2012年8月31日金曜日

31日(金)晴れ・・・解決には

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


産経新聞WEB版を読んでいた。

拉致被害者・・・横田めぐみさんの記事があった。

また、曽我ひとみさんの記事・・・。

投稿者からの記事も。


お父さんもお母さんもかなり年をとってきたし、生きているうちに娘にという気持ちを考えていたら、泣けてきた。

自分ひとりの力ではどうすることもできないが、なんとか帰国して簡単には埋めつくせないが、

少しでも取り戻せたらと思いながら読んでいた。


いなくなった過程は違うし、今の置かれている状況、立場も違うんだけど・・・


今から30年以上前の昭和52年(1977年)11月15日-----
日本海に面した新潟の町から一人の少女が忽然と姿を消しました。

まだ13歳。


今も安否を気遣いながら、そこで時が止まっている。



オギャーと産まれてから・・・いや産まれるまえから

13歳までの短い間。

たくさんの思い出が詰まっている事だろう。



自国の国民が拉致されているのに、なにやってんだ日本政府は。

小泉総理大臣(当時)平成14に訪朝したときからもう10年・・・進展はしたが一部だけ。


本当に何とかならないのか?

話しだけで、あった事もないが全員が同じ方向をむけば世界も動かせると信じているものの

私には何もできない。

何一つとてしていない。


遠くから見守る事しかできない自分がここにいる。


子供がいない寂しさ・・・

辛さは違えども子を持つ親としては同じ。


解決にはまだまだ時間がかかるなんて思っちゃすすまない。

もう時間がどちらにもないんだと・・・

2012年8月30日木曜日

30日(木)晴れ・・・おなじ方向

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

楽しい時も、

苦しい時も、

笑っている時も

泣いている時も


いつでも、

どんな時も


みんなで同じ方向を見る。


見たいと思う。


そう願う・・・願いたい。



2012年8月29日水曜日

29日(水)晴れ・・・きつい思い

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉っ!

みるちゃん連れてお祝いにきたの?


「こいつら、きつい思いを背負っているのに・・・」

笑っている。

なぜだか、わかるか?




「キツイ物を背負っている」・・・
 
だけど、過去にとらわれず、今を見て(現実)、未来を夢見ている

いつまでも過去にとらわれちゃ、前に進めないんだよ!

だから笑っているんだ。


ドラマに台詞(ニュアンスはこんな感じだった。)


人に言えない過去。

過ち、などは誰しもあると思う。


少しずつでも前へ。


高野健一 / ことほぎ~君への遺言~
http://www.youtube.com/watch?v=LwqhTskO6Po
「ことほぎ~君への遺言~」は、森繁久彌さんが、奥様を亡くされた際の「寿命とは、命を寿ぐ(ことほぐ)と書くんです。寿命がきて亡くなるということは、めでたいことなん­です」という言葉に、高野健一が感銘を受けて作られた楽曲です。「死」を悲しむだけでなく、「生き抜いた命を祝福する」という森繁久彌さんのメッセージを伝えたいという、­高野健一の願いが込められています。

『会いにゆきます feat. 竹仲絵里』高野健一
http://www.youtube.com/watch?v=qsxFO22y-50
お母さんへの思い

馬場俊英 - いつか君に追い風が
http://www.youtube.com/watch?v=UDj8c68Dxtk

2012年8月28日火曜日

28日(火)晴れ・・・惜別の時


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今月の締処理の作業の目途が立たず、泊となってしまった。

ホテルに入る前に、なか卯で食事をした。


流れていた曲が、森山直太郎の「さくら(独唱)・・・。


ぼくらはきっと待ってる
君とまた会える日々を
桜並木のみちの上で
手を振り叫ぶよ

どんなに苦しい時も
君は笑っているから
くじけそうになりかけても
頑張れる気がしたよ
かすみゆく景色の中に
あの日の歌が聞こえる

さくら さくら 今咲きほこる
刹那に散るゆくさだめと知って
さらば友よ 旅立ちのとき
変わらないその想いを 今




今なら言えるだろうか
偽りのない言葉
輝ける君の未来を
願うほんとの言葉
移りゆく街はまるで
僕らをせかすように

さくら さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わる時を信じ
泣くな友よ 惜別のとき
飾らないあの笑顔で さあ

さくら さくら いざ舞い上がれ
とわにさんざめく光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう
さくら舞い散るみちの
さくら舞い散るみちの上で



惜別=別れを惜しむこと。


胸が詰まる思いで聞いていた。

大偉の事も思い出していたが、大偉やN-nhaの話しだけを聞いていつも事あるごとに子供達にお土産を買ってきてくれた。

何回か家にも遊びに来てくれたし、子供達もひらおちゃんって言って遊んでいた事を思い出す。

一緒に仕事をし、飲みに行って騒いだり・・・楽しい思い出がいっぱいだった。


そのひらおちゃんも2008年1月28日に浦安順天堂大学病院で旅立った。

腰が痛い、痛いと言っていた。

近所の病院に入院したのもつかの間、それから1か月も経たないうちに・・・

バイクが好きで、車も好きな二人の事だからきっとツーリングにでも出かけているんじゃないかな?


