2014年6月2日月曜日

2日(月)晴れ・・・途切れた道

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



今日は、6月2日・・・

大偉の命日となってしまった日。


今回、初めて有給休暇をもらい休んだ。

特に何も言ってはいないが、会社の携帯も全く・・・鳴らない。


N-nhaも先週の土曜日の授業の振り替えで、今日は休みなので

午前中に家内とN-nhaは、大偉とみるちゃんに会いに行った。


帰ってくると・・・自転車に乗る服を着ていた人とすれ違ったと言ったので

「H-shiだ!」・・・えっなんで・・・

会社を休んだのかな・・・。

2週間の出張の代休かな?なんて思っていた。


私は、午前中にお客様が来ると待っていたが、色々とトラブルがあり会えなかった。


歯医者の予約が4:30PM・・・


4:10PMに現場に先に行ってから歯医者に向かおうと思ったが、先にお墓に向かった。


管理棟にある記帳には、H-shiの名前があった。

他校の中学時代のバレー部の友達の名前。



歯医者を出たのが結局、5:30pm過ぎ・・・。


それから現場にむかった。



6:00pm前にに着いた。

平日なので駐車場はガラガラだったが、1台の車から

お花を持って出ていく子の姿が見えた。


誰だろう?・・・。


近づくと、大学の一つ上の先輩の姿だった。

毎年、来てくれている。


まもなくすると・・・・


「あっ、来た!」と言ったので振り向くと


数台の車とバイクが左折して駐車場に入ってきた。


5~6人くらいかな?


話した事はないが、一人だけ顔を見て知っている。

大偉が入学当時から話をしていた子だから・・・。


後は、もしかしたらどこかで会っているかもしれないが、わからない・・・ごめんね。



普段・・・こんなところに人が集まる事のない場所に・・・

道も渋滞していた。

なんで、人が集まっているのだろう?と思いながら車を運転していた人がもいただろう。

当時も、現場検証のため同じように渋滞していたんだろう


あれから、この道を何万台・・・何十万、何百万台と走りさっている事だろう。

もしかしたら、あのトラックも・・・。


2011年6月2日・・・

この場所から家までの距離・・・車で10分~15分の距離。

この短い距離を大偉は自力で帰ってくる事ができなかった。

向かった先は、家とは真逆の慈恵医大柏病院。


この距離を帰ってきたのは・・・

まだこんな車に乗るには早すぎるという車に乗り、変わり果てた大偉。


無言の帰宅だった。


3日の朝早く流れたニュース

柏警察から、大偉を見送る家内とN-nhaの姿と声

毎日、現場に向かっては何か証拠が落ちていないかと探して・・・・


調書をとられ・・・聞かされ、また現場に出向き

滑った地点と、大偉が倒れた地点を見つけるが大体の位置しかわからない。


今でも思う事は、前歯がかけたり、頬にすった傷はあったが

そのままの大偉の顔で帰ってきてくれてよかったとつくづく思う。


お通夜に来てくれた友達からは、最後に大偉に会いたいと残っていた。

そんな子達にも会わせる事ができたのだから・・・。



本当だったら、あの日も普通に大偉の道は続いていた。

続くはずだった・・・。

今でも、普通に何処の家庭にでもあるような光景で暮らしていた。




こうして、お墓に行ってくれた方・・・

現場に来てくれた方・・・

大偉のためにわざわざ、時間を作って会いにきてくれて本当にありがとうございます。

それから、いつもお花を手向けてくれた人からもメールが届いた。いつもありがとう。

7日にも大偉に会いに来てくれるとI-ue夫妻からも、R-seyさんからも連絡あった。





2011年6月2日・・・とはまったく違う、よく晴れた良い天気だった。




田中大偉・・・・

あなた達には、どんな男に見えたのかな?





一瞬、途切れてしまったが・・・

こうしてみなさんが、大偉の道を繋げてくれた。

私たち家族を繋ぎ、支えてくれている事に感謝します。


大偉の道を、一つひとつ歳を重ねながら、思い浮かべる事でしょう。


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