2015年10月30日金曜日

30日(金)晴れ・・・マタニティーマーク

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


とてもショックだった・・・。


マタニティーマークの事は誰でも知っている。

はじめて見た小学生だって幼稚園の子だって、マークを見ればその存在はわかると思う。


以前・・・マタニティーマークを鞄から隠して立っていた女性について自分なりのコメントを最近書いたけど


なぜ? 隠していたのか・・・・


ようやくわかった。


必ずしも人間全員がマタニティーの方を良く思っていないという事。


なぜマタニティーの方に席を譲らなければならないの?

優先席に来て何、座ってんの?

などなど・・・


自分が思っているのと真逆の考えをもつ方達も少なくない。



マタニティーマークをつけていたお陰で、助けられた事もあったし、

そのマークを見て優しく接したりと、ほとんどの妊婦さんはマークを付けたという。


ただ、その一方でつけたくない。

つけるのが怖いという妊婦さんもいる。



その理由が、ごくごく妊婦さんを良く思わない方々から、


車内で足を出して、ひっかけられたり

お腹を「ポン」と殴ったりと


考えられない事が起こっているという事にビックリした。


だから・・・私が二日続けてお会いした妊婦さんも


その事があって「わざと」隠していたんだ。


私は、世の中の妊婦さんの抱えている問題をまったく知らなかった。





色々な考えの方がいて、全然不思議ではないんだけど・・・


人の身体を傷つける行為は、人としてどうなのでしょうか?



2015年10月27日火曜日

27日(火)晴れ・・・はじまった!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


排球(ハイキュー)・・・セカンドシーズンがはじまった。

大偉の部活を思い出すなぁ〜。。。

そもそも・・・なんでバレー部?と思った。

とにかく体を動かす事がすきだったのは間違いないんだけど、

小学生のクラブはサッカーだったのにね。


家内がバレーボールやった事、あるの?ときいたら

あるよ!・・・だってさ。

仮入部から、他の部活の体験も見学すらせず、バレー部にいた。

大偉ともう一人だったらしいけど。



1年の時はリベロやセッターなどもやったけど、結局レシーバーに落ち着いたみたい。


初めて大偉の試合を見たのは、2年生の秋か、3年生になる年の春かな?

良く覚えていないけど、一生懸命に声を出してコートの中を動きボールを拾っていたなぁ〜。

南中の体育館の2階のヘリから見ていたけど、こっちも熱くなる。

じっと心の中で応援し続けている自分がいる。


そのバレーボールの漫画が「ハイキュー」


セカンドシーズンがはじまった。


ものすごく楽しみの一つ。


大偉のバレーボール姿を唯一思い出せる・・・






2015年10月26日月曜日

26日(月)晴れ・・・ひとつひとつ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



今日は、有休を使いお休みした。

家の掃除などをしながら、庭に出る・・・

ちょっと何か変な気がする?


何日か前から、子猫の鳴き声がしなくなっている。

いつもは、5,6匹の鳴き声も1匹だけしか聞こえないのも、引っかかる。

庭に出て、家の基礎側にチラッと目を向けると、子猫が横たわって亡くなっていた。


これも、宿命なのか?

私が見つけたのは必然なのか?

猫派ではないが、子猫となると心が痛む。


物陰に隠れ子供を産み育てる。

何度かあるので、その場所を片付けた。

大偉が金槌を使い、訳のわからない工作をした物までいまだに捨てられずにあったし、

小さい頃のサッカーボールや、バレーボール・・・

もうとっくに使えないというのに。


家内に「捨てるよ!」と一応確認してカッターで刃を入れて半分にする。

5、6っ個あったかな?


このボールにも大偉の思い出が詰まっているのだと思えば

こうして一つ一つ消えていくのかな?

そんな事を考えれば考えるほど辛くなってくる。


今そこに大偉がいて、捨てるのと

もういない・・・で捨てるのとでは

全然気持ちが違う。






2015年10月25日日曜日

25日(日)晴れ・・・?必然?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


久しぶりにZEPHER400に朝早く乗った。

いつも走っている道・・・


1時間ほどでガソリンを入れて帰ってくる途中の踏切。

反対側にN-nhaの姿。


踏切待ちで待っていた。

今週は、日曜日も学校に出かけた。

朝は私よりも早くでかけて、サラリーマンよりも大変な毎日。


大偉がこのZEPHERが欲しくて購入したのに・・・

たったの2か月。


【運命】
・運命論では、人の幸福・不幸などは、人の力をこえたところであらかじめ決まっている、と考える。
・人生は天の命によって定められているとする思想に基づいて考えられている、人の意思をこえて身の上に起きる禍福(広辞苑 第5版 P278 【運命】)
・将来のなりゆき


