2014年2月18日火曜日

18日(火)晴れ・・・NORI

平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


ニックネームは・・・NORI


ラージヒル個人で銀メダルに輝いた葛西紀明が牽引して掴んだ

ジャンプ団体 日本 銅メダル・・・98年長野大会ぶり以来4大会ぶりとなった。


LIVEで見ていなかったが、ニュース映像を見てものすごく感動した!

・・・泣けてきた。



葛西選手の事は、昔から名前は知っていた。

特に、スキージャンプに詳しい訳ではないが、TVで試合をやっていると、ついつい見てしまう。


長野では団体メーンバーから外れるなど・・・私が想像もできないくらいの悔しい思いだったと思う。



以下は、WEBからのコメント掲載。


自身にとっては94年リレハンメル大会の団体銀メダル以来だ。輝きは違ったが、メダルの色は関係ない。何よりの宝物になった。葛西は「僕がメダルを取った時、自分のことのように喜んでくれた。一緒に戦ってメダルを取るならこいつらだと思っていた。リレハンメルのメダルとは全然、喜びが違う。最高の五輪になった」と熱い胸の内を話した。

 「一緒にメダルを獲るならこいつらだなと思っていた。日本にいる時も一緒にごはんを食べて、どんちゃんして、心が通じ合った仲間。絶対にメダル獲らせてやりたかった」。1回目は2、6、2、3と推移した順位は、2回目が進むにつれて3位が濃厚となっていった


長野の団体戦が行われたのは98年2月17日。あれからちょうど16年がたった。仲間の金メダルを悔しそうに眺めた25歳の青年は、後輩に慕われる41歳のレジェンドとして日本をけん引した。「僕にとっては最高の五輪になった。満足してます」。晴れやかに言った葛西の7度目の五輪が終わった。


16年前の今日、最高の仲間と掴みとった銅メダル。


葛西のコメントに・・・

「~~一緒に戦ってメダルを取るならこいつらだと思っていた~~」と

残しているが、この言葉に託した思いは、わかる気がする。



昨年暮れの審査もそうだったから・・・

自分が選んだ・・・。

受けを担当してくれた・・・H-shi、I-ueさん

大偉の道衣と帯

S-bata君からいただいた、大偉の剣。

N-nhaが預かっている短刀。

そして、見届けてくれたR-seyさん。


自分が、この弐段審査を受けるならこの人達だと決めていた。


先週、先々週とプレ審査を行ったが、納得のいく出来栄えではなく

もしかしたら・・・「待て!」の指示が出てしまう事も考えていた。


それでも、最後の最後で背中を押したのは、M-ekoさんの笑顔と言葉だった。


葛西選手とは比べものにならないけど、なんとなくこの言葉の意味や重みはわかる。



それにしても、何度読んでも目頭をあつくさせる。

http://www.asahi.com/topics/word/%E8%91%9B%E8%A5%BF%E7%B4%80%E6%98%8E.html



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