2011年10月18日火曜日

17日(月)晴れ ・・・あれっ!


平成二十三年
妙法 清澄院日大信士位
六月二日
俗名 田中大偉
享年十六歳

夕方、赤坂のTBS本社前ににあるB'zタワーにいた。

E○I Music Japanで仕事をしていた。

いつもより帰りが早く、柏から東武電車に乗り座った右上の中刷り広告に目を向けた。

週間現代・・・。

たくさんの冊子内容が書かれている中で、瞬間的に目に入ってきた見出し。

「人は死なない、そこにいる」
東大病院救急部長 矢作直樹氏 体験告白

と書いてあった。

あれっ!・・・

どこかで見た言葉。

駅前のコンビニでちょとだけ立ち読み。

やっぱり・・・


2011年9月9日 大偉の百か日忌。

わざわざ家までI川さんが届けて来てくれた。

「人は死なない」


この本はI川さんからいただきすぐに読ませてもらった。

車のスリップにより助手席に乗せていた妹を亡くし、体外離脱した体験が記してある。

「お兄ちゃんはもどりなよ」この一言で戻ってこられた。

その12年後、今度は17歳の息子をバイク自損事故で亡くし、自宅に安置したその晩深夜2時ごろにリビングに向かって歩いてくる足音が聞こえ、見ると息子がたっていたそうです。
「僕のバイクは? 僕のバイクは?」と訊ねていたそうですが、事故のショックから何も答えないでいるとそのまま消え、それ以来見ていないそうです。

色々と調べた事や、たくさんの方にあって聞いた体験をまとめている。
そのほかにも色々と・・・

また、自分も母親を亡くし、知り合いの霊能力を持っている方から、お母様が話したがっているけど・・・としきりに訴えていると。
実際に降霊してもらい、お話しをしている。
そっちの世界でも、先に亡くなった方とちゃんと会っている。


大偉も、2ヶ月先に亡くなったみるちゃんとあっているんだ。

ひーちゃんにも、松戸のおばあちゃんにも。

生まれて半年で連れて行ってもらった長岡のおばあちゃんにも。

私の知らない祖先にも・・・。

心配ないかな?

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「人は死なない」より

土佐日記に、次のような一節があります。

「なかりしもありつつ帰る人の子を、ありしもなくて来るが悲しさ」

死別の悲しみは、現世が現世限りだと思うと底知れぬ深いものとなってしまいます。特に自分の子供を亡くした親の悲しみは喪失感だけにとどまらず・・・

中略

人の魂は肉体が消滅した後も存在すると考えれば、ずいぶんと心が楽になるのではないでしょうか。
現世で二度と会うことはできないという喪失感は、残されて現世を生きる者にとっては確かに大きなものですが、大切な人と幽明の境を異にするのは一時のこと、・・・

他界した人はどこかで自分を見守ってくれている、いつの日か再会できると

考えれば死別の悲しみの本質が変わってくるのではないでしょうか。

中略

葬儀は、亡くなった人との今生での別れを意識するけじめ。
墓参りは、日々の俗事に追われる我々に霊に思いをはせるひとときを与えてくれると同時に、内省の時間をも与えてくれる。

葬儀や墓参りは、人それぞれの環境に応じて、できる範囲で行えばいいのではないかと私はおもうのです。
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大偉の側にみるちゃんがいて、いつも見てくれているんだね。

バイクの事は心配しないでいいからね。


pm8:50 大偉の携帯のメールがなった。

いつもの子からのメールに、中刷りの事が書いてあった。

見ていたんだね・・・。

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