【宿命】
一般に「運命」とほぼ同義語として「宿命」が用いられている。が、ふたつの違いを指摘する人もいる。江原啓之は、「宿命は変えることはできないが、運命は本人次第で変えることが可能だ」と言う。
前世から定まっている運命。避けることも変えることもできない運命的なもの。

【必然】
かならずそうなるに違いなく、それ以外にはありえないこと。

【偶然】
必然性の欠如を意味し、事前には予期しえないあるいは起こらないこともありえた出来事のことである。 副詞的用法では「たまたま」と同義。 ある程度確実である見込みは蓋然と呼ぶ。 対語は必然。



対語であるこの言葉・・・

大偉にあてはめると、非常に複雑な気持ちになる。



これも、私達家族が受け入れなければならない出来事なのか?


どこかで運命を変えてあげる事ができていれば・・・

きっと大偉は元気な顔をしていただろう。


運命--宿命--必然--偶然・・・・



秋もこれから深まり、寒い季節がやってくる。




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2015年10月24日土曜日

24日(土)晴れ・・・少年部

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉やN-nhaが入会した時は、S-goやR-maやたくさんの子供達が合気道を習っていて活気があった。

一時期は、同じ世代の子供が多かったため中学に上がると部活もあり、ごっそりといなくなった。


N-nhaは運動は得意ではなかったので、文科系の部活だったので中学でも続け、

大偉は、高校からまた復活した。


なかなか、子供達の入会が増えない中・・・

昨年夏からはじめた体験会・・・

昨年に引き続き行った体験会・・・

少しずつではあるが、子供達の人数も増えはじめ

今では昔のような活気がまた戻ってきた。


大偉も小さい頃は、Hayashiさんに面倒を見ていただいた。


その大偉も大きくなり、面倒をみる頃になると

稽古前にはみんなで鬼ごっこをして遊んだり

子供達を和ませていた。


中々、輪に入れない子を見ると一緒に遊んだり、

兎に角、周りを気にかけてあげられる子だった。


こうして子供達の笑顔を見ていると、大偉は眠たい目をこすりながら

道場に入り、子供達を喜ばせて遊んでいたんだろうなかぁ~と思う。


大偉が側にいてくれたらなぁ~

良いお兄ちゃんで、子供達から慕われていたんだろうなぁ~。


そうすれば、きっとN-nhaは今でも道場に通っていたかもしれないなぁ~。















2015年10月17日土曜日

17日(土)曇り・・・一年に一回

ふ平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



今日は全日本演武大会…

駒沢大学駅からオリンピック記念公園体育館に向かいながら、

大偉やN-nhaと一緒に歩いた道を懐かしく思い歩いていた。
 
 
朝早く・・・大偉の道衣と剣を準備した・・・


会場に着き、道衣を着た瞬間・・・・

上が私ので、下が大偉のだった。


まっ半分半分だからと言い聞かせ、リハーサル開始。


大偉、R-ma、N-nhaが最初に全日本に参加した場所で、I-ueさんと組み剣の稽古を入念にした。

昨年は組杖で、悔しい思いをしたからね。


無事に演武大会も終了し、渋谷駅で一旦、仲間と別れた。
 
 
一年に一回しか降りない渋谷駅。

 
今年も早いもので、この時期が来た。



金伝丸・・・。


チケット買う女の子3人組が、カウンターに座り、大偉が食べた場所は、先客がいた。


チケットを買うと、直ぐに中へ通されそうになったので、

どうしても、ここの場所で食べたい旨を伝えると、

対応した店員の男の子は、


 
「あれっ・・・去年も今頃来ませんでした?」

ここで、団体さんで食べに来ましたよね?


そう!なんで覚えているの?

お客さんの話が結構印象に残っていて…


とは言っても、「昔息子とここに来て食べた思い出の場所なんです」とくらいの話ししか

していないんだけど、彼はどう思ったのかな?


結局、大偉が座って食べた席に通してくれて

色々な事を思い出しながら食べていた。


なぜ、みんなと別れてまで渋谷のラーメン屋に行くのか?

大偉の好きなラーメンを一緒に食べるため。