2011年4月9日・・・白井文化会館での入学式

桜の花びらが、まさに舞い落ちる日だった。

希望と不安を抱えながら、自分の好きな道へ進んだ大偉。

親としても不安だった。

これで良かったのだろうかと・・・今でも思う。

もし、違った道へ進んでいたとしたら・・・悔やんでも悔やみきれないが。


そんな私の気持ちをよそに、大偉は違った道に進んでいたらなんて思ってなんかいないだろうな。

学校を進めたが、大偉の意志で決めた事だ(こうなった事の責任回避かもしれないと思ったりもする)




こんな事になるなんて、本人も思ってもみなかっただろう。


来春の桜が咲く頃は、卒業しさらに夢への一歩を踏み出すはずだった。


大偉の卒業する姿を見たかった。

大偉の笑った顔が見たかった。

卒業式で大きく成長した姿を見たかった。


その日は家族で食事をして、あの頃はこうだった、ああだったと思い出話しをしながら

これからの成長を楽しみに見守りたかった。


お互いの実家に遊びに行ってお祝いをしてもらいたかった。


切なくて、切なくて・・・

寂しくて、寂しくて・・・


大偉を思う度に・・・

周りの同じ年頃の高校生を見ながら、あなたの笑顔、声を思い出す。


あしたは、お母っの誕生日だぞ!

みるちゃんを連れて家にきてよね。


森山直太郎
tube.com/watch?v=rEWz0RHj7Zk

2011.3.11の被災地に向けて
http://youtu.be/1fke6o83FG4

森山良子&森山直太郎
http://www.youtube.com/watch?v=RliK31bGbgM

それぞれの思いをのせて・・・



「惜別の歌」
もとは、中央大学で歌われていたそうです。
たくさんの歌手の方が歌われています。

http://www.youtube.com/watch?v=QM53-YZ5MM0





2012年8月27日月曜日

27日(月)晴れ・・・蝉

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


24日・・・AM


事務所のトイレに向かった・・・・。

何やら廊下で動いている物体?


近づくと、蝉だった。

しかもひっくり返っていて、起き上がる事ができない。


小学生の頃は、素手でつかむ事ができたが、さすがに今はできない。


触ると、バタバタ暴れるからつかむのを拒んだ。


トイレの入口付近だったので、知らないで踏んでしまうかも知れないと思い、

群馬出身の後輩を連れてきて、捕まえて逃がしてくれない?

その子も今では触っていないので・・・恐る恐る私がつかんだ。


だいぶ弱っている。


どうも、その前の朝から迷いこんでエレベータの天井に張り付いていたみたい。


トイレの窓から逃がそうとしたが・・・

飛ぶ気配がない。

このままでは、逃がしても下に落ちてしまうだけなので、玄関先の花壇に連れていった。


二階から階段で降りながら、大丈夫だよ・・・大丈夫だよって

わかるはずもないのに、声をかけながら花壇に連れてきて、指先にしっかり掴まっているところを離そうとしても中々離れない。


むしろ、ギューっとつかみ返す。


離れたくないよ~っ。

一緒にいてよ~っ。って感じで段々と強くなる。

大丈夫だよ。

大丈夫だよ・・・と言いながら指から離したが、人差し指には離れたくない蝉の足が食い込み、赤くなっていた。


あれから、蝉を確認していないがどうしているのか?

土の中には何年もいて、ようやく出てくればたったの1週間。

精一杯、夏に鳴いて終わる。


大偉が小さい頃、もらったカブトムシが亡くなって、

庭の端にお墓を作って土に返した。



大偉は、精一杯生きたのだろうか?

やり残した事は山程あるに違いない。

たった16年間だけで、精一杯生きたなんて、そんなのあり得ない。


みるるも、大偉と、もっと、もっと一緒にいたかった。


和室で倒れていた、みるるを抱きかかえても・・・

頬を舐めたり・・・

病院のベットで横になっている大偉を揺すっても、叩いても・・・

手を握り返してくる事はなかった。


2012年8月26日日曜日

26日(日)晴れ・・・つながり

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


1:00PM・・・梅郷駅でS-naoさんと待ち合わせた。


わざわざ遠いところ、大偉に会いにきてくれた。


せっかくだったので、地獄の春風館道場で一緒に稽古をした。

昨日まであった右の坐骨神経痛が家に帰り一休みしたあと、治っていた・・・不思議。



稽古後はそのまま、大偉とみるちゃんのお墓にむかった。


手向け花を買っていただき、花立のお花を選別してくださり・・・


合気道を始めた時から今まで・・・

何処かであっていたのかも知れない。

直接あっていなくても、浦安の演武大会、駒沢の全日本と・・・


同じ時を・・・

同じ空気を・・・

感じていたに違いない。


こんな形で繋がっているとは思いもよらなかったが、


もしかして・・・大偉とすれ違っていたかもね。


これが・・・「繋がり」なのかと前の晩、

はじめてメールをいただいた日から思い出していた。


大偉とみるちゃんにお花を手向け、お線香をたき

後姿を見ていると、はじめて大偉を見たとは思えなかった。

きっとどこかで会っている気がした。


「つながり」とは何とも不思議な力の持ち主である。


S-naoさん・・・本当に今日はありがとうございました。

お供え物と、あいだみつを展でのお土産ありがとうございました。


大偉・・・かっこ良かったでしょ?

親ばかなもんで・・・



2012年8月25日土曜日

25日(土)晴れ・・・24TV

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


全部観るわけではないが、ところどころ観て・・・泣いて。


将来のなでしこ候補だった岩手陸前高田市の住んでいた史織さん。


2011.3.11・・・この日を境に生活が変わる。


こんなところまで、津波はこないだろう?

