謝申し上げます。



これ以下でも、これ以上でもない感謝です。



大偉とみるるの写真を見ながら食事をしていると


大偉にあいたいなぁ~

みるるにあいたいなぁ~

と本当におもうよ。



なんとなくでもいいから、会いたい。



2014年6月8日日曜日

8日(日)雨・・・お花に囲まれて

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


最近のTVドラマは本当に刑事ものが多い。

特に、科捜研を題材にしたもの・・・。

亡くなった後の人の事も。



ショッピングモールで、一人の男の子が誘拐され家に帰ってきた時は、変わり果てていた。

家族にしかできない、身元確認・・・。

母親は、ショッピングモールで子供がトイレから中々戻ってこない事を不審に思い警察に届けるが、

誘拐されてまもなく殺され、遺棄された。


警察の霊安室に両親が入り確認・・・

泣き崩れる母親。その肩を支えるお父さん。


横には、その男の子・・・「ごめんね」と言いながら立ちすくんでいた。


告別式・・・

お経が終わり・・・最後のお別れ。


待ってとばかりに、棺にしがみつく。


棺の中はたくさんの綺麗なお花に囲まれ・・・とても綺麗な顔をしている。



一生懸命に犯人を捜す刑事さん。

遺留物からの犯人を特定しようと鑑識の方々。

その証拠物をもとに分析をする科捜研。


これは、ドラマの話しだけど・・・


一部を除き、同じ体験をしてしまった私には

そのドラマを見ているのは辛かった。


大偉をそのまま見ている感じだった。



告別式の最後のお花を手向ける時間は、言葉に表す事のできない


とても、とても辛い時間だった。



2014年6月7日土曜日

7日(土)雨・・・特別な日

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


どしゃ降りの大雨だというのに、大偉のお墓に立ち寄り、

I-ue先生夫妻とR-seyさんがその後、稽古に参加してくれた。



毎年訪れる特別な月・・・。


朝、稽古場の準備を整え、大偉の写真を正面脇にそっと置いた。


少年部の中には、もう大偉を知っている子供達はもういない。



こうしてI-ue先生夫妻、R-seyさんが道場にいると私が入門した当時を思い出さす。


大偉、R-uma、S-go、N-nha・・・・同じ世代の子供達が少年部の稽古終わり、

すぐ脇で、遊んでいたのをね。


大偉の写真を見ると、だいぶ大きくなった顔をしているが、道場では

この思い出ばかりだな。



大偉を感じ、大偉の着ていた道衣を身にまとい稽古をしていた。


あれから3年・・・


もう3年と感じるのだろうか?

まだ3年と感じるのだろうか?



