2016年6月8日水曜日

8日(水)晴れ・・・お心遣い。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


火曜日クラスの稽古から帰ると・・・


I-ueさんからのお心遣いの品が届いていた。

毎年、大偉のために嬉しく思う。


御礼のメールをいれさせていただきながら、



途中、ZEPHYRの事、大偉への事が記されており、以下の言葉で締めくくられていました。


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「毎年6月は人の人生を、生き方を、あり方を、考え悩み問いかける時です。」

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この言葉を読んだ時、一年を通して一番考える月だなと、本当に感じました。

人生・・・・

命って・・・

生き方・・・

とは、何だろうか。


あっという間に、言葉を交わさず旅立ってしまった大偉。

あの時、何で電話をするのを忘れてしまったのだろう?

思った時にすぐに電話をしていれば、もしかしたらこんな事にはなっていなかったかも知れない?


大偉の生き方を通じて、もう一度自分自身に問いかけてみようと思った。





 

2016年6月7日火曜日

7日(火)雨のち曇り・・・どんな気持ちだったのか?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



5日の午後にバイク屋に向かう私の後ろを家内とN-nhaが車でついてきたんだけど・・・

ZEPHYRに乗っている、私の後ろ姿を家内とN-nhaにはどう映ったのかな?

しかも一年の中で特別な月なのに・・・。

その後、私からも家内、N-nhaからもその事には特に意識もせず触れなかった。

でも、決して良い気持ちではなかったろうに。


N-nhaは、前に踏み切りですれ違った事があったし、何度か見ている。


ただ、家内はバイクをいじっている姿は見た事はあるものの、ZEPHYRに乗っている姿ははじめて。


こんな姿を、親父に見せたら絶対に反対するし、当時の事を思い出して

倒れてしまうかもしれない。


あまりのショックで大偉をお見送りする事もできずいたからね。


でも、大偉が最後に乗っていたバイクなので・・・・複雑な気持ちはあるが

できる限りメンテして乗り続けようと思う。


 

2016年6月6日月曜日

6日(月)曇り・・・30年経っても

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


TVで、30年前の4月8日のお昼にビルから飛び降り自殺をした

岡田有希子さんのファンが集まっていた所が流れていた。


日本のみならず、海外の方のファンも多く、岡田有希子さんをしらない世代の子までもいた。


当時、私は高校3年生・・・

野球部の中に大ファンの人がいたので良く覚えている。


毎年集まる人は少なくなっているのかもしれないけど、30年経っても今なお

こうしてその日のその時間に集まって黙祷をしているなんて、ファンの力って凄いなと感じた。


私が、後25年・・・


もう、74歳だよ


ZEPHYRも乗っているのかな?



今日は、出棺。

ほんとうに最後の別れ・・・・

綺麗なお花を棺に入れ、最後にかぶせる時は手をいれて、最後の悪あがきのように蓋を閉めさせなかった。

もし、冷凍保存のようにいつでも見る事ができたら・・・

骨壺に入った骨なんかではなく。






2016年6月5日日曜日

5日(日)晴れ・・・どひゃ~、マジ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、一足早く父の日のプレゼントを私に出かける準備をしていた。

まだ、時間があったので、車を洗車してからZEPHYRのシートをまくり、タンク回りを拭いていた。


やっぱり、ガソリン臭い!


キャブレターを覗き込むと・・・

えっ!

ぽたぽたとガソリンが漏れているではないですか!


すぐに、昨日修理してもらったお店に電話した。

キャブの上と下の皿を外したが、パッキンはそのまま使ったみたい。

あぁ~、支払った1万円は・・・・・


まぁ、今までも色々と良くしてくれていたので、ぐっと堪えて


知り合いの方のショップへ駆け込むように受け入れをしてもらった。


はじめから、ここに持ち込んでいればなぁ~とは思いながら、色々とお話しをした。


その後は、家族でお墓参りをして実家に!


調子を崩していたので、プレゼントだけ渡して帰った。



そのまま、酒々井アウトレットに行って買い物!