津波警報といいながら、今まできたことがない・・・大丈夫。

市役所?市民公民館?・・・どちらか忘れたが避難していた。


そこえ想像もしなかった大きな津波がくる。

握っていた手が離れてしまう・・・


お母さん・・・


最後の言葉だった。


あの津波が家族を引き裂いた。

大事な人を奪っていった。


それから・・・サッカーを見ることもしなかったお母さん。


娘を思い出してしまうからだ。


そのことをふっきれさせたのが、その年のW杯優勝のなでしこジャパンだった。

将来、なでしこジャパンとしてW杯出場を夢見た少女。

もっとも現実に近いところにいた。


今は、他のチームでサッカーを続けている当時のチームメイト。

今でも、 史織 さんを胸に・・・サッカーを続けている。

そのチームとINAC神戸との追悼試合。


なんとも粋なはからいである。


史織さんのチームは全員が背番号6。


試合には負けはしたが、最後まで両者が最後まで力を十分に発揮し

最後まであきらめない気持ちで戦った試合だった。


なんか・・・とにかく泣けてきた。


あの3.11は私が思っている以上の苦しみなんだろうと思う。


1年に1回・・・この番組を見て心が洗われる思い。

2012年8月24日金曜日

24日(金)晴れ・・・K-ikeさん。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

9:15AM・・・会社に向かう横断歩道を渡り切る前に振り返った。

何かが気になり、信号待ちをしているワゴンの書いてある社名をみた。


あっ!・・・入社以来お世話になっている方で、十年くらい前に会社を退社してからは、別の会社を立ち上げたり・・・今は近くの会社に勤めている。


はじめて青根にキャンプに誘ってくれ、近くの山に登ってアウトドアを楽しんだ。

翌年には、北アルプスを縦走し日本第5位の槍ヶ岳3180m登頂。

槍ヶ岳を遠くに見る、燕岳からの雲海は今でも忘れられない。

その翌年には、奥穂高3190mに登頂。


その数年後、大偉も小5の夏に連れて行き登頂に成功した。



その、K-ikeさんと立ち話だけど15分くらい話した。

私に何度か連絡をしようかと思っていたようだが、やはり色々と思うところがあり中々電話ができなかったと言っていた。

おじいちゃん、おばぁちゃんが亡くなったのとは、やはり違うからだ・・・。

お互い忙しく中々会う時間がなかったけど、今度時間が合えば飲みに行こうと約束をして別れた。


新築祝いの時に来てくださって、小さい頃の大偉やN-nhaを知っているので・・・

大偉は、奥さんの手を自分で引きながら、行った事のないところまで出かけて中々帰ってこない事もあって、散々探し回った記憶がある。

本人はそんな事は知らず、ご機嫌よく帰ってきた・・・。

大偉は、覚えているかな?

2012年8月23日木曜日

23日(木)晴れ・・・背中

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


梅郷駅で、朝の電車待ち。

駅の向こうから走って、階段を駆け上がろうとする高校生・・・。

部活に行くのか?

夏期講習に行くのか?

その姿を見て、何で思ったかはわからないが、


大偉に背中を見せられたのかな?


なんて、柄にもないことを思った。


大人が思っている以上に、子供は親の背中を見ているよ・・・


家内は昔から言っていた言葉だった。


しかも、悪い事はしっかり見ているもんだよ・・・。


16年間・・・特にこれと言った事も言ってやれなかった。


自信を持った背中では決してなかった。


これから先・・・大偉に笑われないようにしようと。



2012年8月22日水曜日

22日(水)晴れ・・・お父っ、お父っ・・・

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


前の晩はホテルに泊まり深夜まで仕事だった。


今朝は、衝撃のニュースで目が覚めた。

ジャーナリストの山本美香さんが内戦地で亡くなった。

はじめはよくわからなかった。


TVで父親が耳にあてた受話器を握りしめながら、下を向き話している映像が飛び込んできた。

いままでもジャーナリスとが亡くなったり、

監禁されたり、車から外交官が銃撃されたりとあったが、

今回の件は、自分としてもショックだった。

なぜだかなぁ~・・・・。

たぶん、みるちゃんや大偉を旅出させてしまったからだろう・・・。


志高く、戦争に苦しむ子供たち、女性・・・情報を世界へ発信させることで戦争を止めさせる事を望んでいた。

どこかで・・・こういう結果になってしまうんじゃないかとは、自分も家族も頭の片隅にあったと思う。

決して真似できる仕事ではないが、何かに取り組んできた人が旅立つ事が惜しい。

悔しいと感じた朝のニュースだった。


ホテルからでて、出勤したのが8:00。

外出までにしなければならない事をして・・・浅草橋へ外出。


いやぁ~・・・暑い。


外出から帰ってきて、もうぐったりです。


今日も・・・

いつも通り、最終退館者となった。


浜松町駅に向かう・・・T社を右手に見ながら頭のなかで、大偉が「お父っ、」・・・

お父っ、お父っ、お父っ、お父っ、お父っ、・・・と

何度も、何度も・・・お父っ、と呼んでる。


今はもう、あの声で「お父っ」と呼ばれる事はなくなってしまった。

駅に向かうまでのあいだ・・・涙がとまらなかった。


みるちゃんも、大偉も助けてあげる事ができなかった不甲斐なさ。

たくさんの思い出と同時に思うことは、これから先に色々な事をしてあげる事のできない心残り・・・


何かをするたびに

何かを思うたびに

何かを見るたびに



2012年8月21日火曜日

21日(火)晴れ・・・休み明けから

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


まいった!

休み明けから、いきなり半徹夜・・・

体も、心もまだまだ休明けのリハビリ中だというのに。


それでも、途中からはホテルに泊まれたので良かった。


まだまだ、全然仕事が終わらない。


このまま、期末を迎えるのかと思うと「ぞっとする」


大偉とみるちゃんに比べれば・・・・


大丈夫。

大丈夫。

がんばろう。

2012年8月20日月曜日

20日(月)晴れ・・・色々な言(こと)

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


予想通り、朝から目まぐるしく忙しかった。

やっぱり、17日に出ればよかったとは・・・思わなかったが、

やるべき仕事の事は、昨日夜にまとめていたので思うよりかは捗った。


夕方に納品のため、豊洲に向かった・・・

納品の後に、2件の打ち合わせをして帰る途中・・・・先輩を飲みに誘った。


色々と面白しい話しあり、

仕事の話しあり・・・・

理想あり、

愚痴、

たくさん話したが・・・・

結果、愚痴を話したりしても次の日には繋がらない。

絶対に繋がらない。


社会に出れば、たくさんの人と出会い

たくさんの考えがあり

その中で、何が正しいのか?正しくないのか?

