2012年8月28日火曜日

28日(火)晴れ・・・惜別の時


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今月の締処理の作業の目途が立たず、泊となってしまった。

ホテルに入る前に、なか卯で食事をした。


流れていた曲が、森山直太郎の「さくら(独唱)・・・。


ぼくらはきっと待ってる
君とまた会える日々を
桜並木のみちの上で
手を振り叫ぶよ

どんなに苦しい時も
君は笑っているから
くじけそうになりかけても
頑張れる気がしたよ
かすみゆく景色の中に
あの日の歌が聞こえる

さくら さくら 今咲きほこる
刹那に散るゆくさだめと知って
さらば友よ 旅立ちのとき
変わらないその想いを 今




今なら言えるだろうか
偽りのない言葉
輝ける君の未来を
願うほんとの言葉
移りゆく街はまるで
僕らをせかすように

さくら さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わる時を信じ
泣くな友よ 惜別のとき
飾らないあの笑顔で さあ

さくら さくら いざ舞い上がれ
とわにさんざめく光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう
さくら舞い散るみちの
さくら舞い散るみちの上で



惜別=別れを惜しむこと。


胸が詰まる思いで聞いていた。

大偉の事も思い出していたが、大偉やN-nhaの話しだけを聞いていつも事あるごとに子供達にお土産を買ってきてくれた。

何回か家にも遊びに来てくれたし、子供達もひらおちゃんって言って遊んでいた事を思い出す。

一緒に仕事をし、飲みに行って騒いだり・・・楽しい思い出がいっぱいだった。


そのひらおちゃんも2008年1月28日に浦安順天堂大学病院で旅立った。

腰が痛い、痛いと言っていた。

近所の病院に入院したのもつかの間、それから1か月も経たないうちに・・・

バイクが好きで、車も好きな二人の事だからきっとツーリングにでも出かけているんじゃないかな?


2011年4月9日・・・白井文化会館での入学式

桜の花びらが、まさに舞い落ちる日だった。

希望と不安を抱えながら、自分の好きな道へ進んだ大偉。

親としても不安だった。

これで良かったのだろうかと・・・今でも思う。

もし、違った道へ進んでいたとしたら・・・悔やんでも悔やみきれないが。


そんな私の気持ちをよそに、大偉は違った道に進んでいたらなんて思ってなんかいないだろうな。

学校を進めたが、大偉の意志で決めた事だ(こうなった事の責任回避かもしれないと思ったりもする)




こんな事になるなんて、本人も思ってもみなかっただろう。


来春の桜が咲く頃は、卒業しさらに夢への一歩を踏み出すはずだった。


大偉の卒業する姿を見たかった。

大偉の笑った顔が見たかった。

卒業式で大きく成長した姿を見たかった。


その日は家族で食事をして、あの頃はこうだった、ああだったと思い出話しをしながら

これからの成長を楽しみに見守りたかった。


お互いの実家に遊びに行ってお祝いをしてもらいたかった。


切なくて、切なくて・・・

寂しくて、寂しくて・・・


大偉を思う度に・・・

周りの同じ年頃の高校生を見ながら、あなたの笑顔、声を思い出す。


あしたは、お母っの誕生日だぞ!

みるちゃんを連れて家にきてよね。


森山直太郎
tube.com/watch?v=rEWz0RHj7Zk

2011.3.11の被災地に向けて
http://youtu.be/1fke6o83FG4

森山良子&森山直太郎
http://www.youtube.com/watch?v=RliK31bGbgM

それぞれの思いをのせて・・・



「惜別の歌」
もとは、中央大学で歌われていたそうです。
たくさんの歌手の方が歌われています。

http://www.youtube.com/watch?v=QM53-YZ5MM0





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