2014年12月31日水曜日

31日(水)晴れ・・・2014年

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


仕事面で言えば、会社の業績もあまりよくなく、今年一年を終えたが・・・

個人的な事で言えば・・・


7月に初めて行った、合気道の体験が成功に終わり会員が増えた事!

西葛西の25周年記念演武で、会員が素晴らしい演武をしてくれた事。

11月の全日本演武に吹上同好会の方、I-ue先生と指導者演武で出られた事。

 この全日本の演武のおかげで、来年のさいたま主催の鏡開き式に誘われ交流できる事。

冬の審査で少年部・一般部ともに全員合格された事。

また、N-nhaが大学に合格できた事。


夏以降は、苦しい時期よりも内容も結果も出た良い時期だった。


来年は、もう少し色々な事をしながら普及と交流を進めたいと思う。


大偉とも一緒に合気道をして・・・


来年6月2日には、一緒に家への道のりをつなげたい。





2014年12月30日火曜日

30日(火)晴れ・・・自由研究

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


毎年、ある程度の大掃除はするけど今年はいつも以上に頑張った!

そんな中、色々な雑誌や大偉やN-nhaが使っていた教材を家内が纏めていた。


その中に大偉の自由研究のノートが出てきた。


大偉の自由研究のノートが出てきたよ!

お父さんとっておけば?


見ると、はじめて大偉と登った富士山の自由研究ノートだった。


5年2組 田中 大偉・・・

色々とまとめてあった、懐かしかった。

「へぇ~、そうなんだ」という事まで書いてありビックリした。

その前の年の穂高に登った写真もあった。


大偉とは、東京の大岳山、長野の北アルプス、富士山と登った。


昨年は、2回も富士山に登ったけど・・・


特に、大偉と登った富士山は鮮明に覚えている。


また、登りに行きたいな。



2014年12月29日月曜日

29日(月)雨・・・勧請

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


神無月・・・出雲大社に全国のが集まって一年の事を話し合うため、出雲以外には神がいなくなると。
色々と諸説はありますが・・・。

長崎県のある村では、この時期の6つの村から「人神様」を選出し守ってもらうという習わしがるらしい。

そのTVを何気なく観ていたが、「勧請」という言葉がでてきた。

この勧請という言葉・・・

いつもお経をあげている経本にでてくる。

「謹み敬って勧請し奉る」・・・・とはじまる。

意味は、遠い離れた場所から神様を向かい入れる事だそうです。

この言葉を聞いた時、だからはじめの言葉なんだと。







2014年12月21日日曜日

21日(日)晴れ・・・御礼参り

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


N-nhaの大学合格の御礼参りのため、江の島にむかった。


G/Wに行った同じ場所を巡ってきた。


◇佐助稲荷神社
◇龍口明神社
◇江の島神社

それぞれの場所は、ちえちゃんがTVで紹介していた場所。

合格祈願のお守りをお返しして、新たにお守りをいただいてきた。



G/Wとはさすがに違い、人混みもなくゆっくり回る事ができた。


ほんとうによかった。


2014年12月20日土曜日

20日(土)曇りのち雨・・・案内状

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


あれ以来・・・同じ時を一緒に過ごした友達と成人式を迎えさせる事のできない辛さ。


そんな事をいつも思っていた。

毎日毎日過ごしている中で、だんだんと色々な事を考える。


最近では、色々な洋服店からスーツのハガキが大偉宛てに届いている。


一緒にスーツを買いに行くこともできない。


このイベントに、何もしてあげる事ができない。


そんな中、18日の市役所にお願いしていた、成人式の案内条が私宛に届いた。

本来なら、とっくに大偉宛てに届いているんだけど、2011年6月2日以降の配布だったので、大偉には届くはずのない案内状だった。



大偉と行く成人式・・・

複雑だろうな。


2014年12月19日金曜日

19日(金)曇り・・・何が辛いって。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



社会生活の中でお子さんは?という事を雑談の中で聞かれる。


詳しい事は話さないけど・・・・そんな事を聞かれるのが辛いのではない



色々な書類に大偉の名前を書くことができないのが一番辛い。


戸籍に斜線が引いてある・・・


自分の子供の名前を書くこともできない。



辛い。








2014年12月18日木曜日

18日(木)晴れ・・・依頼

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


T社に夕方、外出した帰り・・・野田市役所に電話をした。


「来年の成人式の件で、確認したい事があるんですが・・・」


受付電話交換手の方が転送してくれた。


係りの方と話した・・・


成人式の記念品は、本人が行かなくてもいただけるのですか?

引換券があれば、大丈夫ですよ・・・


いや、引換券がないんです。


市外にお住まいなのでしょうか・・・?


いや、そうではないんです。
もういないんです・・・


・・・・。


亡くなっていないんです。


そうですか・・・わかりました。

案内状をお父様宛てにおくりますので、当日または期日までに市役所に来ていただければ引換券と交換しますよ。


わかりました。ありがとうございます。


こんなやり取りを係りの方とした。


同じ記念品を大偉にも渡してあげたかった。

ただただ、それだけの思いだけ。





2014年12月12日金曜日

12日(金)曇り・・・新しい一歩へ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


9:29am・・・N-nhaからメッセージが入っていた。


合格した!・・・


自分がやりたい事へのスタートラインに、取り合えず立つ事ができた。


久しぶりの朗報に、親として一安心した。


N-nhaには、色々な事を学んでもらいたいと思う。


大偉にも、みるるにも支えてもらった。


ありがとうね。


今でも合気道を始めた頃を思い出すよ・・・

大偉は、車を降りたら走って道場へ向かって遊んでいたけど、

N-nhaは私の手を握り、一緒に道場に入ってから遊ぶという・・・行動が対照的。



そんなN-nhaは来春は大学生だし・・・

大偉は成人式を迎えるし。


みんな大きくなったなぁ~。


2014年12月10日水曜日

10日(水)曇り・・・継続は力なり。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



継続は力なりをGoogleで検索すると・・・・

以下の内容を書いているサイトがトップに表示された。




「継続は力なり」という言葉は、中国の古典に由来する格言だと思っている人がいます。

しかし、実は、住岡夜晃(すみおかやきょう)という宗教家(浄土真宗の一派)の著作「讃嘆の詩〈上巻〉若人よ一道にあれ」の一節に由来しています。

「継続は力なり」の部分だけが有名になり使われるようになったのです。特に、受験の世界で使われています。

「二、青年よ強くなれ牛のごとく、象のごとく、強くなれ

真に強いとは、一道を生きぬくことである

性格の弱さ悲しむなかれ

性格の強さ必ずしも誇るに足らず

念願は人格を決定す 『継続は力なり』

真の強さは正しい念願を貫くにある

怒って腕力をふるうがごときは弱者の至れるものである

悪友の誘惑によって堕落するがごときは弱者の標本である

青年よ強くなれ 大きくなれ」

出展:讃嘆の詩〈上巻〉若人よ一道にあれ樹心社

住岡夜晃は、1893年(明治28年)広島に生まれ、1949年(昭和24)広島で死去。 

だから「継続は力なり」の本当の意味は、「一道において念願を死ぬまで継続すれば、人間形成にもよい影響を与え、性格の弱さ・強さに関係なく、青年は真に正しく強い人間になれる」ぐらいのかなり精神的な修行を言っているらしいのです。


勉強もスポーツも趣味も・・・なんでもそうだけど

1つの事を継続して続けるという事は体力も精神力もいろいろとパワーがいる。

パワーを使うんだよね。


継続できる力があるから継続できる・・・それ以外にもたくさんの要素は必要だけど。

力があるから継続できる・・・


言葉では簡単だけど、中々簡単にできるものではない。

ただ、挫折しても途中で休憩してもいいから、コツコツと頑張っている人が最後は強いんだと思う。




自分は、そういうタイプではないので大偉や、N-nhaを中心に知合った方々は

私にない物をたくさん持っているので、尊敬している。




私も、中途半端な継続ではなくしっかりと感じる・・・


「継続は力なり」をしようと思う。




2014年12月9日火曜日

9日(火)晴れ・・・みるちゃん

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


みるるは、大偉といつも一緒にいますか?


家に帰ると、大偉の物もみるるの物もいっぱいだよ。


また、急に寒くなってきたのでお腹をこわさないように・・・。


みるるは、いつも寒くなるとお腹をこわしていたからね。


大偉の側にいれば、ちゃんとみるるの事を抱っこしてくれるよ。



2014年12月7日日曜日

7日(火)晴れ・・・紅色の花

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


2日の月命日には会いにいく事が出来なかったので、夕方会いに行ってきました。

夕方の4:00PMともなれば、日が暮れはじめ風も冷たい。



2日に家内とN-nhaが会いに行った時のお花は、まだ綺麗に残っていたが、合せてお花を手向けた。

風も冷たい・・・

水も冷たい・・・

いったい二人は、温かくしているのだろうか?

まったく旅先での事はわからないし・・・大偉もみるるも、何にも言ってきやしない。



その足で、現場に向かった。


木曜日に、R-seyさんから遅くにメールが入っていた。

きっと、現場まで会いに行ってくれたんだろう。

現場に手向けてくれていたお花の事が書いてあった・・・「紅色の花」


着いたのは、日も落ち暗くなった5:30PMくらいだったかな?


いつものような花が手向けてあった。

枯れたお花は、きっとその子が片付けてくれてくれたんだろう。

まだ、手向けたばかりの感じだった。



寒い中、遠くまで来てくれて、本当にありがとうございます。



2014年12月2日火曜日

2日(火)晴れ・・・1年前

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



ちょうど1年くらい前もホテルに泊まっていたかな?


法改正のキットを出荷するため連日の準備に追われ、出荷作業を行っている。


会社の前のホテルに入り、横になると・・・ふと1年前の事を思い出していた。


再来週に行われる冬の総合審査。


弐段取得を夏のBBQ後の二次会で宣言をしたため、電車の中や

会社での昼休み・・・・仕事で帰れない時はホテルの部屋で。

また、通常稽古後も稽古場を予約して・・・それにH-shiや、M-ieちゃん、Mas-daさんまで

付き合ってくれた事もあり、とにかく必死に限りある時間の隙間で稽古をした。


ちょうど、2週間前のプレ審査では散々だった。

もう、今回は諦めようと口にだそうとしたその時、M-ieちゃんが、「大丈夫だよ!」って笑いながら言ってくれた。


あれから1年が経った。

決して上手ではなかったが、今持てる力は発揮できたと思う。


あの時もいろいろな方々に支えられ合格する事ができた。


その中にいつも大偉がいて、助けてといつもお願いばかりしている。



大偉とまた、稽古がしたい。





2014年11月26日水曜日

26日(水)雨・・・面影

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、夕方から・・・川崎に向かった。

今期の予算見込み打ち合わせのため・・・。


打ち合わせの後に、食事をして帰って梅郷に着いたのは0:00くらいかな?

とにかく乗り過ごさないように立っていた。


梅郷に着くと、多分、幼稚園の時に?もしかしたら小学校の時もかな?

一緒のクラスだった子が目の前を歩いていた。


大学生なのか?

専門f学生なのか?

働いているのか?

わからないが、何となく面影がある。


その後ろ姿を見たとき・・・あれからいつも思っていた成人式の事がよぎった。


あの日からすぐに、市役所から手紙が届いた。


まだまだと思っていたが1ヶ月もすれば節目の年がやってくる。



あれから3年・・・・


1年前の写真から・・・大偉の姿はどうなっているのかな?