はじめは、まったくわからないが仕事を覚えていくにつれて

色々と言うようになる。


決して悪い事ではない。

理想を言ったり、周りの人のやり方を否定したりと

言いたい放題になるが・・・結局次の日から昨日言っていた事を実践するのかと思いきや愚痴で終わる。

たまには愚痴もいい・・・そうすることでまた次の日頑張れる事もあるし、

違った活力源になることもある。

ただ愚痴だけで終わらなければそれはそれでいい。

社会に出る君たちへ・・・

どんなにくだらない話しでも、きっとどこかで繋がる。

年上、年下に関係なくたくさんの人の意見をたくさん聞くことで視野が広がるので、

相手の悪いところばかり指摘する前に、良い所を探すところから始めよう!

人生経験の一つとしてたくさん聞くことで、引き出しが増える。

楽しい事も、苦しい事もその引き出しから救われる事もある。

自分が経験した言のない話しを聞けるなんて、それは宝の一つなるんだからね。




帰りの有楽町から上野までの山手線の中。

1年前と1年を過ぎた後の心の心境というのは、まったく違うんだなと感じる。

あの当時は、こんな形で少しずつでも生活が戻ったり、閉ざされた心が開くなんて

考えもしなかった。

前社長が、「解決できるのは・・・時だけだから」

時が必ず解決するからと言った言葉を思い出した。

ほんとうにそうなんだなぁ~と思う・・・そう感じた。



帰りの野田線で、大偉を思い出していた。

大偉だったらどうするかな?

きっと、席を譲るんだろうな・・・

ホームを見ながら、座席の一番端に座っていた。

席を1.5人分とって座り、友達と話している人。

スマホを見ながら座っている人。

と、目の前のドアにわりと大き目なバックを持って立っているおばさん?おばぁさん?。

声をかけようか?

どうしようか迷っていた。

7人掛けの椅子には大体6人くらいが座る。

熱いし・・・人とぴったりくっつきたくないし。

細見の女性ばかり座る場所は、7人は大丈夫なんだけど・・・普通はね。

それでも、前に立てば少しずつ詰めたりもする。

その逆で、まったく動かずどちらかに動いてくれればもう一人座れるのに!と思う事もある。

結局・・・私は戸惑いながら、迷いながらも隣の駅まで席を譲らなかった。

大体の人は・・・すみません!詰めてくださいとか言って座る人なんていないから、座っている人が気遣い、心遣いをしない限りまず座らないし、山手線や京浜東北線のように一人ひとり座れる椅子でないとね・・・という感じ。

次の駅で、隣の人が降りた。

そのおばさんは、それまで座る気配なんてなかったが、私の横に座った。


あちゃ~っ。

声をかければよかった。


大偉が、電車で通っていた頃・・・・

えっ、席を譲るなんてあたり前じゃんと言った事があった。

親の知らないところで子供の成長を感じた場面だった。

私が仕事から帰ってきて、一人で夕飯を食べている時に席を譲る話しになって

大偉から発せられた言葉に、目頭が熱くなった記憶は今でも忘れない。


何気ない毎日だけど・・・いつも何かにつけて

大偉を思い出す事が多い。


大偉に負けないように

恥じる事のないように

がんばろう・・・










2012年8月19日日曜日

19日(日)晴れ・・・何もしなかった

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


先週の11(土)~19日(日)までの9日間の連続夏休み!

会社は16日(木)までだったが、17日(金)を有給休暇にして大型夏休みをいただいた。

夏休み前は、色々と溜まっている事や、家の事を少しでもやろうと思っていたんだけど・・・いつもと同じで何もしないまま終わってしまった。

明日から期末に向けて忙しさと計数の追い込みがはじまる・・・


家でゆっくりしながら・・・

椅子や、ソファーに腰掛けながら・・・

食事をしながら・・・

出かけた時も・・・


みるちゃんと大偉は旅にでたまま。


視界には、みるちゃんと大偉の写真が目に入る。


色々と交通事故のニュースや、大津市のいじめ・・・

「いじめている君へ」

「いじめられている君へ」

「いじめを見ている君へ」

が掲載されていた。

未だに子供を車内に残し、パチンコをしているバカ親のニュース。

一日たりとて、人が亡くならないニュースはない。


最近では、ドラマでも交通事故の話しだったり・・・


突然の旅立ち。

この9日間は、会社に行かない分みるちゃんと大偉をいつも以上に見たり、

どうしているかな?

何を考えているかな?

何を見ているのかな?

と、二人の写真を見ながら未だに信じれらないんだよね。


毎日、お水を交換しお花を欠かさず・・・お香をたき。

休みの日にはお墓へ向かい・・・現場へ向かい。


この毎日、毎日の事を自分が立てなくなるまで一生続くんだよな。

大偉っ・・・

普通は逆だぞ!

お前とN-nhaがお父っと、お母っにするんだよ・・・

急に・・・N-nhaを一人にしやがってよ。

ほんと何やってんだ。

って、未だに文句の一つも言ってやりたい気持ちになるよ。

本当は大偉にじゃなくて・・・

それまでの自分になんだよ。


もう少し・・・まだまだ

ずっ~と入れたのに。


二人の写真を見るたびに、胸が詰まる思い。

和室の出入り口には、みるちゃんが倒れていた場所をビニール紐で囲い

現場を通る時は、必ず追越し車線を通る。


この場所に、投げ出されて倒れていたなんて信じられないんだよ。

現場には未だにお花を手向けてくれるお友達がいる。

滑走した地点から数十メールもバイクが流され・・・

大偉がぐるぐると転がっている。

頬についた傷あと、

唇を噛みしめたあと、

かけた前歯

肩の傷・・・

小さい頃からの思い出はたくさんあるんだけどさ、あの時で思い出は止まっている。

あの衝撃が強すぎて、強すぎて

そりゃそうだよなぁ~・・・朝はそこで寝ていたんだもん。

学校にも行って、帰りまでそんな事になるなんて誰が思っていただろう。

普段と変わりなく生活するんだったのに・・・

その時の映像が先に浮かぶんだよね。


自分だけはと思っていたが・・・

まさか・・・


これが、大偉の人生なのか?

