平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳
貫徹ではないが、朝4:30に起きて仕事を再開・・・
7:30AMに朝食を食べに外へでるが、雨が降っていた。
昨年は、前日の涙雨から一転、ものすごい良い天気だった。
徹夜・・・
事務所が木場にあった頃、やっぱり何回徹夜をしたんだけど、家に電話をして「徹夜になるから・・・」と伝え、大偉に代わってもらった事があった。
徹夜という言葉も知らないし、家内からすぐに代わったから説明なんてしていないんだけど、きっと大偉は、今日は帰ってこないんだと感じたのだろう・・・
優しい、ちょっと高い声で・・・本当に帰ってほしい声で
「パパぁ~、帰ってきて」と二回くらい言って家内に代わった。
その時は、深夜2:00くらいまで仕事をしてタクシーで帰った記憶がある。
午前中は、今月の計数会議・・・
その後、飯田橋のメーカーへ打合せのため外出。
6:00PMに帰社後、さらに仕事を再開。
そんなこんなで、12:00AMちょっと前に家に着いた。
昨年は、10:30AMから告別式がはじまった。
この年になると会社の上司、同僚、後輩などのお通夜に出る事も多い。
いつもは、お通夜だけで告別式には参列しないのだが、その時だけは受付を任せられていたので告別式にも参列した。
その告別式を出てからは、こんなに悲しいのなら出るのはやめようと思ったほどで、それから出てはいない。
本当に悲しく、辛い告別式だったから・・・
それが、今回自分の息子を・・・だもんね。 信じられない。
控室に、家内とN-nhaの三人で泊り、大偉の小さい頃や、小学生、中学生、高校生などを思いながら、最後の挨拶文を家内と書いた。
参列者全員で、最後のお別れのためお花を棺の中に入れた。
大偉が日頃着ていたTシャツ、Gパンがあっという間にお花で埋め尽くされ見えているのは、大偉の顔しかない。
綺麗に化粧をした顔を、司法解剖の影響で少しくすんできているのがわかる。
これが、肉体がある大偉の最後。
最後・・・棺を閉めるともう大偉の顔を覗く事ができない。
斎場の係りの方もゆっくり閉めてはいくが、「待って、まだしめないで」と叫んだ。
「ほらっ、大偉が泣いている、まつ毛が濡れているよ。」
足元からゆっくりしまる。
最後は、自分の顔を棺の中に入れ、ずっと大偉を見ては、もう少し、もう少しと言いながら大偉との別れを少しでも先に延ばそうとしても、最後の時は訪れた。
最後の挨拶・・・
会場の外・・・
大偉の棺にしがみつき・・・最後に「大偉」と叫ぶ。
焼き場へ向かう廊下・・・
倒れそうになる私を、家内の親父が支えかろうじて歩ける状態だった。
大偉のために、お通夜、告別式と参列していただいて本当に感謝しています。
大偉との、たくさんの思い出があることでしょう。
もしかしたら、大偉の強がりで不愉快にさせてしまっていたら、ごめんなさいね。
悪気はないので許してあげてね。
一言も悪口を言うような子ではなかった。
小さい子が好きで、面倒見も良かった。
計算は得意だったけど、勉強は二の次。とにかく体を動かしているほうが好きな子だった。
大偉と同じ年代に生まれ、必然にも大偉と知り合い、2011年6月2日までいたが・・・あなた達は大偉の最後を見たよね。
私達家族の姿を見たよね。
妹のN-nhaは、葬儀の間、終始家内の膝で泣き崩れて・・・
それでも、大偉に会いたいと残ってくれたお友達に家内と頭と下げていた。
ためらいも、恥じらいもなく大声を出して・・・
あの日、あなた方の目に映った姿は、これからの人生を生きていく教訓として絶対に忘れないでほしい。
絶対に・・・
結果、大偉が犠牲になってしまったけど・・・
こればかりはね。
あんな姿を、自分の親になんかさせるんじゃないよ。
毎日の生活の中ではほんとうに何が起きるかわからないんだよ。
人生の幕が突然おりるかも知れない。
だから、毎日を大切に一生懸命に生き抜いてほしい。
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