また、一段と大人っぽくなっているのかな?

でも、笑った顔や声を聞けば、まだまだ子供なんだよな。


お父っは、大偉の大人になった姿を想像するだけだけど

優しい・・・

本当に優しい男になっているんだよなぁ~って思うよ。


大偉の色々な写真を見ても思うし、今でもきっと


みるると遊んでいるんだなってね。


家に帰ったら・・・大偉の名前でスーツのハガキが届いていた。


似合うんだろうね!

2014年11月23日日曜日

23日(日)晴れ・・・免許

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


N-nhaももうすぐ、18歳の二か月前になろうとしている。


あの、N-nhaが車の免許に行こうとしている。


R-umaがもう乗っていると、ついこの間、聞かされた時もビックリしたが・・・


N-nhaがねぇ~・・・。


3つの教習所からチラシや葉書きが届いている・・・


これはチャンスと思いながら、このままいっきに俺も免許取得に・・・と思いながら


家内とN-nhaの話しを聞いていた。



その日の夢は当然・・・


免許取得で、入校して


もうバイク講習に入っている。


中々、寝付けなかったが、しっかりバイク講習を受けている夢を見ていた。




2014年11月22日土曜日

22日(土)晴れ・・・エンジン音

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


10月20(月)・・・9:30am 山手線の電車の中。

バイク屋から電話があったのはちょうど一か月前。



前日にあらためて、電話をして4:30pmに伺った。


ガレージの真ん中に大偉の「ZEPHYR 400」が置いてあった。


もう修理が難しい場所も部品の提供により修理ができていた。


エンジンもかかり、懐かしい音が3年5か月ぶりに蘇った。

8割くらいの修理が完了し、タコメータの部品が手に入れば、ほぼ完了する。

来年の20歳の成人式または、誕生日にはできあがるのかな?


あれ以来、バイク屋に預けて少しずつ部品を買い足し、または好意に部品を提供してもらい

3年以上の時を経て蘇る。



エンジンをかけてもらい、心地の良い音を聞かせていただいた。


最後まで、大偉と一緒だったのがこの「ZEPHYR 400」だったからね。


大偉にまた乗ってもらいたいなぁ~・・・

エンジン音を聞きながら自分が興奮していた。


大偉に聞かせてやりたいなぁ~。


喜んでいるかな?






家に戻り、バイクの状況を話しながら・・・

いろいろ話している中で、どさくさに紛れ「免許を取って、俺が乗るよ!」・・・

みんないい顔しないでしょ?

強くは言われないものの、あたりまえの事を言われたが

あのZEPHYRのエンジン音を聞いて、心を動かさない訳にはいかない気持ちになった。



2011年6月2日 16:10・・・


ここで、大偉とZEPHYRが止まっている。


大偉を迎えに行って、家までの道のりを一緒に帰ってきたい。


今は、そんな気持ちです。
















2014年11月16日日曜日

16日(日)晴れ・・・金伝丸

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日は、第59回全日本養神館合気道演武大会が行われ、私は・・・

吹上のメンバーと一緒に賛助演武と、I-ue先生と指導者演武に出場しました。




会場へ向かう途中には、ブランコがあって、N-nhaと組杖で参加した時は

ちょっと早めに着いたので、乗って遊んだんだよなぁ~。

あの頃は、ブランコで遊ぶのが大好きで、大好きで・・・中々降りようとしない。

N-nhaは覚えているのかな?



通りのコンビニでお弁当を買ったのが、さらに遅らせた原因となってしまって、

ブランコを横目に見ながら、会場まで急いだ!


一年振りに、またこの地に帰ってきた!・・・龍の朝礼にはギリギリ間に合った。



賛助演武は、それなりに皆で合わせる事ができたと、後から振り返って動画を見た時は思った。


問題は・・・指導者演武。

動画を見ていればそれなりにこなしているようにも見えるが・・・・


指導者演武に出た、二人は悔しい気持ちでいっぱい!

特に、I-ue先生は悔しがっていた。このリベンジは来年の鏡開きで。


そんなこんなで、大会終了後は龍の懇親会へ出席し楽しい一時で、

指導者演武で失敗した事なんて忘れていました。


毎年出場してきた全日本演武大会・・・

N-nhaと組杖した大会では、二ツ塚のR-seyさん、S-go、松戸のT-tenoさん、M-skiと出場し、「秘伝」にも掲載された。

2010年の演武大会には、大偉とM-hashi先生の組で演武している姿もあり、

この2010年と2011年の1年間には大きな事があまりにも多くあり過ぎる。



2010年の演武大会終了後には・・・TVで紹介されていた「金伝丸」へ大偉と食べに行ったのが最後でそれ以来、私は大偉の席で一人で食べていた。


ところが・・・今年は違う!


I-ue先生、吹上のメンバー、T-bataさんと人が増えた。

きっとこれも大偉が連れてきたんだと思う。

西葛西25周年の二次会でひょんな事から話がはじまり、繋がった大会・・・・


正確には・・・「繋げていただいた大会」であった事は間違いない。


そんな方々を大偉は、私の側に連れて来てくれたんだと思う。

あれから、大偉の席で一人で食べていた私だったが、今日は違う!

一人で食べるよりも、みんなで食べようよって言っているかのようだった。

店員さんには、あそこと、ここの2席が空くまで待つからとお願いして座った。


臨んだ気持ちは違えど、目標を一つして参加した仲間がいる。

それを受け止めてくれた仲間がいる。

ラーメンがくるまでそんな事を考えていた。


東京駅でI-ue先生と別れ、私は実家に向かうまでの間、メールをしながら久しぶりに涙がでた。


また、来年の今頃に、来ているといいなって感じる。



I-ue先生、吹上のみなさん。

演武大会では大変お世話になりました。

また、一緒に稽古ができる日を楽しみにしております。



2014年11月15日土曜日

15日(土)晴れ・・・大会当日

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


10:00amに駒沢オリンピック記念公園体育館前に集合する予定で家を出たが・・・

自分が梅郷の駅から乗車する時刻より、一本乗り遅れた!


家を出る前に予定電車まで10分あった。

もたつかなければ、普通に乗れる時間なんだけど、荷物が多かったので一本遅らせて家をでた。


南部中の前を自転車で軽快に通り、流山街道にさしかかる所で、車が停まっていた。


下に目をやると・・・

女性がうつ伏せで倒れたままだった。


後続の車だと思うが、倒れている自転車を片付けていた。



この光景を見た瞬間・・・大偉を思い出していた。


しばらくすると、救急車とパトカーのサイレンが聞こえてきた。



1本電車を遅らせなければ、もしかしたら私が危ない目に合ったかもしれないと思った。


これも偶然ではなく・・・必然として考えるのか?


大偉が救ってくれたのかな?




2014年11月14日金曜日

14日(金)晴れ・・・全日本!(前日)

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


前日は、早めの帰宅をしようと思ったが・・・いつもと変わらぬ帰宅となった。


食事を済ませ、お風呂に入って気が付けば、0:00amを回っていた。


取りあえず、明日の荷物だけを用意して床に就いた。


今まで、思うような稽古量ではなかったが、大偉と一緒に大会に臨む。





2014年11月8日土曜日

8日(土)曇り一時雨・・・最終調整

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


来週、行われる全日本演武大会の最終調整稽古を吹上同好会へ出向き行った。

昨日の帰りから、稽古に来るのが楽しみで楽しみでしょうがない!

まるで、子供達と合気道を始めた当時のような気持ち!


午前中は、基本クラスでの前進動作、回転動作などを中心に行った。

一般クラスでは・・・基本動作の稽古の後は審査稽古に。


今でも、H-shiと大偉が仕手受けで審査を行なおうとしていた審査用紙がある。


いつもしない技を行い、何となくこんな感じの自分のイメージが

相手に伝わっている時は、お互いが、色々な動きを試しながら稽古できるので、もの凄く楽しい!



基本クラスでは、ものすごく腰を入れていたので、その反動が吹上の稽古にも出た。


基本動作は、ほぼ同じ内容。

午前中に言われた事を思い出しながら・・・

さらには復習のように同じ説明を受け・・・

稽古の満足感は、半端ないくらい充実していた。


今日の私の満足感のように、会員は感じているのだろうか?

その満足感を感じてもらえるように指導しなければならないなぁ~と感じた。


来週は、大偉と一緒に真剣勝負です!






2014年11月7日金曜日

7日(金)晴れ・・・何があったの?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


2014-10-28の同好会のアクセス数が、その日だけ特別に抜け出していた。

なんと・・・93アクセス。


いつもは、5~20くらいなんだけど。


この日は何があったのかな?


フランスからのアクセスもある!

もしかしてフランス方が見にきているのかな?


今度は、Bonjourから書いてみるか!


明日の稽古は、何だかワクワクして仕方がないです!

大偉っ! 午後は吹上ですよ。


2014年11月6日木曜日

6日(木)曇り一時雨・・・駅まで!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、かなり早く会社を退社した!


梅郷の駅に着いたのは、8:00PM。


改札の方へ歩いていると、小さな女の子が長靴を履いて、お父さんの傘を持って

立っているのが、人混みの合間から見えた。


雨は殆ど降ってはいなかったが、きっとロータリーで待っているお母さんに

「お父さんの傘を持って、駅の改札まで迎えに行ってちょうだい」とでも言われたのだろう。


お父さんの後ろ姿しかわからないが、改札を抜けてくるお父さん姿を見て女の子は微笑んでいた。


こんな光景はめったに見る事ができないが、この経験は私も大偉やN-nhaが小さい時にあり、


その日は、家に帰ってまでも、ずっと心に中で微笑んでいた。




2014年11月4日火曜日

4日(火)晴れ・・・2012-5-27

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


先月の30日の吹上同好会のブログを見ていました。

稽古内容など掲載しているページを見ていると、二ツ塚のR-seyさんがコメントを掲載している記事を見つけました。


見ていると2012年 浦安の演武大会で吹上同好会のメンバー集合写真のコメントにレスを入れてました。


2012-5-13に行われた大会は、大偉と巳塁の一周忌、納骨が執り行われ、私は参加する事はできなかった。


「野田、二ツ塚の至宝大偉の命日に出稽古に来て、心の中の大偉と稽古をしてください・・・」と。


はじめてこのコメントを見て知ったので、ビックリしました。


ちょうど6月2日に届くように、I-ue先生夫妻からは、お心遣いの品が家に届きました。



いつも何処かに出かける時も・・・・

他の同好会への出稽古、演武大会と大偉の道衣を着ている。



R-seyさんのコメントも見て、もう一度しっかりと

心の中に大偉と稽古をしようとあらためて感じた。



2014年11月2日日曜日

2日(日)晴れ・・・月命日

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


2日・・・あれから何回目の月命日だろう。

家内はカレンダーに年数と回数をみるると大偉の分を書いている。


N-nhaと家内の後ろ姿・・・


何を伝えているのだろうか。






2014年11月1日土曜日

1日(土)雨・・・責任

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



稽古場の準備で、玄関前に到着したのが8:20am・・・

すでに大勢の小学生と、引率の先生が空くのを待っていた。

小学生は市内の学校・・・。


稽古前、道衣に着替え色々と準備をしていると、小学生達は吹奏楽部だった。

市内の小・中・高は吹奏楽が盛んで、体育館でよく練習をしている。


稽古終了後、着替え終わり受付前まで階段を上がると、子供のお父さんやお母さんがビデオを片手に撮影をしている。


いつもは、そのままスルーをするのですが、何となく心、魅かれ・・・上から見ていた。


小さい体で大きな楽器を抱えながら縦・横に心を合わせ動く。

しかも・・・

横目でチラ見なんなかしていない。

みんな歩く歩数が体に染みついているのだ。

歩幅もそれぞれ違うのに、それを合わせ一直線に繋ぐ。


途中から、女の子二人がトランペットのソロを始める。


お世辞にも上手とは言えないが、一生懸命に吹く姿になぜか心打たれる。

他の子達も踊ったり、動いたりと自分に与えられた役割を頑張る。


誰一人、逃げ出す事せず。

諦める事をせず。

最後までやりきる。


何度も、何度も繰り返し練習をしてきた。


そこには、「責任」がある。

子供達・・・一人一人の責任が集まり集大成となる最高の発表となる。


支えてくれた、友達、先生、親・・・

裏切る事のできない「責任」がそこにある。


2014年10月29日水曜日

29日(水)晴れ・・・力を貸して!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


全日本演武大会まで、後2回の稽古…!