これが、大偉の友達の人生なのか?

これが私たちを囲んでいる方達の人生なのか?

これが、孫を可愛がってくれた親の人生なのか?

これが私たちの人生なのか?


大偉はきっと私たちと係わった方々にきっと素晴らしいメッセージを残していると思う。

普通に生活している中では、わからない事を・・・

本当は気が付いているのに・・・

それができていない毎日。

その事を気づかせてくれたんではないかと思う。


こうして・・・



何もしなかった9日間が終わった。

2012年8月18日土曜日

18日(土)曇り・雷雨・晴れ・曇り・・・オムライス

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、天気が目まぐるしく変わったね。

雷も鳴った?

道場にいたからお父っは気が付かなかったけど、

みるちゃんと大偉は大丈夫だった?


夕飯は・・・N-nhaがごそごそ動き出した。

なんとオムライスを作ってくれた。


大偉っ・・・美味しかったねぇ~。


ビール・・・ハイボールをお酒もすすんだ。

食事後もスナック菓子のカラムーチョまで出して・・・・


N-no~っ・・・大偉のところにおいて。

封をあけ中を見ると・・・わっ少なっ。


カラムーチョは好きなお菓子だったよね。

手を汚すのが嫌だったから・・・口をあけて食べていたね。



そのあとに・・・大偉ちょうだいね!


ハイボールを飲みながら食べた。

2012年8月17日金曜日

17日(金)晴れ・・・何度も何度も

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日も朝から暑い日だった。

朝、みるちゃんと大偉に挨拶をしながら・・・


無事に戻ったんだね・・・


2年目のお盆が終わった。


夕方にお炊き上げをしていただくお盆用品を持ってお墓に出向いた。

今にも土砂降りの雨が降りそうな空だった。


お花のお水を入れかえ、茎を少し切り落とした。

たくさん水をかけたが日中の暑さで石が焼けているので流れ落ちる水は、温かくなってしまう・・・。

何度も何度も手桶に水を汲み、みるちゃんと大偉にかけてあげた。


二人とも元気にしているのか?

ごめんね・・・。

2012年8月16日木曜日

16日(木)晴れ・・・本当にいた?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕方にお墓に行った。

誰だかわからないが、コーヒ缶が置いてあった。

う~ん・・・お墓参りに来てくれるのはありがたいんだけど、飲み物や食べ物は置いていかないで、その場で供養のため飲んだり食べたりするか、持ち帰ってくださいね。
置いていかないルールですので・・・

それから・・・必ず記帳していただければと思います。

大偉のお墓参りにいきたいと私に連絡をくれた方々には、私たちの思いなども伝えており・・・そんな事はしないので。

よろしくお願いします。



送り火・・・去年の新盆は18:00頃にした記憶がある。

食事をしながら、N-nhaが産まれる時のお話しをしていた・・・


「N-nhaが産まれる時だったなぁ~」

風呂上りにビールがなくて、あーちゃんが気を遣って・・・ビールないんだけどと言いながらレモンの酎ハイを持ってきてくれたんだけど、それが結構きつかったぁ~。

散々飲んだ後で、さらに酔いが回ったよ・・・なんて話しはじめた。


私が家内の実家に帰ってくれば、必ず病院に行っていたので玄関でいつも着ていたジャンパーを着て待っていて、何も口に入れる事もなく車で会いにいったり・・・

はじめて、お風呂も入らないでぐずった時もあったと、その日あーちゃんから聞かされて病院で話したりもした。

まだ、2歳だもんね。大偉も寂しかったんだね。

椅子を上手にしまいながら・・・「は~い」って言って褒められていたよね。

あんな高い声は出ないよねぇ~。

病院の出口には、パックのカルピスみたいた飲み物が好きでいつも買って帰った。

クリームパンと納豆は、小さい頃から本当に好きでね・・・

5個入れのクリームパンなんかは無言で持ってきて「ちょうだいな」をしている。

その年の干し芋もそうだった。


食卓の椅子に座り、左下を見ればみるちゃんと大偉の写真が飾っている。

産まれてからの写真から、スカイツリーに連れて行ってもらった時の写真まで・・・・。

ずいぶんと変わったなぁ~。


大偉はイケメンなのかね?

好きずきじゃないの?

色白で、ガツガツしていなくて、今風の顔をしているしね・・・


食事も終わり、何時頃送り火をするの?

まだ、大偉はここにいるから・・・今日中にしよう。


そういえば、昨日夜・・・本当にいたかのような大偉の匂いがしたよ。

ねっ!  とN-nhaに話していた。


じゃ、本当にいたんだよ。


11:30PM

みるちゃんと大偉の送り火をした。

2012年8月15日水曜日

15日(水)曇り・・・逃げなければ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝・・・大偉の写真を見ながら。

逃げなければ・・・。

大偉は千葉大に行かなくて済んだ?


すぐに事件扱いで警察が動き、次の日に大偉は千葉大に向かった。


逃げなくても・・・

きっと大偉は千葉大に向かったんだろうな・・・


大きな違いは、被疑者の方とその場で対面となったかも知れない。



もしも・・・

助けてくれていたら


心情的に、被疑者にはならなかった・・・?


それはわからないな。


でも、気持ちは絶対に違ったと思うけど。


大偉を助けてくれた後続車の方と、仮に助けてくれたとして

トラックの運転手を同じ目で見れただろうか?


