平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳
17:05・・・TDLやイクスピアリでごったかえす舞浜の駅にいた。
長い間、ずっと龍を支えてきた方のお見送りに浦安市斎場に向かうためだ。
バスの時刻が合わず、タクシーに乗る。
斎場には多くのお世話になった関係者が集まっていた。
受付の場所には、お祭りの写真や孫を膝に抱え、
ニッコリとしている写真が印象的だった。
というか、それしか目に入らなかった・・・
遠くの場所から、親族席が見える。
写真に写っていた、孫だろう・・・
お母さんの膝の上に座り、何度も写真の方を指差し
お母さんに聞いている風だった。
その、小さな指が指している方向は、おじいちゃん。
「ねぇ・・・なんで」
と聞いているかのように、誰もが見てもそう感じられた。
大偉の時にも足を運んでいただき、寄書きには
「悔しいな・・・」と書かれてあった。
会長のあの笑顔は、皆を和ませてくれる。
会長からみれば、ほとんどが息子や娘のように感じ
皆と接していたのかなぁ~と思う。
まだまだ、孫の成長をずっと、側で見ていたかったろうに・・・
きっとおじいちゃん子なんだろうな・・・
身内を旅立させた人が・・・
身内を旅立させてしまった人に・・・
「これも必然」だなんてとても言えない。
世の中、偶然はない・・・全て必然だが
旅立たせた後の言葉に「必然」は残酷とも言える言葉に変わっていく。
必然・・・この時ばかりは使いたくない。
謹んでご冥福をお祈り致します。
1 件のコメント:
比叡山上原行照大阿闍梨の法話がいつかお聞きしたいと漠然と思っていたら、お通夜の帰りTが隅田川の上に広がった赤い鳳凰のような雲を見ながら、突然大阿闍梨の法話をこないだ聞いて来たんだと言いだし、僕は絶句した。浅草でそういった催しがあるとは聞いていたが、まさか行って来たなんて。Tが最近言葉が自然に発せられるようになり僕はよかったと思っている。大きな試練に向かって越えようとして努力している者を大阿闍梨さまは近くに呼びよせるのだなと思った。隅田川を見るたび東京空襲を思う。ドイツから修行に来たステファンを浦安に送る道すがら、「無差別な空襲なんて、アメリカは本当にひどいことをしましたね。」と隅田川に向かって静かに呟いてました。ああ当時同盟国だった国の人の言う言葉はぜんぜん違った味方なんだなあと思ったのを思い出します。車からおなじ角度でTと隅田川を見ていてなんとなく思い出していました。Tにこれからこの世のなかで訪れる幸福の全てを渡してやりたいと思う兄貴でした。RI
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