えっ、後2回しかないの?って感じです。

団体演武と、指導者演武…やばくなってきた。。


先々週に吹上の方と初めて合わせたが、タイムチェックをしていないのでちょっと不安になる。。

個人的な合わせは、今週にS-toさんが来てくれて多少はできるし、来週は最終調整に行くので、なんとか形になるまで、こだわって大会に臨みたい。。


心配なのが・・・指導者演武である。

審査の時もそうなんだけど、有る程度、自由技の順番は決めているのに、何時もその通りにいかない。

途中で、変換していく。。

臨機応変と言うのか、グダグダと言うのか、どちらも当てはまるけどね。

初めての指導者演武。。。しかも。

受けが取りづらい。。

どっちを向いて良いのか?

仕手は、どっちに投げるのか?

先週から、サランラップの芯を二つ、テープで繋げてリビングや、玄関で自主稽古!

もう後は、大偉の力に任せるしかない。。

ちくしょう!

大偉がいたら、もっと稽古できるのに。


兎に角、迷惑のかからないように演武するしかない。


大偉!

また、金伝丸でラーメンを食べようね!

今回は、もう一人客人がいるよ。


お楽しみにねって言うか・・・もう知っているか。




2014年10月22日水曜日

22日(水)雨・・・遺留品

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


御嶽山・・・・

噴火により多くの方が命を落とした。

それほど多くの山を登っているわけではないが、残念で言葉にならない。



小学生の女の子・・・

偶然にも一緒に隠れた岩陰。


「寒い」の言葉に男性は緑のダウンジャケットと上着の合羽。


女の子はその男性から借りた上着をかけたまま亡くなった。


男性は薄手の上着とTシャツ姿で亡くなった。

その男性の緑のダウンと合羽が、家族のもとに帰ってきた。


火砕流などでボロボロになってた、遺留品の一部。



突然の出来事・・・

無言の帰宅、そして遺留品。



私も、大偉の遺留品を受け取りに家内と柏警察に行き、

三袋を受取って帰ってきた。


中身は見えないように厚手のグレーの大きな袋・・・


遺留品の内容が記載されたリストを見せられ、簡単に説明された。


今でもその袋は開ける事ができず、私の枕元に置いてある。


2014年10月21日火曜日

21日(火)曇り一時雨・・・誠・真・信・実

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


言葉の中にある、「まことの言葉」



誠言葉

真言葉

信言葉

真言葉



相手の言葉の中にある、まことの言葉・・・

中々、聞きだす事も、引き出すことも難しいけど

まことの言葉は自分の言葉の中にもある。




2011年6月2日・・・16:10

この前に何をしていたの?

本当は、何が起きたの?

どうしても、「まことの言葉が聞きたい」


2011年4月9日・・・未明

みるるの言葉を聞きたい



二人は一緒にいるのですか?

だんだんと寒くなってきたので、風邪などひかないようにね。




2014年10月20日月曜日

20日(月)曇りのち雨・・・戻る!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


9:30am・・・・山手線の電車の中。


iPhoneの着信。


バイク屋さんからだった。

浜松町駅で降りて会社に向かう中、かけ直した。



転倒で、色んなところがやられていたんだけど・・・ようやく部品が集まりだしたという。


部品が集まり、修理できれば・・・・「また、走れるんですか?」


問題ないですよ!


嬉しいやら・・・

ちょっと複雑だった。


修理できても、私は免許持っていないし・・・・

引っ越しでもするなら別だけど、今の家の前において私が乗るなんて・・・普通はないよね。

乗る意味が、違いすぎる。


玄関先においても傷むだけだし・・・


修理が終わっても、バイク屋においてくれないかな?という気持ちもある。



でも・・・・


もう一度、あのエンジン音を大偉に聞かせてやりたいし、

私も聞きたいな。


大偉が走った道を私も走りたいと思う。

2014年10月18日土曜日

18日(日)晴れ・・・演武稽古

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今年の駒沢オリンピックで行われる演武大会は、吹上同好会の一員として

参加する事ができた。


毎週、合せる稽古ができないのが辛いが・・・そこはなんとか繋げて乗り切りたい。


先々週に演武科目の情報をいただき、YouTubeで確認しながら

午前中の稽古に臨んだものの・・・見て覚えた感覚と、動いて覚えた感覚は

比べもののならないくらい動けない。

こんなにも動けないものかと、午前中の稽古では散々で、このままでは

もの凄く迷惑がかかると、はじめて感じた。・・・・焦っていた。



I-ue先生、J-im先生と吹上に向かい、少年部に時間に何度も何度も、S-kmotoさんと合せ、身体に叩き込んでいった。



通常、一般稽古を行った残り時間では、チーム吹上の参加者と合わせた。

細かい動きを確認しながら、合せていただき午前中よりも格段に動きが良くなった。


やはり動くのが一番!

もしかして、段々と前の日のお酒が抜けてきたからかな・・・?


残り3回の稽古なんだけど、合せるのは後1回だけ・・・。


とにかく、がんばろう!



吹上のみなさん!

楽しい稽古でした。


2014年10月14日火曜日

14日(火)晴れ・・・辛かったな

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


台風の過ぎ去り、今朝は普通に出勤する事ができた。

前回の台風よりも、通勤は楽だった。


その日のTV番組で、「自分の子供が亡くなるのが一番辛いんだよ!」

という言葉が飛び込んできた。


えっ・・・・


その言葉を相手に伝えながら、自分の子供が亡くなる辛さを

親になってはじめてわかる・・・と言っていた。


その言葉を聞きながら、大偉や、みるるの事を思い出していた。


私の人生経験上、2011年6月2日はこれ以上ない衝撃的な事が起きたので

ショックで思い出せない事もあるが、最後の大偉の顔しか瞼の奥に貼りついていない。



いつになく、久しぶりに辛かった。



2014年10月9日木曜日

9日(木)晴れ・・・最後の試合

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


会社に向かう駅までの道のり・・・

中学校の男子テニスや、サーカー部・・・陸上部がとっくに朝練をしている。

特別な事がない限り殆ど毎朝。


夏休みなんて、毎日部活をやっているのに・・・6:00amくらいから

自分達で集まって自主稽古がはじまっている。


そんな子供達を見ながらの通勤。


大偉の最後の試合・・・

見に行けば良かった。

ず~っと頑張ってきたんだよね。

中学三年の夏の県大会・・・舞浜の総合体育館で行われた。


どんな試合をしたのかな?

自分を奮い立たせ、仲間に声をかけ・・・


ハイキューを見ながら、いつも大偉を思い出していた。


最後まで一生懸命に試合をしたんだろう。


人生の最後の試合までがんばろう!






2014年10月6日月曜日

6日(月)台風から晴れ・・・凄い雨

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日の台風の雨、風はすごかった。


大偉もみるるも大丈夫だったかな?




2014年9月28日日曜日

28日(日)晴れ・・・いつも。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


24日の朝・・・


R16を習志野に向かい走っていた。


右手には、いつもの花束が置いてあるのが見えた。


その脇には、私が手向けてた枯れた花。


いつも、いつも本当にありがとうございます。




夕方、大偉とみるるに会いに行ってきた。


綺麗に顔や体を洗うように・・・



現場についたときはもうすっかり暗くなっていた。


お花とお線香を手向けてきた。



2014年9月23日火曜日

23日(火)晴れ・・・助けてもらった。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


22日 11:00pm 南行徳駅・・・


通算三回目の富士登山登頂を目指す!

初登頂・・・2005年7月30日 4:30am (大偉 小学6年生)

二回目・・・2014年9月 6日 11:30am


既に、富士登山ツアーはどこも終了しており、登山ルートも県としては閉山。


富士吉田ルートは、五合目を除き山小屋は閉まっている(七合目は一か所だけ営業していた)

須走口ルートは、五合目の2件と七合目の太陽館は営業。

もちろん山頂の小屋は閉まっていて冬支度になっている。



23日 2:00am 富士スバルライン五合目に到着

走りながら空を見れば星空!

途中、野生のシカと遭遇する場面もあった。


1時間ちょっとだけ車で寝て、3:30amに出発の準備を始めた。


なんか寒いなぁ~と思ったら、後ろの窓が全開だった!・・・・あちゃ~って感じ。


前回登った時と同じ、4:15amに五合目をスタート。


しばらくすると吉田ルート入口の看板が・・・

登山ルートは閉山しているので、その脇から入る。。。


2週間前よりも、気温、風の心配もなく最高な状況!


六合目では、まだ御来校とはいかなかったので、さらに上へと目指す!


本当だったら、須走口から登頂をしようと考えたが、現地に電話したりして調査した。

景色だけを考えると吉田ルートの方が良いかな?と思って、同じルートにした。


初冬のちょっとした風の冷たさが心地よい・・・山に来ているなって感じ。


まさに最高の気分だった!

 


登りのペースは、前回と同じくらい。

目標になる小屋を目指し、高度を上げていく・・・・

今回は、右膝・・・左膝とだんだんつってきた。


それが、膝裏まで痛みだし、一歩一歩登るたびにつるので、このまま登頂できるのか?

ものすごく不安だった。

左手にかけたストックのストラップ・・・・


DAII.T


「大偉っ! 助けて・・・」と言った。


七合目から八合目までの長い登り・・・・


そうすると・・・本当にだんだんと足が軽くなり、痛みもなくなってきた。


八合目から最後の登り・・・・


途中休憩で、上を見上げると・・・・なんと「鳳凰」がでた。


これで二回目・・・


大偉が助けにきてくれたんだ!


 

翼を広げて飛んで行ってる姿・・・


大偉のおかげで、11:15am・・・三回目の登頂をする事ができた。


 



大偉と、初めて登った富士山。


登りも・・・下りもちゃんと大偉の事を覚えている。


辛そうに登ってきた石畳の階段・・・

一緒に撮った場所・・・

小さな体で登った富士山

下山の大偉の姿・・・


大偉に助けてもらって登頂できた三回目の富士山登頂だった。


ありがとうね。大偉っ。





2014年9月21日日曜日

21日(日)晴れ・・・太平洋高気圧

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


土・日・月と台風16号と梅雨前線の影響で曇り・雨の天気だったのが、昨日とは違い無茶苦茶良い天気となった。


高気圧が少し張だし、進路が若干変わった!


やった~!


週間天気予報を見ても、これからの台風の進路をみても

明日明後日まではきっと大丈夫。


夏シーズンの富士登山が終わった9月6日に会社の人と吉田ルートから登頂した。


その2週間後、今度は冬支度の準備に入る富士山の登頂を須走口から、

J-im先生と登頂を目指す!