毎年訪れる6月・・・。


私にとって特別な月でもあり特別な日。



いつもより、大偉の事を感じる・・・小さい頃の大偉から


2011年6月2日の出来事まで。




2014年6月7日 稽古に集まった仲間たち






2014年6月6日金曜日

6日(金)雨・・・大偉みたい

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


先週の「ハイキュー」を見ていた。


オープニングの主人公の膝からしたのシューズを履いた足の感じが大偉みたいだった。


この「ハイキュー」を通して、大偉も中学の時、一生懸命にバレーをしてきたんだなと思いながら見ている。



今は、この「ハイキュー」で大偉を感じている。



2014年6月5日木曜日

5日(木)雨・・・3年前

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


会社を出たのが、8:00pmすぎ・・・。

駅まで雨の中歩いていた。



3年前の今日は、よく晴れた天気だった事をよく覚えている。


午前中には、後輩の子が大偉に会いに来てくれた。


夕方前には、自宅出棺・・・。


もうこの家で、大偉が寝る事はない。

帰ってきているとしても、私には見えない。



滞りなくお通夜が終わり、9:00pm・・・

突然の土砂降りの雨。


涙雨。


まるで、来てくれた方がお友達が家に着いたのを確認したかのような雨だった。




そんな3年前を思い出す。



2014年6月2日月曜日

2日(月)晴れ・・・途切れた道

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



今日は、6月2日・・・

大偉の命日となってしまった日。


今回、初めて有給休暇をもらい休んだ。

特に何も言ってはいないが、会社の携帯も全く・・・鳴らない。


N-nhaも先週の土曜日の授業の振り替えで、今日は休みなので

午前中に家内とN-nhaは、大偉とみるちゃんに会いに行った。


帰ってくると・・・自転車に乗る服を着ていた人とすれ違ったと言ったので

「H-shiだ!」・・・えっなんで・・・

会社を休んだのかな・・・。

2週間の出張の代休かな?なんて思っていた。


私は、午前中にお客様が来ると待っていたが、色々とトラブルがあり会えなかった。


歯医者の予約が4:30PM・・・


4:10PMに現場に先に行ってから歯医者に向かおうと思ったが、先にお墓に向かった。


管理棟にある記帳には、H-shiの名前があった。

他校の中学時代のバレー部の友達の名前。



歯医者を出たのが結局、5:30pm過ぎ・・・。


それから現場にむかった。



6:00pm前にに着いた。

平日なので駐車場はガラガラだったが、1台の車から

お花を持って出ていく子の姿が見えた。


誰だろう?・・・。


近づくと、大学の一つ上の先輩の姿だった。

毎年、来てくれている。


まもなくすると・・・・


「あっ、来た!」と言ったので振り向くと


数台の車とバイクが左折して駐車場に入ってきた。


5~6人くらいかな?


話した事はないが、一人だけ顔を見て知っている。

大偉が入学当時から話をしていた子だから・・・。


後は、もしかしたらどこかで会っているかもしれないが、わからない・・・ごめんね。



普段・・・こんなところに人が集まる事のない場所に・・・

道も渋滞していた。

なんで、人が集まっているのだろう?と思いながら車を運転していた人がもいただろう。

当時も、現場検証のため同じように渋滞していたんだろう


あれから、この道を何万台・・・何十万、何百万台と走りさっている事だろう。

もしかしたら、あのトラックも・・・。


2011年6月2日・・・

この場所から家までの距離・・・車で10分~15分の距離。

この短い距離を大偉は自力で帰ってくる事ができなかった。

向かった先は、家とは真逆の慈恵医大柏病院。


この距離を帰ってきたのは・・・

まだこんな車に乗るには早すぎるという車に乗り、変わり果てた大偉。


無言の帰宅だった。


3日の朝早く流れたニュース

柏警察から、大偉を見送る家内とN-nhaの姿と声

毎日、現場に向かっては何か証拠が落ちていないかと探して・・・・


調書をとられ・・・聞かされ、また現場に出向き

滑った地点と、大偉が倒れた地点を見つけるが大体の位置しかわからない。


今でも思う事は、前歯がかけたり、頬にすった傷はあったが

そのままの大偉の顔で帰ってきてくれてよかったとつくづく思う。


お通夜に来てくれた友達からは、最後に大偉に会いたいと残っていた。

そんな子達にも会わせる事ができたのだから・・・。



本当だったら、あの日も普通に大偉の道は続いていた。

続くはずだった・・・。

今でも、普通に何処の家庭にでもあるような光景で暮らしていた。




こうして、お墓に行ってくれた方・・・

現場に来てくれた方・・・

大偉のためにわざわざ、時間を作って会いにきてくれて本当にありがとうございます。

それから、いつもお花を手向けてくれた人からもメールが届いた。いつもありがとう。

7日にも大偉に会いに来てくれるとI-ue夫妻からも、R-seyさんからも連絡あった。





2011年6月2日・・・とはまったく違う、よく晴れた良い天気だった。




田中大偉・・・・

あなた達には、どんな男に見えたのかな?





一瞬、途切れてしまったが・・・

こうしてみなさんが、大偉の道を繋げてくれた。

私たち家族を繋ぎ、支えてくれている事に感謝します。


大偉の道を、一つひとつ歳を重ねながら、思い浮かべる事でしょう。


2014年6月1日日曜日

1日(日)晴れ・・・夢

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



朝に現場にに出かけ、お花とお線香を手向けた。

いつものお花が手向けてあった。


毎回、同じ形のお花・・・

同じ子が、大偉の最後にいた場所に来ているんだな。

どなたかわからないが、いつもありがとうございます。

もしこのブログを見ていたら・・・お礼を言いたいので

メールをいただけませんか?





今日は、お互いの両親と一緒に大偉と、みるちゃんのお墓参りに出かけた。

その後、一緒に食事をした。



ちょっとだけ、「大偉の夢を見た?」の話しになった。


みんな夢に出ていないというが・・・・


ばぁちゃんだけが、ぼんやりとだけど大偉の夢を見たと言う。


ばぁちゃん・・・と声をかけてきたみたい。。。



大偉はどうしているのだろう。