2012年8月25日土曜日

25日(土)晴れ・・・24TV

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


全部観るわけではないが、ところどころ観て・・・泣いて。


将来のなでしこ候補だった岩手陸前高田市の住んでいた史織さん。


2011.3.11・・・この日を境に生活が変わる。


こんなところまで、津波はこないだろう?

津波警報といいながら、今まできたことがない・・・大丈夫。

市役所?市民公民館?・・・どちらか忘れたが避難していた。


そこえ想像もしなかった大きな津波がくる。

握っていた手が離れてしまう・・・


お母さん・・・


最後の言葉だった。


あの津波が家族を引き裂いた。

大事な人を奪っていった。


それから・・・サッカーを見ることもしなかったお母さん。


娘を思い出してしまうからだ。


そのことをふっきれさせたのが、その年のW杯優勝のなでしこジャパンだった。

将来、なでしこジャパンとしてW杯出場を夢見た少女。

もっとも現実に近いところにいた。


今は、他のチームでサッカーを続けている当時のチームメイト。

今でも、 史織 さんを胸に・・・サッカーを続けている。

そのチームとINAC神戸との追悼試合。


なんとも粋なはからいである。


史織さんのチームは全員が背番号6。


試合には負けはしたが、最後まで両者が最後まで力を十分に発揮し

最後まであきらめない気持ちで戦った試合だった。


なんか・・・とにかく泣けてきた。


あの3.11は私が思っている以上の苦しみなんだろうと思う。


1年に1回・・・この番組を見て心が洗われる思い。

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