酒々井ICで降りるはずが、ZEPHERの事を考えながら運転したら出口を過ぎてしまった。


幸い次の冨里ICがちかったので、リカバリー。



帰りはR6を呼塚で右折してR16に入った。


MAXValueが右手に見えるところで信号待ち。


2011年6月2日・・・日付が変わり3日になっていたが24時間営業のこの店で

お花を買って手向けに行った事を思い出していた。


この日はお通夜で、21:00頃・・・

来てくれたお友達がみんな家に帰ったのを確認したかのように

涙雨が・・・



現場にお花を手向けていただいた方へ。
いつもありがとうございます。

こんなかたちでお礼をお伝えする事しかできません事をお許しください。




2016年6月4日土曜日

4日(土)晴れ・・・直った

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


先週の土曜日にZEPHYRのエンジンがかからなくなり、一旦修理。

稽古が終わり、引き取りに行った。


やっぱり、何年も乗っていなかったからタンクの中に錆びができていて

詰まってしまっていた。

外付けフィルターはもう使い物にならない・・・

取り合えず、エンジンがかかるようになった。


ガソリンを満タンにして、お墓に向かい今日はここで帰ったが・・・


何かガソリンの匂いがする?



2016年6月3日金曜日

3日(金)晴れ・・・がんばったね。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



5年前は、朝早くに柏警察署から大偉を千葉大に送った日。

今週はとても辛い日を思い出す1週間となる。


自分でも色々と調査するために、松戸区検に何度も通い調書をコピーした。


コピーをしながら所々読み、被疑者を確認し・・・

時には目を覆ってしまいたくなるような写真もある。


硝子張りのコピー室・・・


事務室からは、中の様子が丸見えではあるが、涙を流しながら

コピーをとっていた。


こんな事までするのか?


司法解剖をしなければ、死因の特定はできないと言われたが・・・


その写真をはじめて見せられたのは、柏警察署内の取り調べ室。


ほんとうに一瞬目を背きたくなるような写真ではあるが、これが大偉の姿だと堪えてみた。


なんでこんな事になってしまったのか?

考えても考えても・・・・考えても


答えはない。



今でも、柏警察署から大偉を乗せたワゴン車が千葉方面へ緩やかな坂を上がっていく様子と

当時中3のN-nhaと家内の「がんばれ!」という言葉が残っている。


同じ日の朝に流れたニュースは今でも保存している。


2016年6月2日木曜日

2日(木)晴れ・・・’16 6月2日

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



いつもより少し遅く起きたが、5年前の今日は朝から雨が降っていた。


みるるが旅立ってから、みんなリビングで寝ていて、大偉の寝顔を見ながら会社に向かった。



あの日は、雨から夕方にはやんでいた。

2011年は6月2日までは、天気がとても不安定で雨の日が多かったが、

翌日の6月3日には晴れた。



2012年からは6月2日は晴れ・・・。

大偉が晴れにしてくれているかのようだ。


家内とお墓に行き管理棟にあるノートに目をやると

同じ自動車大学校のT-go君の名前が書いてあった。

顔は、わからないが何度か大偉の事でメールをした子。

夜にお礼のメールを入れたが・・・5年前のアドレスだったので、

メールが届かず送信ができなかった。


この場をかりてお礼申し上げます。

ありがとうございました。



現場には、ZEPHYRで行って道を繋ぐ予定でいたのに・・・今年も行けずしまい。

綺麗なお花を手向け、時計に目をやると16:07。


すぐそこまで大偉がきている・・・・もう少しでここを通ると思いながら

今年は、その時間を待たずに現場を後にした。

何故だか、16:10を待つのが嫌だった。

何かが私の心の中でそう決めた。

今までは、16:10を現場で向かえていたのに・・・

どうしたんだろう?

そんな大偉を見たくなかったのかもしれない。


車を走らせながら、今、大偉はここを走っているな・・・

私の車に追いついたかな?と思いながら走った。


朝起きてから、時計を見るたびに、今の時間はこうだったな、この時間は

あぁだったなと思いながら、過ごしていた。



今年の6月2日もとても良い天気だった。






2016年6月1日水曜日

1日(水)晴れ・・・旅

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



大偉どこ旅してんのかね・・・・メールがはいっていた。



私は、遠い所にいるようで、案外寂しがりやだから、近くにいると思う。

毎年、3月くらいから心がざわつく・・・

今でも、もちろん楽しい思い出はあるが、あの時の事ばかり・・・。

私もこの事は墓場まで持っていくのでしょうね。


きっと、良い男になっていることでしょう。


毎日、多くの事故で命を落とす人がいる中、まさか自分の子供が

今まで、想像もした事がなかった。


普通は、ニュースを見て気をつけなきゃなぁと思う事はあっても、

自分の子供がこうなったら?とか自分がこうなったらとは、あまり思わないが

残された家族としては、N-nhaや家内の事を思うと、やはり色々と考える・・・。


明日が、その日だとわかっていれば学校に行かせなかったのに・・・。