これも、西葛西道場の25周年の二次回でJ-im先生と決めちゃった・・・


もしかしたら、台風の影響が出て行けないんじゃないかな?と思っていたんだけど、


きっと大偉が、この天気をくれたんだなと思いながら、洗濯物を干していた。


大偉もきっと一緒にいっただろう!






2014年9月20日土曜日

20日(土)曇りのち雨・・・横浜!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉っ、みるちゃん・・・出かけるよ!

今日は、みんなで横浜中華街にでかけました。


誕生日の18日には貫徹・・・とほほっ。


翌19日も中々帰れず・・・ようやく期末らしくなってきたんだけど。


そんなこんなの中、ポンパレで購入したチケットを持って出かけました。


天気はあいにくの曇り・・・時々ながれてくる雨。


でも、人はたくさんいました。






大偉がいたら・・・もう無理、食べられないと言っていたんだろうな。





2014年9月19日金曜日

19日(金)晴れ・・・気遣い

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


全日本演武大会が11月15日(土)に駒沢オリンピック公園で第59回目が行われる。


野田同好会は、今回は出場なし。


今までずっと出場してきて今回はじめて不参加をだした。


ところが・・・


西葛西記念演武大会の二次回で、吹上I-ueさんと話した時に


吹上は出ますよ!


この一言に・・・私の心に火を点けた。


えっ、本当に!

野田は・・・?

今回は、でないんですよ・・・。


と言いながら・・・色々な思いを話した。


つい、私から一緒に出ませんか?・・・野田同好会でと言ってしまった。

今までこんな思いになったのは、はじめて。


I-ueさんも快諾・・・びっくりしてはいたけどね。


17日に龍にメールした!

締切はもう過ぎているんだけど・・・


ところが・・・「大丈夫ですよ!」との連絡がきた。


その後、龍から電話が何度かきたが・・・

大会の規定で、指導者が団体演武にでる事はできませんとの回答が

本部からあったようで、私がI-ue先生の指導者演武の受けで参加する事で

あれば大丈夫との事だったので喜んで受けた。


しかし・・・

I-ue先生から龍に伝えた言葉は・・・


「野田同好会」としての参加ではないので、連続出場の事など、野田同好会としての

出場を気にかけてくれていて、私の了承を取ってからとの返事だった。

私は、すっかり忘れていたんだけど、二次回でその思いを伝えていたようで

ちゃんとその思いを受け止めての言葉だったので、涙が出たほど嬉しかった。



I-ue先生との指導者演武に出場する事になった。



何気なく言ったその言葉を、ちゃんと聞き、受け入れ・・・その人の気持ちを

考えてての言葉だった。

私には、到底できない対応だった。



また違う意味での歴史をつくる事ができる。


龍のB-touさんにもご尽力いただき実現できた。


稽古場所、時間の制約など色々とあるが、大偉が架け橋となり

精一杯、頑張ろうと思う!


みなさん!ありがとうございました。


2014年9月17日水曜日

17日(木)晴れ・・・黙っていなよ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


「黙っていなよ・・・」


この言葉には、大きく二つの意味をとらえる事ができるんじゃないかな?


秘密の内容を伝えられ、「黙っていなよ」


または・・・「その状況を見て・・・黙っていなよ」


その状況とは、苦しくもがいている状況。


色んな言葉をかけられ、救われる事もあるが


あえて何も言わず、黙って見守る・・・優しく包み込むように。


でも、ついつい口を出して、助けてあげよう・・・助けてやろう・・・などという言葉は

全く必要なく、ただただ黙って側にいるだけでよい。(中々できないけどね。)



きっと乗り越える・・・乗り越えられる時が必ずくる。

完全に心の中から消え去る事はできない。

それはその人が歩んできた足跡・・・証だからです。


それまで、「黙っていなよ」


大偉らしい言葉ですね。









2014年9月14日日曜日

14日(日)晴れ・・・二回目の下車!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


東西線・・・西葛西駅。

ここを降りたのは、二回目。


T-ikuさんと歩いてスポーツセンターに向かった。


前回は、Jr.合気道大会・・・第4回大会だったかな?

大偉は、中学で部活。

N-nhaがJr.合気道大会に出た。・・・結果は2回戦敗退です。


大会には、進んで出場するんだけど、なぜか気持ちを前面に出さないんだよね?

その大会の後、N-nhaが洋服を見たいというので、色々と見て回った事を想いだす。


今回は、西葛西道場の25周年記念演武が行われるため、やってきた。


いつもと変わらぬ、笑顔で向かいいれてくれた。


大偉の時も、支えてくれた一人。


今回は、号令係りだったけど精一杯気持ちを込めて、大偉と一緒に技名を言った。

出場した仲間も、何回も、何回も稽古をして演武を作りあげてくれた。

本当に感謝。

色々な所で、良かったと褒めていただきましたよ! やったね。



その後の懇親会・・・二次会・・・三次会と終電ギリギリまで飲んで帰った。


二次会では、普段飲めない方々と飲めて楽しかった。


あれ以来、個人的な飲みはあっても、普段飲めない方々と飲めて

一歩前進したのかな?とても不思議な感じだった。



三次会は、I-ueさん、T-btaさん、S-touさんと飲んだ!


とても楽しかった。


でも・・・次の日は殆ど動けませんでした。

とほっ、ほっ。



2014年9月7日日曜日

7日(日)雨のちくもり・・・あともう少し

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕方に・・・「ハイキュー」を見ていた。

以前ちょっとだけ紹介したアニメ番組。


大偉も中学の時バレー部に所属していたから、当時の事を懐かしく思い出しながら見ている。

「懐かしながら・・・」

まだ、三年しか経っていないのに、こんな言葉を使うんだよね。

高校二年生だったからそれほど年数は変わらないな・・・



中学三年の春なのかな?

県大会で船橋の会場で試合が行われる事になって、私達は観に行くことができなかったが、

私の父親と母親は観に行って、「大くん!・・・大くん!」と何回も大声で呼ぶもんだから、

恥ずかしかったよって言ってたね。


春の県大会では、ストレート負け・・・だったかな?

市内では殆ど負けなしのチームだけど、外の世界は違うんだと思い知らされた試合だった。

バレーボールというスポーツは流れが激しい。

さっきまでは、自分達のペースかと思えば、一気にもっていかれる事もある。


あともう少し・・・

あともう少し・・・


と思いながら、グッと堪えて頑張っている姿を思い出す。






2014年9月6日土曜日

6日(土)晴れ・・・二回目の登頂!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


5日の11:00pmに新宿バスターミナルを出発して、富士五合目に4:00amに着く。


そのまま富士登山をして、その日にまた新宿に戻る車中一泊の富士登山弾丸ツアーに会社の同僚と二人で行ってきた。


とにかく車中で寝るなんてほとんどできないまま

高速や、五合目手前で時間調整をしながらの行程で、ぴったり4:00amに着いた。


その後、体を1時間ほど慣らしてから登り始めると書いてあったので、

ゆっくり朝ごはんを食べられると思っていたんだけど、点呼を取ってから

すぐに歩きだした。

よくよく考えると五合目手前で45分間の待ち時間があった。



それが・・・調整だったんだと。かなりたってから気がついた。


大偉と登ったのは2005年7月30日 4:30am

今から9年前の小学6年生。



大偉とここで写真を撮ったなぁ~。

大偉と二人で登った事を思い出しながら歩いていた。

ところどころで撮った写真。


大偉が辛い顔をして登って来た石畳の階段。

八合五尺に泊まった、「御来光館」


この御来光館を過ぎると、大偉は軽い高山病にかかりながら、少しずつ登った。


とても辛い顔をしていたな。


大偉の分までザックを持ち初登頂!


帰りは、そのままザックを私が持ったんだけど・・・

快調に大偉は下山していた姿を、今こうして下山していると思い出す。

途中、横なって寝ている姿もね。



4:30am・・・五合目を出発。

途中休憩しながら頂上についたのが11:30am。

軽く頭が痛くなる事もあったが、大偉のストックについている「DA I I.T」の名前。

左手に持ちながら、苦しくなるとそれを見ながら一歩一歩足を進め、途中休憩をしながら

頂上に着いたのが、11:30am。

大偉と一緒に上った二回目の登頂。

3376mは剣ヶ峰なので若干低い位置に鳥居があるんだけど登頂したのと同じだからね!


今回は、番組で勝俣と遠野なぎ子が富士山に登る内容を見て

衝動的に会社の人を誘ったんだけど・・・天候も良く最高の富士登山だった。





3100m地点です!
 



大偉と初登頂した2005年7月30日 4:30am



苦しい時に、DAIIの名前を見てがんばった。



N-nhaが書いた大偉
いまでも大偉の部屋に飾っている。




大偉っ!

2005年7月30日の日を思い出しながら、ずっと登って・・・降りてきたよ。

登りながら、「今年は富士山に行く?」って聞いたら、きっとこの場に一緒に

いたんだろうなと思いながら、辛くても大偉がいるから、大偉と一緒にまた

頂上に立つんだという思いでがんばったよ。

大偉のストックは、魔法の力を与えてくれるよ!


また、行こうね!


追伸。
USBの取り込みが不安定で、写真が消えちゃったよ(泣)















2014年9月5日金曜日

5日(金)晴れ・・・そうとうに。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日の夜、出発する富士登山に備え、持ち物の準備をしていた。


自分の持っているザックでは大きいので、大偉のザックで行くことにした。


ザックを準備して、ポーチを準備・・・ストックを準備。


一つ一つ準備をして、最後にデジカメの充電をしながら

撮った写真をみると。。。



なんと!




BBQの二次回の写真があった。


今年は写真を撮るのを忘れていたと思っていたのは、自分だけだった。


店から駅までの事は覚えているけど


店の前でみんなと写真を撮った事は全く覚えていなかった。


そうとう飲んだのかな?


それにしても、みんないい顔しているね!



R-seyさんは、途中で帰ってしまって残念だったけど、とても楽しかった!





2014年9月1日月曜日

1日(月)雨・・・二回目

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今週末・・・二回目の富士登山。

前回は大偉と登ったんだけど、夏場だったので気候はわかっていたんだけど

今年はお盆以降は急に秋の気候となりしかも不安定。


下界でこの涼しさとなれば、3000m以上はどうなっているのか?

夏場でも富士山頂は5°前後になるので、今のままでは冬支度の格好だな。


久々の山。


不安とわくわく。




2014年8月31日日曜日

31日(日)くもり・・・マービー

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



大偉とみるちゃんに会いに行った帰りに車検の予約をしにオートバックスに立ち寄った。


色々とお話しを聞き、予約を済ませお店を出ようとした時に

えんじ色の・MAZDA マービーが整備のため停まっていた。


懐かしいなぁ〜。


モビリオの前にマービーを乗っていて、みんなで色々なところに出かけたな。。。


みるちゃんを連れて、山中湖に泊まりに行ったり、

夏はキャンプに出かけたりと。



なんでもそう感じるだけど・・・一度使った物には、個々の思い出や家族の思い出が必ず残る。


その思い出は、小さいものから大きなものまであるが、

特に大偉は小さい頃から車が大好きな子だったので、

特に強い思い出がある。


旅先では、何を乗っているのかな?





2014年8月30日土曜日

30日(土)晴れ・・・想い。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕方・・・大偉とみるちゃんに会いに行ってきた。

久々に清々しい風が吹いていて気持ちがよかった。



記帳をみると・・・何処かで見たような名前?


