平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳
天気予報が外れ・・・暑すぎるとても良い天気となった。
昨日も結局、晴れになったので、もしかしたらそのまま晴れるかな?とおもってた。
これも、大偉のお陰なんだと思う。
6:40に現場につき、菊花を手向けた。
10:15分過ぎに霊園に到着。
お寺さんをお迎えし、開始時間まで、時間があったので色々な事を話した。
1周忌以来の5年振り。
6年前の辛い思いを話すと・・・・
確かに当時は辛かったでしょう・・・・でもこうして6年間を生かされています。
人は、未来にしか進む事ができないので、前を向かなければならない。
この辛い思いは一生引きずって生きていかなければならないが、
大偉に話しかけたり、思い出して話す事は、大偉が安心している事なので、
とても良い事だと言っていた。
家内もN-nhaも、口にはださないがとても辛かったと思うというと、
それはお互い様であり、そうして助け合って生かされているんだと。
自分の生き方を一つの信念とする。
それは心の中にあるものなんだけど、それをお守りをして腕念珠をつけたりして
形にし、自分を守ってくれている。
時には、大偉に自分の生き方が間違っていないのか?と問う事も大事だと・・・。
これから先、命を繋ぐ意味も含めて前を向いていこう。
お寺さんは、N-nhaの事を覚えており、懐かしそうに話していました。
「たられば」・・・はないので、生きていたらどんな言葉をかけるかな?
生きている今はどんな言葉をかけるかな?と考えなければならない。
そう思う事で、接し方や言い方も変わってくる。
この七回忌・・・いろいろなお言葉をお寺さんからいだだいた。
礼拝堂で、ふと横をみるとお袋がハンカチで涙をぬぐっていた。
その時は、とても辛かったな。
それにしても小さくなったな。
夕方、ZEPHYRで、現場に向かった。
当時の時間には間に合わなかった・・・
それにしても、2012年以降の6月2日はいつものように晴れていた・・・・
なぜ、2011年の6月2日は小雨だったの?
法要を終え、管理人さんが今日10:00頃に大偉の友人が墓前にお線香を手向けに
きましたと伝えられた。
すみませんが、お名前をだしますね。
稲垣くん
今日は、大偉のために墓前まで会いにきてくれてありがとう。
私達家族は、中学の時の友達なのか?専門学校の時の友達なのか?
存じあげないのですが、ほんとうにありがとうございます。
家内も、6月2日の命日に一人で会いにくるなんて、前からこの日の合わせ
日程を調整して来たんだろうね?
今はもう来る人がいない中で、こうして来てくれるなんてね。
10:00頃であれば、もしかしたらどこかですれ違っていたのかも知れませんね?
もう少しでお会いできていたのかも知れませんね。
この場をかりてお礼申し上げます。
これから暑くなるので、お身体ご自愛くださいませ。
もし、このブログを見ていたら、メールをいただけると嬉しいです。
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