平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳
合気道を始めた翌年(H17・・・H18になった年だったかな?)に
野田に指導に来くださったのが、のちに蒼龍の代表となる
三橋先生である。
当時、野田の少年部は10名くらいかな?
もちろん、大偉もN-nhaもいた。
初日の指導がはじまる。
「先生に礼」と挨拶が終わると、三橋先生は、一人一人子供達の名前を
フルネームで呼び、よろしくお願いしますと頭を下げて挨拶をはじめた。
その姿を少年部の稽古から参加していた私は、衝撃をうけた。
会った事もない子供達の名前をフルネームで呼ぶとは。
会員の名前は何となく覚えてきたとしても、顔を一致させてスムースに挨拶を終えた。
何事もなかったかのように。
この日の事は一生、忘れないし、後に野田の代表を務める私の最重要と
重みを置き、全会員の名前をフルネームで覚えている事はもちろん
きちんと書けるようにしている。
この日の出来事がなかったら・・・後に代表にならなかったら、ここまで考えないと思う。
三橋先生は合気道へ私を導いてくれた先生の一人です。
他にも多くの方から合気道について教えていただいた。
とても感謝している。
また、N-nhaが合気道の事を家内に聞かなければ合気道に出会う事もきっとなかったろう。
こんな素晴らしい仲間に出会う事もなかったろう。
蒼龍5周年記念演武大会は、私にとっても色々と考え深い。
この節目に、参加できた事嬉しく思う。
野田同好会からは6人が参加したが、私の中には+2アルファ
大偉とN-nha、そしてこの大会に都合により参加できなかった人のために。
野田での稽古の事、勝浦合宿に行く前の3月頃の電話、合宿での事。
その夕飯に安藤先生に伝えた事。
全国大会に三橋先生と大偉が一緒に組んで出たこと。
その腰投げが中々できない大偉。
大偉の審査の講評の事・・・うん・・「大偉はもっとできるだろう?」の一言だけ。
告別式の事・・・いっぱいあり過ぎて。
帰りの電車の中で色々と考えて思い出していたら、泣けてきてしまった。
大偉がいたら、N-nhaも一緒に合気道を続けていただろうか?
いつも道場には二人の姿があったからな。
大偉が旅に出てから、道場には一回も来ていない。
きっと次に顔を出すときは、大偉と一緒なんだろうね。
三橋先生の指導のお陰で、苦しかった事、辛かった事などを乗り越える事ができた。
その基盤を持ち、今の明龍館でがんばろうと思う。
合気道を通じて多くの財産となる先輩、同僚、子供達。そして指導して下さる先生方。
この方達がいなければ、2011年6月2日を持って辞めていたと思うな。
みんなに支えて貰って、こんな人はいない。
大偉という男は、多くの支えとなる人達に「お父っを助けてあげてください」
と伝えていたのだろうか?
この恩を何処で、どうやって返せばいいのだろうか?
16年・・・まだ高校2年になったばかり
大偉にどうやって?
私を支えて下さった方にどうやって?
家内に、N-nhaにみるるに。
両親に。
大偉の友達に。
0 件のコメント:
コメントを投稿