えっ!もしかしてとと思い 6月2日まで遡って見返した。


やっぱり・・・。


他校ではあったが、バレーで一緒に汗を流した友達の奥さんと子供・・・お母さんもかな?

Y-uki君の名前は、( )に書かれていたので奥さんがそうしたのだろう。


墓石の前で大偉に話しかけてながら・・・当時の事を思い出した。



出棺の前日だったのかな?

夜、遅くに・・・お母さんに連れられて大偉に会いに来てくれた。


ついこの間に、一緒にバイクでツーリングにいったばかりなのに・・・

帰る時まで、泣きじゃくっていた。

大偉ととても仲がよかったんだよね。


遺影のモデルのなった写真をくださいと言い、帰っていった。


いつも気にしてくれてありがとう。




その足で、現場にむかった。

いつものお花が手向けてあった。

H-rkaさんだよね?ありがとうね。

もしかして・・・枯れたお花も片づけてくれたのかな?


いつも遠いところまで来てくれて感謝しております。






2014年8月24日日曜日

24日(日)晴れ・・・時を同じく。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


熱闘甲子園を見ていた。。。

その日の試合を届けている合間にいろいろなエピソードを紹介していた。


日南学園と草太郎君(そうたろう)・・・。


とても野球が好きな少年で、生きていれば高校三年生。

日南学園に入学して、甲子園に行くぞ!と夢見た少年だったが、

夢かなわず・・・小児がん、12歳でこの世を去った。


「生きていれば、今高校三年生。絶対に甲子園に行ってください。」
草太郎がどんな仲間と野球をやっていたのかを見るために甲子園に応援に行きますとお母さんからの手紙。


その夢は日南学園の野球部が繋いだ・・・

部員一人一人の心の中に、各々の草太郎君の思いが宿っていた。

あった事も話した事もない、草太郎君の想いを乗せて、

宮崎代表 日南学園 3年ぶり 7回目の出場を決め、甲子園に乗りこんできた。



甲子園でも試合前のダッグアウト前・・・円陣になり

「草太郎に一勝を贈るぞ!」

めいっぱいの声をだし、心を一つにする。



お母さんが送った一通の手紙・・・

この手紙を読み日南学園と草太郎君を


「つなぐ」


お互いかけがえのない夏だったろうなぁ~。














2014年8月18日月曜日

18日(月)晴れ・・・何か忘れてる?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


数日間ぶりの会社・・・。

前の日は3:30am頃にトイレに目を覚まし、その後は全く眠れず。

会社に来ても2:00pmまでくらいまでエンジンがかからず。



今朝から、何か忘れている・・・。

BBQが終わって、二次会・・・いつもと感じが違うぞ!


二次会に向かう時にしっかりとデジカメを持参し、帰りに店の前で

写真を撮るのがお決まりだったんだけど・・・忘れてしまった。


これも・・・なにもかもU-raちゃんだ!

U-raちゃんのペースにみんな巻き込まれ、やられてしまった。


なので、今回は写真はなしでした。


でも、U-raちゃん担当がきまった!

R-seyさんと、K-noさんの二人。


今週から新入会員を含んでの稽古がはじまりますので

U-raちゃんはK-noさんに全面的で任せよう。


なんだか、馬が合う。

とっても合っていた。




2014年8月17日日曜日

17日(日)曇り・・・M-yshiroさん

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


二年振りですかぁ~・・・?

転勤が決まってからもうそんなに経つんですね。


そう言えば、稽古後のロッカーで着替えながら、私のブログを読んでいた事の話しをした事を思い出しました。

M-yshiroさんが入会され、一生懸命に取り組んできた事は今でも忘れません。
確実に技を覚え、着実に級をあげていきましたよね。


転勤後、すっかり疎遠になっていましたが、今日、近況のメールいただき

合気道の想いを忘れずに、また合気道をはじめた事に感激し、

稽古姿のM-yshiroを思い出しながら、涙し拝見させていただきました。


合気道・・・元のはじまりは一緒です。


養神館ではなく、仕事に都合で合気会の門を叩きはじめられた事、

決して無駄ではなく、必ずプラスになる。

合気道の幅が広くなる。


ゆっくりでいい、焦らず怠けず稽古し合気道の幅を広げてください。


また、お会いできる日を楽しみにしております。

私もがんばります!





2014年8月16日土曜日

16日(土)晴れ一時雨・・・6回目?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日で合気道体験教室の4回目が終わる・・・長いようで短かったなぁ~。

市報に掲載し、多数の方が参加し、合気道に触れていただいた。

また、10:30からは吹上、二ツ塚、松戸からも稽古&BBQに参加してくれた!



皆と会える!

ものすごく待ち遠しかった。


朝・・・BBQの準備をしながら・・・大偉がいたらなぁ~。


ついこの間まで、いたのに。

子供達の面倒を見て、一緒に楽しんでいたと思うと

いたたまれなく、悔しくて悔しくて、残念という言葉を通り超すほどの悔しさで。。。


なぜ、大偉だったのか?と今でも思うが・・・今ではもう。




一般部合同稽古・・・10:30am

吹上からI-ue夫妻の他、S-kmotoさん、K-toさん、T-mitaさんの参加。

二ツ塚から、R-seyさん。

松戸から、T-teno親子と総勢20数名!

道場が狭く感じた。

体験から数えると30名を超えていた。


整列の掛け声で黙想に入る。

静寂の道場内。


いつもより、号令に気合が入る。


こうして集まってきてくれた事に感謝。


いつになく、大偉の前で恥ずかしい稽古はしたくないと力がはいるが、

I-ueさんとのニケ条締めでは、まったくできなかった。

それが、J-im先生とI-ueさんからのアドバイスを受け、ピタッと力を集中する事ができた!

正直、嬉しかった。


BBQでは、過去最高の参加人数で盛り上がりました!


でも、2012年のBBQを超える事ができなかった。

やっぱり大偉が必要だね。


また、来年!










2014年8月14日木曜日

14日(木)曇り一時雨・・・14歳

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


みるちゃん!

今日で14歳ですね。

急にお母さんの体調が悪くなったので、N-nhaと会いにきたよ・・・って、

お盆だから大偉と一緒に家にいるか。


今日も雷・・・ごろごろとは鳴ってはいなかったけど、ちゃんと大偉の側にいるんだよ。


みるるは、大偉とN-nhaと同じように成長してきたんだよね。

家に来た時は、大偉もN-nhaも小さくて、みるるなんてもっと小さかったんだよ。


今日はみるるの大好きな鳥のささみをN-nhaが蒸しってくれたよ。


みんなで食べようね。



2014年8月13日水曜日

13日(水)曇り・・・応援できる人

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

世の中には、応援できる人間と応援できない人間がいるという。


一生懸命に・・・何かに打ち込んでいる姿。

こっちまでいつしか応援してしまっている。



一生懸命に応援する側の姿。

応援を受ける側の姿。


お互い何も言わないが、通じ合っている。


心のこもった応援。


大事に受けとめる。



2014年8月5日火曜日

5日(火)晴れ・・・1945-2014

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


69年前の前日・・・。

何を思い生活していたのだろうか?



この広島原子力爆弾の被ばく者から、たくさんの写真、インタビューを後世に残す動きが

首都大学のある准教授から始まった。


「ヒロシマアーカイブ」


小さい頃は、近くの公民館にこの時期になると写真などを展示していて、よく社会の宿題で見に行った記憶がある。

また、「はだしのゲン」を学校で配られたチケットを持って文化会館に観に行った事もある。


それから数年が経ち、社会人2年目に広島出張の際、時間があったので

原爆ドームと平和記念館へと足を運んだ。


写真とは言え、目を背けたくなる展示もある。

また、小さい頃に見た展示などもある。


これを見た時、一生のうち一度は観に行かなければならない場所の一つだと思った。

子供達には辛いかもしれないが、正面から向き合わなければならないんだと。


そのヒロシマアーカイブはPC版とタブレット版があるようで、

タブレットを見ている風景にかざすと、昔の写真と今の写真が比較できたり、

被ばく者の動画などもあり、しかもたくさんの方の写真付きでどの場所で被ばくしたのかピンで記している。



今も色々な国で争い、人間が人間を殺している。


色々と言い分はあるのだろうが・・・決して有益にはならない。


私たちの国でも、毎日のように殺人事件が起きている。


行きたくても、生きる事のできない方に顔向けができるのか?









2014年8月3日日曜日

3日(日)晴れ・・・かたりべ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


「かたりべ」・・・こんな題の番組をやっていた。


「私たちにはもう時間がない」

だから今のうちに実体験を後世に語り、受け継いでいって欲しい。


こんな思いから、広島市が取り組んだ。

原爆の悲惨さを・・・

戦争の残酷さ・・・

ボランティアを募り、実体験を色々な人から聞き

修学旅行生など等、その他の活動を通じて語り継いでいく。


自分の実際の体験ではなく、実際に聞いた事を受け継いで話す事の難しさ。

やはり、自分の実体験ではないので迫力にかけるなど様々な葛藤の中でお互いが成長していく。


全部、見ず私は大偉とみるるに会いに行った。


昨日と同様に暑いねぇ~・・・。

大偉とみるるに話しかけながら、お水を一杯かけた。


「かたりべ」

普通に生きて生活している中で、親から子へ「かたりべ」されている。


今まで生きてきた経験・・・アドバイス。

勉強や、恋の話し。

普通に話している事が、すでに「かたりべ」になっているんだな。


そんな事を心に思いながら、大偉とみるると別れた。





2014年8月2日土曜日

2日(土)晴れ・・・後ろ姿

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日で合気道体験二日目が終わった。

先週に引き続き、子供達は元気に合気道を体験していたよね!



夕方、3人で大偉とみるちゃんに会いに行ってきた。

土手の方面から吹く風がここちよい。


大偉と、みるるの体の汗を落とすように柔らかい布で汚れを落とし、

冷たい水を一杯かけてあげた。



今日は大偉の月命日・・・。


大好きなお寿司を買いに向かった。

仏様は、生臭いという理由から好まないような事を書いてあったが、

とにかく、好きなものだったら何でも良い。



買い物をしている、家内の後ろ姿を見ながら・・・

毎月、どんな気持ちでお寿司を買っているのかな?と思った。


自分のお腹を痛めて産まれてきたんだから、きっと私以上なんだと思う。


3年経ってたが、今でもそこにいるように大偉や、みるちゃんの事を話している。


毎日、写真でしかもう会えないけど、本当に惜しいい男を亡くした。


一人の人間として・・・惜しい。


優しさ、悲しさ、辛さをこの歳で、自分なりに理解していた。






2014年7月26日土曜日

26日(土)晴れ・・・はじまったよ!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉っ!

今日から、合気道体験がはじまったよ。


普段と違って一気に、道場内の雰囲気が変わったよ。



子供達の元気な声を聞くと、こっちも元気になるね。


一緒に手伝ってね。



この体験を成功させるために、たくさんの方に全面協力していただいて


本当に感謝しているし、仲間の持つ力って凄いんだなぁって思った。


一人では、絶対にできなかった。



大偉も多くの良い仲間と出会っている事だろうね。









2014年7月20日日曜日

20日(日)晴れ・・・まだ終わっていない!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ハイキュー・・・!


