2011年11月9日水曜日

8日(火)晴れ ・・・手紙

平成二十三年

妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳


今朝は、結構寒かったなぁ~。

自宅から駅までは自転車・・・5~6分くらいかな?

流山街道を松戸方面へ走る。

出てすぐに・・・「何やってんだよ、大偉は・・・!」ふと思った。

みるちゃんに宛てた手紙を思い浮かべながら。急に涙が出てきそうになりグッと堪えた。


大偉が亡くなってから、みるちゃんに宛てた手紙の事を知った。

知らなかったのは、俺だけだった。

2011年4月9日 未明 に永眠したみるちゃんへ宛てた手紙。


最後の文面には、こう書いてあった。

「また、田中家に来てください」・・・と。


みるちゃんの後を追ったわけでもないが、その二ヶ月も経たないうちに大偉が亡くなった。

大偉が亡くなる事を知っていたかのように、大偉を迎えるかのように・・・と家内が以前言った言葉を思い出した。

学校帰り、みるちゃんの七七日忌なのかな?

覚えていないが、バイクで野田市斎場まで行ったという。

門が閉まっていて中に入れなかったので、外から手を合わせたと、これも家内から聞かされた。


親が思っている以上に、子供なりに一生懸命考えていたんだと改めて思う。

自分の考えで、色々と行動していたんだな、大偉は。


ちゃんと、みるちゃんに会えているのかい?

報告がないから二人とも心配だよ。

きっと、二人仲良くいるんだよね。



NEWS ZEROを見ていた。

福島県にある富岡高校サッカー部の話し。

3.11から、8ヶ月になろうとしている。あの日以来、友達も部員もバラバラになり県内の高校に通う事になってしまったが・・・先生の努力と周りの協力でバラバラになった部員を戻し全国大会の福島県決勝にまできた。

本来であれば、その仲間としているはずの「貝塚こうた君」

その日、中学校の卒業式だった。

心配になり祖母の家?祖母が待っている家?か忘れたが戻り津波に巻き込まれ、今もなお行方不明だという。

部員は、喪章をつけサッカーができる喜びを噛み締め、友達の分まで思いを乗せて戦った。

結果、2-0で負けた。

サッカーだけでは得られないものも沢山あったろう。

そういう友達っていいよね。

身近な友達が亡くなってしまった事は、ものすごく悲しくて、切なくて、どうしていいかわからない時だってある。

富岡高校サッカー部の先生は試合が始まる前のミーティングで、選手一人一人に喪章を渡し、ここに来れなかった三年生、二年生、一年生と亡くなって今も行方がわからない「貝塚こうた君」を思い出して戦うんだと選手を送り出した。


大偉が通ってた高校は、中央自動車大学校。

もちろん、将来は一級整備士、車体整備士などなど車業界を支える人材。

高校卒業まで、あと1年と数ヶ月となった。

将来、あなた方が支えるんだよ。

人の「命」を預かる仕事なんだよ。

私達は、あなた方に「命」を預けるんだよ。

自分の意思で最後は入学を決めたんだから、頑張ってよ!

親が行けと言ったから入学しただけだよとか、今更そんなガキみたいな事を言っている奴はいないと思うけど、・・・

自分が預かった「命=車」

この車に自分が乗るんだと思いながら整備すると、お客様があなたの技術を認めてくれるよ!

だから、今はグッと堪えて勉強する時なんだよ。


いつかきっと、どこかで・・・

もしかしたら、あなたが整備していた車に乗るかもね!



大偉に整備してもらったりするのを楽しみにしていたんだけど、叶えられそうもないからさ・・・

せめて、大偉のバイクを俺が整備しようかと思ってるよ。

今度、教えて!

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