2012年9月20日木曜日

20日(木)晴れ・・・ターニングポイント

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


昨晩は、2:00AMまで仕事をして目の前のホテルに泊まった。

8:00AM過ぎに会社に出て、今期末の最終計数の会議に出席。

出かける用事があったので、自分のグループの報告を終え

他の部の報告を聞く事もなく、T社や豊洲にある親会社へ

打ち合わせのため出かけた。


通常月でも忙しいというのに、期末にみんな押し込んでくるのを

何とか対応したい気持ちもあり、忙しさがはんぱない。


いつもそうだけど・・・名指しで電話をしてきて

頼み事を言われる。

こちらも知らない人ではないので、なんとかするみたいな・・・。

繋がりで仕事がどんどん舞い込んでくる。

そうすれば、また仕事が入る。

一生懸命対応すれば、依頼者から違う人へ話し(噂)が広がり

「あいつに言えばなんとかしてくれる」でまた仕事がはいる。


自分的には、仕事の大小にかかわらず、気配り、心配りをしながら

対応する事を心がけて仕事をしている。



で・・昨日の35年ぶりの話。

中学三年の夏には、市内大会の決勝戦で1対0で敗れた。

別の地区大会で優勝し、そのまま千葉県大会を逆転勝ちで優勝。

山梨で行われた関東大会へは習志野第四クラブというクラブチームとして進んだ。

初戦は、7対0で快勝。

2回線へ進出したが、2対0で敗れた。


急きょ保護者会が開催され、貸切バスで山梨まで来てくれた・・・

うれしかったなぁ~。


最後の夏も終わり・・・受験に入っていった。

東京の高校からは、チーム全員を引き取ってもいいなんていうところも出てきた。


今でも忘れない一言・・・

中学の時の掃除はお昼休みが終わってからはじまる。

掃除も終わり中庭を歩いていると・・・きーさん(木島)が来た。


・・・一緒に関東一高に行かない?

関東一高?

一緒に野球をやらないかと言われた。

その場をなんとなくやり過ごした。

千葉県以外の甲子園に出場している高校は知ってはいたが、

まさか千葉県以外の高校に進学するなんて考えもしなかった。


高三の夏・・・関東一高は甲子園に出場し8強に入った。

中学の時はオーバーハンドだったが、高校では下手投げに変更していた。

TVを観ながら・・・

もし、一緒に行っていたら自分があの場にいたかも知れないと思った。

甲子園大会が終わり、絵皿を持って家に来てくれたのが最後だから32年ぶり?

今でもこの事は思い出す。


決して今を後悔しているわけではなく、振り返ると色々な場面でのターニングポイントがあったと思う。

必然でそのターニングポイントを決めて今がある。


・・・夢のターニングポイントも

今では懐かし良い思い出。


大偉も16年間の中でのターニングポイントは、いつくかあったが

やっぱり高校進学のポイント一番大きい。

自分の人生・・・

家族の人生・・・

両親の人生を結果、変えてしまったのだから。


大偉の事を少しでも気にかけてくれている人のこれからの人生も

多かれ少なかれ、色々な場面で思い出すと思うよ。

自分が親になり、子供がバイクに乗りたいと言った時に・・・

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