ネットを挟み、お互いがボールを拾い続ける。


中学の同級生だった・・・

同じバレーボール部の仲間・・・


「初戦がはじまる。」



一人は、中学の時に見た春高全国大会に出場した高校に進学。

もう一人は別の高校へ。


お互い高校に行ってもバレーボールを続け、高校三年の県予選で、はじめて戦った。



昔・・・春高に出場し一時は強豪になったが、今はその陰もない。

もう一人もそこまで強くなく、練習もそれなりといった感じの高校・・・。


しかし・・・その陰を落とした高校が這い上がろうとしている。


試合はほぼ圧倒的だが、点を取られたら取り返す。一生懸命にボールを繋ぐ。

かたや、別の高校は最後までボールを繋ぐ執念がない。


ところが・・・

中学の時のキャプテンの言葉が蘇る・・・「勝とうとしなければ・・・」

タイムアウトの時、その言葉を発した事をきっかけに、ボールを繋ぐ執念が湧き、

かたや大差とはいえ、相手を本気にさせる。



何度が、大偉のバレーの試合を見にいった事があるが、バレーボールという試合は

試合の波が、激しく動く・・・。

さっきまで、劣勢だったのにいきなり巻き返す事もあれば、突然崩れて負けてしますケースもある。

チーム力もあるんだけど、根底にあるのは個人の「心の力」なんだど思う。


主審のゲームホイッスルが鳴っていないのに、自分達が・・・個人がゲームを終わらせてしまう。


三年の春の県大会だったかな?

市内では二校を除き、敵なし状態だったが県レベルは違った。

まだ、終わってないぞ!と応援するが・・・・一方的に攻め込まれ負けた。

みんな悔し涙を流していたが、なすすべもなく、点数がかさみ離されると這い上がってこれない。


技術ももちろん大事なんだけど、ここまでやってきた練習量が裏付けるのと同じように、

気持ち・・・心の力が一番重要だと思う。


心の力が持つ、個人の強さ。


決してスポーツだけにあてはまる言葉ではない。



夏真っ盛りに突入!

まだ終わってない!


やっぱり、スポーツっていいなぁ~。










2014年7月17日木曜日

17日(水)晴れ・・・大偉がいたらなぁ~

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


再来週の毎週土曜日から合気道体験がはじまる!

野田でははじめての試みなんだけど、やはり反響は大きい。


小さい子供達もたくさん体験にくる・・・


とっさに頭に浮かんだのが、大偉の事だった。


大偉が小さい頃には、H-shiさんに道場で遊んでもらっていた。

もちろん、N-nhaもR-ma、S-goも。


その大偉が大きくなると、自分がしてもらっていた事を小さい子供達にしていた。

なかなか輪に入れない子を見れば、声をかけて一緒に遊んであげたりと・・・


はじめて着る道衣や、帯の締め方なども大偉がしてあげていたんだよなぁ~。


大偉がいれば、子供達の場の雰囲気も変わって楽しくなるのに。


道場のどこかで顔を出してみているんだろうね。


手伝いに来てね!大偉っ。





2014年7月16日水曜日

16日(水)晴れ・・・会長

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


確か昨日の7/15は梅田会長の命日。


養神館合気道龍、千葉県合気道連盟の会長として支えて下さった人だった。


いつもニコニコしていて、会えば声をかけてくれる方だった。


今週の夏の審査は、梅田会長の一周忌命日として気合いを込めて

臨んで、思いっきり成果を発揮してもらいたいです。



会長も、川村さんも、そして大偉も見ている。



2014年7月15日火曜日

15日(火)晴れ・・・餃子

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨日は、部内の先輩と後輩の3人で上野にある餃子店に出かけた。

殆どの人が餃子を食べに来るんだけど、4個で460円くらいかな?

一個が大きめなので、これを二皿を食べ、ビールをジョッキ2杯も飲めば満足!


帰りに、生餃子をお土産に買って帰った。


大偉も、餃子は大好きで家でも結構食べたね。


たまには、大偉と男同士で食事したかったな。

一緒にビールでも飲みながら・・・


2014年7月14日月曜日

14日(月)晴れ・・・もう三年

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


会社へ向かう常磐線の車内の中・・・

入口にもたれかかりながら、窓越しに外を眺めていた。



「もう三年かぁ~」


先週、嵐が3・11の被災地に出向き、ボランティア活動をしているのを紹介していた。


岩手。

宮城。

とボランティアをしながらミニコンサートを開き、地元の方々と交流を深め寄り添っていた。。


最後は・・・福島。



地元のおじさんは・・・・


「三年経ってようやく笑う事ができた」と話した。


今までは、笑う事も出来なかった。

笑う事が出来なかった。

笑えなかった。。。


一瞬にして、目の前に起きた。

誰も想像がつかないくらいの出来事が。



その言葉を聞いて、「そうだな。。。俺もそうだったな」と振り返り


事の大きさはあるが、個人にとっては計り知れない出来事。

毎日、毎日と暗かったかもな。


大偉とみるるに会いたい。


2014年7月12日土曜日

12日(土)晴れ・・・あゆ

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今週の稽古は、小学生は学校のため一般部の稽古後の午後から開始する。

夏の審査を前に、どうにかこうにか漕ぎ着ける事ができた。


大丈夫と思える子もいれば、ちょっと不安だなぁ~と感じる子もいる。


今回は、少年四級を稽古していた子を除き、受ける事になった。


稽古が終わり、更衣室で着替えていると・・・・


あゆ・・・の声がラジオから流れていた。


大偉も好きだった。


後輩にも連れて行ってもっらね。


お父っが思い出すのは、


車に乗れば、これ!


何か聴く?と聞けば・・・これ!


いい加減ほとんど同じCDばかり。


そんなCDが最後にCDになろうとは・・・


思い出すのは、車の中で聴いたCDと


最後となってしまった場所で流していたCD。


同じCD。


2014年7月9日水曜日

9日(水)くもりのち雨・・・雷

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


夕方にみんなで大偉とみるちゃんに会いに行ってきた。


曇りだったのが、だんだんと怪しくなり雨が降ってきた・・・雷も。


大偉も、みるるも雷が大嫌い。。。


今夜はこれから雨だけど、大丈夫かな?



2014年7月8日火曜日

7日(月)雨・・・また行きたい。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ネットで購入した、Voice recorderに必要なMicroSDを前の携帯から外した。


小さい頃の大偉やみるる、N-nhaの写真や、動画が入っていた。


写真を見ていながら、大偉の笑っている顔が懐かしい。


ピアニカを弾くと、みるるは曲に合わせて、一緒に歌う!


今日は、七夕・・・。


大偉と一緒に行った北アルプスの涸沢岳のテント場。


空を見上げると、目の前に広がる天の川。


また、行ってみたいなぁ~。



大偉とみるるが旅先から見る天の川は、また違うように見えるのかな?




2014年7月3日木曜日

3日(木)晴れ・・・待って!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


朝に現場に出向いた。

本当は、昨日行きたかったんだけど・・・。


2011年の今頃は、仕事も手につかず、

毎日思い出しては泣いていた。


ほとんど眠れないまま、ほぼ毎朝

現場に向かい、何か落ちていないか

何処で倒れたのかと、何もわからないまま

わかるはずのない、見つけられるはずのない

現場に立っていた。


お花を手向け、立ち上がり千葉方面のR16号・・・

大偉が走ってきた方向を見ながら


告別式の最後のお別れが頭をよぎった。


大偉の胸に・・・R-seyさんからいただいた大偉の名前が刺繍された黒帯をおいた。


綺麗なお花に囲まれた大偉。


棺の蓋がしまる。


大偉の顔がだんだんと見えなくなってくる・・・


思わず、両手を入れて「待って」と大きな声を出し、

自分の頭を大偉の顔に被せるように入れ、蓋を閉めさせないようにしたんだけど・・・


大偉の顔を見たのは、これが最後。













2014年7月2日水曜日

2日(火)晴れ・・・言葉

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



言葉。。。

どんな手段であれ、言葉は人と人を繋ぐ大事なツール。

他の生き物にはない物の一つだ。


この言葉を使い人と接する事でたくさんの得る物が必ずある。


自分になかった知識を必ず得る事になる。



TVを見ていたら・・・ゴルゴ松本が少年院に出向き講演をする番組だった。

彼は、そういう活動を数年前から行っているという。


向かった先の少年院は私達が知っている少年院よりもさらに年齢が下の子供達ばかり・・・。


その子供達と会い、最初に聞いたのは「自分の夢」だった。


億万長者・・・

ミュージシャン・・・

サッカー選手・・・

たくさんの夢を聞き出した。


ここから、ゴルゴ松本の言葉の授業が始まる。


辛い時と感じた時・・・
苦しいと感じた時・・・
辞めたいと感じた時・・・

愚痴を言う。


なんで俺だけなんだよ・・・
あいつはいいよな・・・
どうせやっても・・・・


と・・・愚痴を「吐く


いくら言っても良い。

口からは+(プラス)と-(マイナス)が吐き出される。


ただ、夢を叶えられる人は、-(マイナス)をどんどん+(プラス)に変えていくんだよ。

自分の意識を、少しずつでいいから変えていくんだよ。

そうなると・・・


」という感じの-(マイナス)部分が取れて

少しずつ自分の夢に近づき・・・

とれたマイナスがくっつき

叶う」に変わる。


こいった話しを、漢字を使いながら、まるで金八先生のように

色々な話しを子供達に伝えていた。




言葉一つで、どうにでもなる。

どんどん発信していかなければ、相手には伝わらない。



これも1つの熱意。


2014年6月30日月曜日

30日(月)晴れ・・・熱意

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


熱意には、熱意で返ってくる。

特別な人生を歩んできた訳ではないが、この言葉って本当だと思う。

相手には、上手く伝わらなくても「熱意だけは感じる」ってフレーズってよくあるでしょ?

その逆で、人の心を180度変えてしまうような、感動、感激混じりの熱意もある。


相手に伝わる感じは違えど、熱意には変わりない。

ただ、あまり強引なやり方は得策ではないなぁ〜。

相手の心が、逃げていく。


相手に気持ちを伝えるには、その何倍も情報を集め、提供しなければならないんだよ。

相手の気持ちを動かす熱意。


伝わらないからと言って、やけくそになったり愚痴ったりしたって物事は何も変わらない。

それなら、また違った角度から熱意を示さなければならない。


相手の気持ちを動かす事は、並み大抵ではないし、相当なパワーもいる。

もちろん犠牲もある。


この「熱意」は絶やすことのないようにしたい。




2014年6月29日日曜日

29日(日)晴れのち雨・・・おいおい

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉っ!なんとかして~・・・


大偉とみるるに会いに行った。


雨が上がって・・・お水をかけ、お花を手向けると


だんだんとまた雨が降り始め、お線香を焚く1分後には、大粒の雨から雷雨に変わった。


おもわず、「おいおい、大偉っ!・・・なんとかして~」と言ってしまった。


お墓にいたからだと思うけど、まるで2011年6月5日の涙雨を思い出させるくらいの雷雨だった。


明日で今年も1年の半分が終わる・・・


時の経つのは、振り返れば実に早い。


何もまだ終わっていないけど・・・







2014年6月28日土曜日

28日(土)雨・・・遠い所から。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


体の調子が本調子ではないのにもかかわらず、命日に現場に来てくれた事に感謝します。



大偉を見たのは、木更津さくら会の10周年演武大会でしょうか?