同じ目で見れるのか?


それもわからないな。


同じぶつかったトラックの運転手が・・・逃げた、助けた。

その気持ちもきっと違っただろう。



2012年8月14日火曜日

14日(火)雨のち曇り・・・誰?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夢で大偉の友達と学校生活のお話しを聞いている。

大偉は出てこなかったが、友達二人かな?

ちょっとした話だけをした夢だった。



2:00PM

お墓参りに向かった。

ホーマックでお花を三つ買った。

二つはこれから実家のお墓に手向けるお花。

一つは現場に手向けるお花。


お墓には、ポッカの缶コーヒーが置いてあった。

誰だろう・・・?

命日に来てくれた人だったら、持ってきても置いていかないと思うし・・・

ブログを読んでいる人でいる人であれば、置いていかないし・・・

ふらっと来てくれる人は、はじめてくる人ではないのだから、管理事務所にノートがあるから、書いて行ってくれればありがたいです。
よろしくお願いします。


お花のお水はからから。

お花立てを掃除して新しいお水を入れなおした。



R16を千葉方面に向かい遠くから事故現場を見ていた。

なんとなくお花が手向けられているのがわかった。

今でも誰かが来てくれているんだ・・・


そうこうしていると逆車線ではトラックと乗用車の追突事故で渋滞になっていた。

大偉の時もすごかったんだろうな・・・

大偉はこの道を学校に向かって走っていたんだなぁ~と思いながら実家のお墓に向かった。


帰りのラジオでもまだ、柏若柴の交差点・・・と事故処理の情報が流れていた。


柏警察を左手に見ながら、千葉大へ向かう車からは右手に見える家内とN-nhaを思い出していた。


大偉は二人の姿が見えただろうか?

大偉が最後に通った帰り道のR16は寝ていた。

綺麗な顔をして寝て帰って来た。


事故現場に寄りお花を手向けた。

いつも私が手向けるビン以外に大きな四角いお花入れにお花が。

それ以外の入れ物にも・・・

飲み物も置いてあった。

手向けに来ていただいた方には大変感謝しています。


大偉は、前に進んでいるのだろうか?

こうしてみんなが手向けて会いに来てくれているよ。

今日は、みるちゃんの12回目の誕生日だね。

小学6年だ・・・!




2012年8月13日月曜日

13日(月)晴れ・・・そこにいるよ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


11日の稽古終了後、みんなで集合写真を撮った。

大偉の写真も膝に置き・・・


座る前に・・・Y-neさんが


「そこにいるよ」


Y-neさんには見えたの?

それともいつも一緒だから、そこにいるよとと言ったのか?


その声は、聞こえたが特に気にする事もせず

そのまま集合写真を撮った。


11日から「そこにいるよ」と言ったY-neさんの言葉が気になってしょうがない。


大偉の写真を見ながら稽古をしていたが、


すぐそこで一緒に稽古していたの?

みんなに会いに来てくれたの?



一緒に稽古していたんだね。


2012年8月12日日曜日

12日(日)晴れ・・・ムギュッ


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


命日の日に来てくれた子が、久しぶりに大偉に会える事ができたと

その日にお礼のメールがあった。

大偉の写真を墓石の横に飾って置いておいたので・・・



この写真をください!と言った子が二人いた。

中学の時に可愛がってくれた先輩と、

同じバレー部で汗を流した、川間中の子。

卒業後も、色々と交流があった。


大偉が旅立ってからすぐ家に来てくれて、この写真をできたら

いただけませんか?と言われ親兄弟に配る写真と一緒に焼き回しをして渡した。


私は、前の携帯の待受け画像サイズに写真を加工していつでもみるちゃんと

大偉が見えるようにしていた。

今は・・・アイクの画像だけど。


その子も家に2回ほど来てくれた。

加工した写真だけどその子にも送った。



夕方・・・車を運転しながら

あと何年したら、大偉に会えるのかな?

あったら、みるちゃんも大偉も「ムギュッ」って抱きしめようと思った。


2012年8月11日土曜日

11日(土)晴れ・・・BBQ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



稽古には、吹上からI-ue夫妻、松戸からはT-tno親子が参加してくれた。

正面には大偉の写真を飾り常に大偉に見られている感じがして、自分自身気持ちを引締めながら稽古に集中した。

稽古終了後に、集合写真。

I-ue夫妻から、大偉の写真を見て本当に「イケメン」だよねぇ~。

なんて言葉をいただきながら当時を思い出しお話しをした。






さぁ!


今日はBBQパーティー。

今年で3回目。



昨年は、新盆だったためノンアルコールの乾杯1杯で失礼した。

「大偉によろしく!」

H-shiが声をかけてくれたのを思い出す。


天気予報では、雨模様・・・?時には雷雨もあるとの事だったので、

屋根付きサイトへ予約を変更!

昨年は、BBQ会場いっぱいだったんだけど今年はまばら・・・ちょっとさびしい気持ちでJ-先生も楽しみにしてきたのに残念・・・と言った次の瞬間。


オヤジ軍団には、思ってもないパラダイスBBQとなる。


みんなの顔が喜びに変わった・・・・特に○先生と会長。

隣からもその横の横からも、炭を熾せない若者から助けの声がかかる。

匍匐前進中のT-hsaさんに声がかかると、すかさずI-ueさんが炭を熾しにかかる。


終わり間際では・・・H-shiが動いた。

時間がなく困っている若者に、炭を分け与えていた。

さすが和の武道精神を持っている合気道家たち。

オヤジの底力を見せつけた。

4月に博多に転勤したK-noさんが夜行バスで東京に戻りBBQに駆けつけてくれた。

大サプライズ!

