2011年8月6日土曜日

5日(金)晴  心のこり・・・

  平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
  六月二日
俗名 田中大偉
  享年十六歳


2011年6月2日 夜 柏警察書。

交通課の方から、死体検案書はありますか?と待合室で待っている私達に聞いてきた。

死体検案書?

大偉を千葉大で解剖するため必要な書類とのこと。

いや、ありません。

じゃ、今から慈恵に行って取りに行ってください。警察の車に乗り家内と娘が取りに行った。

お父さん、これから息子さんの棺を用意していただけませんか?

えっ、今からですか?

どこか、葬儀を頼もうとしているところはありますか?

かなり、遅い時間。

葬儀を頼もうとしているところなんてありませんが・・・

家内に、今から棺を用意しなければならない事を言った。

明日の朝に、千葉大に搬送するためだ。

慈恵の霊安室で名刺をいただいた、葬儀屋さんに棺をお願いした。

次の日・・・2011年6月3日 夕方。

大偉が、千葉大から帰ってきた。

それに合わせ、葬儀の打合せをした。

お通夜は、6月5日(日)・・・。

死亡届けを野田市役所に提出しなければならなかった。

死体検案書の左側が死亡届となっている。


記入したのは、家内だった。


慈恵にいた時に書いた書類も家内だった。

今まで、結婚してから殆ど色々な書類を書くのは私なのに、死亡届を家内に書かせてしまった。

私は、右手剥離骨折で包帯をしていた。

何も、考えずに家内に記入を任せたのだ。。。

葬儀屋さんの言うとおりに家内が書いた。

田中 大偉 と・・・。

包帯を取って、ペンを持つ事もできた。普段の字ではないが書くこともできたのに・・・。

包帯を取らず、家内に書いてもらった。

和室に安置している大偉の棺。その隣のリビングで言われるがままに書いた。

私は横にいて家内が書いている、死亡届をただただ見ているだけだった。


家内も辛かったろうに。


自分が産んだ息子の死亡届を書くなんて、夢にも思わなかったろうに。

お腹の中にいる時から、だいい、だいいくん、だいくんと話しかけていた。

産まれる時の事。

幼稚園の頃の事。

小学校の頃の事。

中学校の頃の事。

高校の頃の事。

泣いたり、笑ったり、喧嘩したり。

色々な事を思っただろうに・・・

家内には、辛い思いをさせてしまった。本当に申し訳なかった。

何故、あの時包帯を取らなかったのか・・・色々な書類を提出する度に・・、ふと思うたびに。


心のこり・・・。


家内の優しい字で・・・


(よみかた) たなか だいい
氏   名  田 中 大 偉
生年月日   平成7年1月28日 
死亡したとき 平成23年6月2日 午後5時40分
死亡したところ千葉県柏市柏下163番地1号

と書いてある。


心のこりであり、辛い思いを家内にさせてしまったが、じっとみていると・・・
家内から産まれて、家内の優しい字で締めくくってよかったと思えてくる。

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