あの時は・・・高1だったと思います。





翌年には人生を大きくかえる事故にあうなんて思いもしなかった。


訃報を知り、駆け付けていただいた事、ちゃんと覚えています。


普段からもお疲れのところ、現場まで足を運んでくださっているんですね。


感謝してもしきれません。


また、私の事までも気遣いしていただきまして・・・。



はやりこの6月から8月というのは非常に、大偉を強く意識します。


寂しい時期は、秋とか冬とか・・・


同じ世代の子が集まっている姿や、節目の時期なんかも。


まだ二十歳になっていないもんで、どうしているかな?と心配で心配で仕方ありません。


こんな事になっても大偉は、きっとバイクに乗っているのでしょうね?


今度、大偉に会いにくる機会がありましたら、厳しく乗り方を教えてやってください。


今後もよろしくお願いします。


お礼が遅くなり申し訳ございません。





2014年6月25日水曜日

25日(水)晴れ・・・ミラクル

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



グループC組 日本対コロンビア戦

早朝の試合・・・試合は気になってはいたが朝早く起きてみる事はしなかった。


起きた時には試合が終わっていて、結果だけみれば1対4の完敗だった。


コートジボワール、ギリシャの時もyahooは見なかったが、なぜか?今回だけは

会社に向かう車内でiPadを見ながら本田圭祐コメントを読んでいた。



「ミラクルは、信じる者にしか訪れない。。。」

日本対コロンビアの試合後の本田圭佑のコメントに出てきた言葉。。。



このミラクルという言葉・・・

今回のコロンビア戦でどれだけの方がミラクルを信じたのかわからないが

1対4は結果であり、何時の時も「やってみなければわからない」


残念ながら決勝トーナメントには行けなかった。

思うような結果が出なかった。

申し訳ない気持ち・・・

色々と選手の中でも、私たち以上に悔し良い気持ちはある。


サッカーに特別な思いれはないが、次の4年間に繋げてほしい。

少なくても未来の子供達は、「あの選手にようになりたい・・・」、この思いだけで

サッカーを好きになり目標にして頑張っている。

あなた達が一生懸命ボールを追っている姿を見ている。

だから、胸を張って帰ってくればいい。

また、Twitterでは、ザッケローニ監督へ、震災後も帰国せず日本に残って

仕事をしてくれていた事への感謝のコメントもあり、選手だけではないスタッフへの気遣いに感動した。



その言葉を 目にした瞬間、大偉が慈恵医大柏で横たわっている姿を思い出した。

声をかけても、体を揺さぶっても、耳元で大きな声を出しても

何の反応もなく、ただ黙って寝ていた。


私の中でもミラクルは起きなかった・・・


その日は、大偉の寝顔ばかり思い出していた。


少しでいいから話したかったな。

手を握り返して欲しかった。


それはそれで、また違った生き方になったと思う。


2014年6月23日月曜日

23日(月)晴れ・・・ネット

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


前の家の子が袋に入れたサッカーボールを右足で蹴りながら歩いていた。

その後ろ姿を見ながら、大偉の小さな頃を思い浮かべていた。


大偉も小学1年生くらいから、近くのクラブチームに入り

高学年には、学校のクラブでもサッカーをやっていた。


そのはるか前の幼稚園になる前くらいかな?

サッカーボールは普通は専用のネットに入れるんだけど・・・


家は・・・スイカのネット!

大偉は小さかったし、スイカネットのほうが網目があらいので出し入れしやすい。

そんなスイカのネットでも大偉は、訳が分からないから使っていた。



その話しを、帰りの車の中で家内に話したら・・・小さい頃ね!


私も、スイカのネットを集めていたもん!だって。




2014年6月22日日曜日

22日(日)雨のち曇り・・・いつも感じているよ。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉、みるちゃん・・・

久しぶりの雨ですね。


暑かったり、雨が降ったり、蒸し暑かったりと天気が変わりやすいけど二人は変わりないですか?


お父っは、先週までは体が怠くて稽古に行くのも実は辛かったんだけど、

稽古に行ったら、とてもいい汗を流してスッキリした。


毎日の生活の中で、いろんな事を感じて、たくさんの物を見て

大偉やみるるの事を被せながら、感じているよ。


出かけて歩いている時も、この辺りを歩いているのかな?なんて思いながら歩いているよ。




2014年6月15日日曜日

15日(日)晴れ・・・どう思う?

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


梅雨の中休みといっていいほど、昨日に引き続き良い天気・・・。


大偉とみるるに会いに行ってきた。その足で現場にも行った。


もう3年と思うか・・・

まだ3年と思うか・・・


人それぞれの感じ方や受け止め方が違う。

その時の・・・

まさにそう感じた時の、心の状態によっても違ってくる。


同じ言い方でも、感情が不安定であれば「カチン」ときたりする事もあるのと同じ。


たくさん手向けていただいたお花を片付けながら感じでいた。



お前だけはと思ってはいたが・・・


色々と都合があるから仕方がないね。



2014年6月14日土曜日

14日(土)晴れ・・・もうこんな歳かぁ・・・

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


14日には、N-nhaと家内が大学の見学に出かけた・・・。

私は、稽古があったので一般部の後、少年部の指導を行っていた。


4月前から、いろいろな学校の資料を集め一人で行ったり、友達と見学に出かけていた。


今の高校に入るのも、将来、やりたい事があっての事だったが

だんだんとその夢に近づいているのかな?


三者面談もついこの間、終わったみたいだし。


N-nhaも、受験生・・・


もうこんな歳になるんだな・・・


子供の成長って早いなぁ。


歳を足していくと・・・寂しくなるな。


自分がやりたい事を掴んでもらいたいと願っている。


2014年6月13日金曜日

13日(金)晴れ・・・部活

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


浦安の演武大会後から、自転車が盗まれ朝は駅まで歩いて行っている。


そんな中、大偉、N-nhaが卒業した中学校の前を通ると、テニス、陸上
サッカー、野球・・・など朝早くから汗を流している。


大偉はバレー部だったので、体育館での朝練だ。


声を出して、みんなで一つの目標に向かって進んでいる、学生を見ていると
羨ましくなる。


ついこの間まで、中学生・・・・

今は・・・大学二年生かな。


何をやっているんだろう。





2014年6月9日月曜日

9日(月)くもりのち雨・・・感謝

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



大偉に、「感謝の念を抱き」・・・


絶対に忘れる事のない人と思ってくださり


親としてこの上ない喜びで、感謝申し上げます。



これ以下でも、これ以上でもない感謝です。



大偉とみるるの写真を見ながら食事をしていると


大偉にあいたいなぁ~

みるるにあいたいなぁ~

と本当におもうよ。



なんとなくでもいいから、会いたい。



2014年6月8日日曜日

8日(日)雨・・・お花に囲まれて

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


最近のTVドラマは本当に刑事ものが多い。

特に、科捜研を題材にしたもの・・・。

亡くなった後の人の事も。



ショッピングモールで、一人の男の子が誘拐され家に帰ってきた時は、変わり果てていた。

家族にしかできない、身元確認・・・。

母親は、ショッピングモールで子供がトイレから中々戻ってこない事を不審に思い警察に届けるが、

誘拐されてまもなく殺され、遺棄された。


警察の霊安室に両親が入り確認・・・

泣き崩れる母親。その肩を支えるお父さん。


横には、その男の子・・・「ごめんね」と言いながら立ちすくんでいた。


告別式・・・

お経が終わり・・・最後のお別れ。


待ってとばかりに、棺にしがみつく。


棺の中はたくさんの綺麗なお花に囲まれ・・・とても綺麗な顔をしている。



一生懸命に犯人を捜す刑事さん。

遺留物からの犯人を特定しようと鑑識の方々。

その証拠物をもとに分析をする科捜研。


これは、ドラマの話しだけど・・・


一部を除き、同じ体験をしてしまった私には

そのドラマを見ているのは辛かった。


大偉をそのまま見ている感じだった。



告別式の最後のお花を手向ける時間は、言葉に表す事のできない


とても、とても辛い時間だった。



2014年6月7日土曜日

7日(土)雨・・・特別な日

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


どしゃ降りの大雨だというのに、大偉のお墓に立ち寄り、

I-ue先生夫妻とR-seyさんがその後、稽古に参加してくれた。



毎年訪れる特別な月・・・。


朝、稽古場の準備を整え、大偉の写真を正面脇にそっと置いた。


少年部の中には、もう大偉を知っている子供達はもういない。



こうしてI-ue先生夫妻、R-seyさんが道場にいると私が入門した当時を思い出さす。


大偉、R-uma、S-go、N-nha・・・・同じ世代の子供達が少年部の稽古終わり、

すぐ脇で、遊んでいたのをね。


大偉の写真を見ると、だいぶ大きくなった顔をしているが、道場では

この思い出ばかりだな。



大偉を感じ、大偉の着ていた道衣を身にまとい稽古をしていた。


あれから3年・・・


もう3年と感じるのだろうか?

まだ3年と感じるのだろうか?



毎年訪れる6月・・・。


私にとって特別な月でもあり特別な日。



いつもより、大偉の事を感じる・・・小さい頃の大偉から


2011年6月2日の出来事まで。




2014年6月7日 稽古に集まった仲間たち






2014年6月6日金曜日

6日(金)雨・・・大偉みたい

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


先週の「ハイキュー」を見ていた。


オープニングの主人公の膝からしたのシューズを履いた足の感じが大偉みたいだった。


この「ハイキュー」を通して、大偉も中学の時、一生懸命にバレーをしてきたんだなと思いながら見ている。



今は、この「ハイキュー」で大偉を感じている。



2014年6月5日木曜日

5日(木)雨・・・3年前

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


会社を出たのが、8:00pmすぎ・・・。

駅まで雨の中歩いていた。



3年前の今日は、よく晴れた天気だった事をよく覚えている。


午前中には、後輩の子が大偉に会いに来てくれた。


夕方前には、自宅出棺・・・。


もうこの家で、大偉が寝る事はない。

帰ってきているとしても、私には見えない。



滞りなくお通夜が終わり、9:00pm・・・

突然の土砂降りの雨。


涙雨。


まるで、来てくれた方がお友達が家に着いたのを確認したかのような雨だった。




そんな3年前を思い出す。



2014年6月2日月曜日

2日(月)晴れ・・・途切れた道

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



今日は、6月2日・・・

大偉の命日となってしまった日。


今回、初めて有給休暇をもらい休んだ。

特に何も言ってはいないが、会社の携帯も全く・・・鳴らない。


N-nhaも先週の土曜日の授業の振り替えで、今日は休みなので

午前中に家内とN-nhaは、大偉とみるちゃんに会いに行った。


帰ってくると・・・自転車に乗る服を着ていた人とすれ違ったと言ったので

「H-shiだ!」・・・えっなんで・・・

会社を休んだのかな・・・。

2週間の出張の代休かな?なんて思っていた。


私は、午前中にお客様が来ると待っていたが、色々とトラブルがあり会えなかった。


歯医者の予約が4:30PM・・・


4:10PMに現場に先に行ってから歯医者に向かおうと思ったが、先にお墓に向かった。


管理棟にある記帳には、H-shiの名前があった。

他校の中学時代のバレー部の友達の名前。



歯医者を出たのが結局、5:30pm過ぎ・・・。


それから現場にむかった。



6:00pm前にに着いた。

平日なので駐車場はガラガラだったが、1台の車から

お花を持って出ていく子の姿が見えた。


誰だろう?・・・。


近づくと、大学の一つ上の先輩の姿だった。

毎年、来てくれている。


まもなくすると・・・・


「あっ、来た!」と言ったので振り向くと


数台の車とバイクが左折して駐車場に入ってきた。


5~6人くらいかな?