1週間前に連絡があり来る事を知っていたのは私だけで、H-shiからK-noさんは来ますかねぇ~と聞かれたが、どうだろうね、わからないや。

などととぼけながらごまかしちゃった・・・ごめんね!

H-shiが子供達と遊んでいる姿をみると、大偉も子供達を引き連れて

お父っ!
ちょっと遊んでくるから・・・

と、はじめてBBQをした時を思い出した。

とにかくBBQは楽しかった。

I-ueさんと、大偉がいればもっと楽しく隣とやれたんじゃん!などと

大偉が入ればなぁ~なんてイケメンを使うオヤジになっていた。

子供達が大きくなり、またこうして集まり小さい頃の思い出話しができればな~と思いながらみんなの顔を見ていた。








BBQが終わり、J-先生とI-ueさん、K-noさんを乗せ

大偉に会いにきてもらった。

大偉の事故の事。

バイクの事。

などなどを話しながら・・・


その後は、いつものサイゼリアでH-shiも合流しての食事。

散々飲んで食べていたのにマグナム赤ワインを2本を空けた。

勢いあまり冬の約束をしてしまった。

やばいよなぁ~。どうする?


今年3月のつむぎ家での食事以来・・・残念ながらR-seyさんはいないが

62(ろくにち)会を発足した。

ところで・・・新橋で飲むってなんだったけ?



大雨は、夜になって・・・

この楽しい1日の天気は大偉からのプレゼントだった。



I-ueさん、いつもお心遣いありがとうございます。

2012年8月10日金曜日

10日(金)晴れ・・・詰まっている


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


熱中症などにならないように・・・普段からお水を持ち歩いている。

大偉が小学生の時に使っていたadidasのケースに入れて。



帰りの野田線・・・

水を取り出すと中のタグに家内が書いた









の名前が書いてあった。


全ての物に、大偉の思い出家族の思い出があるんだよね。

何でも手にはいる時代だけど、周りの物も一緒に生活していて

一緒に成長しているんだと・・・

たくさんの思い出が詰まっている。



2012年8月9日木曜日

9日(木)晴れ・・・泣いてしまった

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今まで、電車の中で堪え切れなく泣いてしまったり、

布団に入り、電気を消して・・・

風呂場で・・・

車の中で・・・

お墓の前で・・・




毎朝・・・お花のお水は前の日のみるちゃんと大偉のお水を与え、

みるちゃんと大偉に新しいお水に取り替えて・・・

お経をあげ、終わったらそのお水を

家族。

親兄弟

親戚

大偉に関わってすべての人を思い


いただき、また新しいお水に差し替える。


お経は、一周忌をさかいにあげているが・・・


いくつかのお経をあげ、お経本のページをめくり違うお経を読み上げる前に

隣においてあるフォトフレームが目にとまった。


小学5年くらいかな?

那須に旅行しに行った時のムーミン村?で撮った大偉とN-nhaの写真だった。


そのままお経を読み上げるが・・・

泣けてきてしまった。


写真が目にはいった影響もあるんだろうが、写真が目に入ることなんて

いつもの事なのに、今日に限っては・・・






2012年8月8日水曜日

8日(水)晴れ・・・一日振り


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、午前中2件、夕方から親会社で2件の打ち合わせ・・・

ほとんど事務所では、打合せ以外の業務がはかどらなかった。



家に帰り・・・一日振りにみるちゃんと、大偉に挨拶をした。


2012年8月7日火曜日

7日(火)晴れ・・・泊り


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


急な仕事が舞い込んできて、帰る事ができなかった。

とは言え・・・25時くらいまで仕事をしてホテルに泊まった。


たま~に、こんな事になるんだけど、次の日朝早くから仕事となれば家に帰るよりも楽な場合もあるから次の日の仕事内容を考えながら、決めなければならない。


PCに向かいながら、みるちゃんの事・・・

大偉の事がふと頭をよぎる。


今週末からお盆だしね。


ふだんでも頭をよぎるんだけど、お盆は特別だから・・・

2012年8月6日月曜日

6日(月)晴れ・・・一杯

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕方、打合せのため豊洲にある親会社に向かっていた。

あれ以来ずっと心配してくれていた、先輩と上野で食事をした。

ところどころ、気を遣いながら・・・

詳しくはないが今の状況の話しとなる。


これからかぁ・・・

日弁連にもたくさんの人が相談をしに来ている。




昔の話しで盛り上がったり、

山に行った話しをしたり・・・・

乗鞍岳へ夏スキーに出かけた話しだったり。



今日、一緒に行って食べて飲んで・・・良かった。


帰りには、一蘭でとんこつラーメンを食べて帰った。


この先輩とは入社してからの付き合いだから、24年にもなるなぁ~。


2012年8月5日日曜日

5日(日)晴れ・・・チーム力

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


日曜日・・・7:00AM

宇宙兄弟の始まる時間。

N-nhaが見ていたのと、はやり映画で騒がれていたのでいつの頃からか見るようになった。

TVの中身はさておいて、いつも思うことは南波六太の人柄だ。

なんかいいんだよなぁ~。

で、今回も起きる事ができず、録画してくれたので後から見る事ができた。


8:23AM・・・競泳400Mメドレー 銀メダルのニュースが飛び込んできた。

流し台に立っていたが、リビング戻りその様子を見ていた。


感動した。


すべての競技を見ているわけではないが、やはり戦っている姿は素晴らしい。

みんなのために・・・

今までお世話になった方のために・・・

日本チームのために・・・


それぞれ背負ってきた思いは違うかもしれないけど、全員チーム一丸となっている。


このチーム力って、スポーツだけなのかな?

会社では?

日本では?

