2011年6月24日金曜日

23日(木)曇のち晴  CTS・・・

法号:清澄院日大信士 田中大偉(享年16歳)

今日は、三七日忌(亡くなってから21日目)。亡くなった人は七日毎に、お裁きを受けるとされています。
大偉は大丈夫だよ。

朝から、色々なところへ出かけた。
お通夜・告別式に来る事ができなかった。私の実家。
大偉が亡くなった6月2日。救急搬送された病院の出入り口から、大偉が交通事故で亡くなった事を知らせた。
当日、夜遅くに妹夫婦の車に乗せられて安置されていた柏警察署にきてもらい大偉と会った。
亡くなる一週間前に遊びに行き、みんなで食事をして帰った、次の姿が・・・言葉を発しない大偉の姿となってしまった。
翌日の同時刻に交通課全員で目撃情報収集のビラ配りに私の両親が遭遇。
色々と心身に負担がかかり、お通夜と告別式には来る事ができず、病院に入院していたので、妹から会葬の様子は聞いていたが、今日始めて祭壇の写真を見せた。
大偉の大学入学時に渡しビックリさせようとコツコツ貯めていたお金がこんな形で使われようかと思うなんて・・・と、親父も悔しがり涙を流した。
私は、ぐっと堪えて聞いていたが、大偉が小さい頃に描いた似顔絵や、小さい頃の写真を見ると堪える事ができなかった。とても目のパッチリした可愛い子で、妹と仲良く写っている姿を見て、他愛のない事で喧嘩している姿、声がもう聞けないと思うと、更に悲しみがこみ上げてくる。


夕方からは、学校に行き大偉の私物を引き取りに伺った。
先週、日曜日に自宅まで来てくれたお友達と、別のお友達が待っていてくれて、立ち話しではあるが会う事ができた。大偉の使っていたロッカー、教室の机、実習場所、校舎を写真におさめてきた。
大偉の机の上には、お友達からのメッセージが書かれていた。ジュースやお菓子も、みんな少ないお小遣いを出して机の上に、置いていたという。
みんな本当にありがとう。
できたら、みんなと今年に冬にスキーに行かせてやりたかった。物凄く楽しみにしていたんだよ。
再来年の春にみんなと卒業させてやりたかった。
そして大学に入り、車体整備士になりたい事も言っていたな。

クラスのテスト結果表には、大偉の名前がなかった・・・。




学校帰り、柏警察署の担当警察官とお会いする事ができた。
捜査中なので、詳細を掲載する事はできないが、部分部分での事実が解明されてきて、私の中でのモヤモヤとした部分ははれたが、6月2日16:10事故現場から立ち去る・・・と報道される前の病院の中で、絶対こんな事になるはずがないと思い犯人を捕まえてやるからな。と思った瞬間から、今日まで被疑者に対する憎しみは、変わりません。これから先も同じです。
大偉、司法解剖もよく頑張ったね。
6月3日。柏警察書から千葉大に搬送されるam6:00前。家内と娘の三人で見送りに行った事、大偉を乗せた車が千葉方面に向かい見えなくなるまで目で追っていた家内と妹の姿。頑張ってこい、夕方は家で待っているからね。また会おうねと言い別れた時の思いは絶対に忘れない。

23:00過ぎに柏警察署を出て帰宅する途中。大偉がお友達からもたっらKGのアルバムを聞きながら車を走らせていた。暫くすると「story」、「君に言えなかった想い」がかかりだした。
目に涙を浮かべながら、家で待っている家内と娘の元に着いた。

今日も、暑い中庭を掃除してくれた、家内の親父。ありがとうございます。

私達家族は、目に見えない人たちからも支えられているんだと改めて感じた。これから先の捜査はわからないが、しっかと対応して行こうと思う。

大偉、心配しないで大丈夫だからね。
みんなついているから、安心して。

少しでも、皆様がこのブログを見て応援して下されば幸いです。

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