平成二十三年
享年十六歳
俗名 田中大偉
六月二日
享年十六歳
俗名 田中大偉
六月二日
妙法 清澄院日大信士位
上野東京ライン品川行きの車窓から見えた上野駅中央口の時計の針は、8:30amを指していた。
10年前・・・梅雨に入り連日の雨。
2011年6月2日も曇り時々雨・・・雨といっても小雨がぱらついている程度。
あれから10年の歳月が流れ、毎年6月2日がやってくるが、
雨が降ったのは、この2011年の6月2日だけと記憶している。
毎年、大偉がみんなのために雨を降らさないように頑張っているとしか思えない。
事故・・・
家内からの電話から、大偉が多くの先生方に施され、ベットで寝ている姿。
毎年、大偉のためにお心遣いをくださる大切な方・・・いつもありがとうございます。
大偉のブログを知り直接メールをくださった方・・・もう1年になりますね。
ブログからコメント下さった方・・・うれしく思います。
現場に駆け付ける方・・・
休みをとってお墓に会いに来てくださる方・・・
私の知らないところで、そっと見守ってくださる方・・・
みんな大偉の人柄で、私達家族も救われた。
感謝の気持ちでいっぱいです。
やっぱり6月は・・・
なんとか出社したが、午後から半休し帰ってきた。
行き帰りは、あいみょん、AI、EXILE、綾香、平原綾香・・・などなど。
多くのアーティストのフレーズを聴きながら、大偉を思い出していた。
16年と短い人生だったけど、ちゃんと大偉という証を残し
みんなの心に残ってる。
誇りに思う。
柏警察署の外に安置されている大偉。
病院では、すぐに葬儀屋がきて棺の話をしはじめた・・・
今、そんな事考えられるか!
一旦、引き取ってもらったが、私から電話しなおした。
棺がないとそのまま横たわるだけだ。
丁寧に誤り、対応していただいた。
その方もとても良いお方だったなぁ。
周りの方に、大偉も私達家族も恵まれた。
でなきゃ、こうして生きていられない。
なんかもっと思いを伝えられればと思うが、とりとめのない言葉に
なってしまった。
今もこうして思うことは、大偉の分までしっかりと生きる義務がある。
そして、再び逢った時は2011年6月2日からはじめればいい。
大偉が司法解剖した時の髪の毛と出棺前日に化粧をしてくれた方に
お願いして切った爪しかない。
後は・・・当日、手首にはめていた黒いゴムとピアス。
家内が集中治療室ですかさず、外した。
家内の言葉、N-nhaがかけた言葉は、はっきりと今でも覚えている。
私も、貴女に負けないように、恥じぬように上を向いて歩きます。
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