あれば、今の世の中の問題なんて起こっても、みんなで解決するだろうが・・・。

それはさておき、これからの日本に大いに期待をしたい。


会社では、個人の力というものはそれほど大きくない。

だから組織で動く。

組織で対応し、解決をしていく。


整備士も同じだよ。

わからないことは、みんなで解決する。

みんなで力を合わせ、底上げしていく事が大事。

無駄と思う時間はない。

時間がかかっても、自分達の力で乗り切る。

必ず最後には自分の力となる。


力とは、経験です。


2012年8月4日土曜日

4日(土)晴れ・・・遺留捜査

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


録画してあった遺留捜査というドラマを見ていた。

前回は、毎回見ていたんだけど・・・今回は特に見ていなかった。

たまたま、家内が見ていたので一緒に見ていただけだった。


その内容は・・・

フラメンコを習い・・・色々と劇団トップのイザコザに巻き込まれ

歩道橋から転落させられて亡くなった。


10年続けて、芽がでなかったら辞めるつもりだった。

その最後の舞台を、初めてお母さんと見たフラメンコの場所で。

はじめてお母さんに買ってもらった、パリージョ(両手に持つカスタネット)を使い。


その最後の舞台を一番いい席で見てもらいたいお母さんにチケットを送ったが、その場所にくるはずのお母さんの姿は最後までなく、RESERVEの札だけが残った。


娘の思いは、お母さんには届かなかった。


誰から届いたのかわからないチケット・・・。

娘は、差出人を隠していたのだ。

その時、はじめて真相が明かされた。

残ったお母さんには、後悔の念だけが残った。


あの娘からだったのか・・・と。


このドラマを見てものすごく感じた事・・・

思いを伝える時、何かをしてあげる時、色々な場面があると思うが

相手がわかるだろうとか・・・・

う~ん、上手く説明できないが・・・。

誰が、この思いを伝えたいのか・・・

この「誰」を伝えなければならないと強く思った。


一緒に生活していればわかるが、わからない時、それがこれからの人生を変えてしまう出来事だったりした時は・・・後からなんて説明する?


こうなる事もある。

こうなってしまっては・・・と、ならないようにきちんと伝えなければならないと思う。


そしてそれがわかった時は、感謝の気持ちを自分の心で伝えようと思う。

2012年8月3日金曜日

3日(金)晴れ・・・後ろ姿

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


いつも通り会社へ向かう。

浜松町駅~T社までの通路。


合気道の稽古を終え、清水公園体育館から駐車場に向かう大偉とN-nhaの後ろ姿が頭をよぎった。


稽古に向かう時は南部中生の陸上部、吹奏楽、テニス部などがいるので、

二人はバラバラに・・・だいたい、大偉が先に歩いて、N-nhaがその後。

だいぶ下がった位置で、二人の後ろ姿をみながら私が歩いている。


帰りはというと、大偉とN-nhaが並んで話しながら歩いている。

帰りも、下がった位置から、二人の背中を見ながら私は歩いていた。


小さい頃から暑い日も、寒い日も、雨の日も稽古に出掛けた。

大偉はちょっと先を歩き、N-nhaは私の横を歩き、手をつないで体育館まで歩いていた当時を思うと懐かしい。


あれから・・・大偉は旅先での稽古。

N-nahは、顔を出すことはなかった。

いつかまた一緒に稽古をしたいと願っている。


そうして歩いていた後ろ姿は、遠い昔ではない。


昨日の夜は、九州博多に転勤したK-noさんと電話で話した。

元気そうな声で安心した。

大偉の参段審査には、受けを取ってもらわないとね!


2012年8月2日木曜日

2日(木)晴れ・・・へぇ~すごいじゃん

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


13:00・・・メールが入ってきた。

私からだいぶ前にメールをしていたT-mkaさんからだ。


高校野球もこれから甲子園大会が始まる。

千葉県大会でも、公立高校で快進撃をしていた、流山おおたかの森。

私も高校まで野球をしていたので、思わずメールをしてしまった。


ちなみに、これが高校三年の夏。
ネクストバッターサークルで打席を待つ私です。






返信がこないと思っていたら・・・

なんと、2週間のオーストラリアホームステイ。

すごいよよねぇ~。

こんな経験なかなかできないよ。


言葉を話せるだけで世界が広がる。

いろいろと選択肢が増える。


もちろん学校で勉強することも必要。

学校社会で友達と楽しんだり、怒ったり・・・と勉強することも必要。

学校の行き帰りでたくさんの人を見ることも必要。


でも、一番大切な事。

社会が求めている事は・・・

コミュニケーション能力のある人だと思う。


コミュニケーションは回りの人を繋げ、

世界を繋げる大事なツール。

たくさんの人と出会い、いろんな話しをしてほしいと思う。

たくさんのことを伝えてほしいと思う。



帰りの機内から撮った写真が添付されていた。


たぶん・・・グレートバリアリーフだって!

実際に見た人しかわからない綺麗さだったんだろうね。

私も行ってみたい国の一つだよ。

飛行機が苦手なんだけど・・・

大偉とみるちゃんも見に行った事はあるかな?


自宅出棺の朝に大偉に会いに来てくれた。
もう一度、その年の夏にお線香と大偉にとケーキだったかな?持って来てくれたのは・・・

後は何回かメールのやり取りをしただけだけど、とても愛嬌のある子で私も普通に話せる子の一人です。


2012年8月1日水曜日

1日(水)晴れ・・・あそぼうよ!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


久しぶりに月を見た感じ。

昨年の今頃は、結構、月を見ていたな。


今年は、ウグイス来た?

なんか来ていない感じがしたが・・・家内は鳴いていたよって言うし。

聞きもらしたのかな?

ウグイスではないけど、5月くらいからやたら元気よくなく小鳥?がいるんだよね。

いっぱい話しかけている感じで、遊ぼうよって言っている感じがして。

本当に楽しそうに鳴いている。


庭で、みるちゃんと大偉がじゃれあって遊んでいるのかな!