話した事はないが、一人だけ顔を見て知っている。

大偉が入学当時から話をしていた子だから・・・。


後は、もしかしたらどこかで会っているかもしれないが、わからない・・・ごめんね。



普段・・・こんなところに人が集まる事のない場所に・・・

道も渋滞していた。

なんで、人が集まっているのだろう?と思いながら車を運転していた人がもいただろう。

当時も、現場検証のため同じように渋滞していたんだろう


あれから、この道を何万台・・・何十万、何百万台と走りさっている事だろう。

もしかしたら、あのトラックも・・・。


2011年6月2日・・・

この場所から家までの距離・・・車で10分~15分の距離。

この短い距離を大偉は自力で帰ってくる事ができなかった。

向かった先は、家とは真逆の慈恵医大柏病院。


この距離を帰ってきたのは・・・

まだこんな車に乗るには早すぎるという車に乗り、変わり果てた大偉。


無言の帰宅だった。


3日の朝早く流れたニュース

柏警察から、大偉を見送る家内とN-nhaの姿と声

毎日、現場に向かっては何か証拠が落ちていないかと探して・・・・


調書をとられ・・・聞かされ、また現場に出向き

滑った地点と、大偉が倒れた地点を見つけるが大体の位置しかわからない。


今でも思う事は、前歯がかけたり、頬にすった傷はあったが

そのままの大偉の顔で帰ってきてくれてよかったとつくづく思う。


お通夜に来てくれた友達からは、最後に大偉に会いたいと残っていた。

そんな子達にも会わせる事ができたのだから・・・。



本当だったら、あの日も普通に大偉の道は続いていた。

続くはずだった・・・。

今でも、普通に何処の家庭にでもあるような光景で暮らしていた。




こうして、お墓に行ってくれた方・・・

現場に来てくれた方・・・

大偉のためにわざわざ、時間を作って会いにきてくれて本当にありがとうございます。

それから、いつもお花を手向けてくれた人からもメールが届いた。いつもありがとう。

7日にも大偉に会いに来てくれるとI-ue夫妻からも、R-seyさんからも連絡あった。





2011年6月2日・・・とはまったく違う、よく晴れた良い天気だった。




田中大偉・・・・

あなた達には、どんな男に見えたのかな?





一瞬、途切れてしまったが・・・

こうしてみなさんが、大偉の道を繋げてくれた。

私たち家族を繋ぎ、支えてくれている事に感謝します。


大偉の道を、一つひとつ歳を重ねながら、思い浮かべる事でしょう。


2014年6月1日日曜日

1日(日)晴れ・・・夢

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



朝に現場にに出かけ、お花とお線香を手向けた。

いつものお花が手向けてあった。


毎回、同じ形のお花・・・

同じ子が、大偉の最後にいた場所に来ているんだな。

どなたかわからないが、いつもありがとうございます。

もしこのブログを見ていたら・・・お礼を言いたいので

メールをいただけませんか?





今日は、お互いの両親と一緒に大偉と、みるちゃんのお墓参りに出かけた。

その後、一緒に食事をした。



ちょっとだけ、「大偉の夢を見た?」の話しになった。


みんな夢に出ていないというが・・・・


ばぁちゃんだけが、ぼんやりとだけど大偉の夢を見たと言う。


ばぁちゃん・・・と声をかけてきたみたい。。。



大偉はどうしているのだろう。





2014年5月27日火曜日

27日(火)晴れ・・・今でも、

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


大偉は、今でも知る人の心の中で生きている。

I-ueさんからのメールを見た時、そう感じた。
みんな口には出さないけど、そう感じているのかな?

嬉しい気持ちだった。

決して、田中の息子ではなく、

田中大偉という一人の男を想ってくれているだと。

これも田中大偉の人柄なんだろう。

大偉の人柄に、2011年6月2日以来
私も救われた。

肉体のない大偉に救われた。

こんな事、思っても見なかった。

あらためて、大偉の凄さを感じた。

生前は、そんな事感じもしなかったけど、周り方は、そう感じていたのかな?

親バカな私が、一番感じていなかった。

これからも、大偉を通じて多くの方に助けてもらい、私の残された人生を過ごす事だろう。

これ以上ない、人生を送れるのだろうと思うと、私の中で・・・、

残された私達の家族は幸せだな。


冷静に受け止められない事態が、突然起きて、

それでも、残された家族を守らなければならなく。

周りの方がいなければ、もしかしたら
正気でいられなかったかもしれないが・・・

正直、そんな余裕はなかった。

それも、周りの方の顔を見て冷静にするしかなかった。

それでも感情を抑えきれず
人目もはばからす涙した事もあったが、
だまって見守ってくれた。

本当は、感情を抑え毅然と振舞った家内が一番辛かった。
突然、兄貴を失った上葉が辛かった。


辛いが、それでも大偉は生きている。







2014年5月25日日曜日

25日(日)晴れ・・・BORDER

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


アルバイトの帰り道・・・

終電がなくなりアルバイト先から家まであるいて帰っていた。

実家の母親からは、息子が心配だったのだろう・・・

深夜だというのに電話で話していた。


電話を切り・・・信号のない横断歩道を渡ろうとしたその時だった。


赤いスポーツカーとぶつかった・・・

一旦は、止まったものの・・・

そのまま走り去ってしまった。


ひき逃げ。


結局、大物官僚を持つ父がその案件をもみ消すために

闇の人間を使い、掃除をはじめる。


息子は・・・海外へ。



刑事は、死者と会話ができる・・・

今、そこで亡くなった方と状況を会話し事件を解決していくというドラマのはなし。



いつもこのドラマを見ながら、大偉もおなじようにそこに立ちつくし

自分自身を見ていたのかな?と思う。

自分でも訳がわからないまま、いったい何が起きたんだろう・・・ってね。


もしそんな方がいたのなら、当時の状況を聞いてみたい。


なんでこんな事が起こったのか?

なんでこんな事になってしまったのか・・・


未だに私の中では、未解決事件



2014年5月18日日曜日

18日(日)晴れ・・・うぐいす

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


そう言えば、今年は鶯の鳴き声が聞こえないなぁ~と感じたのは、

この間、鎌倉に出かけた時に、佐助稲荷神社に向かう途中の道のりで聞こえたから。


2011年の6月は、いつになくもの凄く聞こえた年だった。

I-ueさん家族、R-seyさんが来た時も、色んな事を話しかけているかのように

一生懸命話しているような鳴き声だったなぁ~。


久しぶりに会った、R-maに・・・大偉は何を話しかけていたんだろうか?

何を見ていたんだろうか?とね。

この事も一つの記憶として毎年思い出すんだろう。


そんな事を思っていたら・・・・


演武大会の朝・・・時間は6:30過ぎだったかな?


いきなり、鶯の鳴き声が聞こえた。

ず~っと、鳴いていたわけではないが、早く起きて!と一言

話すかのような鳴き声だった。


その時・・・大偉が戻ってきたんだと思った。


そっちは、どのような世界なんだろうか?

良い友達といるのかな?




2014年5月17日土曜日

17日(土)晴れ・・・いよいよ!

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


いよいよ明日は、演武大会だね。

去年は行事毎があって参加はできなかったけど・・・。


1年振りの演武大会の参加にワクワクしているよ。


明日は、大偉の道衣と剣を持って参加するからね。


どんな演武になるか楽しみ。

2014年5月11日日曜日

11日(日)晴れ・・・大切な思い出

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


楽しかった。

悲しかった。

辛かった。

いろいろある大切な思い出。



忘れられない思い出・・・


忘れる事のできない思い出。


だんだんと、細かいところが忘れてきてしまうけど・・・


いつか大偉とみるちゃんとその思い出を話したい。



2014年5月10日土曜日

10日(土)晴れ・・・もうすぐだね。

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


いよいよ演武稽古も大詰めだね。


大偉も道場の中で、何度も何度も稽古を繰り返している事だろう・・・。


当日は大偉を全身で背負い演武をしようと思う。



合気道をはじめてから、ずっと演武に出てきたんだけどね。

あれ以来、あなたの姿を見る事はできず、ただただあなたを思い浮かべ、

すぐ側にいるかのように感じ思うしかない。


あなたの道衣を身につけ、頑張るよ。


今週末は最後の調整だよ。


よろしくね。





2014年5月7日水曜日

7日(水)晴れ・・・食事

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳



G/W明けの初日。。。

昨夜は、中々寝付かれなくて超〜っ寝不足状態のが水曜日の定時退社に助けられ、帰ってきた。

今日は結婚20年目を迎える!

と、その前に梅郷駅の改札正面に見慣れた後ろ姿。

R-seyさんだった。

声をかけて暫くすると、S-goが現れた。

今日は一緒に食事をするんだと言ってた。


S-goが高1の年末に会ったのが最後なので、久しぶりだった。

高3ともなれば、だいぶ大人びて体型も締まってきている感じだった。

私も大偉が中3の時に、梅郷にあった「バーミヤン 」に大偉と食事をした事があって、私が何処かで飲んだ帰りに、電話して呼び出し食事をした。

中学生だったので、22:00以降に出歩くのが禁止だったんだけど、大偉に電話して行ってもいいかお母さんに確認してと言ったにもかかわらず、伝えないままバーミヤンに大偉がきた。


ちゃんとお母さんに言ってきたの?

と聞くと、うんの返事だった。(嘘)


1時間くらい食事した後、家内にえらく怒られた( ;  ; )

大偉はちゃんと言っていかなかったし、そもそも22:00以降に外出させる親が何処にいるんだ。。。


 
後は、都市対抗野球の帰りかな。

R-seyさんとS-goの後ろ姿を見送りながら大偉と食事した事を思い出していた。

 

2014年5月6日火曜日

6日(火)曇り・・・手紙

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今日は、朝から色々と掃除・・・。

メインは壊れた洗濯機が届く!

その後も簡単に掃除をしていた。


夕飯はIKEAに買い物にいくついでに、その中で食事をした。


帰ってからお風呂に入って後も、なんだか片づけを始めたりと、いつもと行動が違っていた。

どちらかと言うと、探し物をしながら片づけと掃除をしていた。


結局、みつからなかった。


引き出しの中もみたんだけど・・・・


そんな引き出しの中には、私宛に送られた大偉の友達から手紙だった。


当時の事から、その時に感じた思いが書かれてあった。


その手紙を読みながら、その当時感じた思いと今は違うんだな・・・・


時という時間が、それぞれの思いを和らいで・・・


そして消していく。

2014年5月4日日曜日

4日(日)晴れ・・・鎌倉

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


家を8:00am前に出発した。

今日は鎌倉に行く。

目指すは、佐助稲荷神社、龍口明神社、江ノ島の辺津宮、中津宮、奥津宮と銭洗、稚児ガ浦。

スピリチュアルのチエさんが紹介していたルートをめぐるコース。

前の晩は録画を見ながらメモを取った。

あまり遠出をしないし、ナビは古いし・・・

全部行ける自信はなかったけど、結果良い時間帯で回ることができた!


色々と、説明すると長くなるので割愛。

でも、江ノ島の弁天様に行く時は、必ずその前に西鎌倉駅の龍口明神社を参拝してから、

江ノ島の弁天様に会いにいくこと。

そうしないとやきもちをやいて別れてしまうぞ!


しかも階段を使う。

エスカーなんて乗ってはダメですよ!





また、来年の春前にN-nhaの合格祈願のお礼に行こうと思う!

すっかり受かった事を前提に決めています。

このルートちゃんと調べていくと面白いですよ。